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姜維の生涯を見ると、どうしても諸葛亮の影が見えて哀愁の情に耽りますよねぇ。諸葛武侯の遺志を継ぎ、死ぬまで諦めなかった漢の忠烈な臣。これぞわたしの姜維に対する評価よ。
「三国を彩る最後の英雄」であることは間違いない。
やってる事は正しいかは分からないけど生き様としては最高に格好いい男ですね。あと姜維を支え続けた陳祇をいつか取り上げて欲しいです
天水の麒麟児!横山先生が描いた白頭巾姿が好きですね。
そもそも蜀の国力が終わってるからな。生き残るには北伐で逆転するしかない。たまたま姜維がババ引いたって感じもする
馬謖がやらかしたのが本当に痛かったなあ
ほんま戦犯ですなぁ、、あれが魏を倒す最後のチャンスぽく思えますね。
それよりも関羽のやらかしの方が大きい荊州を押さえてたら北伐ルートにこだわらなくてもよかった
@@イシダヤスユキ-c6w 馬謖馬謖と言われるけれど、関羽劉備諸葛亮姜維も相当なんだよなぁ実際最適解は荊州で余計なケンカなんかせずに街亭の戦いなんかしない夷陵で余計なケンカなんかせず、もう荊州一部やるから帰ってっていわれてんだからさっさと帰って街亭の戦いなんかしない仮に上2回やらかしていたとしても、それでも北伐なんかしないで街亭の戦いなんかしないそも馬謖は所詮現場指揮官でしかないんで…
ホウ統が死んだ時点で詰んでたのかもしれん
@@ny5037 煽りとかじゃないんだけど、夷陵の戦いの時に荊州返すから帰ってくれっていうのはどこに書いてある??探しても見つからないんだよね。諸葛瑾の降伏の文書は呉書の誰かの所にあったけどそこには書いてなかったし。
もし姜維が居なければ、蜀はもっと早く滅亡してたと思う。戦いに明け暮れ過ぎて、蜀の国力弱めたけど、戦って蜀を守ってたと思う。姜維が厄介やから魏もなかなか攻め込められ無かったと思う。自分は大好きな武将です。
ほんとにそうかは微妙なところなんですけどね。魏は基本的に蜀に興味がないので北伐しなかったらかなり後まで見逃されてた可能性もあると思いますよ。蜀はド田舎なので取っても旨味がないんですね。
やっぱ魏延殺すべきではなかったよなぁ・・・なんなら魏延に全部丸投げで魏に向かわせたらよかったのにっていつも思うよ
魏延だったら国力差を顧みずにギャンブル的な軍事行動を起こす。大勝する可能性もあるがそれよりはるかに大きな確率で大敗する。 そうでなくとも諸葛亮が上手に内政と軍事のバランスに細心の注意を払っていたが、魏延が軍事の実権を握れば国政は軍事に全面的に傾くことになり、226事件以降の大日本帝国さながらの軍閥化が起こる。ましてあれだけ性格が歪んで、なおかつ人徳がなさ過ぎて蜀国内で徹底的に嫌われてた魏延を大将軍として利用していたのは諸葛亮が上手にコントロールしていたならばこそうまくいってたわけで、諸葛亮が死んだらあとは誰にも制御できなくなる。蜀そのものが崩壊するか、軍事クーデターを起こした魏延が最終的に味方の裏切りで死ぬだけだろう。そのあとの蜀はもはや滅亡のカウントダウンだ。
@@Fahrenheit76 そんな事はわかってるよ。でも結局蜀が滅亡してる時点で諸葛亮のやり方では魏を滅ぼす事はできなかった。ならワンチャンかけて魏延に託すのも一つだと思ったまでだよ。
@@munmunmunmunmun 分かりますw魏延ルート見てみたい
横山三国志の61巻を読んでみたかったなぁ…。
小学2年の時に、ドラクエ3で勇者の名前を"きょうい"と付けるぐらい姜維が好きでした。そんな武将の詳細が知れて良かったです。ちなみに魔法使いは鄧芝で、それを見た兄に爆笑されました。
??「爆破だ!!」
小2で三国志読んでる事に驚いてる
小学二年生で中々濃いな
もし劉備が生きていたら姜維をどのように活かしていたのかな?二人が出会ってほしかった!
劉備は人を見る目があった。馬謖を高く評価する孔明に、馬謖に大事な仕事をさせてはならないと言っていた。確かに、劉備に姜維を評価させてみたかったな。
多分がらりと人生変わったかも。決して無能ではないし。もしかしたら荊州の守備にまわされるかもしれない。
馬謖の様にこいつに大権を任せるのはあかんと言ったと思いますね。宰相の意思を継ぎ、力及ばずとも国賊に降る事無く国と命運を共にしたから後世で忠臣扱いされてますが孔明亡き後は分相応以上の事をやって空回りしている無能な働き者な感じがありますね…。駒として動かす一武将としては優だが、大権を任せてはいけない人物と評する様な気がします。
姜維は武田勝頼にちょっと似てるんですよね武田勝頼も甲斐の人にしてみればよそ者であり、配下の掌握に非常に苦労している、勇猛さは前任者以上と言われるも、その人となりは実は物静かで、書物を愛する人物だった
一時は蜀漢の最大領分を得たけれど、滅亡にブレーキを掛けることはできなかった。内政をおろそかにした、というより根っからの軍人だったんだろうな。ほかの方がおっしゃる通り、もっと早く産まれていたら違った生涯があったのかも。
なんか武田勝頼に怖いほど類似してるなぁ勝頼はこの人の生まれ変わりなんじゃ
段谷の戦=長篠の合戦、前任者の大きさに押しつぶされる。最後には裏切りで死ぬ。いろんな視点で共通するものはあるなあ。
骨の髄まで真の武人だった姜維。ただその武運はあまりにも薄命だった。
姜維が有能だったのは確かだけど名将とは言い難いな。とは言っても選択肢がそもそも限られていた状況であったから、こうする以外になかったというのはあるんだろうけど。
評価が難しい武将ですね。劉禅が降伏して以降も孤軍奮闘して蜀を再興させる気概を見せるなど愛国心の強い生真面目な部分好きではありますが、周りが見えず、自分の得意分野で功績を上げたいのが見え見えの自己中心的な野心家な面もあり(-ω-;)ただ個人的にはやはり憎めない武将です
姜維は手足を縛られた状態で北伐させられたからなー長安を落とせたかはともかく、蜀が国の方針を北伐反対と推進派で分裂していて統一できていなかったのは痛かった。
攻め方を限定されて後方支援もなく部下はみんな逆らうし優秀なだけに可哀想だな北伐しない蜀とか存在意義が疑われるのに
三国志で一番好きな将です。
Reimu Chan, Marisa Chan, thank you for this " San go Ku shi" segments. Is it possible to add " Sui ko den" too??? This is my joy and fun to see your you tube "San go ku shi", but I am also interested in Chinese story of " Sui ko den" too.
