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気軽に見られる25分のショート動画ありがとうございます
倍速で12分で見れるのでありがたい
25倍速で1分で見れるのでありがたい
化け物のオンパレード★
ショート動画の定義がここだけ違う世界線に迷い込んでしまったようだ。
ゆる言語学ラジオってこういうショート動画いっぱい上げてるのにショートフィードでおすすめに上がってこないの不思議ですよねー。
山梨県民です。面白かった。確かに「ん」ですね。言わないで→言わんで 走らない→走らん 確かに言いますね。甲斐の国って京都方面とのつながりはあったと思います。信玄の妻、三条夫人は公家の娘であったとか。まぁ戦国時代までは日本の中心は京都ですから、どの地方も京都ととのつながりはあったでしょうけれど。塩の交易説は面白いと思いました。脱線しますが。否定辞「ん」が、否定的な依頼、懇願、禁止、命令するときは「ちょ」になります。言わないで→言わなんで→言っちょ 走るな→走らんで→走っちょさらに丁寧になると(命令を強めるケースも多い)、「し」がつきます。言わないで下さい→言っちょし 走らないで→走っちょしさらに強調、強い命令になると、これに「ね」がつきます。こうなると甲州弁を知らない人にはキツイ言葉になります。言っちょしね 走っちょしね語尾が「しね」になっちゃうんですね。山梨県警が道路の電光掲示で安全運転標語を甲州弁で呼びかけたら批判の嵐になりました。「スピード出しちょしね」甲州弁を知らない人にとっては何言ってるか分からない。甲州弁で真意が伝わる標語にするなら「スピード出さんでくりょう」だったんですが。文字数の関係だったんでしょうかね。私も見かけたとき「こりゃダメだっ」と思いました。あっというまに消えましたが。さらに脱線ついでの余談ですが山梨には「奈良田方言」というのがあって、南アルプス山中の集落の言葉です。平家の落人の言葉が残った、という説があるそうです。この地域の人の会話は甲府の人が聞いていてもワケが分かりません。高齢者ばかりになっているので「絶滅危惧方言」です。
京都ととの ➜ 京都との
甲州弁の「ん」、単純に「ない」との置き換えにならず、言葉が追加されるケースもありますね。雨が降ってるか、確認の時。ない: 「雨降ってる?」 「降ってないよ」ん: 甲州弁「雨降ってるけ?」 「降っちゃいんよ」「降っちゃあいんね」「・・・「降っていんよ」もありますが「ちゃ+いん」「ちゃあ+いん」をよく聞きますし、言います。「大雨だけど、電車走ってるけ?」「へぇ、走っちゃいんよ」など。(「へぇ」は「もう」の意味)他の「ん」の地域は、同じような言い方なんでしょうか?
@@ichitera9100 多分「降っては」の「ては」が「ちゃ(あ)」になってるので、「ン」が入る地域は基本的には「降っちゃいんよ」という気がしますね。これが郡内だと「降っちゃにゃあ」とかになるかも
12:13 普通のことなら堀本さんのモットモ言説も気にならないのですが、病気に関わることなので、追記しておきます。日本住血吸虫病は、甲府盆地だけの特有病ではありません。岡山県の高屋町近辺や、九州の筑後川流域も有名です。というか、撲滅史の前半はほぼ西日本で起きています。そもそも、ミヤイリガイの名前のもととなった宮入慶之助は九州大学の先生ですし、彼による経路の確定は九州大学に在籍時の業績です。
かなりトンデモやんけ!
世界(中国、アフリカ等)に似た寄生虫が原因の病気はまだ残っているみたいなのは聞いたことがある
宮入さんて酪酸菌の特定もしてるし、学者としてすごい人だね
貴重な塩を手に入れるために、現地の言葉を使って懐に入ろうとしている商人が想像できて好き
このコメント大好きで頭に残っていたので次の言語地理学4がとても楽しかったです!♡
こういう考え面白いですね!
山梨は確か現在も日本で一番マグロの消費量が多い地域で、それは江戸時代、冬の間だけ焼津で水揚げされたマグロを陸送して刺身で食べることができたからで、その当時のご馳走としてのイメージが山梨の人々に強く印象つけられたからだ、という話を聞いたことがあります。山梨に沿海の方言が受け入れられたのは、そうした貴重な食材や物資がやってくる海への憧れがあったのかな。と今回のお話を聞いて思いました。
うちのおばあちゃんマグロ大好きだったわ…
父の家系が山梨出身で、祖父母の家に行くとよく食卓にマグロの刺身が出てました。
22:23 「言葉も川に乗る」この言葉好きだなぁ…
椰子の実・波・ゆる〇〇味
水野「トウモロコシ、ジャガイモ」堀元「キャッチーじゃないなぁ」水野「甲府盆地の否定辞」堀元「面白い!」これがアンカリング効果🤔
山梨県民(東部)です。私の昔の先生の話ですが、大学生時代、他の県の出身の人に「ちょっと背中かじってくれ」って頼んだら「お前、本当にいいんだな…?」と確認を取られたあと、背中に突然噛み付かれたらしいです。郡内弁で「かじる」は「かく」を意味します。痒いから背中をかいてくれと頼もうとしたら背中をかじられた悲しき人間の話です。山梨でも東部の方は東京にかなり近いので言葉も東京弁にかなり近いんですが(特に若年層は)、東京弁かと思って普通に喋っていたら、たまに意味が全然違う様な語彙もあるので、トラップでしかないです。
静岡県民(中部)も「掻く」のこと「かじる」と言います!
国中出身です。国中でも『かじる=掻く』ですね。むしろ郡内(東部)に嫁に来てからはあまり聞かない言葉だなあと思いました。郡内の言葉は都言葉と言うか、上品ですよね。所謂甲州弁では無い地域だなあと住んでいても思います。
神奈川からの18から郡内に移って来ましたが当時彼女と「かじって」案件ありましたね😃彼女のお父さんに挨拶行った時笑いながらわりゃどこのボコでぇ~と言われてちとビビりました。長く住んでると郡内の言葉は甲州弁に静岡の方言がミックスした感じしますね
東部の人ってかじるって言わんくない?
笹子峠から西の国中は「ずら」「〜ら」「〜ちゃあ」 大月あたりから東の郡内は「だべ」「だんべ」「〜すらぁ」東部の言葉は東関東方言(茨城、栃木、千葉、湘南)と被る部分が多い
甲府盆地出身です。以前都内からお嫁に来たばかりの先生が、生徒から『なんでぇ先生、へぇけえるだけ』と言われて『???』となったと話してくれました。へぇ=もうけえる=帰るだけ=の?『もう帰るの?』と親しみを込めて聞いた生徒も、まさか通じないとは思わなかったんだろうなあ(笑)
群馬弁でも「はあ」で「もう」の意味になるので離れているけどそこは少し似てますね
江戸っ子は「帰れ」を「けぇれ」って言ってたし、けえらんとかいうお土産だかが九州にあると聞いたけどそれは秀吉が帰らん→けえらんとか言ってそれが発祥と聞いたことがあるが…。あれ?秀吉さん、関東と中部(以西)のハイブリッド訛りですか?
東部でも「へぇ終わりだぁよ」(もう終わりだよ)は使いますね
木曽三川を尾張と三河の境界だと大間違いした水野さんが、尾張と三河で「間違えたらまずい」って言うの面白過ぎる
よくある安い間違いだらけのゆっくり解説動画みたいなサムネ好きよ
山梨県民の方がおっしゃっていた「かじる=かく」は静岡県東部(富士周辺)にもあります。富士と甲府を結ぶ身延線があり、この鉄道の歴史はそんなに古くないかもしれませんが、富士川に沿った地域では共通点した単語があるかもしれません。
昔から関東に近い中部地方の山梨の方言がなぜか関西弁っぽいと疑問を感じていた答えが出ました!スッキリ!
