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南北戦争以前の戦いでは、調理係は敵より多くの味方を殺す…なんて有様だったとか。でもこの頃には缶詰の量産と鉄道輸送が実現、組織化された補給部隊も存在しかなり近代化していますね。まあだからこそ熾烈かつ凄惨な戦いが長引いたんでしょうけど…。
小説版「風と共に去りぬ」も南北戦争の食生活が描かれてましたよ
南北戦争以前のアメリカ軍の兵站事情は、組織の規模に合わせて運用する事が多かった。しかし、南北戦争では100万人以上という大量人員に対して補給が間に合わなくなり、大規模な後方組織を構築して、軍を巨大化させる必要があった。例えばアメリカ軍の軍服を製造する被服廠は、ペンシルベニア州スクールキル被服廠ただ一ヵ所だけが稼働しており、武器を製造する兵器廠はマサチューセッツ州のスプリングフィールド兵器廠、ブルックリン海軍工廠、セルマ海軍工廠。ノーフォーク造船所、バージニア州のハーバーズ・フェリー兵器廠などがあった。工業においてもアトランティック鉄工所や複数存在したが、一方、南部の著名な鉄工所はリッチモンドにあるトレデカー鉄工所だけで、銃器類と鉄製類を大量生産できる工場はここしかなかった。
今回も貴重な1秒奪われました♪レーション系の動画はとても興味深いですよね😊又のUP楽しみにしておりますよー♪
解説ありがとうございます。動画内で触れられていた「コーヒーミルが仕込まれていた銃」はシャープスカービンの事だと思われますが、これは穀物用という説もありますね。余談ですが、前線兵士がしばしば休戦してコーヒーと南部産タバコを物々交換していたエピソードが好きです。
あれ、実際は馬の飼料用ですね 騎兵用の銃にしか採用されてないですし
『軍隊は胃袋で動く』、『腹が減っては戦は出来ぬ』。う〜ん、牟田口に聞かせたい😂
ジンギスカン作戦とか言う天才()の発想
連合軍の名将 非国民牟田口の悪口を言うのはそこまでだ。
軍隊は胃袋で動くっていうのは、軍隊は大飯喰いという意味以上に、中世の軍隊は食糧は現地徴発と略奪に依存しており、進軍は常に新しい略奪場所を目指していたという意味があったと思います。
ハードタックって、ペンサコラにある歴史博物館に南北戦争当時のがあって腐りもせずそのまま今に伝わっていますね('ω')。
牟田口「牛を連れていけば食糧にも車輌にもなる」
同じ時代の同じ国なので似たり寄ったりですね。やはり心身共に消耗するのでカロリー高そうw2キロの塩振ったトウモロコシとはまるで戦国時代の「腰兵糧」みたい。戦闘の合間に非常食として食べたのかな…
いつも詳しく動画にしてくれてありがとうございます!
ハードタックはコーヒーに浸して食べていたとか……。※尚、それでも不味い。また、ビタミン摂取用に用いられた乾燥野菜も非常に不味く、将校に『士気が下がるから送り付けんな』※意訳と言われたらしい。ソースはいつぞやのコンバットマガジン。
5:31 このタバスコが生まれた理由、南北戦争で事業を失った銀行家が妻の地元へ避難してそこで始めた事業が調味料製造だったから…たしかに戦争で生まれたとは言えなくもない?
酒でも飲んで少しでも恐怖心を和らげていかないとやってられんかったろうな。
ソビエトはガチガチイスラムのアフガンで表向きは飲酒・買春厳禁の為に麻薬生産地帯から直売麻薬に逃避して支配体制が揺らいだ話が有名でアメリカ・NATO軍がそれ程麻薬汚染しないのが不思議だなぁと米国人英語教師・土日祝は少年野球コーチが自国で簡単に手に入るからと言ってました。薬物乱用はステロイド薬で取り締まられてるよ 米国志願兵の大体は学費対策だから受験勉強に充てあとはネット依存だから携帯使用料の心配だと。米軍基地にモールを設置するから借金の心配あるとの事。その代わりに本国への休暇・除隊帰国では荒れるとの事で、コールガール買ったら分隊全員が尖形コンジローマに感染して治療の為に除隊を延ばしたそうです 激戦区での酒や女は不可欠ですから切ないですね
歴史グルメ!待ってました!動画観ながらじゃないと飯食えねぇぜ!