演義と正史では描かれ方が結構ちがいますね。正史で頭角を現したのは、孔明の死後楊儀に協力して魏延を撃ち滅ぼすことで、おそらく魏延の持っていた権益を奪って後釜に座ってからです。個人的には、曹爽の大軍の侵攻を防ぎきった漢中の要塞陣地を片端から撤去してしまったことが蜀の滅亡を早めたと考えているので、名将とはいえないのではないかと思います。
姜維が頭角を現したのは楊儀・費イに協力して魏延を撃ち滅ぼし、魏延の権益を奪ったからと云うか、その功績で当時の政治のトップで姜維と同じ北伐推進派の蒋エンから抜擢された事が大きい。馬岱や王平も同じ理由で蒋エンに抜擢されてるし。この時点で飼い殺しにされた楊儀との立場が逆転し、楊儀は粛清されてしまう。馬岱も魏を攻めて敗北し粛清された。
改めて勉強できました👍
諸葛亮→姜維ではなく諸葛亮→蒋琬→姜維と劉備の意思が引き継がれたイメージ
曹操は姜維みたいな若者が好きそう
姜維は生まれる時代が遅すぎたのが不幸だった
劉備(蜀)陣営の最高の時に間に合わなかった漢・・・でしょうか?
リクエスト聞いていただいてありがとうございます
諸葛亮は軍事と政治両方の実権を握れたけど、姜維は軍事の実権しか握れなかった。やはり荊州、益州名士が中心の蜀漢政権では涼州出身の姜維は外様に過ぎなかったのだろう。
姜維は蜀がどうなろうとも自分の名前が高まれば満足だった様に思えるんだよね。「あの、臥龍諸葛孔明すら出来なかった北伐を成功させた麒麟児姜維」そう言われたかったんじゃないか?
関羽、張飛、趙雲の替わりはできたかもしれない逸材ではあるんだけどあまりにも戦略眼が無さ過ぎたと思う。
いつも思うけどこの時代でも張翼だの廖化だの人が変わってなさすぎるの笑うしかない
『西蜀に大将無く、廖化を先鋒と為す』なんていう演義由来の割と酷い諺がありますが、諺通りの意味じゃなくても『まだ張翼や廖化を現役で使わなきゃならないのかよ』っていうのは確かにありますね。曲がりなりにも独立できた劉備世代が奇跡みたいなもので、蜀漢はマジで人材不足なんだなぁと思わされますね。
二人とももうおじいちゃんなんだよなぁ。彼らすら採用せざるを得ない程蜀は悲惨だったんだろう…
後世の評価が分かれる人物ですね。個人的にはもうちょっと内政に目を向けて、北伐のタイミングを図ったら良かったように思いますが、結果を知っているからそう思うだけなのかも。
涼州人で魏からの投降組でもある彼には、益州における政治的基盤はほぼなかったでしょう。もともと内政面の能力は高くなかったかもしれませんが、内政で頑張るのは難しかったと思います。
姜維が諸葛の後継者扱いされるのは違うと思う。あくまで蒋琬と費禕が後事を託されたのであって、しかも蒋琬の次が費禕なのは実に意味深だ。蒋琬で無理なら、北伐は一旦、棚上げしろともとれる人選だからだ。とは言え、姜維が実権を握った頃、第二世代に文には張休、顧譚、武には朱績、朱異くらいの人材が少なすぎるから、苦労したろう。蒋琬の頃は費禕や姜維が補佐すれば良い。しかし彼らの頃は、一体誰が補佐するのだろう?歴史として知る我々が思い至る難題を諸葛亮はわかっていたのかもなぁ
魏延と楊儀ダブルで始末するように仕向けた感じなのも蒋琬や費禕、董允(姜維や劉禅らも含む)では到底この二人の揉めを完全に仲裁できず必ず北伐の最中で爆発するみたいな危険予知もあったのかもね・・・
姜維はもし蜀の諸葛亮の後釜でなければ大成したかも知れない。と言うのは諸葛亮の後釜である事はすなわち北伐の宿命を背負う義務が生じるから。仮に孔明の死後、「丞相でも出来なかった北伐が私たちに出来るはずがない。ここは国力を蓄えて次世代に備えよう。」という発想に転じていたなら違う歴史だったかも知れない。姜維だって北伐が無ければ朝廷内で孤立する事もなく、内政官と折り合いを付けて3国体制を維持し続ける事も出来たのではないか?内政も軍事も一人で出来た諸葛亮が異常過ぎるだけで、姜維も優秀ではあるが諸葛亮には遠く及ぶものではない。それを認められないプライドと過信が結局姜維のクビを締めたのだと思う。
降将で派閥の後ろ盾もない姜維がなんで大将軍にまでなれたか。それはおそらく姜維しかいなかったというより、北伐という無理難題の国是がある以上、それを誰に押し付けるかという問題が出てくる。つまり最初から北伐によって魏を滅ぼすことなんてできるとは誰も思ってない。しかし北伐は国是。だからその責任を負うことが前提だった。派閥側の人間からすれば敗北の責任を負うことも含めての大将軍であって、その能力とか実績の結果としての役職ではなかったと思う。
結局蜀という地から大人物が全く出てこなかったよね。全部劉備が引き連れてきて、後も外部から流れてきた人ばかりが活躍している気がする。
本当に産まれたのが遅すぎた武将。もっと早く生まれて戦場に出ていれば魏だろうが蜀だろうが絶対にイイ活躍をしてた
「幼いころから母親と二人暮らしで相当貧しい生活を強いられた」のと、「地元の名士で父親を亡くしても農業をせずに生活できる豪族」って矛盾してない?