山梨県西部の出身です。確かに富士川水運で南から物流があったと親から聞いています。塩が瀬戸内からとは知りませんでしたが、西郡(甲府盆地西部)は特に方言が荒い理由も何となくこの辺りなのかと思い至りました。面白かったです!ありがとうございました。
水運って川を登ってくのだろうか。
能登と中越沿岸は廻船の関係で文化が似通っているそうですよ。能登半島に沿って船で廻ると遠回りなので、中越沿岸から輪島に直行していたみたい。
山梨の中でも、甲府盆地(国中)と大月や都留など(郡内)と別れていそうです。山梨県の中でも、富士川流域は「ん」で、相模川流域は「ない」ですね。
はじめまして山梨県東部県人(郡内人)です同じ山梨県でも甲府を中心とする国中弁と富士東部地区の方言が微妙に違うのがなんとなく理解できました郡内地域は東は東京の多摩地区、神奈川の相模湖地区・南は静岡の御殿場地区との繋がりが強かったので言葉も似てます共に江戸時代幕府の天領で人の交流もあったのかもしれないです武州三多摩弁の「だんべ」と静岡の「ずら」「にぁー」とかもちろん地元の甲府地域とも確かに郡内(富士東部)で「ん」は基本使いませんEX もう止める?って聞かれて 止めないor止めんは止めないです子供の頃郡内地区にも国中から学校の先生が担任で赴任されてきましたが、子供心に言葉がきついとみんな思ってましたこんねん事も分からんだけ→こんな事も分からないのさっさとそれをよこせし→早くそれ頂戴が威圧的に感じましたでも、今では標準語と甲州弁のバイリンガルです
日本だけに関わらず鉄道発展以前は水運強いですからねぇ…ヨーロッパでは古代ギリシャ人とかフェニキア人とかの行動範囲すごいですしヴァイキングも川を遡って交易したりヨーロッパの北部だけじゃなくヨーロッパ全体、地中海でも活動してましたし中国でも隋代に大運河が築かれたり倭寇とか発生したり…まぁとにかく水運は現代人たちが思っているよりも強いっていう感じですかね
楽しみに待ってました
ぼくも!
たのまち
日本海側に「ん」が多いのは水運の影響だろうなと思いながら見てたら甲府盆地がそうだった衝撃。
庄内では過去に北前船の往来が頻繁でその影響で関西言葉が混じってると聞いたことあるし。逆に横浜あたりで語尾にじゃんがあるのは甲州商人が言い出したからという有名らしい話もある。
理由は関係ないらしいですけど、富士川の上流に"釜無川"とか"塩川"とかあるの面白いですね
日本海側の西方方言の東への延びは北前船(西回り航路)の影響でしょう。
山梨県には海がないのに「浜」という古い地名があるのですよね。ここはまさに昔の船着場だったそうです。海運と富士川を経て塩を運んできた人たちが、甲府盆地の扇状地にある砂浜っぽい川岸を「浜」と呼称していたのだろうか…と想像が広がりますね。
なるほど!まさか塩の往来が関係していたとは・・・三遠南信の地域には「塩の道」とも呼ばれる、古くから交易の通路として使われた道があります。個人的には、塩の道といえば糸魚川~諏訪~浜松の陸運ルートという認識だったんですが、富士川に乗って甲府へ抜ける水運ルートもあるというのは目から鱗でした。前の動画でも話に出てましたが、方言の話が地理、民俗など別の話に繋がっていく様はとても面白いですね~
清水・富士のあたりが「ない」の区分でしたので、陸運ですが、「塩の道」の説の方が綺麗に説明できそうですね。おそらく、日本海(糸魚川)側からも太平洋側(遠州・相良)側からも「ん」を使う人たちが塩と共にやってきたので、共通で通じる「ん」が残ったのではないでしょうか?
甲州市塩山にある塩山山(塩の山)は標高556mと非常に小さく、語源として塩を運んできた商人の目印とされていた説と、「塩らしい山」という説があります
その塩の山は四方がみえるという事もあり塩の山という事も子供の頃教わりました。地元の昔の先生の話しでしたが急に思い出しました。そして麓の向嶽寺の壁に塩を一緒練り込んでおり信玄は壁から塩を取れるように考えていたようですよ。いまこんな事を語る地元の小学校の先生はいないでしょうね。塩山市民として生まれTH-camでコメで出るとは〜
山梨県在住でタイトルに惹かれて初めて見ました。とても面白かったです。参考資料も読んでみたいと思いました。また来ます♪
関東に引っ越してきたばかりの頃、「~できんの?」が「~できないの?」ではなく「~できるの?」の意味で使われていて混乱したのを思い出しました
あーそういえば両方の意味で使ってますね。なんとなくイントネーションできり換えてるかもしれないです。
関東のラ行をンに訛る言い方は個人的には嫌いだわ…。
@@なんでも食う犬北摂も首都圏方言流入してんのかな「それできんで!」って神戸の友達言ってたときどっちか分かんなかった
日本海側の延びも北前船とかの水運で解決できそう。以前、大人の休日倶楽部(JR東日本)のCMで『なぜ酒田市に京都の文化が?答えは北前船』っていうのがあった。
Just discovered this channel, I really interested in the Japanese dialect, even though I have never been to Japan in my life. Thanks for the video
山梨最東部出身者です。桂川を堺に大月寄りは郡内言葉、東京寄りは多摩弁の影響が強く、語尾がずらとべーにわかれます。
「えらい」(疲れる、大変なみたいな意味)も中国地方と山梨に共通して見られるわけですが、おそらく塩を運ぶのがエラかったんでしょうね。納得です。
静岡も使いますよ
東三河も使いますよ。
名古屋もいいますにゃ
えらい、は愛知県出身の某女子タレントもテレビて言ってたわ。疲れたことをえらいっていいません?とか。関東の人間には通用しないんだとか。
「しんどい」は伝わらなかったようですね。すると、関西とのつながりと言うよりは瀬戸内ということになるんでしょう。
50代の名古屋市出身者です。名古屋にいた頃は否定辞は基本は「ん」でした。例えば、「来る」→ 「来ん」、「行く」→「行かん」、「負ける」→「負けん」、「起きる」→「起きん」、「思う」→「思わん」とか。ただ、なぜか「する」の否定だけは「しない」と「せん」を気分で使い分けていた記憶があります。「味がしないよ」とか「練習せんといかん」とか。さらに略して「練習せなかん」とか。「行きゃせん」は中年以上の人だけが使うイメージで、「来おへん」を聞くと、ちょっと関西っぽい感じを受けますね(笑)。
同じく名古屋の50代ですが、ん、はあまりないです。練習せんと、だけはわかります。あとは何だか違和感。人が言えば理解できますが、自分からいわない。。
@@hanna8219 そうですか。高校までの子供の頃はそうだったと記憶してます。最近は「ない」の方が主流なんですかね。
山梨出身のものです。取り上げていただきありがとうございます。いろいろコメントしたいところですが、ひとつだけ。山梨も愛知同様に県内でも地域差があり、笹子峠を境に、県境ほどではないですが、かなり文化が別れています。黒丸と縦棒の差はその境にほぼ一致すると思いました。
陸の距離は言語距離になるが、水の距離は言語距離がほぼゼロだということですね。昔、三宅島で火山の大噴火があった時、現地の人がテレビのインタビューに答えていましたが、ほとんど訛りがありませんでした。
サムネで地元がデカデカと取り上げられててびっくりしました!
東京に馴染めなかった関西人が山梨に集まったかと思ったら違ったw
長野や山梨の博物館観ていると、塩の道によって塩だけでなく山の幸が運ばれ、文化交流や信仰なども伝わり、シルクロードにも繋がる様子がみられてとても面白く思ってました。方言でもその痕跡が読み取れるのが興味深いお話でした。
コメント欄に思ったよりも「ん」「し」「ちょ」という甲府盆地の民がよく使う言葉が溢れていて嬉しい。〇〇しっかする(〇〇しようとする)も、このたぐいかしら?
