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のちにパンタとMGを下ろして普通の電源車になり、さらにカニ25として24系の電源車になるという、じつに数奇な運命を辿った車両。
最低限の改造に抑えたり、14系15型登場までのショートリリーフ電源車の役割だったのに、当時は組合が新形式車両を出すのに反対されていながら、カニ25という新形式が起こされたのが甚だ不可解。のちに登場した100番代の番代を与えてよかったと思うが。北陸トンネル火災事故が無ければ登場しなかった珍車。
2両は24系客車の電源車、カニ25に改造されましたね...
カニ22は意地と言うか徹底的に電化区間を利用してやろうと言う気概みたいなものを感じます。本来ならマニ、カニ21で十分ですから。 パンタ4基上げは壮観ですね。
世代的にブルトレは20系なので、元気に動いている姿が見られるのは嬉しい。
当時の客車は車軸発電で発電するのが普通だった。SLからDLやEL牽引に代わって、SLの蒸気による暖房ができなくなったことから、暖房用の車両(暖房車:蒸気を発生させて客車にその蒸気を供給する専用車両。記号はヌ)まであった時代である。そんな中で20系客車は画期的なサービスを備えた車両として登場した。そのサービス電源の供給を行った車両がカニ22だった(0:45のDD13用の機関はDMF13ではなくて、正しくはDMF31。)。日本初のパンタグラフ付きもある特急用客車で、車体が短いのが特徴だった。そして時代は繰り返す。90年頃の寝台特急「あさかぜ」にもパンタグラフ電動発電機付きで、今度は静止インバーター(逆変換器)付きのスマートグリッドのスハ25 300 (301~ 303:ラウンジカー)などが登場した。ちなみにJR西日本の冬季季節臨時列車の「かにカニはまかぜ」にカニ22が使われたことはない。
マニ20は17.5メートルカニ21は20メートルカニ22は?
@@tydeentetuota5514 さんああ、そういう意味ですか。私の書いた文章が少し誤解を生むものになったのかもしれません。そういう意味ではなくて、おおよそ完成されたスタイルとなった12系や14系(座・寝)、24系、24系25形(いずれも21.3M)などが多く走っていた時代のなかにあって、特急用客車である20系客車は「少し車体が短かった(20.5M)」という意味です。21.3Mというのは、地方を走っていた上記の客車はもとより国鉄気動車のほとんどや、国鉄特急形電車のいくつかもこの寸法だったので、20系客車は短いという印象がありました。カニ22のみの寸法はおそらく20Mなのではないでしょうか。
この動画の3Dモデルのカニ22は台車が違いますね。実車はTR54ではなく(DT21形由来の)TR66でした。あと、動画冒頭で新聞輸送に触れられていますが、東京着発のブルトレが続々と14系や24系化されてゆく中、あさかぜ号は20系で運行され続けましたがこれは、荷室荷重がカニ24(3 t積み)に対しカニ21(5 t積み)とより優位であったが為です。これについては、1977年のカニ24 100(5 t積み)の登場で漸くあさかぜ号も24系化された、という経緯があります。
両刀使いではないものの、「瀬戸」「あさかぜ」用のスハ25がパンタグラフ搭載の電源車でしたね。なかなか異様な姿でした。
オハネフ25-300が間に合わないから、マニ50-5000が連結されたのも面白かったですね
1972年、急行格上げの「瀬戸」、急行「安芸」を延伸の上、格上げの「あさかぜ」(下関発着)が登場するほんの少し前に、パンタとMG撤去だったので、登場まで持ちこたえていたらその特性活かしきれただろうと勝手に想像しました。
その発想で東京下関間(DC1500V)のあさかぜへ転用されたらディーゼル発電機のないカニ22が出来たでひょw
カニ25になってからも、検査を小倉工場でしていたので。一般客車にぶら下がって鹿児島本線を走っていた記憶が。
20系の電源車と言えば、もう一つマヤ20というゲテモノもいましたね。
カニ22は実は「EH50牽引の東海道高速特急車両計画」の名残という話も・・・151系の製造・投入が採用されて没になったこの車両の電源車は電動発電機によるサービス電源供給という計画で、これをブルトレ用電源車オニ22という形に変更してやったものでしたが、途中でディーゼル発電機搭載に変更されたためにカニ22になったと。
