ブラタモリ 「汐留は東京のフロンティア?」を後追い【徳川】【伊達政宗】【浜離宮】【汐留】【散歩】【歴史】【解説】
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 25 ก.ย. 2024
- #nhk #タモリ #トリビア
東京限定雑学再生リスト
• 東京限定雑学
インスタグラム
/ tokyo_trivia
みなさまのNHKで2023年4月1日に初回放送された「汐留~汐留は東京のフロンティア?」を後追いして、この場所の悲しき歴史と、現在東京の礎をご紹介します。紹介内容は時代を振り返る散歩コースとしてもおすすめです。
*内容に関しては資料を調べ裏付けを取ってからお話していますが、場合によっては事実と異なる可能性もあります。ご了承下さい。
ブラタモリ後追い再生リスト
• ブラタモリを後追いする。
東京限定雑学再生リスト
• 東京限定雑学
雑学とは言え非常に参考になる動画です。解説も解りやすく綺麗な日本語で好感が持てる。
いやぁ~勉強になった!!面白かった!!!
歴史大好きだけど、知らないことばかり!
ところどころ雑学も話してくれて、最後まで飽きずに拝見しました!
ご覧いただきありがとうございます!!
歴史は調べるほど新しいことを知れるので、楽しいですよね~
ご満足いただけて大変うれしいです!!
初めて拝見しました。東京生まれ、でも日本を離れており、懐かしいと共に学ぶ事がいっぱい。綺麗で背景の絵のチョイスも含め素晴らしい高品質動画、これからアップデートされた今のホームタウンも、歴史の中の江戸、東京も沢山見たいと思います。ナレーションもご自分でなさっているのかしら、鼻濁音が東京的ですね。😊
はじめまして!!
そうなんですね~
お褒めいただき大変うれしい限りです!!
過去現在未来の日本をお伝えできたらと思います!
動画制作はすべて自分でやっております。
鼻濁音について指摘いただくのは初めてですが、やはり東京的とわかりますか!!
父は「ひ」と「し」が区別できない生粋の江戸っ子なので、多分遺伝的なものかもしれないですね・・・笑
いつも楽しく拝見しています。
暗渠とか昔の運河の埋立で今どうなってるかとか大好きなので是非その特集をお願いします。
いつもご覧いただきありがとうございます!
奇遇ですね!私も暗渠とか大好きなので、やってみたい!とぼんやり思っていたところなんですよ~
汐留駅は再開発が始まるまで更地にさえされず残されていましたね。何かのイベントで敷地に入りました。膝くらいの高さの低いプラットホームが何本かあり、歩き回った記憶があります。
それは貴重な経験をされましたね!
こういった情報は、行った人からしか聞けませんので、お聞かせいただきありがとうございます!!
記憶の中の汐留は当時夜になると薄暗く、友達の仕事手伝って5万円を裸でもらって師走の海風に吹き飛ばされてパーになって暗くて探せなくって新橋駅に戻ると駅の明るさが目に沁みました。もう今は別世界の国みたいで東京各地迷い迷いGoogleさんが杖代わりになってきましたね。
それは、なんとも映画のような思い出をお持ちでしょうね~
5万円は大金ですね!さぞ、ショックだったことでしょう。
東京も本当に昭和の香りを脱ぎ捨てつつありますね~
確かにこの動画を出せるのもグーグルのおかげですから、便利になったものです!
初めてコメントします。
私は,インバウンドの仕事をしていまして,東京を案内するのに
必要な情報が,盛りだくさんで勉強になり,助かります。
これからも楽しみにしています。ずっと情報発信お願いします🙇♀️
はじめまして!
素晴らしいお仕事をされていますね〜
そのようなお仕事のお役に立てて大変うれしく思います!
これからもご期待にそえるよう頑張りますので、よろしくお願いします!
心地よいお声に、丁寧で分かりやすいご説明ありがとうございます。中央区の古い区民や私は、お浜離宮と呼んでいます。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
伝統のある場所にお住まいですね~
資料などでは調べても出てこないような、地元の方の生のお話をお聞かせいただけ大変うれしいです!
綱重公は歴代の徳川将軍にはカウントされませんけど没後に征夷大将軍にはなっているんですよね。これは息子が将軍になったけど自分は将軍にはならなかった紀州光貞公、一橋治済公、斉順斉順公、水戸斉昭のいずれもが将軍位を贈られてないので少しは報われたのかもしれませんね。
素晴らしい知識をありがとうございます!
そうですね~
彼らは実際にはどうであれ、人生に渡って将軍に就く責務という重圧とともに生涯を終えたわけですから、たとえ死後の名誉であっても、そこに報いるというのは素敵な考えだと個人的には思いますね~
知りたかった事が分かりやすく聞きやすくまとめていらっしゃり非常に勉強になりました。有難うございます。
こちらこそ、ご覧頂きありがとうございます!
