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「無軌道」だと常軌を逸したという悪い印象を与えるとして、「無軌条」電車に改められた、とWikipediaで解説されている。
トロリーバスは2024年11月まで日本には存在していた。大都市圏では1972年の横浜市を最後に消えたが、その前の1964年に関電トンネルで導入されており、つい先月までその系譜は続いていたといえます。日本無軌道電車の休止が1932年1月だがその年の4月に京都市で導入がされており、日本で消えていた期間はわずか3か月と思われ(京都市のは山陰本線とのクロス問題があったので路面電車ではなくトロリーバスになった)。
都市交通機関としては日本で最初の京都市営トロリーバスは、開業時は万全を期すためにイギリスのガイ・モータース製とイングリッシュ・エレクトリック製の輸入車を導入しました(なおこれと同一形式と思われる車両は、イギリスの保存鉄道で動態保存されています)。タイヤは後輪ダブルの6輪空気入りタイヤでした。当初は四条大宮〜西大路四条までで、のちに松尾橋まで市電の梅津線をトロリーバス転換しました。(鉄道史料132・136参照)
ちなみにガイ・モータスの車体は木骨に板を貼り、さらにアルミニューム板と同目板を木ねじ止めし、ステップと窓保護棒はジュラルミン製だったそうです。あと価格はガイ・モータース製が22,400(26,252,800)円、イングリッシュ・エレクトリック製が24,500(28,714,000)円、ちなみに国産車が7,500(8,790,000)円だったそうです。カッコ内は日銀の企業間物価指数を使って、当時からどのくらい物価が上がったかを計算してから、当時の価格を現在の価格に換算したもの。
花屋敷と京都市営の間に、養老電気鉄道が養老駅前から養老乃瀧までトロリーバスを計画して建設許可まで取得していましたが、地元と一悶着があった末に、養老電気鉄道が伊勢電気鉄道と合併し事業の見直しもあって、のちに建設許可を返上してます。(鉄道史料131)
関西電力専用線にもトロリーバスが使われたが、電気バスに置き換わった。
トロリーバスといばアルペンルートを思い出す。
立山黒部貫光のは最初はディーゼルバスでした。
立山黒部アルペンルートのトロリーバスは先月末で廃止されてしまったぜ。😢日本における最後のトロリーバスだったぜ。
他の方も書かれているとおり、むしろ1950年代~60年代まで主に大都市(市営)でトロリーバスは運行されていました。この動画では「日本無軌道」が4年で失敗した話のみの紹介ですが、他のトロリーは15年以上運行されていたものも多くあります。戦後まで残ったものは別の要因で廃止になっています。日本のトロリーバスは「日本無軌道」が4年で失敗して終わったのではありません。せめて戦後にも複数存在したことに言及して欲しかったと思います。誤解する方がいます。リンク↓ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%90%E3%82%B9#%E6%97%A5%E6%9C%AC
その中でももっとも長命だったと思うのが1964年から2018年まで54年間運行された黒部アルペンルートの関電トンネルのものですね。都市圏でまだトロリーバスがあった頃から令和まで運行されていました。
横浜市トロリーバスは15年経たずに廃止されました。大阪市トロリーバスは1953年から17年間走っていたが、車両は1961年まで製造されていたから製造から10年経たずに廃車となった車両もありました
黒部ダムからの立山黒部貫光線は今月1日まで現役でしたよ令和最後の2路線廃止は車両、設備が老朽化しトロリーバス維持よりEVバス転換の方が容易かつ低コストとの判断からです
横浜は最後まで経営が黒字で、廃止原因が路面電車と共用していた変電所が廃止されるためと聞いたことがありますね。あと京都では市電扱い、大阪市ではバス扱い、と自治体によって扱いがまちまちだったことが他社との軋轢を生んだとも聞いたことがあります。
トロリーバスとしては2番目、公共交通機関としては日本で最初に営業を開始したのは、京都市営トロリーバスで、最初に四条大宮〜西大路四条間を、のちに市電梅津線を転換して松尾橋まで延長されました。開業に際しては、英国より2社4両の50人乗り車両を輸入し開業に備えました。車両は木骨アルミニューム貼りの車体で、すべて空気チューブ入りの後輪ダブルタイヤのゴムタイヤ車両でした。空気入りタイヤのバスはこの会社の特色だったようです。のちにジャガーに買収され現在ではブリティッシュ・レイランドの一部になっています。その後の増備車は三菱電機・日本車両で製作されました。以上『電気雑誌OHM・1931年11月号』より
立山黒部アルペンルートであったが、先月末で廃止。来春から電気バスが運行される予定。
トロリーバスは都市部では、東京は1968年、横浜は1972年まで走っていました。
川崎は1967年まで…1951からなので短命になるんかなぁ。
@@205yokonaha205 トロリーバスは車両価格が高価なうえ地上設備の維持費も掛かるので概ね一回目の更新時期を迎える12から13年目で廃止になったようです。昔の横浜市電保存館で記載あり。残念ながらトロリーバスの保存は有りませんでした。
