ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
2年目馬謖、27日に今季初登板初先発。「孔明さんの期待に応えたい」成都スポーツ9月24日(土)14: 30配信 蜀の2年目・馬謖(23)が、27日(火)の魏戦で今季の初登板初先発を果たす事がわかった。 今週から一軍に同行し軽めのキャッチボール等で調整していた馬謖は、この日は初めて捕手を座らせて60球を投げ込み、フォームの確認などを入念に行った。 最速150キロを誇る期待の若手右腕は、「まずはしっかり腕を振って、ストライクゾーンで勝負したい」と意気込む。 ブルペンを視察した諸葛亮球団本部長は記者団の取材に応じ、「無理に勝とうとしなくていい。彼らしいピッチングでのびのび投げてくれれば」とにこやかに語った。 球団の最高責任者がこの若き右腕にかける期待は大きい。 一昨年のドラフト会議にて、劉備玄徳前オーナーから、全国大会での実績が殆ど無い事を理由に再三に渡り指名を避けるよう厳命されていたにも関わらず、その桁外れの才能を見込んで独断で一巡目指名を強行。 複数の球団が超高校級キャッチャーの郭淮を指名する中での単独指名に会場にはどよめきが起こった。 その才覚を遺憾なく発揮したのは、昨年11月に開催された「なんばんフェニックス・リーグ」であった。 馬謖は三試合に登板、防御率1.25と抜群の成績を収めてベストナインに選出されるなど、その資質に偽りが無い事を示した。 諸葛亮球団本部長は、将来のエース候補の一人として馬謖を高く評価している。 現役時代の自身の背番号18を背負う若武者の躍動に注がれる視線は厳しくも優しかった。 午前中から25度を超える真夏日となった今日も、球を受けた捕手の王平が給水を勧めても「逆に死に物狂いで投げられる」と拒否するなど、ベテラン相手にストイックな一面を見せた馬謖。 登山を趣味にしており、休日は山に登って足腰を鍛えることを日課にするなど、自己研鑽に余念がないという。 既に優勝マジックが点灯し、胴上げへ秒読み段階に入っている魏の勢いを止められるか。 魏はエース張郃が先発予定。 19歳にして魏軍の正捕手の座を掴んだ昨年新人王、郭淮とのバッテリーで今季15勝の難敵だ。 未来のエースが決戦のマウンドに登る。◆27日(街亭パークドーム)18: 00開始
うーん、相変わらずの天才コメント(゜ω゜)
王平「コートに山が!??( °ω)°」
@@dudaandmanju MLBアストロズ『外野に山(丘)作って柱立てたら(文字通り)盛り上がるやろ!馬謖も来てくれるかもしれんしw』尚、内外全方位に大不評で全部撤去して普通の球場にしたら優勝した模様w
松下アナ「どうしたんだ馬謖!何の為の街道守備だ!!これはいけませーん!!!!」
某アナが水差し野郎だの「本陣を街道に置くのか置かないのか置きたくないのか!置く度胸もないのか?」とくっそたたきそうww
何故そうせざるを得なかったのか?という視点で解説されていて凄く興味深かったです。現代社会でも上司からの指示を守らなかった場合、そこに不可抗力や現場での最善と思われる対応をとった等の様々な要因ってありますよね。
やはり馬謖にこうゆう仕事をさせなければいけない状況自体が「詰み」なのでは…、と思ってしまいますね重鎮クラスからの助命嘆願が有った辺り、孔明の参謀としての功績は確実に有ったみたいですし
軍事前線に出すタイプではない
劉備「だから馬謖を重用するなとあれほど言ってたのに・・・」諸葛亮「アンタが夷陵で負けて優秀な将の多くを戦死させたから、選択肢が無くなったんだ!」
馬謖さんは、これでも蜀の人材としては性格的にまだまだマシな方なんですよね。
諸葛亮は思想でいえば法家ですから尚更馬謖を無罪放免にするわけにはいかなかったんでしょうね。規律を重んじ法に照らし合わせて罪を裁かなくてはいけないのに徳や情でなあなあにするのは許されませんし。
個人的に浸透襲撃さんの動画より納得がいきました。
本当に馬謖は決戦を志向していたのだろうか。街道封鎖についてはむしろ重視していたからこそ南山に籠った可能性はある。敵が無視して街道を進むなら追撃や輜重を襲えばいいし、包囲して来るならそれで時間稼ぎも可、敵が決戦を仕掛けてくれば高所の有利さが活かせると言う考えがあったのでは。もちろん・相手の方に地の利があり野戦築城は焼け石に水。実際に焼け石に水どころか水源地を正確に抑えられて負けてしまう。・相手がこちらに有利な時期に仕掛けてくるとは限らない。敵が大軍かつ解囲軍と言う性質上、時間を置かずに正面から来ると見たか。ただ、これは冷静にあえて確実に勝つ方法を選んだ(結果として数日で終わらせることも出来た)張コウをほめるべきだろう。・そもそも寡兵すぎるのに撤退戦へのリカバリープランがなかった節。最初から撤退戦を意識していた王平は褒賞を与えられ、別戦線だが趙雲は撤退戦には成功していて比較的軽い処罰で済んだ。と、素人ですら考え着く限りの机上の空論だが、北伐の戦略を理解出来ていなかった説とはちょっと違った可能性も模索してみた(理解していなかったなら理解させなかった孔明もあれだし、そんな人間を使うなよって感じにもなるので)。
理屈は正しいし実行できるなら有効な策を提案できるその策を自身で実行できるかは別の話と感じました
曹操が早くに参謀格と将軍を分けたのは、正しい人事だったのでしょうね(゜ω゜)
「長平の戦い」の趙括もそうでしたが、キッチリ経験を積んで、致命的では無い失敗とかも味わっていれば、と思うと確かに惜しい人材ですな。
趙括の両親が頑なに否定してるあたり多分学習しない奴だろうからどの道無理な気はする何よりトントンで上がった程度で白起をどうにか出来るとは到底思えないし
知識があっても知恵はない。戦闘の記録を知っていても自身の戦闘の記憶(経験)がない。そんなイメージですね
しかも初戦の相手が、自分よりも兵力が多くて、準備もさせてくれない張郃という(゜ω゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA 戦う前から詰んでますなぁw勝負は戦う前に既に決まっていると言うのはホントなんだなぁ。孫子スゴいw
近代軍隊でも敵前逃亡の判定は難しく(基本的に被告側と友軍指揮官と被告の上司や部下と敵軍捕虜等の証言を照らし合わせて行われますからね)黒とされていた人物が白だと判明したり逆も又然りだったりしますからね。
馬謖は、劉備と諸葛亮で評価が分かれるっていうのが面白いですね。劉備さんは経験値たくさんですから(ただし,負けの)、経験値の大切さを伝えたかったんだなぁって。
口達者で実務が苦手だと知っていたんじゃない?あの遺言からの予想だけど
夷陵の戦いの頃って、劉備と諸葛亮けっこう疎遠になってたからなぁ😅
敵前逃亡や脱獄未遂が無ければ精々趙雲か王平か呉懿か魏延の下で修行やり直せって程度で済んだかも知れないのに才能惜しむ気持ちは有りますが流石に泣いて首を切るしか規律的に蜀漢を保てない
向朗のいう「逃亡」が、脱獄なのか敵前逃亡なのかって話も結構意見が分かれたりしますよね。ただ、向朗は別に獄吏ではなかったわけで、そう考えると敵前逃亡なのかなぁって思わなくもない(゜ω゜)
諸葛亮的には、「王平と協力して、堅く守って時間稼ぎしていればできる簡単な仕事だから馬謖でもなんとかなるやろう」と思ってたのではなかろうか
しかし、大人しく防衛を準備させる張郃ではなかった('ω')
王平を主将馬謖を副将にしていたらと思ってしまう
伯仲叔季を知ってからというもの、その名前シリーズの人が出るとテンションがあがります。三国志の人物の字が伯仲叔季シリーズの特集とかも見てみたいです。
22:25応永の外寇やテルモピュライの戦いみたいな例もありますから指揮官によってはもしかすると?ただ、馬謖には宗貞盛やレオニダス一世の様な力量があるかは不明ですが
馬謖が叩かれるのは、三国志を知れば知るほどこの一回目しか北伐成功の可能性がなかったことを痛感するからでしょうね。
ホントにそれですよね。無念の行き場所がないと( ;∀;)
そうですね其れに敵前逃亡疑惑からの処刑の判決の背景の遠因の一つに荊州失陥迄の経緯もあると考えられます(例えばある意味荊州失陥最大の戦犯である関羽は関平と共に死んだ事で失陥の罪は結果的に不問(少なくとも表面上は)にされ其れで関家の人間を責める人はほぼ皆無だった事でしょう、)もしも街亭失陥後、「関羽将軍は子息の関平殿と共に其の一命をもって荊州失陥の罪を立派に償われた!なのに何故?馬謖はのめのめと兵を見棄てて逃げ帰って来たのか?王平殿は決死の覚悟で戦ったというのに」等という批判が陣内から噴出したら言い方は悪いですが孔明としても次の北伐の為にも馬謖を「"生贄"」に差し出す他はなかった事でしょう。(そうしないと甥の諸葛格や第二次ウィーン包囲のカラ・ムスタファ・パシャと同じ運命になりかねませんからね)
動画の中の地形が正しいって前提で言うと王平の場所からさらに南西は狭くなってるように見えるのでそもそもあのひらけた場所まで出たのが??て感じましたー
一応、街亭古戦場の方にも道は続いてて、そっちからも天水には出れるんですよ。ちょっと動画には反映出来てませんが^^;なので、あの開けた場所で食い止めるしかなくて、それより南下してしまうと防衛を迂回されてしまう恐れがあったんです(゜ω゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA 「道を塞ぐ」ならマップ南西部ではなくひらけた地形へ出る前のマップ北東部の道を塞がないといけなかったけどその時間的余裕がなかったってことか…理解しましたー!!
よりによって初戦が張郃。張飛と一騎討ちしろと言われるくらい、無茶な話だったのではないかと思いました。
相撲でいったら初入幕の力士が大横綱に挑むのと同じぐらい無謀ですからね....。格闘技に例えたらヒョロヒョロの素人がチャンピオンに挑むのと同じぐらいです。
@@匿名希望-d6r さん張郃のことを詳しく知ってからは馬謖に同情するようになりました。
@@万吉8 蜀に張飛あれば魏に張こう有りと言われ劉備は夏候淵打ち取っても魏には張こうがいるとまで言われかなり警戒したと言われてます。恐らく劉備は袁紹の客将だったときに張こうの活躍を目の当たりにしたのかと思います。
配下としては「城を攻めるは下策」と冷静な助言を送り叡智を発揮できた反面、指揮官としては防衛を重んじるべき場面で無謀と言わざるを得ない撃滅に固執してしまった辺り、良くも悪くもナンバー2の典型だった印象がとても強い。劉備先帝には口先だけと言われもしたが、逆に言えば助言だけさせておけば仕事はする人材であるって意味にも取れるし。
全く同意見、参謀なら有能だと思うのよ
撃滅戦というより、兵力が少ない状態で戦うことを想定した、あれも一種の防衛策ではあったのかなと。惜しむらくは、敵が張郃であったこと……というのが僕の持論(笑)
まぁ武官より文官かな❓しかし南蛮征伐は馬謖が太守を務めたあたりが原因だそうだ内政に当たらすが一番かな
馬謖の不手際よりこの一刻も猶予はないはずの張郃が持久戦を選択できた戦略眼がすごすぎたという話のような気もする。普通なら攻撃するか抑えをおいてへつルートを選択させるかだと思うしなぁ。相手が悪すぎたなぁ
兄と比較され続けてきて、ようやく諸葛亮に期待され後継者として目されるようになった馬謖、1800年も前の人間が何を考えていたか正確にはわかりませんが、やっと巡ってきた名を挙げるチャンスに心が動かされて、置かれている状況が全て山に布陣する根拠に見えてしまったのか……個人的に此処は、三方ヶ原に出陣した時の家康と似ているなと思いました。人質として抑圧された時期を過ごし、やっと信長と同盟を結ぶ立場にまでなり、そこで信玄を倒せるかもしれない好機がやってくる。置かれている状況全てが出陣する根拠に見えてしまい、結果大敗してしまう。ただやはり、敗戦後に空城の計を用いて信玄に一矢報いた家康と、動画内でもあったように逃げてしまった馬謖とでは将器が違いすぎたのだなと感じました。
空城の計はさすがにフィクションでは?信玄が体調面の不安から時間をかけるのを嫌って浜松城を攻めなかっただけと思います。三方か原の家康は単にラッキーだったと思います。家康の真価か発揮されるのは本能寺以降のごたごたを利用した武田領土の平定戦からだと思います。
@@藤本啓介-c9w なん……だと……!?ドヤ顔で語ったの超恥ずかしいです……でも教えてくださりありがとうございます!