「世界のミリメシを実食する」の歴史編に書いてありましたね、独立戦争の時のも
南北戦争の頃のハードタック軍用ビスケットは兵士の間では弾丸が当たっても割れないと言われて居ました、あとコーヒーは当時の軍用ライフルのストック(肩に当てる木の部分)にコーヒーミルが付いたライフルが有ります。
南北戦争とグラントの動画も見て来ました。南北戦争は総力戦の走りと言われていますね。戦術的勝利より敵の戦争遂行能力を叩くことを重視した戦いでした。後のアメリカの戦争のやり方の雛型がこの時できたんですね。北軍が缶詰というのは工業力の差が出てますね。
ベトナム戦争雑学辞典7に軍事食の事が書いてあるような・・・ベトナム戦争の両軍の食事解説とかやってくれたら嬉しい
ベトナム戦はMCIに代表される米軍レーションしか解説されない印象。ベトコンがなにを食べてたか、ベトコンの携帯糧食はどんなものだったかは知りたいですね!
イラクのサマワで武装強盗・ゲリラ?に殺害された戦争ジャーナリストの橋田さんが著作で書かれていたと思います。ベトナム戦争のアメリカの北爆作戦当時ハノイで取材した名物ジャーナリストです。B-51のハノイ戦略爆撃を取材中にビーフン麺の食事していたらガチンコ爆撃受けるも食べ残しは人の恥として食べ終わってお金を屋台に置いてから逃げたという逸話がある人です。西原理恵子の元旦那さんの鴨志田氏・コメンテーター勝谷氏の師匠筋の人です。ラオスではリュックに白米5キロと竹の水筒に塩気のある液体調味料と東ヨーロッパ製のオカズの缶詰・握り拳位の大きさが3個ぐらいだったと聴きました。補給物資は中共経由のために中ソ対立以降は物資のピンハネが3割程と酷く、前線に物資届かずにかわりに中共からヘロインが送られて来た話をしてました。地域での生産量では説明が付かず台湾関係者から聴いたその話をして以降はその大学の講演会で見かけなくなりました!
以前、ベトナム戦争の書籍で握り飯に干物、若しくは塩、グルタミン酸の塊だとか😮支給されて握り飯を食べながら舐める若しくは齧るって有りましたネ。後魚醤をかけた御飯やうどん(向こうに米粉で作った麺が有りましたネ)を食べた…なんて書かれていたのを見かけた事が有りましたネ。
@@鹿島高穂 さん返信ありがとうございます。結構日本陸軍っぽい糧食だったんですね。
@@りり-i7s6l 様、当時まだ元気だった母がその本を見て1言「グルタミン酸……味の素じゃねぇのかい?」と。😅
ハードタックってかなり日持ちするから色々涌いていたみたいですね柔らかくする以外に中に涌いたモノを出すために水分に浸していたとか
北軍のローズクランズ将軍が結構大酒飲みで、緻密に立てた計画が酒で吹っ飛ぶ様な所が有ったとか、何かの記事で読んだ気がします。(多分ゲーム系のコラム)
支給の桃缶を密造酒にしたのがピーチフィズで始まったのが南北戦争中と聞いております小さな穴を開けて腰に下げておくと行軍の振動で腐敗せず酒になるそうで
うぽつでした。「都会牛」とか「缶詰牛」と称されていたのはミルクではなくて「コンデンスミルク」のことです。1858年に現在のホーデン社が作ったものですね。南北戦争は糧食の資料は日本においては大変少ないですね。できれば、南北で一番違いのあった「コーンブレット」については触れてほしかったですね。
缶詰めのコンデンスミルクのことは知っています。『世界のミリメシを実食する』に書いてありますからね。恐らく読まれた上でのコメントだと思います。ただ、独立戦争以後の傾向として軍は牛乳をレーションとして支給しようとしていたようで、もしかしたら中には牛乳もあったかもしれないと思い、それにコンデンスミルクも含め「牛乳」と表記しておきました。コンデンスミルクも牛乳の一種ですからね。
@@yukkuri_rekishi_gurume ご返答ありがとうございます。確かに米軍は牛乳の兵士への提供に、他の国には見られない熱意を持っていますね。実際にはww2の最後、ヨーロッパにおいて一人340cc程度の生乳の提供が実現したはずです。缶入りミルクですが、私も調べたことがありますが、どうも牛乳の缶入りは確認できませんでした、腐敗する可能性が高かったのではないかと推察します。よって米軍も他国の軍も、脱脂粉乳、スキムミルクに舵を取っていたようですね。で、流石アメリカww2終結時に大量の脱脂粉乳が余り、それが日本の学校給食に流れてきたようです、日本の小学生が鼻をつまんで飲む羽目になったとw
しょっぱめか甘めかの、あれですね。
@@トラトラト その通りですね。腐敗防ぐには、砂糖か塩しかないですしね。
歴史グルメ投稿頻度増やして欲しい!!