導入時はまだ路線バス車両の大型化が難しかったからって側面もあったから採用された。バスの大型化でそっちの方が免許の面でも取り回しの面でも安価なのであっさり置き換えられたともいえそうです。排気ガス問題により黒部には2路線が存在したけど、そちらも蓄電池技術の向上で置き換えめどが立ったので2024年までに消えましたね(世界的にも電気バスへの置き換えは進んでいる)。
都市部では京都は戦前、名古屋は戦中に開業し、戦後は東京、大阪、横浜、川崎にも走っていましたね。熊本や千葉、西宮などでも構想はあったそうですが実現しませんでした。東京と大阪は規模も大きく、東京は品川から渋谷、池袋、王子、三ノ輪を通って浅草と三ノ輪から亀戸を通り今井までを、大阪は阿部野橋、大阪駅から守口、杭全、神崎橋などへ路線を延ばしていました。
@@205yokonaha205大阪は1953から1970まででした
こち亀のトロバス物語も合わせて読めばわかりやすい(またはアニメ版の当該回)
あの話youtubeにもあるから見たけど、トロリーバスの補助エンジンは踏切超えのためのもので、あんな無茶苦茶スピードが出るものじゃないんだけど思う反面、秋本治氏は昔の話をよく勉強してると思う。
子供の頃上野公園に行くトロリーバスに乗ってお墓参りに行ってたけど、確か河童橋からくる都線の交差点でよくトロリ線からポールがはずれて運転手が「しばらくお待ちください」って言って車から降りて架線はめなおしてたことを思い出しました。まだ都バスがボンネットでアポロウインカーをロバの耳だと思ってた頃の話。
小さい頃、明治通りのトロリーバスに乗りました。明治通り自体が大渋滞で、乗り心地も何もなかった記憶です。サンフランシスコにもトロリーバスあります。あのマーケットストリートは、バス、トロリーバス、レトロ路面電車、地下を走るLRT(MUNI)、地下鉄(BART)が走っていて、角からはケーブルカーもあり、乗り物好きにはたまりません。
@@yakata8310 さま 品川駅〜池袋駅の102系統ですね。自分も子供の頃乗りましたが、ゴムの普通のタイヤなので乗り心地は悪くないし、信号待ちで何も音がしないので、静かでしたよ。
大阪市は1953年8月1日にトロリーバスの運行が始まりましたが、1970年6月30日に全廃されました。
昔の大阪市交通局のバスがトロリーバスだった。
車体の前後が同じプレス部品を使っていて、違和感があったのを覚えています。あと女性の車掌が載っていて、女性の雇用の関係で早朝深夜はワンマンカーになっていた記憶があります。
今ならデンチャみたいに停留所ごとにパンタ上げて集電して貯まったら降ろして発車とか出来そう
@@しゅれーでぃんがー-g5w さま 中国ではかなり前から運行されていました。停留所ごとにパンタグラフのような集電装置を上げて充電し、架線なしで走行するバスですが、最近は話を聞かないので、電気バスに転換されたのでは?
逆に、札幌には路面電車軌道を走るディーゼル軌道車がありました。見た目は路面電車なのに、電気ではなくディーゼルで走っていました。それならバスで良かったように思いまが、当時道路が舗装されていない悪路区間では有利だったようです。
立山黒部アルペンルートでつい最近まで走ってたじゃないか。
川崎市(川崎区)でもトロリーバスはありました。
現在のBRTのルートですね。車体は1台が高津で集会所として使われています。
@@N--jv3go それ解体されるらしいですよ
@@1017TOQBOX買い上げる人が出て来て、保存に向けて動き出したそうです。
そうなんよ。東京、大阪、横浜、などなど各都市で運行されていて、短期間で終了ということはないのでは?
時々立山黒部アルペンルートの写真が出てくるけど、最近まで運行していた関電トロリーバスや、最後まで残った立山トロリーバスが先月まで現役だった事に言及がないのはどういうこと? アルペンルートのトロリーバスへの言及無しに写真使っちゃアカンでしょ。
私が住んでいたモスクワでは数年前まで現役で走っていました。コロナ禍後から中国製の電気バスにすっかり置き換えられましたが
モスクワのトロリーバスも1933年と同じ頃に開通したそうですし、東欧だと他にも定着した都市が少なくないんですから、いったい何が違ったんでしょうねえ。
こち亀にトロリーバスゅ話があったなぁ。りょうさんが子供なのに運転した話だったかな?。
伊勢丹脇の明治通りにトロリーバスが走っていたことを覚えています。当時、新宿西口はなく、西側からの京王バスは南口から東口へと循環していました。西口ができて京王バスも西口発着となり、伊勢丹へもかなり歩かなければならなくなり、不便になりましたので、伊勢丹も客が減ったのではないかと思います。
@@まおちゃん-q9i さま 102系統ですね。自分も子供の頃乗りましたが、車掌がドアを開けてくれてまっすぐ歩くと伊勢丹の入り口に着きました。他のバスの停留所が前後にあって、優遇されていたんですよね。現在も渋谷駅から池袋駅(一部池袋サンシャイン行き)の都バスが運行されており、系統自体は残っています。(品川駅から渋谷駅までを除く)
この編集だと、トロリーバス自体が短命だったように思える。黒部ダムでは、つい最近まで現役だったはず?