カニ22は国鉄の技術やってた星晃さんの本読むと周りは反対したにもかかわらず島秀雄さんがどうしてもやってみようと言うことでやったけど問題大有りで島さん退職を機にパンタ、電動発電機撤去みたいね
島秀雄はカニ22でもやらかしていたのか。この人、D51を空転しやすい設計にし世に(大量に)出した張本人なのに全く意に介していないのだな。勾配線区受け持ちの機関区から「空転ばかりするD51は要らないから代わりにD50を寄越せ」と新型配置ボイコットさせた話は超有名。信越本線直江津電化直前まで、長野機関区にD50が多く配されていた事はその一例でもある。
鉄道模型で初めて買った20系カニがカニ22だった。後にパンタ無しと別メーカーから24系化改造されたカニ25が発売されたけど、当時お金が無くて諦めた…3両並べて眺めたい
初期の20系客車の電源車は発電機は自動運転でなく、係員が徹夜で乗務するので、自動運転がしてくる電動発電機で直流区間だけでも動かして係員の手配を減らしたかったと聞きます。この後ディーゼル発電機の自動運転ができるようになって、全区間ディーゼル発電機だけを使うようになったかと。
ナレーションの一部を訂正しますが、車軸発電機から冷房エアコン給電は不可能であります。照明、扇風機、放送設備などの一部電源用のみであります。暖房は専ら蒸気暖房SGからで一部は電気機関車からの電力引き通しであります。
マシ38やマシ35形は車軸発電機電源の冷房装置と聞いたけど…。駅などに停車中はエアコンのコンプレッサーが止まり冷房が効かないとも聞いたこと…。間違ってたらごめんなさい。m(_ _)m
窓ガラスの映り込みもさることながら、鋼板の「うねり」の映り込みも描写されているのは流石とか言いようがない👍
最後の20系寝台特急だったあけぼのに使われてましたね。1970頃の最終ロットで比較的キレイな寝台車の端に、ベコベコにくたびれたカニ22が繋がってたという…。あさかぜからの20系引退で浮いたカニ21に置き換えられたんだったかな。
あさかぜからの引退ではなく、新車のカニ21に置き換えられて、マニ20と共に老朽化が目立ってきたので田舎の青森や秋田にリストラされた。
@@5red90さんワタシは1977〜1978年頃のあけぼのに使われてた頃の話をしました。あさかぜの20系から24系25形への置き換えは1978年2月初めだと思います。カニ21の新造とか何年頃のお話でしょうか。
@@三丁目分隊員 1970年代後半の20系の話ですか、失礼しました。確かにあさかぜに24系25型が投入されて、捻出されたカニ21が秋田に転入したのは正しいけど、それは77年に置き換えられた下関あさかぜのことですね。78年に置き換えられた博多あさかぜ用の品川カニ21は3が尾久、11・15は宮原に転属。秋田には、尾久の北陸・北星運用をあかつきに投入した14系15型により捻出された14系で置き換え、尾久のカニ21-18・25とカニ22-3が転属しました。転属間もないカニ22-3は早くも翌年には廃車となり、異形式となったカニ25-1を残して70年代のうちに形式消滅。
発想力と(その時時点の)技術力の差とでも申しましょうか、具体的な数値まで用いられて極めてわかりやすい動画だと思いました。ありがとうございました。
荷物室の狭さに触れてないな。博多止まりの運用なら速度制限はゆるくなるが、新聞輸送需要に応えられない。というジレンマが迷走の始まりだったと記憶してるが。6両目のナロネ22が逆さまにつながってますね。
カニ…🦀と子供のころ疑問に思ってました😅
これはカニパン🦀🍞
ある意味で四季島やシルフィード、ハイパーサルーンの先駆ですよね。今なら半導体技術でかなり軽く有用な車両が作れるのでしょうけれど、残念なことに寝台特急需要が限りなく減ったどころか無くなってるに等しいのが悲しいですね。DF50と同じような感じがしますが、DF50の思想はDF200として昇華されました。
当時の運用形態の寝台列車網は民営化されたJRで維持していくのは困難なのでしょう。国鉄だからできたと言って良いでしょう。そして民営化されたJRで維持できる寝台列車は残念ながら昨今の金持ちしか乗れないクルーズトレインでしょう。一部で安い寝台列車を運行していますがいつまで続くやら・・・古い車輛を改造して運用に充てている段階で何時でも撤退できる様にしている感じですし・・・
はやぶさやさくらに使わず、走行区間がほぼ高規格線の、あさかぜ限定で使えなかったのか?
