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「ニートってよくない言葉で」という言葉がすごいと感じました…その一言で就労のみを前提とした社会は視野が狭いと私の中で腑に落ちたので…
自分はイラストレーターなんですが、今年は兼業でやりながらやっと独立したところで画像生成AIが一気に普及しまして、人生で一番「いらない」と言われた一年でした。いらない、必要ない、意味ない、そんな風に言われると本当にそんな気がして辛くて。でも名越先生が言われる通り、自分がやったことが誰かの支えになれれば良いな…。自分も誰かの一部だと思って、もう少し頑張ります。
人が描いた暖かみというのは絶対にAIには出せないです。どれだけAIの技術が発展してもです。気持ちを乗せる、気をのせる、パワーを乗せるというのは絶対にAIに出来ないことだと思います。自分に自信を持ってくださいね😊
カメラや写真が普及しても画家がいなくならなかったように、AIがいても個性的で独創的なオリジナルな絵柄はその人にしか描けないものだよ。例えば今流行ってるちいかわは、どんなにファンアートや亜種が出ても、やはりナガノさんにしか描けないイラストだし世界観だと思います。そういう自分にしかないものを磨いていくといいと思いますよ𝑁𝑖𝑐𝑒🤟🏻(*ᐛ*)ᒃ✨
@@369iii ありがとうございます😢そんな風に思ってくれる方がいると思うと励まされます。これまで以上に自分の絵に愛情を込めて描いていこうと思います!
@@Sara-o6n3m ありがとうございます!私もナガノ先生のちいかわ大好きです☺️世間の流行や売れ線かどうかではなく、より自分の個性と向き合う時代が来ているんだなと感じます。これまで以上に自分と向き合って頑張ります…!
@@AroeAgv そうですね…。個性を模索してもすぐAIに学習されてイタチごっこになってしまう…という不安もあり、私の周りのイラストレーターさん達もかなりやり方を模索しています💦これからは作品だけじゃなく本人もより魅力的な存在になる事が求められるのかもしれないですねー…。
先生の仰るように、外向的な人々が目に見える世界の仕事をしてくれる代わりに自分は目に見えない世界で道路工事や補修工事をしてるんじゃないかと思うことがありました。先生のおかげでその感覚に自信を持つことができました。ありがとうございます🙇
不安障害でも働けるような場所は無いんでしょうかね…。せめて奨学金を返してから死にたいです…。あとお金をいくらかお世話になった人に残して死にたいです。
自分の軸がないまま生き、仕事を10年したのちに引きこもりになりました。振り返ればそうなって当然というか、本当の自分を思い出す、またとない機会だったと今なら思えます。全てとの繋がりを感じる体験も経て、全てはそれでよかったのだとわかりました。今ではかけがえのない体験です。
僕も去年から仕事をしてない身です。最初はかなり自分を責めたりしましたが、今は『あぁ、すごく大事な時間なんだな。人生を振り返るって大事なんだな』と実感してる最中です。心を亡くすと書いて『忙しい』という漢字になりますから、逆を言えば『時間がたっぷりある』というのはものすごく大事なことなんですよね。
私等、代謝で産まれる膿ですね
今の社会って最大多数の人たちとその時の有力者がより豊かな富を得られるように築いてきた世界だと思うので、生まれてきた人間全員が完璧に適応できるわけもなく。無理してでも溶け込もうと頑張っている人が、引きこもった人を悪しざまに言うのは、弱者同士で戦わせられているような気がします。カブトムシや蝶々もいれば名前のつかないようなうねうねした虫までが同じ生命なんだというのはたしかに綺麗事ですが、名越先生のお話には共感しました。
落語にはどうしようない人間がいっぱい出てきますよね、落語ではそういうどうしようもない人間が主役になります。そんなどうしようもなさを笑ってやれる世の中になって欲しいですね。私もどうしようもない人生を送ってきましたが、落語にはだいぶ救われました。
