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常磐快速に比べると引退が、早かっただけに、これだけ鮮明な動画は貴重。製造番号一ケタのクモハ103も見逃せません
東海の103系は座席が211系と同じバケット形だったり冷房改造したり古い車両ながら手をくわえられてました。末期は3両編成が関西線運用持ってましたね。
懐かしいねぇ昔は扉閉めの時はドアエンジンの音がしなかったのです。だから「ゆっくり閉まるギロチン」と勝手に言ってました(笑)※113系も同様で、あっちは・・・なんて言ってたか失念しましたが、とにかく早かったです。あと、JRになって、塗装も変わりつつあったときの最終編成(F13編成)が最後まで1つ目の座席七人掛けの仕切り(?)ないものでしたので、横になるのが気持ちよかったです。
この音の103系は、4歳の頃から京浜東北線川崎駅から先頭車に乗車して以来忘れられず現在もこの音を収録しに奈良線や一昨年に来訪した和歌山線の105系を録りに行きました。もう奈良線しか残ってませんが、いつまでも末永く活躍してほしいと願っています。
本動画の投稿主ではないが返信失礼します。奈良線は昨年引退、密かに走っていた和田岬線からも引退してしまいましたが、播但線と加古川線、唐津線でまだ走っております。ただ、原型の103系は和田岬線を最後に引退してしまいましたので残るは改造車と105系顔の車内が201系と共通という亜種のみです...
まだ水色塗装だった頃に通学でよく乗りました。昼間の時間帯は3両編成もありましたが、半ドン時代の土曜日は帰宅の学生ですごく混んだのを思い出します。
半ドンなつかしー、ブタ鼻もなつかしー、おいちゃん
半ドンで早めに帰宅した日には、帰りの道中ちんドンやが街を練り歩き、帰って天ドンを食べながら、欽ドンを観たものですあんトキのおいちゃん
クモハ103-3、学生時代によく当たっていたので懐かしいですね。当時は非冷房、爆音など、歓迎されていた訳ではありませんしたが、JRになってから見事に化けました。
通勤快速、坂下行き11両編成時代懐かしい。
懐かしいですね103系東海カラー朝は関西線にも走ってましたね
クモハの3番とかしっかり撮影して有る映像!貴重ですし、嬉しいですね!中央西線の映像は貴重品。素晴らしいです!
東海地区の103系は貴重でしたね。この編成は低年式車で占められているのが味わい深いです🥹
色は変われども古巣の京浜東北線にいた時も7+3で10両組んでましたよね。
最後の発車シーン、扉窓の種類がバラエティーで面白いですね!金属押さえ扉窓の中でも関東関西地区でも見れた四隅の角が丸いタイプと、仙台地区で見れたより角張ったタイプが混ざっているのがユニークです。扉窓の種類が多いだけでも楽しめてしまうのが103系の魅力の1つだと思います。
ドア開閉は211系5000番台に準じているようですね。103系はクモハ103がデビューすると、モハユニットの番号にズレが生じましたよね。
東海の中央本線103系懐かしいです!今も西日本では103系が残ってるのでまだ暫くは頑張ってくれそうです‼️
中央西線ですよ…
@@須田祥史 同じです。中央本線のなかで、東海管内を中央西線といい、東管内を中央東線といいます。別にこだわるところではないのでは?