@@mechadebu いえいえとんでもないです。文献にもあるので空城の計ももしかしたら史実かもしれません。ただあの時はまだ手持ちの戦力は家康にはありましたし、同盟国の信長も健在でしたから、攻められたら即終了になる空城の計のような無茶はしないだろうと思ったもので。
@@藤本啓介-c9w なるほど……確かにあの時、武田の防波堤という徳川の役割的にも、博打を打って攻められて滅びる事が一番やってはいけないことであり、三方ヶ原では家康が逃げ切った時点で決定的な敗北では無かったと言うことですね。こうして見ると同じ足止め戦での敗北でも、逃げることが最善だった家康と、逃げながら上手く敗北することが最善だった馬謖とはかなり状況が違いますね……
@@mechadebu 最大勢力の信長がバックにいる家康に比べ弱小勢力で最強の魏を相手にしないといけなかった馬謖ですから馬謖の方が難易度は高かったと思います。むしろ馬謖(孔明含む)の立場はカリスマ劉備(信玄)なきあとに最大勢力の魏(信長+家康)に戦いを挑まなければならなかった武田勝頼に近いのではないかなと思います。
馬謖に関しては結果ばかりが大きく記載されてそこに至った原因がいまいち不明瞭なところが不憫でならない。姜維と馬謖の次世代蜀漢も見どころが多数あったと思うと残念でならない。
私的にはハインリッヒの法則(1件の大惨事の背景には29件の軽微な事故と300件のヒヤリハットが存在するという法則理論)にもある通り其れ以前から街亭の予兆となる表面化しなかった軽微な失策やヒヤリハットな事案が在ったのではないかと考えております。そして其れが劉備の馬謖評に繋がったのではないかと思います。
夷陵の戦いでは軍が壊滅して同時に指揮官も戦死している、けれど街亭の戦いでは指揮官は処刑されている。これが全てのようですな。
王平が兵をまとめたとあるあたり、馬謖はほぼほぼ指揮官としての役割は担えない状態にあったんでしょうね。
馬謖贔屓が相当入ってますが、それがとても良いです🎵諸葛亮は李厳ら益州派閥に対抗できる発言力の強い部下を一刻も早く欲しかった、が為に焦って大将任命したのでしょうか?
派閥争いはあまり意識してなかったと思います。蜀漢は諸葛亮が完全にコントロールしてたので。諸葛亮没後も、他国と比べると争いは小さなものでしたし。とはいえ、自身の代わりとなるような、強力な荊州閥の継承者、つまり後継者は求めていたようには思いますね。
・・・北伐の前半で蜀軍に加入した姜維の存在に焦りを感じていたのかもしれない。孔明の策を見破る、趙雲・魏延という蜀の武官ツートップと一騎打ちをやってのける等々・・・しかも、自分より一回りも若い・・・。それが街亭の失敗に繋がったのかも?
スリキンの馬謖の最後めっちゃ良かった
机上の理論は実戦では何の役にも立たないということを証明してくれた武将です。実戦を重ねてじっくりと育成していたらよかったのですが、人材不足気味だった蜀にはそこまで余裕がなかったのが残念です。
詳しい解説勉強になりました。スリーキングダムズで孫呉との和平の使者での雄弁ぶりはかっこよかったです。街亭の戦いで山頂に陣びきするっていったときは、ドラマながら何度もやめろーって言ってしまいました😅
場違いかも知れませんが、試験に出るさんの小説で、街亭をテーマにした作品も読みました。同小説が記載されたサイトで他の方もコメントされてましたが、諸葛亮を虹に例えて「追い付く事が出来ない」「早く追い付かないと消えてしまう」という表現が好きでした!。
あの小説はまだまだ考察が浅いものがあったので少し心残りのある作品ですが、そう言っていただけると本当に嬉しいです(´;ω;`)そして、虹には決して手は届かない。でも諸葛亮は、馬謖は自分に手が届くと思ってる。そういう関係を、この二人にはなんとなく感じてしまうんですよね(゜ω゜)
勝ってはならない、故にあえて山に布陣したというのは斬新でした。短慮だったわけではなく、深読みしすぎたというのが読んでいて逆に切なくなりました。
今も昔も、実戦での経験ってのは大事だな。現代でも紛争の多い国の軍隊は強い。
紛争ばっかされても困るけどな
こうして改めて見ると、高いレベルでまとまった中堅、ベテラン層が厚い魏軍に対して、まだまだ経験が浅いルーキーたちで挑まなければならなかった諸葛亮の苦労が偲ばれます。そして、自分よりも遥かに格上の張郃と戦わなければならなかった馬謖の動揺は、歴史には残されてはいませんが凄まじかったことでしょう。きっと張郃は彼の想像をいくつも超えてきたはず。馬謖は登山家と揶揄されますが、目の前に熊だかライオンだかわからない猛獣が突っ込んできたら誰でも近くの木に登るし、高台があれば非難する。どれだけ知識があろうとも実行に移す胆力や決断力は実践を伴わなければ養われない。なまじ優秀だったために汚名を残しただけで、馬謖は本当に相手が悪かっただけ。そう思わされる解説でした。また、次回も楽しみにしています。頑張って!
ありがとうございます!!(´;ω;`)それにしても、動画の要約が秀逸(゜ω゜)
関羽のやらかしと夷陵の大敗で早速蜀漢は人材沢山失ったからな
孔明は勝てと言ってない。時間を稼ぐという事も理解出来ないバカだったのかもね。現に王平が進言してるんだから。さらに敵前逃亡+部下見捨ては大罪だぞ!そんなクソゲス野郎が軍のトップになれる訳ないでしょ!
実際のところ、諸葛亮も張郃がどう動くかは読みきれなかったから、実践経験豊富な王平を副将につけ、現場の空気次第で柔軟なアドバイスが出来るように配慮したんじゃないかな。その上で、馬謖には基本方針だけ指示して、現場の状況から基本方針を変更する必要があれば王平から助言するだろうと見込んでいたのではと。ところが、結果は通説の通りで惨敗。ただ、これには諸葛亮の人選ミスもあると思うんですよね。馬謖からすれば王平は、叩き上げの将軍であっても読み書きも碌にできない無学の徒。若い馬謖からすれば、これは実戦経験で遥かに劣るという自身のコンプレックスを覆す材料に成るわけで、そこから長じて「王平のような無学=無能な輩の言うことなんか聞く価値がない」変換されたことで、王平がどれだけ現実的な助言をしても聞く耳持たないという結果になったかと。尤も、諸葛亮自身も、益州閥の叩き上げ武官である魏延を冷遇する一方で、自身も所属する荊州閥の文官である楊儀を厚遇する辺り、賞罰にこそ公平であっても細かい態度や人事などではかなり個人の好悪に左右されており、馬謖もそれが影響したかもとも思いますね。※まぁ、馬謖は名士の出ですから、それが無くても王平みたいな人物を見下す傾向にあったかもですが
個人的には、夷陵の戦いでの最大の損失は馬良の死だと思ってます
馬謖と同じように、実戦経験のなかった陸孫が指揮をとり、劉備の大軍を敗退させた…陸孫と馬謖の違いとは…若さかなぁ?😅
@@virgoshaka5601 陸遜は対外的には無名では有りましたが、異民族や賊の討伐など、国内警備での経験は豊かでした。関羽を陥としたのも、呂蒙とはいえ、その参謀は陸遜。夷陵の戦いで、古株は半信半疑だったとは思いますが、本人は十分落ち着いていたものかと。馬謖も、全くの無能ではありません。とにかく、学識はあったにしろ経験に乏しかったのは確か。失敗したにしろ、殿を努めて撤退処理を正しく行えば、そこまで重罰ではなかったでしょう。
@@so8661 ということは、やはり経験値の差…ってことですか?🤔
@@virgoshaka5601 性格も経験も経歴も違いますよ。陸遜は現実の残酷を身をもって知り尽くし、自身の才能で凌ぎ上げても名前通りに謙遜で穏やかな人物です。出身の名門陸家はかつて孫策の怒りを買い皆殺しされたことがあり、陸遜は庶子だから身を免じた。その後陸家の長として陸家を立ち直し、S Oさんの言った通りに色々実務を重ねてきて出世した。それでも孫権は兄に比べて名門への態度がやわだが、長い間名門に対して高い警戒心を持っていた。だから陸遜は調子を乗ってはいけない、驕ってはいけないとよくわかる人です。馬謖は真逆ですね。名門出身で若い時から兄と諸葛亮に可愛がってきたから、どうしても青臭いところがあるはずです。急に残酷な戦場に投げられた、そして相手は名将。張コウに比べると子供並みのマインドを持っている馬謖は慌てて惨敗したのもおかしくないですね...
@@jiepan4570 なるほど、わかりやすい解説、ありがとうございました🙏
「泣いて馬謖を斬る」、「演義」では、「先帝劉備の忠告を聞かなかった、諸葛亮自身の不明を恥じ、泣いている」的な意味だったかと…………
セオリーだけではなく、状況に応じて手を変える。流石の張郃さんだ。転じて、馬謖は柔軟性を欠き、机上論を優先した。とはいえ、失策に動揺したか、張郃に恐怖したか、または前線での経験の浅さからか、兵を捨ておき指揮官だけで逃げなければ、降格はあっても処刑は免れていたろう。
街亭って当時の蜀の将なら馬謖じゃなくても敗戦してたような気がしないでもないですしいくら忠告があったとしても見晴らしの良い場所が取りたくなるのも分かる気がするし少しの経験と人材があればと思うと本当に勿体ない人物
事務は有能だったかもしれないが現場での仕事は不向きだったとか
戦略家としては優秀だけど機転の利く戦術家では無かったという印象。孔明も馬謖の使い方を誤った気がする。
街亭の戦いで、蜀漢の規模だと多く出兵できても10万が限界なので、兵一万は実践経験がない馬謖としては兵力権は過分なぐらいある。それだけ上邽の前の街亭が重用とも言える 張郃軍の進撃速度が3日で600里と超スピードだし、馬謖はろくに街亭の防衛拠点の強固な陣屋な出来なかった。なので平地のより要害の険を頼みができる高所の南山に布陣をした。 馬謖は兵站維持するための水源を絶たれる致命的なミスをして、張郃にそれを看破され、南山に干からびさせる持久作戦され馬謖は敗退するのだが、 馬謖は南山にて要害を頼みに短期決戦を試みたと思う。馬謖の出来うる最善手がそれしかなかった。 しかし張郃はその地形を知り尽くしており、水源を断って持久戦で勝つ用兵の妙をされたため敗北した。 準備不足で平野で防衛しても張郃軍に負けてる可能性は高い。馬謖が軍才で出来うる用兵の妙が出来れば防衛出来たかもだが。 どちらにせよ、諸葛亮の街亭の戦いで軍事限界点が来ており、馬謖以外の将兵ても無理。諸葛亮の戦略を破綻させた張郃の用兵が優ったと認めざるが得ない なので敗戦の責任は諸葛亮に第一にあり、馬謖を処断するのは間違っているんだよね。劉備が生きていれば馬謖への処断を止めてるだろうし。この点からも私は諸葛亮を嫌いになったよ
2022年4月現在アニメでパリピ孔明が放送されています。大友龍三郎さんの声で英子のマネージャーが孔明に街下の戦いを問うたら孔明はどのように答えるのか今から楽しみです。
試験さん、猫さん、そのほかの馬謖解説動画を見た結論。馬謖が愚将だったんじゃない、張郃が名将すぎたんだ…… あと曹叡もおかしい。
戦時の曹叡の頼もしさは異常
SRPGで例えるなら馬謖がLv15(今ココ!!)ならば張郃は低く見積もってもLv95位ですからね。
戦時の潜水艦が、遠距離から艦船に魚雷を数学的目測だけで命中させる難しさに似ている気がする。羽柴秀吉の中国大返しみたいに、予測を上回る迅速な移動をされたらそりゃあ一気に不利になりますわ…。時の運で片付けるなら分かるけど、愚かで片付けるのはワシもどうかと思うわ。
孔明は何の経験もなく庵から出てきていきなり軍隊を率いて戦えたからバショクもそれぐらいできるやろって思ったんかな(演義的展開によると)
「趙奢と趙括の一族子孫が馬姓を名乗った。馬超はその子孫」って言われるけど。馬謖も馬姓なのよね。趙括と被るのは気のせい?