カニ22は荷室荷重が2 tと低くて新聞が積めなかったのよ。(対してカニ21は5 t)
JR化の後で、磐越西線の線路規格が向上してEF75が入れるようになったりしました。ところが国鉄時代は線路規格を揃えるよりも、線路規格に合わせた機関車を妙に作り分けてました。標準化に熱心だったはずなのに、なぜなんでしょう⁉️
EF75どんな機関車か見てみたい。
@@tydeentetuota5514 すまん、近所だと桃太郎ばっか走ってるもので釣られてしまった…ED75だった。
磐越西線線路規格向上対策以前はED77という形式の機関車を使用していました。
@@黒子大留-f2p 磐越西線スペシャルですね。せめて板谷峠のED78と共通化しとけば…と思いますが。国鉄って"格"に異様に拘る組織だったようなので、3級線(丙線⁉️)の磐越西線の軌道を東北本線並みにする…という発想はなかったんでしょうな。
@@oleo_p8018 様ED78でも当時の磐越西線の線路規格には無理があった様です。
サムネの連結めっちゃ気になるww
う~ん、狙いは悪くはない(T_T)今ならもっと軽く造れたんだろうなぁ…かつて消えていた電気式ディーゼルがDF200として再登板した様に…
古い鉄道商業誌にしか発表されていませんが、カニ2251だけは当初からMG関係の機器を極力降ろして3編成運用のはやぶさマニ20の予備車として対応出来るよう自重軽減の処置がとられています。このことがあってか後年20系寝台特急が新設され再びカニ21の増備が進むと定期運用を失い昭和40年10月から昭和43年10月までは門司客車区に配備され九州寝台特急の電源車故障時の予備車としての役目を担いました。その後昭和43年10月ダイヤ改正を期に正式にMG機器を降ろし他のカニ22と共に向日町運転所に転じあかつき彗星の運用に供されました。
発電機が共用できなかったのが当時の技術の限界だったのですね
中学生の時、模型クラブに入って最初に手掛けたのがカニ22への改造だったなぁ。鉄道模型趣味誌の増刷版「NゲージBOOKs」に改造記事が載っていて、関水(KATOじゃないよw)のカニ21を見様見真似で改造し、文化祭の発表に間に合わせました。本当は車内にモーターを2個パイプで繋いで、電動発電機みたく室内灯を点灯させるつもりだったんですが(;'∀')現在も大事に手元で出番を待っています。
書き込みを拝見して、私も小学生時代同じことをやったので、思わず書き込んでしまいました(笑)1980年代前半だったと思います。屋根を切ってパンタ載せてモーターを2個、確か自転車用の虫ゴムで繋いで電動発電機をやりました。ジャンパ栓(線)が面倒で次位のナロネ22(22タイプで小窓埋めて真ん中の窓寸法を縮めたもの))しか点灯できなかった・・・ 当時は麦球ですし。。。この、関水のカニ21改カニ22は今でも手元にあります。パンタとモーターは外してしまいましたが、簡単なレストアをして使えるようにしています。
この、ぼっちゃん刈りみたいなパンタレスの顔が、なんともコケティッシュでいいですね。インバーターの性能も低かった当時の発想が電動発電機だったのか。中学生当時、なんでわざわざ電動機で発電機を回したりするのか?そのまま電力を使えばいいのに・・と不思議でした。
登場するのが早過ぎた、と言うことですね。アイデアは良かったと思いますが。
もしもカニ22の台車を3軸台車にしていたらMG搭載でも、ある程度活躍できたかも知れません。ただし、異端車として晩年の廃車が早まりそうですが。
3軸台車の弊害ってカーブでの線路への横圧でしょう。3軸台車なら自重が増えるのではなく、軸重が分散される。自重60tで、2軸台車✖️2なら軸重15t、3軸台車✖️2なら10t。