日本と違って、中国では名士=士大夫は汗仕事、手足が汚れる仕事をしてはならない。晴耕雨読の生活と言っても、実際に畑を耕すのは下人や召使いであり、名士自身はしてはならない。張飛や魏延が名士から嫌われたのは、彼らが下人の身分だから。朝鮮の身分制度が分かりやすいけど、あれは元々儒教から来てる。姜維は名士だが、父がいないために収入が無いので貧しい生活を強いられた。しかし、いくら貧しくても自らが汗仕事をした瞬間に、名士で無くなり下人の身分に落ちる。この意味を日本人の感覚で読んでも絶対に理解できない。曹操がこういう儒者の価値観を嫌った結果生まれたのが、求賢令である。
ぼんやりとだけど分かった気がします「地元の名士で父親を亡くしても農業をせずに生活できる豪族」というのは、下人は当然しなければならない農作業をせずにいられる(することを倫理的に禁じられた)身分であったということしたがって名士ではあるけれど俸給は無く、それを補充するための農作業も身分的にできなかったから「幼いころから母親と二人暮らしで相当貧しい生活を強いられた」ということって感じですかね?
廖化ずっといるよな。北伐の頃はじじい過ぎない?
やっぱ姜維好きだなあ
賛否両論あるが、名将であることには変わりない。横山三国志六十巻での魏へ降伏する際の嘆きが忘れられない。
北伐のし過ぎで逆に滅亡を早めたんじゃ
実際魏が蜀討伐を始めた原因に、段谷の戦いで蜀軍が壊滅したからってのもあるよね
旧蒋琬派=姜維派は、侍中や黄門令などの皇帝側近の連中と折り合いが悪かったのが致命的。後漢末は宦官vs外戚だったけど、黄皓と諸葛瞻が交友関係にあって、尚書組に張遵が混じってたという事は、蜀漢末は宦官と外戚勢力が手を結んでいたという事。録尚書事の肩書一つでは……。
魏が100なら蜀は10というミリタリーバランスだもんな呉は40から50のレベルかな?
姜維が優秀で歴史に名を残したのは魏にいなかったからってのはなんか不思議ですね。確かに魏にいても司馬懿、司馬昭が姜維のポジションをとっていましたし人材が豊富なので軍事面でいえば出世が難しかったといえますね。(機会がない)そういった点でも人材不足な蜀で輝いたのは運がよかったともいえる。大企業ではただの平社員でも、中小企業ではエリートとして扱われるのと同じですね。
姜維は蜀を荒廃させたという評価もありますが、それは以前から決まっていたことだと思う。もう後がない中で何度も遠征したことは仕方なかったとも言える。国力がどんどん落ちる未来しかないのであれば待っていてもどんどん弱まるだけ。それなら一発出ていくことは悪くないと思う。
馬謖に向けていた偏愛を感じる
昔、横山三国志を初めて読んだときに『州』のトップは『太守』だと思っていた。が、かの島田紳助主演の人形劇三国志で『州』のトップは『刺史』と紹介された――そこらへんはどうなっているのか教えてほしい
「太守」は郡の長官で、「刺史」は州の長官。各州に置かれた行政単位が郡だったので「州のトップは刺史」が正しい。元々、刺史は監察官に過ぎず俸禄も太守より低かったけど、「それでは不都合」と前漢末に州の長官に改められた。
ありがとうございました
霊帝の時代に州の長官は兵権を与えられて「牧」と改称されていますね。
蜀の民は宗教を守る民で神様よりも信仰が厚いとある。姜維は先に帰ると話すと帰ったのだ。俺は苦手を治すのだ!と話すと苦手を克服して見せた。
姜維は現代風に解釈すると、ヘッドハンティングされた人物が財務状況を鑑みず、新規プロジェクトを立ち上げてはことごとく失敗、遂には会社を倒産させてしまう… という感じではあります。でも、私は姜維が好きですし、名将だと思います。姜維の立場からしたら、北伐以外の選択肢は無い(諸葛亮への敬慕の念・蜀からしたらよそ者で、地盤も無い事など)状態で、軍事に専念した結果の事。(蜀の人民には気の毒な面はありますが)ゲームと違って、小国が大国に勝つ事など、ほぼ無理な事ですし、いずれジリ貧になって蜀は滅ぼされたでしょうから、ずば抜けた才能を持った人物がなんとかしたい!と思うだろうな、というのは、凡人の私でも考えられるからです。結果的には失敗で終わったけれども、義に生き、義に殉じた姜維が三国志の後半にいたからこそ、三国志が未来永劫好まれる物語になるのだと感じました!
