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【おわびと訂正のお知らせ】14:20で「管制官」と発言しておりますが、正しくは「管制員」となります。
あと。機体が墜落したのは、あるいは「パイロットが墜落させた」のは。河川敷ではなく、狭山リバーサイドゴルフ場のコース内。
@@倉本理央 狭山リバーサイドゴルフ場があるのは河川敷
@@倉本理央 そりゃ「狭山""リバーサイド""ゴルフ場」だからね…
@@倉本理央にわ
私はこの時に、所属部隊の整備員として、任務に就いておりました。入間川方向から黒煙が上がる様子が、今でも、脳裏に焼き付いています。この機体の定期整備は私がしました。燃料系統は私が整備しました。いくら事故原因が整備に起因しないと言われても、心の何処かに「私の責任だ。」と、思い続けています。この事故がきっかけで、私は昇任するのを辞め、昇任試験の面接時、隊司令に対し、辞めますと宣言をしました。せめてもの償いの気持ちだったかもしれません。この気持ちは、永久に消えることはありません。忘れることもありません。命を賭し、最期まで死神と戦って、見事打ち勝ち殉職された御二人に対し、最高の敬意と深い哀悼の意をささげます。最後に投稿主様。このような動画を制作してくださり、有難うございました。
投稿ありがとうございます。まさか、整備されていたご当人からコメントが来るとは思いませんでしたが、生の声を聞かせていただき、誠にありがとうございます。
貴重なお話しを聞かせてくださり、ありがとうございます。
死神は戦う相手ではないのでは?
涙が出てきてしまいました。思い出すのも、文字に起こすのも辛い事をお聞かせ下さりありがとうございます。
20秒が残念です せめて一人だけでも生きていてくれたら 自衛隊隊員が職務で命をおとすのは とても残念でなりません
機場空論さん、今回は小生が現役だった頃の事故をアップするとは・・・ただ、涙が止まりません。殉職された2人のパイロットは小生とは職場で知り合いでもあり、まさか、あのようなクラッシュで家族を残して逝ってしまった経緯には今でも信じられません。中川2佐(当時)は元はT-2アグレッサーパイロットでもあり、元第6飛行隊長を歴任、門屋3佐は第304飛行隊飛行班長を歴任していました。当初は「入間でT-33が落ちた」との一方が来てT-33Aが墜落したとの報告が来ましたが、当初はエンジントラブルとの見解(当時は事故直後なので詳細は不明でした)との事でしたが、真っ先にエンジントラブルと考えられるのは「バードストライク」か、過去にあった「ウェポンベイドアオープン」での空気取り入れ口への大気乱流によるのどちらかだと思いましたがT-33Aのエンジンは「J33」型遠心式エンジンなので仮に空気取り入れ口から鳥が入ってもエンジンは軸流式とは違い遠心式なのでエンジン内部に入らないようにエンジンには鉄製の網カバーがありましたので、それは考えられないし、T-33Aの空気取り入れ口はコクピット後ろにある観音開き式空気取り入れ口から鳥が進入する事はまず不可能でした。それに遠心式ジェットエンジンは軸流式とは違い空気誘導経路が無く、ただ、エンジンルーム内に「ドン」と置いてあるのが現状でした。また、これも仮に鳥を吸い込んでもエンジン本体廻りはガラガラに空いているので、そこの隙間に鳥が入ってもおかしくありません。そして、二回に渡るパイロット(多分、操縦していたのは故中川2佐)は「Bail out」と入間TWR担当管制員にコールしたが後席の故門屋3佐が飛行点検資格者なので「中川さん、下と方位にはまだ人家があるから、もう少し延びましょう(飛行しましょう)」アドバイスをしたと思われ(小生は両パイロットの性格を周知しています)、シップの方位上に人家は無いと判断したが既にエジェクションシートの「Bail out」を安全な高度と速度から逸脱しているので、両パイロットは「自らの死」よりも、とにかく地上への被害を最小限抑える為と航空自衛隊の立ち位置(当時の自衛隊は特にマスゴミや国会議員や左派系市民団体の当たりが凄く強かった)を考え、同時に航空機整備員艤装員(この特技は主にエジェクションシートや空調等の整備担当)に、この事故はシートが作動せず自らの死を否定する意味で13秒後に「Bail out」コールして「Dハンドル」を引き、まずキャノピージェッション(風防を飛ばす事)、そして後席の門屋3佐が「シートジェッション」次に中川2佐が「シートジェッション」したが、後席の門屋3佐はエジェクションシートとパイロットとのセパレートは成功したがパラシュートは完全にデプロイ(開傘)せず、前席の中川2佐はエジェクションシートと共に地上に叩き付けられて殉職されました。でも、小生が思うには両パイロットはエジェクションシートがシップがジェッションした時にシップの方位がしっかりと入間川河川敷に墜落するのを見て少しは安堵したと思います、自らの命と引き換えに。後日、航空事故調査委員会と川崎重工関係者(製造メーカーも事故調査委員会に同行します)が調査し、結果は動画の通りです。約2,000名の戦闘機パイロットを育てたT-33Aは通称は「Tバード」と愛着があり、小生も同乗する機会がありましたが良き時代の合衆国(当時は機体の造りを見れば製造メーカーが分かる時代でした)が造った頑丈で意外にパワフルなシップだと記憶しています。ただ、インストルメントパネル(計器)はWWⅡから、あまり変わっておらず、同メーカーだったロッキードマーティン社のF-104Jと一部計器配置が似ていました。事故後は送電線を切断した事で航空自衛隊への非難、批判はごーごーに来たのは当然として国会まで事故原因追及する位ならT-33Aの老朽化を認め早めに退役するべきではないのか?何故、当時の大蔵省は防衛予算には消極的なんだとマスゴミと野党国会議員と大蔵省には憤りを感じましたね。全く残された家族や親族等へのご冥福や見舞いの一言も無いのか?・・・と。そして計画から2年前倒しでT-33Aは退役し、あるシップは全国各地に地上で余生を過ごしていますが、こんな形で退役するとは歯がゆい面もありました。目を閉じれば両パイロットの顔が浮かび、飛ぶことが嬉しいお二人なので、今も天国で飛行資格点検中ではないかと思います。長文、失礼しました。最後に自衛隊法規則39条の「服務の宣誓」は曹士の服務の宣誓であり、パイロットは幹部自衛官なので、しっかりと幹部自衛官への「服務の宣誓」はあります。最後に故門屋3佐は「仏の門屋」と言われたくらい、もの静かな人でもありましたし幹部と曹士との階級上での関係はなく、とても気さくな人でした。
故中川空将補は、F-1機種での、F-1戦技課程(ファイターウェポン)の卒業者の中の1名であり、その課程時のおいては主席で卒業された方でしたし 故門屋1佐は、2WGでの千歳勤務の頃初代ベストガイに選抜された方でしたよね。 故中川空将補とは、相互会話はしていませんでしたが、見かけた際には私が敬礼をしたら(きちんと)答礼をされていたので 事故生起の2~4年前に、戦技競技会でエプロン地区から、競技参加でフライトに臨まれタキシング、デイクオフ、RTBでランディング、タキシング、エプロン地区に戻り停止まで、当時見送り出迎え応援をしていた事を思い出します。
全く敬意を表すべき方々で、我が国の誇りです。戦前にもにた事案が海外であり、当時操縦していた日本の搭乗員(訓練に行ってたよう)がその国で評価されてたと思います。今も日本人操縦員には同じ気持ちが流れてるのだなぁと改めて感じました。@kyosin-nobu1様のお気持ち、その当事者には辛い物ですね。ところでJ47は軸流式エンジンでは無いかと思います。
@@user-ik9rr7xl3 J47は軸流式ですか?
@@kyosin-nobu1 軸流式ですね。
殉職されたパイロットの方の使命感と勇気には、国民云々以前にもまず人として敬意と感謝しかありません。改めてご冥福をお祈りいたします。コメントをされている方々もつらい記憶もある中、貴重な情報、ありがとうございました。
この時期空自にいましたが、墜落事故が非常に多かったです。スクランブルで上がった301のF4、8月15日でした。女性パイロットが機長のC1、ブルーのT4、そしてT33。 整備士として働いていて辛い時期でした。皆安らかに🙏
当時、私も現役の航空自衛官でした。今回この動画を発表された「機場空論」様に感謝すると共に殉職されたお二人に改めて哀悼の意を表したいと思います。
殉職されたお二方は、死ぬと分かっていて、ベイルアウトしたと思います。その最後の瞬間まで人を思いやる配慮に心を打たれました。
@@jinbei0118 整備員達への落ち度が無いように射出座席はきちんと動いたぞ!と死の緊急脱出を敢行したのでしょうね……。(どちらにせよ墜落は確定とはいえ……)
二回目の「ベイルアウト」を発した時、二人のパイロットの脳裏に浮かんだのは家族に二度と会えないことの無念だったでしょうか。住民を巻き込まずに済んだという安堵感だったでしょうか。勇気ある自衛隊員の存在は日本国民の誇りです。
自衛官?
当時の安倍首相のこの言葉で、殉職された二名の自衛官は、浮かばれる思いだったのではと。最期の瞬間まで自衛官の職務を全うされたお二人へ、ご冥福を、敬意を持って心よりお祈り申し上げます🙏
いい構成だ。すべての殉職された自衛官に黙祷。
このときの各メディアの報道には怒りしかありませんでした。墜落の原因が判明しないときから、自衛隊への批判がこもった記事ばかりでしたので。最終的に風向きが変わりましたが、その頃には大きく取り上げるメディアはほとんどなく。そして今年の羽田での事故。事故から数時間後の航空会社による記者会見で「機長の名前は?」「事故までの流れを時系列で」と質問している記者を見て、この事件のことが頭をよぎりました。そして「まだ直す気がないのかこいつらは」と再び怒りが込み上げてきました。
他人の情報に寄生する業界だもの。
詳細を一番知りたいのは関係者であり、自身は現場に立ち入れないというもどかしさをマスコミも知っているはずなのに、なぜ毎回詰め寄るんですかね?そういう経緯や事情を説明する事こそマスコミの責務であろうに...