重量や軸重と交流区間で電動発電機が使えなかったのが痛かったと思う。余談だが、ブルートレインでの荷物輸送に関する体験談だけど、昭和60年(1985年)の私が中1のころナムコのリブルラブルの基盤とテーブル筐体を買おうとしてある店に電話を掛けたら、商品本体は安かったもののブルートレイン便で東京から私の住んでいる倉敷まで送るため送料が高く当時で¥8,500だったので結局断念した。その後、別の店に相談したがそこは商品本体も送料も安く、良く知られている運送会社で来た。
サムネはカニ22が中間に連結されてるけど、実際にもそんな編成あったのかな?
カニ25は彗星についてたね。私が見た時はカニ25は1両しか運用されてなかった。夏休みの帰省で無理言って親に彗星に乗せてもらった時にカニ25運用にあたって嬉しかったなあ。テールマークよりカニ25なませた小学生だったわ
カッコイイなぁ〜
02:52 車輪が1つ動いていないのはなにか意味があるのでしょうか?
個人的にある意味最強に近い電源車だと思ってましたが発電機&交直変換器等で重くなった上走行出来る区間が亜幹線は通れないか速度規制で重すぎる事からパンタを取っ払った残念な姿も…(次は旧客魔改造の20系でしょうか)
「はやぶさ」に使うつもりが、、八代以南がネック(鹿児島のシラス大地)となって重過ぎるカニ22はさくら/みずほ用でした。カニ25への改造は実は、、トワイライトEXPの編成増発によってカニ24がトワイライトへ転用された為に電源車不足を補う為でしたね?
1984年に廃車されたカニ25がどうやって1989年トワイライトエクスプレスで足りない電源車を補う事が出来るの?あかつきの分割編成で電源車が必要だからでしょ。
トワイライトの為に足りなくなった電源車は、12系ハザ改のスハ25-300で対応。
このカニ22を24系に改造したカニ25が2両ありましたね。24系25形を使用した「あかつき」の分割編成の電源車で肥前山口~佐世保で使用されたんでしたっけ?後に14系15形が登場して、役目を終えたと思います。
カニ25-1は向日町所で予備電源車となり、84年まで在籍してる。
そういうたら秋田止まりのあけぼのが設定されてからそれまで青森あけぼのの秋田回転車だけを担当してた秋田運転区にもまとまって20系が配置されたけどあちこちの中古車のかき集めやから電源車がカニ22とマニ20しかおらん時期があったわ新車が多かった向日町も47-10改正でカニ21が全部青森に移動して電源車が全てカニ22やったし
おまえのウンチクとか誰もきいてへん。そんなもんやろ笑笑。
まだウンチクなら本とか表とか隣において書き込んでねえだろうけど笑笑。
DD51牽引の「さくら」…電化前の長崎本線ですか?
佐世保線の可能性もあるけど。
この為にどれだけ無駄なカニパンSWが機関車に付けられたのだろうか。
確かに。パン下げやMG↔DGの切り替えは遠隔ではできず、常に電源車内で操作してた。なのでカニには常に有人。カニパンスイッチは使われなかったのでは…と専門紙で見た。
カ二22は、失敗車かな
当時としては鮮明なフルカラーが残ってるなぁ~と思ったけど違った
のちにパンタとMGを下ろして普通の電源車になり、さらにカニ25として24系の電源車になるという、じつに数奇な運命を辿った車両。
最低限の改造に抑えたり、14系15型登場までのショートリリーフ電源車の役割だったのに、当時は組合が新形式車両を出すのに反対されていながら、カニ25という新形式が起こされたのが甚だ不可解。
のちに登場した100番代の番代を与えてよかったと思うが。
北陸トンネル火災事故が無ければ登場しなかった珍車。
2両は24系客車の電源車、カニ25に改造されましたね...