サムネの余白がさみしいから取ってつけられたような顔スタンプすき
昔、図書館帰りに祖母に会ったとき、「本かったんか」と聞かれて「?」と困惑した覚えがあります。「借りる」の方言「借る」の過去形が共通語の「買う」の過去形と一致してるの、偶然にしてはややこしいなぁと(方言だと「かった」と「こうた」なのでややこしくはないんですが)。こういうウミガメのスープ誰かに作ってほしいですね。
かったとこうたは関西の定番ネタ^ ^
ない で定着してたのに ん が浸透していくの面白い😂当時はそれぐらいの衝撃があったんだな 今もゆうてやそれなを使う人が増えてるから西の言葉は、魅力がありますね
言語地理学シリーズ動画短めなの寂しいなって思ったけど25分って普通にTH-cam上では長い方だよなぁ…と思って「洗脳されてきたな」と思った
本筋と関係ありませんが、静岡県東部の富士川沿岸地域では、富士川は「ふじかわ」と濁らずに発音します。江戸川、淀川のように濁るのが自然な気がしますが、なぜ濁らないのかはわかりません
ふじかわは初めて読んでも ふじかわなる。。
甲府盆地の者ですが、こちらでも「ふじかわ」と濁らずに発音します。ワイドビューも「ふじかわ」ですね。
濁るパターンは一切ないよね
面白い仮説です。山梨は国中・郡内など今でも文化が分かれていて、方言も異なります。甲斐の国は武田が滅んで家康の領地になってから塩の流通が本格的に始まったようですが、瀬戸内に限らず会津の商人など様々な人たちが山梨に来ていました。様々な方言が入ってくる中で、比較的気性の荒い甲斐の人たちには「ない」より「ん」の方が話すテンポもよく馴染みやすかったのではと想像します。
めっちゃためになったー
塩だけじゃなく、他の内陸地と違い、武田家関係と京方面との交流が頻繁だったんじゃないですかね?山梨方言って静岡長野に近いエリアと甲府エリアだと、若干の違いを感じれますね
「ん」以外も輸入されたのかな。堀元さんの聞き手でコネクティングザドッツが起きててめっちゃ良い
私が好きな甲州弁は「おまんこっちんこうし(あなたはこちらに来なさい)」でして山梨県出身のアイドルがTVで「おまんのこと好きっつーこん(あなたのことが好きです)」という台詞を発したときはガタッとなりましたね
いろんなチャンネルがあるけど百年後も見れるようにあってほしいチャンネルの一つ
確かに今だ地形的に、南アルプスの山々は山梨の西側と分断してるから、山梨南部は、それを迂回して西側文化が回り込んだんでしょうね。でも何故、山梨の甲府盆地にだけ風土病の日本住血吸虫がいたのか本当に不思議です。さらに、古代の甲府盆地は湖だったとか、現在の富士川のへこみを介して海水が来てたとか色々言われてますね。
方言だけでなく、これは地名にも適応できる仕組みだと思います。内陸県の長野県に、「波多(現在は田)」や、「上海渡」という地名があります。また、地域にある神社の主祭神を調べていくと、海運や漁業に関わるものが明らかに多いです。人の移動の歴史が言葉の歴史なのだなと思いました。
兵庫県北部の出身ですが、関西弁を話しません。イントネーションも標準語に近いです。自分の地域はむしろ隣接する鳥取県の方言の影響を受けています。神戸に住んでいた時、「なんで関西弁じゃないの」とよく言われました。どこに境界線があるのか気になります。ことばをさかのぼると人々の生活が見えてくる、という話をきいて、今見ている世界を違った視野で見られるようになりました。いつも新鮮な気づきを与えていただきありがとうございます。
upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Japanese_pitch_accent_map-ja.png/800px-Japanese_pitch_accent_map-ja.pngほい寒色で塗られてるとこが、あなたのコメントでいう標準語に近いアクセント(=東京式アクセント)で、暖色で塗られてるとこが所謂関西的なアクセント(=京阪式アクセント)近畿四国北陸を挟むように東京式アクセントが展開されているって構図だね
富士川水運って今は高速道路使って1時間でひとっ飛びだけど下道通るとめっちゃ遠く感じるんだよねそこを徒歩と船で塩と「ん」を乗せて登っていったとか気が遠くなるくらい凄い
子供の頃、甲府の従妹が「やっちょし!」とか「しちょし!」とか言ったのが理解不能で、ゲーム中に泣かれたことがあったわ😂「ちょ」が否定形だって初聞きじゃ分からん。
いっちょ=言うな、行くなにちょ=煮るなさわっちょ=触るなしちょ、よっちょ=するな、寄るなごっちょう=めんどくさいむいちょ=むくなないちょ=泣くなやっちょ=やるなくっちょ=食うなとおっちょ=通るな一つ仲間はずれがあります。どれでしょう
@@at-pw6ttごっちょう
こないだ他の人の動画見てはじめて知ったんですが、「な〇〇そ」(古文の禁止表現)の「〇〇そ」由来らしいです。
西日本出身なので、標準語は凄く文語的に感じますね。口頭で「〜ない」みたいな喋り方してるとアナウンサーや式典みたいな雰囲気に感じます。
自分が話すのは関西弁ですが、名古屋出身の母&母の実家によく行っていた身からすると「母語」は名古屋弁なので、名古屋方言回とても楽しみです。
4:49 糸井川
山梨は山に囲まれてるので川が重要な移動経路でした。中西部(甲府盆地)は富士川水系で静岡と、東部は相模川水系で神奈川と繋がっており、県内で東海方言/関東方言でくっきり分かれます。文化も全く異なります。甲府盆地と関東の間には、笹子峠といった険しい峠越えをしなければ行き来が出来ません。なのであまり交流も無く、文化の流入もあまり無かったと思います。甲府盆地から容易に往来が出来る場所といえば、川をつたって行ける静岡と、遮る山がない信州でした。舟で物を運べる富士川水運は、江戸時代から昭和初期にかけて、山梨の物流の大動脈でした。また、山梨から静岡へ出稼ぎに行く人も多くいました。この様な背景から静岡とは交流が多かったので甲府盆地の言葉は静岡弁とよく似てます。元々東側と交流が盛んで影響を受けていたという訳では無いので、後から「ない」が「ん」に置き換わった説は、地元の人間としては否定したいと思います。他の方が指摘されるように長野県の中部が、中山道で関東との交流が増えた結果、「ん」が「ない」に置き換わった説が有力だと思います。
松本清張の「砂の器」では方言が犯人探しの決め手になってましたね。東北弁と出雲弁の類似。
東京産まれで大阪配属になったとき、客先にも同僚にも東京と話してる言葉ボコボコに言われたなぁ媚びるように大阪の言葉を使えばそれも言われて八方塞がりだった。言ってる側はイジってやってるみたいなのが透けて見えて本当に善意で悪を行ってる感じだった。
敵に塩を送るは謙信公が塩留めを食らった甲府に塩を送ったという逸話が元ですが、同時代資料にそのような記述はなく、塩留めはしない、値段も吊り上げるなと通達した、との記述があるのみのようです。
むしろ信玄が信濃攻略のために今の北杜市より北側への塩を止め、小諸や小海周辺の人が苦しんでいたのを謙信が救ったという説もあります。
名前だけはよく見かけてましたが初めて再生しました!タイトル通りゆる〜い感じの中に グッとくる話も混ざっててめっちゃ面白かったです!
尾張三河問題、「三遠南信道」由来:三河(愛知東部)・遠州(静岡県西部)・南信(長野南部)「じゃあ三遠南信に含まれない尾張は愛知の西部か」って整理してる。
織田、徳川、今川の関係整理したらそのままじゃない?
う~ん、河川輸送は川舟に乗せ換えだから山梨にくるのは富士川の河口湊の商人になるんですよねえ普通。それで動画中の分布図を見ると富士市あたりは「ない」圏だから、にわかには首肯しづらいロジックに思えます。原典読んだらより詳細なプロセスが載っているのかもしれないですけど。
私もそう思う。西日本の船員が清水湊あたりで自分の船を離れ、富士川を上下する特別な船に乗船するのか?荷物(塩)の責任者一人ぐらいならわかるけど。やはり甲府盆地はもともと「ん」で、後から東の「ない」が侵食してきたのだと思う。
広島県東部の備後弁も三河弁の飛び地と言われていますよね。水野家が非常に深く関わっているとか
海運での交流で方言って凄く納得します。千葉は銚子辺りは北海道の「したっけ」や語尾に「しょ」とか使うし、九十九里辺りだと関西弁だったり。これは魚を追って北は秋刀魚、南はカツオで、千葉は海流が両方くるからね。
富士川が文化の通り道と聞いていましたが、具体例を聞けて良かったです。
今回は珍しく25分と気軽に見れる長さですね!初期動画を思い出すなあ
山梨県の中道往還沿いに暮らしてました。なので、聞いていて身近な内容だったのでより面白いなと思いました!