@@alice_air_8875 マスコミの本質はミーハー、追っかけ、ストーカーだからな。他人の情報にタカル変質者業界だね。
@@alice_air_8875人の不幸は蜜の味って考えて、事故が起きたら喜んで飛んでいく人間やでなんとも思うわけないやん()
@@leadsolo6029 それはそれで「迅速な報道」なので構わないが、事情を知りながら下っ端記者の尻を叩いて突撃させても成果など無い事を知っているはずだが?まあ今年始めのJALの時も「関係者は言葉を濁した」調の報道をしていたから、糞は何をどうしようが糞なのかな…
この事象発生の時、入間川の河川敷にあるラジコンカーサーキットで友人の二人で遊んでいました。今日は午前中から何度も飛行機飛んでるね〜と話してたら「なんか高度低くない?」と話し、目をサーキットに向けてすぐに後方からパリパリッと音が発し後ろを向いたら飛行機が送電線?鉄塔?に当たってスパークしてるところが目に入り、直後にドンッと爆発し黒煙をあげながら真下あたりに落下していきました。また多分その直前くらいだと思うのですが、脱出されたであろうパイロットの方の影が2つ見えたのですが、(2人目の方はほぼ接触ど同時か直前位だったのではないでしょうか)パラシュートが開ききらずに落下していくのが見え、あぁこれは、、難しいかも、、なんて素人ながら思っていたのを思い出します。墜落直後、機体にもかなり近くまで寄る事ができたのですが、ランニングしてた非番の消防隊員も集まり、脱出されたパイロットの方を懸命に捜索されていたのも思い出しました。当時も思った事なのですが、直前まで出来る限り川に沿って飛行していたのは、外から見ていた素人にわかりました、また最後ギリギリまで事態を大きくしないようにコントロールしようとしていたのでは?というのも脱出されたタイミングからも感じました。最悪の事態を避けるべく考えうる行動を最後まで取られたおふたりに、尊敬と感謝とともに謹んで哀悼の意を表します。
生きれたかもしれないのに住民を守り仲間の名誉のために命懸けで操縦し、助からなくても脱出したと思うと本当に凄いこの事故で殉職した御二方のご冥福をお祈りします…
事故から国民を命をかけて守った中川空将補、門屋一等空佐に心から敬意を払います当時、マスゴミはこの様に密集地に墜落しない様に命をかけた二人の努力には全く触れず、大停電とか学校に墜落してたらと自衛隊を叩きまくりでしたこの安倍首相の防大卒業生への訓示には涙が出た事を思い出します
そういうマスコミや世間の風潮があったからこそ彼らは機体を捨てて脱出することができずに殉職した。欧米なら被害軽減に配慮しつつもちゃんと脱出する。パイロットの証言があった方が未来の事故防止に寄与する。自衛隊じゃパイロットになる者には言われるんですよ、住宅地に墜ちるくらいなら自爆しろ、骨は拾ってやるからと。彼らを殺したのは当時の我々の世論であり、これを美談として語り続けることで次の特攻者を出すことになるだろう・・・
墜落現場のすぐ横に私の母親の実家がありました。お二人が最後まで懸命な操縦をしてくださらなければ、私は今ここにいなかったかもしれません。お二人には感謝と尊敬の念しかありません。
この事故に関して新聞記者のインタビューに答えた空自パイロットはこのように話しています「自分も被害を最小限にするために最後まで操縦する覚悟はあります。ただ、最後の瞬間に、わずかでも時間があれば、脱出装置を作動させます。そうしないと、脱出装置を整備した整備員にいらぬ心配をかけますから」
ブラック職場か。
@@kamkam_99 というか今でも続く自衛隊敵視をしてるマスコミが悪い。そうじゃなきゃ、やむを得ないとして住宅密集地の中でも緊急脱出してもきちんと意味があるならなんとかなってたのを、マスコミの自衛隊は悪のような報道をしていたのでこうなる事をしないといけなくなったのです。最近はちょっとだけマシになりましたがね。(本当にちょっとだけ)
@@kamkam_99 軍隊がブラックで無いわけがない。
@@kieyam3596それだけの重責と覚悟をもって臨んでいただいている、といことですね。大変な職場ですが、それでもだれかがやらなければならない。。。頭の下がる思いです。
@@shigsu8250 自分が死ぬかも知れない、人を殺すかも知れない、と言うことを目の前に突きつけられる仕事ですからね、他の私たちとは全く違う。本件の2名も住民を守るために自らの命をなげうった、崇高な精神ですね。でも、誰かを守るために誰かが犠牲になることを美談にしてはいけない、住民を守った上で生還できるようにしないといけないんですよね(その方向に改善されているはず)
まずは、殉職されたお二人に哀悼の意を。時折、自衛隊機、米軍機の不時着等の報道を見るにつけ、”その結果ではなく過程に目を向けろ!”と言いたくなります。海岸へ不時着したと言っては大騒ぎ、墜落したと言っては大騒ぎ、住民を巻き込む危険があった!等の論調ばかり。何故、その場所を選んだのかと言う理由については、ついぞ触れない。論調とは全く逆である。住民への被害を避ける為、あらゆる努力、そして命を賭してその場所まで飛んだのだ。その事実を伝えてくれる動画に感謝です。
田んぼ、海岸どちらも住宅やオフィス、工場への墜落を避けるために最善の処置をしたものだと思っていますそれは日頃の訓練により成し遂げられたものだと思うので人的被害を出さなかった不時着を批判するマスコミや政治家の発言には違和感を感じます
T-33墜落事故の事を動画作成配信をして頂き、感謝です。 故中川空将補に関しては、2佐当時の頃、戦技競技会での参加で出撃時の際にエプロン地区で事故生起の1~3年前の当時直に見送った事があり、 事故速報や続報を聞いた際本当に驚きました。 殉職された2名の方のご冥福をお祈りします。
今回の事故、今もよく覚えてます。自分も元海上自衛官で、入隊時に宣誓を行い、航空隊勤務をしました。家庭の都合で事故の数年前に退官しましたが、パイロットとして又自衛官として、地上の被害を最小限に抑えたお二人の心情を思うと鳥肌が立ったのを覚えています。この様な事故が起きない事を切に望みます。改めて殉職された御二方のご冥福をお祈りいたします。
ワッキーさま、コメントをありがとうございます。また、数年前まで現役でご活躍されていたとのことで、そのお立場であれば事故に対する思いも私の想像を超えるものと察します。今回は墜落現場で慰霊を捧げることも現地に行った目的のひとつでしたが、おっしゃるように、事故が起こらないことも心より願っております。
25年前の今日の出来事ですね。最後まで任務を全うした隊員の方々に敬意を表するとともに哀悼の意を捧げます。
ここで服務の宣誓が聞けるとは…。素晴らしいと思う。
最後の安部さんのスピーチ、鳥肌が止まりませんでした。二人の魂に敬礼。
ほんとうにそれね。二人のパイロットも安倍さんも無くなって悲しい。安倍さん銃撃の現場に居合わせ心肺蘇生を必死にしてた看護師の女性の言葉、安倍さんを死なせたら日本が終ってしまうと思い、必死に呼びかけて心臓マッサージをした。実際にその通りになってしまいそう。
当時、入間基地に隣接する稲荷山公園駅を利用する高校生でした。帰宅時に電車の遅延に遭遇して送電線のトラブルと聞いていたので偶に電車では起きる事なので鉄道会社に対して不満の気持ちがありました。しかし、帰宅後に航空自衛隊機の墜落でしかも民間被害が最小限になる様に努力されたお二人の自衛官が殉職された事故と知りビックリした事を昨日の事の様に記憶しています。改めてお二人の自衛官に対して深い哀悼の意を表します。
誰も市民が亡くなっていない事を二人に伝えたい、ありがとう
安倍さんの時は自衛隊に対して真摯に向き合っている感じがして良かったな
地元の入間市民です この日の事ははっきり覚えておりますこの事故を取り上げていただきありがとうございました
墜落直前まで機体をギリギリまでコントロールして住宅地を避けて墜落、その時に高圧線を2本断線させてしまったニュースを覚えてます。黙とう。
爆発音と停電がほぼ同時に発生して、時間をおかず近隣の学校は一斉下校。学校を横断するようにある送電線が断線してて何事かと思っていたら、帰宅して理由を知ってめっちゃ驚いた記憶。パイロットの方がギリギリまで操縦桿を握っていてくれなかったら、学校に墜落していた可能性もあって…私が今ここに居ない未来もあったと思うと、、、殉職されたお二人には感謝してもしきれないです。
奇しくも今日10月26日、殉職隊員追悼式が防衛省で行われました。自衛隊の前身である警察予備隊が発足した1950年以降、殉職隊員の累計は2112人にのぼります。あらためて今日の日本が隊員の尊い犠牲のもとに成立していることに背筋が伸びる思いです。
その方々は靖国に入れて貰えるのでしょうか?ぜひ加えていただきたいです。
地元狭山市の住人でした。この時の突然の停電、混乱は凄かったです。国道16号線の信号停電、狭山市はもとより、高島平に至るまでの停電、私は事故当時、和光のホンダ技研の構内におりましたが、帰り道の関越を川越ICで降りてからは、国道の信号を警察官が人力で誘導していて、交通渋滞が凄かったです。当時も自衛官の方が、最後の最後まで機体をコントロールして住宅地を避け、河川敷に誘導した事を凄い責任感だと感心していました。当時の詳細な情報を有難うございました。
元航空自衛官です。事故が起きた時は既に自衛隊は退職して民間の会社に入社していましたが、事故のニュースを見た時、涙が止まりませんでした。第八航空団 第六飛行隊のF-1、T-2、T-33の列線整備をやっていたので。パイロットの中川さんも第六飛行隊に所属されており、とてもやさしい方でした。
故中川空将補は、温厚な性格の方としても有名でしたよね。
この件に関しては、狭山ヶ丘高等学校の小川校長が記した記事もぜひ確認していただきたい。「人間を矮小化してはならぬ」というものだったかと思います。殉職されたお二人に心からのご冥福を。
もっと早く脱出することもできたのに、可能な限り最小限の被害に留めるべく努力した結果だったのでしょう…
この逸話は何度聴いても涙が止まらない。自らの命を賭しても、国民の生命、財産を守るという自衛官の使命を果たし殉職された2名の自衛官の方々には最大級の感謝と尊敬を禁じ得ない。
当時、会社で停電になり、何事かと思いましたが、自衛隊機が墜落し、2名の方が殉職したと聞きました。住宅に墜落しないように、ギリギリまで操縦していたという事で、民間人に死傷者を出さないようにという強い気持ちだったと思います。地元民としては今でも11/22は忘れてはいけない日だと思っております
狭山市出身の者です。あの日、高校生で映像に出てくるあの住宅街で昼寝をしていました。彼らの判断で今の私が生きています。ありがとう。そして今、運命のイタズラか娘が防衛大学に入学しようとしています。入学前にこの映像を娘に観せたいです。ありがとうございます。
とても残念な事故でした。国民を命を懸けてお守りいただき自衛隊の皆様に感謝いたします。
上空からのシミュレーション映像を見せて頂き、単なる民間人の自分でもこれはベイルアウトするわけにはいかないと思いました。しかしそれを実際に決断し実行した隊員の方達には本当に頭が下がります。当時私は所沢の実家におり、この停電も経験しました。あらためて中川氏と門屋氏(階級は私にはよくわからないので失礼します)のご冥福をお祈りし、ご遺族、関係者の方達に哀悼の意を表します。
この日のことはよく覚えています、午前の仕事を終え、仮眠を取って午後の仕事に備えていたのですが、設定してあったオーディオのタイマーは動きません 慌てて職場に行くとこのニュースが流れていました、、その瞬間に隊員さんたちがギリギリまで脱出しなかったことを一瞬で理解できました しばらく涙が出て仕事になりませんでした 本当にお二人のご冥福をお祈りします
私の息子も自衛隊ですが、お二人の殉職はまさに国の誇りです自分の息子がもしこのような場面になったときに、果たして立派だったと言い切れるだろうか考えてしましますが・・・そして安倍総理、あなたも死を覚悟しながら国の安全を守られて殉職されたひとりです合掌
最後の、故安倍元首相の言葉が、胸に沁みます。両親が亡くなるまで、近くの新座市(直線で20km以下の距離)に実家が有り、何時も訓練機の音がしていました。今となっては、安倍様と、この機を操縦をされていたお二人の、ご冥福をお祈りいたします。
命を諦めた訳じゃない。民家に落ちないと確信できるまで義務を全うしただけ。そしてその行為の末不幸にも殉職された方々を忘れず称えられ、自らも国務に殉じられた安倍首相には頭がただただ下がる思いです。災害が起きてもムダ金と呼び金を出さない前首相や仲間を後ろから撃つような今の首相に人の心が分かるのでしょうか?