久しぶりにこの動画を観ました。自分は第一次北伐失敗の根本的な原因は、戦果を欲張って軍を複数に分けた事だと思います。最大でも10万程度の軍を複数に分けると、魏軍に対し兵数で劣る可能性が高く、また他に援軍が必要なときに諸葛亮本軍に充分な兵がいない事態も起こりえます。実際に馬謖がよく注目されますが、上庸は司馬懿に奪い返され趙雲は曹真に敗北、隴西に派遣した軍も遊楚に追い返され南安郡の反乱も、涼州刺史の除バクの派遣した援軍に鎮圧されてうまくいってないんですよね。ちなみに除バクの援軍はあまり触れられませんが、自分はその存在の意味は小さくないと思います。例えば張郃が街亭で持久戦を選んだのは除バクの援軍派遣を知って隴右は当分の間持ちこたえることができると判断し、持久戦の用意をしている時に水の事に気がついた、逆に馬謖は援軍の事を知らないので、張郃は必ず攻撃してくると判断し登山してしまった、そう考えられないでしょうか。
馬謖に実戦経験を積ませる機会があれば、歴史は変わっていたかもしれんのかねぇ?
何と言っても「破滅型」の多い蜀の中でもたらればな話の出て来る人かなと。後々劉備の観察眼が当たった結果にはなりましたね。個人的に街亭の戦いは実戦経験が少ないというところから甲子園で1年生ピッチャーが投げるみたいなイメージです。先輩の王平がしっかり指示を聞いていたのも印象的です。この辺りは姜維を獲得出来たくらいしか良いことありませんでしたね。また姜維も破滅型…
馬謖自体の評価は諸葛亮からの布陣の指示がどんなもんかだと思うけど全体で見ると張コウ相手に馬謖が激突する時点で人材力の差が…けどそれをやってのけてきたのが蜀軍なんだよな〜
補給の計画等の物資の管理とかの仕事に専念してたら良かったのかも人材不足で余裕ないでしょうが実際は
皇帝が予想外に戦理に明るく、張郃司馬懿これまた素早い対応。負けに不思議の負けなし。王平を身近に引き寄せていれば敗戦の際、実兵指揮もですが心の支えにもなって、見苦しいことにならず、斬られるところまではいかなかったのでは。
刑事ドラマあるあるの、現場を知らないエリート上司が馬謖。実力派のたたき上げ刑事が王平という感じですかね。
諸葛亮さんも人間ですから、益州閥より同じ荊州閥の馬謖を目にかけるのも仕方が無いです
大学で戦史研究して各国の将軍武将がネットでコケにされるのを見ると胸が痛みます。二次大戦時の日本軍は特に…。投稿主の最後の発言は心に染み渡ります。自分以外にと言うとアレですけどそういう人がネットにもいて良かったとホッとしていたりします。
煩雑な指揮、ということは有能な部下や全体が見えている部下なら理解できて、その通り実行できれば確かに強い作戦だったのだろうけど、一兵卒までそんな行動は取れず、馬謖が日々の訓練に参加して兵卒と連携を取っていたとも思えない。結果、現場がわかっている王平が尻ぬぐいした形だったのだろうなあ。
劉備は生前、「馬謖は口ばかりで大した人材でない」みたいなことを広言してたような・・・劉備は良い人材を見極める能力が高い、孔明は・・・どうなんだろうね?
馬謖の処刑は、命令違反ではなく、最後に解説のあった、敵前逃亡の方が主因ではなかったかと、とある動画では解説されてましたね。以下に命令でも、状況に応じて臨機応変に対応すること自体は、兵法として当然ですから、これで負けたとしても、処刑にはなりませんからね。しかし、敵前逃亡は重罪です。しかも指揮官ですからね。そりゃ、シメシをつけねばなりませんわな。
実戦経験が不足してたのかなぁ〜王平の部下として街亭に行けば結果が変わったかもですねーそして、実戦経験も得られて諸葛亮亡き後の蜀の名将になれたかもですよね〜諸葛亮の恩情人事?が仇になりましたよね……ほんとに惜しい。三国志14でリベンジさせてきますw
たぶん正解はそれですよね。魏延でも呉イでもなく、王平に軍を預けるみたいな(笑)王平は張郃キラーみたいなところがありますし(゜∀゜)
他の方の動画見てたら早めに師団クラスの指揮を任せる口実(功績)が欲しかったのかもしれませんね
戦には水が重要なんだが馬謖で学んだ物資がいくらあろうと水がなければどーもならんということでした極端な話自分の隣に湧き水とかあったほうがいいなあ(その前に兀突骨関連で毒水あったが)
南蛮平定の時が一番輝いていた人物の1人ですかね。街亭の失敗がなければ、、、処刑やれる時も、自分の非を認めて刑に処されてるのを見ると、、、一回の失敗が許されない戦って、辛いですよね(;〰;)ツラタン
今もそうだけど、あの時代なら尚更一度の失敗が致命傷。当たり前!関羽の荊州陥落、劉備の夷陵の大敗、馬謖の山登り、三度も大失敗してたら魏討伐北伐なんてムリ!
三国志13で、馬謖でプレイして落ち目の蜀漢を再興して魏呉を平定したのはたのしかった笑
馬氏の五常の常は兄弟全員の字に「常」が付いてるため、そう言われるむかし軽く調べた時に、全員の名前が分かったんだけど資料をなくしたのが・・・たしか法則のある伯仲叔季の並びだったはず。伯常、仲常、叔常、季常、幼常。うろ覚えだけど、一人だけ名(姓・名・字の名)が分からないのがいて、それが魏に仕えてたはず(3男だったような?)。後の二人は覚えてない。長男だか次男だかは早世してたはず。うろ覚えすぎて申し訳ないけど
登山家さんは馬謖した事より上に立った事が問題じゃないかなと参謀のままで法正の後釜を目指せば良かったかも劉備も多分そういう使い方を期待してたんじゃないかと
でも諸葛亮からすれば、早くハードワークを委任できる人材が欲しかったのかも……(笑)結局、馬謖が死んだことでさらに負担が増えてる気もしないでもないですが('ω')
馬謖を育てるのに最適な人が叩き上げの軍人で叱る立場である劉備や関羽で、馬謖の成長の目を摘んだのも2つの大敗を犯してしまった劉備と関羽。戦術家や指揮官不足になやんだ後の蜀にしては大きな痛手。奇襲攻撃としてはやれる事は全てやった一大決戦で実績よりルーキーの経験稼ぎを選んだのか?これだけが疑問。馬謖が自ら名乗り出たのかも。
不勉強なので教えて欲しいです。任務が「足止め」であり、「持久戦」に持ち込んでるんですよね。これが何故失敗なのでしょうか?