トロリーバスに限った事では無いですが2:50 ウインカーがアポロ式昭和40年代には無くなっていったと思いますが自分はコレが好きで子供の頃バスの一番前の座席に座りヒョコッっと出るのを楽しみに見てました
その後、東京や横浜のほか、アルペンルートの一部にも導入された、意外に実績がアル、トロリーバスでした。
親父の話だと、大阪の天王寺辺りも走ってたみたいですね。
十三大橋をわたって加島まで走っていましたよ。いまだに遺構が残っているらしいです。
歴史も古く最初のトロリーバスは1881年に登場したらしいです。現在の形になったのは1901年。ちなみに路面電車は1883年に最初の定期運行が開始されました。
日本では完全に姿消すが、海外では盛んに活躍している。近くの国だと北朝鮮の平壌、中国の北京や上海など。ちなみに上海はアジアで最初に走ったトロリーバスで、現役最古でもある。
このような事があったとは初めて知りました とてもためになるご紹介ありがとうございました
「無軌道」では無く「無軌条」では無いでしょうか?
線路がいらない…それってトロリーバスじゃぁ?って思ったらやっぱり。2:00 昔地元でも走ってたって思ったら、モロその写真が動画内に。因みに、このころ地元の幹線部分じゃないところでは、木炭バスも走ってたとか。1:46 旧大阪市交通局のトロリーで、唯一現存する保存車の試運転って…スゴ。
1953年8月1日~1970年6月30日に運行。大阪市トロリーバスで最も新しい車両はが大阪環状線全通や地下鉄4号線(中央線)開業があった1961年の製造だったから、10年未満で廃車になりました。
現存する255号は教習教材として保存されているものであり、走行することは補修のために多額の費用がかかり、おそらく無理でしょう。現在でもタイヤの劣化防止のために、常時馬に乗った状態です。あと保存車でしたら、川崎市にもありますよ。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN この動画の「試運転」の写真が残っているのがすごいってだけで、復活させろとは言ってないし、「旧大阪市交通局の」って限定していますよ。川崎の公園とクラウドファンディングで立山に残されているのは知っているし、川崎のは近々解体するとの情報も知っています。
自分の住んでいる横浜にもトロリーバスがありましたが、確かに短命に終わった感がありました。
市電廃止の巻添えで。
@@ませあきたつ さま そう。横浜市の場合、赤字ではなかったものの、市電と共通の変電車を撤去することから、廃止が早まったのですね。
路線そのものは201・202系統として健在です架線が必要なトロリーバスから普通のディーゼル車に変わっただけ
1959年開業、1972年3月31日廃止
廃止された川崎市から中古車両が来るほど盛業だった。
トロリーバス🚎は名古屋では1943年~1951年迄走っていた
それは戦時中の燃料事情がきっかけで生まれた。
確か燃料統制で廃車にしたバスを改造したんだよね。
最終的には有軌道化され市内電車のネットワークに組み込まれました。
@@ヒマワリのたね さま。セミキャブオーバーの日産80型バス改造車ですね。市内電車の部品を流用して、小型でしたが木南車両製造の正式設計車両より性能が安定していました。ほかに日野のトレーラー型トロリーバスや最終的に川崎市に行った試作車とかありました。
今は分らないけど、カナダのバンクーバーでもトロリーバスがありましたよ。排ガスが出ない、クリーンな乗り物とか言われてたような。椅子が固く、個人的には乗り心地が悪かったです。
今でもありますよ🇨🇦走行距離も長く、運賃は他のバスと同じで全区間1ゾーン分です✨時々パンタが架線から外れて足止めを喰らうこともあります😅
上野公園~今井線は何度かリアルで乗った事がある。子供の頃のおぼろげな記憶では、運転席のすぐ横あたりにモーターが収まっていてカマボコ型のようなカバーが掛けられていた気がする。あと、上野公園行きが浅草六区の周りを一周して上野公園に向かっていて、交差点近くにトロリーの進行方向を切り替えるような機器?が取り付けられていて、そこだけは架線ではなく導体になっていたと思う。
運転席の横にかまぼこ型のカバーのような物があったのなら、そこはモーターではなく、エンジンがついていました。本来なら、101系統(上野公園〜今井)の路線には必要のない物なんですが、廃止直前は車両のやりくりがつかなかったみたいで、102系統(品川駅〜池袋駅)にも投入されていました。エンジンがついていたのは、103系統(池袋駅〜亀戸駅)と104系統(池袋駅〜浅草雷門)の系統で踏切があり、架線電圧が違うのと鉄道会社との調整がつかなかったため、踏切はボールを下ろしてエンジンで渡っていたためです。
予備エンジンは以前写真を見た事があります。大きさは不明ですが、鉄道の踏切を越えるだけの小出力のため、単気筒の縦長な形状でモーターボートの船外機に近く、運転席横のカバーとは形状が異なる様に思います。私が運転席横のカバーの中身をモーターと判断した理由は、当時はまだボンネット型のバス・トラックも多く、特装用シャシーのエンジンをモーターに載せ替えて、バスのボディーを架装したものと自分なりに考えた次第です。