動画拝見しました。当時は散々マスコミに叩かれましたね。2人のパイロットが亡くなっているのに、と思いながら報道を見ていたのを覚えています。元自衛官として、亡くなられたお二人の御冥福をお祈りします。
動画構成が素晴らしいです
この事故はよく覚えています、このチャンネルで初めて涙を流す動画編集ありがとうございます
ああこれ通ってた高校の近くに墜落したやつだねあのへんは住宅多いから河川敷に落としてくれた隊員に最大限の敬意を。
この事故のことは覚えている。住宅地に墜落することを避け、ギリギリまで操縦しつづけたベテランパイロットに、尊敬を禁じえません。あわせて、この事故の近辺にいらした方のコメントを拝察して、生半可なこともかけません。ご冥福をお祈り申し上げます
この事故があった日、国分寺にある高校の校庭で授業を受けていた時間にT-33Aが空を飛んでいるのが見えていたのを覚えています。幼い頃は入間基地のお膝元で育ったので好きな飛行機でした。総隊司令部飛行隊は佐官も多く、今ではシルバーインパルスなんて呼ばれますね。強い使命感と周囲に犠牲を出してはいけないと最後の最後まで機体をコントロールしようとして入間川に墜落させ、脱出の問題で犠牲になってしまったことは、本当に残念でした。その後の停電は大きな影響があって、二度とあってはならない事故でした。しかし、住宅地が近い場所で住宅に墜落することを防いだお二人の御冥福をお祈りしてやみません。
17:53 吉田茂が防衛大一期生に向けた言葉以来の名演説ではなかろうか自衛隊の皆様には頭が下がります。ここで懺悔している元整備員さん含めみんなこんな風に一生懸命仕事してんだろうね
横浜市で墜落した米軍のF4ファントムとは真逆の行動でしたね。ご冥福をお祈りいたします。
悲しい事故ですね初めてこの事故を知りましたが自衛官さんの行動が心に刺さりました2名のご冥福をお祈りします
機体から異音と振動に加えて煙のでている緊急事態の中、河川敷まで操縦するのはかなり大変だったと思います。20秒前に何も考えず脱出を選んでいたらお二人のパイロットは確実に助かったはずです。でも、ふと下を見た時に密集した住宅街やたくさんの人を目にして必死に被害を防ごうと河川敷に向かったのだと思います。機場空論さん御自身も飛行機を操縦なさるので、ご自分と重ねてらっしゃるのではないでしょうか。今回の動画制作にわざわざ入間に出向き、飛行と同じルートを車でたどったりかなり色々な資料を集めて丁寧な動画を作られているのが伝わってきます。
取り上げてくださってありがとうございます。民間人の安全のため・・・感謝しかありません。
安倍総理のコメントも泣ける
入間市出身でこの事故の時は入間に住んでおり都内へ通勤していたのでよく覚えています。西武線で帰宅時に大停電の影響で電車のダイヤが乱れていました。原因を聞いて、そんな場所の送電線が切れただけで大規模停電が起きる国家機密が露呈したことを驚くとともに、墜落した場所を知って操縦していた自衛官の方は周辺住民を守って殉職されたのだとすぐに理解しました。
なんか最後の方泣けてきた😢
宣誓の読み上げと安倍総理の訓示、涙無くして見れませんでしたよね。
故中川空将補は、既婚者の方でご家族(妻子在り、子供さんは娘さんで当時、中学生だったか女子高生だったと思います) その家族の元に戻り帰るのを諦めて 早期に緊急脱出での実操作をせずやらず住宅地に機体が墜落炎上での大被害を避けるために最低安全脱出高度以下の高度を飛行の事を周知させてりた。 射出座席はきちんと整備されていた。 その事を示す為に、地面まで高度約30mの低さでも、作動させたと思われるので。 実際に、故中川2佐が生存されていた頃の当時、何度も(会話なしでも)見かけていて、敬礼をしていたので事故速報と続報を聞いた際、当時本当に驚いたので。
1999年11月22日...自分の誕生日で驚きました。まさか、こんな大きな事故があったとは...
命の危機に直面した時に自分より他人の命を優先して考え行動するということはなかなかできないことだと思います。地震や災害の度に自衛隊の方々の救助活動を見慣れてしまい、いつの間にか日本に脅威があれば自衛隊が守ってくれて当たり前のような考えになっていました。私は自分の命を危険に晒してまで他人を守ったり助けることはできません。せめてこれからは、人に対して思いやる気持ちや感謝の心を忘れずに毎日を過ごそうと思っています。
この墜落事故は生々しく記憶に残っています。殉職されたパイロットの1名を河川敷で目の当たりにしています。詳しくは書けませんが被害を最小限に抑える為に最期まで河川敷に機体を誘導していたと分かる状況だったとその時に感じました。自衛隊員ではないので、その宣誓などはわかりませんが、我々にも似た様なものがあります。国民の生命、身体、そして財産を守る誓い……殉職された両名に対し心からご冥福をお祈りします。
当時はまだ自衛隊に対する風当たりが強い時期で、この事故が発生した時にマスコミはこぞって自衛隊の危険飛行として報道していたのを思い出しますなただ、個人的に墜落現場の写真を見たときに、ここまで周囲の被害を食い止めると最後まで尽力した墜落があるかと思ったものですあの頃は厚木で米軍機の墜落などもあり、散々な報道のされ方をされていました
住宅地に墜ちるくらいなら自爆しろ、骨は拾ってやるから・・とパイロットコースに入った学生が言われるのは今でも変わりません。かかっている経費からも、事故原因の究明で次の事故を防止する観点からもパイロットが生き残っているのが重要なのに。現代の特攻です。
@@kamkam_99ここにもいたな現代の特攻が
この航空事故がおきたのが1999年11月22日。今年で25年です。此の事は今も忘れずに語り継いでいかなければなりません。この後、残りのT-33Aは飛行停止になり、そのままひっそりと入間基地にて簡素な退役セレモニーが行われ、一般公開もされませんでした。その後は入間基地R/W35側埼玉県警航空隊施設の近くに2機、滑走路を見守る形で配置されていました。該当機のナンバーは1機が#294、もう1機は残念ながら機番は消えてしまっていました。滑走路外の場所というだけに経年劣化が普通より早く、少なくとも5~7年以内には撤去されていました。私が見たのは2002年で、その段階でかなり朽ちていた為、もう少し早かったかもしれません。それでも離陸・着陸する機を殉職されたパイロットと共に見守っていたんだと思います。
二人の尊い命が失われてしまったことを無念に思います。万全を期して整備してもこのようなトラブルが起こってしまうのは残酷ですね……
安倍氏が遺した言葉を通して、見えてくる二名の覚悟こそ、この国に受け継ぎたいものです
この動画を拝見して思い起こされたのが小林照彦少佐(殉職後2佐に特進)の殉職時の状況。機種もT33であり同乗者を最初に脱出させた後、最後まで民間への被害を避けるために操縦して殉職されました。このような事故に限らず小林少佐やこの事故で殉職されたお二人のような方が、我が国を守っておられることを誇りに思います。
小林少佐?あの244戦隊司令かつB29体当たり特攻指揮で自らも参加したあの撃墜王の?
@@永田寛-l9w その通りです。1954年に航空自衛隊に入隊後、3等空佐として松島・築城基地などに勤務の後、浜松基地で教官として勤務していた1957年に事故にあい殉職されました。本当に動画のお二人と同じようにりっぱな方だったと思います。
お二人のご冥福をお祈りします。関係者の方々が見られるようなチャンネルであること、偶々辿り着けた身として凄いなと思いました。出会えて良かったです
墜落した日は、R/W17進入でした。そのためパイロットの視界に入間川の河川敷が入り、危険を避けようと必死の操縦で民間人に被害が及ばないように操縦されたのだと思います。もし、風向きが違っていて、R/W35進入だったら、河川敷のような土地はなく、お二人の必死の努力も報われなかった可能性もあります。勇敢な自衛隊員の方なら、それでも被害がでないように操縦されると思います。心から信頼しています。
この自衛隊員の勇気ある行動を否定的に報道したマスコミに対し深い憤りを感じる。日本のマスコミははたして本当に日本のマスコミなのだろうか?
質の高い動画、いつもありがとうございます!