2:21 「”社会は働く者のためにある”っていうのはすごい近代的な、すごい世知辛い、つまらない概念で…(中略)だから生産的活動をしている人は非生産的な活動をしている人に支えられてるんですよ」いつ見ても名越先生が動画でおっしゃられることは今生きるつらさを和らげてくれるように感じるのですが、この動画のこの部分ほど刺さるものはありませんでした。こんな言葉をかけてくれる人がまわりにいたらどれほど楽かと思います。ついこのあいだ仕事がつらい、やめたい、このまま時間が増えていったら精神がボロボロのくしゃくしゃになって元に戻らないと祖母に伝えた時、でも世の中には働きたくても一日8時間週5で働けない人間もいるんだよ?それをなに週4程度働いてるからって文句言ってるのと言われ、もうどうしていいかわからず、自室にこもり泣きました。私もメンタルが不安定なときにこの話をするんじゃなかったと反省がありますが、それでもやはり信頼を置いていた祖母にこう言われてしまい悲しかったのだと思います。同世代の人間が学業と卒制と就活とバイトと自分の時間を持ち遊ぶのを全部こなし社会とつながっている中で、自分にはなにひとつとしてこなせないダメ人間のレッテルを自分で自分に課していた気がします。自分の視点を持つ、自分でこれでいいんだと自分に言ってあげられるような人間になりたいと強く思いました。そうすればきっと他人に優しく接することもできるはずと信じています。長文失礼しました。
自分に合った生き方 = どこに就労するかという持っていき方は確かに視野狭窄だと思います。大義に捉われすぎです。こうしなければ生きていけないとかの呪縛を基にしても、つまるところ生産的なこともできないですし、居場所を作るところから始めた方がプラスに向かっていくと思います。
「全部合わせて社会なんだと」「生産的活動をしてる人は非生産的活動をしている人に支えられている」いつもながら目からウロコです2:32 の「そうでしょ?」にギクッとさせられました名越先生から感銘を受ける事が本当に本当に多いです新しい視点・考え方を解いてくださりありがとうございます
生産的活動してる人は非生産的活動している人に支えられている、素晴らしい考え言われなきゃ気がつけないままだったかも
わかるなぁ。君たちはどう生きるかの映画でも、何してんのかわかんない使用人がいっぱいいたもんなぁ。でもあの人たちがいなくなったらあの家は冷たくなる。
名越先生の言っていることが、当たり前だよな〜と思われるくらいに、こういう考えが一人一人に浸透して欲しいよ。わたしは当たり前だと思うよ。みんな価値がある存在だと。でも、他人や親や社会はそう言ってくれないんだから、自分で気づいて行動して、自分で自分を価値ある存在だと認めなきゃないんだよ。
皆、心に残るのが辛くて、揺さぶられたのが辛くて。明るい未来を示す、些細な衝動も 頭の中できっかけと挫折をセットにしてしまうその思考回路が 嫌で、嫌で、切り離す。迎えがほしいな、先が崖でも、見えない所に踏み込む、手探りに与えられたものを掴む、探究心に…酔いしれたい?というか…。笑笑
私は割と日本の社会人として生きるのが疲れた....という感じですかね。なんとなくずっと頑張りつづけなきゃいけないことに疲れた....というか。自分語りで申し訳ないんですが今はもう親と縁を切っているんですが機能不全家庭で、子供の頃から親から親の役割をして、精神的なことだけじゃなく、例えば高校に入学させるお金がないと言われて、中学を卒業して1年高校浪人としてフルタイムのバイトをして貯金して自力で、翌年から公立の全日制の高校に入学して通ってたし。高校の時は、高校行きながらバイトしながら親がノータッチの祖母の介護してたし兄弟5人いるから、下の兄弟の面倒見るように言われていてほんとまだ自分が中学の時はお金ないから、光熱費系全部止まってて、公園の水道の水で頭洗ったり身体洗ったりしてたんですよねほんとに小さい頃から自分の心地よさのためだけに使える時間とか労力とか精神力が少なくてその上母親には「おまえは誰からも必要とされないから死ね」と言って階段から蹴り落とされたり、家を出て働き出してお金を無心されて断ったら「お前だけ幸せになるつもりか!!」