この人は諸葛亮に忠義が向いている気がする。まるで拾ってもらった恩を返さんと言わんばかりの働きぶり(他人からみれば無茶だし迷惑だったかもしれないが)。諸葛亮は彼の評価するのにあたって趙雲でもなければ魏延でもなく馬良と言った。これは姜維の羌族へのつながりを重視していたのではないか。諸葛亮はどちらかといえば外交を重視していたのかもしれない。
こうして考えて見ると姜維は、蜀漢政権にあって軍事と外交に優れていたのでしょうね。そして孔明への思いは「士は己を知る者のために死す」という精神。これは孔明が玄徳に対して抱いていた思いと重なるように思えます。
@@saburiryu28go さん。諸葛亮って武将に対して評価を下した例は関羽に対して言った「髭殿には及ばない」って話と姜維に対して言った「馬良以上の人材」と言ったことくらいに思えるのです(文官に対しての評価は良く聞くのですが)。そう考えると諸葛亮は蜀の勢力ではいくら武に富む人材が居たとしても多勢に無勢で後々力尽きるとわかっていたからこそ外交面や内政に力を注いできたのかなって最近思ってます。姜維は武力もあって羌族とのつながりもあるとしたら馬良の上位互換という評価は正しいとも思える。強いて彼の悪い点(というか不幸)を上げるなら生まれて来るのが遅すぎたことだと思う。それこそ無双2みたいに長坂が初陣で蜀に仕えていたら多分評価は変わっていたはず。仮に曹操の目に止まっていたら異民族の仲を取り持つために重用されていたかもしれません。
@@島悟-o3u さん。姜維の初陣が長坂の戦いあたりだと孔明と年齢が近くなり、ほぼ対等の立場でお互い異なった専門分野での連携が計れそうですよね。一方、鄧艾は、荊州義陽郡出身という事は、おそらく新野あたりなので生年によっては、玄徳が雌伏していた時期に幼少期を近場で過ごしていた事になります。ある姜維を主人公にした小説において、鄧艾が不仲である鍾会よりも姜維に共感を寄せる描写がありました。それを読みながら、鄧艾が蜀漢にいたらどうなっていたかなどと考えてしまいました。
@@saburiryu28go さん。トウ艾って荊州出身だったですね、初耳です。張飛や魏延、法正といったクセのある人材を使える劉備ならば多分コミュ症(疑惑だが)のトウ艾でも使えそうですね。問題は諸葛亮がどう思うか・・・・。姜維とはなんとなく馬が合いそうですね(笑)。
もう少し内側に目を向けてたらまた違った結果になったかもな
武人としての意地と気質、能力は正直申し分ないと思う自分はどうも好きになれない、蜀という枠組みにあまり興味がないように感じる。諸葛亮亡き後の蜀のギリギリ感が好きな自分はもどかしく思える(劉禅は諦めてます)魏から蜀に来たもんだから魏に降っても後がなく、何よりプライドが許さないが故最後まで抵抗してたのでは?というのはちょっと穿ち過ぎかな。勝頼っていうより山中鹿之助かなぁ。
自ら進んで泥舟に乗ったイメージ
無双4の頃の姜維は好きだったけど、今はうーんって感じ。無双シリーズでの描き方のせいかもしれないけど、蜀全体が玄徳教の信徒って雰囲気で、諸葛亮がその教祖、その中でも姜維は彼に狂信している人っていうのが今のイメージ。
能力はともかく志は認めてる
姜維も孔明も準備不足で機をみることなく攻撃してる漢字がするなせっかちが過ぎないか
早かれ遅かれ蜀は滅亡してたからなあ。北伐は致し方ないんじゃないかと。
姜維は狙ったのだ。出世を狙い策略に自信があり、武芸の達人の異名がある。俺は神にも詳しいが卑怯は嫌だとある。呂蒙は俺だが姜維は、ある日、突然呂蒙の夢を見た。俺の荊州から呂蒙の品を運ばせたのだろう。こころざしに触れ姜維は自分を磨いたとある。彼は孫呉の孫権だと分かるぞ!と本懐にある。おそらく私は福原を殺したのだろうと言われた。姜維は俺に似てるが、俺は外に帰らなくてはとこころざしがあるが姜維には分からなかった。そして蜀に白起の二の舞が起きたから怖い。姜維は逃走の最中にどうしよ完敗だとある。これを歴史の追体験させられるのが神様だ。そして恐ろしい完敗とはヨーロッパなのか?俺は負けたことはない。むしろ圧勝なのだが?これは神秘主義もわからない外の民が悪い。
ーコメ姜維だ!姜維が生まれた年は衰紹が亡くなっています。
実は孔明は彼を後継者と任命しなかったらしい。使命感は強かったが、度重なる遠征のために防衛拠点の人間まで使ってしまい、後に、魏の鐘桧?たちが遠征に来た時に防衛出来なかった。単なる使命感だけでは国を守れない
定員じゃなくて店員ですね。
弱小国が強国に挑むことに無理があった魏が慢心して内政が悪くなっていたならともかく蜀の滅亡を早めたのは北伐の意思を捨てなかった孔明の責任でもある
絶対北伐するマンは登場が遅すぎた勇将というイメージ。
分かりやすく地図も付けていただけますか?
3年連続(3)は草
もっと早く生まれてたらな😭
いやいや。姜維がいなければ蜀なんかもっともーーっとはやく潰されてるよそれくらい蜀の中じゃ別格の武将腐っていたのは内政の方ですよ
子龙第一
リョウカの言う事は一理あるけど、じゃあ蜀軍大幹部のお前は今までナニしてたんだって言う。
費禕の意見だけは絶対間違ってると思う。
姜維の生涯を見ると、どうしても諸葛亮の影が見えて哀愁の情に耽りますよねぇ。諸葛武侯の遺志を継ぎ、死ぬまで諦めなかった漢の忠烈な臣。これぞわたしの姜維に対する評価よ。
「三国を彩る最後の英雄」
であることは間違いない。
やってる事は正しいかは分からないけど生き様としては最高に格好いい男ですね。
あと姜維を支え続けた陳祇をいつか取り上げて欲しいです
天水の麒麟児!