大阪市はバッテリーを搭載していて、国鉄との交差区間は無架線で走っていました。警察とは指定された場所以外の一般道路は走行しない(架線の下しか走れないので電車扱いで軌道法の管轄であって、自力で走れば電気自動車になって道路運送車両法の管轄になるため。ですのでトロリーバスには車両番号はあってもナンバープレートはありません)約束でしたが、トロリーバス廃止後に24時間以内に森ノ宮にあった返納倉庫まで回送する必要に迫られて、夜間無許可で自力走行したらしいです。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN さま 東京都の場合、架線下以外の公道上を走る場合、別な牽引車(トラック)で引っ張っていましたね。当然ブレーキランプがつかないので、「牽引中」の鉄製の看板をトロリーバスの後ろに取り付けて引っ張っていました。
@@4126org さま。大阪の場合も応急修理車を総動員して輸送をしたのですが、返納倉庫(競売場所)まで時間内に輸送できない恐れがあったのでそうなったそうで、区間途中には勾配区間もあり場合によっては途中で停止してしまうおそれがあったそうです。ちなみに走行機器は電機会社との共同開発で、時速8〜10kmで約20〜30分走行できる性能があったそう。
1:29トロリーバスも、架線まではエンジンで走ります。だからエンジンを積んでいない、は間違いです。もちろん、主機関ではないので、出力も低いですし、あくまでも緊急時や入出庫時用ですが。
@@DAICHIKUMAGAMI さま エンジンを積んでいるのは東京の一部だけ。架線のないところは牽引車だったりバッテリーだったり各社局で違います。
ハイブリット車の先駆けみたいなイメージ。EVバスも軽いとは言えないだろうし。
大阪市も約50両が車両の転回や片町線や城東貨物線のためにバッテリーを積んでましたね。バッテリーはN120 60V・120AH✕5で、最高速度は8〜10km、約20〜30分の走行が可能。廃止時には無許可で緑橋から森ノ宮の返送倉庫まで自走したことがあります。おそらくもう時効。
@@ni523 さま。当時大阪市と電機品メーカが共同で開発したバッテリー補助駆動装置は鉛蓄電池でした。回路はほとんど改造せず既存のものを使いました。バッテリー分が増加です。重量は現在の製品で換算すると約168kg増ですね。改造後のトロリーバスの自重が8,850kg(定員時総重量12,975kg)。回送時に使用することが前提でした。ただ運輸省からは、架線から電気を供給されないと走行できないトロリーバスは軌道法、架線から電気を供給されなくても蓄電池で走行できる電気バスは自動車として道路運送車両法が適用されるため、両方で走行するものは到底認可できず、車庫内など特定条件付きで許可になったそうです。
オーストラリアのロードトレインも線路はいらない…………貨物列車が走ってるように見えるだけの超々長大トレーラーなだけで鉄道じゃないが
黒部アルペンルートのトロリーバスが廃止になる前に、乗り物系TH-camrさんが実際に乗った動画を配信してました。私は今まで行った事も乗った事もないので、とても残念に思いました。
オイオイ、何度も繰り返している部分があるぞ。編集ミス?
名古屋もバンテリンドームの西側をわずか8年間だけ走行していたことがあるそうです。
2000年代以降の挑戦を忘れて世界から取り残されていった日本企業の経営者に聞かせたい話だと思いました。
動画内に出て来た大阪市のトロリーバスは、昭和40年代まで走っていたんじゃないかな?昭和60年代の地下鉄谷町線天王寺駅の案内板には「トロリーバス」の文字を剥がした跡があったよ😅
大阪のトロバスは1953年8月1日から1970年6月30日までありました。最新車両は1961年製造でした
@jojiajordan5942 さま、補足情報ありがとうございます。昭和45年ですか、、、、見てるはずなんだがなぁ😅
阪急百貨店前や十三大橋も走ってましたよ。
昭和30年代では、路面電車の耐用年数が20年〜25年、路線バスが8〜10年、トロリーバスが12〜15年を想定しており、バスとの車体価格も2倍程度と『日本のトロリーバス』には書かれていましたが、その10年後には価格差が3倍にまで広がり(京都市1500万円、大阪市750万円)、バスと同じようなボディというのが嫌われたようです。ただし京都市の例で言えばトロリーバスの最終増備車と市電の最終増備車が同時期だったことを考えると、道路上を走る軌道は同様の問題を抱えていたと考えられます。
保存車は、黒部/立山関電と大阪市営と川崎市営が残っているが川崎市営トロリーバスは老朽化解体らしい
トロリーバスと言えば、こち亀の印象が強いなぁ「次の停車駅は、あいつの家でございまぁーす!!!!」ってやつw坂道が苦手なバス…長崎の打坂を思い出す、上り坂の途中で停まってしまいブレーキも破損、制御できないバスの車体を自らの体で止め殉職した車掌さん…長崎のMEGAドンキ時津店に地蔵が立てられています
近年、富士ゴムトライムを導入する予定になっております。
水素燃料電池車か水素エンジン車で特別な白線やセンサーを使って運行するから架線から集電しないならこれだと自動車に該当するのでは水素の部分をプリウスの様なハイブリッドにして短い区間で実験線を作ってフィードバックするとよさそうですね
幼い頃一度トロリーバスに乗った記憶があるけど多分京都でないかと思うのだがよくわからない
京都市営トロリーバスは、阪急嵐山線松尾大社駅最寄りの松尾橋を渡った、現在の松尾橋バス停あたりから阪急四条大宮駅あたりまで走っていました。
日本昭和村で運行しないかな?