国鉄時代のスカイブルー時代の名古屋の103系は横にサボ受けが付いてました。そこに名古屋-神領とかかれたサボが付いてた記憶があります。
1986年秋のダイヤ改正で方向幕に。側面は弁当箱型クーラー積んだ編成には設置なし。
一時期は、正面の方向幕の所に、中央線の表示をしたこともありました。
地元だから嬉しい割と周りの風景変わってませんね
中央線時代の103系ですね。JR東海では唯一の4扉でもあるこの103系も関東からのお古で非冷房車を民営化後冷房改造しましたね。113系にも同じタイプの冷改車も走ってましたね。スカイブルーから東海色に変更されて103系の塗装もこの塗装でまたバリエーションが増えましたからね。
名古屋鉄道管理局に来て1979年頃に浜松工場で冷房化された車両もあったはずです。側面に方向幕があった車両です。弁当箱型の冷房を積んだ車両は側面に方向幕が最後まで有りませんでした。
名古屋鉄道にも4ドアの100系が4両編成で走ってたらしいです
中央西線にも103系がいたのは意外でした。関西線でも使われてましたが、中央西線だと瑞浪までで中津川まで入ることはありませんでしたね。
103系は一時期一つ先の釜戸までは行っていました。ダイヤ改正で釜戸から中津川へ延長になった時に再び瑞浪までになりました。
超懐かしい中央西線103系の現役時代の姿ですね😍今は313系と211系が走行中です。(近い将来、新型315系が登場予定…)
自分は関東にいるので103にはなじみがあります。特に武蔵野線のオレンジ電車に数多く乗りました。
懐かしいです。4つ扉ですね。
意外にもドア窓支持方式が金属押さえ仕様だったんですね。
昔からの親友の一人が「冬の朝と深夜は乗務員室が寒過ぎ!」と言わしめた車両。東海の高卒初期採用組で、車掌になった頃が103系の引退直前…
時期的に中華航空事故の半月前ですね。あの時期にまだ103が走っていたのは驚きです。70年代末に山の手色と京浜東北色が混ざって走ってた頃にはよく乗りました。
2年前に美濃太田で撮りましたけど、ビニールシートで被さっていたので生が見れませんでした。😅💡
東海の103系は、京浜東北線のお古を持ってきました。京浜東北線時代は方向幕を使用していましたが、当時の名古屋地区ではサボ差しが主流であり、そのための人も配置していたので、わざわざサボ差し枠を設置したといういきさつがあります😃
広島と似た理由です。電動方向幕を閉鎖して側面サボを使うのは整備会社に配慮しているからとよく言われていました。
中央線で103系って聞くと、首都圏民だと[オレンジ]や[カナリア]が思い浮かぶけど、東海には湘南色帯が居たんですよね。実際に見た事ないけど…
ホームと旧型の段差がギャップで乗りにくい。廃車して久しい。
他の方の捕捉になりますけど…JR東海の103系は、京浜東北線と横浜線で使用されていた初期転入車62両に、国鉄最後の大移動の一環で青梅・五日市線で使用されていた8両を加えた70両でしたね。この動画でも、サハ103‐167以外は初期転入車です。ちなみに、サハ103‐167は新製配置は下十条で、のちに冷房改造して中央線快速用ダブルMc編成の1両として三鷹~豊田へと転じ、201系追加投入で青梅・五日市線用へ回った車両です。
86-3改正で青梅線と武蔵野線の車両運用が共通化され、その時に余剰となり入って来た分ですね。東京の中央線、名古屋の中央線と名前は同じだが性格は似ても似つかぬ2つの線区を経験しています。
また貴重な東海の103系が‥‥
この車両の窓の変化について この車両の窓は、元々は、上半分、下半分共に、上昇する構造でした。この動画の車両は、下半分は固定されていて、上半分は下降するように改造されました。他の国鉄から引き継がれたJR東海の車両も、同じ改造が施されています。
中央線も次に新型車両が出るならクロスシートも無いですし全て4ドアに戻しても良いのでは?