そうか、紅茶の國の末裔でもしんどい食い物か。
ハードタックは自嘲気味にハードタックス(重い税金)とも言われていたそうですネ…😢
今もアメリカのレーションにインスタントコーヒーが入ってるのは、この歴史的な禁酒の系譜だったんだ
タバコと軍隊で一本動画作って欲しいな
わかるマン。可能なら世界各国の軍隊におけるタバコ事情もあれば嬉しいなと個人的に思ってるw
@@I1I1I-yuyuko-konpaku ありそうでない動画なんだよな
九州の八幡の名物『堅パン』好きな私としては堅くて食べられないだけで味自体に問題ないならハードタックはむしろ食べてみたい。どちらが堅いか比べてみたい・・・ Give me hard tac !!!
このビスケット、小麦粉を水でねって焼いただけ、というお粗末なものだったらしく、そりゃあ硬くて食えないわな。ピーナッツが元々飼料で、人は食わなかった、という話は聞いたことあった。
たしか当時国内の塩生産場が北軍側にあって、南軍側は輸入するしかなかったけど北軍に港を封じられて塩が不足してたって話だなだとすればベーコンとかの塩蔵品は終盤にはほぼ作れなくなってたかもね
一コメ!今回も貴重な1秒を奪われにやってきました!
同じく✋
ポークアンドビーンズは、トマトや胡椒の味付けが現代的な味付け。乾燥エンドウ豆と塩漬け豚肉を水で煮て廃糖蜜で味付け...なんてのは、「腹が減ってるときゃ何でも美味い」って味がする。まぁ、トマトが手に入るなら「生でかぶりつきたい」ってのが、戦場の本音であるとも思えるけれど。
西部のカウボーイがよくコーヒーを飲んでたのは、水質が悪いのでコーヒーで中和(?)していたからとなにかの本で読みました。そんな、事もあってコーヒーを支給してたのかも
馬の飲料水もアルカリ性が強いと飲めないので、南北戦争中もコーヒー粉の酸性で中和してから飲ませていたとか。他にもコーヒーは万能薬と考えられていたらしく、兵隊一人が1日に18リットルを飲んだ、水がなければ粉だけを口に含んだとの記録も残っているとか。
それともう一つ、コーヒーの支給は1830年代から開始されていて、その理由が軍隊内の手のつけられない飲酒を止めさせるためだったのですが、戦争が始まったら飲酒禁止は不可能に。また、南北戦争中、将校は金属製のスキットルに入れたウィスキーを常備し、真似した兵隊たちが水筒に入れたところウィスキーやアルコールが金属を侵食し、中毒が相次いで大問題に。
ラッキーストライクの緑は戦場へ行った。第二次大戦時の軍服の染料に使われたらしい。
少年は戦場へ旅立ったで南北戦争中の食事が少し出てくる
タバコは兵士のパフォーマンスを考えると百害あって一利なしだから廃止は当然。
ハードタックはあまりにも硬いからスープに浸けてやわらかくしてから食べるんやで
昔のミリメシって😂😂兵士達は良く我慢出来たなぁ😂😂食糧不足はわかるけと(´゚д゚`)
最後に映ってたタバコですが、ベトナム戦ではキャメル、マールボロ、L&M、ウィンストン、ペールメール等色々な煙草の銘柄がランダムにレーションに入っていましたが「ラッキーストライク」が出ると「ちっ標的かよ!縁起でもねえな」と忌み嫌われて捨てられたり踏みにじられたりしたとか。
まぐれ当たりという意味で、まぐれで当たるとたまらないという意味で捨てられたようですね。
ベトナムではヘルメットバンドにマルボロやラッキーストライクを挟んでいる兵士の写真を見たのでサバゲーやってた頃真似しましたが、ベテラン兵士からすれば「撃って下さい」という危険な行為と後で知りました。
@@ホヤぼーや-e8f アレなんなんすかね?トランプ挟んでたり...