横山先生が描いた白頭巾姿が好きですね。
そもそも蜀の国力が終わってるからな。生き残るには北伐で逆転するしかない。たまたま姜維がババ引いたって感じもする
馬謖がやらかしたのが本当に痛かったなあ
ほんま戦犯ですなぁ、、あれが魏を倒す最後のチャンスぽく思えますね。
それよりも関羽のやらかしの方が大きい
荊州を押さえてたら北伐ルートにこだわらなくてもよかった
@@イシダヤスユキ-c6w
馬謖馬謖と言われるけれど、関羽劉備諸葛亮姜維も相当なんだよなぁ
実際最適解は
荊州で余計なケンカなんかせずに街亭の戦いなんかしない
夷陵で余計なケンカなんかせず、もう荊州一部やるから帰ってっていわれてんだからさっさと帰って街亭の戦いなんかしない
仮に上2回やらかしていたとしても、それでも北伐なんかしないで街亭の戦いなんかしない
そも馬謖は所詮現場指揮官でしかないんで…
ホウ統が死んだ時点で詰んでたのかもしれん
@@ny5037 煽りとかじゃないんだけど、夷陵の戦いの時に荊州返すから帰ってくれっていうのはどこに書いてある??探しても見つからないんだよね。諸葛瑾の降伏の文書は呉書の誰かの所にあったけどそこには書いてなかったし。
もし姜維が居なければ、蜀はもっと早く滅亡してたと思う。戦いに明け暮れ過ぎて、蜀の国力弱めたけど、戦って蜀を守ってたと思う。姜維が厄介やから魏もなかなか攻め込められ無かったと思う。自分は大好きな武将です。
ほんとにそうかは微妙なところなんですけどね。魏は基本的に蜀に興味がないので北伐しなかったらかなり後まで見逃されてた可能性もあると思いますよ。蜀はド田舎なので取っても旨味がないんですね。
やっぱ魏延殺すべきではなかったよなぁ・・・
なんなら魏延に全部丸投げで魏に向かわせたらよかったのにっていつも思うよ
魏延だったら国力差を顧みずにギャンブル的な軍事行動を起こす。大勝する可能性もあるがそれよりはるかに大きな確率で大敗する。
そうでなくとも諸葛亮が上手に内政と軍事のバランスに細心の注意を払っていたが、魏延が軍事の実権を握れば国政は軍事に全面的に傾くことになり、226事件以降の大日本帝国さながらの軍閥化が起こる。ましてあれだけ性格が歪んで、なおかつ人徳がなさ過ぎて蜀国内で徹底的に嫌われてた魏延を大将軍として利用していたのは諸葛亮が上手にコントロールしていたならばこそうまくいってたわけで、諸葛亮が死んだらあとは誰にも制御できなくなる。蜀そのものが崩壊するか、軍事クーデターを起こした魏延が最終的に味方の裏切りで死ぬだけだろう。そのあとの蜀はもはや滅亡のカウントダウンだ。
@@Fahrenheit76 そんな事はわかってるよ。でも結局蜀が滅亡してる時点で諸葛亮のやり方では魏を滅ぼす事はできなかった。ならワンチャンかけて魏延に託すのも一つだと思ったまでだよ。
@@munmunmunmunmun 分かりますw魏延ルート見てみたい
横山三国志の61巻を読んでみたかったなぁ…。
小学2年の時に、ドラクエ3で勇者の名前を"きょうい"と付けるぐらい姜維が好きでした。
そんな武将の詳細が知れて良かったです。
ちなみに魔法使いは鄧芝で、それを見た兄に爆笑されました。
??「爆破だ!!」
小2で三国志読んでる事に驚いてる
小学二年生で中々濃いな
もし劉備が生きていたら姜維をどのように活かしていたのかな?
二人が出会ってほしかった!
劉備は人を見る目があった。
馬謖を高く評価する孔明に、馬謖に大事な仕事をさせてはならないと言っていた。
確かに、劉備に姜維を評価させてみたかったな。
多分がらりと人生変わったかも。決して無能ではないし。
もしかしたら荊州の守備にまわされるかもしれない。
馬謖の様にこいつに大権を任せるのはあかんと言ったと思いますね。
宰相の意思を継ぎ、力及ばずとも国賊に降る事無く国と命運を共にしたから後世で忠臣扱いされてますが
孔明亡き後は分相応以上の事をやって空回りしている無能な働き者な感じがありますね…。
駒として動かす一武将としては優だが、大権を任せてはいけない人物と評する様な気がします。
姜維は武田勝頼にちょっと似てるんですよね
武田勝頼も甲斐の人にしてみればよそ者であり、配下の掌握に非常に苦労している、
勇猛さは前任者以上と言われるも、その人となりは実は物静かで、書物を愛する人物だった
一時は蜀漢の最大領分を得たけれど、滅亡にブレーキを掛けることはできなかった。内政をおろそかにした、というより根っからの軍人だったんだろうな。
ほかの方がおっしゃる通り、もっと早く産まれていたら違った生涯があったのかも。
なんか武田勝頼に怖いほど類似してるなぁ勝頼はこの人の生まれ変わりなんじゃ
段谷の戦=長篠の合戦、前任者の大きさに押しつぶされる。最後には裏切りで死ぬ。いろんな視点で共通するものはあるなあ。
骨の髄まで真の武人だった姜維。ただその武運はあまりにも薄命だった。
姜維が有能だったのは確かだけど名将とは言い難いな。
とは言っても選択肢がそもそも限られていた状況であったから、こうする以外になかったというのはあるんだろうけど。
評価が難しい武将ですね。
劉禅が降伏して以降も孤軍奮闘して蜀を再興させる気概を見せるなど愛国心の強い生真面目な部分好きではありますが、周りが見えず、自分の得意分野で功績を上げたいのが見え見えの自己中心的な野心家な面もあり(-ω-;)ただ個人的にはやはり憎めない武将です
姜維は手足を縛られた状態で北伐させられたからなー長安を落とせたかはともかく、蜀が国の方針を北伐反対と推進派で分裂していて統一できていなかったのは痛かった。
攻め方を限定されて後方支援もなく部下はみんな逆らうし
優秀なだけに可哀想だな北伐しない蜀とか存在意義が疑われるのに
三国志で一番好きな将です。
Reimu Chan, Marisa Chan, thank you for this " San go Ku shi" segments. Is it possible to add " Sui ko den" too??? This is my joy and fun to see your you tube "San go ku shi", but I am also interested in Chinese story of " Sui ko den" too.