カニ22は意地と言うか徹底的に電化区間を利用してやろうと言う気概みたいなものを感じます。本来ならマニ、カニ21で十分ですから。
パンタ4基上げは壮観ですね。
世代的にブルトレは20系なので、元気に動いている姿が見られるのは嬉しい。
当時の客車は車軸発電で発電するのが普通だった。SLからDLやEL牽引に代わって、SLの蒸気による暖房ができなくなったことから、暖房用の車両(暖房車:蒸気を発生させて客車にその蒸気を供給する専用車両。記号はヌ)まであった時代である。そんな中で20系客車は画期的なサービスを備えた車両として登場した。そのサービス電源の供給を行った車両がカニ22だった(0:45のDD13用の機関はDMF13ではなくて、正しくはDMF31。)。日本初のパンタグラフ付きもある特急用客車で、車体が短いのが特徴だった。そして時代は繰り返す。90年頃の寝台特急「あさかぜ」にもパンタグラフ電動発電機付きで、今度は静止インバーター(逆変換器)付きのスマートグリッドのスハ25 300 (301~ 303:ラウンジカー)などが登場した。ちなみにJR西日本の冬季季節臨時列車の「かにカニはまかぜ」にカニ22が使われたことはない。
マニ20は17.5メートル
カニ21は20メートル
カニ22は?
@@tydeentetuota5514 さん
ああ、そういう意味ですか。私の書いた文章が少し誤解を生むものになったのかもしれません。そういう意味ではなくて、おおよそ完成されたスタイルとなった12系や14系(座・寝)、24系、24系25形(いずれも21.3M)などが多く走っていた時代のなかにあって、特急用客車である20系客車は「少し車体が短かった(20.5M)」という意味です。21.3Mというのは、地方を走っていた上記の客車はもとより国鉄気動車のほとんどや、国鉄特急形電車のいくつかもこの寸法だったので、20系客車は短いという印象がありました。カニ22のみの寸法はおそらく20Mなのではないでしょうか。
この動画の3Dモデルのカニ22は台車が違いますね。実車はTR54ではなく(DT21形由来の)TR66でした。
あと、動画冒頭で新聞輸送に触れられていますが、東京着発のブルトレが続々と14系や24系化されてゆく中、あさかぜ号は20系で運行され続けましたがこれは、荷室荷重がカニ24(3 t積み)に対しカニ21(5 t積み)とより優位であったが為です。
これについては、1977年のカニ24 100(5 t積み)の登場で漸くあさかぜ号も24系化された、という経緯があります。
両刀使いではないものの、「瀬戸」「あさかぜ」用のスハ25がパンタグラフ搭載の電源車でしたね。なかなか異様な姿でした。
オハネフ25-300が間に合わないから、マニ50-5000が連結されたのも面白かったですね
1972年、急行格上げの「瀬戸」、急行「安芸」を延伸の上、格上げの「あさかぜ」(下関発着)が登場するほんの少し前に、パンタとMG撤去だったので、登場まで持ちこたえていたらその特性活かしきれただろうと勝手に想像しました。
その発想で東京下関間(DC1500V)のあさかぜへ転用されたらディーゼル発電機のないカニ22が出来たでひょw
カニ25になってからも、検査を小倉工場でしていたので。一般客車にぶら下がって鹿児島本線を走っていた記憶が。
20系の電源車と言えば、もう一つマヤ20というゲテモノもいましたね。
カニ22は実は「EH50牽引の東海道高速特急車両計画」の名残という話も・・・151系の製造・投入が採用されて没になったこの車両の電源車は電動発電機によるサービス電源供給という計画で、これをブルトレ用電源車オニ22という形に変更してやったものでしたが、途中でディーゼル発電機搭載に変更されたためにカニ22になったと。
カニ22は
国鉄の技術やってた
星晃さんの本読むと
周りは反対したにもかかわらず島秀雄さんが
どうしてもやってみようと言うことでやったけど
問題大有りで島さん退職を機にパンタ、電動発電機撤去みたいね
島秀雄はカニ22でもやらかしていたのか。
この人、D51を空転しやすい設計にし世に(大量に)出した張本人なのに全く意に介していないのだな。