イギリスでは立派なトロリーバスの保存鉄道があるんですよ。ボランティア活動として。
もう少しスッキリ解説してほしい。同じことを何度も繰り返さなくても😅
今で言うなら電気自動車だね。
64dendenかな?って、思ってしまった
短命すぎゆっくり各駅停車最高
大阪市でも17年間走っていたのに(1953年開業。万博開催中に廃止)
1コメ嬉しい!!固定して!!![できれば]
「無軌道」だと常軌を逸したという悪い印象を与えるとして、「無軌条」電車に改められた、とWikipediaで解説されている。
トロリーバスは2024年11月まで日本には存在していた。
大都市圏では1972年の横浜市を最後に消えたが、その前の1964年に関電トンネルで導入されており、つい先月までその系譜は続いていたといえます。
日本無軌道電車の休止が1932年1月だがその年の4月に京都市で導入がされており、日本で消えていた期間はわずか3か月と思われ(京都市のは山陰本線とのクロス問題があったので路面電車ではなくトロリーバスになった)。
都市交通機関としては日本で最初の京都市営トロリーバスは、開業時は万全を期すためにイギリスのガイ・モータース製とイングリッシュ・エレクトリック製の輸入車を導入しました(なおこれと同一形式と思われる車両は、イギリスの保存鉄道で動態保存されています)。タイヤは後輪ダブルの6輪空気入りタイヤでした。
当初は四条大宮〜西大路四条までで、のちに松尾橋まで市電の梅津線をトロリーバス転換しました。(鉄道史料132・136参照)
ちなみにガイ・モータスの車体は木骨に板を貼り、さらにアルミニューム板と同目板を木ねじ止めし、ステップと窓保護棒はジュラルミン製だったそうです。
あと価格はガイ・モータース製が22,400(26,252,800)円、イングリッシュ・エレクトリック製が24,500(28,714,000)円、ちなみに国産車が7,500(8,790,000)円だったそうです。カッコ内は日銀の企業間物価指数を使って、当時からどのくらい物価が上がったかを計算してから、当時の価格を現在の価格に換算したもの。
花屋敷と京都市営の間に、養老電気鉄道が養老駅前から養老乃瀧までトロリーバスを計画して建設許可まで取得していましたが、地元と一悶着があった末に、養老電気鉄道が伊勢電気鉄道と合併し事業の見直しもあって、のちに建設許可を返上してます。(鉄道史料131)
関西電力専用線にもトロリーバスが使われたが、電気バスに置き換わった。
トロリーバスといばアルペンルートを思い出す。
立山黒部貫光のは最初はディーゼルバスでした。
立山黒部アルペンルートのトロリーバスは先月末で廃止されてしまったぜ。😢日本における最後のトロリーバスだったぜ。
他の方も書かれているとおり、むしろ1950年代~60年代まで主に大都市(市営)でトロリーバスは運行されていました。この動画では「日本無軌道」が4年で失敗した話のみの紹介ですが、他のトロリーは15年以上運行されていたものも多くあります。戦後まで残ったものは別の要因で廃止になっています。
日本のトロリーバスは「日本無軌道」が4年で失敗して終わったのではありません。せめて戦後にも複数存在したことに言及して欲しかったと思います。誤解する方がいます。リンク↓
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%90%E3%82%B9#%E6%97%A5%E6%9C%AC
その中でももっとも長命だったと思うのが
1964年から2018年まで54年間運行された黒部アルペンルートの関電トンネルのものですね。
都市圏でまだトロリーバスがあった頃から令和まで運行されていました。
横浜市トロリーバスは15年経たずに廃止されました。
大阪市トロリーバスは1953年から17年間走っていたが、車両は1961年まで製造されていたから製造から10年経たずに廃車となった車両もありました
黒部ダムからの立山黒部貫光線は今月1日まで現役でしたよ
令和最後の2路線廃止は車両、設備が老朽化しトロリーバス維持よりEVバス転換の方が容易かつ低コストとの判断からです
横浜は最後まで経営が黒字で、廃止原因が路面電車と共用していた変電所が廃止されるためと聞いたことがありますね。
あと京都では市電扱い、大阪市ではバス扱い、と自治体によって扱いがまちまちだったことが他社との軋轢を生んだとも聞いたことがあります。
トロリーバスとしては2番目、公共交通機関としては日本で最初に営業を開始したのは、京都市営トロリーバスで、最初に四条大宮〜西大路四条間を、のちに市電梅津線を転換して松尾橋まで延長されました。
開業に際しては、英国より2社4両の50人乗り車両を輸入し開業に備えました。車両は木骨アルミニューム貼りの車体で、すべて空気チューブ入りの後輪ダブルタイヤのゴムタイヤ車両でした。空気入りタイヤのバスはこの会社の特色だったようです。のちにジャガーに買収され現在ではブリティッシュ・レイランドの一部になっています。その後の増備車は三菱電機・日本車両で製作されました。
以上『電気雑誌OHM・1931年11月号』より
立山黒部アルペンルートであったが、先月末で廃止。
来春から電気バスが運行される予定。
トロリーバスは都市部では、東京は1968年、横浜は1972年まで走っていました。
川崎は1967年まで…1951からなので短命になるんかなぁ。