@@一般通過芦毛スキー さんヘルメットバンドのトランプですが、調べた所スペードのAは死を意味するカードとして戦死した共産軍兵士のそばに残して行ったそうです(敵に恐怖心を与える)。スナイパーからすればヘルメットバンドのトランプも標的ですが。
@@一般通過芦毛スキー カッコつけの一種。まあそうでもしないと戦争とかいういい迷惑の代名詞なんぞやってられないし…アメリカ人は特にそういう皮肉や悪ふざけでストレス解消する文化だし。タバコやガンオイル缶をヘルメットバンドに挟んでいたのは単純に水場の多いベトナムだから濡れるのを防いだりするためと取り出しやすくするため。
2:15 ってアメリカからすればベトナム戦争みたいに本土で戦ってないから対外の軍事介入の一つに感覚が近かったのかもね
アメリカの歴史ドキュメンタリーだと北軍は鉄道を大量に敷設して兵士や物資を大量輸送、併設された電信で情報の伝達も早かった南軍は鉄道敷設もすくなく、大都市近郊でも兵士が飢える事態だったそうだ物資を輸入しようにも北軍により海上封鎖され、綿花の輸出も滞る有様だった
10年ほど昔のMBCのドキュメント番組で移民を人買いのように扱い詐欺師のように働き口があり、衣食住・初等教育・一般教養·金が貯められるとニューヨーク・エリス島から渡し舟で岸に着いた移民相手に仕事をする募兵官達の番組がありました。各母国語毎に渡し舟に分けられ来るのですが教育を受けた移民をスルーして明らかに文盲・無一文の人の渡し舟が着くと片っ端から勧誘する構図で一日に最大2500人を騙して(書面上志願)前線送りをしたそうです。出迎えや頼れる人や場所が無い人が被害が多発したそうです。内戦中盤から後半の時は移民にも情報が行き渡り、困った末にノルマ達成の為に警察官と組んで各民族街でルンペンや軽犯罪者・犯罪予備軍を狩り出していたそうです。南軍側から資料では共通言語の英語が通じない・病気を巻き散らかす・一般人への掠奪や放火・暴力・強姦行為をする等があり、その被害が家族・地域に語り継がれて南北対立解消が進まぬ一因として扱われました。何しろ地元教会に財産・家族を避難させたら襲撃ですから。
@@後藤勝人-f3t 映画 ギャング・オブ・ニューヨークでも、同じ場面がありましたね。移民たちに名前書けなければ○でもいいと徴兵。何も知らない移民たちが前線行きの船の出港を待つ中、その船から棺桶が大量に降ろされ、これから起こることを暗示するシーンでした。
ある本で、「ラッキーストライクの緑は戦場へ行った」と書いてあった。
兵站を甘く見るのは三流のすること
日本の軍人や武将の大半は三流ですな。
ラッキーの緑色も戦争が原因でインク節約の為白になったらしいですね
緑のインクに必要なクロムが不足したかららしいですね、「ラッキーストライクの緑は戦場へ行った」のキャッチコピーで売り上げを伸ばしたとか
召しませ来来なかなか更新が来ないのが辛い
食器が貴重だった時代、丸型のハードタックが皿だった。固いからね。味のしみたハードタックは召使や奴隷の人気食。
8:51犬猫が激減・・・まさか人口まで減ってないだろうね?
トルコリラを解説してください。
10:53 銃にコーヒーミルを仕込んだ奴・・・後装式シャープス騎兵銃の銃床にミルを取り付けた奴ですね!!ミズーリ州騎兵隊のウォルター・キング中佐による発案で、製造数はおそらく100丁未満・・・現存数に至っては10~15丁ほどしかないと言われる珍銃です。なお、実戦ではコーヒーよりも小麦を挽いて食料にするのに役立っていたのでは?なんて言われることもありますが、まあ製造数が少なすぎて実際のところどうだったか謎すぎる存在のようです。
お詳しい。実銃死ぬ前に見ておきたいですね、写真しか見たことない。
羊や牛を戦場まで連れて行けばいつでも新鮮な食事が食べられるんだよなぁ
黒人志願兵・南部からの逃亡奴隷が肉の配給で差別されたので戦地でダイナマイトや弾薬を爆発させた漁で捕獲したナマズや鯉を良く食べていたと聞いたことがあります。特にアイルランド・南部イタリア・南米の移民・国籍取得目的の志願兵が識字率が低いので粗雑な行動をする・酒や肉の補給部隊が味方のアル中に狙われたと言う話があります。大体は激戦地での人海戦術用補充兵送りと知って自暴自棄になったと言うのが実際の話だそうです。酒や肉の補給部隊を襲撃した兵士達は懲罰部隊行きで南軍狙撃兵の歓迎パーティーでさっくり戦死が常だったとアイオワ出身の英語教師(御先祖アイルランドから内戦中6人移民志願で戦地配属で9日以内に4人死亡)が言ってました。敵の南軍狙撃兵は狙撃した相手の所持する物資で戦闘継続していると
かなり詳しい話ですね、さすが内戦当事国の方の話ですね。
包囲して餓えさせたって言っても8:26 ビスケット2個 ベーコン2枚 エンドウ豆少々 米 スプーン一杯 って日本の戦国時代に比べると かなりマシな気がするわもしかして鳥取城や小田原城の飢餓って世界史的にも希少な例なんかな?