理想は「援軍を街亭から退却させ、上邽やビ城での決戦に持ち込む」ことであり、最低でも「上邽や涼州諸郡の攻略を本軍が終えるまで足止めをする」ことが目的になってくるように思います。ただ、それが成される前に街亭やその他の戦線が崩壊したので、失敗になってしまうって感じですね。
@@KOUMEI_NO_WANADA ご回答ありがとうございます。そうなると、失敗となってしまった理由は、①本軍が攻略に苦戦。②持久戦で思ったよりも時間を稼げなかった。のどちらかという事ですね。①の場合、本軍何やってるの?って話で馬謖は悪くないですし、②の場合は持久戦において戦線を維持する能力が低かった事が失敗の原因であり、山に陣を築いた事が失敗の原因ではないように感じられてしまいます。準備不足で野戦すれば速攻で蹴散らせれるかも知れない中、上手くいけば撃退も可能で最低でも持久戦には持ち込める訳ですから。
ですね、正直なところ自分は敗戦の原因は馬謖には無いと思っています。最初から勝ち目の薄い戦いであり、相手があの張郃でもあったので。結果を急ぐべきはずの援軍が持久戦の構えを取ったことで、馬謖軍は大損害を被ってしまった、みたいな。ただ、やはりよく言われる「逃亡」が馬謖を死罪としてしまったようにも思いますね。
実戦経験の無い口先だけという評価でも、その理想論を実現出来てしまう諸葛亮にしてみれば自分の考えの正しさを裏付けてくれる人物だったのかも?恐らく普通の武将では「理屈はわかるが、無茶言うな!綺麗事で戦が出来るか!」みたいな事でも、それを両立させてしまえる諸葛亮の手腕があればアドバイスを活かせる…みたいな。実務担当の武将では無く、客将としてのアドバイザーみたいな立場ならもうちょい評価されてたのかも知れない。命令無視からの逃亡は…まぁ理想論を語る人が、現実に対応出来なかった結果では無いかと。
馬謖狂いの自分からしたら嬉しい考察動画でした。ただ愚将の烙印を押すのではなく、なぜその布陣をしたのか考察することが大事ですね。私自身も、抱いている馬謖像とこの布陣には違和感があったので、何かしらの理由があったのかもしれないと調べた時期がありました。偏に状況のまずさ、経験不足が相まった結果だと思います。口惜しいですね。余談ですが、経験の伴った馬謖がどんな活躍をしたのか夢想することが好きなので、三国志、エンパシリーズでは必ず馬謖を軍師として捲土重来プレイをしております。笑
王平の進言無視、敵前逃亡&部下見捨ててるから、ゲス野郎ケツアナ確定じゃない?特に敵前逃亡と部下見捨てる奴は軍のトップにはなれんよ。
演義被害者の一人だと思います。 彼が向上心から愚かな判断をしたと言われてますが、実際は孔明が長年かけて構築した戦略が大きく覆す要因があったと思ってます。 孟達の反乱から孔明の出陣、南安、安定、天水(姜維の投降)の帰順、趙雲の陽動、街亭の戦いまで1ヶ月も空いてないということは孟達の反乱が起こったその初動で曹叡は全てを見通して司馬懿を孟達にあたらせてる間に、張郃や郭淮や曹真らを動かして、孔明の戦略を封じ込めに入ってる。そして張郃は神速で街亭に辿り着き、馬謖をあっさりと片付けてしまった。普通に考えれば、これだけのことが同時に起こって、伝達を走らせながら軍を準備して動かすなどしたら、3−4ヶ月は当たり前になる。 元々は街亭にある水源のところの古城に防備を施して張郃を迎え撃つ戦略を孔明は馬謖に託したのだったと思います。ところが、張郃が街亭に辿り着くのが予想より遥かに早かったので、防備を施すための十分な時間がなく、おそらく頂上に布陣するという一か八かの奇策で対抗するしかなかったと思います。後方に高翔もいるし、そもそも一刻を争う張郃が気の長い作戦を選ぶはずがないので、高所に布陣することが間違いではなかった思います。そしてこの一度の敗戦によって馬謖は処刑されてしまった。 これは明らかに孔明の戦略をしっかりと見抜いた曹叡の神判断であって馬謖に処刑がされてしまうミスではない。でも孔明を神にしたい演義は馬謖の失策という扱いにして処刑されたことにしていると思う。決して馬謖が無能だったからではない。ましてこれほどの神判断をする張郃、曹叡に対して、王平がいうように麓で野戦で戦えば張郃の援軍を食い止めれていたというのもおそらく間違いで、変幻自在に軍を動かす百戦錬磨の張郃の大軍相手に馬謖・王平でなんとかなるものではないと言える。
戦国時代の趙括とちょっと似てるのかな?って思いました。
どっちも相手がバケモノ過ぎたんや・・・
黄布からの経験値をもってる張コウ相手に馬謖は分が悪すぎましたな
王平に対し横柄な態度をとっていなければ運命は変わっただろうな・・・
誰も触れてなくて可哀想だから返信してあげた
なかなか洒落たシャレだぜ~😃
上手い😂
街亭の戦いの件は別の人が細かく洗っていたので、この動画と合わせて見るといいかもしれません
ちなみにその方は浸透襲撃さんです
詳細な記録が残ってないだけに、人それぞれの街亭がありますからね(笑)
やはり馬謖を抜擢した諸葛亮の責任だね。部下の失敗は上司の責任なわけだし…確かに馬謖はやらかしてしまったわけだけど、何も殺すことはなかったんじゃないかなぁ…せめて明日の晩御飯抜きくらいにしてくれれば…
副官に王平を付けたが、言うこと聞かなかったんだろうな…。部下の進言を聞く心の広さも上司には必要ってのは現代も一緒。
部下の意見聞かないと言ったら樊城攻めの関羽も部下の王甫の忠告聞かなかったり...。劉表死んだとき劉備が孔明の進言聞かなかったり..。徐州にいたときは流浪していた呂布を受け入れるのを群臣一同反対したのにも関わらず劉備が呂布受け入れたり...。
結果から逆算すれば王平の言うことが間違ってなかった。でも結果を知ってる我々からすれば何とでもいえる。状況なんてその時その場所にいないとわからないもの。ただ王平の言うことに耳を傾けなかったというよりは、意見として聞いていたが最終的な判断は王平の言う通りにしなかっただけのことだろうと思う。彼の経験値からすれば難しい判断を迫られていたのは間違いなかった。
結局馬謖の登用ミスは諸葛亮の判断ミスでしかなく更に言うならこの局面で馬謖しか使えないという段階で蜀漢が詰んでるという冷酷な現実の前に諸葛亮も無力だったと身も蓋もない事を言ってみますw
春秋戦国時代にも全く同じパターンがあったな。歴戦の将軍vs経験不足の兵法家。結果は分かりきってるけど。
遊びの麻雀はめちゃくちゃ強いけど、高額なレートの賭け麻雀では弱いみたいな感じなのかしら
法正とかの扱いで例外作ってたんだし馬謖の扱いで今更キッチリするなよって感じ
楽しく拝聴しました。街亭を任せる将軍は?となったときに魏延や呉懿や李厳は他で使いたい、諸葛亮の抜擢は、馬謖で足りるけど念のため王平を付けよう、だと思ってました。それほどの超重要拠点なら守りに主眼をおいて、趙雲や陳到のような歴戦の将の副官という選択肢はなかったのでしょうか?
この場合副官が誰であれ馬謖を出させたことが問題。
諸葛亮的には負けてもいいし、ただただゲリラ戦術で時間稼ぎをしてくれたらいい状況で安定と信頼の王平を副将にして野戦でぶつかっても王平に託して一定の戦果と経験を馬謖に積ませる目算が当人がよもやの登山家に目覚めてしまった。。孔明も想定外の結果にびっくりしたやろうと。。
ゲリラは基本的に現地住民の支持と協力ありきの作戦で、敵地ではなく自らの勢力域で行う防衛戦術です。しかも部隊長が相当な実践経験を持ってないと、やり遂げるのは難しいですしね。なのでこの場合はちゃんと防衛陣地を築き、敵を迎え撃つという王道戦術を実行するしかないわけですが、まぁ、本解説通り張コウが更にその上を行く、と。
封鎖を目的としての作戦だったのに、目的を撃破にしてしまってるから、やはりこれは馬謖の失策となるのはどうしようもない。 封鎖ならば重要な役割とはいえ、経験の浅い馬謖でも持ち前の知力と、王平の経験で遂行できると思っていただろうし、恐らく可能だっただろう。目的を理解していた王平がいなければ蜀が無くなっていたかもしれないレベルのことだし、処刑も仕方ない。
馬謖君は戦の経験値が足りなかっただけで、しっかりとレベル上げしていたら勝てないにしても最小の被害で防衛戦は出来ていたかもですね〜もし経験をしっかり積んで育てば諸葛亮の後継者として姜維と並ぶ可能性があったかも…と思う惜しい人材ですね…
人材不足の中、明らかに期待が掛かりすぎていたのかも、ですね(゜ω゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA 諸葛亮は万能とは言え単独での限界が分かってただろうし、前線に出られる軍師タイプは貴重な人材だったから「早く人材を確保しなきゃ」って焦りがあったでしょうね…
劉備時代に軍を指揮していたのは劉備と法正、そしてその下に張飛、馬超、黄忠と言った面々がいた。ところが劉禅時代はこれらの面々がほぼ亡くなっており、まさにゼロからの再スタート。
とにかくチョウコウの援軍を足止めしろ!上手く負けるでもいい!なら、単純に人選ミスだよねえ。戦場初めての指揮官にそんな上手い事やれないって。
解説されてる時の魔王魂さんのBGMなのですが、検索しても中々見付けれず、BGMの題名を教えて頂けないでしょうか?お願い致します…
お城で流れそうなBGMみたいな感じだったと思います
@@KOUMEI_NO_WANADAさん、教えて頂き有り難う御座います! 見付かりました。気になってたBGMだったんて見つかってスッキリしました。本当に有り難う御座いました。m(__)m
馬謖が処刑されるなら、曹操を見逃した関羽の罪はどうなるんだろう?
コレに関しては劉備の方に遥かに人を見る目があったということですね孔明は愛弟子可愛さに見る目が曇っていたとしか
まあ相手が悪すぎた。戦術論って、ほんの僅か一手でも相手の意図を上回り、意表を突くことで大きな戦果に繋がりますからね。馬謖の戦術で言うなら、並の武将相手なら闇雲に山上に攻撃してきたかもしれない。でも張郃はそうしなかった。張郃と馬謖の差を挙げるなら、張郃は馬謖を下山せざるを得ない状況に持ち込み、馬謖はその部分での積極性が足りなかった。もう少し山上を攻めたくなるよう仕向けれたらね。ただ戦場における修正力は、諸葛亮も含めてあまり得意としない分野なんよね。
演義だと姜維を加えた時点で後継者は姜維のような空気でしたが、実際には馬謖のほうがまだ諸葛亮の期待が高かったのでしょうか。もし馬謖がこの後も活躍していたら姜維との後継者争いなんて話が演義に大体的に書かれていたかもしれません。ただ馬謖は実績からみて有能な参謀タイプで、軍を率いて決断する将タイプではなくそれに有用な助言をする参謀タイプだったように思います。孔明が馬謖を鍛えたいのならもっと小部隊を前線で率いるところから始めるべきで、正直責任は任命した孔明にあったのではないでしょうか。ちなみに向郎の件は自分が読んだ話では脱獄を見て見ぬふりしてしかも馬謖は脱獄失敗で斬られたてされてましたが違ったんですね。
王平が副官としていなかったらどうにか味方の兵を帰還させたのかも怪しかったと思う。全軍帰還は果たせなかったが王平がいなかったら蜀漢軍は壊滅したかも。
戦略では見張るものがあっても、戦術は苦手だったんだろうなぁ。まさに臨機応変出来ないのはビギナーらしい
申し訳ない、戦略と戦術の違いを教えて頂きたい
馬謖が処刑されずにこの敗戦を糧に孔明の期待通りの人物に。そのまま姜維が歴史通りに蜀の武将となっていたらどうなったんだろ。なんてたらればを考えてしまう。
荊州名門の馬氏に生まれ何一つ挫折することなくエリート街道を歩んだかに見える好青年蒼天航路では才気溢れかつ孔明に心から心服しているこの馬謖が連載終了(曹操死亡の220年)以後いかにして丞相孔明の命に背き重大な軍機違反を犯してしまうのか・・・・・・そして皆さん、いよいよ今日のその時がやってまいります・・・・・・(その時歴史が動いた風ナレ)
動画の本筋とは関係ないけど孟獲を7回逃がした時に、どうやって他の人たちを納得させたんやろか当時は人材がいなくて、兵隊達の練度も覚悟も低かったろうし、全く知らない土地で敵の大将を逃がしまくって...彼らの目には戦いを長びかせてるようにしか見えないやろし
知っているのと、出来るのは違うという事。現場側との擦り合わせが上手くできなかった事。でしょうな、現代でもよくあるやつです。
成都で他の将官たちと一緒に内政に熱中してれば良かった。
渋谷に在住のパリピな孔明曰く、新たな人材を確保して守備固めする為に起用したと泣きながら説明してくれたもしかして、長安強襲を催促していたかもしれません
自分も昔、馬謖の小説を書いた際は「長安強襲説」を用いたような気もします(笑)
お?私もこの動画内容には納得です。馬謖は十分過ぎる程有能だし、山に布陣したについても同意見です。張郃相手に馬謖だけで何とか出来るわけないし、初見殺しなレベルの案件な内容だっただけかと思います。つまり諸葛亮の人事の失敗なだけだった。本来は処刑すべき案件ではなく、馬謖の責任を問う前に己が責任の不始末を考えるべきだった。馬謖を失った結果魏と呉が笑う結果になるって事くらいもわからん辺りもうどうしようもない……