って激怒されたりこういうの経験ない方とかは特に想像つかないと思うんですけど、経済的な保護者、精神的な保護者が居ない孤独と、まだ子供なのに基礎的な部分を自分でどうにかしなきゃいけない余裕のなさってほんとに心身が削られて一体いつまで私は頑張り続けなきゃいけないんだろう。みたいに途方に暮れるんですよね。もう大人だから、そういう精神的な部分を誰かがケアしてくれるわけでもないしなんていうか、人間が頑張れるキャパって無限じゃなくてほんと有限だと思うんです。人間が頑張れるキャパが100だとして、子供の頃〜20代を70頑張っちゃうとそのあとも頑張り続けるのが難しいしこのキャパを増やしてくれるものって、やっぱり安定した家庭環境だと思うので(もちろんどの家庭にもそれぞれの問題だったり色々あると思いますが。フルマラソンで例えると経済的に、精神的にも一般的な家庭がスタート地点からスタートだとして経済的にも、精神的にも機能不全家庭はスタート地点まで行くのにフルマラソン走ってからやってスタート地点に辿り着く逆に経済的に、精神的に安定して裕福な家はもしかしたら1kmも走ってないかもしれない。私はもう頑張りたくないと思って生きてますが、1km走ったらゴールの人や、普通のスタート地点からスタートした人に「そんなこと言わずにもっと頑張れよ!まだ若いんだから!」とか「頑張れないってただサボってるだけでしょ?」とか言われるとうるせえええええ!!!今は頑張りたくないし頑張る気もないっていっとろーが!と思いますしそもそもの生きていることへの価値観が周囲と違いすぎて、人と接するのが疲れちゃったりするので、そういうのも含めて1人でいるのが好きだなって思います。どうしても血縁他人関係なく、人といると人のエゴに巻き取られてしまうので。人と良い関係を持つにはそれぞれの適した距離感が大事だと思うんですけど引きこもりって多分たまたまその人にとって今の適した他者との距離感が「引きこもる」だったんだろうなと思います。そんな問題にするほどのことでもないんじゃないかなと社会に対して思います。
すね、手で包んであげようが、だるだるに弛緩してて隙間から床に飛散るだけの、再起不能の 成れの果てですからね、きっと自分でそういうものだと それも思ってます
人それぞれのペースがあるってことをだと思うのですが、それは数時間、数日、数週間、数年の差ではなくて、人によっては自分のペースが他人と10年以上ずれていたりすることもあるってことなのかもしれませんね。
ちょうど仕事や創作の中で個と群れについて考えていたので先生の言葉に頷きながら観ました。決まりが多くいろんな要素が複雑に絡みあった人間の社会では、引きこもりやうまく社会に溶け込めない人が出てくるけれど、それが良いか悪いかはどうかは見る人の視点や価値観によって変わると思います。名越先生のように考える人もいるけれど、慣れ親しんだ常識や価値観で判断し受け入れられない人もいる。そんな価値観が更新される過渡期に僕たちはいるんじゃないかと考えています。人間は個体差の大きい種族で発達した知能もあるのに不器用で不自然なんだなと、もどかしい気持ちになります。
最近でも少数ですが、社会に出られず家でゲームばかりしていた人が逆に配信者として社会人の癒しになったり、なんてこともありますしね。
ひきこもりを「社会が上手く回るための代償」と考えれば納得がいくり中井久夫も分裂病についてそんなようなこと書いてたなぁ。
ナイス🐈
家族から死んでほしいってことを知らされて寝込むことも多いけど、苦しんでも死ねる物を準備している市役所、保健所、病院、警察には伝えてるので自殺を止めることは出来ないのが現状民事不介入でなく、入って助ける法律があってもいいと思う
いいところで終わっちゃった!!!