ガタルガナル島の戦いの記録はご存じでしょうか?
@@mebiusu1000 それも日本側やね
こういうのって実際に全員に行き届いてるはずもないからね(偏見)
戊辰戦争時、薩摩の糧食は旧幕府軍の良将の生肝だったとか?
来た来た
南軍って食べ物に不自由してるから、亀とかアルマジロも食べてたんだっけか(汗)
653秒奪われました レベ知が653上がりましたありがとうございます
なるほど、秒に換算するとこの動画の時間は653秒でしたか(笑)。ありがとうございました。
➡➡ 北軍兵士の軍隊食・・・太平洋戦争中の日本兵よりも・・・豪華・・・やな。😬😬😬😬😬😬😬😬
貧乏人ビールか
あたり前田のクラッカー
TV中継喜劇てなもんや三度笠で、主人公あんかけの時次郎を演じていた、藤田まことさんが、脚本作家が予め台本に書いてあった、クラッカーでも喰らっかぁ!をど忘れしてしまって、吉本新喜劇の舞台劇公演であったために、コレを胡麻化すために、思いついた台詞が、俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー!だったそうです。なんば花月劇場でコレを言ったところ、観客にオオウケしたので、次からは、台本の台詞として正式採用されたそうです。
ほぼ茶番
南北戦争以前の戦いでは、調理係は敵より多くの味方を殺す…なんて有様だったとか。でもこの頃には缶詰の量産と鉄道輸送が実現、組織化された補給部隊も存在しかなり近代化していますね。まあだからこそ熾烈かつ凄惨な戦いが長引いたんでしょうけど…。
小説版「風と共に去りぬ」も南北戦争の食生活が描かれてましたよ
南北戦争以前のアメリカ軍の兵站事情は、組織の規模に合わせて運用する事が多かった。
しかし、南北戦争では100万人以上という大量人員に対して補給が間に合わなくなり、大規模な後方組織を構築して、軍を巨大化させる必要があった。
例えばアメリカ軍の軍服を製造する被服廠は、ペンシルベニア州スクールキル被服廠ただ一ヵ所だけが稼働しており、武器を製造する兵器廠はマサチューセッツ州のスプリングフィールド兵器廠、ブルックリン海軍工廠、セルマ海軍工廠。ノーフォーク造船所、バージニア州のハーバーズ・フェリー兵器廠などがあった。
工業においてもアトランティック鉄工所や複数存在したが、一方、南部の著名な鉄工所はリッチモンドにあるトレデカー鉄工所だけで、銃器類と鉄製類を大量生産できる工場はここしかなかった。
今回も貴重な1秒奪われました♪
レーション系の動画はとても興味深いですよね😊
又のUP楽しみにしておりますよー♪
解説ありがとうございます。
動画内で触れられていた「コーヒーミルが仕込まれていた銃」はシャープスカービンの事だと思われますが、これは穀物用という説もありますね。
余談ですが、前線兵士がしばしば休戦してコーヒーと南部産タバコを物々交換していたエピソードが好きです。
あれ、実際は馬の飼料用ですね 騎兵用の銃にしか採用されてないですし
『軍隊は胃袋で動く』、『腹が減っては戦は出来ぬ』。
う〜ん、牟田口に聞かせたい😂
ジンギスカン作戦とか言う天才()の発想
連合軍の名将 非国民牟田口の悪口を言うのはそこまでだ。
軍隊は胃袋で動くっていうのは、軍隊は大飯喰いという意味以上に、中世の軍隊は食糧は現地徴発と略奪に依存しており、進軍は常に新しい略奪場所を目指していたという意味があったと思います。
ハードタックって、ペンサコラにある歴史博物館に南北戦争当時のがあって
腐りもせずそのまま今に伝わっていますね('ω')。
牟田口「牛を連れていけば食糧にも車輌にもなる」
同じ時代の同じ国なので似たり寄ったりですね。
やはり心身共に消耗するのでカロリー高そうw
2キロの塩振ったトウモロコシとはまるで戦国時代の「腰兵糧」みたい。
戦闘の合間に非常食として食べたのかな…
いつも詳しく動画にしてくれてありがとうございます!