馬謖…、あと3年でも経験値を詰んでいれば…。高すぎる才能は未熟な自信を生む…、劉備は若い頃の自分を馬謖に見たのかもしれない…。
諸葛亮の命令はどのようなものだったのだろう…。
諸葛亮は人の使い方が上手くないというか、部下の人間関係に苦労してるってイメージが付きまといますね陸遜ほどの大物だったらデビュー戦に大物をぶつけても大丈夫だったのでしょうが(あっちは地方の平定経験ありましたけど)期待が大きすぎたせいで目が曇っていたのかも
あれは陸遜が異常だし、孫権の肝の据わり方も異常。韓信を信じた劉邦は、もう頭がおかしい(
@@KOUMEI_NO_WANADA 結果論ですが、孫権と劉邦は人を見る目があって、諸葛亮にはそれが無かったのですかね。
無かったとまでは言いませんが、ここまで来るともう「運」の問題なのかなぁ、とも思います。
2年目馬謖、27日に今季初登板初先発。「孔明さんの期待に応えたい」
成都スポーツ
9月24日(土)14: 30配信
蜀の2年目・馬謖(23)が、27日(火)の魏戦で今季の初登板初先発を果たす事がわかった。
今週から一軍に同行し軽めのキャッチボール等で調整していた馬謖は、この日は初めて捕手を座らせて60球を投げ込み、フォームの確認などを入念に行った。
最速150キロを誇る期待の若手右腕は、「まずはしっかり腕を振って、ストライクゾーンで勝負したい」と意気込む。
ブルペンを視察した諸葛亮球団本部長は記者団の取材に応じ、「無理に勝とうとしなくていい。彼らしいピッチングでのびのび投げてくれれば」とにこやかに語った。
球団の最高責任者がこの若き右腕にかける期待は大きい。
一昨年のドラフト会議にて、劉備玄徳前オーナーから、全国大会での実績が殆ど無い事を理由に再三に渡り指名を避けるよう厳命されていたにも関わらず、その桁外れの才能を見込んで独断で一巡目指名を強行。
複数の球団が超高校級キャッチャーの郭淮を指名する中での単独指名に会場にはどよめきが起こった。
その才覚を遺憾なく発揮したのは、昨年11月に開催された「なんばんフェニックス・リーグ」であった。
馬謖は三試合に登板、防御率1.25と抜群の成績を収めてベストナインに選出されるなど、その資質に偽りが無い事を示した。
諸葛亮球団本部長は、将来のエース候補の一人として馬謖を高く評価している。
現役時代の自身の背番号18を背負う若武者の躍動に注がれる視線は厳しくも優しかった。
午前中から25度を超える真夏日となった今日も、球を受けた捕手の王平が給水を勧めても「逆に死に物狂いで投げられる」と拒否するなど、ベテラン相手にストイックな一面を見せた馬謖。
登山を趣味にしており、休日は山に登って足腰を鍛えることを日課にするなど、自己研鑽に余念がないという。
既に優勝マジックが点灯し、胴上げへ秒読み段階に入っている魏の勢いを止められるか。
魏はエース張郃が先発予定。
19歳にして魏軍の正捕手の座を掴んだ昨年新人王、郭淮とのバッテリーで今季15勝の難敵だ。
未来のエースが決戦のマウンドに登る。
◆27日(街亭パークドーム)18: 00開始
うーん、相変わらずの天才コメント(゜ω゜)
王平「コートに山が!??( °ω)°」
@@dudaandmanju
MLBアストロズ『外野に山(丘)作って柱立てたら(文字通り)盛り上がるやろ!馬謖も来てくれるかもしれんしw』尚、内外全方位に大不評で全部撤去して普通の球場にしたら優勝した模様w
松下アナ「どうしたんだ馬謖!何の為の街道守備だ!!これはいけませーん!!!!」
某アナが水差し野郎だの「本陣を街道に置くのか置かないのか置きたくないのか!置く度胸もないのか?」とくっそたたきそうww
何故そうせざるを得なかったのか?という視点で解説されていて凄く興味深かったです。
現代社会でも上司からの指示を守らなかった場合、そこに不可抗力や現場での最善と思われる対応をとった等の様々な要因ってありますよね。
やはり馬謖にこうゆう仕事をさせなければいけない状況自体が「詰み」なのでは…、と思ってしまいますね
重鎮クラスからの助命嘆願が有った辺り、孔明の参謀としての功績は
確実に有ったみたいですし
軍事前線に出すタイプではない
劉備「だから馬謖を重用するなとあれほど言ってたのに・・・」
諸葛亮「アンタが夷陵で負けて優秀な将の多くを戦死させたから、選択肢が無くなったんだ!」
馬謖さんは、これでも蜀の人材としては性格的にまだまだマシな方なんですよね。
諸葛亮は思想でいえば法家ですから尚更馬謖を無罪放免にするわけにはいかなかったんでしょうね。
規律を重んじ法に照らし合わせて罪を裁かなくてはいけないのに徳や情でなあなあにするのは許されませんし。
個人的に浸透襲撃さんの動画より納得がいきました。
本当に馬謖は決戦を志向していたのだろうか。街道封鎖についてはむしろ重視していたからこそ南山に籠った可能性はある。敵が無視して街道を進むなら追撃や輜重を襲えばいいし、包囲して来るならそれで時間稼ぎも可、敵が決戦を仕掛けてくれば高所の有利さが活かせると言う考えがあったのでは。もちろん
・相手の方に地の利があり野戦築城は焼け石に水。
実際に焼け石に水どころか水源地を正確に抑えられて負けてしまう。
・相手がこちらに有利な時期に仕掛けてくるとは限らない。
敵が大軍かつ解囲軍と言う性質上、時間を置かずに正面から来ると見たか。ただ、これは冷静にあえて確実に勝つ方法を選んだ(結果として数日で終わらせることも出来た)張コウをほめるべきだろう。
・そもそも寡兵すぎるのに撤退戦へのリカバリープランがなかった節。
最初から撤退戦を意識していた王平は褒賞を与えられ、別戦線だが趙雲は撤退戦には成功していて比較的軽い処罰で済んだ。
と、素人ですら考え着く限りの机上の空論だが、北伐の戦略を理解出来ていなかった説とはちょっと違った可能性も模索してみた(理解していなかったなら理解させなかった孔明もあれだし、そんな人間を使うなよって感じにもなるので)。
理屈は正しいし実行できるなら有効な策を提案できる
その策を自身で実行できるかは別の話
と感じました
曹操が早くに参謀格と将軍を分けたのは、正しい人事だったのでしょうね(゜ω゜)
「長平の戦い」の趙括もそうでしたが、キッチリ経験を積んで、致命的では無い失敗とかも味わっていれば、と思うと確かに惜しい人材ですな。
趙括の両親が頑なに否定してるあたり多分学習しない奴だろうからどの道無理な気はする
何よりトントンで上がった程度で白起をどうにか出来るとは到底思えないし
知識があっても知恵はない。戦闘の記録を知っていても自身の戦闘の記憶(経験)がない。そんなイメージですね
しかも初戦の相手が、自分よりも兵力が多くて、準備もさせてくれない張郃という(゜ω゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA 戦う前から詰んでますなぁw勝負は戦う前に既に決まっていると言うのはホントなんだなぁ。孫子スゴいw
近代軍隊でも敵前逃亡の判定は難しく(基本的に被告側と友軍指揮官と被告の上司や部下と敵軍捕虜等の証言を照らし合わせて行われますからね)黒とされていた人物が白だと判明したり逆も又然りだったりしますからね。
馬謖は、劉備と諸葛亮で評価が分かれるっていうのが面白いですね。劉備さんは経験値たくさんですから(ただし,負けの)、経験値の大切さを伝えたかったんだなぁって。
口達者で実務が苦手だと知っていたんじゃない?あの遺言からの予想だけど
夷陵の戦いの頃って、劉備と諸葛亮けっこう疎遠になってたからなぁ😅
敵前逃亡や脱獄未遂が無ければ精々趙雲か王平か呉懿か魏延の下で修行やり直せって程度で済んだかも知れないのに
才能惜しむ気持ちは有りますが流石に泣いて首を切るしか規律的に蜀漢を保てない
向朗のいう「逃亡」が、脱獄なのか敵前逃亡なのかって話も結構意見が分かれたりしますよね。
ただ、向朗は別に獄吏ではなかったわけで、そう考えると敵前逃亡なのかなぁって思わなくもない(゜ω゜)
諸葛亮的には、「王平と協力して、堅く守って時間稼ぎしていればできる簡単な仕事だから馬謖でもなんとかなるやろう」と思ってたのではなかろうか
しかし、大人しく防衛を準備させる張郃ではなかった('ω')
王平を主将馬謖を副将にしていたらと思ってしまう
伯仲叔季を知ってからというもの、その名前シリーズの人が出るとテンションがあがります。
三国志の人物の字が伯仲叔季シリーズの特集とかも見てみたいです。
22:25
応永の外寇やテルモピュライの戦いみたいな例もありますから指揮官によってはもしかすると?
ただ、馬謖には宗貞盛やレオニダス一世の様な力量があるかは不明ですが
馬謖が叩かれるのは、三国志を知れば知るほどこの一回目しか北伐成功の可能性がなかったことを痛感するからでしょうね。
ホントにそれですよね。無念の行き場所がないと( ;∀;)
そうですね其れに敵前逃亡疑惑からの処刑の判決の背景の遠因の一つに荊州失陥迄の経緯もあると考えられます(例えばある意味荊州失陥最大の戦犯である関羽は関平と共に死んだ事で失陥の罪は結果的に不問(少なくとも表面上は)にされ其れで関家の人間を責める人はほぼ皆無だった事でしょう、)もしも街亭失陥後、「関羽将軍は子息の関平殿と共に其の一命をもって荊州失陥の罪を立派に償われた!なのに何故?馬謖はのめのめと兵を見棄てて逃げ帰って来たのか?王平殿は決死の覚悟で戦ったというのに」等という批判が陣内から噴出したら言い方は悪いですが孔明としても次の北伐の為にも馬謖を「"生贄"」に差し出す他はなかった事でしょう。(そうしないと甥の諸葛格や第二次ウィーン包囲のカラ・ムスタファ・パシャと同じ運命になりかねませんからね)
動画の中の地形が正しいって前提で言うと王平の場所からさらに南西は狭くなってるように見えるのでそもそもあのひらけた場所まで出たのが??て感じましたー
一応、街亭古戦場の方にも道は続いてて、そっちからも天水には出れるんですよ。ちょっと動画には反映出来てませんが^^;
なので、あの開けた場所で食い止めるしかなくて、それより南下してしまうと防衛を迂回されてしまう恐れがあったんです(゜ω゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA
「道を塞ぐ」ならマップ南西部ではなくひらけた地形へ出る前のマップ北東部の道を塞がないといけなかったけどその時間的余裕がなかったってことか…
理解しましたー!!
よりによって初戦が張郃。
張飛と一騎討ちしろと言われるくらい、無茶な話だったのではないかと思いました。
相撲でいったら初入幕の力士が大横綱に挑むのと同じぐらい無謀ですからね....。格闘技に例えたらヒョロヒョロの素人がチャンピオンに挑むのと同じぐらいです。
@@匿名希望-d6r さん
張郃のことを詳しく知ってからは馬謖に同情するようになりました。
@@万吉8 蜀に張飛あれば魏に張こう有りと言われ劉備は夏候淵打ち取っても魏には張こうがいるとまで言われかなり警戒したと言われてます。恐らく劉備は袁紹の客将だったときに張こうの活躍を目の当たりにしたのかと思います。
配下としては「城を攻めるは下策」と冷静な助言を送り叡智を発揮できた反面、指揮官としては防衛を重んじるべき場面で無謀と言わざるを得ない撃滅に固執してしまった辺り、良くも悪くもナンバー2の典型だった印象がとても強い。
劉備先帝には口先だけと言われもしたが、逆に言えば助言だけさせておけば仕事はする人材であるって意味にも取れるし。
全く同意見、参謀なら有能だと思うのよ
撃滅戦というより、兵力が少ない状態で戦うことを想定した、あれも一種の防衛策ではあったのかなと。
惜しむらくは、敵が張郃であったこと……というのが僕の持論(笑)
まぁ武官より文官かな❓
しかし南蛮征伐は馬謖が太守を務めたあたりが原因だそうだ
内政に当たらすが一番かな
馬謖の不手際よりこの一刻も猶予はないはずの張郃が持久戦を選択できた戦略眼がすごすぎたという話のような気もする。
普通なら攻撃するか抑えをおいてへつルートを選択させるかだと思うしなぁ。相手が悪すぎたなぁ
兄と比較され続けてきて、ようやく諸葛亮に期待され後継者として目されるようになった馬謖、1800年も前の人間が何を考えていたか正確にはわかりませんが、やっと巡ってきた名を挙げるチャンスに心が動かされて、置かれている状況が全て山に布陣する根拠に見えてしまったのか……
個人的に此処は、三方ヶ原に出陣した時の家康と似ているなと思いました。人質として抑圧された時期を過ごし、やっと信長と同盟を結ぶ立場にまでなり、そこで信玄を倒せるかもしれない好機がやってくる。置かれている状況全てが出陣する根拠に見えてしまい、結果大敗してしまう。ただやはり、敗戦後に空城の計を用いて信玄に一矢報いた家康と、動画内でもあったように逃げてしまった馬謖とでは将器が違いすぎたのだなと感じました。
空城の計はさすがにフィクションでは?