演義と正史では描かれ方が結構ちがいますね。
正史で頭角を現したのは、孔明の死後楊儀に協力して魏延を撃ち滅ぼすことで、おそらく魏延の持っていた権益を奪って後釜に座ってからです。
個人的には、曹爽の大軍の侵攻を防ぎきった漢中の要塞陣地を片端から撤去してしまったことが蜀の滅亡を早めたと考えているので、名将とはいえないのではないかと思います。
姜維が頭角を現したのは楊儀・費イに協力して魏延を撃ち滅ぼし、魏延の権益を奪ったからと云うか、その功績で当時の政治のトップで姜維と同じ北伐推進派の蒋エンから抜擢された事が大きい。馬岱や王平も同じ理由で蒋エンに抜擢されてるし。この時点で飼い殺しにされた楊儀との立場が逆転し、楊儀は粛清されてしまう。馬岱も魏を攻めて敗北し粛清された。
改めて勉強できました👍
諸葛亮→姜維ではなく
諸葛亮→蒋琬→姜維と劉備の意思が引き継がれたイメージ
曹操は姜維みたいな若者が好きそう
姜維は生まれる時代が遅すぎたのが不幸だった
劉備(蜀)陣営の最高の時に間に合わなかった漢・・・でしょうか?
リクエスト聞いていただいてありがとうございます
諸葛亮は軍事と政治両方の実権を握れたけど、姜維は軍事の実権しか握れなかった。やはり荊州、益州名士が中心の蜀漢政権では涼州出身の姜維は外様に過ぎなかったのだろう。
姜維は蜀がどうなろうとも自分の名前が高まれば満足だった様に思えるんだよね。
「あの、臥龍諸葛孔明すら出来なかった北伐を成功させた麒麟児姜維」
そう言われたかったんじゃないか?
関羽、張飛、趙雲の替わりはできたかもしれない逸材ではあるんだけど
あまりにも戦略眼が無さ過ぎたと思う。
いつも思うけど
この時代でも張翼だの廖化だの
人が変わってなさすぎるの笑うしかない
『西蜀に大将無く、廖化を先鋒と為す』なんていう演義由来の割と酷い諺がありますが、諺通りの意味じゃなくても『まだ張翼や廖化を現役で使わなきゃならないのかよ』っていうのは確かにありますね。
曲がりなりにも独立できた劉備世代が奇跡みたいなもので、蜀漢はマジで人材不足なんだなぁと思わされますね。
二人とももうおじいちゃんなんだよなぁ。彼らすら採用せざるを得ない程蜀は悲惨だったんだろう…
後世の評価が分かれる人物ですね。
個人的にはもうちょっと内政に目を向けて、北伐のタイミングを図ったら良かったように思いますが、結果を知っているからそう思うだけなのかも。
涼州人で魏からの投降組でもある彼には、益州における政治的基盤はほぼなかったでしょう。
もともと内政面の能力は高くなかったかもしれませんが、内政で頑張るのは難しかったと思います。
姜維が諸葛の後継者扱いされるのは違うと思う。
あくまで蒋琬と費禕が後事を託されたのであって、しかも蒋琬の次が費禕なのは実に意味深だ。
蒋琬で無理なら、北伐は一旦、棚上げしろともとれる人選だからだ。
とは言え、姜維が実権を握った頃、第二世代に文には張休、顧譚、武には朱績、朱異くらいの人材が少なすぎるから、苦労したろう。蒋琬の頃は費禕や姜維が補佐すれば良い。しかし彼らの頃は、一体誰が補佐するのだろう?歴史として知る我々が思い至る難題を諸葛亮はわかっていたのかもなぁ
魏延と楊儀ダブルで始末するように仕向けた感じなのも蒋琬や費禕、董允(姜維や劉禅らも含む)では到底この二人の揉めを完全に仲裁できず必ず北伐の最中で爆発するみたいな危険予知もあったのかもね・・・
姜維はもし蜀の諸葛亮の後釜でなければ大成したかも知れない。と言うのは諸葛亮の後釜である事はすなわち北伐の宿命を背負う義務が生じるから。仮に孔明の死後、「丞相でも出来なかった北伐が私たちに出来るはずがない。ここは国力を蓄えて次世代に備えよう。」という発想に転じていたなら違う歴史だったかも知れない。姜維だって北伐が無ければ朝廷内で孤立する事もなく、内政官と折り合いを付けて3国体制を維持し続ける事も出来たのではないか?内政も軍事も一人で出来た諸葛亮が異常過ぎるだけで、姜維も優秀ではあるが諸葛亮には遠く及ぶものではない。それを認められないプライドと過信が結局姜維のクビを締めたのだと思う。
降将で派閥の後ろ盾もない姜維がなんで大将軍にまでなれたか。それはおそらく姜維しかいなかったというより、北伐という無理難題の国是がある以上、それを誰に押し付けるかという問題が出てくる。つまり最初から北伐によって魏を滅ぼすことなんてできるとは誰も思ってない。しかし北伐は国是。だからその責任を負うことが前提だった。派閥側の人間からすれば敗北の責任を負うことも含めての大将軍であって、その能力とか実績の結果としての役職ではなかったと思う。
結局蜀という地から大人物が全く出てこなかったよね。全部劉備が引き連れてきて、後も外部から流れてきた人ばかりが活躍している気がする。
本当に産まれたのが遅すぎた武将。
もっと早く生まれて戦場に出ていれば魏だろうが蜀だろうが絶対にイイ活躍をしてた
「幼いころから母親と二人暮らしで相当貧しい生活を強いられた」のと、「地元の名士で父親を亡くしても農業をせずに生活できる豪族」って矛盾してない?