mizumizuさま、いつもコメントをありがとうございます。また、お褒めのお言葉だけでなくスーパーサンクスも頂戴して大変励みになります…!直近朝は少し肌寒さも感じるほどで、一日を通して過ごしやすくなった感がございます。もう11月も目の前で日に日に寒さが増していくと思いますが、どうぞご自愛ください。
自衛隊ではなくて民間の航空機だったと記憶しているのですが、大阪でも緊急事態に陥ったヘリコプターが走る電車をさけて「あえて線路に墜落した」という事故がありましたねそこは市街地であり開けた土地がないところであったので、パイロットは少しでも地上の被害を軽減すべく人と電車のいない線路へ機体を導き墜落したそうです(搭乗者がその後どうなったのかは記憶にありません)…もちろんパイロット自身の生命もというものであることは重々承知してはいますが、住宅地上空でベイルアウトしたがために機体は住宅地で墜落してしまい人的被害を生じさせてしまったという事故があったことを考えれば自らの命を顧みず少しでも地上の被害を軽減しようとしたパイロットたちへ敬意を示したいですね
突っ込むのは野暮かもと思いましたが、調べてみたところ「大阪航空堺市墜落事故」と言う事故らしいですね。内容見る限り、かなり杜撰な話みたいです。最後の最後はおっしゃるような対応だったかもしれませんが、経緯的に今回の話と一緒に語るのはどうかなとは思いました。
隊員2名の尊い命が失われましたが、隊員の立場、トラブルの状況、被害の可能性を考えると、最良の判断、操縦であったと私は思いました。
パイロットなら誰もが同じ気持ちになると思います…亡くなったのは残念ですが犠牲者を出さなかったのは良かったと思います。
この様な事が有った事は恥ずかしながら今初めて知りました。ユーチューブのお陰です。 殉職されたお2人に対し心からご冥福を祈ります。
当時の航空専門誌に、お二人のパイロットの河川敷上空でのベイルアウトに生還の可能性はあったのか空幕防衛部長によると、「ベイルアウト」とパイロットが通報したときは高度300ftぐらいでTー33Aの緊急脱出装置では遅すぎる。生還の可能性はまずなかったと語っています。エンジントラブルに加えてコックピットが煙で充満している中で住宅街や学校を避け河川敷まで操縦するのは至難の業だったと思います。お二人の心情を思うと言葉になりません。
素晴らしい動画、ありがとうございました。
航空自衛隊安全の日に必ず出てくる事故ですね・・・この事故ではありませんが、とある事故により殉職された隊員のと列に参加した際のご遺族の顔が忘れらません・・・。
自分が生まれる4年前に地元でこんな事故があったたとは知りませんでした。ますます自衛隊の方々には敬意を持つべきだと思わされました。お二方のご冥福をお祈りします。
私は以前にこのニュースをネットで観ました自分達より国民を守る正義に心に打たれましたまるで大東亜戦争時の特攻隊員のようにこのお二方に哀悼の意を表しますともにご冥福をお祈りします活躍されてる自衛隊(軍隊)の皆様いつまでも国を守ってください
この日事、はっきり覚えています。仕事で当時近隣の川越市西部の地域で停電したお客様の対応をしていました。停電の原因は不明とされていましたが、車のラジオから自衛隊機の墜落の報道が永遠と流れていました。狭山方面を見上げると報道ヘリが群がっていてあの辺りでって思ってました。殉職された方のご冥福をお祈りします。
亡くなった自衛官2名の事を考えると、涙が止まりません。国を守るという事は、こう言う事なのです。私もこのニュースを初めて聞いたとき、さすが自衛官、天晴れな最後だと思いました。宣誓書の通りに行動し、殉職された2名の自衛官の、ご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
これは今でもはっきり記憶しております。私は機械系技術者です。なぜこのような古い機体、しかも部品供給や交換もままならない機体を、血税なので我慢してとうゆう理由で使用しているのか疑問です。これは自衛官に対する処遇も同じです。未だに1960~1970年代に建てられた官舎に住まわせているのか。政治家は官舎を新しく都内一等地に暮らしているようですが国を守る仕事をして頂いております。これは政府による人災です。新しい装備ばかりに目が行きがちですが、今一度、人が守っているとゆう視点で待遇の見直しが大切かと思います。
当時、40~50代の実年齢世代の操縦士の方の中で、地上勤務&管理職業務が増加の頃となり、たまに飛ぶ!(操縦士資格を喪失しないように)と、老朽化&陳腐化でもT-33を小数でも、維持運用をし続けていました、 何せ、40~50代の世代の操縦士の方をT-33の後継機、T-4での別機種に機種転換をしても、その期間、燃料代などの経費 T-4機種での新規に別機種の操縦資格を取得しても、停年までの残り年数、 定年までの残り年数で、年齢も増加身体面での低下劣化、航空身体検査の合格をし続けるのも大変で・・・ 費用対効果!(当時)40~50代の操縦士の方は昔懐かしい!学生時代に飛ばしていた機種の中の1つ、T-33 を維持し続けていたので。 でも、やはり以前から~古過ぎ!整備補給資材計画、調達の面でも実際には、(もの凄く)大変でしたね。 整備の面(整備の立場)からでも安全性の確保!懸念をしていたので。 でも、高齢の管理操縦士の方にと年齢が年齢、T-4での後継機に機種転換をしても、費用対効果 有効性(早期に、自主判断、決断!それが例え不本意でも、これもまた、運命 さだめ)などとして、まだ~飛べる!でも操縦士を辞めて欲しい!(飛行手当の増額支給分は当然なくなる)としてもね。 今まで、命がけで飛び、防衛をし続けてくれた方に対して、ポイ!的な事は、弊害で~次の世代の操縦士の方にもね。 心理面でも影響度となる、 しかも、規則でのルールはルール胴体、主翼が頑丈だったT-33、墜落事故後でも、胴体や主翼での残り運用可能年数分が残っており(早期での)用途廃止とすれば減価償却費分、税金の無駄遣い!となるとされて・・・ でも、安全面!で・・・とか古い部品の製造?調達でも余計に手間暇増加、費用も増加、整備面でも補給、資材計画、調達面でも手間暇増加! 各種作業、仕事の能率化の向上にも無理!総合面で、として 早期?での用途廃止処置とされたので。
この責任感の1ミリでも政治家が持っていれば日本は良い国になるはずなのに
本日、公共交通のみで現地に行ってきました。この動画が無ければ知ることも無かったと思います。
こう言ってはなんだが、当事者のコメントを見れるのはすごく貴重だ。
すごい人達でした、、、国の宝です
「マイナートラブル」の通信からの、「13秒後のベイルアウト」ですね。よくぞUPして頂けました。まさに「国民の負託」にこたえるべく、被災地を含め、あらゆる場所で職務遂行する自衛官の皆様に、感謝申し上げます。
「人間を矮小化してはならぬ」という、この事故について小学校の校長先生がなされた言葉を今も思い出します。
頭が下がる思いです。このお二人に限らず、自衛隊員の皆さんはもっともっと尊敬されるべきだと思います。せめてアメリカみたいに優先搭乗ぐらいは認めてあげてはいかがでしょう。
練馬区の中学高に通っていましたが、授業中に突然停電しました。自衛隊基地が墜落したとのことはその後のニュースですぐ知りましたが、詳細について知ることはこれまでありませんでした。あの時こんなことが起きてたのかと思うと胸に詰まる思いです。ありがとうございます。
この事故覚えています。入間基地にも横田基地にもほど近く毎日訓練機が飛び回る下に住んでいる身として他人事ではない気持ちで拝見しました。あの時もしあの飛行機が自分の頭上に落ちて来ていたらと考えるとゾッとします。この2名の隊員により失われずに済んだ命は数知れないです。まさに自衛隊の鑑。改めて2名の隊員のご冥福をお祈りします🙏
皆さんのコメント内容が濃くて深すぎまする。「曹士の宣誓」の他に「幹部の宣誓」もあることにいま気付きました。秀逸の動画も皆さんの思慮深さにも。とても感動しました。ありがとうございます。黙祷。敬礼。
あの事故から、もう約25年も経つんだな・・・いう事を聞かない機体をし操縦しながら、住宅地に墜落しないように河川敷に機体をもっていったパイロットと副操縦士にGJ!!
自衛官の皆様に国民を守る信念を持ち続けていただく為に、守られている国民が自衛官の皆様に感謝する気持ちを持ち続ける必要があるのではないかと思います。
検査や点検が適切に行われていたとはいえ、古い機体なので突然の故障もあり得たでしょう。もっと更新が早かったらと、残念に思います。(タラレバですが)実際の現場に出かけて撮影し動画を作成していることから、機場空論さんの強い想いが感じられました。
動画の最後で思わず涙が滲んでしまいました。動画内のT-33の3Dモデルや映像の一部には同作のハンガー画面と、先日MSFSにて配信されたアドオン機体が使用されていますね。事故当時の僕は少年だったという事もあり有名な戦闘機にしか興味が向かず、墜落したのがT-33という練習機だったという事すら認識できませんでしたが、恥ずかしながら今回の動画でようやくT-33が自衛隊でどのように運用されていたのかを知ることが出来ました。本件の過去には他にも自衛隊機による痛ましい航空事故が度々発生しておりますが、その歴史の上に現在の日本の空があるのだと思います。全日空機雫石衝突事故は戦後の日本において特に重大な航空事故の1つと記憶されております。殉職されたお二人の決死の判断には、その余りにも重い航空自衛隊の過去に対する責任感、国民を守るべき自衛隊員が事故によって再び一般人を巻き込むわけにはいかないという強い覚悟もあったのではないでしょうか。近年における日本の領空は様々な脅威に晒されておりますが、今日も日本の空を護っていただきありがとうございます。全てのパイロット、管制員、整備員、従事者の方々に感謝申し上げます。
事故当日の昼下がり、爆音を響かせながら新座市上空を低空でフライパスする本機を目撃しています。やや右側にバンクしつつ入間方面へ。その際にコクピットの搭乗員も見え、何やら懸命に作業する姿も。『変だな。何が起きているんだ?』と見送るまま、しばらくして大停電へ。思うに前席後席と連絡を繋ぎながら維持していたのだと思います。
阿部元総理の言葉…一気に泣いてしまいました。機場空論さま、現地まで行って頂き動画作成ありがとうございました。あの時、大きな音が…酸素マスクが、羽田へ戻ると思いながら、ああ、せめて山へ向かっているのか、あえて…今は思います…飛行機✈️見るのは好きですが、乗れません。浜松航空祭、見ていたらなんとBlue Impulseの墜落コメント、沢山ありました。リクエストしても良いでしょうか、何故、どうしてあの美しい飛行して私たちに元気を与えてくれる航空自衛隊機が…教えて頂けないでしょうか…
きくいっくさま、いつもコメントをありがとうございます。また、スーパーサンクスも頂戴して大変恐れ入ります。ブルーインパルスの件は少し調べてみましたが、その歴史のなかで複数の事故があったんですね。。自衛隊の事故調査結果は公表されたとしても概要書しか出ないようで、今回の動画で扱ったように衆議院の委員会質疑や政府答弁書での補足説明がないと、信頼のおける情報が足りずに動画を作ることができない可能性もございますが、機会があれば確認をしてみたいと思います。
この基地の近くで毎日、帰投するT33Aを見上げながら育ちました。事故が起きた時、自衛隊を責める声が数多く上がりました。私は、この国の国民の未熟さ、幼さ、身勝手さを痛感し、悔しさに震えました。いま、少しでも役に立つべく、飛行機の素晴らしさや、国を守ることの意味を理解してもらう仕事についています。
普段はメトロなどでおとなしく飛んでるT-33Aしか見たことはありませんでしたが基群司令が年次飛行を兼ねて基地防空隊のフェーカーをやった時にはじめてT-33が元戦闘機だってところを見せられました。航空祭でもT-33の戦闘マニューバを見ることはないのでたまげた思い出があります。お偉いさんをロートル呼ばわりするのは自重しようと思った次第でした。
本日、2024年11月22日 金曜日 13時40分、 入間川の現場にて 哀悼の意を捧げたいと思います。 日本を守り抜く、 我々もその精神を 後世の日本人に伝えて参りたいと思います。誠にありがとうございます
美しい映像と構成の動画をありがとうございます短い時間で様々な事を判断し遂行出来たお二人の技能の素晴らしさと、それ故に殉職された事がより重く感じます月並みな言葉ですが、事故は無い方が良いですね
自衛官としてというより、人間としてお二人の死を直面しながらの行動に只、ただ尊敬致します。 また、国防を担う方々にとって、動画最後の阿部サンのスピーチは最高のエールだったのではないでしょうか。
入間基地に隣接して住んでます。当時の事をよく覚えてます。停電になり、近接でマンション建設している作業員さんに聞いたら、一帯も停電で少し遠くで何かあった様だと聞いて…ポータブルテレビがあったのでニュースで知りました…合掌。
【おわびと訂正のお知らせ】
14:20で「管制官」と発言しておりますが、正しくは「管制員」となります。
あと。機体が墜落したのは、あるいは「パイロットが墜落させた」のは。河川敷ではなく、狭山リバーサイドゴルフ場のコース内。
@@倉本理央 狭山リバーサイドゴルフ場があるのは河川敷
@@倉本理央 そりゃ「狭山""リバーサイド""ゴルフ場」だからね…
@@倉本理央にわ
私はこの時に、所属部隊の整備員として、任務に就いておりました。
入間川方向から黒煙が上がる様子が、今でも、脳裏に焼き付いています。この機体の定期整備は私がしました。燃料系統は私が整備しました。いくら事故原因が整備に起因しないと言われても、心の何処かに「私の責任だ。」と、思い続けています。この事故がきっかけで、私は昇任するのを辞め、昇任試験の面接時、隊司令に対し、辞めますと宣言をしました。せめてもの償いの気持ちだったかもしれません。この気持ちは、永久に消えることはありません。忘れることもありません。
命を賭し、最期まで死神と戦って、見事打ち勝ち殉職された御二人に対し、最高の敬意と深い哀悼の意をささげます。
最後に投稿主様。
このような動画を制作してくださり、有難うございました。
投稿ありがとうございます。
まさか、整備されていたご当人からコメントが来るとは思いませんでしたが、生の声を聞かせていただき、
誠にありがとうございます。
貴重なお話しを聞かせてくださり、ありがとうございます。
死神は戦う相手ではないのでは?