信玄が体調面の不安から時間をかけるのを嫌って浜松城を攻めなかっただけと思います。三方か原の家康は単にラッキーだったと思います。
家康の真価か発揮されるのは本能寺以降のごたごたを利用した武田領土の平定戦からだと思います。
@@藤本啓介-c9w なん……だと……!?ドヤ顔で語ったの超恥ずかしいです……でも教えてくださりありがとうございます!
@@mechadebu いえいえとんでもないです。文献にもあるので空城の計ももしかしたら史実かもしれません。ただあの時はまだ手持ちの戦力は家康にはありましたし、同盟国の信長も健在でしたから、攻められたら即終了になる空城の計のような無茶はしないだろうと思ったもので。
@@藤本啓介-c9w なるほど……確かにあの時、武田の防波堤という徳川の役割的にも、博打を打って攻められて滅びる事が一番やってはいけないことであり、三方ヶ原では家康が逃げ切った時点で決定的な敗北では無かったと言うことですね。こうして見ると同じ足止め戦での敗北でも、逃げることが最善だった家康と、逃げながら上手く敗北することが最善だった馬謖とはかなり状況が違いますね……
@@mechadebu 最大勢力の信長がバックにいる家康に比べ弱小勢力で最強の魏を相手にしないといけなかった馬謖ですから馬謖の方が難易度は高かったと思います。
むしろ馬謖(孔明含む)の立場はカリスマ劉備(信玄)なきあとに最大勢力の魏(信長+家康)に戦いを挑まなければならなかった武田勝頼に近いのではないかなと思います。
馬謖に関しては結果ばかりが大きく記載されてそこに至った原因がいまいち不明瞭なところが不憫でならない。
姜維と馬謖の次世代蜀漢も見どころが多数あったと思うと残念でならない。
私的にはハインリッヒの法則(1件の大惨事の背景には29件の軽微な事故と300件のヒヤリハットが存在するという法則理論)にもある通り其れ以前から街亭の予兆となる表面化しなかった軽微な失策やヒヤリハットな事案が在ったのではないかと考えております。そして其れが劉備の馬謖評に繋がったのではないかと思います。
夷陵の戦いでは軍が壊滅して同時に指揮官も戦死している、けれど街亭の戦いでは指揮官は処刑されている。
これが全てのようですな。
王平が兵をまとめたとあるあたり、馬謖はほぼほぼ指揮官としての役割は担えない状態にあったんでしょうね。
馬謖贔屓が相当入ってますが、それがとても良いです🎵
諸葛亮は李厳ら益州派閥に対抗できる発言力の強い部下を一刻も早く欲しかった、が為に焦って大将任命したのでしょうか?
派閥争いはあまり意識してなかったと思います。蜀漢は諸葛亮が完全にコントロールしてたので。諸葛亮没後も、他国と比べると争いは小さなものでしたし。
とはいえ、自身の代わりとなるような、強力な荊州閥の継承者、つまり後継者は求めていたようには思いますね。
・・・北伐の前半で蜀軍に加入した姜維の存在に焦りを感じていたのかもしれない。
孔明の策を見破る、趙雲・魏延という蜀の武官ツートップと一騎打ちをやってのける等々・・・
しかも、自分より一回りも若い・・・。それが街亭の失敗に繋がったのかも?
スリキンの馬謖の最後めっちゃ良かった
机上の理論は実戦では何の役にも立たないということを証明してくれた武将です。
実戦を重ねてじっくりと育成していたらよかったのですが、人材不足気味だった蜀にはそこまで余裕がなかったのが残念です。
詳しい解説勉強になりました。スリーキングダムズで孫呉との和平の使者での雄弁ぶりはかっこよかったです。街亭の戦いで山頂に陣びきするっていったときは、ドラマながら何度もやめろーって言ってしまいました😅
場違いかも知れませんが、試験に出るさんの小説で、街亭をテーマにした作品も読みました。
同小説が記載されたサイトで他の方もコメントされてましたが、諸葛亮を虹に例えて「追い付く事が出来ない」「早く追い付かないと消えてしまう」という表現が好きでした!。
あの小説はまだまだ考察が浅いものがあったので少し心残りのある作品ですが、そう言っていただけると本当に嬉しいです(´;ω;`)
そして、虹には決して手は届かない。でも諸葛亮は、馬謖は自分に手が届くと思ってる。そういう関係を、この二人にはなんとなく感じてしまうんですよね(゜ω゜)
勝ってはならない、故にあえて山に布陣したというのは斬新でした。
短慮だったわけではなく、深読みしすぎたというのが読んでいて逆に切なくなりました。
今も昔も、実戦での経験ってのは大事だな。
現代でも紛争の多い国の軍隊は強い。
紛争ばっかされても困るけどな
こうして改めて見ると、高いレベルでまとまった中堅、ベテラン層が厚い魏軍に対して、まだまだ経験が浅いルーキーたちで挑まなければならなかった諸葛亮の苦労が偲ばれます。
そして、自分よりも遥かに格上の張郃と戦わなければならなかった馬謖の動揺は、歴史には残されてはいませんが凄まじかったことでしょう。きっと張郃は彼の想像をいくつも超えてきたはず。
馬謖は登山家と揶揄されますが、目の前に熊だかライオンだかわからない猛獣が突っ込んできたら誰でも近くの木に登るし、高台があれば非難する。どれだけ知識があろうとも実行に移す胆力や決断力は実践を伴わなければ養われない。
なまじ優秀だったために汚名を残しただけで、馬謖は本当に相手が悪かっただけ。そう思わされる解説でした。
また、次回も楽しみにしています。頑張って!
ありがとうございます!!(´;ω;`)
それにしても、動画の要約が秀逸(゜ω゜)
関羽のやらかしと夷陵の大敗で早速蜀漢は人材沢山失ったからな
孔明は勝てと言ってない。時間を稼ぐという事も理解出来ないバカだったのかもね。
現に王平が進言してるんだから。
さらに敵前逃亡+部下見捨ては大罪だぞ!
そんなクソゲス野郎が軍のトップになれる訳ないでしょ!
実際のところ、諸葛亮も張郃がどう動くかは読みきれなかったから、実践経験豊富な王平を副将につけ、現場の空気次第で柔軟なアドバイスが出来るように配慮したんじゃないかな。その上で、馬謖には基本方針だけ指示して、現場の状況から基本方針を変更する必要があれば王平から助言するだろうと見込んでいたのではと。
ところが、結果は通説の通りで惨敗。
ただ、これには諸葛亮の人選ミスもあると思うんですよね。馬謖からすれば王平は、叩き上げの将軍であっても読み書きも碌にできない無学の徒。若い馬謖からすれば、これは実戦経験で遥かに劣るという自身のコンプレックスを覆す材料に成るわけで、そこから長じて「王平のような無学=無能な輩の言うことなんか聞く価値がない」変換されたことで、王平がどれだけ現実的な助言をしても聞く耳持たないという結果になったかと。
尤も、諸葛亮自身も、益州閥の叩き上げ武官である魏延を冷遇する一方で、自身も所属する荊州閥の文官である楊儀を厚遇する辺り、賞罰にこそ公平であっても細かい態度や人事などではかなり個人の好悪に左右されており、馬謖もそれが影響したかもとも思いますね。
※まぁ、馬謖は名士の出ですから、それが無くても王平みたいな人物を見下す傾向にあったかもですが
個人的には、夷陵の戦いでの最大の損失は馬良の死だと思ってます
馬謖と同じように、実戦経験のなかった陸孫が指揮をとり、劉備の大軍を敗退させた…
陸孫と馬謖の違いとは…若さかなぁ?😅
@@virgoshaka5601 陸遜は対外的には無名では有りましたが、異民族や賊の討伐など、国内警備での経験は豊かでした。関羽を陥としたのも、呂蒙とはいえ、その参謀は陸遜。夷陵の戦いで、古株は半信半疑だったとは思いますが、本人は十分落ち着いていたものかと。
馬謖も、全くの無能ではありません。とにかく、学識はあったにしろ経験に乏しかったのは確か。失敗したにしろ、殿を努めて撤退処理を正しく行えば、そこまで重罰ではなかったでしょう。
@@so8661
ということは、やはり経験値の差…ってことですか?🤔
@@virgoshaka5601 性格も経験も経歴も違いますよ。
陸遜は現実の残酷を身をもって知り尽くし、自身の才能で凌ぎ上げても名前通りに謙遜で穏やかな人物です。出身の名門陸家はかつて孫策の怒りを買い皆殺しされたことがあり、陸遜は庶子だから身を免じた。その後陸家の長として陸家を立ち直し、S Oさんの言った通りに色々実務を重ねてきて出世した。それでも孫権は兄に比べて名門への態度がやわだが、長い間名門に対して高い警戒心を持っていた。だから陸遜は調子を乗ってはいけない、驕ってはいけないとよくわかる人です。
馬謖は真逆ですね。名門出身で若い時から兄と諸葛亮に可愛がってきたから、どうしても青臭いところがあるはずです。急に残酷な戦場に投げられた、そして相手は名将。張コウに比べると子供並みのマインドを持っている馬謖は慌てて惨敗したのもおかしくないですね...
@@jiepan4570
なるほど、わかりやすい解説、ありがとうございました🙏
「泣いて馬謖を斬る」、「演義」では、「先帝劉備の忠告を聞かなかった、諸葛亮自身の不明を恥じ、泣いている」的な意味だったかと…………
セオリーだけではなく、状況に応じて手を変える。流石の張郃さんだ。
転じて、馬謖は柔軟性を欠き、机上論を優先した。
とはいえ、失策に動揺したか、張郃に恐怖したか、または前線での経験の浅さからか、兵を捨ておき指揮官だけで逃げなければ、降格はあっても処刑は免れていたろう。
街亭って当時の蜀の将なら馬謖じゃなくても敗戦してたような気がしないでもないですし
いくら忠告があったとしても見晴らしの良い場所が取りたくなるのも分かる気がするし
少しの経験と人材があればと思うと本当に勿体ない人物
事務は有能だったかもしれないが現場での仕事は不向きだったとか
戦略家としては優秀だけど機転の利く戦術家では無かったという印象。
孔明も馬謖の使い方を誤った気がする。
街亭の戦いで、蜀漢の規模だと多く出兵できても10万が限界なので、兵一万は実践経験がない馬謖としては兵力権は過分なぐらいある。それだけ上邽の前の街亭が重用とも言える
張郃軍の進撃速度が3日で600里と超スピードだし、馬謖はろくに街亭の防衛拠点の強固な陣屋な出来なかった。なので平地のより要害の険を頼みができる高所の南山に布陣をした。
馬謖は兵站維持するための水源を絶たれる致命的なミスをして、張郃にそれを看破され、南山に干からびさせる持久作戦され馬謖は敗退するのだが、
馬謖は南山にて要害を頼みに短期決戦を試みたと思う。馬謖の出来うる最善手がそれしかなかった。
しかし張郃はその地形を知り尽くしており、水源を断って持久戦で勝つ用兵の妙をされたため敗北した。
準備不足で平野で防衛しても張郃軍に負けてる可能性は高い。馬謖が軍才で出来うる用兵の妙が出来れば防衛出来たかもだが。
どちらにせよ、諸葛亮の街亭の戦いで軍事限界点が来ており、馬謖以外の将兵ても無理。諸葛亮の戦略を破綻させた張郃の用兵が優ったと認めざるが得ない
なので敗戦の責任は諸葛亮に第一にあり、馬謖を処断するのは間違っているんだよね。劉備が生きていれば馬謖への処断を止めてるだろうし。この点からも私は諸葛亮を嫌いになったよ
2022年4月現在アニメでパリピ孔明が放送されています。大友龍三郎さんの声で英子のマネージャーが孔明に街下の戦いを問うたら孔明はどのように答えるのか今から楽しみです。
試験さん、猫さん、そのほかの馬謖解説動画を見た結論。
馬謖が愚将だったんじゃない、張郃が名将すぎたんだ…… あと曹叡もおかしい。
戦時の曹叡の頼もしさは異常
SRPGで例えるなら馬謖がLv15(今ココ!!)ならば張郃は低く見積もってもLv95位ですからね。
戦時の潜水艦が、遠距離から艦船に魚雷を数学的目測だけで命中させる難しさに似ている気がする。
羽柴秀吉の中国大返しみたいに、予測を上回る迅速な移動をされたらそりゃあ一気に不利になりますわ…。
時の運で片付けるなら分かるけど、愚かで片付けるのはワシもどうかと思うわ。
孔明は何の経験もなく庵から出てきていきなり軍隊を率いて戦えたから
バショクもそれぐらいできるやろって思ったんかな(演義的展開によると)
「趙奢と趙括の一族子孫が馬姓を名乗った。馬超はその子孫」って言われるけど。
馬謖も馬姓なのよね。趙括と被るのは気のせい?
