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SNSをはじめとするインターネット上で「悪」を見つけて叩くことに夢中になっている人も、自意識が過剰な人なんだろうなと思います。哲学(特に懐疑論)を学ぶことで、世の中がいかに不確かなものなのかを知ることは、自意識の肥大化を戒め、「適度に自信を喪失させる」役に立つんじゃないかなと思っています。
宗教の意義がみえてきた
自分たちは良い時代に生きているということが再認識しました。ありがとうございました。 感謝‼
現在浪人生で受験勉強の息抜きとして見ています。大学では哲学専攻できるところに行きたいと思っているのでモチベがとても上がりますありがとうございます😭
エーリッヒ・フロムに傾倒しているのですが、『愛するということ』『生きるということ』に書いてあることとの類似点が多く見受けられました。時間ができたらラッセルの幸福論も読んでみようと思います。
努力しても結果が伴わなければ意味が無いとつい私も感じてしまいますが、努力そのものに価値があると感じる事が、本当だと気付かされますね。資本主義も勝者、敗者を決めるシステムではなく、一人々の社会への貢献が回り回って、多くの人々に幸福をもたらしたり、社会をより良くさせるシステムだったんではないかと感じます。お話し、簡潔で要点が押さえられていて、素晴らしかったです。
今朝丁度、哲学チャンネルさんの3年前のヒルティ幸福論を見直していたところでした!これから3回楽しみです!
大体モヤモヤしてる時とか考えすぎて病んでる時は「過度な自意識」なんですよね〜😅
とても分かりやすかったです😊今の小中学校の生徒に見てほしいと、強く感じました。
著者紹介含めて10分でまとめるのすごい!次回作も楽しみにしています!
いつもありがとうございます
物質的に貧しい人は不幸で当然である。幸福論から除外するあたり、なかなかに興味深い人物ですね。結婚も四回してるし、暇が有ったら、一読してみてもいいかもね。
どんな人間でも代替可能だという価値観で日々を過ごしているので過度な自意識とは無縁ですが、あまり幸福を感じません家族や友人、仕事にもその価値観を当てはめているからでしょうねどれにとっても自分が必要だとは到底思えませんから
名著を要約するにとどまらず、現代的な価値観に照らして紹介してくださるためとても分かりやすいです。素人ながら、投稿者の方が持つまさにそうした考え方の姿勢こそ、哲学の重要な一要素であると思います。勉強になります!
自意識を主観的に開放すれば、自己の尊厳が保たれる。
仕事に情熱を注げない、現代の働く人々の状況から推察すると、さまざまな課題目標が掲げられて、それに準ずるように働くなかで、現代の『幸福』をみつけることは難しい。最近、eテレの「100分de名著」でアリストテレスも取り上げられていますし、現代的にも揺さぶられる、とても興味深いテーマですね。。
自意識は、マイナスな表現。【自愛心】が強い!!典型的、私のこと!!私なんかねー、スーパーやファーストフード店で、奥さん旦那さんってフレーズ一瞬耳に入れたら【私の新未来】の出来事って、理解に変える能力が生まれつき備わってて、毎日【期待】と【希望】そして、いつも私のことばかり、新未来の欠けがいのない素晴らしい話をする!!あとは、典型的なのが、私のフルネーム下の名前●●ちゃん○○さん!即座に私のことで、私一人だけの該当者であると、場を踏める天才的才能がある!!例えば、私の気に入って府ハンドルネームとかペンネーム!あと自分で作った美しい架空といえる他者の名前!!私って、生まれ持った才能で、一瞬でも耳に自分の【あだ名】フルネーム下の名前●●ちゃん○○さんとか、自分で人から呼んで欲しいに相応しく攻略して作ったあだ名が聞こえたら【私】って本当【自愛心】から産まれたよね!!【幸せオーラ】のキモい笑顔にまでwwwそのキモい笑顔だけは、いずれ?直したいwww今は直すつもり無い!!