JR東海に所有していた103系は首都圏から転属したものである。by酒向正也
元々は、1977年にそれまで、名古屋近郊の中央線を走っていた70系や72系を置き換えるために、京浜東北線を走っていた103系を転用しました。当初は、スカイブルー一色で、6両+4両の編成で、方向幕は、使われていませんでした。
東日本では 京浜東北線から103系が引退した1998年に JR東海103系引退したんでしたよね
21世紀に入って直ぐ。
高蔵寺の幕が、ずれてる
幕がずれてる103系は初めて見ました
貴重や
関係ないコメントですみませんが、名鉄の乗降扉の上部が白(もしくはグレー)に塗装されている姿は赤一色より遥かに美しいと感じました。
ドア部分の明灰色は1996年頃まで見られたレアな塗装です。1997年以降は現在の真っ赤に変わります。
中京圏の国電
いまは、315けい
常磐快速に比べると引退が、早かっただけに、これだけ鮮明な動画は貴重。製造番号一ケタのクモハ103も見逃せません
東海の103系は座席が211系と同じバケット形だったり冷房改造したり古い車両ながら手をくわえられてました。末期は3両編成が関西線運用持ってましたね。
懐かしいねぇ
昔は扉閉めの時はドアエンジンの音がしなかったのです。
だから「ゆっくり閉まるギロチン」と勝手に言ってました(笑)
※113系も同様で、あっちは・・・なんて言ってたか失念しましたが、とにかく早かったです。
あと、JRになって、塗装も変わりつつあったときの最終編成(F13編成)が最後まで1つ目の座席七人掛けの仕切り(?)ないものでしたので、横になるのが気持ちよかったです。
この音の103系は、4歳の頃から京浜東北線川崎駅から先頭車に乗車して以来忘れられず現在もこの音を収録しに奈良線や一昨年に来訪した和歌山線の105系を録りに行きました。もう奈良線しか残ってませんが、いつまでも末永く活躍してほしいと願っています。
本動画の投稿主ではないが返信失礼します。
奈良線は昨年引退、密かに走っていた和田岬線からも引退してしまいましたが、播但線と加古川線、唐津線でまだ走っております。
ただ、原型の103系は和田岬線を最後に引退してしまいましたので残るは改造車と105系顔の車内が201系と共通という亜種のみです...
まだ水色塗装だった頃に通学でよく乗りました。
昼間の時間帯は3両編成もありましたが、半ドン時代の
土曜日は帰宅の学生ですごく混んだのを思い出します。
半ドンなつかしー、
ブタ鼻もなつかしー、おいちゃん
半ドンで早めに帰宅した日には、
帰りの道中ちんドンやが街を練り歩き、
帰って天ドンを食べながら、
欽ドンを観たものです
あんトキのおいちゃん
クモハ103-3、学生時代によく当たっていたので懐かしいですね。
当時は非冷房、爆音など、歓迎されていた訳ではありませんしたが、JRになってから見事に化けました。
通勤快速、坂下行き11両編成時代懐かしい。
懐かしいですね103系東海カラー
朝は関西線にも走ってましたね
クモハの3番とかしっかり撮影して有る映像!貴重ですし、嬉しいですね!中央西線の映像は貴重品。素晴らしいです!
東海地区の103系は貴重でしたね。この編成は低年式車で占められているのが味わい深いです🥹
色は変われども古巣の京浜東北線にいた時も7+3で10両組んでましたよね。
最後の発車シーン、扉窓の種類がバラエティーで面白いですね!金属押さえ扉窓の中でも関東関西地区でも見れた四隅の角が丸いタイプと、仙台地区で見れたより角張ったタイプが混ざっているのがユニークです。扉窓の種類が多いだけでも楽しめてしまうのが103系の魅力の1つだと思います。
ドア開閉は211系5000番台に準じているようですね。103系はクモハ103がデビューすると、モハユニットの番号にズレが生じましたよね。
東海の中央本線103系懐かしいです!
今も西日本では103系が残ってるので
まだ暫くは頑張ってくれそうです‼️
中央西線ですよ…
@@須田祥史 同じです。中央本線のなかで、東海管内を中央西線といい、東管内を中央東線といいます。別にこだわるところではないのでは?