涙が出てきてしまいました。
思い出すのも、文字に起こすのも辛い事をお聞かせ下さりありがとうございます。
20秒が残念です せめて一人だけでも生きていてくれたら 自衛隊隊員が職務で命をおとすのは とても残念でなりません
機場空論さん、今回は小生が現役だった頃の事故をアップするとは・・・ただ、涙が止まりません。殉職された2人のパイロットは小生とは職場で知り合いでもあり、まさか、あのようなクラッシュで家族を残して逝ってしまった経緯には今でも信じられません。中川2佐(当時)は元はT-2アグレッサーパイロットでもあり、元第6飛行隊長を歴任、門屋3佐は第304飛行隊飛行班長を歴任していました。当初は「入間でT-33が落ちた」との一方が来てT-33Aが墜落したとの報告が来ましたが、当初はエンジントラブルとの見解(当時は事故直後なので詳細は不明でした)との事でしたが、真っ先にエンジントラブルと考えられるのは「バードストライク」か、過去にあった「ウェポンベイドアオープン」での空気取り入れ口への大気乱流によるのどちらかだと思いましたがT-33Aのエンジンは「J33」型遠心式エンジンなので仮に空気取り入れ口から鳥が入ってもエンジンは軸流式とは違い遠心式なのでエンジン内部に入らないようにエンジンには鉄製の網カバーがありましたので、それは考えられないし、T-33Aの空気取り入れ口はコクピット後ろにある観音開き式空気取り入れ口から鳥が進入する事はまず不可能でした。それに遠心式ジェットエンジンは軸流式とは違い空気誘導経路が無く、ただ、エンジンルーム内に「ドン」と置いてあるのが現状でした。また、これも仮に鳥を吸い込んでもエンジン本体廻りはガラガラに空いているので、そこの隙間に鳥が入ってもおかしくありません。そして、二回に渡るパイロット(多分、操縦していたのは故中川2佐)は「Bail out」と入間TWR担当管制員にコールしたが後席の故門屋3佐が飛行点検資格者なので「中川さん、下と方位にはまだ人家があるから、もう少し延びましょう(飛行しましょう)」アドバイスをしたと思われ(小生は両パイロットの性格を周知しています)、シップの方位上に人家は無いと判断したが既にエジェクションシートの「Bail out」を安全な高度と速度から逸脱しているので、両パイロットは「自らの死」よりも、とにかく地上への被害を最小限抑える為と航空自衛隊の立ち位置(当時の自衛隊は特にマスゴミや国会議員や左派系市民団体の当たりが凄く強かった)を考え、同時に航空機整備員艤装員(この特技は主にエジェクションシートや空調等の整備担当)に、この事故はシートが作動せず自らの死を否定する意味で13秒後に「Bail out」コールして「Dハンドル」を引き、まずキャノピージェッション(風防を飛ばす事)、そして後席の門屋3佐が「シートジェッション」次に中川2佐が「シートジェッション」したが、後席の門屋3佐はエジェクションシートとパイロットとのセパレートは成功したがパラシュートは完全にデプロイ(開傘)せず、前席の中川2佐はエジェクションシートと共に地上に叩き付けられて殉職されました。でも、小生が思うには両パイロットはエジェクションシートがシップがジェッションした時にシップの方位がしっかりと入間川河川敷に墜落するのを見て少しは安堵したと思います、自らの命と引き換えに。後日、航空事故調査委員会と川崎重工関係者(製造メーカーも事故調査委員会に同行します)が調査し、結果は動画の通りです。約2,000名の戦闘機パイロットを育てたT-33Aは通称は「Tバード」と愛着があり、小生も同乗する機会がありましたが良き時代の合衆国(当時は機体の造りを見れば製造メーカーが分かる時代でした)が造った頑丈で意外にパワフルなシップだと記憶しています。ただ、インストルメントパネル(計器)はWWⅡから、あまり変わっておらず、同メーカーだったロッキードマーティン社のF-104Jと一部計器配置が似ていました。事故後は送電線を切断した事で航空自衛隊への非難、批判はごーごーに来たのは当然として国会まで事故原因追及する位ならT-33Aの老朽化を認め早めに退役するべきではないのか?何故、当時の大蔵省は防衛予算には消極的なんだとマスゴミと野党国会議員と大蔵省には憤りを感じましたね。全く残された家族や親族等へのご冥福や見舞いの一言も無いのか?・・・と。そして計画から2年前倒しでT-33Aは退役し、あるシップは全国各地に地上で余生を過ごしていますが、こんな形で退役するとは歯がゆい面もありました。目を閉じれば両パイロットの顔が浮かび、飛ぶことが嬉しいお二人なので、今も天国で飛行資格点検中ではないかと思います。長文、失礼しました。最後に自衛隊法規則39条の「服務の宣誓」は曹士の服務の宣誓であり、パイロットは幹部自衛官なので、しっかりと幹部自衛官への「服務の宣誓」はあります。最後に故門屋3佐は「仏の門屋」と言われたくらい、もの静かな人でもありましたし幹部と曹士との階級上での関係はなく、とても気さくな人でした。
故中川空将補は、F-1機種での、F-1
戦技課程(ファイターウェポン)の卒業者の
中の1名であり、その課程時のおいては
主席で卒業された方でしたし
故門屋1佐は、2WGでの千歳勤務の頃
初代ベストガイに選抜された方でしたよね。
故中川空将補とは、相互会話はして
いませんでしたが、見かけた際には
私が敬礼をしたら(きちんと)答礼をされて
いたので
事故生起の2~4年前に、戦技競技会で
エプロン地区から、競技参加でフライトに
臨まれタキシング、デイクオフ、RTBで
ランディング、タキシング、エプロン地区に
戻り停止まで、当時見送り出迎え応援を
していた事を思い出します。
全く敬意を表すべき方々で、我が国の誇りです。
戦前にもにた事案が海外であり、当時操縦していた日本の搭乗員(訓練に行ってたよう)がその国で評価されてたと思います。
今も日本人操縦員には同じ気持ちが流れてるのだなぁと改めて感じました。
@kyosin-nobu1様のお気持ち、その当事者には辛い物ですね。
ところでJ47は軸流式エンジンでは無いかと思います。
@@user-ik9rr7xl3 J47は軸流式ですか?
@@kyosin-nobu1 軸流式ですね。
殉職されたパイロットの方の使命感と勇気には、国民云々以前にもまず人として敬意と感謝しかありません。改めてご冥福をお祈りいたします。コメントをされている方々もつらい記憶もある中、貴重な情報、ありがとうございました。
この時期空自にいましたが、墜落事故が非常に多かったです。スクランブルで上がった301のF4、8月15日でした。女性パイロットが機長のC1、ブルーのT4、そしてT33。
整備士として働いていて辛い時期でした。皆安らかに🙏
当時、私も現役の航空自衛官でした。今回この動画を発表された「機場空論」様に感謝すると共に殉職されたお二人に改めて哀悼の意を表したいと思います。
殉職されたお二方は、死ぬと分かっていて、ベイルアウトしたと思います。その最後の瞬間まで人を思いやる配慮に心を打たれました。
@@jinbei0118
整備員達への落ち度が無いように射出座席はきちんと動いたぞ!と死の緊急脱出を敢行したのでしょうね……。(どちらにせよ墜落は確定とはいえ……)
二回目の「ベイルアウト」を発した時、二人のパイロットの脳裏に浮かんだのは
家族に二度と会えないことの無念だったでしょうか。住民を巻き込まずに済んだという安堵感だったでしょうか。
勇気ある自衛隊員の存在は日本国民の誇りです。
自衛官?
当時の安倍首相のこの言葉で、
殉職された二名の自衛官は、
浮かばれる思いだったのではと。
最期の瞬間まで自衛官の職務を全うされたお二人へ、ご冥福を、敬意を持って心よりお祈り申し上げます🙏
いい構成だ。
すべての殉職された自衛官に黙祷。
このときの各メディアの報道には怒りしかありませんでした。
墜落の原因が判明しないときから、自衛隊への批判がこもった記事ばかりでしたので。
最終的に風向きが変わりましたが、その頃には大きく取り上げるメディアはほとんどなく。
そして今年の羽田での事故。
事故から数時間後の航空会社による記者会見で
「機長の名前は?」
「事故までの流れを時系列で」
と質問している記者を見て、この事件のことが頭をよぎりました。
そして「まだ直す気がないのかこいつらは」と再び怒りが込み上げてきました。
他人の情報に寄生する業界だもの。
詳細を一番知りたいのは関係者であり、自身は現場に立ち入れないというもどかしさをマスコミも知っているはずなのに、なぜ毎回詰め寄るんですかね?
そういう経緯や事情を説明する事こそマスコミの責務であろうに...
@@alice_air_8875
マスコミの本質はミーハー、追っかけ、ストーカーだからな。他人の情報にタカル変質者業界だね。
@@alice_air_8875人の不幸は蜜の味って考えて、事故が起きたら喜んで飛んでいく人間やで
なんとも思うわけないやん()
@@leadsolo6029
それはそれで「迅速な報道」なので構わないが、事情を知りながら下っ端記者の尻を叩いて突撃させても成果など無い事を知っているはずだが?