勾配線区受け持ちの機関区から「空転ばかりするD51は要らないから代わりにD50を寄越せ」と新型配置ボイコットさせた話は超有名。信越本線直江津電化直前まで、長野機関区にD50が多く配されていた事はその一例でもある。
鉄道模型で初めて買った20系カニがカニ22だった。
後にパンタ無しと別メーカーから24系化改造されたカニ25が発売されたけど、当時お金が無くて諦めた…
3両並べて眺めたい
初期の20系客車の電源車は発電機は自動運転でなく、係員が徹夜で乗務するので、自動運転がしてくる電動発電機で直流区間だけでも動かして係員の手配を減らしたかったと聞きます。
この後ディーゼル発電機の自動運転ができるようになって、全区間ディーゼル発電機だけを使うようになったかと。
ナレーションの一部を訂正しますが、車軸発電機から冷房エアコン給電は不可能であります。
照明、扇風機、放送設備などの一部電源用のみであります。
暖房は専ら蒸気暖房SGからで一部は電気機関車からの電力引き通しであります。
マシ38やマシ35形は車軸発電機電源の冷房装置と聞いたけど…。
駅などに停車中はエアコンのコンプレッサーが止まり冷房が効かないとも聞いたこと…。
間違ってたらごめんなさい。m(_ _)m
窓ガラスの映り込みもさることながら、鋼板の「うねり」の映り込みも描写されているのは流石とか言いようがない👍
最後の20系寝台特急だったあけぼのに使われてましたね。
1970頃の最終ロットで比較的キレイな寝台車の端に、ベコベコにくたびれたカニ22が繋がってたという…。
あさかぜからの20系引退で浮いたカニ21に置き換えられたんだったかな。
あさかぜからの引退ではなく、新車のカニ21に置き換えられて、マニ20と共に老朽化が目立ってきたので田舎の青森や秋田にリストラされた。
@@5red90さん
ワタシは1977〜1978年頃のあけぼのに使われてた頃の話をしました。
あさかぜの20系から24系25形への置き換えは1978年2月初めだと思います。
カニ21の新造とか何年頃のお話でしょうか。
@@三丁目分隊員
1970年代後半の20系の話ですか、失礼しました。
確かにあさかぜに24系25型が投入されて、捻出されたカニ21が秋田に転入したのは正しいけど、それは77年に置き換えられた下関あさかぜのことですね。
78年に置き換えられた博多あさかぜ用の品川カニ21は3が尾久、11・15は宮原に転属。
秋田には、尾久の北陸・北星運用をあかつきに投入した14系15型により捻出された14系で置き換え、尾久のカニ21-18・25とカニ22-3が転属しました。
転属間もないカニ22-3は早くも翌年には廃車となり、異形式となったカニ25-1を残して70年代のうちに形式消滅。
発想力と(その時時点の)技術力の差とでも申しましょうか、具体的な数値まで用いられて極めてわかりやすい動画だと思いました。ありがとうございました。
荷物室の狭さに触れてないな。博多止まりの運用なら速度制限はゆるくなるが、新聞輸送需要に応えられない。というジレンマが迷走の始まりだったと記憶してるが。
6両目のナロネ22が逆さまにつながってますね。
カニ…🦀
と子供のころ疑問に思ってました😅
これはカニパン🦀🍞
ある意味で四季島やシルフィード、ハイパーサルーンの先駆ですよね。
今なら半導体技術でかなり軽く有用な車両が作れるのでしょうけれど、残念なことに寝台特急需要が限りなく減ったどころか無くなってるに等しいのが悲しいですね。
DF50と同じような感じがしますが、DF50の思想はDF200として昇華されました。
当時の運用形態の寝台列車網は民営化されたJRで維持していくのは困難なのでしょう。
国鉄だからできたと言って良いでしょう。そして民営化されたJRで維持できる寝台列車は残念ながら昨今の金持ちしか乗れないクルーズトレインでしょう。一部で安い寝台列車を運行していますがいつまで続くやら・・・古い車輛を改造して運用に充てている段階で何時でも撤退できる様にしている感じですし・・・
はやぶさやさくらに使わず、走行区間がほぼ高規格線の、あさかぜ限定で使えなかったのか?