国鉄時代のスカイブルー時代の名古屋の103系は横にサボ受けが付いてました。
そこに名古屋-神領とかかれたサボが付いてた記憶があります。
1986年秋のダイヤ改正で方向幕に。
側面は弁当箱型クーラー積んだ編成には設置なし。
一時期は、正面の方向幕の所に、中央線の表示をしたこともありました。
地元だから嬉しい
割と周りの風景変わってませんね
中央線時代の103系ですね。JR東海では唯一の4扉でもあるこの103系も関東からのお古で非冷房車を民営化後冷房改造しましたね。113系にも同じタイプの冷改車も走ってましたね。スカイブルーから東海色に変更されて103系の塗装もこの塗装でまたバリエーションが増えましたからね。
名古屋鉄道管理局に来て1979年頃に浜松工場で冷房化された車両もあったはずです。
側面に方向幕があった車両です。
弁当箱型の冷房を積んだ車両は側面に方向幕が最後まで有りませんでした。
名古屋鉄道にも4ドアの100系が4両編成で走ってたらしいです
中央西線にも103系がいたのは意外でした。関西線でも使われてましたが、中央西線だと瑞浪までで中津川まで入ることはありませんでしたね。
103系は一時期一つ先の釜戸までは行っていました。ダイヤ改正で釜戸から中津川へ延長になった時に再び瑞浪までになりました。
超懐かしい中央西線103系の現役時代の姿ですね😍
今は313系と211系が走行中です。(近い将来、新型315系が登場予定…)
自分は関東にいるので103にはなじみがあります。特に武蔵野線のオレンジ電車に数多く乗りました。
懐かしいです。4つ扉ですね。
意外にもドア窓支持方式が金属押さえ仕様だったんですね。
昔からの親友の一人が「冬の朝と深夜は乗務員室が寒過ぎ!」と言わしめた車両。東海の高卒初期採用組で、車掌になった頃が103系の引退直前…
時期的に中華航空事故の半月前ですね。
あの時期にまだ103が走っていたのは驚きです。
70年代末に山の手色と京浜東北色が混ざって走ってた頃にはよく乗りました。
2年前に美濃太田で撮りましたけど、ビニールシートで被さっていたので生が見れませんでした。😅💡
東海の103系は、京浜東北線のお古を持ってきました。京浜東北線時代は方向幕を使用していましたが、当時の名古屋地区ではサボ差しが主流であり、そのための人も配置していたので、わざわざサボ差し枠を設置したといういきさつがあります😃
広島と似た理由です。
電動方向幕を閉鎖して側面サボを使うのは整備会社に配慮しているからとよく言われていました。
中央線で103系って聞くと、
首都圏民だと[オレンジ]や[カナリア]が思い浮かぶけど、
東海には湘南色帯が居たんですよね。
実際に見た事ないけど…
ホームと旧型の段差がギャップで乗りにくい。廃車して久しい。
他の方の捕捉になりますけど…
JR東海の103系は、京浜東北線と横浜線で使用されていた初期転入車62両に、国鉄最後の大移動の一環で青梅・五日市線で使用されていた8両を加えた70両でしたね。
この動画でも、サハ103‐167以外は初期転入車です。
ちなみに、サハ103‐167は新製配置は下十条で、のちに冷房改造して中央線快速用ダブルMc編成の1両として三鷹~豊田へと転じ、201系追加投入で青梅・五日市線用へ回った車両です。
86-3改正で青梅線と武蔵野線の車両運用が共通化され、その時に余剰となり入って来た分ですね。
東京の中央線、名古屋の中央線と名前は同じだが性格は似ても似つかぬ2つの線区を経験しています。
また貴重な東海の103系が‥‥
この車両の窓の変化について この車両の窓は、元々は、上半分、下半分共に、上昇する構造でした。この動画の車両は、下半分は固定されていて、上半分は下降するように改造されました。他の国鉄から引き継がれたJR東海の車両も、同じ改造が施されています。
中央線も次に新型車両が出るならクロスシートも無いですし全て4ドアに戻しても良いのでは?
JR東海に所有していた103系は首都圏から転属したものである。by酒向正也
元々は、1977年にそれまで、名古屋近郊の中央線を走っていた70系や72系を置き換えるために、京浜東北線を走っていた103系を転用しました。当初は、スカイブルー一色で、6両+4両の編成で、方向幕は、使われていませんでした。
東日本では 京浜東北線から103系が引退した1998年に JR東海103系引退したんでしたよね
21世紀に入って直ぐ。
高蔵寺の幕が、ずれてる
幕がずれてる103系は初めて見ました
貴重や
関係ないコメントですみませんが、名鉄の乗降扉の上部が白(もしくはグレー)に塗装されている姿は赤一色より遥かに美しいと感じました。
ドア部分の明灰色は1996年頃まで見られたレアな塗装です。1997年以降は現在の真っ赤に変わります。
中京圏の国電
いまは、315けい