まあ、引きこもりは本人の性質もあるだろうけど、社会には一定数弾かれる人間は出てくるから割りを食うのもしょうがないかもしれない。
人や社会と関わるのが苦しいから、引きこもりを始めた人が、何年も引きこもる中で自分の怠惰な性格に気づいたり、やはりお金や自分の為に奮起しようとしても勇気が出なかったりするんだと思います。社会が厳しいってことを誰よりも知ってて逃げ込んでしまったのが引きこもりだと思うので、同世代が若い頃に頑張って社会に出ていったのを横目に逃げたという自負が強くて苦しんでるんだと思います。そんなこと本当は気にしなくていいと思うけど、社会はそんなに好意的に見てくれないですもんね。後個人的に、引きこもりの人で能力が高い人も沢山いると思ってます。一人でいすぎて、努力の仕方が分からなくなってるのかなと思います・・・
ここで書かれているように「逃げ込んでいる」のか、私が過去に聞いたことがあるのが“押し付け”にあっていたりして「追い込まれている」のか。。親などが無意識に、よかれと思って本人の希望などの前に押しつけをしてきたりしていて、結果ひきこもりになっているといったことがあるようで、全てのひきこもりと呼ばれる人を、一括りにするのは違うのかなと、個人的には思っていますが。もちろん自分も、様々なパターンを知らないので、勉強不足だとは思いますが。
コメントありがとうございます。勿論想像もつかない色んなケースがあると思っています。型にはめられてしまった人も、逃げ込んでしまった人も、最終的には自ら踏み出してくれるようサポートするのが大切なのかなと思います。
「型にはめられてしまった人」というのはちょっと違うのかなぁと思っています。親などははめたがるけれど(当人(親御さん等。)はそんな意識もないとは思いますが。)、槍で追いやられたかのように、奥に奥に入っていってしまったのが、ひきこもりの(あるパターン。)最終結果なのかな、と、その番組をみて思いました。あまり、サポートする側の人が、「サポートする」と、意気込まれるのも、追い詰められている人にとっては苦しいと思うので、そこがご本人との疎通によってうまく、(雪解けのように)徐々にいけばいいなぁと思いますが。「逃げている」人たちなのか?というところに立ち帰って考えていくということも、必要かもしれません。見方やみる方向によって、ひきこもりと呼ばれる人の実態が、まったく異なって明らかになっていくこともあると思いますので。
デリダの脱構築でも言われてますね。生産的な人は非生産的な人に支えられている。
大変申し訳ございません。100年後に活躍する才能があったとしても、生きてる間に活躍したいと思ってしまいます。
自分は13歳から21歳まで引きこもりでした(現28歳)引きこもりは、最高です。引きこもりの皆さん、おめでとう🎉
omoriの実況見たから引きこもりについて考えてる
綺麗事過ぎない塩梅を人それぞれ見つけていく期間だと思ってます
精神科医が分析するダンガンロンパやって欲しいです
2:00
歯を食いしばって頑張って働いてるのに、引きこもりで働かず税金も収めずのうのうと生きてる奴らが繋がりなの?ぶら下がりじゃないの?飛び抜けた一人の文学の人の名前出してだからどうなの?どう言う観点で仰ってるの?
働いている人はすごいよ。引きこもってる人ものうのうと生きているわけではない。働きアリだけではなく、働かないアリもいるから、結果として集団として生き残れるのだと思うよ
貴方は可哀想な人ですね
どの時代もそうですが、特定の階級の誰かが、世の中を作っているわけでは無いのです。教科書に載らない人間の方が歴史を作っています。それが、街角の物乞いであっても。あなたの頑張りは私には分かりませんが、たとえ頑張ることをやめても、それによって、あなたの人間としての価値が損なわれることはありません。
「のうのうと生きている」こういう言葉を見ると、本当に何様のつもりなのだと感じる。自分の方が偉いんだという競合的態度なのだろうか。初めから引きこもりの人なんていないだろうよ。その過程に何があったのかと思考をめぐらすのがより良い社会を形作っていくために必要なことなんじゃないかね。こういう所からも、日本のコミュニティーに対する希薄化の一端が見える気がするよ。