まあ今年始めのJALの時も「関係者は言葉を濁した」調の報道をしていたから、糞は何をどうしようが糞なのかな…
この事象発生の時、入間川の河川敷にあるラジコンカーサーキットで友人の二人で遊んでいました。今日は午前中から何度も飛行機飛んでるね〜と話してたら「なんか高度低くない?」と話し、目をサーキットに向けてすぐに後方からパリパリッと音が発し後ろを向いたら飛行機が送電線?鉄塔?に当たってスパークしてるところが目に入り、直後にドンッと爆発し黒煙をあげながら真下あたりに落下していきました。
また多分その直前くらいだと思うのですが、脱出されたであろうパイロットの方の影が2つ見えたのですが、(2人目の方はほぼ接触ど同時か直前位だったのではないでしょうか)パラシュートが開ききらずに落下していくのが見え、あぁこれは、、難しいかも、、なんて素人ながら思っていたのを思い出します。
墜落直後、機体にもかなり近くまで寄る事ができたのですが、ランニングしてた非番の消防隊員も集まり、脱出されたパイロットの方を懸命に捜索されていたのも思い出しました。
当時も思った事なのですが、直前まで出来る限り川に沿って飛行していたのは、外から見ていた素人にわかりました、また最後ギリギリまで事態を大きくしないようにコントロールしようとしていたのでは?というのも脱出されたタイミングからも感じました。
最悪の事態を避けるべく考えうる行動を最後まで取られたおふたりに、尊敬と感謝とともに謹んで哀悼の意を表します。
生きれたかもしれないのに住民を守り仲間の名誉のために命懸けで操縦し、助からなくても脱出したと思うと本当に凄い
この事故で殉職した御二方のご冥福をお祈りします…
事故から国民を命をかけて守った中川空将補、門屋一等空佐に心から敬意を払います
当時、マスゴミはこの様に密集地に墜落しない様に命をかけた二人の努力には全く触れず、大停電とか学校に墜落してたらと自衛隊を叩きまくりでした
この安倍首相の防大卒業生への訓示には涙が出た事を思い出します
そういうマスコミや世間の風潮があったからこそ彼らは機体を捨てて脱出することができずに殉職した。
欧米なら被害軽減に配慮しつつもちゃんと脱出する。
パイロットの証言があった方が未来の事故防止に寄与する。
自衛隊じゃパイロットになる者には言われるんですよ、住宅地に墜ちるくらいなら自爆しろ、骨は拾ってやるからと。
彼らを殺したのは当時の我々の世論であり、これを美談として語り続けることで次の特攻者を出すことになるだろう・・・
墜落現場のすぐ横に私の母親の実家がありました。
お二人が最後まで懸命な操縦をしてくださらなければ、私は今ここにいなかったかもしれません。
お二人には感謝と尊敬の念しかありません。
この事故に関して
新聞記者のインタビューに答えた空自パイロットはこのように話しています
「自分も被害を最小限にするために最後まで操縦する覚悟はあります。
ただ、最後の瞬間に、わずかでも時間があれば、脱出装置を作動させます。
そうしないと、脱出装置を整備した整備員にいらぬ心配をかけますから」
ブラック職場か。
@@kamkam_99
というか今でも続く自衛隊敵視をしてるマスコミが悪い。
そうじゃなきゃ、やむを得ないとして住宅密集地の中でも緊急脱出してもきちんと意味があるならなんとかなってたのを、
マスコミの自衛隊は悪のような報道をしていたのでこうなる事をしないといけなくなったのです。
最近はちょっとだけマシになりましたがね。(本当にちょっとだけ)
@@kamkam_99 軍隊がブラックで無いわけがない。
@@kieyam3596それだけの重責と覚悟をもって臨んでいただいている、といことですね。大変な職場ですが、それでもだれかがやらなければならない。。。頭の下がる思いです。
@@shigsu8250 自分が死ぬかも知れない、人を殺すかも知れない、と言うことを目の前に突きつけられる仕事ですからね、他の私たちとは全く違う。本件の2名も住民を守るために自らの命をなげうった、崇高な精神ですね。でも、誰かを守るために誰かが犠牲になることを美談にしてはいけない、住民を守った上で生還できるようにしないといけないんですよね(その方向に改善されているはず)
まずは、殉職されたお二人に哀悼の意を。
時折、自衛隊機、米軍機の不時着等の報道を見るにつけ、”その結果ではなく過程に目を向けろ!”と言いたくなります。
海岸へ不時着したと言っては大騒ぎ、墜落したと言っては大騒ぎ、住民を巻き込む危険があった!等の論調ばかり。
何故、その場所を選んだのかと言う理由については、ついぞ触れない。
論調とは全く逆である。
住民への被害を避ける為、あらゆる努力、そして命を賭してその場所まで飛んだのだ。
その事実を伝えてくれる動画に感謝です。
田んぼ、海岸どちらも住宅やオフィス、工場への墜落を避けるために最善の処置をしたものだと思っています
それは日頃の訓練により成し遂げられたものだと思うので人的被害を出さなかった不時着を批判するマスコミや政治家の発言には違和感を感じます
T-33墜落事故の事を動画作成
配信をして頂き、感謝です。
故中川空将補に関しては、2佐
当時の頃、戦技競技会での参加で
出撃時の際にエプロン地区で
事故生起の1~3年前の当時
直に見送った事があり、
事故速報や続報を聞いた際
本当に驚きました。
殉職された2名の方の
ご冥福をお祈りします。
今回の事故、今もよく覚えてます。
自分も元海上自衛官で、入隊時に宣誓を行い、航空隊勤務をしました。家庭の都合で事故の数年前に退官しましたが、パイロットとして又自衛官として、地上の被害を最小限に抑えたお二人の心情を思うと鳥肌が立ったのを覚えています。
この様な事故が起きない事を切に望みます。
改めて殉職された御二方のご冥福をお祈りいたします。
ワッキーさま、コメントをありがとうございます。
また、数年前まで現役でご活躍されていたとのことで、そのお立場であれば事故に対する思いも私の想像を超えるものと察します。
今回は墜落現場で慰霊を捧げることも現地に行った目的のひとつでしたが、おっしゃるように、事故が起こらないことも心より願っております。
25年前の今日の出来事ですね。
最後まで任務を全うした隊員の方々に敬意を表するとともに哀悼の意を捧げます。
ここで服務の宣誓が聞けるとは…。素晴らしいと思う。
最後の安部さんのスピーチ、鳥肌が止まりませんでした。
二人の魂に敬礼。
ほんとうにそれね。二人のパイロットも安倍さんも無くなって悲しい。
安倍さん銃撃の現場に居合わせ心肺蘇生を必死にしてた看護師の女性の言葉、安倍さんを死なせたら日本が終ってしまうと思い、必死に呼びかけて心臓マッサージをした。実際にその通りになってしまいそう。
当時、入間基地に隣接する稲荷山公園駅を利用する高校生でした。帰宅時に電車の遅延に遭遇して送電線のトラブルと聞いていたので偶に電車では起きる事なので鉄道会社に対して不満の気持ちがありました。しかし、帰宅後に航空自衛隊機の墜落でしかも民間被害が最小限になる様に努力されたお二人の自衛官が殉職された事故と知りビックリした事を昨日の事の様に記憶しています。改めてお二人の自衛官に対して深い哀悼の意を表します。
誰も市民が亡くなっていない事を二人に伝えたい、ありがとう
安倍さんの時は自衛隊に対して真摯に向き合っている感じがして良かったな
地元の入間市民です この日の事ははっきり覚えております
この事故を取り上げていただきありがとうございました
墜落直前まで機体をギリギリまでコントロールして住宅地を避けて墜落、その時に高圧線を2本断線させてしまったニュースを覚えてます。
黙とう。
爆発音と停電がほぼ同時に発生して、時間をおかず近隣の学校は一斉下校。
学校を横断するようにある送電線が断線してて何事かと思っていたら、帰宅して理由を知ってめっちゃ驚いた記憶。
パイロットの方がギリギリまで操縦桿を握っていてくれなかったら、学校に墜落していた可能性もあって…私が今ここに居ない未来もあったと思うと、、、殉職されたお二人には感謝してもしきれないです。
奇しくも今日10月26日、殉職隊員追悼式が防衛省で行われました。自衛隊の前身である警察予備隊が発足した1950年以降、殉職隊員の累計は2112人にのぼります。あらためて今日の日本が隊員の尊い犠牲のもとに成立していることに背筋が伸びる思いです。
その方々は靖国に入れて貰えるのでしょうか?
ぜひ加えていただきたいです。
地元狭山市の住人でした。この時の突然の停電、混乱は凄かったです。国道16号線の信号停電、狭山市はもとより、高島平に至るまでの停電、私は事故当時、和光のホンダ技研の構内におりましたが、帰り道の関越を川越ICで降りてからは、国道の信号を警察官が人力で誘導していて、交通渋滞が凄かったです。当時も自衛官の方が、最後の最後まで機体をコントロールして住宅地を避け、河川敷に誘導した事を凄い責任感だと感心していました。当時の詳細な情報を有難うございました。
元航空自衛官です。事故が起きた時は既に自衛隊は退職して民間の会社に入社していましたが、事故のニュースを見た時、涙が止まりませんでした。第八航空団 第六飛行隊のF-1、T-2、T-33の列線整備をやっていたので。パイロットの中川さんも第六飛行隊に所属されており、とてもやさしい方でした。
故中川空将補は、温厚な性格の方と
しても有名でしたよね。
この件に関しては、狭山ヶ丘高等学校の小川校長が記した記事もぜひ確認していただきたい。
「人間を矮小化してはならぬ」というものだったかと思います。
殉職されたお二人に心からのご冥福を。
もっと早く脱出することもできたのに、可能な限り最小限の被害に留めるべく努力した結果だったのでしょう…
この逸話は何度聴いても涙が止まらない。
自らの命を賭しても、国民の生命、財産を守るという自衛官の使命を果たし殉職された2名の自衛官の方々には最大級の感謝と尊敬を禁じ得ない。
当時、会社で停電になり、何事かと思いましたが、自衛隊機が墜落し、2名の方が殉職したと聞きました。住宅に墜落しないように、ギリギリまで操縦していたという事で、民間人に死傷者を出さないようにという強い気持ちだったと思います。地元民としては今でも11/22は忘れてはいけない日だと思っております
狭山市出身の者です。あの日、高校生で映像に出てくるあの住宅街で昼寝をしていました。
彼らの判断で今の私が生きています。ありがとう。
そして今、運命のイタズラか娘が防衛大学に入学しようとしています。入学前にこの映像を娘に観せたいです。
ありがとうございます。
とても残念な事故でした。国民を命を懸けてお守りいただき自衛隊の皆様に感謝いたします。
上空からのシミュレーション映像を見せて頂き、単なる民間人の自分でもこれはベイルアウトするわけにはいかないと思いました。しかしそれを実際に決断し実行した隊員の方達には本当に頭が下がります。当時私は所沢の実家におり、この停電も経験しました。あらためて中川氏と門屋氏(階級は私にはよくわからないので失礼します)のご冥福をお祈りし、ご遺族、関係者の方達に哀悼の意を表します。
この日のことはよく覚えています、午前の仕事を終え、仮眠を取って午後の仕事に備えていたのですが、設定してあったオーディオのタイマーは動きません 慌てて職場に行くとこのニュースが流れていました、、その瞬間に隊員さんたちがギリギリまで脱出しなかったことを一瞬で理解できました しばらく涙が出て仕事になりませんでした 本当にお二人のご冥福をお祈りします
私の息子も自衛隊ですが、お二人の殉職はまさに国の誇りです
自分の息子がもしこのような場面になったときに、果たして立派だったと言い切れるだろうか考えてしましますが・・・
そして安倍総理、あなたも死を覚悟しながら国の安全を守られて殉職されたひとりです
合掌
最後の、故安倍元首相の言葉が、胸に沁みます。両親が亡くなるまで、近くの新座市(直線で20km以下の距離)に実家が有り、何時も訓練機の音がしていました。今となっては、安倍様と、この機を操縦をされていたお二人の、ご冥福をお祈りいたします。
命を諦めた訳じゃない。民家に落ちないと確信できるまで義務を全うしただけ。そしてその行為の末不幸にも殉職された方々を忘れず称えられ、自らも国務に殉じられた安倍首相には頭がただただ下がる思いです。災害が起きてもムダ金と呼び金を出さない前首相や仲間を後ろから撃つような今の首相に人の心が分かるのでしょうか?