よろこんでいただけたのであれば、大変光栄です!
汐留は、普段行かない場所だから‼️日本テレビで中継場所として、使われてるイメージかな‼️ナレーションさんが詳しく丁寧に説明してくれるので、勉強になります。
夕方の天気予報でお馴染みですよね~
ご視聴いただきありがとうございます!
幕末の「お浜御殿」の話を、今泉みねの『なごりの夢』で読みました。奥医師・桂川甫周の娘ですが、浜御殿の木村又助喜彦は母方の祖父。幼いみねが、おやつを盗み食いして叱られ、泣きながらお浜御殿のお祖父様のところへ逃げたエピソードがありました。
蛇足ながら、みねの母親の弟が、咸臨丸の船長を務めた木村芥舟です。
私が居た頃はスズカ森から大井競馬場過ぎるとだだっ広い汐留操作場跡地が残って居た思い出
家康 江戸を建てるーで読んだか?家康の鷹狩りはその地を状況調査 ? 京都市伏見桃山町には伏見城の周りに大名屋敷があったことから町名に名残があります。 桃山町正宗、水野左近、井伊、島津、福島、毛利、松平筑前などなどです。
京都市は秀吉が作りましたから豊臣びいきです。 東京へ行くと家康、徳川びいきなのは当たり前ですね。家康は偉人です。
地名て面白いですね。
家康 江戸を建てるは私の動画を見てくださっている方で読まれている方多いのですよね~
確かにあの辺りは、海運の要衝であったため、戦略上状況調査の意味もあったのでしょうね~
東京にも紀尾井町という地名がありますが、紀伊、尾張、彦根井伊の名前から取ったものがありますね~
昔の人は、屋敷近くを、そのまま大名の名前でよんで、それが定着したのかもしれないですね~
現代で言うところの商業施設の名前でその地域を呼ぶのと同じかもしれないですね~
@@TokyoTrivia
ありがとうございました。
負け惜しみのようですが、京都のど真ん中に幻の聚楽第がありました。
秀吉が天皇をお迎えしたところです。
ところが、すぐに潰されました.家康に。
家康はこの地の後に二条城を建てました。今は観光名所になっていますが二条城の辺りの町名は聚楽廻りといいます.聚楽小学校もあります。町衆の心意気ですね。
普段見ないけどたまたまこの回だけ見てた
結局は伊達家は政宗の後は御家は苦しい財政難に遭う事に成る。
こんにちは~
お待ちしておりました
地名として使われてなくても(汐留)と聞いただけで、頭に(あのあたりね)っと浮かぶ場所
現在は有名どころの会社の本社があちらこちらにあります
ここを開発に手掛けた
德川家の偉大さがここでもわかります
伊達藩を怖れていた徳川家
それだけ伊達政宗はやり手だったし、敵にまわせない存在だったことがわかります
溜池山王・・名前がかっこよくて好きですが、ずっとなぜ溜池?っと謎でしたが今回すっきり致しました
もしかしたら風光明媚だったところかも?
綱豊のちの家宣については、佐々木祐一氏著 新見左近は面白いですよ
新橋・・汽笛一声新橋っと歌にも歌われているのに、立地の関係から開発は東京駅や上野駅、品川に譲ってしまいますが、虎の門ヒルズあり!の場所。負けてないですよね
上野動物園の象・・閉園時間間際に行くと、可愛い芸を見せてくれるのご存知ですか?
次回も楽しみにしております
こんにちは!
現在使われていない地名が、通用するということは、それだけかつての地名の時代が歴史的にインパクトが強いということですかね~
日本通運などは、汐留貨物駅の名残として本社を置いていますね~動画で紹介すればよかった・・・笑
そうですね~
伊達家も幕末には100万石まで石高を増やしており、紆余曲折ありながらも努力を重ねてきたようですね~
外様でそこまで力を持つというのは、恐るべきことであり、同時にそれを常に警戒できていた徳川家もやはり素晴らしいものがありますね~
溜池山王。確かに神話上の神か古代中国の王といった雰囲気がありますよね~
おっしゃるとおり浮世絵の名所案内に描かれているので、風光明媚な場所だったと言えますね~
ただ、堀の一部なので入ると怒られたようですね・・・笑
新見左近は存じ上げませんでしたが、非常に面白そうな内容ですね!
今まで、鬼平と銭形平次くらいしか読んだことないので、今読んでいる本を読み終わったら、書店に出向きます!!
新橋。サラリーマンの聖地と呼ばれていますが、どうしても時代に取り残されている感ありますね~
でも、そうおっしゃるとおり、今虎ノ門ヒルズとそこまでの道すがらどんどん雑居ビルが閉鎖されて、新しい時代に向けて進んでいくようなので、また時代の最先端として復活する日も遠くないでしょうね!!