過度な自意識を持っては不幸になるけど、仕事によって自尊心を獲得することで幸福になれるってこと?どこまでが適度な自尊心なのかを自分で見極めるのがすごく難しくないか?結局仕事や活動って他者に認められないと成り立たない場合がほとんどだし…
多分ですけど「過度な自意識」と「自尊心」とは直線上の値の違いではなく、別直線の値だと言っているのだと思います。過度な自意識→自己と他者の間に生まれる質感自尊心→より自己に近い形で生まれる質感すなわち、世の中を見る目線をもう少し内側に調整した上で、自分を満たせみたいな話なんだと解釈してます。
@@哲学チャンネル 「自意識」「自尊心」「自己肯定感」「自己効力感」「自己中心的」あたりは、一見すると似ているようでいて違う意味だったりしますから難しいですね。
ラッセルの名付け親はJ.S.ミル(1806-1873)というのが面白いよね
昔はラッセルの文章が大学入試によく出題されていたとか。高度経済成長のころの話ですが。ノーベル文学賞も受賞し、論理的で明晰な文章の見本だったのでしょうが、今回、視聴して、エリートや知識人としての心得のような意味合いもあったのかと思いました。ポジティブに前向きに社会に関わっていこうという姿勢は、高度成長期、戦後民主主義の日本にマッチしていたのかもしれません。仕事によって自己実現をしていこうとか。ただし、一億総中流の時代には「複雑で知的で精神的な仕事」にチャレンジする勢いがあったような気もしますが、残念ながら、今の日本にその活気があるかというとかなり疑問です。生きていれば150歳、かなり昔の人だったんですね。19世紀の大英帝国の貴族の家系で生まれ育ったとすれば多少の階級意識や差別感情など当たり前でしょうから、労働階級の幸福などは眼中になく、優生思想も自然であり、むしろ婦人解放運動などは異常に進歩主義的だったんでしょう。モダンというか、近代や理性を素朴に信じられた時代の人という印象です。構造主義やポストモダンの鬱屈とは無縁で、清々しいまでのモダニスト。ただ、実存主義的な生き方ではあるような。神に頼ることなく自らの理性によって自立した個人として意思決定し行動していくといった。考えてみれば、サルトルなんかより数十年も年長なわけで、実存主義者の走りと言ってもおかしくはない。イギリスの経験論や懐疑主義、保守主義の伝統からは特異とも思えますが、数理哲学をやる前はヘーゲリアンだったというからひょっとしてそのへんの影響もあるんだろうか。没落しつつある貴族社会の中で周囲の眼や他者への威厳の必要などから自意識過剰となった不幸な状態から、数学や論理などの個人の力による「仕事」によって人生を開いていくという個人的実存的なストーリーを語っているだけのような気もしてきました。不幸の原因は「自意識過剰」と言っておきながら、仕事によって社会的評価を受けることで自己実現をはかり自尊心をもつべしという主張は、自意識過剰そのものでもあり、ヘーゲル的弁証法を思わせ、ラッセルのパラドックスとでもいえそうですが、そのポジティブな思考は、元気のない今の時代に逆に必要とされているのかもしれませんね。「仕事」とは具体的に何をさしているのか聞いてみたいところです。本人の人生からすると平和運動、反核運動とか自由主義的な教育といったかんじでしょうか。たしかに今のように日常の中に頽落して生きているよりは、充実した人生を送れるし、幸福であるといえるかもしれません。その可能性は考えてみたいと思います。
「仕事」によって人生を開いていくという個人的実存的なストーリーを語っているだけのような気も…等の感想に共感しました。勝利者にしか許されない言動を突きつけた上で、しかし勝利を求めるのは不幸の原因だ とでも言っているようなズルさすら感じます。このようなパラドックスに苦しめられてるのが、SNSが発達した現代の"評価"が可視化された社会のことなのかと思いました。そういう意味では現代に広く浸透した考え方なのかもしれません。
「幸福」について語るなら、まずは「幸福とは何か?」について語らなければならない。😊