この方はこの方で、就労し税金を納め誰にも後ろ指を指されることなく、それを自負して今も生きてらっしゃる方だと思うし、表面的には表側の方だと思います。引きこもりを支えることはあれど、支えられる側ではないと思ってらっしゃる。例えばご病気をされて働けなくなり税金を納めることが出来なくなったとき、この方の価値はなくなるんでしょうか。今その状態にある引きこもりの価値は本当にないんでしょうか。どういう権利があって「のうのうと生きている」と断ずることができるのか、その感情を理解はできても、同じ人間に向けようとは思いません。
「ニートってよくない言葉で」という言葉がすごいと感じました…
その一言で就労のみを前提とした社会は視野が狭いと私の中で腑に落ちたので…
自分はイラストレーターなんですが、今年は兼業でやりながらやっと独立したところで画像生成AIが一気に普及しまして、人生で一番「いらない」と言われた一年でした。
いらない、必要ない、意味ない、そんな風に言われると本当にそんな気がして辛くて。
でも名越先生が言われる通り、自分がやったことが誰かの支えになれれば良いな…。自分も誰かの一部だと思って、もう少し頑張ります。
人が描いた暖かみというのは絶対にAIには出せないです。
どれだけAIの技術が発展してもです。
気持ちを乗せる、気をのせる、パワーを乗せるというのは絶対にAIに出来ないことだと思います。
自分に自信を持ってくださいね😊
カメラや写真が普及しても画家がいなくならなかったように、AIがいても個性的で独創的なオリジナルな絵柄はその人にしか描けないものだよ。例えば今流行ってるちいかわは、どんなにファンアートや亜種が出ても、やはりナガノさんにしか描けないイラストだし世界観だと思います。そういう自分にしかないものを磨いていくといいと思いますよ𝑁𝑖𝑐𝑒🤟🏻(*ᐛ*)ᒃ✨
@@369iii ありがとうございます😢そんな風に思ってくれる方がいると思うと励まされます。これまで以上に自分の絵に愛情を込めて描いていこうと思います!
@@Sara-o6n3m ありがとうございます!私もナガノ先生のちいかわ大好きです☺️
世間の流行や売れ線かどうかではなく、より自分の個性と向き合う時代が来ているんだなと感じます。これまで以上に自分と向き合って頑張ります…!
@@AroeAgv そうですね…。個性を模索してもすぐAIに学習されてイタチごっこになってしまう…という不安もあり、私の周りのイラストレーターさん達もかなりやり方を模索しています💦
これからは作品だけじゃなく本人もより魅力的な存在になる事が求められるのかもしれないですねー…。
先生の仰るように、外向的な人々が目に見える世界の仕事をしてくれる代わりに自分は目に見えない世界で道路工事や補修工事をしてるんじゃないかと思うことがありました。
先生のおかげでその感覚に自信を持つことができました。ありがとうございます🙇
不安障害でも働けるような場所は無いんでしょうかね…。せめて奨学金を返してから死にたいです…。あとお金をいくらかお世話になった人に残して死にたいです。
自分の軸がないまま生き、仕事を10年したのちに引きこもりになりました。
振り返ればそうなって当然というか、本当の自分を思い出す、またとない機会だったと今なら思えます。
全てとの繋がりを感じる体験も経て、全てはそれでよかったのだとわかりました。今ではかけがえのない体験です。
僕も去年から仕事をしてない身です。
最初はかなり自分を責めたりしましたが、今は『あぁ、すごく大事な時間なんだな。人生を振り返るって大事なんだな』と実感してる最中です。
心を亡くすと書いて『忙しい』という漢字になりますから、逆を言えば『時間がたっぷりある』というのはものすごく大事なことなんですよね。
私等、代謝で産まれる膿ですね
今の社会って最大多数の人たちとその時の有力者がより豊かな富を得られるように築いてきた世界だと思うので、生まれてきた人間全員が完璧に適応できるわけもなく。
無理してでも溶け込もうと頑張っている人が、引きこもった人を悪しざまに言うのは、弱者同士で戦わせられているような気がします。