動画拝見しました。
当時は散々マスコミに叩かれましたね。2人のパイロットが亡くなっているのに、と思いながら報道を見ていたのを覚えています。
元自衛官として、亡くなられたお二人の御冥福をお祈りします。
動画構成が素晴らしいです
この事故はよく覚えています、
このチャンネルで初めて涙を流す
動画編集ありがとうございます
ああこれ
通ってた高校の近くに墜落したやつだね
あのへんは住宅多いから河川敷に落としてくれた隊員に最大限の敬意を。
この事故のことは覚えている。住宅地に墜落することを避け、ギリギリまで操縦しつづけたベテランパイロットに、尊敬を禁じえません。あわせて、この事故の近辺にいらした方のコメントを拝察して、生半可なこともかけません。ご冥福をお祈り申し上げます
この事故があった日、国分寺にある高校の校庭で授業を受けていた時間にT-33Aが空を飛んでいるのが見えていたのを覚えています。幼い頃は入間基地のお膝元で育ったので好きな飛行機でした。
総隊司令部飛行隊は佐官も多く、今ではシルバーインパルスなんて呼ばれますね。
強い使命感と周囲に犠牲を出してはいけないと最後の最後まで機体をコントロールしようとして入間川に墜落させ、脱出の問題で犠牲になってしまったことは、本当に残念でした。
その後の停電は大きな影響があって、二度とあってはならない事故でした。しかし、住宅地が近い場所で住宅に墜落することを防いだお二人の御冥福をお祈りしてやみません。
17:53 吉田茂が防衛大一期生に向けた言葉以来の名演説ではなかろうか
自衛隊の皆様には頭が下がります。ここで懺悔している元整備員さん含めみんなこんな風に一生懸命仕事してんだろうね
横浜市で墜落した米軍のF4ファントムとは真逆の行動でしたね。
ご冥福をお祈りいたします。
悲しい事故ですね
初めてこの事故を知りましたが自衛官さんの行動が心に刺さりました
2名のご冥福をお祈りします
機体から異音と振動に加えて煙のでている緊急事態の中、河川敷まで操縦するのはかなり大変だったと思います。20秒前に何も考えず脱出を選んでいたらお二人のパイロットは確実に助かったはずです。でも、ふと下を見た時に密集した住宅街やたくさんの人を目にして必死に被害を防ごうと河川敷に向かったのだと思います。機場空論さん御自身も飛行機を操縦なさるので、ご自分と重ねてらっしゃるのではないでしょうか。今回の動画制作にわざわざ入間に出向き、飛行と同じルートを車でたどったりかなり色々な資料を集めて丁寧な動画を作られているのが伝わってきます。
取り上げてくださってありがとうございます。民間人の安全のため・・・感謝しかありません。
安倍総理のコメントも泣ける
入間市出身でこの事故の時は入間に住んでおり都内へ通勤していたのでよく覚えています。
西武線で帰宅時に大停電の影響で電車のダイヤが乱れていました。
原因を聞いて、そんな場所の送電線が切れただけで大規模停電が起きる国家機密が露呈したことを驚くとともに、墜落した場所を知って操縦していた自衛官の方は周辺住民を守って殉職されたのだとすぐに理解しました。
なんか最後の方泣けてきた😢
宣誓の読み上げと安倍総理の訓示、涙無くして見れませんでしたよね。
故中川空将補は、既婚者の方で
ご家族(妻子在り、子供さんは娘さんで
当時、中学生だったか女子高生だったと
思います)
その家族の元に戻り帰るのを諦めて
早期に緊急脱出での実操作をせずやらず
住宅地に機体が墜落炎上での大被害を避ける
ために最低安全脱出高度以下の高度を飛行の
事を周知させてりた。
射出座席はきちんと整備されていた。
その事を示す為に、地面まで高度
約30mの低さでも、作動させたと
思われるので。
実際に、故中川2佐が生存されていた
頃の当時、何度も(会話なしでも)
見かけていて、敬礼をしていたので
事故速報と続報を聞いた際、当時
本当に驚いたので。
1999年11月22日...自分の誕生日で驚きました。
まさか、こんな大きな事故があったとは...
命の危機に直面した時に自分より他人の命を優先して考え行動するということはなかなかできないことだと思います。地震や災害の度に自衛隊の方々の救助活動を見慣れてしまい、いつの間にか日本に脅威があれば自衛隊が守ってくれて当たり前のような考えになっていました。私は自分の命を危険に晒してまで他人を守ったり助けることはできません。せめてこれからは、人に対して思いやる気持ちや感謝の心を忘れずに毎日を過ごそうと思っています。
この墜落事故は生々しく記憶に残っています。殉職されたパイロットの1名を河川敷で目の当たりにしています。
詳しくは書けませんが被害を最小限に抑える為に最期まで河川敷に機体を誘導していたと分かる状況だったとその時に感じました。
自衛隊員ではないので、その宣誓などはわかりませんが、我々にも似た様なものがあります。国民の生命、身体、そして財産を守る誓い……
殉職された両名に対し心からご冥福をお祈りします。
当時はまだ自衛隊に対する風当たりが強い時期で、この事故が発生した時にマスコミはこぞって自衛隊の危険飛行として報道していたのを思い出しますな
ただ、個人的に墜落現場の写真を見たときに、ここまで周囲の被害を食い止めると最後まで尽力した墜落があるかと思ったものです
あの頃は厚木で米軍機の墜落などもあり、散々な報道のされ方をされていました
住宅地に墜ちるくらいなら自爆しろ、骨は拾ってやるから・・とパイロットコースに入った学生が言われるのは今でも変わりません。
かかっている経費からも、事故原因の究明で次の事故を防止する観点からもパイロットが生き残っているのが重要なのに。
現代の特攻です。
@@kamkam_99
ここにもいたな
現代の特攻が
この航空事故がおきたのが1999年11月22日。今年で25年です。
此の事は今も忘れずに語り継いでいかなければなりません。
この後、残りのT-33Aは飛行停止になり、そのままひっそりと入間基地にて簡素な退役セレモニーが行われ、一般公開もされませんでした。
その後は入間基地R/W35側埼玉県警航空隊施設の近くに2機、滑走路を見守る形で配置されていました。
該当機のナンバーは1機が#294、もう1機は残念ながら機番は消えてしまっていました。
滑走路外の場所というだけに経年劣化が普通より早く、少なくとも5~7年以内には撤去されていました。
私が見たのは2002年で、その段階でかなり朽ちていた為、もう少し早かったかもしれません。
それでも離陸・着陸する機を殉職されたパイロットと共に見守っていたんだと思います。
二人の尊い命が失われてしまったことを無念に思います。
万全を期して整備してもこのようなトラブルが起こってしまうのは残酷ですね……
安倍氏が遺した言葉を通して、見えてくる二名の覚悟こそ、この国に受け継ぎたいものです
この動画を拝見して思い起こされたのが小林照彦少佐(殉職後2佐に特進)の殉職時の状況。機種もT33であり同乗者を最初に脱出させた後、最後まで民間への被害を避けるために操縦して殉職されました。このような事故に限らず小林少佐やこの事故で殉職されたお二人のような方が、我が国を守っておられることを誇りに思います。
小林少佐?あの244戦隊司令かつB29体当たり特攻指揮で自らも参加したあの撃墜王の?
@@永田寛-l9w その通りです。1954年に航空自衛隊に入隊後、3等空佐として松島・築城基地などに勤務の後、浜松基地で教官として勤務していた1957年に事故にあい殉職されました。本当に動画のお二人と同じようにりっぱな方だったと思います。
お二人のご冥福をお祈りします。
関係者の方々が見られるようなチャンネルであること、偶々辿り着けた身として凄いなと思いました。出会えて良かったです
墜落した日は、R/W17進入でした。そのためパイロットの視界に入間川の河川敷が入り、危険を避けようと必死の操縦で民間人に被害が及ばないように操縦されたのだと思います。もし、風向きが違っていて、R/W35進入だったら、河川敷のような土地はなく、お二人の必死の努力も報われなかった可能性もあります。勇敢な自衛隊員の方なら、それでも被害がでないように操縦されると思います。心から信頼しています。
この自衛隊員の勇気ある行動を否定的に報道したマスコミに対し深い憤りを感じる。
日本のマスコミははたして本当に日本のマスコミなのだろうか?
質の高い動画、いつもありがとうございます!
mizumizuさま、いつもコメントをありがとうございます。
また、お褒めのお言葉だけでなくスーパーサンクスも頂戴して大変励みになります…!