@@205yokonaha205 トロリーバスは車両価格が高価なうえ地上設備の維持費も掛かるので概ね一回目の更新時期を迎える12から13年目で廃止になったようです。昔の横浜市電保存館で記載あり。残念ながらトロリーバスの保存は有りませんでした。
導入時はまだ路線バス車両の大型化が難しかったからって側面もあったから採用された。バスの大型化でそっちの方が免許の面でも取り回しの面でも安価なのであっさり置き換えられたともいえそうです。
排気ガス問題により黒部には2路線が存在したけど、そちらも蓄電池技術の向上で置き換えめどが立ったので2024年までに消えましたね(世界的にも電気バスへの置き換えは進んでいる)。
都市部では京都は戦前、名古屋は戦中に開業し、戦後は東京、大阪、横浜、川崎にも走っていましたね。熊本や千葉、西宮などでも構想はあったそうですが実現しませんでした。
東京と大阪は規模も大きく、東京は品川から渋谷、池袋、王子、三ノ輪を通って浅草と三ノ輪から亀戸を通り今井までを、大阪は阿部野橋、大阪駅から守口、杭全、神崎橋などへ路線を延ばしていました。
@@205yokonaha205
大阪は1953から1970まででした
こち亀のトロバス物語も合わせて読めばわかりやすい(またはアニメ版の当該回)
あの話youtubeにもあるから見たけど、トロリーバスの補助エンジンは踏切超えのためのもので、あんな無茶苦茶スピードが出るものじゃないんだけど思う反面、秋本治氏は昔の話をよく勉強してると思う。
子供の頃上野公園に行くトロリーバスに乗ってお墓参りに行ってたけど、確か河童橋からくる都線の交差点でよくトロリ線からポールがはずれて運転手が「しばらくお待ちください」って言って車から降りて架線はめなおしてたことを思い出しました。まだ都バスがボンネットでアポロウインカーをロバの耳だと思ってた頃の話。
小さい頃、明治通りのトロリーバスに乗りました。明治通り自体が大渋滞で、乗り心地も何もなかった記憶です。
サンフランシスコにもトロリーバスあります。あのマーケットストリートは、バス、トロリーバス、レトロ路面電車、地下を走るLRT(MUNI)、地下鉄(BART)が走っていて、角からはケーブルカーもあり、乗り物好きにはたまりません。
@@yakata8310 さま 品川駅〜池袋駅の102系統ですね。
自分も子供の頃乗りましたが、ゴムの普通のタイヤなので乗り心地は悪くないし、信号待ちで何も音がしないので、静かでしたよ。
大阪市は1953年8月1日にトロリーバスの運行が始まりましたが、
1970年6月30日に全廃されました。
昔の大阪市交通局のバスがトロリーバスだった。
車体の前後が同じプレス部品を使っていて、違和感があったのを覚えています。
あと女性の車掌が載っていて、女性の雇用の関係で早朝深夜はワンマンカーになっていた記憶があります。
今ならデンチャみたいに停留所ごとにパンタ上げて集電して貯まったら降ろして発車とか出来そう
@@しゅれーでぃんがー-g5w さま 中国ではかなり前から運行されていました。停留所ごとにパンタグラフのような集電装置を上げて充電し、架線なしで走行するバスですが、最近は話を聞かないので、電気バスに転換されたのでは?
逆に、札幌には路面電車軌道を走るディーゼル軌道車がありました。見た目は路面電車なのに、電気ではなくディーゼルで走っていました。それならバスで良かったように思いまが、当時道路が舗装されていない悪路区間では有利だったようです。
立山黒部アルペンルートでつい最近まで走ってたじゃないか。
川崎市(川崎区)でもトロリーバスはありました。
現在のBRTのルートですね。車体は1台が高津で集会所として使われています。
@@N--jv3go それ解体されるらしいですよ
@@1017TOQBOX買い上げる人が出て来て、保存に向けて動き出したそうです。
そうなんよ。東京、大阪、横浜、などなど各都市で運行されていて、短期間で終了ということはないのでは?
時々立山黒部アルペンルートの写真が出てくるけど、最近まで運行していた関電トロリーバスや、最後まで残った立山トロリーバスが先月まで現役だった事に言及がないのはどういうこと? アルペンルートのトロリーバスへの言及無しに写真使っちゃアカンでしょ。
私が住んでいたモスクワでは数年前まで現役で走っていました。コロナ禍後から中国製の電気バスにすっかり置き換えられましたが
モスクワのトロリーバスも1933年と同じ頃に開通したそうですし、東欧だと他にも定着した都市が少なくないんですから、いったい何が違ったんでしょうねえ。
こち亀にトロリーバスゅ話があったなぁ。りょうさんが子供なのに運転した話だったかな?。
伊勢丹脇の明治通りにトロリーバスが走っていたことを覚えています。当時、新宿西口はなく、西側からの京王バスは南口から東口へと循環していました。西口ができて京王バスも西口発着となり、伊勢丹へもかなり歩かなければならなくなり、不便になりましたので、伊勢丹も客が減ったのではないかと思います。
@@まおちゃん-q9i さま 102系統ですね。自分も子供の頃乗りましたが、車掌がドアを開けてくれてまっすぐ歩くと伊勢丹の入り口に着きました。他のバスの停留所が前後にあって、優遇されていたんですよね。現在も渋谷駅から池袋駅(一部池袋サンシャイン行き)の都バスが運行されており、系統自体は残っています。(品川駅から渋谷駅までを除く)
この編集だと、トロリーバス自体が短命だったように思える。
黒部ダムでは、つい最近まで現役だったはず?