カブトムシや蝶々もいれば名前のつかないようなうねうねした虫までが同じ生命なんだというのはたしかに綺麗事ですが、名越先生のお話には共感しました。
落語にはどうしようない人間がいっぱい出てきますよね、落語ではそういうどうしようもない人間が主役になります。
そんなどうしようもなさを笑ってやれる世の中になって欲しいですね。
私もどうしようもない人生を送ってきましたが、落語にはだいぶ救われました。
2:21 「”社会は働く者のためにある”っていうのはすごい近代的な、すごい世知辛い、つまらない概念で…(中略)だから生産的活動をしている人は非生産的な活動をしている人に支えられてるんですよ」
いつ見ても名越先生が動画でおっしゃられることは今生きるつらさを和らげてくれるように感じるのですが、この動画のこの部分ほど刺さるものはありませんでした。
こんな言葉をかけてくれる人がまわりにいたらどれほど楽かと思います。
ついこのあいだ仕事がつらい、やめたい、このまま時間が増えていったら精神がボロボロのくしゃくしゃになって元に戻らないと祖母に伝えた時、でも世の中には働きたくても一日8時間週5で働けない人間もいるんだよ?それをなに週4程度働いてるからって文句言ってるのと言われ、もうどうしていいかわからず、自室にこもり泣きました。
私もメンタルが不安定なときにこの話をするんじゃなかったと反省がありますが、それでもやはり信頼を置いていた祖母にこう言われてしまい悲しかったのだと思います。
同世代の人間が学業と卒制と就活とバイトと自分の時間を持ち遊ぶのを全部こなし社会とつながっている中で、自分にはなにひとつとしてこなせないダメ人間のレッテルを自分で自分に課していた気がします。
自分の視点を持つ、自分でこれでいいんだと自分に言ってあげられるような人間になりたいと強く思いました。そうすればきっと他人に優しく接することもできるはずと信じています。長文失礼しました。
自分に合った生き方 = どこに就労するか
という持っていき方は確かに視野狭窄だと思います。大義に捉われすぎです。
こうしなければ生きていけないとかの呪縛を基にしても、つまるところ生産的なこともできないですし、
居場所を作るところから始めた方がプラスに向かっていくと思います。
「全部合わせて社会なんだと」
「生産的活動をしてる人は非生産的活動をしている人に支えられている」
いつもながら目からウロコです
2:32 の「そうでしょ?」にギクッとさせられました
名越先生から感銘を受ける事が本当に本当に多いです
新しい視点・考え方を解いてくださりありがとうございます
生産的活動してる人は非生産的活動している人に支えられている、素晴らしい考え言われなきゃ気がつけないままだったかも
わかるなぁ。君たちはどう生きるかの映画でも、何してんのかわかんない使用人がいっぱいいたもんなぁ。でもあの人たちがいなくなったらあの家は冷たくなる。
名越先生の言っていることが、当たり前だよな〜と思われるくらいに、こういう考えが一人一人に浸透して欲しいよ。わたしは当たり前だと思うよ。みんな価値がある存在だと。でも、他人や親や社会はそう言ってくれないんだから、自分で気づいて行動して、自分で自分を価値ある存在だと認めなきゃないんだよ。
皆、心に残るのが辛くて、揺さぶられたのが辛くて。
明るい未来を示す、些細な衝動も 頭の中できっかけと挫折をセットにしてしまうその思考回路が 嫌で、嫌で、切り離す。
迎えがほしいな、先が崖でも、見えない所に踏み込む、手探りに与えられたものを掴む、探究心に…酔いしれたい?というか…
。笑笑
私は割と日本の社会人として生きるのが疲れた....という感じですかね。
なんとなくずっと頑張りつづけなきゃいけないことに疲れた....というか。
自分語りで申し訳ないんですが
今はもう親と縁を切っているんですが
機能不全家庭で、子供の頃から親から親の役割をして、精神的なことだけじゃなく、例えば高校に入学させるお金がないと言われて、中学を卒業して1年高校浪人としてフルタイムのバイトをして貯金して自力で、翌年から公立の全日制の高校に入学して通ってたし。
高校の時は、高校行きながらバイトしながら親がノータッチの祖母の介護してたし
兄弟5人いるから、下の兄弟の面倒見るように言われていて