大学で学ばないとここまで構成出来ないから、高卒とか言っているけれど、大学はしっかり出ていると思う。
高卒なんですよね…
SNSをはじめとするインターネット上で「悪」を見つけて叩くことに夢中になっている人も、自意識が過剰な人なんだろうなと思います。哲学(特に懐疑論)を学ぶことで、世の中がいかに不確かなものなのかを知ることは、自意識の肥大化を戒め、「適度に自信を喪失させる」役に立つんじゃないかなと思っています。
宗教の意義がみえてきた
自分たちは良い時代に生きているということが再認識しました。
ありがとうございました。 感謝‼
現在浪人生で受験勉強の息抜きとして見ています。大学では哲学専攻できるところに行きたいと思っているのでモチベがとても上がりますありがとうございます😭
エーリッヒ・フロムに傾倒しているのですが、『愛するということ』『生きるということ』に書いてあることとの類似点が多く見受けられました。
時間ができたらラッセルの幸福論も読んでみようと思います。
努力しても結果が伴わなければ意味が無いとつい私も感じてしまいますが、努力そのものに価値があると感じる事が、本当だと気付かされますね。資本主義も勝者、敗者を決めるシステムではなく、一人々の社会への貢献が回り回って、多くの人々に幸福をもたらしたり、社会をより良くさせるシステムだったんではないかと感じます。お話し、簡潔で要点が押さえられていて、素晴らしかったです。
今朝丁度、哲学チャンネルさんの3年前のヒルティ幸福論を見直していたところでした!
これから3回楽しみです!
大体モヤモヤしてる時とか考えすぎて病んでる時は「過度な自意識」なんですよね〜😅
とても分かりやすかったです😊今の小中学校の生徒に見てほしいと、強く感じました。
著者紹介含めて10分でまとめるのすごい!
次回作も楽しみにしています!
いつもありがとうございます
物質的に貧しい人は不幸で当然である。幸福論から除外するあたり、なかなかに興味深い人物ですね。結婚も四回してるし、暇が有ったら、一読してみてもいいかもね。
どんな人間でも代替可能だという価値観で日々を過ごしているので
過度な自意識とは無縁ですが、あまり幸福を感じません
家族や友人、仕事にもその価値観を当てはめているからでしょうね
どれにとっても自分が必要だとは到底思えませんから
名著を要約するにとどまらず、現代的な価値観に照らして紹介してくださるためとても分かりやすいです。
素人ながら、投稿者の方が持つまさにそうした考え方の姿勢こそ、哲学の重要な一要素であると思います。
勉強になります!
自意識を主観的に開放すれば、自己の尊厳が保たれる。
仕事に情熱を注げない、現代の働く人々の状況から推察すると、さまざまな課題目標が掲げられて、それに準ずるように働くなかで、現代の『幸福』をみつけることは難しい。
最近、eテレの「100分de名著」でアリストテレスも取り上げられていますし、現代的にも揺さぶられる、とても興味深いテーマですね。。
自意識は、マイナスな表現。【自愛心】が強い!!典型的、私のこと!!私なんかねー、スーパーやファーストフード店で、奥さん旦那さんってフレーズ一瞬耳に入れたら【私の新未来】の出来事って、理解に変える能力が生まれつき備わってて、毎日【期待】と【希望】そして、いつも私のことばかり、新未来の欠けがいのない素晴らしい話をする!!あとは、典型的なのが、私のフルネーム下の名前●●ちゃん○○さん!即座に私のことで、私一人だけの該当者であると、場を踏める天才的才能がある!!例えば、私の気に入って府ハンドルネームとかペンネーム!あと自分で作った美しい架空といえる他者の名前!!私って、生まれ持った才能で、一瞬でも耳に自分の【あだ名】フルネーム下の名前●●ちゃん○○さんとか、自分で人から呼んで欲しいに相応しく攻略して作ったあだ名が聞こえたら【私】って本当【自愛心】から産まれたよね!!【幸せオーラ】のキモい笑顔にまでwwwそのキモい笑顔だけは、いずれ?直したいwww今は直すつもり無い!!
過度な自意識を持っては不幸になるけど、
仕事によって自尊心を獲得することで幸福になれるってこと?