ハードタックはコーヒーに浸して食べていたとか……。※尚、それでも不味い。
また、ビタミン摂取用に用いられた乾燥野菜も非常に不味く、将校に『士気が下がるから送り付けんな』※意訳と言われたらしい。
ソースはいつぞやのコンバットマガジン。
5:31 このタバスコが生まれた理由、南北戦争で事業を失った銀行家が妻の地元へ避難してそこで始めた事業が調味料製造だったから
…たしかに戦争で生まれたとは言えなくもない?
酒でも飲んで少しでも恐怖心を和らげていかないとやってられんかったろうな。
ソビエトはガチガチイスラムのアフガンで表向きは飲酒・買春厳禁の為に麻薬生産地帯から直売麻薬に逃避して支配体制が揺らいだ話が有名でアメリカ・NATO軍がそれ程麻薬汚染しないのが不思議だなぁと米国人英語教師・土日祝は少年野球コーチが自国で簡単に手に入るからと言ってました。薬物乱用はステロイド薬で取り締まられてるよ 米国志願兵の大体は学費対策だから受験勉強に充てあとはネット依存だから携帯使用料の心配だと。米軍基地にモールを設置するから借金の心配あるとの事。その代わりに本国への休暇・除隊帰国では荒れるとの事で、コールガール買ったら分隊全員が尖形コンジローマに感染して治療の為に除隊を延ばしたそうです 激戦区での酒や女は不可欠ですから切ないですね
歴史グルメ!待ってました!
動画観ながらじゃないと飯食えねぇぜ!
「世界のミリメシを実食する」の歴史編に書いてありましたね、独立戦争の時のも
南北戦争の頃のハードタック軍用ビスケットは兵士の間では弾丸が当たっても割れないと言われて居ました、あとコーヒーは
当時の軍用ライフルのストック(肩に当てる木の部分)にコーヒーミルが付いたライフルが有ります。
南北戦争とグラントの動画も見て来ました。南北戦争は総力戦の走りと言われていますね。戦術的勝利より敵の戦争遂行能力を叩くことを重視した戦いでした。後のアメリカの戦争のやり方の雛型がこの時できたんですね。北軍が缶詰というのは工業力の差が出てますね。
ベトナム戦争雑学辞典7に
軍事食の事が書いてあるような・・・
ベトナム戦争の両軍の食事解説とか
やってくれたら嬉しい
ベトナム戦はMCIに代表される米軍レーションしか解説されない印象。ベトコンがなにを食べてたか、ベトコンの携帯糧食はどんなものだったかは知りたいですね!
イラクのサマワで武装強盗・ゲリラ?に殺害された戦争ジャーナリストの橋田さんが著作で書かれていたと思います。ベトナム戦争のアメリカの北爆作戦当時ハノイで取材した名物ジャーナリストです。B-51のハノイ戦略爆撃を取材中にビーフン麺の食事していたらガチンコ爆撃受けるも食べ残しは人の恥として食べ終わってお金を屋台に置いてから逃げたという逸話がある人です。西原理恵子の元旦那さんの鴨志田氏・コメンテーター勝谷氏の師匠筋の人です。ラオスではリュックに白米5キロと竹の水筒に塩気のある液体調味料と東ヨーロッパ製のオカズの缶詰・握り拳位の大きさが3個ぐらいだったと聴きました。補給物資は中共経由のために中ソ対立以降は物資のピンハネが3割程と酷く、前線に物資届かずにかわりに中共からヘロインが送られて来た話をしてました。地域での生産量では説明が付かず台湾関係者から聴いたその話をして以降はその大学の講演会で見かけなくなりました!
