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お名前を失念しましたが、ミシュランの星を獲得してらっしゃるシェフが、「料理はある閾値を超えたら対立じゃなく並行のベクトルにある」という発言をされていて、感銘をうけました
比較する感情を抑え込むことに何度も失敗して、苦しんできたけど、名越先生が「何度失敗しても良いから」「近いうちに掴めるようになると思う」と言ってくれた言葉に救われました。本当にありがとうございます!
ニュースや巷で"○歳でデビューするなんてすごい!"とか"世界初!"とか見聞きすると、すごい動揺してしまうんですよね。名越さんと比較してしまう事もあるし…でも、脳の機能だと知って、安心した、比較と少しずつ付き合っていこうと思う。
ひとりでいても、自分より優れている(又はそういう風に感じる)方たちの情報が続々と入ってきて、辛くなってしまいがちな時代と思います。穏やかに、でも自分を諦めず邁進していきたいです。🙏
チャレンジしたいのに不安で出来ないと、病気を作り出すって話、めちゃくちゃ今の自分に当てはまります。その病気に負けないようにか…もう少し葛藤してみます。
いつも背中を押してくれる
私も病気を作っているのかもしれないです。希望を持たないといけないな、とは思うのですが…生きていける自信が持てない、勇気が出ない、とても弱い自分。生きることがこわい。
前々から比較する癖をなんとかしないとな、と思っていたのでとても刺さるお話でした。自分より出来ない人と比べるのもそうですが、自分より出来る人と比べて自分なんて全然駄目だと思う事もあり、それで落ち込んでしまうこともよくありました。本能としてあるものなので全くしないという状態にはできないかもしれませんが、減らす努力はしていこうと思います。
「現実よりリアル」という言葉、昔ゲームのグラフィックの美しさについて人と喋ってるときに相手が口走ったことがあってそのときは言いたい気持ちは分かりつつ何じゃそりゃとツッコミを入れてたんですが考えてみると、主観というものの性質を端的に捉えられる鋭い言葉ですね
比較の根っこにもやはり嫉妬心の存在がありますよね
アドラーも、人と比較するのではなく、過去の自分と比較しなさいとおっしゃってますね!
心にいつもしっかりと留めておきたいと思える話でした。無意識に比較をしてる事があり、それが今の自分に何かしらの影響を与えてるのだなと。幻想に囚われずにも生きたいと思います。
人と比較するとき、自分と他人との間に分離が起こってるから寂しい嫌な気持ちになるのかなぁと思いました。自分が劣っていると思うときは勿論、優越感を感じるときもやっぱり後ろめたいというか寂しい感じがします。分離しない思考、相手も自分である(相手は自分の投影なので)と考えるのを試してみるとふっと楽になるような気がする
比較の不毛さ、害悪さは古今東西の人が口を揃えて提唱してきた人類共通の病ですね。自分でもよく分かってるつもりなのですが、それでもよっぽど強く意識してないとあっという間に脳を支配されますね。
人と比較してしまいがちでその度に不安になるけど、趣味でフロー状態になっているときは真の幸福感に満たされていることに気づくことがあります。比較することや様々な不安から解き放たれれているからなのかもなーと思いました。
先生が仰るようにトラウマや思い込みで一歩踏み出せなかったり幻想を作り出して臆病になりがちだけど、不安になって用心することが脳の仕組みであるなら何かが原因で動き出せないことを悩む時間が無駄だなと思いました全部ではないけど先生のおかげで理解出来ました近いうちに掴めるという言葉にすごく安心しましたありがとうございます^ ^
「隣の芝は青い」とはよく言ったものです。誰かと比較して云々というものは、どこまでいっても不毛なのですよね。しかし、己が信じている道だけを突き進むという事に目覚めることも至難であり、また不毛なんですよね。比較という病は、人間の根底に根付く切り離せない災厄なんだと思います。
僕は非常に自堕落な人間で、比較なくして努力することができません。 そういう人間はどうすれば比較している時と同じくらいのモチベーションを維持すればいいのでしょうか...?