カニ22は荷室荷重が2 tと低くて新聞が積めなかったのよ。(対してカニ21は5 t)
JR化の後で、磐越西線の線路規格が向上してEF75が入れるようになったりしました。ところが国鉄時代は線路規格を揃えるよりも、線路規格に合わせた機関車を妙に作り分けてました。標準化に熱心だったはずなのに、なぜなんでしょう⁉️
EF75どんな機関車か見てみたい。
@@tydeentetuota5514 すまん、近所だと桃太郎ばっか走ってるもので釣られてしまった…ED75だった。
磐越西線線路規格向上対策以前は
ED77という形式の機関車を使用していました。
@@黒子大留-f2p
磐越西線スペシャルですね。せめて板谷峠のED78と共通化しとけば…と思いますが。
国鉄って"格"に異様に拘る組織だったようなので、3級線(丙線⁉️)の磐越西線の軌道を東北本線並みにする…という発想はなかったんでしょうな。
@@oleo_p8018 様
ED78でも当時の磐越西線の
線路規格には無理があった様です。
サムネの連結めっちゃ気になるww
う~ん、狙いは悪くはない(T_T)今ならもっと軽く造れたんだろうなぁ…かつて消えていた電気式ディーゼルがDF200として再登板した様に…
古い鉄道商業誌にしか発表されていませんが、カニ2251だけは当初からMG関係の機器を極力降ろして3編成運用のはやぶさマニ20の予備車として対応出来るよう自重軽減の処置がとられています。
このことがあってか後年20系寝台特急が新設され再びカニ21の増備が進むと定期運用を失い昭和40年10月から昭和43年10月までは門司客車区に配備され九州寝台特急の電源車故障時の予備車としての役目を担いました。その後昭和43年10月ダイヤ改正を期に正式にMG機器を降ろし他のカニ22と共に向日町運転所に転じあかつき彗星の運用に供されました。
発電機が共用できなかったのが当時の技術の限界だったのですね
中学生の時、模型クラブに入って最初に手掛けたのがカニ22への改造だったなぁ。
鉄道模型趣味誌の増刷版「NゲージBOOKs」に改造記事が載っていて、関水(KATOじゃないよw)のカニ21を見様見真似で改造し、文化祭の発表に間に合わせました。
本当は車内にモーターを2個パイプで繋いで、電動発電機みたく室内灯を点灯させるつもりだったんですが(;'∀')
現在も大事に手元で出番を待っています。
書き込みを拝見して、私も小学生時代同じことをやったので、思わず書き込んでしまいました(笑)
1980年代前半だったと思います。屋根を切ってパンタ載せてモーターを2個、確か自転車用の虫ゴムで繋いで電動発電機をやりました。
ジャンパ栓(線)が面倒で次位のナロネ22(22タイプで小窓埋めて真ん中の窓寸法を縮めたもの))しか点灯できなかった・・・ 当時は麦球ですし。。。
この、関水のカニ21改カニ22は今でも手元にあります。パンタとモーターは外してしまいましたが、簡単なレストアをして使えるようにしています。
この、ぼっちゃん刈りみたいなパンタレスの顔が、なんともコケティッシュでいいですね。
インバーターの性能も低かった当時の発想が電動発電機だったのか。
中学生当時、なんでわざわざ電動機で発電機を回したりするのか?そのまま電力を使えばいいのに・・と不思議でした。
登場するのが早過ぎた、と言うことですね。アイデアは良かったと思いますが。
もしもカニ22の台車を3軸台車にしていたらMG搭載でも、ある程度活躍できたかも知れません。ただし、異端車として晩年の廃車が早まりそうですが。