浜名湖が方言の境界になっているのは、江戸時代に東海道の関所があって人の往来が制限されていたからではないですかね。浜名湖の西は、三河地方と方言がよく似ています。(「食べなよ」を「食べりん」とか)。
浜名湖西部と奥三河、南信州はほぼ同じような方言があります。時々山梨県の方言も同じようなものがあって驚きます。
国中の訛りが可愛らしかった原さんが、本当に好きでした。❤
日本海側に「ん」が広がってるのも北前船とかの影響だったりするのかな
南アルプスがあると思いきや富士川があるから流入できる
否定の「ん」は甲府盆地でも比較的南部や西部で使われるような印象です。「ん」が塩と一緒に運ばれたというのは面白いですね。より南側の早川町の一部では雑煮の餅が丸餅だと聞いたことがあります。もしかするとその辺りも「ん」のルーツとも関係するのではとも思いました。また、山梨の方言で語尾の「じゃん」がありますが、盆地南部で生産された生糸などが横浜に渡る際に伝わったとようです。これも真偽は定かではないでしょうが、ある時点での文化が方言に強い影響を与えているということはもっともらしく、とても興味深いです。
地方病は山梨の他に広島、福岡(北九州)の飛地で同時発生していてこれも確かミステリーの一つになってた気がする。
浜名湖は鎌倉時代の地震で海岸線が分断されたと聞きました。それ以降は船でしか渡れなくなりました。再度高速道路でつながったのはずいぶんと後だと思います。そのせいか浜名湖以西の「湖西市(静岡県)」は、ほとんど「豊橋市(愛知県)」とミックス状態ですね。豊田織機(トヨタ自動車の前身)の創始者は湖西市出身です。
気忙しくて暫くゆる言語学離れしてたからショート動画助かる
宮本常一の『塩の道』ですねぇ。あの本を読んだときの胸の高鳴りが呼び起こされました。
面白いね~ 人が主役だし歴史や生活も大主役!😆私も関東から静岡・中部地域に結婚・引っ越しした身なので方言とママ友さん達との関係に成れるまでにも少し時間を用した身なのでとても楽しく拝見させていただきました
山梨県民のお寿司の消費量は、日本一らしいです。背景には富士川舟運がありますね。
「〜こーし」みたいな言葉が不思議だなあ、和歌山辺りでも「〜よし」とか言うなあと思ったことがあったんだけど本当に繋がっているのか!と目から鱗ですね
普通に使っていて県外の人にびっくりされた😅走る=飛ぶ飛んでく=走って行く 飛んでこうし=走っておいで飛びっこしんけ=駆けっこしようよ
する+否定辞の「ん」で「しん」というのがまさに名古屋の人だなぁ…と
富士川は急流ではない? 櫓を漕いで遡れるかなあ? 船に綱をつけ、岸部からひっぱっるって方法が以前はよくあった。曳船といいます。それだと話が変わってくるよね。川沿いのごく限られた地域だから無視できるのかな?
関東出身ですが、親と親戚は山梨と関西圏に集中していて、否定辞は「ない」も「ん」もどっちもすんなり出てきます。意識したことなかったですが、親と周囲の影響なのか…?
山梨県民です!他の仮説としては、武田信玄の奥さま三条夫人が京都の方で、その京都のお国言葉を真似たか、言葉が耳について伝染したかなーと推測します。語尾に『け』など関西っぽいなーと思ったりしました。
おもしろくて引き込まれました❤
18:55 なるほどー,と思いかけたが,水運で塩を運ぶって上流方向だが,どうやったんだろ.と思ってぐぐると,以下の記述を発見「岸から綱で舟を曳いたり(曳舟)、帆を張って航行したり」ついでに以下の記述も発見「今から400年前、徳川家康から"富士川開削"の命を受けた京都の角倉了以らの手により、鰍沢から岩淵までの水路が開通」となると,「ない」→「ん」の変化は江戸初期ぐらいだろうか
甲府盆地は山に囲まれている。武田信玄は静岡方面と交易が盛んだった。長野方面と甲府盆地の間に「塩尻市」がある。釜無川と富士川伝いに静岡方面から塩を運んで塩尻がその終点。静岡の北条と武田が喧嘩した結果塩の入手が困難になり長野から「敵に塩を送る」事となった。方言は静岡方面からもたらされたから甲府盆地にその方言があっても不思議ではない。😂
山梨弁の、語尾に付ける〝じゃん〟ですが、昔富士山を右に見ながら南下して太平洋にたどり着き、そこに住み着いた人達が使ったのが〝横須賀弁、横浜弁〟と言われる様になったそうですね。
長野出身者です。新潟に転居した時に、「関西弁っぽい」と思いました。具体的には二人称単数代名詞として「自分」を使うところなどです。
「~じゃん」は山梨が先か神奈川が先かみたいな話は聞いたことがあったけど、「ん」は気にしたことがなかったのでとても興味深くて面白かったです✨️(山梨県民)
日本海側は上越と中越で境があるんですな。上杉謙信〜景勝の越後支配が不安定だったのも、「異文化圏のヤツに従いたくないな~」みたいな意識あったのかも…。みたいな妄想捗りましたw
静岡市の葵区で、昭府町辺りから牛妻辺りに、海野さん望月さんが多いのですが、この方々の先祖が山梨なんですよね私の両親は牛妻なのですが、ほぼ山梨の方言に近いようです。91歳の母は子供の頃、山梨に塩を送る為の塩作り用の薪をリヤカーに載せて牛妻から歩いて沿岸部まで運んだそうです。静岡市は京都とのつながりがある今川家のお膝元なので、言葉も色々混じっていたのだと思います。静岡市の人間が山梨に海産物を売りに行き、山梨の方は出稼ぎに静岡に南下して来ていた為、言語が混ざり合い山梨でも静岡市葵区でも言語が同じようになったというのが私の考察です。
山梨は県外から来ると独特だと感じることが多く閉鎖された地域だからなのかと思っていましたがとても納得できて面白かったです。方言とはあまり関係ないですが、時間割で「1時間目」ではなく「1校時」と言ったり、「抑揚をつけて読む」ことを「なみ(波?)で読む」と言われてなんのことかわからなかった思い出があります。
9:25 の分布図をよくよく拡大すると富士川ではなく天竜川沿いに●が分布しているように見える。確かに甲府盆地と太平洋を結ぶのは富士川で間違いない無いのだが、肝心の富士川河口の富士市が|になっている太平洋側の●の東限は浜松市の辺りで、浜松市から天竜川を遡って天竜川流域に●が分布しているように見える。なお天竜川の水源は諏訪湖です。
河口で止まらず直接富士川を行き来してたのでは?
50年ほど前の甲府は、「はぁ?」と思うほど方言が強かったのを思い出しました。当時の寿司も茹でたイカ・エビが普通だったし、アワビの煮貝が高級特産品だったり…海に憧れていた昔の人々は、「ん」をハイカラに感じたかもしれませんね〜面白かったです!