久しぶりにこの動画を観ました。自分は第一次北伐失敗の根本的な原因は、戦果を欲張って軍を複数に分けた事だと思います。最大でも10万程度の軍を複数に分けると、魏軍に対し兵数で劣る可能性が高く、また他に援軍が必要なときに諸葛亮本軍に充分な兵がいない事態も起こりえます。実際に馬謖がよく注目されますが、上庸は司馬懿に奪い返され趙雲は曹真に敗北、隴西に派遣した軍も遊楚に追い返され南安郡の反乱も、涼州刺史の除バクの派遣した援軍に鎮圧されてうまくいってないんですよね。
ちなみに除バクの援軍はあまり触れられませんが、自分はその存在の意味は小さくないと思います。例えば張郃が街亭で持久戦を選んだのは除バクの援軍派遣を知って隴右は当分の間持ちこたえることができると判断し、持久戦の用意をしている時に水の事に気がついた、逆に馬謖は援軍の事を知らないので、張郃は必ず攻撃してくると判断し登山してしまった、そう考えられないでしょうか。
馬謖に実戦経験を積ませる機会があれば、歴史は変わっていたかもしれんのかねぇ?
何と言っても「破滅型」の多い蜀の中でもたらればな話の出て来る人かなと。
後々劉備の観察眼が当たった結果にはなりましたね。
個人的に街亭の戦いは実戦経験が少ないというところから甲子園で1年生ピッチャーが投げるみたいなイメージです。
先輩の王平がしっかり指示を聞いていたのも印象的です。
この辺りは姜維を獲得出来たくらいしか良いことありませんでしたね。
また姜維も破滅型…
馬謖自体の評価は諸葛亮からの布陣の指示がどんなもんかだと思うけど
全体で見ると張コウ相手に馬謖が激突する時点で人材力の差が…
けどそれをやってのけてきたのが蜀軍なんだよな〜
補給の計画等の物資の管理とかの仕事に専念してたら良かったのかも人材不足で余裕ないでしょうが実際は
皇帝が予想外に戦理に明るく、張郃司馬懿これまた素早い対応。負けに不思議の負けなし。王平を身近に引き寄せていれば敗戦の際、実兵指揮もですが心の支えにもなって、見苦しいことにならず、斬られるところまではいかなかったのでは。
刑事ドラマあるあるの、現場を知らないエリート上司が馬謖。
実力派のたたき上げ刑事が王平という感じですかね。
諸葛亮さんも人間ですから、益州閥より同じ荊州閥の馬謖を目にかけるのも仕方が無いです
大学で戦史研究して各国の将軍武将がネットでコケにされるのを見ると胸が痛みます。二次大戦時の日本軍は特に…。投稿主の最後の発言は心に染み渡ります。自分以外にと言うとアレですけどそういう人がネットにもいて良かったとホッとしていたりします。
煩雑な指揮、ということは有能な部下や全体が見えている部下なら理解できて、その通り実行できれば確かに強い作戦だったのだろうけど、一兵卒までそんな行動は取れず、馬謖が日々の訓練に参加して兵卒と連携を取っていたとも思えない。結果、現場がわかっている王平が尻ぬぐいした形だったのだろうなあ。
劉備は生前、「馬謖は口ばかりで大した人材でない」みたいなことを広言してたような・・・劉備は良い人材を見極める能力が高い、孔明は・・・どうなんだろうね?
馬謖の処刑は、命令違反ではなく、最後に解説のあった、敵前逃亡の方が主因ではなかったかと、とある動画では解説されてましたね。
以下に命令でも、状況に応じて臨機応変に対応すること自体は、兵法として当然ですから、これで負けたとしても、処刑にはなりませんからね。
しかし、敵前逃亡は重罪です。しかも指揮官ですからね。そりゃ、シメシをつけねばなりませんわな。
実戦経験が不足してたのかなぁ〜
王平の部下として街亭に行けば結果が変わったかもですねー
そして、実戦経験も得られて諸葛亮亡き後の蜀の名将になれたかもですよね〜
諸葛亮の恩情人事?が仇になりましたよね……
ほんとに惜しい。
三国志14でリベンジさせてきますw
たぶん正解はそれですよね。魏延でも呉イでもなく、王平に軍を預けるみたいな(笑)
王平は張郃キラーみたいなところがありますし(゜∀゜)
他の方の動画見てたら早めに師団クラスの指揮を任せる口実(功績)が欲しかったのかもしれませんね
戦には水が重要なんだが馬謖で学んだ
物資がいくらあろうと水がなければどーもならんということでした
極端な話自分の隣に湧き水とかあったほうがいいなあ
(その前に兀突骨関連で毒水あったが)
南蛮平定の時が一番輝いていた人物の1人ですかね。
街亭の失敗がなければ、、、
処刑やれる時も、自分の非を認めて刑に処されてるのを見ると、、、
一回の失敗が許されない戦って、辛いですよね(;〰;)ツラタン
今もそうだけど、あの時代なら尚更一度の失敗が致命傷。当たり前!
関羽の荊州陥落、劉備の夷陵の大敗、馬謖の山登り、三度も大失敗してたら魏討伐北伐なんてムリ!
三国志13で、馬謖でプレイして落ち目の蜀漢を再興して魏呉を平定したのはたのしかった笑
馬氏の五常の常は兄弟全員の字に「常」が付いてるため、そう言われる
むかし軽く調べた時に、全員の名前が分かったんだけど資料をなくしたのが・・・
たしか法則のある伯仲叔季の並びだったはず。伯常、仲常、叔常、季常、幼常。
うろ覚えだけど、一人だけ名(姓・名・字の名)が分からないのがいて、
それが魏に仕えてたはず(3男だったような?)。後の二人は覚えてない。
長男だか次男だかは早世してたはず。うろ覚えすぎて申し訳ないけど
登山家さんは馬謖した事より上に立った事が問題じゃないかなと
参謀のままで法正の後釜を目指せば良かったかも
劉備も多分そういう使い方を期待してたんじゃないかと
でも諸葛亮からすれば、早くハードワークを委任できる人材が欲しかったのかも……(笑)
結局、馬謖が死んだことでさらに負担が増えてる気もしないでもないですが('ω')
馬謖を育てるのに最適な人が叩き上げの軍人で叱る立場である劉備や関羽で、馬謖の成長の目を摘んだのも2つの大敗を犯してしまった劉備と関羽。
戦術家や指揮官不足になやんだ後の蜀にしては大きな痛手。
奇襲攻撃としてはやれる事は全てやった一大決戦で実績よりルーキーの経験稼ぎを選んだのか?これだけが疑問。馬謖が自ら名乗り出たのかも。
不勉強なので教えて欲しいです。
任務が「足止め」であり、「持久戦」に持ち込んでるんですよね。
これが何故失敗なのでしょうか?
理想は「援軍を街亭から退却させ、上邽やビ城での決戦に持ち込む」ことであり、最低でも「上邽や涼州諸郡の攻略を本軍が終えるまで足止めをする」ことが目的になってくるように思います。
ただ、それが成される前に街亭やその他の戦線が崩壊したので、失敗になってしまうって感じですね。
@@KOUMEI_NO_WANADA
ご回答ありがとうございます。
そうなると、失敗となってしまった理由は、
①本軍が攻略に苦戦。
②持久戦で思ったよりも時間を稼げなかった。
のどちらかという事ですね。
①の場合、本軍何やってるの?って話で馬謖は悪くないですし、②の場合は持久戦において戦線を維持する能力が低かった事が失敗の原因であり、山に陣を築いた事が失敗の原因ではないように感じられてしまいます。
準備不足で野戦すれば速攻で蹴散らせれるかも知れない中、上手くいけば撃退も可能で最低でも持久戦には持ち込める訳ですから。
ですね、正直なところ自分は敗戦の原因は馬謖には無いと思っています。最初から勝ち目の薄い戦いであり、相手があの張郃でもあったので。
結果を急ぐべきはずの援軍が持久戦の構えを取ったことで、馬謖軍は大損害を被ってしまった、みたいな。
ただ、やはりよく言われる「逃亡」が馬謖を死罪としてしまったようにも思いますね。
実戦経験の無い口先だけという評価でも、その理想論を実現出来てしまう諸葛亮にしてみれば自分の考えの正しさを裏付けてくれる人物だったのかも?
恐らく普通の武将では「理屈はわかるが、無茶言うな!綺麗事で戦が出来るか!」みたいな事でも、
それを両立させてしまえる諸葛亮の手腕があればアドバイスを活かせる…みたいな。
実務担当の武将では無く、客将としてのアドバイザーみたいな立場ならもうちょい評価されてたのかも知れない。
命令無視からの逃亡は…まぁ理想論を語る人が、現実に対応出来なかった結果では無いかと。
馬謖狂いの自分からしたら嬉しい考察動画でした。ただ愚将の烙印を押すのではなく、なぜその布陣をしたのか考察することが大事ですね。
私自身も、抱いている馬謖像とこの布陣には違和感があったので、何かしらの理由があったのかもしれないと調べた時期がありました。
偏に状況のまずさ、経験不足が相まった結果だと思います。口惜しいですね。
余談ですが、経験の伴った馬謖がどんな活躍をしたのか夢想することが好きなので、三国志、エンパシリーズでは必ず馬謖を軍師として捲土重来プレイをしております。笑
王平の進言無視、敵前逃亡&部下見捨ててるから、ゲス野郎ケツアナ確定じゃない?