思い当たる節があります。大学をやめた時に、自分で、病気を、作り出して、統合失調症(神経症)に、なりました。ネットが、流行り出した頃で、精神病を調べてたりして、そう思いました。自分に、負けない様にします(*^_^*)
他人と比較して不幸になる場合、どちらかというと自分を負け側に設定して動けなくなる方が多いと思います。…私がまさにそうなのですが。例えば自分がなにかにチャレンジしようと考える→やり方や、先人にどんな方々がいるか調べる(今はネットで簡単に調べられるのも問題かもしれません)→自分よりはるかに若く、上手い方がいる…で動けなくなっちゃうのではないかと。今から始めたところで敵うはずがないよ、ここまで上手くはなれないよ、もう年齢的に遅いよ、笑われるよ、無力さに絶望するだけだよ…今現在どこにもいない敵を勝手に作り出してしまう。自分の欲求ではなく、他人がどう反応するかを恐れているのでしょう。「人生で必要なものは、無知と自信だけだ。これらがあれば、成功は間違いない。」と言ったのはマークトゥエインですが、現代は無知であり続けることが難しい世の中なのかもしれません(それでもやる人はいるのだから時代のせいにするな、と言われれば、返す言葉もございません)。ここをどう超えたらいいのか、鍵が見つかりません。
ごめんなさい、私は名越先生でもなければ、貴方のことを何も知らないただの通行人なのですが......。そのように思考が負の連鎖に入ってしまうのは、もしかしたら身体のコンディションが健康的じゃないのかも知れません。「太宰のもっていた性格的欠陥は、少くともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった」と語る三島由紀夫の言葉を私は盲信している訳ではありませんし、そんな機械的に解決出来ない人だって居るのかも知れませんが、間違ってるとは思っていません。講釈を垂れるつもりでは無いのですが、日光を浴び、彩りのあるご飯を作り、日々小さな事に感謝したりする内に自己実現の為の1歩が踏み出せるのではないかと思う次第です。長文失礼しました。その壁をどうにか乗り越えられることを祈っております。
@@baseneo1302 いえいえお気遣いいただきありがとうございます。とても嬉しいです。お察しの通り、私はメンタル的には不健康な自覚はありまして。ただ肉体的には割と健康的で、今年も富士山単独弾丸登山(深夜から登山開始してその日の夜には東京に帰ってくるやつです) しちゃうような人間で…まあメンタルきてたからやったことではありますがw で、自炊もガンガンやるタイプ(嫁より台所に立つ時間ははるかに長い)なんですよね…。ただ、健康的な生活を"続ける"ことでメンタルも健康的になるというのはあるかもしれません。感謝は考えたこともありませんでした。意識してみます。重ね重ねありがとうございました。
今日の名越先生は雰囲気が弥勒菩薩の仏像がしゃべっているような感じがしました。ああ、また比較している。これはいけない事なんですね、オリジナルを大事にしよう。
比較したとき自分の方が優れていると、以降自分はその比較対象より常に優れていなければならないと思うようになって、強迫観念にも似た何かを感じてしまいます。かといって劣っていると単純に自己肯定感が下がるばかりです。かかりつけの精神病院の先生にも比較する必要はないと言われますが、はやり感情のコントロールは難しいです…
比較する事で安らぎを得ようとしない、と聞いて現状に感謝する、できない時は「日本に生まれただけでも、食べ物に困らないことも、ネット見れる環境にいることも、健康なことも、“ そう出来ない国や人もいるんだからそれよりは幸せだ”と思えば感謝出来る」みたいな話を時々聞くのを思い出しました。確かにどんなに恵まれた環境に居たとしても、幸せや満足の基準が高かったり、今得ているものを当たり前だと思って除外してしまうと安らぎは感じにくい気がします。自分よりも持っていない人と比較して安らぎを得るとはこの事でもあるのでしょうか?ちなみに私は自分よりも持っている(ように見える)人と比較して落ち込む事が多く、比較は安らぎを得ません…。漠然としたものだと「あの人は私よりも幸せそうだ」みたいな勝手な思い込みの比較もあります。比較に気付いたらやめる訓練が必要ですね💦
たしかに。最近、比較の病になってました。今はちょっと良くなりましたが、良いこと悪い事を比較して落胆して上がっての繰り返しをしてて、気付かぬうちに納得する理由を収集してるのに気付きました。執着してるから、比較原因となる人や事象から離れてます。
ところで他人との比較はだめでも自分自身との比較はいいんですかね
比較をする必要がないと言われても、どうしようなくて私は一つのことへの深むにハマることができません。その人たちと比べると私はどうしても劣ってしまうとどうしても思ってしまいます
いつもm(_ _)m♡ありがとうございます🙏お話で♥心が軽くなりました♡♡♡
Kindle版あるかな?