日本と違って、中国では名士=士大夫は汗仕事、手足が汚れる仕事をしてはならない。
晴耕雨読の生活と言っても、実際に畑を耕すのは下人や召使いであり、名士自身はしてはならない。
張飛や魏延が名士から嫌われたのは、彼らが下人の身分だから。
朝鮮の身分制度が分かりやすいけど、あれは元々儒教から来てる。
姜維は名士だが、父がいないために収入が無いので貧しい生活を強いられた。
しかし、いくら貧しくても自らが汗仕事をした瞬間に、名士で無くなり下人の身分に落ちる。
この意味を日本人の感覚で読んでも絶対に理解できない。
曹操がこういう儒者の価値観を嫌った結果生まれたのが、求賢令である。
ぼんやりとだけど分かった気がします
「地元の名士で父親を亡くしても農業をせずに生活できる豪族」というのは、下人は当然しなければならない農作業をせずにいられる(することを倫理的に禁じられた)身分であったということ
したがって名士ではあるけれど俸給は無く、それを補充するための農作業も身分的にできなかったから「幼いころから母親と二人暮らしで相当貧しい生活を強いられた」ということ
って感じですかね?
廖化ずっといるよな。北伐の頃はじじい過ぎない?
やっぱ姜維好きだなあ
賛否両論あるが、名将であることには変わりない。
横山三国志六十巻での魏へ降伏する際の嘆きが忘れられない。
北伐のし過ぎで逆に滅亡を早めたんじゃ
実際魏が蜀討伐を始めた原因に、段谷の戦いで蜀軍が壊滅したからってのもあるよね
旧蒋琬派=姜維派は、侍中や黄門令などの皇帝側近の連中と折り合いが悪かったのが致命的。
後漢末は宦官vs外戚だったけど、黄皓と諸葛瞻が交友関係にあって、尚書組に張遵が混じってたという事は、蜀漢末は宦官と外戚勢力が手を結んでいたという事。録尚書事の肩書一つでは……。
魏が100なら蜀は10というミリタリーバランスだもんな
呉は40から50のレベルかな?
姜維が優秀で歴史に名を残したのは魏にいなかったからってのはなんか不思議ですね。
確かに魏にいても司馬懿、司馬昭が姜維のポジションをとっていましたし人材が豊富なので軍事面でいえば出世が難しかったといえますね。(機会がない)
そういった点でも人材不足な蜀で輝いたのは運がよかったともいえる。大企業ではただの平社員でも、中小企業ではエリートとして扱われるのと同じですね。
姜維は蜀を荒廃させたという評価もありますが、それは以前から決まっていたことだと思う。
もう後がない中で何度も遠征したことは仕方なかったとも言える。
国力がどんどん落ちる未来しかないのであれば待っていてもどんどん弱まるだけ。
それなら一発出ていくことは悪くないと思う。
馬謖に向けていた偏愛を感じる
昔、横山三国志を初めて読んだときに『州』のトップは『太守』だと思っていた。が、かの島田紳助主演の人形劇三国志で『州』のトップは『刺史』と紹介された――そこらへんはどうなっているのか教えてほしい
「太守」は郡の長官で、「刺史」は州の長官。各州に置かれた行政単位が郡だったので「州のトップは刺史」が正しい。
元々、刺史は監察官に過ぎず俸禄も太守より低かったけど、「それでは不都合」と前漢末に州の長官に改められた。
ありがとうございました
霊帝の時代に州の長官は兵権を与えられて「牧」と改称されていますね。
蜀の民は宗教を守る民で神様よりも信仰が厚いとある。姜維は先に帰ると話すと帰ったのだ。俺は苦手を治すのだ!と話すと苦手を克服して見せた。
姜維は現代風に解釈すると、ヘッドハンティングされた人物が財務状況を鑑みず、新規プロジェクトを立ち上げてはことごとく失敗、遂には会社を倒産させてしまう… という感じではあります。
でも、私は姜維が好きですし、名将だと思います。
姜維の立場からしたら、北伐以外の選択肢は無い(諸葛亮への敬慕の念・蜀からしたらよそ者で、地盤も無い事など)状態で、軍事に専念した結果の事。
(蜀の人民には気の毒な面はありますが)
ゲームと違って、小国が大国に勝つ事など、ほぼ無理な事ですし、いずれジリ貧になって蜀は滅ぼされたでしょうから、ずば抜けた才能を持った人物がなんとかしたい!と思うだろうな、というのは、凡人の私でも考えられるからです。
結果的には失敗で終わったけれども、義に生き、義に殉じた姜維が三国志の後半にいたからこそ、三国志が未来永劫好まれる物語になるのだと感じました!