どこまでが適度な自尊心なのかを自分で見極めるのがすごく難しくないか?
結局仕事や活動って他者に認められないと成り立たない場合がほとんどだし…
多分ですけど「過度な自意識」と「自尊心」とは直線上の値の違いではなく、別直線の値だと言っているのだと思います。
過度な自意識→自己と他者の間に生まれる質感
自尊心→より自己に近い形で生まれる質感
すなわち、世の中を見る目線をもう少し内側に調整した上で、自分を満たせみたいな話なんだと解釈してます。
@@哲学チャンネル 「自意識」「自尊心」「自己肯定感」「自己効力感」「自己中心的」あたりは、一見すると似ているようでいて違う意味だったりしますから難しいですね。
ラッセルの名付け親はJ.S.ミル(1806-1873)というのが面白いよね
昔はラッセルの文章が大学入試によく出題されていたとか。高度経済成長のころの話ですが。ノーベル文学賞も受賞し、論理的で明晰な文章の見本だったのでしょうが、今回、視聴して、エリートや知識人としての心得のような意味合いもあったのかと思いました。ポジティブに前向きに社会に関わっていこうという姿勢は、高度成長期、戦後民主主義の日本にマッチしていたのかもしれません。仕事によって自己実現をしていこうとか。ただし、一億総中流の時代には「複雑で知的で精神的な仕事」にチャレンジする勢いがあったような気もしますが、残念ながら、今の日本にその活気があるかというとかなり疑問です。
生きていれば150歳、かなり昔の人だったんですね。19世紀の大英帝国の貴族の家系で生まれ育ったとすれば多少の階級意識や差別感情など当たり前でしょうから、労働階級の幸福などは眼中になく、優生思想も自然であり、むしろ婦人解放運動などは異常に進歩主義的だったんでしょう。モダンというか、近代や理性を素朴に信じられた時代の人という印象です。構造主義やポストモダンの鬱屈とは無縁で、清々しいまでのモダニスト。ただ、実存主義的な生き方ではあるような。神に頼ることなく自らの理性によって自立した個人として意思決定し行動していくといった。考えてみれば、サルトルなんかより数十年も年長なわけで、実存主義者の走りと言ってもおかしくはない。イギリスの経験論や懐疑主義、保守主義の伝統からは特異とも思えますが、数理哲学をやる前はヘーゲリアンだったというからひょっとしてそのへんの影響もあるんだろうか。
没落しつつある貴族社会の中で周囲の眼や他者への威厳の必要などから自意識過剰となった不幸な状態から、数学や論理などの個人の力による「仕事」によって人生を開いていくという個人的実存的なストーリーを語っているだけのような気もしてきました。
不幸の原因は「自意識過剰」と言っておきながら、仕事によって社会的評価を受けることで自己実現をはかり自尊心をもつべしという主張は、自意識過剰そのものでもあり、ヘーゲル的弁証法を思わせ、ラッセルのパラドックスとでもいえそうですが、そのポジティブな思考は、元気のない今の時代に逆に必要とされているのかもしれませんね。
「仕事」とは具体的に何をさしているのか聞いてみたいところです。本人の人生からすると平和運動、反核運動とか自由主義的な教育といったかんじでしょうか。
たしかに今のように日常の中に頽落して生きているよりは、充実した人生を送れるし、幸福であるといえるかもしれません。その可能性は考えてみたいと思います。
「仕事」によって人生を開いていくという個人的実存的なストーリーを語っているだけのような気も…
等の感想に共感しました。
勝利者にしか許されない言動を突きつけた上で、しかし勝利を求めるのは不幸の原因だ とでも言っているようなズルさすら感じます。
このようなパラドックスに苦しめられてるのが、SNSが発達した現代の"評価"が可視化された社会のことなのかと思いました。そういう意味では現代に広く浸透した考え方なのかもしれません。
「幸福」について語るなら、まずは「幸福とは何か?」について語らなければならない。😊
大学で学ばないとここまで構成出来ないから、高卒とか言っているけれど、大学はしっかり出ていると思う。
高卒なんですよね…