以前、ベトナム戦争の書籍で握り飯に干物、若しくは塩、グルタミン酸の塊だとか😮支給されて握り飯を食べながら舐める若しくは齧るって有りましたネ。後魚醤をかけた御飯やうどん(向こうに米粉で作った麺が有りましたネ)を食べた…なんて書かれていたのを見かけた事が有りましたネ。
@@鹿島高穂 さん
返信ありがとうございます。結構日本陸軍っぽい糧食だったんですね。
@@りり-i7s6l 様、当時まだ元気だった母がその本を見て1言「グルタミン酸……味の素じゃねぇのかい?」と。😅
ハードタックってかなり日持ちするから色々涌いていたみたいですね
柔らかくする以外に中に涌いたモノを出すために水分に浸していたとか
北軍のローズクランズ将軍が結構大酒飲みで、緻密に立てた計画が酒で吹っ飛ぶ様な所が有ったとか、何かの記事で読んだ気がします。(多分ゲーム系のコラム)
支給の桃缶を密造酒にしたのがピーチフィズで始まったのが南北戦争中と聞いております
小さな穴を開けて腰に下げておくと行軍の振動で腐敗せず酒になるそうで
うぽつでした。
「都会牛」とか「缶詰牛」と称されていたのはミルクではなくて「コンデンスミルク」のことです。
1858年に現在のホーデン社が作ったものですね。
南北戦争は糧食の資料は日本においては大変少ないですね。
できれば、南北で一番違いのあった「コーンブレット」については触れてほしかったですね。
缶詰めのコンデンスミルクのことは知っています。
『世界のミリメシを実食する』に書いてありますからね。
恐らく読まれた上でのコメントだと思います。
ただ、独立戦争以後の傾向として軍は牛乳をレーションとして支給しようとしていたようで、もしかしたら中には牛乳もあったかもしれないと思い、それにコンデンスミルクも含め「牛乳」と表記しておきました。
コンデンスミルクも牛乳の一種ですからね。
@@yukkuri_rekishi_gurume ご返答ありがとうございます。
確かに米軍は牛乳の兵士への提供に、他の国には見られない熱意を持っていますね。
実際にはww2の最後、ヨーロッパにおいて一人340cc程度の生乳の提供が
実現したはずです。
缶入りミルクですが、私も調べたことがありますが、どうも牛乳の缶入りは確認できませんでした、腐敗する可能性が高かったのではないかと推察します。
よって米軍も他国の軍も、脱脂粉乳、スキムミルクに舵を取っていたようですね。
で、流石アメリカww2終結時に大量の脱脂粉乳が余り、それが日本の学校給食に流れてきたようです、日本の小学生が鼻をつまんで飲む羽目になったとw
しょっぱめか甘めかの、あれですね。
@@トラトラト その通りですね。
腐敗防ぐには、砂糖か塩しかないですしね。
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そうか、紅茶の國の末裔でも
しんどい食い物か。
ハードタックは自嘲気味にハードタックス(重い税金)とも言われていたそうですネ…😢
今もアメリカのレーションにインスタントコーヒーが入ってるのは、この歴史的な禁酒の系譜だったんだ
タバコと軍隊で一本動画作って欲しいな
わかるマン。
可能なら世界各国の軍隊におけるタバコ事情もあれば嬉しいなと個人的に思ってるw
@@I1I1I-yuyuko-konpaku ありそうでない動画なんだよな
九州の八幡の名物『堅パン』好きな私としては
堅くて食べられないだけで味自体に問題ないなら
ハードタックはむしろ食べてみたい。どちらが堅いか比べてみたい・・・
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このビスケット、小麦粉を水でねって焼いただけ、というお粗末なものだったらしく、そりゃあ硬くて食えないわな。
ピーナッツが元々飼料で、人は食わなかった、という話は聞いたことあった。
たしか当時国内の塩生産場が北軍側にあって、南軍側は輸入するしかなかったけど北軍に港を封じられて塩が不足してたって話だな
だとすればベーコンとかの塩蔵品は終盤にはほぼ作れなくなってたかもね
一コメ!
今回も貴重な1秒を奪われにやってきました!