ほんとまだ自分が中学の時はお金ないから、光熱費系全部止まってて、公園の水道の水で頭洗ったり身体洗ったりしてたんですよね
ほんとに小さい頃から自分の心地よさのためだけに使える時間とか労力とか精神力が少なくて
その上母親には「おまえは誰からも必要とされないから死ね」と言って階段から蹴り落とされたり、家を出て働き出してお金を無心されて断ったら「お前だけ幸せになるつもりか!!」って激怒されたり
こういうの経験ない方とかは特に想像つかないと思うんですけど、経済的な保護者、精神的な保護者が居ない孤独と、まだ子供なのに基礎的な部分を自分でどうにかしなきゃいけない余裕のなさってほんとに心身が削られて
一体いつまで私は頑張り続けなきゃいけないんだろう。みたいに途方に暮れるんですよね。
もう大人だから、そういう精神的な部分を誰かがケアしてくれるわけでもないし
なんていうか、人間が頑張れるキャパって無限じゃなくてほんと有限だと思うんです。
人間が頑張れるキャパが100だとして、子供の頃〜20代を70頑張っちゃうとそのあとも頑張り続けるのが難しいし
このキャパを増やしてくれるものって、やっぱり安定した家庭環境だと思うので(もちろんどの家庭にもそれぞれの問題だったり色々あると思いますが。
フルマラソンで例えると
経済的に、精神的にも一般的な家庭がスタート地点からスタートだとして
経済的にも、精神的にも機能不全家庭はスタート地点まで行くのにフルマラソン走ってからやってスタート地点に辿り着く
逆に経済的に、精神的に安定して裕福な家はもしかしたら1kmも走ってないかもしれない。
私はもう頑張りたくないと思って生きてますが、1km走ったらゴールの人や、普通のスタート地点からスタートした人に「そんなこと言わずにもっと頑張れよ!まだ若いんだから!」とか「頑張れないってただサボってるだけでしょ?」とか言われると
うるせえええええ!!!今は頑張りたくないし頑張る気もないっていっとろーが!と思いますし
そもそもの生きていることへの価値観が周囲と違いすぎて、人と接するのが疲れちゃったりするので、そういうのも含めて1人でいるのが好きだなって思います。
どうしても血縁他人関係なく、人といると人のエゴに巻き取られてしまうので。
人と良い関係を持つにはそれぞれの適した距離感が大事だと思うんですけど
引きこもりって多分たまたまその人にとって今の適した他者との距離感が「引きこもる」だったんだろうなと思います。
そんな問題にするほどのことでもないんじゃないかなと社会に対して思います。
すね、手で包んであげようが、だるだるに弛緩してて隙間から床に飛散るだけの、再起不能の 成れの果てですからね、きっと自分でそういうものだと それも思ってます
人それぞれのペースがあるってことをだと思うのですが、それは数時間、数日、数週間、数年の差ではなくて、人によっては自分のペースが他人と10年以上ずれていたりすることもあるってことなのかもしれませんね。
ちょうど仕事や創作の中で個と群れについて考えていたので先生の言葉に頷きながら観ました。
決まりが多くいろんな要素が複雑に絡みあった人間の社会では、引きこもりやうまく社会に溶け込めない人が出てくるけれど、それが良いか悪いかはどうかは見る人の視点や価値観によって変わると思います。
名越先生のように考える人もいるけれど、慣れ親しんだ常識や価値観で判断し受け入れられない人もいる。
そんな価値観が更新される過渡期に僕たちはいるんじゃないかと考えています。
人間は個体差の大きい種族で発達した知能もあるのに不器用で不自然なんだなと、もどかしい気持ちになります。
最近でも少数ですが、社会に出られず家でゲームばかりしていた人が逆に配信者として社会人の癒しになったり、なんてこともありますしね。
ひきこもりを「社会が上手く回るための代償」と考えれば納得がいくり中井久夫も分裂病についてそんなようなこと書いてたなぁ。
ナイス🐈
家族から死んでほしいってことを知らされて
寝込むことも多いけど、苦しんでも死ねる物を準備している
市役所、保健所、病院、警察には伝えてるので自殺を止めることは出来ないのが現状
民事不介入でなく、入って助ける法律があってもいいと思う
いいところで終わっちゃった!!!