ありがとうございます!
お名前を失念しましたが、ミシュランの星を獲得してらっしゃるシェフが、「料理はある閾値を超えたら対立じゃなく並行のベクトルにある」という発言をされていて、感銘をうけました
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ニュースや巷で"○歳でデビューするなんてすごい!"とか"世界初!"
とか見聞きすると、すごい動揺してしまうんですよね。
名越さんと比較してしまう事もあるし…
でも、脳の機能だと知って、安心した、比較と少しずつ付き合っていこうと思う。
ひとりでいても、自分より優れている(又はそういう風に感じる)方たちの情報が続々と入ってきて、辛くなってしまいがちな時代と思います。
穏やかに、でも自分を諦めず邁進していきたいです。🙏
チャレンジしたいのに不安で出来ないと、病気を作り出すって話、めちゃくちゃ今の自分に当てはまります。その病気に負けないようにか…もう少し葛藤してみます。
いつも背中を押してくれる
私も病気を作っているのかもしれないです。
希望を持たないといけないな、とは思うのですが…生きていける自信が持てない、勇気が出ない、とても弱い自分。
生きることがこわい。
前々から比較する癖をなんとかしないとな、と思っていたのでとても刺さるお話でした。
自分より出来ない人と比べるのもそうですが、自分より出来る人と比べて自分なんて全然駄目だと思う事もあり、それで落ち込んでしまうこともよくありました。
本能としてあるものなので全くしないという状態にはできないかもしれませんが、減らす努力はしていこうと思います。
「現実よりリアル」という言葉、昔ゲームのグラフィックの美しさについて人と喋ってるときに相手が口走ったことがあって
そのときは言いたい気持ちは分かりつつ何じゃそりゃとツッコミを入れてたんですが
考えてみると、主観というものの性質を端的に捉えられる鋭い言葉ですね
比較の根っこにもやはり嫉妬心の存在がありますよね
アドラーも、人と比較するのではなく、過去の自分と比較しなさいとおっしゃってますね!
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人と比較するとき、自分と他人との間に分離が起こってるから寂しい嫌な気持ちになるのかなぁと思いました。
自分が劣っていると思うときは勿論、優越感を感じるときもやっぱり後ろめたいというか寂しい感じがします。
分離しない思考、相手も自分である(相手は自分の投影なので)と考えるのを試してみるとふっと楽になるような気がする
比較の不毛さ、害悪さは古今東西の人が口を揃えて提唱してきた人類共通の病ですね。
自分でもよく分かってるつもりなのですが、
それでもよっぽど強く意識してないとあっという間に脳を支配されますね。
人と比較してしまいがちでその度に不安になるけど、趣味でフロー状態になっているときは真の幸福感に満たされていることに気づくことがあります。比較することや様々な不安から解き放たれれているからなのかもなーと思いました。
先生が仰るようにトラウマや思い込みで一歩踏み出せなかったり幻想を作り出して臆病になりがちだけど、不安になって用心することが脳の仕組みであるなら何かが原因で動き出せないことを悩む時間が無駄だなと思いました
全部ではないけど先生のおかげで理解出来ました
近いうちに掴めるという言葉にすごく安心しました
ありがとうございます^ ^
「隣の芝は青い」とはよく言ったものです。
誰かと比較して云々というものは、どこまでいっても不毛なのですよね。
しかし、己が信じている道だけを突き進むという事に目覚めることも至難であり、また不毛なんですよね。
比較という病は、人間の根底に根付く切り離せない災厄なんだと思います。
僕は非常に自堕落な人間で、比較なくして努力することができません。
そういう人間はどうすれば比較している時と同じくらいのモチベーションを維持すればいいのでしょうか...?
