【空中写真】昭和50年ころの国鉄片町線(片町-木津)
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- เผยแพร่เมื่อ 12 มี.ค. 2023
- 昭和50年ころの国鉄片町線を空中写真で空から巡ります。現在では学研都市線として東西線と直通して木津~尼崎を結ぶ複線電化路線ですが、昭和50年頃は起点の木津から終点が京橋の次の片町まででした。電化区間は片町から長尾まで、複線区間は片町から四条畷までであり、木津から長尾までは単線非電化の路線でディーゼルカーがたまに走る程度という状態でした。昭和50年頃の長尾駅は近代化工事中で、古いホームを改築して新しいホームを作っているため配線図と空中写真が一致してません。工事中の線路が写っており最終的には配線図のようになったと思われますが、この時点では詳細は不明です。
地上時代の星田駅が懐かしいですね~。
この4年後に現在の高架駅に姿をかえましたが、
ポイントや中線が無くなって線路が素っ気なくなった高架駅には
子供心に一寸がっかりした記憶がありますね。
ご覧いただきありがとうございます。
片町線も便利になりましたが、駅の風情はどこも無くなりつつありますね。
どこも同じような駅ばかりになりました。
味のある駅で残っているところは、今のうちに訪れておく方がいいですね!
ちょうどこの頃交野に住んでた(京阪沿線の)小学生で、王仁公園のプールに遊びに行ったのを思い出しました。藤阪もまだなかったですね。
河内岩船から鴻池新田まで親族の家までたまに乗りましたが、津田方面から生い茂ったボーボーの叢からカーブを切ってオンボロの電車がやって来たのを覚えてます。
すご〜く懐かしい気持ちになりました
ご覧いただきありがとうございます。片町線沿線にお住まいだったのですね!
この頃の片町線は大阪市内に直通する電車の中ではローカルな雰囲気でしたね。
東海道本線はもとより、関西本線や阪和線でも快速電車が頻繁に走っていましたから。
長尾から木津方面はディーゼルカーでしたし、本数少なかったなあ~(笑)
昭和50年当時住道駅南の通ってる最中だった小学校が映ってる、もしかしたら校舎の中に居たかもですね
実家はもう少しのところで切れてました😢
懐かしい、ありがとうございます
ご覧いただきありがとうございます。
子供の頃に小学校で航空写真の撮影があるから、校庭で学校名の人文字を作るように先生たちから指導があって
何度か練習したことがありました。今考えてみたらこれらの航空写真のことだったんでしょうね(笑)
屋根に社名を入れてる会社も多いですから、この頃は航空写真が流行っていたのかもしれませんね。
この頃から駅の姿が変わってないのは鴻池新田と西木津ぐらいですかね。
ほとんどの駅は新駅舎や高架になって姿が変わりましたね。
自分の家が写ってるのがちょっとうれしかったです
ご覧いただきありがとうございます。
片町線はずいぶん雰囲気が変わりましたね~
ご近所とのことなので、懐かしく思ってもらえてよかったです(^^
西木津は電化時に少し移動してたな。
西木津は電化時に少し移動してたな。
かっこいい
じいちゃんが昔の片町線は牛より遅かったと言っていたのを思い出しました。
ご覧いただきありがとうございます。
当時の片町線は名古屋-大阪間の関西本線経由と比較しても、距離は短い割にかなり時間がかかっていましたね。
木津-長尾間が単線非電化のディーゼルカーであったため本数も少なく、奈良-大阪間の快速電車とは比較になりませんでした。
私も何度も木津以東から大阪方面の国鉄線に乗車しましたが、片町線は1度しか乗った記憶がありません(^^;
@@cmesgx 牛が引っ張る片町線と笑福亭鶴光さんが言ってたのを覚えています。
私としては近畿道がまだできていなかったのがツボでした。