上野動物園はパンダでしか注目したことなかったのですが、象も注目すべきなのですね!
素晴らしい情報ありがとうございます!
次回お楽しみに!!!
@@TokyoTrivia 様 再びこんにちは 昨日、新橋に用があり出かけました
(西新橋界隈です)
今まではボーっと歩いてましたが、今回は鵜の目鷹の目?気分で歩きました。
霞が関や永田町、丸の内が官庁、オフィス街と思われてますが、西新橋界隈もオフィス街。海運会社、法律事務所、商社が多く、昔は江戸の裏方を支える街だったのかな?と感じました。
江戸の川を特集してほしいですね
毎回楽しく拝聴させて頂いております。深い知識と賢知に敬服しております。ただ、毎回気になることを述べさせて頂くと、「~だったりする」とか、「~あったりする」、この表現に違和感を感じます。素直に「~でした」とか「~であります」という表現でいいのではないでしょうか?余談ですが、スーパーで店員が「レジ袋大丈夫ですか?」と聞くことがありますが、この表現、おかしくないですか?大丈夫って、本来ならば、「レジ袋お使いになりますか」とか「レジ袋ご利用になりますか?」というのが、正しい表現と考えます。
いつもご覧いただきありがとうございます!
お褒めいただき大変恐縮です。
ご指摘いただきました内容について、今後の動画づくりに活かしていきたいと存じます。
現状、私の発音、発声、言葉遣い等、至らない部分が多く発展途上にあります。
日々精進を重ねており、徐々に改善を行っていますが、まだまだお聞き苦しい部分があり大変申し訳ございません。今後の改善を見守っていただけたら幸いです。
余談をお話いただいたので、私も一つ内部的な余談をしますと、言語というのは実は世代間、地域によって、かなり差があり、その世代地域によって違和感のあるもの、無いものが異なるというのが、昔から言語学の中では指摘されている部分です。
例えば、昔の映画を見ると年令に関係なく女性は「~だわ」「~よ」という言葉遣いをしますが、現代の若い世代の方はそのような言葉遣いをしないため、映画の中の若い女性が「~だわ」「~よ」と言っていると、おばちゃんみたいな言葉遣いだと違和感を感じるようです。
また、昭和の方は親しみを込めて人を呼び捨てにしたり、「お前」と呼びますが、平成以降の世代にとっては、知っている人を呼び捨てや「お前」と呼ぶことに、非常に暴力的な要素を感じるようで、近年若い世代に配慮する会社は上司も部下も「さん」付けで呼ぶということになっています。
ただ、昭和の方にとっては、部下にさん付けすることは非常に違和感があるようです。
私個人でいうと三島由紀夫や大橋巨泉といった昭和の方々が「ぼくはね」と「ね」とつけて話しますが、何か幼稚園児や小学生のような印象を感じてしまいます。
大人なら「僕は」と切ったほうが、もっといえば社会的に立場があれば、「僕」ではなく「私」のほうがスマートじゃないかと思いますが、昭和の方にとっては普通のことのようです。
地域で言えば、私は鼻濁音を使って話しますが、この鼻濁音のあるなしに違和感を持つ方もいらっしゃるようです。
本来鼻濁音使用は、話者の出身地域によって異なりますが、NHKでは鼻濁音を使用していないアナウンサーに苦情の電話がかなりくるようです・・・
このように地域や世代によって感じ方が異なりますが、言語学的にいえば、どれが正しいというのはなくて、単に時間や地理的条件によって言語は変質しているだけのようです。
ただ私の動画は各世代各地域の方が幅広く見ていらっしゃるので、今後そういった差による違和感をいかに解消していくかも、重要な項目であり、今後の動画で進捗をご覧いただければと思います。
レジ袋の話ですが個人的には「レジ袋をおつけしなくて大丈夫ですか?」の短縮形と考えているので、「お早くから、ご苦労様でございます」が「おはよう」となったように、特に違和感はありませんが、違和感を持たれるのも理解できます。
ちなみに、戦後GHQは日本語が揺れや曖昧な表現が多く、同じ言葉で違った解釈ができるなど、文面上問題が生じると考え、公用語の英語化を検討した経緯があります。なので、動画を英語で作るもの手ですね・・・笑
全国には鷹匠という地名が散見されますね。
政宗。お前には日本海溝をやろう。
”どヒェーー。(>_
しゅうらく?
凋落のことかな、
ちょうらく、だよね
おっしゃるとおり、凋落です!
今までずっとしゅうらくと認識しており、大変恥ずかしい限りです・・・
ご指摘くださりありがとうございます!
僕はこのため池で ザリガニをとった世代です