3軸台車の弊害ってカーブでの線路への横圧でしょう。
3軸台車なら自重が増えるのではなく、軸重が分散される。
自重60tで、2軸台車✖️2なら軸重15t、3軸台車✖️2なら10t。
重量や軸重と交流区間で電動発電機が使えなかったのが痛かったと思う。
余談だが、ブルートレインでの荷物輸送に関する体験談だけど、昭和60年(1985年)の私が中1のころナムコのリブルラブルの基盤とテーブル筐体を買おうとしてある店に電話を掛けたら、商品本体は安かったもののブルートレイン便で東京から私の住んでいる倉敷まで送るため送料が高く当時で¥8,500だったので結局断念した。
その後、別の店に相談したがそこは商品本体も送料も安く、良く知られている運送会社で来た。
サムネはカニ22が中間に連結されてるけど、実際にもそんな編成あったのかな?
カニ25は彗星についてたね。私が見た時はカニ25は1両しか運用されてなかった。
夏休みの帰省で無理言って親に彗星に乗せてもらった時にカニ25運用にあたって嬉しかったなあ。
テールマークよりカニ25なませた小学生だったわ
カッコイイなぁ〜
02:52 車輪が1つ動いていないのはなにか意味があるのでしょうか?
個人的にある意味最強に近い
電源車だと思ってましたが
発電機&交直変換器等で
重くなった上走行出来る区間が
亜幹線は通れないか速度規制で
重すぎる事からパンタを取っ払った
残念な姿も…
(次は旧客魔改造の20系でしょうか)
「はやぶさ」に使うつもりが、、八代以南がネック(鹿児島のシラス大地)となって重過ぎるカニ22はさくら/みずほ用でした。カニ25への改造は実は、、トワイライトEXPの編成増発によってカニ24がトワイライトへ転用された為に電源車不足を補う為でしたね?
1984年に廃車されたカニ25がどうやって1989年トワイライトエクスプレスで足りない電源車を補う事が出来るの?
あかつきの分割編成で電源車が必要だからでしょ。
トワイライトの為に足りなくなった電源車は、12系ハザ改のスハ25-300で対応。
このカニ22を24系に改造したカニ25が2両ありましたね。
24系25形を使用した「あかつき」の分割編成の電源車で肥前山口~佐世保で使用されたんでしたっけ?
後に14系15形が登場して、役目を終えたと思います。
カニ25-1は向日町所で予備電源車となり、84年まで在籍してる。
そういうたら秋田止まりのあけぼのが設定されてから
それまで青森あけぼのの秋田回転車だけを担当してた秋田運転区にも
まとまって20系が配置されたけど
あちこちの中古車のかき集めやから
電源車がカニ22とマニ20しかおらん時期があったわ
新車が多かった向日町も
47-10改正でカニ21が全部青森に移動して
電源車が全てカニ22やったし
おまえのウンチクとか誰もきいてへん。
そんなもんやろ笑笑。
まだウンチクなら本とか表とか隣において書き込んでねえだろうけど笑笑。
DD51牽引の「さくら」…電化前の長崎本線ですか?
佐世保線の可能性もあるけど。
この為にどれだけ無駄なカニパンSWが機関車に付けられたのだろうか。
確かに。パン下げやMG↔DGの切り替えは遠隔ではできず、常に電源車内で操作してた。なのでカニには常に有人。カニパンスイッチは使われなかったのでは…と専門紙で見た。
カ二22は、失敗車かな
当時としては鮮明なフルカラーが残ってるなぁ~と思ったけど違った