トロリーバスに限った事では無いですが
2:50 ウインカーがアポロ式
昭和40年代には無くなっていったと思いますが
自分はコレが好きで子供の頃バスの一番前の座席に座り
ヒョコッっと出るのを楽しみに見てました
その後、東京や横浜のほか、アルペンルートの一部にも導入された、意外に実績がアル、トロリーバスでした。
親父の話だと、大阪の天王寺辺りも走ってたみたいですね。
十三大橋をわたって加島まで走っていましたよ。いまだに遺構が残っているらしいです。
歴史も古く最初のトロリーバスは1881年に登場したらしいです。現在の形になったのは1901年。ちなみに路面電車は1883年に最初の定期運行が開始されました。
日本では完全に姿消すが、海外では盛んに活躍している。近くの国だと北朝鮮の平壌、中国の北京や上海など。ちなみに上海はアジアで最初に走ったトロリーバスで、現役最古でもある。
このような事があったとは初めて知りました とてもためになるご紹介ありがとうございました
「無軌道」では無く「無軌条」では無いでしょうか?
線路がいらない…それってトロリーバスじゃぁ?って思ったらやっぱり。
2:00 昔地元でも走ってたって思ったら、モロその写真が動画内に。
因みに、このころ地元の幹線部分じゃないところでは、木炭バスも走ってたとか。
1:46 旧大阪市交通局のトロリーで、唯一現存する保存車の試運転って…スゴ。
1953年8月1日~1970年6月30日に運行。
大阪市トロリーバスで最も新しい車両はが大阪環状線全通や地下鉄4号線(中央線)開業があった1961年の製造だったから、10年未満で廃車になりました。
現存する255号は教習教材として保存されているものであり、走行することは補修のために多額の費用がかかり、おそらく無理でしょう。
現在でもタイヤの劣化防止のために、常時馬に乗った状態です。
あと保存車でしたら、川崎市にもありますよ。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN
この動画の「試運転」の写真が残っているのがすごいってだけで、復活させろとは言ってないし、「旧大阪市交通局の」って限定していますよ。
川崎の公園とクラウドファンディングで立山に残されているのは知っているし、川崎のは近々解体するとの情報も知っています。
自分の住んでいる横浜にもトロリーバスがありましたが、確かに短命に終わった感がありました。
市電廃止の巻添えで。
@@ませあきたつ さま そう。横浜市の場合、赤字ではなかったものの、市電と共通の変電車を撤去することから、廃止が早まったのですね。
路線そのものは201・202系統として健在です
架線が必要なトロリーバスから普通のディーゼル車に変わっただけ
1959年開業、1972年3月31日廃止
廃止された川崎市から中古車両が来るほど盛業だった。
トロリーバス🚎は名古屋では1943年~1951年迄走っていた
それは戦時中の燃料事情がきっかけで生まれた。
確か燃料統制で廃車にしたバスを改造したんだよね。
最終的には有軌道化され市内電車のネットワークに組み込まれました。
@@ヒマワリのたね さま。セミキャブオーバーの日産80型バス改造車ですね。市内電車の部品を流用して、小型でしたが木南車両製造の正式設計車両より性能が安定していました。
ほかに日野のトレーラー型トロリーバスや最終的に川崎市に行った試作車とかありました。
今は分らないけど、カナダのバンクーバーでもトロリーバスがありましたよ。排ガスが出ない、クリーンな乗り物とか言われてたような。
椅子が固く、個人的には乗り心地が悪かったです。
今でもありますよ🇨🇦
走行距離も長く、運賃は他のバスと同じで全区間1ゾーン分です✨
時々パンタが架線から外れて足止めを喰らうこともあります😅
上野公園~今井線は何度かリアルで乗った事がある。
子供の頃のおぼろげな記憶では、運転席のすぐ横あたりにモーターが収まっていてカマボコ型のようなカバーが掛けられていた気がする。
あと、上野公園行きが浅草六区の周りを一周して上野公園に向かっていて、交差点近くにトロリーの進行方向を切り替えるような機器?が取り付けられていて、そこだけは架線ではなく導体になっていたと思う。
運転席の横にかまぼこ型のカバーのような物があったのなら、そこはモーターではなく、エンジンがついていました。
本来なら、101系統(上野公園〜今井)の路線には必要のない物なんですが、廃止直前は車両のやりくりがつかなかったみたいで、102系統(品川駅〜池袋駅)にも投入されていました。
エンジンがついていたのは、103系統(池袋駅〜亀戸駅)と104系統(池袋駅〜浅草雷門)の系統で踏切があり、架線電圧が違うのと鉄道会社との調整がつかなかったため、踏切はボールを下ろしてエンジンで渡っていたためです。
予備エンジンは以前写真を見た事があります。
大きさは不明ですが、鉄道の踏切を越えるだけの小出力のため、単気筒の縦長な形状でモーターボートの船外機に近く、運転席横のカバーとは形状が異なる様に思います。
私が運転席横のカバーの中身をモーターと判断した理由は、当時はまだボンネット型のバス・トラックも多く、特装用シャシーのエンジンをモーターに載せ替えて、バスのボディーを架装したものと自分なりに考えた次第です。