山梨の方言を取り上げて頂き、ありがとうございます。ちなみに山梨の早川町という土地ではもろに関西なまりが残っています。これは平安時代、富士川の戦いで敗走した平家の武士が早川地区に逃げ延び、集落を築いて今に至ります。それにより語尾や発音がもろに関西です。その証拠に早川では伴さんという方がたくさんいます。これは逃れた平氏が「平」を名乗ると源氏に捕まるため、名前を変えました。しかし、名家、平氏の誇りをもち、「平」の上の線を下にずらし、人の意味をなすにんべんを付け、「伴」と名乗りました。彼らは関西の誇り高い武家、平氏を直系とする平氏の末裔です。
北陸の広がりは浄土真宗の広がりと似てるのかななんて思いました。あとどうでも良いですが、武田氏の分国法は「甲州法度之次第」です(11:45)。
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◯ことばの地理学:方言はなぜそこにあるのか
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◯方言はなぜ存在するのか―ことばの変化と地理空間
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◯方言学入門
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気軽に見られる25分のショート動画ありがとうございます
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化け物のオンパレード★
ショート動画の定義がここだけ違う世界線に迷い込んでしまったようだ。
ゆる言語学ラジオってこういうショート動画いっぱい上げてるのにショートフィードでおすすめに上がってこないの不思議ですよねー。
山梨県民です。面白かった。確かに「ん」ですね。
言わないで→言わんで 走らない→走らん 確かに言いますね。
甲斐の国って京都方面とのつながりはあったと思います。信玄の妻、三条夫人は公家の娘であったとか。まぁ戦国時代までは日本の中心は京都ですから、どの地方も京都ととのつながりはあったでしょうけれど。塩の交易説は面白いと思いました。
脱線しますが。
否定辞「ん」が、否定的な依頼、懇願、禁止、命令するときは「ちょ」になります。
言わないで→言わなんで→言っちょ 走るな→走らんで→走っちょ
さらに丁寧になると(命令を強めるケースも多い)、「し」がつきます。
言わないで下さい→言っちょし 走らないで→走っちょし
さらに強調、強い命令になると、これに「ね」がつきます。こうなると甲州弁を知らない人にはキツイ言葉になります。
言っちょしね 走っちょしね
語尾が「しね」になっちゃうんですね。山梨県警が道路の電光掲示で安全運転標語を甲州弁で呼びかけたら批判の嵐になりました。
「スピード出しちょしね」
甲州弁を知らない人にとっては何言ってるか分からない。甲州弁で真意が伝わる標語にするなら「スピード出さんでくりょう」だったんですが。文字数の関係だったんでしょうかね。私も見かけたとき「こりゃダメだっ」と思いました。あっというまに消えましたが。
さらに脱線ついでの余談ですが山梨には「奈良田方言」というのがあって、南アルプス山中の集落の言葉です。平家の落人の言葉が残った、という説があるそうです。この地域の人の会話は甲府の人が聞いていてもワケが分かりません。高齢者ばかりになっているので「絶滅危惧方言」です。
京都ととの ➜ 京都との
甲州弁の「ん」、単純に「ない」との置き換えにならず、言葉が追加されるケースもありますね。
雨が降ってるか、確認の時。
ない: 「雨降ってる?」 「降ってないよ」
ん: 甲州弁「雨降ってるけ?」 「降っちゃいんよ」「降っちゃあいんね」「・・・「降っていんよ」もありますが「ちゃ+いん」「ちゃあ+いん」をよく聞きますし、言います。
「大雨だけど、電車走ってるけ?」「へぇ、走っちゃいんよ」など。(「へぇ」は「もう」の意味)
他の「ん」の地域は、同じような言い方なんでしょうか?
@@ichitera9100 多分「降っては」の「ては」が「ちゃ(あ)」になってるので、「ン」が入る地域は基本的には「降っちゃいんよ」という気がしますね。これが郡内だと「降っちゃにゃあ」とかになるかも
12:13 普通のことなら堀本さんのモットモ言説も気にならないのですが、病気に関わることなので、追記しておきます。
日本住血吸虫病は、甲府盆地だけの特有病ではありません。岡山県の高屋町近辺や、九州の筑後川流域も有名です。というか、撲滅史の前半はほぼ西日本で起きています。
そもそも、ミヤイリガイの名前のもととなった宮入慶之助は九州大学の先生ですし、彼による経路の確定は九州大学に在籍時の業績です。
かなりトンデモやんけ!
世界(中国、アフリカ等)に似た寄生虫が原因の病気はまだ残っているみたいなのは聞いたことがある
宮入さんて酪酸菌の特定もしてるし、
学者としてすごい人だね
貴重な塩を手に入れるために、現地の言葉を使って懐に入ろうとしている商人が想像できて好き
このコメント大好きで頭に残っていたので次の言語地理学4がとても楽しかったです!♡
こういう考え面白いですね!
山梨は確か現在も日本で一番マグロの消費量が多い地域で、それは江戸時代、冬の間だけ焼津で水揚げされたマグロを陸送して刺身で食べることができたからで、その当時のご馳走としてのイメージが山梨の人々に強く印象つけられたからだ、という話を聞いたことがあります。山梨に沿海の方言が受け入れられたのは、そうした貴重な食材や物資がやってくる海への憧れがあったのかな。と今回のお話を聞いて思いました。
うちのおばあちゃんマグロ大好きだったわ…
父の家系が山梨出身で、祖父母の家に行くとよく食卓にマグロの刺身が出てました。
22:23 「言葉も川に乗る」
この言葉好きだなぁ…
椰子の実・波・ゆる〇〇味
水野「トウモロコシ、ジャガイモ」
堀元「キャッチーじゃないなぁ」
水野「甲府盆地の否定辞」
堀元「面白い!」
これがアンカリング効果🤔
山梨県民(東部)です。私の昔の先生の話ですが、大学生時代、他の県の出身の人に「ちょっと背中かじってくれ」って頼んだら「お前、本当にいいんだな…?」と確認を取られたあと、背中に突然噛み付かれたらしいです。郡内弁で「かじる」は「かく」を意味します。痒いから背中をかいてくれと頼もうとしたら背中をかじられた悲しき人間の話です。山梨でも東部の方は東京にかなり近いので言葉も東京弁にかなり近いんですが(特に若年層は)、東京弁かと思って普通に喋っていたら、たまに意味が全然違う様な語彙もあるので、トラップでしかないです。
静岡県民(中部)も「掻く」のこと「かじる」と言います!
国中出身です。国中でも『かじる=掻く』ですね。むしろ郡内(東部)に嫁に来てからはあまり聞かない言葉だなあと思いました。
郡内の言葉は都言葉と言うか、上品ですよね。所謂甲州弁では無い地域だなあと住んでいても思います。
神奈川からの18から郡内に移って来ましたが
当時彼女と「かじって」案件ありましたね😃
彼女のお父さんに挨拶行った時
笑いながら
わりゃどこのボコでぇ~と言われてちとビビりました。
長く住んでると郡内の言葉は甲州弁に静岡の方言がミックスした感じしますね
東部の人ってかじるって言わんくない?
笹子峠から西の国中は「ずら」「〜ら」「〜ちゃあ」
大月あたりから東の郡内は「だべ」「だんべ」「〜すらぁ」
東部の言葉は東関東方言(茨城、栃木、千葉、湘南)と被る部分が多い
甲府盆地出身です。
以前都内からお嫁に来たばかりの先生が、生徒から『なんでぇ先生、へぇけえるだけ』と言われて『???』となったと話してくれました。
へぇ=もう
けえる=帰る
だけ=の?
『もう帰るの?』と親しみを込めて聞いた生徒も、まさか通じないとは思わなかったんだろうなあ(笑)
群馬弁でも「はあ」で「もう」の意味になるので離れているけどそこは少し似てますね
江戸っ子は「帰れ」を「けぇれ」って言ってたし、けえらんとかいうお土産だかが九州にあると聞いたけどそれは秀吉が帰らん→けえらんとか言ってそれが発祥と聞いたことがあるが…。
あれ?秀吉さん、関東と中部(以西)のハイブリッド訛りですか?
東部でも
「へぇ終わりだぁよ」(もう終わりだよ)は使いますね
木曽三川を尾張と三河の境界だと大間違いした水野さんが、尾張と三河で「間違えたらまずい」って言うの面白過ぎる
よくある安い間違いだらけのゆっくり解説動画みたいなサムネ好きよ
山梨県民の方がおっしゃっていた「かじる=かく」は静岡県東部(富士周辺)にもあります。富士と甲府を結ぶ身延線があり、この鉄道の歴史はそんなに古くないかもしれませんが、富士川に沿った地域では共通点した単語があるかもしれません。
昔から関東に近い中部地方の山梨の方言がなぜか関西弁っぽいと疑問を感じていた答えが出ました!スッキリ!