直近朝は少し肌寒さも感じるほどで、一日を通して過ごしやすくなった感がございます。
もう11月も目の前で日に日に寒さが増していくと思いますが、どうぞご自愛ください。
自衛隊ではなくて民間の航空機だったと記憶しているのですが、大阪でも緊急事態に陥ったヘリコプターが走る電車をさけて「あえて線路に墜落した」という事故がありましたね
そこは市街地であり開けた土地がないところであったので、パイロットは少しでも地上の被害を軽減すべく人と電車のいない線路へ機体を導き墜落したそうです(搭乗者がその後どうなったのかは記憶にありません)
…もちろんパイロット自身の生命もというものであることは重々承知してはいますが、住宅地上空でベイルアウトしたがために機体は住宅地で墜落してしまい人的被害を生じさせてしまったという事故があったことを考えれば自らの命を顧みず少しでも地上の被害を軽減しようとしたパイロットたちへ敬意を示したいですね
突っ込むのは野暮かもと思いましたが、調べてみたところ「大阪航空堺市墜落事故」と言う事故らしいですね。
内容見る限り、かなり杜撰な話みたいです。
最後の最後はおっしゃるような対応だったかもしれませんが、経緯的に今回の話と一緒に語るのはどうかなとは思いました。
隊員2名の尊い命が失われましたが、隊員の立場、トラブルの状況、被害の可能性を考えると、最良の判断、操縦であったと私は思いました。
パイロットなら誰もが同じ気持ちになると思います…亡くなったのは残念ですが犠牲者を出さなかったのは良かったと思います。
この様な事が有った事は恥ずかしながら今初めて知りました。ユーチューブのお陰です。 殉職されたお2人に対し心からご冥福を祈ります。
当時の航空専門誌に、お二人のパイロットの河川敷上空でのベイルアウトに生還の可能性はあったのか空幕防衛部長によると、「ベイルアウト」とパイロットが通報したときは高度300ftぐらいでTー33Aの緊急脱出装置では遅すぎる。生還の可能性はまずなかったと語っています。エンジントラブルに加えてコックピットが煙で充満している中で住宅街や学校を避け河川敷まで操縦するのは至難の業だったと思います。お二人の心情を思うと言葉になりません。
素晴らしい動画、ありがとうございました。
航空自衛隊安全の日に必ず出てくる事故ですね・・・この事故ではありませんが、とある事故により殉職された隊員のと列に参加した際のご遺族の顔が忘れらません・・・。
自分が生まれる4年前に地元でこんな事故があったたとは知りませんでした。
ますます自衛隊の方々には敬意を持つべきだと思わされました。
お二方のご冥福をお祈りします。
私は
以前にこのニュースをネットで観ました
自分達より国民を守る正義に心に打たれました
まるで
大東亜戦争時の特攻隊員のように
このお二方に哀悼の意を表しますともに
ご冥福をお祈りします
活躍されてる自衛隊(軍隊)の皆様
いつまでも国を守ってください
この日事、はっきり覚えています。仕事で当時近隣の川越市西部の地域で停電したお客様の対応をしていました。
停電の原因は不明とされていましたが、車のラジオから自衛隊機の墜落の報道が永遠と流れていました。狭山方面を見上げると報道ヘリが群がっていてあの辺りでって思ってました。
殉職された方のご冥福をお祈りします。
亡くなった自衛官2名の事を考えると、涙が止まりません。
国を守るという事は、こう言う事なのです。
私もこのニュースを初めて聞いたとき、さすが自衛官、天晴れな最後だと思いました。
宣誓書の通りに行動し、殉職された2名の自衛官の、ご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
これは今でもはっきり記憶しております。
私は機械系技術者です。
なぜこのような古い機体、しかも部品供給や交換もままならない機体を、血税なので我慢してとうゆう理由で使用しているのか疑問です。
これは自衛官に対する処遇も同じです。
未だに1960~1970年代に建てられた官舎に住まわせているのか。
政治家は官舎を新しく都内一等地に暮らしているようですが国を守る仕事をして頂いております。
これは政府による人災です。
新しい装備ばかりに目が行きがちですが、今一度、人が守っているとゆう視点で待遇の見直しが大切かと思います。
当時、40~50代の実年齢世代の操縦士の
方の中で、地上勤務&管理職業務が増加の頃と
なり、たまに飛ぶ!(操縦士資格を喪失
しないように)と、老朽化&陳腐化でも
T-33を小数でも、維持運用をし続けて
いました、
何せ、40~50代の世代の操縦士の方を
T-33の後継機、T-4での別機種に機種転換を
しても、その期間、燃料代などの経費
T-4機種での新規に別機種の操縦資格を
取得しても、停年までの残り年数、
定年までの残り年数で、年齢も増加
身体面での低下劣化、航空身体検査の合格を
し続けるのも大変で・・・
費用対効果!
(当時)40~50代の操縦士の方は
昔懐かしい!学生時代に飛ばしていた機種の
中の1つ、T-33 を維持し続けていたので。
でも、やはり以前から~古過ぎ!整備
補給資材計画、調達の面でも実際には、
(もの凄く)大変でしたね。
整備の面(整備の立場)からでも
安全性の確保!懸念をしていたので。
でも、高齢の管理操縦士の方にと
年齢が年齢、T-4での後継機に
機種転換をしても、費用対効果 有効性
(早期に、自主判断、決断!それが例え
不本意でも、これもまた、運命 さだめ)
などとして、まだ~飛べる!でも
操縦士を辞めて欲しい!(飛行手当の
増額支給分は当然なくなる)としてもね。
今まで、命がけで飛び、防衛を
し続けてくれた方に対して、ポイ!
的な事は、弊害で~次の世代の
操縦士の方にもね。
心理面でも影響度となる、
しかも、規則でのルールはルール
胴体、主翼が頑丈だったT-33
、墜落事故後でも、胴体や主翼での
残り運用可能年数分が残っており
(早期での)用途廃止とすれば
減価償却費分、税金の無駄遣い!と
なるとされて・・・
でも、安全面!で・・・とか
古い部品の製造?調達でも余計に
手間暇増加、費用も増加、整備面でも
補給、資材計画、調達面でも手間暇増加!
各種作業、仕事の能率化の向上にも
無理!総合面で、として 早期?での
用途廃止処置とされたので。
この責任感の1ミリでも政治家が持っていれば日本は良い国になるはずなのに
本日、公共交通のみで現地に行ってきました。この動画が無ければ知ることも無かったと思います。
こう言ってはなんだが、当事者のコメントを見れるのはすごく貴重だ。
すごい人達でした、、、国の宝です
「マイナートラブル」の通信からの、「13秒後のベイルアウト」ですね。
よくぞUPして頂けました。
まさに「国民の負託」にこたえるべく、被災地を含め、あらゆる場所で職務遂行する自衛官の皆様に、感謝申し上げます。
「人間を矮小化してはならぬ」という、この事故について小学校の校長先生がなされた言葉を今も思い出します。
頭が下がる思いです。このお二人に限らず、自衛隊員の皆さんはもっともっと尊敬されるべきだと思います。せめてアメリカみたいに優先搭乗ぐらいは認めてあげてはいかがでしょう。
練馬区の中学高に通っていましたが、授業中に突然停電しました。自衛隊基地が墜落したとのことはその後のニュースですぐ知りましたが、詳細について知ることはこれまでありませんでした。あの時こんなことが起きてたのかと思うと胸に詰まる思いです。ありがとうございます。
この事故覚えています。
入間基地にも横田基地にもほど近く毎日訓練機が飛び回る下に住んでいる身として他人事ではない気持ちで拝見しました。
あの時もしあの飛行機が自分の頭上に落ちて来ていたらと考えるとゾッとします。
この2名の隊員により失われずに済んだ命は数知れないです。まさに自衛隊の鑑。
改めて2名の隊員のご冥福をお祈りします🙏
皆さんのコメント内容が濃くて深すぎまする。「曹士の宣誓」の他に「幹部の宣誓」もあることにいま気付きました。秀逸の動画も皆さんの思慮深さにも。とても感動しました。
ありがとうございます。黙祷。敬礼。
あの事故から、もう約25年も経つんだな・・・
いう事を聞かない機体をし操縦しながら、住宅地に墜落しないように河川敷に機体をもっていったパイロットと副操縦士にGJ!!
自衛官の皆様に国民を守る信念を持ち続けていただく為に、守られている国民が自衛官の皆様に感謝する気持ちを持ち続ける必要があるのではないかと思います。
検査や点検が適切に行われていたとはいえ、古い機体なので突然の故障もあり得たでしょう。
もっと更新が早かったらと、残念に思います。(タラレバですが)
実際の現場に出かけて撮影し動画を作成していることから、機場空論さんの強い想いが感じられました。
動画の最後で思わず涙が滲んでしまいました。
動画内のT-33の3Dモデルや映像の一部には同作のハンガー画面と、先日MSFSにて配信されたアドオン機体が使用されていますね。
事故当時の僕は少年だったという事もあり有名な戦闘機にしか興味が向かず、墜落したのがT-33という練習機だったという事すら認識できませんでしたが、恥ずかしながら今回の動画でようやくT-33が自衛隊でどのように運用されていたのかを知ることが出来ました。
本件の過去には他にも自衛隊機による痛ましい航空事故が度々発生しておりますが、その歴史の上に現在の日本の空があるのだと思います。全日空機雫石衝突事故は戦後の日本において特に重大な航空事故の1つと記憶されております。
殉職されたお二人の決死の判断には、その余りにも重い航空自衛隊の過去に対する責任感、国民を守るべき自衛隊員が事故によって再び一般人を巻き込むわけにはいかないという強い覚悟もあったのではないでしょうか。
近年における日本の領空は様々な脅威に晒されておりますが、今日も日本の空を護っていただきありがとうございます。
全てのパイロット、管制員、整備員、従事者の方々に感謝申し上げます。
事故当日の昼下がり、爆音を響かせながら新座市上空を低空でフライパスする本機を目撃しています。やや右側にバンクしつつ入間方面へ。その際にコクピットの搭乗員も見え、何やら懸命に作業する姿も。
『変だな。何が起きているんだ?』と見送るまま、しばらくして大停電へ。
思うに前席後席と連絡を繋ぎながら維持していたのだと思います。
阿部元総理の言葉…
一気に泣いてしまいました。
機場空論さま、現地まで行って頂き動画作成ありがとうございました。
あの時、大きな音が…酸素マスクが、
羽田へ戻ると思いながら、ああ、せめて山へ向かっているのか、あえて…
今は思います…
飛行機✈️見るのは好きですが、乗れません。
浜松航空祭、見ていたらなんとBlue Impulseの墜落コメント、沢山ありました。
リクエストしても良いでしょうか、何故、どうしてあの美しい飛行して私たちに元気を与えてくれる航空自衛隊機が…
教えて頂けないでしょうか…
きくいっくさま、いつもコメントをありがとうございます。
また、スーパーサンクスも頂戴して大変恐れ入ります。
ブルーインパルスの件は少し調べてみましたが、その歴史のなかで複数の事故があったんですね。。
自衛隊の事故調査結果は公表されたとしても概要書しか出ないようで、
今回の動画で扱ったように衆議院の委員会質疑や政府答弁書での補足説明がないと、
信頼のおける情報が足りずに動画を作ることができない可能性もございますが、機会があれば確認をしてみたいと思います。
この基地の近くで毎日、帰投するT33Aを見上げながら育ちました。事故が起きた時、自衛隊を責める声が数多く上がりました。私は、この国の国民の未熟さ、幼さ、身勝手さを痛感し、悔しさに震えました。いま、少しでも役に立つべく、飛行機の素晴らしさや、国を守ることの意味を理解してもらう仕事についています。
普段はメトロなどでおとなしく飛んでるT-33Aしか見たことはありませんでしたが
基群司令が年次飛行を兼ねて基地防空隊のフェーカーをやった時に
はじめてT-33が元戦闘機だってところを見せられました。
航空祭でもT-33の戦闘マニューバを見ることはないのでたまげた思い出があります。
お偉いさんをロートル呼ばわりするのは自重しようと思った次第でした。
本日、2024年11月22日 金曜日 13時40分、 入間川の現場にて 哀悼の意を捧げたいと思います。 日本を守り抜く、 我々もその精神を 後世の日本人に伝えて参りたいと思います。誠にありがとうございます
美しい映像と構成の動画をありがとうございます
短い時間で様々な事を判断し遂行出来たお二人の技能の素晴らしさと、それ故に殉職された事がより重く感じます
月並みな言葉ですが、事故は無い方が良いですね
自衛官としてというより、人間としてお二人の死を直面しながらの行動に只、ただ尊敬致します。
また、国防を担う方々にとって、動画最後の阿部サンのスピーチは最高のエールだったのではないでしょうか。
入間基地に隣接して住んでます。
当時の事をよく覚えてます。
停電になり、近接でマンション建設している作業員さんに聞いたら、一帯も停電で少し遠くで何かあった様だと聞いて…
ポータブルテレビがあったのでニュースで知りました…
合掌。