大阪市はバッテリーを搭載していて、国鉄との交差区間は無架線で走っていました。警察とは指定された場所以外の一般道路は走行しない(架線の下しか走れないので電車扱いで軌道法の管轄であって、自力で走れば電気自動車になって道路運送車両法の管轄になるため。ですのでトロリーバスには車両番号はあってもナンバープレートはありません)約束でしたが、トロリーバス廃止後に24時間以内に森ノ宮にあった返納倉庫まで回送する必要に迫られて、夜間無許可で自力走行したらしいです。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN さま 東京都の場合、架線下以外の公道上を走る場合、別な牽引車(トラック)で引っ張っていましたね。当然ブレーキランプがつかないので、「牽引中」の鉄製の看板をトロリーバスの後ろに取り付けて引っ張っていました。
@@4126org さま。大阪の場合も応急修理車を総動員して輸送をしたのですが、返納倉庫(競売場所)まで時間内に輸送できない恐れがあったのでそうなったそうで、区間途中には勾配区間もあり場合によっては途中で停止してしまうおそれがあったそうです。
ちなみに走行機器は電機会社との共同開発で、時速8〜10kmで約20〜30分走行できる性能があったそう。
1:29
トロリーバスも、架線まではエンジンで走ります。
だからエンジンを積んでいない、は間違いです。
もちろん、主機関ではないので、出力も低いですし、あくまでも緊急時や入出庫時用ですが。
@@DAICHIKUMAGAMI さま エンジンを積んでいるのは東京の一部だけ。
架線のないところは牽引車だったりバッテリーだったり各社局で違います。
ハイブリット車の先駆けみたいなイメージ。EVバスも軽いとは言えないだろうし。
大阪市も約50両が車両の転回や片町線や城東貨物線のためにバッテリーを積んでましたね。バッテリーはN120 60V・120AH✕5で、最高速度は8〜10km、約20〜30分の走行が可能。
廃止時には無許可で緑橋から森ノ宮の返送倉庫まで自走したことがあります。おそらくもう時効。
@@ni523 さま。当時大阪市と電機品メーカが共同で開発したバッテリー補助駆動装置は鉛蓄電池でした。回路はほとんど改造せず既存のものを使いました。バッテリー分が増加です。重量は現在の製品で換算すると約168kg増ですね。改造後のトロリーバスの自重が8,850kg(定員時総重量12,975kg)。回送時に使用することが前提でした。
ただ運輸省からは、架線から電気を供給されないと走行できないトロリーバスは軌道法、架線から電気を供給されなくても蓄電池で走行できる電気バスは自動車として道路運送車両法が適用されるため、両方で走行するものは到底認可できず、車庫内など特定条件付きで許可になったそうです。
オーストラリアのロードトレインも線路はいらない
…………貨物列車が走ってるように見えるだけの超々長大トレーラーなだけで鉄道じゃないが
黒部アルペンルートのトロリーバスが廃止になる前に、乗り物系TH-camrさんが実際に乗った動画を配信してました。私は今まで行った事も乗った事もないので、とても残念に思いました。
オイオイ、何度も繰り返している部分があるぞ。編集ミス?
名古屋もバンテリンドームの西側を
わずか8年間だけ走行していたことがあるそうです。
2000年代以降の挑戦を忘れて世界から取り残されていった日本企業の経営者に聞かせたい話だと思いました。
動画内に出て来た大阪市のトロリーバスは、昭和40年代まで走っていたんじゃないかな?
昭和60年代の地下鉄谷町線天王寺駅の案内板には
「トロリーバス」の文字を剥がした跡があったよ😅
大阪のトロバスは1953年8月1日から1970年6月30日までありました。
最新車両は1961年製造でした
@jojiajordan5942 さま、補足情報ありがとうございます。昭和45年ですか、、、、見てるはずなんだがなぁ😅
阪急百貨店前や十三大橋も走ってましたよ。
昭和30年代では、路面電車の耐用年数が20年〜25年、路線バスが8〜10年、トロリーバスが12〜15年を想定しており、バスとの車体価格も2倍程度と『日本のトロリーバス』には書かれていましたが、その10年後には価格差が3倍にまで広がり(京都市1500万円、大阪市750万円)、バスと同じようなボディというのが嫌われたようです。
ただし京都市の例で言えばトロリーバスの最終増備車と市電の最終増備車が同時期だったことを考えると、道路上を走る軌道は同様の問題を抱えていたと考えられます。
保存車は、黒部/立山関電と
大阪市営と川崎市営が残っているが
川崎市営トロリーバスは老朽化解体らしい
トロリーバスと言えば、こち亀の印象が強いなぁ
「次の停車駅は、あいつの家でございまぁーす!!!!」ってやつw
坂道が苦手なバス…長崎の打坂を思い出す、上り坂の途中で停まってしまいブレーキも破損、制御できないバスの車体を自らの体で止め殉職した車掌さん…
長崎のMEGAドンキ時津店に地蔵が立てられています
近年、富士ゴムトライムを導入する予定になっております。
水素燃料電池車か水素エンジン車で特別な白線やセンサーを使って運行するから
架線から集電しないならこれだと自動車に該当するのでは
水素の部分をプリウスの様なハイブリッドにして短い区間で実験線を作ってフィードバックするとよさそうですね
幼い頃一度トロリーバスに乗った記憶があるけど
多分京都でないかと思うのだが
よくわからない
京都市営トロリーバスは、阪急嵐山線松尾大社駅最寄りの松尾橋を渡った、現在の松尾橋バス停あたりから阪急四条大宮駅あたりまで走っていました。
日本昭和村で運行しないかな?
イギリスでは立派なトロリーバスの保存鉄道があるんですよ。ボランティア活動として。
もう少しスッキリ解説してほしい。同じことを何度も繰り返さなくても😅
今で言うなら電気自動車だね。
64dendenかな?って、思ってしまった
短命すぎ
ゆっくり各駅停車最高
大阪市でも17年間走っていたのに
(1953年開業。万博開催中に廃止)
1コメ嬉しい!!固定して!!![できれば]