山梨県西部の出身です。
確かに富士川水運で南から物流があったと親から聞いています。
塩が瀬戸内からとは知りませんでしたが、西郡(甲府盆地西部)は特に方言が荒い理由も何となくこの辺りなのかと思い至りました。
面白かったです!ありがとうございました。
水運って川を登ってくのだろうか。
能登と中越沿岸は廻船の関係で文化が似通っているそうですよ。
能登半島に沿って船で廻ると遠回りなので、中越沿岸から輪島に直行していたみたい。
山梨の中でも、甲府盆地(国中)と大月や都留など(郡内)と別れていそうです。
山梨県の中でも、富士川流域は「ん」で、相模川流域は「ない」ですね。
はじめまして山梨県東部県人(郡内人)です
同じ山梨県でも甲府を中心とする国中弁と富士東部地区の方言が微妙に違うのがなんとなく
理解できました
郡内地域は東は東京の多摩地区、神奈川の相模湖地区・南は静岡の御殿場地区との繋がりが
強かったので言葉も似てます
共に江戸時代幕府の天領で人の交流もあったのかもしれないです
武州三多摩弁の「だんべ」と静岡の「ずら」「にぁー」とか
もちろん地元の甲府地域とも
確かに郡内(富士東部)で「ん」は基本使いません
EX もう止める?って聞かれて 止めないor止めん
は止めないです
子供の頃郡内地区にも国中から学校の先生が担任で赴任されてきましたが、子供心に言葉が
きついとみんな思ってました
こんねん事も分からんだけ→こんな事も分からないの
さっさとそれをよこせし→早くそれ頂戴
が威圧的に感じました
でも、今では標準語と甲州弁のバイリンガルです
日本だけに関わらず鉄道発展以前は水運強いですからねぇ…
ヨーロッパでは古代ギリシャ人とかフェニキア人とかの行動範囲すごいですしヴァイキングも川を遡って交易したりヨーロッパの北部だけじゃなくヨーロッパ全体、地中海でも活動してましたし中国でも隋代に大運河が築かれたり倭寇とか発生したり…
まぁとにかく水運は現代人たちが思っているよりも強いっていう感じですかね
楽しみに待ってました
ぼくも!
たのまち
日本海側に「ん」が多いのは水運の影響だろうなと思いながら見てたら甲府盆地がそうだった衝撃。
庄内では過去に北前船の往来が頻繁でその影響で関西言葉が混じってると聞いたことあるし。
逆に横浜あたりで語尾にじゃんがあるのは甲州商人が言い出したからという有名らしい話もある。
理由は関係ないらしいですけど、富士川の上流に"釜無川"とか"塩川"とかあるの面白いですね
日本海側の西方方言の東への延びは北前船(西回り航路)の影響でしょう。
山梨県には海がないのに「浜」という古い地名があるのですよね。
ここはまさに昔の船着場だったそうです。
海運と富士川を経て塩を運んできた人たちが、甲府盆地の扇状地にある砂浜っぽい川岸を「浜」と呼称していたのだろうか…と想像が広がりますね。
なるほど!まさか塩の往来が関係していたとは・・・
三遠南信の地域には「塩の道」とも呼ばれる、古くから交易の通路として使われた道があります。
個人的には、塩の道といえば糸魚川~諏訪~浜松の陸運ルートという認識だったんですが、富士川に乗って甲府へ抜ける水運ルートもあるというのは目から鱗でした。
前の動画でも話に出てましたが、方言の話が地理、民俗など別の話に繋がっていく様はとても面白いですね~
清水・富士のあたりが「ない」の区分でしたので、陸運ですが、「塩の道」の説の方が綺麗に説明できそうですね。おそらく、日本海(糸魚川)側からも太平洋側(遠州・相良)側からも「ん」を使う人たちが塩と共にやってきたので、共通で通じる「ん」が残ったのではないでしょうか?
甲州市塩山にある塩山山(塩の山)は標高556mと非常に小さく、語源として
塩を運んできた商人の目印とされていた説と、「塩らしい山」という説があります
その塩の山は四方がみえるという事もあり塩の山という事も子供の頃教わりました。地元の昔の先生の話しでしたが急に思い出しました。そして麓の向嶽寺の壁に塩を一緒練り込んでおり信玄は壁から塩を取れるように考えていたようですよ。いまこんな事を語る地元の小学校の先生はいないでしょうね。塩山市民として生まれTH-camでコメで出るとは〜
山梨県在住でタイトルに惹かれて初めて見ました。とても面白かったです。参考資料も読んでみたいと思いました。また来ます♪
関東に引っ越してきたばかりの頃、「~できんの?」が「~できないの?」ではなく「~できるの?」の意味で使われていて混乱したのを思い出しました
あーそういえば両方の意味で使ってますね。
なんとなくイントネーションできり換えてるかもしれないです。
関東のラ行をンに訛る言い方は個人的には嫌いだわ…。
@@なんでも食う犬北摂も首都圏方言流入してんのかな
「それできんで!」って神戸の友達言ってたときどっちか分かんなかった
日本海側の延びも北前船とかの水運で解決できそう。
以前、大人の休日倶楽部(JR東日本)のCMで『なぜ酒田市に京都の文化が?答えは北前船』っていうのがあった。
Just discovered this channel, I really interested in the Japanese dialect, even though I have never been to Japan in my life. Thanks for the video
山梨最東部出身者です。桂川を堺に大月寄りは郡内言葉、東京寄りは多摩弁の影響が強く、語尾がずらとべーにわかれます。
「えらい」(疲れる、大変なみたいな意味)も中国地方と山梨に共通して見られるわけですが、おそらく塩を運ぶのがエラかったんでしょうね。納得です。
静岡も使いますよ
東三河も使いますよ。
名古屋もいいますにゃ
えらい、は愛知県出身の某女子タレントもテレビて言ってたわ。
疲れたことをえらいっていいません?とか。
関東の人間には通用しないんだとか。
「しんどい」は伝わらなかったようですね。すると、関西とのつながりと言うよりは瀬戸内ということになるんでしょう。
50代の名古屋市出身者です。名古屋にいた頃は否定辞は基本は「ん」でした。例えば、「来る」→ 「来ん」、「行く」→「行かん」、「負ける」→「負けん」、「起きる」→「起きん」、「思う」→「思わん」とか。
ただ、なぜか「する」の否定だけは「しない」と「せん」を気分で使い分けていた記憶があります。「味がしないよ」とか「練習せんといかん」とか。さらに略して「練習せなかん」とか。
「行きゃせん」は中年以上の人だけが使うイメージで、「来おへん」を聞くと、ちょっと関西っぽい感じを受けますね(笑)。
同じく名古屋の50代ですが、ん、はあまりないです。
練習せんと、だけはわかります。
あとは何だか違和感。人が言えば理解できますが、自分からいわない。。
@@hanna8219 そうですか。高校までの子供の頃はそうだったと記憶してます。最近は「ない」の方が主流なんですかね。
山梨出身のものです。
取り上げていただきありがとうございます。
いろいろコメントしたいところですが、ひとつだけ。
山梨も愛知同様に県内でも地域差があり、
笹子峠を境に、
県境ほどではないですが、かなり文化が別れています。
黒丸と縦棒の差はその境にほぼ一致すると思いました。
陸の距離は言語距離になるが、水の距離は言語距離がほぼゼロだということですね。
昔、三宅島で火山の大噴火があった時、現地の人がテレビのインタビューに答えていましたが、ほとんど訛りがありませんでした。
サムネで地元がデカデカと取り上げられててびっくりしました!
東京に馴染めなかった関西人が山梨に集まったかと思ったら違ったw
長野や山梨の博物館観ていると、塩の道によって塩だけでなく山の幸が運ばれ、文化交流や信仰なども伝わり、シルクロードにも繋がる様子がみられてとても面白く思ってました。方言でもその痕跡が読み取れるのが興味深いお話でした。
コメント欄に思ったよりも
「ん」「し」「ちょ」
という甲府盆地の民がよく使う言葉が溢れていて嬉しい。
〇〇しっかする(〇〇しようとする)
も、このたぐいかしら?