まあ、引きこもりは本人の性質もあるだろうけど、社会には一定数弾かれる人間は出てくるから割りを食うのもしょうがないかもしれない。
人や社会と関わるのが苦しいから、引きこもりを始めた人が、何年も引きこもる中で自分の怠惰な性格に気づいたり、やはりお金や自分の為に奮起しようとしても勇気が出なかったりするんだと思います。
社会が厳しいってことを誰よりも知ってて逃げ込んでしまったのが引きこもりだと思うので、同世代が若い頃に頑張って社会に出ていったのを横目に逃げたという自負が強くて苦しんでるんだと思います。そんなこと本当は気にしなくていいと思うけど、社会はそんなに好意的に見てくれないですもんね。
後個人的に、引きこもりの人で能力が高い人も沢山いると思ってます。一人でいすぎて、努力の仕方が分からなくなってるのかなと思います・・・
ここで書かれているように「逃げ込んでいる」のか、私が過去に聞いたことがあるのが“押し付け”にあっていたりして「追い込まれている」のか。。
親などが無意識に、よかれと思って本人の希望などの前に押しつけをしてきたりしていて、結果ひきこもりになっているといったことがあるようで、全てのひきこもりと呼ばれる人を、一括りにするのは違うのかなと、個人的には思っていますが。
もちろん自分も、様々なパターンを知らないので、勉強不足だとは思いますが。
コメントありがとうございます。
勿論想像もつかない色んなケースがあると思っています。
型にはめられてしまった人も、逃げ込んでしまった人も、最終的には自ら踏み出してくれるようサポートするのが大切なのかなと思います。
「型にはめられてしまった人」というのはちょっと違うのかなぁと思っています。
親などははめたがるけれど(当人(親御さん等。)はそんな意識もないとは思いますが。)、槍で追いやられたかのように、奥に奥に入っていってしまったのが、ひきこもりの(あるパターン。)最終結果なのかな、と、その番組をみて思いました。
あまり、サポートする側の人が、「サポートする」と、意気込まれるのも、追い詰められている人にとっては苦しいと思うので、そこがご本人との疎通によってうまく、(雪解けのように)徐々にいけばいいなぁと思いますが。
「逃げている」人たちなのか?というところに立ち帰って考えていくということも、必要かもしれません。見方やみる方向によって、ひきこもりと呼ばれる人の実態が、まったく異なって明らかになっていくこともあると思いますので。
デリダの脱構築でも言われてますね。生産的な人は非生産的な人に支えられている。
大変申し訳ございません。
100年後に活躍する才能があったとしても、生きてる間に活躍したいと思ってしまいます。
自分は13歳から21歳まで引きこもりでした(現28歳)
引きこもりは、最高です。
引きこもりの皆さん、おめでとう🎉
omoriの実況見たから引きこもりについて考えてる
綺麗事過ぎない塩梅を人それぞれ見つけていく期間だと思ってます
精神科医が分析するダンガンロンパやって欲しいです
2:00
歯を食いしばって頑張って働いてるのに、引きこもりで働かず税金も収めずのうのうと生きてる奴らが繋がりなの?ぶら下がりじゃないの?
飛び抜けた一人の文学の人の名前出してだからどうなの?
どう言う観点で仰ってるの?
働いている人はすごいよ。
引きこもってる人ものうのうと生きているわけではない。
働きアリだけではなく、働かないアリもいるから、結果として集団として生き残れるのだと思うよ
貴方は可哀想な人ですね
どの時代もそうですが、特定の階級の誰かが、世の中を作っているわけでは無いのです。教科書に載らない人間の方が歴史を作っています。それが、街角の物乞いであっても。あなたの頑張りは私には分かりませんが、たとえ頑張ることをやめても、それによって、あなたの人間としての価値が損なわれることはありません。
「のうのうと生きている」
こういう言葉を見ると、本当に何様のつもりなのだと感じる。自分の方が偉いんだという競合的態度なのだろうか。初めから引きこもりの人なんていないだろうよ。その過程に何があったのかと思考をめぐらすのがより良い社会を形作っていくために必要なことなんじゃないかね。こういう所からも、日本のコミュニティーに対する希薄化の一端が見える気がするよ。
この方はこの方で、就労し税金を納め誰にも後ろ指を指されることなく、それを自負して今も生きてらっしゃる方だと思うし、表面的には表側の方だと思います。引きこもりを支えることはあれど、支えられる側ではないと思ってらっしゃる。
例えばご病気をされて働けなくなり税金を納めることが出来なくなったとき、この方の価値はなくなるんでしょうか。
今その状態にある引きこもりの価値は本当にないんでしょうか。
どういう権利があって「のうのうと生きている」と断ずることができるのか、その感情を理解はできても、同じ人間に向けようとは思いません。