「不寛容」がもたらす悲劇『寛容論|ヴォルテール』
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- เผยแพร่เมื่อ 21 ส.ค. 2024
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□注釈と引用
*1 例えばイギリスのバーネットは、ノアの方舟における大洪水を(その出来事をまずは肯定した上で)自然科学的な法則を前提に研究していました。つまり、神的な超越した力によってそれが起こされたのではなく、自然現象としての大洪水が起こり、それを物語として受け継いだのがノアの方舟だというわけですね。これはまさに「聖書を歴史資料として位置付ける」最たる例だと思います。
*2 寛容論 ヴォルテール 斉藤 悦則 (翻訳). 第4章
*3 寛容論 ヴォルテール 斉藤 悦則 (翻訳). 第4章
*4 寛容論 ヴォルテール 斉藤 悦則 (翻訳). 第6章
ー人間の権利は、いかなるばあいにおいても自然の法に基づかなければならない。そして、自然の法と人間の権利、そのどちらにも共通する大原則、地上のどこにおいても普遍的な原則がある。それは「自分がしてほしくないことは他者にもしてはいけない」ということ。
*5 寛容論 ヴォルテール 斉藤 悦則 (翻訳). 第1章
ー何と、これは現代のできごと。哲学が多大の進歩をとげた時代のできごとなのだ。国中の、百を数えるアカデミーが民衆の啓発に努め、習俗を穏和なものにしようとしているときに起きたことなのである。それはあたかも狂信が、最近うちつづく理性の成功に憤り、理性に踏みつけられてますます激しくのたうちまわっているように見える。
*6 寛容論 ヴォルテール 斉藤 悦則 (翻訳). 第24章
□参考文献
寛容論 中公文庫 ヴォルテール 中川 信(訳)
amzn.to/4c4JRSX
寛容論 光文社古典新訳文庫 ヴォルテール 斉藤 悦則(訳)
amzn.to/4eGlFIe
哲学書簡 光文社古典新訳文庫 ヴォルテール 斉藤 悦則(訳)
amzn.to/3zcEAdl
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#寛容論
#ヴォルテール
#哲学チャンネル
今こそ、世界が寛容であってほしいと願って止みません🙏
最後の問いかけはかなり響きました。
現代社会と益々馴染めず嘆きと不満でいっぱいでしたが、それも不寛容なのかもと思ったり。
もちろん悪を肯定するわけじゃないけど、ただ嘆くのではなく出来ることをしようと思いました。
最後の問いかけはまさに今の世界への問いかけと感じる。この問はずっと繰り返されてきたんだなと。ずっと同じことを繰り返してしまうのかと。
わかりやすかったです!ありがとう❤
西洋哲学、西洋思想史の中でも重要な人物なのに
あまり注目されていないと感じていましたが、
この「不寛容」についての解説動画が諸哲学を紹介する日本語のコミュニティーにおいて
貴重な存在であることは確かになっていると思います。
うぽつです
フランス啓蒙思想自体が,重要だけど注目されない傾向にありますよね。
ヴォルテールがいなければ,イギリス経験論がフランスに輸入されることはなかったかもしれませんし,それ以降のフランス啓蒙,観念学派,フランス・スピリチュアリスムの系譜を考えると,ヴォルテールは,とても重要な啓蒙の切り込み隊長なんですけどね。
モンテーニュからベルクソンまで(その先も)フランスはずっとつながっているんですけどね。
東洋では二千年以上も前に「己の欲せざるところ、人に施すこと勿れ」と孔子さんが言っているのにちょっとヴォルテールさんは今更すぎですよねえ
今もなお世界で最も影響力のある民主主義国家の元首選挙で暗殺未遂が起こる私たちの世界。経験や読書を経ながら自分で一生懸命考えて得る教養が、なぜ大切なのかと考えさせられました。いつも素敵な動画、ありがとうございます。
不寛容であることには不寛容にならなきゃいけない
自分がされてもなんとも言わない化け物のハラスメントもやめてケロ〜
哲学を語るなら、宗教、政治を避けることは出来ない。😊
自分がしてほしくないことは他者にもしてはいけない。も、不寛容である。なぜなら、自分がしてほしくないことは他者がしてほしくないことと一致しないからである。
欺瞞
他者を欺瞞と言い捨てることも欺瞞だと思います。
確かに。「してほしくない」という主観である以上は一致しないことはあると思う。だけど、「してほしい」主観が一致しないことで起こり得る悲劇と、前者の場合の起こり得る悲劇を考えたら、前者のほうが確率の意味でも程度の意味でも少ないのではないだろうか?
「自分がしてほしくない事は、他人にもしてはいけない」は、不寛容に対する不寛容だと思います。😊
カトリックが不寛容なら、プロテスタントも不寛容である。という意味です。それから、不寛容に対するなら、寛容だと思います。
私の辞書に寛容という文字はなかった。付け加えよう…。🙄
カラス事件、考えさせられますね。母親、父親が子供を愛する愛よりも、宗派を重要と判断した当時のトゥルーズの人々、寛容以前に人間性の喪失なのかなと思いました。宗教や信仰、素晴らしい事だと思いますし、信心深い方への敬意を忘れてはならないとは思いますが、時として同じ人として考えて貰いたいと感じる事があります。信仰の有る無し、濃淡は個人個人の尺度であって、他者を測る尺度ではないと感じますね。余計なお世話かもしれませんが、本の購入資金の方は大丈夫ですか、ちょっと気になりまして、かといって私は資産家などではないので、過大な期待はちょっとなんですが…。すみません、久しぶりにお話しを聞けて楽しかったです。長文すみません。
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