この人は諸葛亮に忠義が向いている気がする。まるで拾ってもらった恩を返さんと言わんばかりの働きぶり(他人からみれば無茶だし迷惑だったかもしれないが)。
諸葛亮は彼の評価するのにあたって趙雲でもなければ魏延でもなく馬良と言った。これは姜維の羌族へのつながりを重視していたのではないか。諸葛亮はどちらかといえば外交を重視していたのかもしれない。
こうして考えて見ると姜維は、蜀漢政権にあって軍事と外交に優れていたのでしょうね。そして孔明への思いは「士は己を知る者のために死す」という精神。これは孔明が玄徳に対して抱いていた思いと重なるように思えます。
@@saburiryu28go さん。諸葛亮って武将に対して評価を下した例は関羽に対して言った「髭殿には及ばない」って話と姜維に対して言った「馬良以上の人材」と言ったことくらいに思えるのです(文官に対しての評価は良く聞くのですが)。そう考えると諸葛亮は蜀の勢力ではいくら武に富む人材が居たとしても多勢に無勢で後々力尽きるとわかっていたからこそ外交面や内政に力を注いできたのかなって最近思ってます。
姜維は武力もあって羌族とのつながりもあるとしたら馬良の上位互換という評価は正しいとも思える。
強いて彼の悪い点(というか不幸)を上げるなら生まれて来るのが遅すぎたことだと思う。それこそ無双2みたいに長坂が初陣で蜀に仕えていたら多分評価は変わっていたはず。仮に曹操の目に止まっていたら異民族の仲を取り持つために重用されていたかもしれません。
@@島悟-o3u さん。姜維の初陣が長坂の戦いあたりだと孔明と年齢が近くなり、ほぼ対等の立場でお互い異なった専門分野での連携が計れそうですよね。一方、鄧艾は、荊州義陽郡出身という事は、おそらく新野あたりなので生年によっては、玄徳が雌伏していた時期に幼少期を近場で過ごしていた事になります。ある姜維を主人公にした小説において、鄧艾が不仲である鍾会よりも姜維に共感を寄せる描写がありました。それを読みながら、鄧艾が蜀漢にいたらどうなっていたかなどと考えてしまいました。
@@saburiryu28go さん。トウ艾って荊州出身だったですね、初耳です。
張飛や魏延、法正といったクセのある人材を使える劉備ならば多分コミュ症(疑惑だが)のトウ艾でも使えそうですね。問題は諸葛亮がどう思うか・・・・。
姜維とはなんとなく馬が合いそうですね(笑)。
もう少し内側に目を向けてたらまた違った結果になったかもな
武人としての意地と気質、能力は正直申し分ないと思う
自分はどうも好きになれない、蜀という枠組みにあまり興味がないように感じる。
諸葛亮亡き後の蜀のギリギリ感が好きな自分はもどかしく思える(劉禅は諦めてます)
魏から蜀に来たもんだから魏に降っても後がなく、何よりプライドが許さないが故最後まで抵抗してたのでは?というのはちょっと穿ち過ぎかな。
勝頼っていうより山中鹿之助かなぁ。
自ら進んで泥舟に乗ったイメージ
無双4の頃の姜維は好きだったけど、今はうーんって感じ。
無双シリーズでの描き方のせいかもしれないけど、蜀全体が玄徳教の信徒って雰囲気で、諸葛亮がその教祖、その中でも姜維は彼に狂信している人っていうのが今のイメージ。
能力はともかく志は認めてる
姜維も孔明も準備不足で機をみることなく攻撃してる漢字がするな
せっかちが過ぎないか
早かれ遅かれ蜀は滅亡してたからなあ。北伐は致し方ないんじゃないかと。
姜維は狙ったのだ。出世を狙い策略に自信があり、武芸の達人の異名がある。俺は神にも詳しいが卑怯は嫌だとある。呂蒙は俺だが姜維は、ある日、突然呂蒙の夢を見た。俺の荊州から呂蒙の品を運ばせたのだろう。こころざしに触れ姜維は自分を磨いたとある。彼は孫呉の孫権だと分かるぞ!と本懐にある。おそらく私は福原を殺したのだろうと言われた。姜維は俺に似てるが、俺は外に帰らなくてはとこころざしがあるが姜維には分からなかった。そして蜀に白起の二の舞が起きたから怖い。姜維は逃走の最中にどうしよ完敗だとある。これを歴史の追体験させられるのが神様だ。そして恐ろしい完敗とはヨーロッパなのか?俺は負けたことはない。むしろ圧勝なのだが?これは神秘主義もわからない外の民が悪い。
ーコメ姜維だ!
姜維が生まれた年は衰紹が亡くなっています。
実は孔明は彼を後継者と任命しなかったらしい。
使命感は強かったが、度重なる遠征のために防衛拠点の人間まで使ってしまい、後に、魏の鐘桧?たちが遠征に来た時に防衛出来なかった。
単なる使命感だけでは国を守れない
定員じゃなくて店員ですね。
弱小国が強国に挑むことに無理があった
魏が慢心して内政が悪くなっていたならともかく
蜀の滅亡を早めたのは北伐の意思を捨てなかった孔明の責任でもある
絶対北伐するマンは登場が遅すぎた勇将というイメージ。
分かりやすく
地図も付けていただけますか?
3年連続(3)は草
もっと早く生まれてたらな😭
いやいや。姜維がいなければ蜀なんかもっともーーっとはやく潰されてるよ
それくらい蜀の中じゃ別格の武将
腐っていたのは内政の方ですよ
子龙第一
リョウカの言う事は一理あるけど、じゃあ蜀軍大幹部のお前は今までナニしてたんだって言う。
費禕の意見だけは絶対間違ってると思う。