思い当たる節があります。
大学をやめた時に、自分で、病気を、作り出して、統合失調症(神経症)に、なりました。
ネットが、流行り出した頃で、精神病を調べてたりして、そう思いました。
自分に、負けない様にします(*^_^*)
他人と比較して不幸になる場合、どちらかというと自分を負け側に設定して動けなくなる方が多いと思います。…私がまさにそうなのですが。
例えば自分がなにかにチャレンジしようと考える→やり方や、先人にどんな方々がいるか調べる(今はネットで簡単に調べられるのも問題かもしれません)→自分よりはるかに若く、上手い方がいる…で動けなくなっちゃうのではないかと。今から始めたところで敵うはずがないよ、ここまで上手くはなれないよ、もう年齢的に遅いよ、笑われるよ、無力さに絶望するだけだよ…今現在どこにもいない敵を勝手に作り出してしまう。自分の欲求ではなく、他人がどう反応するかを恐れているのでしょう。
「人生で必要なものは、無知と自信だけだ。これらがあれば、成功は間違いない。」と言ったのはマークトゥエインですが、現代は無知であり続けることが難しい世の中なのかもしれません(それでもやる人はいるのだから時代のせいにするな、と言われれば、返す言葉もございません)。ここをどう超えたらいいのか、鍵が見つかりません。
ごめんなさい、私は名越先生でもなければ、貴方のことを何も知らないただの通行人なのですが......。そのように思考が負の連鎖に入ってしまうのは、もしかしたら身体のコンディションが健康的じゃないのかも知れません。「太宰のもっていた性格的欠陥は、少くともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった」と語る三島由紀夫の言葉を私は盲信している訳ではありませんし、そんな機械的に解決出来ない人だって居るのかも知れませんが、間違ってるとは思っていません。講釈を垂れるつもりでは無いのですが、日光を浴び、彩りのあるご飯を作り、日々小さな事に感謝したりする内に自己実現の為の1歩が踏み出せるのではないかと思う次第です。長文失礼しました。その壁をどうにか乗り越えられることを祈っております。
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お察しの通り、私はメンタル的には不健康な自覚はありまして。ただ肉体的には割と健康的で、今年も富士山単独弾丸登山(深夜から登山開始してその日の夜には東京に帰ってくるやつです) しちゃうような人間で…まあメンタルきてたからやったことではありますがw で、自炊もガンガンやるタイプ(嫁より台所に立つ時間ははるかに長い)なんですよね…。
ただ、健康的な生活を"続ける"ことでメンタルも健康的になるというのはあるかもしれません。感謝は考えたこともありませんでした。意識してみます。重ね重ねありがとうございました。
今日の名越先生は雰囲気が弥勒菩薩の仏像がしゃべっているような感じがしました。ああ、また比較している。これはいけない事なんですね、オリジナルを大事にしよう。
比較したとき自分の方が優れていると、以降自分はその比較対象より常に優れていなければならないと思うようになって、強迫観念にも似た何かを感じてしまいます。かといって劣っていると単純に自己肯定感が下がるばかりです。
かかりつけの精神病院の先生にも比較する必要はないと言われますが、はやり感情のコントロールは難しいです…
比較する事で安らぎを得ようとしない、と聞いて
現状に感謝する、できない時は「日本に生まれただけでも、食べ物に困らないことも、ネット見れる環境にいることも、健康なことも、“ そう出来ない国や人もいるんだからそれよりは幸せだ”と思えば感謝出来る」みたいな話を時々聞くのを思い出しました。
確かにどんなに恵まれた環境に居たとしても、幸せや満足の基準が高かったり、今得ているものを当たり前だと思って除外してしまうと安らぎは感じにくい気がします。
自分よりも持っていない人と比較して安らぎを得るとはこの事でもあるのでしょうか?
ちなみに私は自分よりも持っている(ように見える)人と比較して落ち込む事が多く、比較は安らぎを得ません…。
漠然としたものだと「あの人は私よりも幸せそうだ」みたいな勝手な思い込みの比較もあります。
比較に気付いたらやめる訓練が必要ですね💦
たしかに。
最近、比較の病になってました。
今はちょっと良くなりましたが、良いこと悪い事を比較して落胆して上がっての繰り返しをしてて、気付かぬうちに納得する理由を収集してるのに気付きました。
執着してるから、比較原因となる人や事象から離れてます。
ところで他人との比較はだめでも自分自身との比較はいいんですかね
比較をする必要がないと言われても、どうしようなくて私は一つのことへの深むにハマることができません。その人たちと比べると私はどうしても劣ってしまうとどうしても思ってしまいます
いつもm(_ _)m♡ありがとうございます🙏お話で♥心が軽くなりました♡♡♡
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ありがとうございます!