サムネの余白がさみしいから取ってつけられたような顔スタンプすき
昔、図書館帰りに祖母に会ったとき、「本かったんか」と聞かれて「?」と困惑した覚えがあります。
「借りる」の方言「借る」の過去形が共通語の「買う」の過去形と一致してるの、偶然にしてはややこしいなぁと(方言だと「かった」と「こうた」なのでややこしくはないんですが)。
こういうウミガメのスープ誰かに作ってほしいですね。
かったとこうたは関西の定番ネタ^ ^
ない で定着してたのに ん が浸透していくの面白い😂当時はそれぐらいの衝撃があったんだな 今もゆうてやそれなを使う人が増えてるから西の言葉は、魅力がありますね
言語地理学シリーズ動画短めなの寂しいなって思ったけど25分って普通にTH-cam上では長い方だよなぁ…と思って「洗脳されてきたな」と思った
本筋と関係ありませんが、静岡県東部の富士川沿岸地域では、富士川は「ふじかわ」と濁らずに発音します。
江戸川、淀川のように濁るのが自然な気がしますが、なぜ濁らないのかはわかりません
ふじかわは初めて読んでも ふじかわなる。。
甲府盆地の者ですが、こちらでも「ふじかわ」と濁らずに発音します。ワイドビューも「ふじかわ」ですね。
濁るパターンは一切ないよね
面白い仮説です。山梨は国中・郡内など今でも文化が分かれていて、方言も異なります。甲斐の国は武田が滅んで家康の領地になってから塩の流通が本格的に始まったようですが、瀬戸内に限らず会津の商人など様々な人たちが山梨に来ていました。様々な方言が入ってくる中で、比較的気性の荒い甲斐の人たちには「ない」より「ん」の方が話すテンポもよく馴染みやすかったのではと想像します。
めっちゃためになったー
塩だけじゃなく、他の内陸地と違い、武田家関係と京方面との交流が頻繁だったんじゃないですかね?
山梨方言って静岡長野に近いエリアと甲府エリアだと、若干の違いを感じれますね
「ん」以外も輸入されたのかな。
堀元さんの聞き手でコネクティングザドッツが起きててめっちゃ良い
私が好きな甲州弁は「おまんこっちんこうし(あなたはこちらに来なさい)」でして
山梨県出身のアイドルがTVで「おまんのこと好きっつーこん(あなたのことが好きです)」という台詞を発したときはガタッとなりましたね
いろんなチャンネルがあるけど百年後も見れるようにあってほしいチャンネルの一つ
確かに今だ地形的に、南アルプスの山々は山梨の西側と分断してるから、山梨南部は、それを迂回して西側文化が回り込んだんでしょうね。
でも何故、山梨の甲府盆地にだけ風土病の日本住血吸虫がいたのか本当に不思議です。
さらに、古代の甲府盆地は湖だったとか、現在の富士川のへこみを介して海水が来てたとか色々言われてますね。
方言だけでなく、これは地名にも適応できる仕組みだと思います。
内陸県の長野県に、「波多(現在は田)」や、「上海渡」という地名があります。
また、地域にある神社の主祭神を調べていくと、海運や漁業に関わるものが明らかに多いです。
人の移動の歴史が言葉の歴史なのだなと思いました。
兵庫県北部の出身ですが、関西弁を話しません。イントネーションも標準語に近いです。自分の地域はむしろ隣接する鳥取県の方言の影響を受けています。神戸に住んでいた時、「なんで関西弁じゃないの」とよく言われました。どこに境界線があるのか気になります。ことばをさかのぼると人々の生活が見えてくる、という話をきいて、今見ている世界を違った視野で見られるようになりました。いつも新鮮な気づきを与えていただきありがとうございます。
upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Japanese_pitch_accent_map-ja.png/800px-Japanese_pitch_accent_map-ja.png
ほい
寒色で塗られてるとこが、あなたのコメントでいう標準語に近いアクセント(=東京式アクセント)で、暖色で塗られてるとこが所謂関西的なアクセント(=京阪式アクセント)
近畿四国北陸を挟むように東京式アクセントが展開されているって構図だね
富士川水運って今は高速道路使って1時間でひとっ飛びだけど
下道通るとめっちゃ遠く感じるんだよね
そこを徒歩と船で塩と「ん」を乗せて登っていったとか気が遠くなるくらい凄い
子供の頃、甲府の従妹が「やっちょし!」とか「しちょし!」とか言ったのが理解不能で、ゲーム中に泣かれたことがあったわ😂「ちょ」が否定形だって初聞きじゃ分からん。
いっちょ=言うな、行くな
にちょ=煮るな
さわっちょ=触るな
しちょ、よっちょ=するな、寄るな
ごっちょう=めんどくさい
むいちょ=むくな
ないちょ=泣くな
やっちょ=やるな
くっちょ=食うな
とおっちょ=通るな
一つ仲間はずれがあります。どれでしょう
@@at-pw6ttごっちょう
こないだ他の人の動画見てはじめて知ったんですが、「な〇〇そ」(古文の禁止表現)の「〇〇そ」由来らしいです。
西日本出身なので、標準語は凄く文語的に感じますね。口頭で「〜ない」みたいな喋り方してるとアナウンサーや式典みたいな雰囲気に感じます。
自分が話すのは関西弁ですが、名古屋出身の母&母の実家によく行っていた身からすると「母語」は名古屋弁なので、名古屋方言回とても楽しみです。
4:49 糸井川
山梨は山に囲まれてるので川が重要な移動経路でした。
中西部(甲府盆地)は富士川水系で静岡と、東部は相模川水系で神奈川と繋がっており、県内で東海方言/関東方言でくっきり分かれます。文化も全く異なります。
甲府盆地と関東の間には、笹子峠といった険しい峠越えをしなければ行き来が出来ません。なのであまり交流も無く、文化の流入もあまり無かったと思います。
甲府盆地から容易に往来が出来る場所といえば、川をつたって行ける静岡と、遮る山がない信州でした。
舟で物を運べる富士川水運は、江戸時代から昭和初期にかけて、山梨の物流の大動脈でした。また、山梨から静岡へ出稼ぎに行く人も多くいました。
この様な背景から静岡とは交流が多かったので甲府盆地の言葉は静岡弁とよく似てます。
元々東側と交流が盛んで影響を受けていたという訳では無いので、後から「ない」が「ん」に置き換わった説は、地元の人間としては否定したいと思います。
他の方が指摘されるように長野県の中部が、中山道で関東との交流が増えた結果、「ん」が「ない」に置き換わった説が有力だと思います。
松本清張の「砂の器」では方言が犯人探しの決め手になってましたね。東北弁と出雲弁の類似。
東京産まれで大阪配属になったとき、客先にも同僚にも東京と話してる言葉ボコボコに言われたなぁ媚びるように大阪の言葉を使えばそれも言われて八方塞がりだった。
言ってる側はイジってやってるみたいなのが透けて見えて本当に善意で悪を行ってる感じだった。
敵に塩を送るは謙信公が塩留めを食らった甲府に塩を送ったという逸話が元ですが、同時代資料にそのような記述はなく、塩留めはしない、値段も吊り上げるなと通達した、との記述があるのみのようです。
むしろ信玄が信濃攻略のために今の北杜市より北側への塩を止め、小諸や小海周辺の人が苦しんでいたのを謙信が救ったという説もあります。
名前だけはよく見かけてましたが初めて再生しました!
タイトル通りゆる〜い感じの中に グッとくる話も混ざっててめっちゃ面白かったです!
尾張三河問題、「三遠南信道」由来:三河(愛知東部)・遠州(静岡県西部)・南信(長野南部)
「じゃあ三遠南信に含まれない尾張は愛知の西部か」って整理してる。
織田、徳川、今川の関係整理したらそのままじゃない?
う~ん、河川輸送は川舟に乗せ換えだから山梨にくるのは富士川の河口湊の商人になるんですよねえ普通。
それで動画中の分布図を見ると富士市あたりは「ない」圏だから、にわかには首肯しづらいロジックに思えます。
原典読んだらより詳細なプロセスが載っているのかもしれないですけど。
私もそう思う。西日本の船員が清水湊あたりで自分の船を離れ、富士川を上下する特別な船に乗船するのか?荷物(塩)の責任者一人ぐらいならわかるけど。
やはり甲府盆地はもともと「ん」で、後から東の「ない」が侵食してきたのだと思う。
広島県東部の備後弁も三河弁の飛び地と言われていますよね。水野家が非常に深く関わっているとか
海運での交流で方言って凄く納得します。千葉は銚子辺りは北海道の「したっけ」や語尾に「しょ」とか使うし、九十九里辺りだと関西弁だったり。これは魚を追って北は秋刀魚、南はカツオで、千葉は海流が両方くるからね。
富士川が文化の通り道と聞いていましたが、具体例を聞けて良かったです。
今回は珍しく25分と気軽に見れる長さですね!