特に敵前逃亡と部下見捨てる奴は軍のトップにはなれんよ。
演義被害者の一人だと思います。
彼が向上心から愚かな判断をしたと言われてますが、実際は孔明が長年かけて構築した戦略が大きく覆す要因があったと思ってます。
孟達の反乱から孔明の出陣、南安、安定、天水(姜維の投降)の帰順、趙雲の陽動、街亭の戦いまで1ヶ月も空いてないということは孟達の反乱が起こったその初動で曹叡は全てを見通して司馬懿を孟達にあたらせてる間に、張郃や郭淮や曹真らを動かして、孔明の戦略を封じ込めに入ってる。そして張郃は神速で街亭に辿り着き、馬謖をあっさりと片付けてしまった。普通に考えれば、これだけのことが同時に起こって、伝達を走らせながら軍を準備して動かすなどしたら、3−4ヶ月は当たり前になる。
元々は街亭にある水源のところの古城に防備を施して張郃を迎え撃つ戦略を孔明は馬謖に託したのだったと思います。ところが、張郃が街亭に辿り着くのが予想より遥かに早かったので、防備を施すための十分な時間がなく、おそらく頂上に布陣するという一か八かの奇策で対抗するしかなかったと思います。後方に高翔もいるし、そもそも一刻を争う張郃が気の長い作戦を選ぶはずがないので、高所に布陣することが間違いではなかった思います。そしてこの一度の敗戦によって馬謖は処刑されてしまった。
これは明らかに孔明の戦略をしっかりと見抜いた曹叡の神判断であって馬謖に処刑がされてしまうミスではない。でも孔明を神にしたい演義は馬謖の失策という扱いにして処刑されたことにしていると思う。決して馬謖が無能だったからではない。ましてこれほどの神判断をする張郃、曹叡に対して、王平がいうように麓で野戦で戦えば張郃の援軍を食い止めれていたというのもおそらく間違いで、変幻自在に軍を動かす百戦錬磨の張郃の大軍相手に馬謖・王平でなんとかなるものではないと言える。
戦国時代の趙括とちょっと似てるのかな?って思いました。
どっちも相手がバケモノ過ぎたんや・・・
黄布からの経験値をもってる張コウ相手に馬謖は分が悪すぎましたな
王平に対し横柄な態度をとっていなければ運命は変わっただろうな・・・
誰も触れてなくて可哀想だから返信してあげた
なかなか洒落たシャレだぜ~😃
上手い😂
街亭の戦いの件は別の人が細かく洗っていたので、この動画と合わせて見るといいかもしれません
ちなみにその方は浸透襲撃さんです
詳細な記録が残ってないだけに、人それぞれの街亭がありますからね(笑)
やはり馬謖を抜擢した諸葛亮の責任だね。
部下の失敗は上司の責任なわけだし…
確かに馬謖はやらかしてしまったわけだけど、何も殺すことはなかったんじゃないかなぁ…
せめて明日の晩御飯抜きくらいにしてくれれば…
副官に王平を付けたが、言うこと聞かなかったんだろうな…。
部下の進言を聞く心の広さも上司には必要ってのは現代も一緒。
部下の意見聞かないと言ったら樊城攻めの関羽も部下の王甫の忠告聞かなかったり...。劉表死んだとき劉備が孔明の進言聞かなかったり..。徐州にいたときは流浪していた呂布を受け入れるのを群臣一同反対したのにも関わらず劉備が呂布受け入れたり...。
結果から逆算すれば王平の言うことが間違ってなかった。でも結果を知ってる我々からすれば何とでもいえる。状況なんてその時その場所にいないとわからないもの。ただ王平の言うことに耳を傾けなかったというよりは、意見として聞いていたが最終的な判断は王平の言う通りにしなかっただけのことだろうと思う。彼の経験値からすれば難しい判断を迫られていたのは間違いなかった。
結局馬謖の登用ミスは諸葛亮の判断ミスでしかなく
更に言うならこの局面で馬謖しか使えないという段階で蜀漢が詰んでるという冷酷な現実の前に
諸葛亮も無力だったと身も蓋もない事を言ってみますw
春秋戦国時代にも全く同じパターンがあったな。歴戦の将軍vs経験不足の兵法家。結果は分かりきってるけど。
遊びの麻雀はめちゃくちゃ強いけど、高額なレートの賭け麻雀では弱い
みたいな感じなのかしら
法正とかの扱いで例外作ってたんだし馬謖の扱いで今更キッチリするなよって感じ
楽しく拝聴しました。
街亭を任せる将軍は?となったときに魏延や呉懿や李厳は他で使いたい、
諸葛亮の抜擢は、馬謖で足りるけど念のため王平を付けよう、だと思ってました。
それほどの超重要拠点なら守りに主眼をおいて、
趙雲や陳到のような歴戦の将の副官という選択肢はなかったのでしょうか?
この場合副官が誰であれ馬謖を出させたことが問題。
諸葛亮的には負けてもいいし、ただただゲリラ戦術で時間稼ぎをしてくれたらいい状況で安定と信頼の王平を副将にして
野戦でぶつかっても王平に託して一定の戦果と経験を馬謖に積ませる目算が当人がよもやの登山家に目覚めてしまった。。
孔明も想定外の結果にびっくりしたやろうと。。
ゲリラは基本的に現地住民の支持と協力ありきの作戦で、敵地ではなく自らの勢力域で行う防衛戦術です。しかも部隊長が相当な実践経験を持ってないと、やり遂げるのは難しいですしね。
なのでこの場合はちゃんと防衛陣地を築き、敵を迎え撃つという王道戦術を実行するしかないわけですが、まぁ、本解説通り張コウが更にその上を行く、と。
封鎖を目的としての作戦だったのに、目的を撃破にしてしまってるから、やはりこれは馬謖の失策となるのはどうしようもない。
封鎖ならば重要な役割とはいえ、経験の浅い馬謖でも持ち前の知力と、王平の経験で遂行できると思っていただろうし、恐らく可能だっただろう。
目的を理解していた王平がいなければ蜀が無くなっていたかもしれないレベルのことだし、処刑も仕方ない。
馬謖君は戦の経験値が足りなかっただけで、しっかりとレベル上げしていたら勝てないにしても最小の被害で防衛戦は出来ていたかもですね〜
もし経験をしっかり積んで育てば諸葛亮の後継者として姜維と並ぶ可能性があったかも…と思う惜しい人材ですね…
人材不足の中、明らかに期待が掛かりすぎていたのかも、ですね(゜ω゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA 諸葛亮は万能とは言え単独での限界が分かってただろうし、前線に出られる軍師タイプは貴重な人材だったから「早く人材を確保しなきゃ」って焦りがあったでしょうね…
劉備時代に軍を指揮していたのは劉備と法正、そしてその下に張飛、馬超、黄忠と言った面々がいた。ところが劉禅時代はこれらの面々がほぼ亡くなっており、まさにゼロからの再スタート。
とにかくチョウコウの援軍を足止めしろ!上手く負けるでもいい!なら、単純に人選ミスだよねえ。
戦場初めての指揮官にそんな上手い事やれないって。
解説されてる時の魔王魂さんのBGMなのですが、検索しても中々見付けれず、BGMの題名を教えて頂けないでしょうか?お願い致します…
お城で流れそうなBGM
みたいな感じだったと思います
@@KOUMEI_NO_WANADAさん、教えて頂き有り難う御座います! 見付かりました。気になってたBGMだったんて見つかってスッキリしました。
本当に有り難う御座いました。
m(__)m
馬謖が処刑されるなら、曹操を見逃した関羽の罪はどうなるんだろう?
コレに関しては劉備の方に遥かに人を見る目があったということですね
孔明は愛弟子可愛さに見る目が曇っていたとしか
まあ相手が悪すぎた。戦術論って、ほんの僅か一手でも相手の意図を上回り、意表を突くことで大きな戦果に繋がりますからね。
馬謖の戦術で言うなら、並の武将相手なら闇雲に山上に攻撃してきたかもしれない。でも張郃はそうしなかった。
張郃と馬謖の差を挙げるなら、張郃は馬謖を下山せざるを得ない状況に持ち込み、馬謖はその部分での積極性が足りなかった。
もう少し山上を攻めたくなるよう仕向けれたらね。ただ戦場における修正力は、諸葛亮も含めてあまり得意としない分野なんよね。
演義だと姜維を加えた時点で後継者は姜維のような空気でしたが、実際には馬謖のほうがまだ諸葛亮の期待が高かったのでしょうか。
もし馬謖がこの後も活躍していたら姜維との後継者争いなんて話が演義に大体的に書かれていたかもしれません。
ただ馬謖は実績からみて有能な参謀タイプで、軍を率いて決断する将タイプではなくそれに有用な助言をする参謀タイプだったように思います。
孔明が馬謖を鍛えたいのならもっと小部隊を前線で率いるところから始めるべきで、正直責任は任命した孔明にあったのではないでしょうか。
ちなみに向郎の件は自分が読んだ話では脱獄を見て見ぬふりしてしかも馬謖は脱獄失敗で斬られたてされてましたが違ったんですね。
王平が副官としていなかったらどうにか味方の兵を帰還させたのかも怪しかったと思う。全軍帰還は果たせなかったが王平がいなかったら蜀漢軍は壊滅したかも。
戦略では見張るものがあっても、戦術は苦手だったんだろうなぁ。まさに臨機応変出来ないのはビギナーらしい
申し訳ない、戦略と戦術の違いを教えて頂きたい
馬謖が処刑されずにこの敗戦を糧に孔明の期待通りの人物に。そのまま姜維が歴史通りに蜀の武将となっていたらどうなったんだろ。なんてたらればを考えてしまう。
荊州名門の馬氏に生まれ何一つ挫折することなくエリート街道を歩んだかに見える好青年
蒼天航路では才気溢れかつ孔明に心から心服しているこの馬謖が連載終了(曹操死亡の220年)以後いかにして丞相孔明の命に背き重大な軍機違反を犯してしまうのか・・・・・・
そして皆さん、いよいよ今日のその時がやってまいります・・・・・・(その時歴史が動いた風ナレ)
動画の本筋とは関係ないけど
孟獲を7回逃がした時に、どうやって他の人たちを納得させたんやろか
当時は人材がいなくて、兵隊達の練度も覚悟も低かったろうし、全く知らない土地で敵の大将を逃がしまくって...彼らの目には戦いを長びかせてるようにしか見えないやろし
知っているのと、出来るのは違うという事。
現場側との擦り合わせが上手くできなかった事。
でしょうな、現代でもよくあるやつです。
成都で他の将官たちと一緒に内政に熱中してれば良かった。
渋谷に在住のパリピな孔明曰く、新たな人材を確保して守備固めする為に起用したと泣きながら説明してくれた
もしかして、長安強襲を催促していたかもしれません
自分も昔、馬謖の小説を書いた際は「長安強襲説」を用いたような気もします(笑)
お?私もこの動画内容には納得です。
馬謖は十分過ぎる程有能だし、山に布陣したについても同意見です。
張郃相手に馬謖だけで何とか出来るわけないし、初見殺しなレベルの案件な内容だっただけかと思います。
つまり諸葛亮の人事の失敗なだけだった。
本来は処刑すべき案件ではなく、
馬謖の責任を問う前に己が責任の不始末を考えるべきだった。
馬謖を失った結果魏と呉が笑う結果になるって事くらいもわからん辺りもうどうしようもない……
馬謖…、あと3年でも経験値を詰んでいれば…。
高すぎる才能は未熟な自信を生む…、劉備は若い頃の自分を馬謖に見たのかもしれない…。
諸葛亮の命令はどのようなものだったのだろう…。
諸葛亮は人の使い方が上手くないというか、部下の人間関係に苦労してるってイメージが付きまといますね
陸遜ほどの大物だったらデビュー戦に大物をぶつけても大丈夫だったのでしょうが(あっちは地方の平定経験ありましたけど)
期待が大きすぎたせいで目が曇っていたのかも
あれは陸遜が異常だし、孫権の肝の据わり方も異常。
韓信を信じた劉邦は、もう頭がおかしい(
@@KOUMEI_NO_WANADA
結果論ですが、孫権と劉邦は人を見る目があって、諸葛亮にはそれが無かったのですかね。
無かったとまでは言いませんが、ここまで来るともう「運」の問題なのかなぁ、とも思います。