初期動画を思い出すなあ
山梨県の中道往還沿いに暮らしてました。なので、聞いていて身近な内容だったのでより面白いなと思いました!
浜名湖が方言の境界になっているのは、江戸時代に東海道の関所があって人の往来が制限されていたからではないですかね。浜名湖の西は、三河地方と方言がよく似ています。(「食べなよ」を「食べりん」とか)。
浜名湖西部と奥三河、南信州はほぼ同じような方言があります。
時々山梨県の方言も同じようなものがあって驚きます。
国中の訛りが可愛らしかった原さんが、本当に好きでした。❤
日本海側に「ん」が広がってるのも北前船とかの影響だったりするのかな
南アルプスがあると思いきや富士川があるから流入できる
否定の「ん」は甲府盆地でも比較的南部や西部で使われるような印象です。「ん」が塩と一緒に運ばれたというのは面白いですね。より南側の早川町の一部では雑煮の餅が丸餅だと聞いたことがあります。もしかするとその辺りも「ん」のルーツとも関係するのではとも思いました。
また、山梨の方言で語尾の「じゃん」がありますが、盆地南部で生産された生糸などが横浜に渡る際に伝わったとようです。これも真偽は定かではないでしょうが、ある時点での文化が方言に強い影響を与えているということはもっともらしく、とても興味深いです。
地方病は山梨の他に広島、福岡(北九州)の飛地で同時発生していてこれも確かミステリーの一つになってた気がする。
浜名湖は鎌倉時代の地震で海岸線が分断されたと聞きました。それ以降は船でしか渡れなくなりました。再度高速道路でつながったのはずいぶんと後だと思います。
そのせいか浜名湖以西の「湖西市(静岡県)」は、ほとんど「豊橋市(愛知県)」とミックス状態ですね。豊田織機(トヨタ自動車の前身)の創始者は湖西市出身です。
気忙しくて暫くゆる言語学離れしてたからショート動画助かる
宮本常一の『塩の道』ですねぇ。
あの本を読んだときの胸の高鳴りが呼び起こされました。
面白いね~ 人が主役だし歴史や生活も大主役!😆私も関東から静岡・中部地域に結婚・引っ越しした身なので方言とママ友さん達との関係に成れるまでにも少し時間を用した身なのでとても楽しく拝見させていただきました
山梨県民のお寿司の消費量は、日本一らしいです。背景には富士川舟運がありますね。
「〜こーし」みたいな言葉が不思議だなあ、和歌山辺りでも「〜よし」とか言うなあ
と思ったことがあったんだけど本当に繋がっているのか!と目から鱗ですね
普通に使っていて県外の人にびっくりされた😅
走る=飛ぶ
飛んでく=走って行く
飛んでこうし=走
っておいで
飛びっこしんけ=駆けっこしようよ
する+否定辞の「ん」で
「しん」というのが
まさに名古屋の人だなぁ…と
富士川は急流ではない? 櫓を漕いで遡れるかなあ? 船に綱をつけ、岸部からひっぱっるって方法が以前はよくあった。曳船といいます。それだと話が変わってくるよね。川沿いのごく限られた地域だから無視できるのかな?
関東出身ですが、親と親戚は山梨と関西圏に集中していて、否定辞は「ない」も「ん」もどっちもすんなり出てきます。意識したことなかったですが、親と周囲の影響なのか…?
山梨県民です!他の仮説としては、武田信玄の奥さま三条夫人が京都の方で、その京都のお国言葉を真似たか、言葉が耳について伝染したかなーと推測します。語尾に『け』など関西っぽいなーと思ったりしました。
おもしろくて引き込まれました❤
18:55 なるほどー,と思いかけたが,水運で塩を運ぶって上流方向だが,どうやったんだろ.と思ってぐぐると,以下の記述を発見
「岸から綱で舟を曳いたり(曳舟)、帆を張って航行したり」
ついでに以下の記述も発見
「今から400年前、徳川家康から"富士川開削"の命を受けた京都の角倉了以らの手により、鰍沢から岩淵までの水路が開通」
となると,「ない」→「ん」の変化は江戸初期ぐらいだろうか
甲府盆地は山に囲まれている。武田信玄は静岡方面と交易が盛んだった。長野方面と甲府盆地の間に「塩尻市」がある。釜無川と富士川伝いに静岡方面から塩を運んで塩尻がその終点。静岡の北条と武田が喧嘩した結果塩の入手が困難になり長野から「敵に塩を送る」事となった。方言は静岡方面からもたらされたから甲府盆地にその方言があっても不思議ではない。😂
山梨弁の、語尾に付ける〝じゃん〟ですが、昔富士山を右に見ながら南下して太平洋にたどり着き、そこに住み着いた人達が使ったのが〝横須賀弁、横浜弁〟と言われる様になったそうですね。
長野出身者です。新潟に転居した時に、「関西弁っぽい」と思いました。具体的には二人称単数代名詞として「自分」を使うところなどです。
「~じゃん」は山梨が先か神奈川が先かみたいな話は聞いたことがあったけど、「ん」は気にしたことがなかったのでとても興味深くて面白かったです✨️(山梨県民)
日本海側は上越と中越で境があるんですな。
上杉謙信〜景勝の越後支配が不安定だったのも、
「異文化圏のヤツに従いたくないな~」みたいな
意識あったのかも…。
みたいな妄想捗りましたw
静岡市の葵区で、昭府町辺りから牛妻辺りに、海野さん望月さんが多いのですが、この方々の先祖が山梨なんですよね
私の両親は牛妻なのですが、ほぼ山梨の方言に近いようです。
91歳の母は子供の頃、山梨に塩を送る為の塩作り用の薪をリヤカーに載せて牛妻から歩いて沿岸部まで運んだそうです。
静岡市は京都とのつながりがある今川家のお膝元なので、言葉も色々混じっていたのだと思います。
静岡市の人間が山梨に海産物を売りに行き、山梨の方は出稼ぎに静岡に南下して来ていた為、言語が混ざり合い山梨でも静岡市葵区でも言語が同じようになったというのが私の考察です。
山梨は県外から来ると独特だと感じることが多く閉鎖された地域だからなのかと思っていましたがとても納得できて面白かったです。方言とはあまり関係ないですが、時間割で「1時間目」ではなく「1校時」と言ったり、「抑揚をつけて読む」ことを「なみ(波?)で読む」と言われてなんのことかわからなかった思い出があります。
9:25 の分布図をよくよく拡大すると富士川ではなく天竜川沿いに●が分布しているように見える。
確かに甲府盆地と太平洋を結ぶのは富士川で間違いない無いのだが、肝心の富士川河口の富士市が|になっている
太平洋側の●の東限は浜松市の辺りで、浜松市から天竜川を遡って天竜川流域に●が分布しているように見える。
なお天竜川の水源は諏訪湖です。
河口で止まらず直接富士川を行き来してたのでは?
50年ほど前の甲府は、「はぁ?」と思うほど方言が強かったのを思い出しました。当時の寿司も茹でたイカ・エビが普通だったし、アワビの煮貝が高級特産品だったり…海に憧れていた昔の人々は、「ん」をハイカラに感じたかもしれませんね〜
面白かったです!
山梨の方言を取り上げて頂き、ありがとうございます。
ちなみに山梨の早川町という土地ではもろに関西なまりが残っています。
これは平安時代、富士川の戦いで敗走した平家の武士が早川地区に逃げ延び、集落を築いて今に至ります。
それにより語尾や発音がもろに関西です。
その証拠に早川では伴さんという方がたくさんいます。
これは逃れた平氏が「平」を名乗ると源氏に捕まるため、名前を変えました。
しかし、名家、平氏の誇りをもち、「平」の上の線を下にずらし、人の意味をなすにんべんを付け、「伴」と名乗りました。
彼らは関西の誇り高い武家、平氏を直系とする平氏の末裔です。
北陸の広がりは浄土真宗の広がりと似てるのかななんて思いました。
あとどうでも良いですが、武田氏の分国法は「甲州法度之次第」です(11:45)。