同じく✋
ポークアンドビーンズは、トマトや胡椒の味付けが現代的な味付け。
乾燥エンドウ豆と塩漬け豚肉を水で煮て廃糖蜜で味付け...なんてのは、
「腹が減ってるときゃ何でも美味い」って味がする。
まぁ、トマトが手に入るなら「生でかぶりつきたい」ってのが、
戦場の本音であるとも思えるけれど。
西部のカウボーイがよくコーヒーを飲んでたのは、水質が悪いのでコーヒーで中和(?)していたからとなにかの本で読みました。
そんな、事もあってコーヒーを支給してたのかも
馬の飲料水もアルカリ性が強いと飲めないので、南北戦争中もコーヒー粉の酸性で中和してから飲ませていたとか。
他にもコーヒーは万能薬と考えられていたらしく、兵隊一人が1日に18リットルを飲んだ、水がなければ粉だけを口に含んだとの記録も残っているとか。
それともう一つ、コーヒーの支給は1830年代から開始されていて、その理由が軍隊内の手のつけられない飲酒を止めさせるためだったのですが、戦争が始まったら飲酒禁止は不可能に。
また、南北戦争中、将校は金属製のスキットルに入れたウィスキーを常備し、真似した兵隊たちが水筒に入れたところウィスキーやアルコールが金属を侵食し、中毒が相次いで大問題に。
ラッキーストライクの緑は戦場へ行った。
第二次大戦時の軍服の染料に使われたらしい。
少年は戦場へ旅立ったで南北戦争中の食事が少し出てくる
タバコは兵士のパフォーマンスを考えると百害あって一利なしだから廃止は当然。
ハードタックはあまりにも硬いからスープに浸けてやわらかくしてから食べるんやで
昔のミリメシって😂😂兵士達は良く我慢出来たなぁ😂😂食糧不足はわかるけと(´゚д゚`)
最後に映ってたタバコですが、ベトナム戦ではキャメル、マールボロ、L&M、ウィンストン、ペールメール等色々な煙草の銘柄がランダムにレーションに入っていましたが「ラッキーストライク」が出ると「ちっ標的かよ!縁起でもねえな」と忌み嫌われて捨てられたり踏みにじられたりしたとか。
まぐれ当たりという意味で、まぐれで当たるとたまらないという意味で捨てられたようですね。
ベトナムではヘルメットバンドにマルボロやラッキーストライクを挟んでいる兵士の写真を見たのでサバゲーやってた頃真似しましたが、ベテラン兵士からすれば「撃って下さい」という危険な行為と後で知りました。
@@ホヤぼーや-e8f アレなんなんすかね?トランプ挟んでたり...
@@一般通過芦毛スキー さん
ヘルメットバンドのトランプですが、調べた所スペードのAは死を意味するカードとして戦死した共産軍兵士のそばに残して行ったそうです(敵に恐怖心を与える)。スナイパーからすればヘルメットバンドのトランプも標的ですが。
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2:15 ってアメリカからすればベトナム戦争みたいに本土で戦ってないから対外の軍事介入の一つに感覚が近かったのかもね
アメリカの歴史ドキュメンタリーだと
北軍は鉄道を大量に敷設して兵士や物資を大量輸送、併設された電信で情報の伝達も早かった
南軍は鉄道敷設もすくなく、大都市近郊でも兵士が飢える事態だったそうだ
物資を輸入しようにも北軍により海上封鎖され、綿花の輸出も滞る有様だった
10年ほど昔のMBCのドキュメント番組で移民を人買いのように扱い詐欺師のように働き口があり、衣食住・初等教育・一般教養·金が貯められるとニューヨーク・エリス島から渡し舟で岸に着いた移民相手に仕事をする募兵官達の番組がありました。各母国語毎に渡し舟に分けられ来るのですが教育を受けた移民をスルーして明らかに文盲・無一文の人の渡し舟が着くと片っ端から勧誘する構図で一日に最大2500人を騙して(書面上志願)前線送りをしたそうです。出迎えや頼れる人や場所が無い人が被害が多発したそうです。内戦中盤から後半の時は移民にも情報が行き渡り、困った末にノルマ達成の為に警察官と組んで各民族街でルンペンや軽犯罪者・犯罪予備軍を狩り出していたそうです。南軍側から資料では共通言語の英語が通じない・病気を巻き散らかす・一般人への掠奪や放火・暴力・強姦行為をする等があり、その被害が家族・地域に語り継がれて南北対立解消が進まぬ一因として扱われました。何しろ地元教会に財産・家族を避難させたら襲撃ですから。
@@後藤勝人-f3t 映画 ギャング・オブ・ニューヨークでも、同じ場面がありましたね。移民たちに名前書けなければ○でもいいと徴兵。何も知らない移民たちが前線行きの船の出港を待つ中、その船から棺桶が大量に降ろされ、これから起こることを暗示するシーンでした。
ある本で、「ラッキーストライクの緑は戦場へ行った」と書いてあった。
兵站を甘く見るのは三流のすること
日本の軍人や武将の大半は三流ですな。
ラッキーの緑色も戦争が原因でインク節約の為白になったらしいですね
緑のインクに必要なクロムが不足したかららしいですね、「ラッキーストライクの緑は戦場へ行った」のキャッチコピーで売り上げを伸ばしたとか
召しませ来来
なかなか更新が来ないのが辛い
食器が貴重だった時代、丸型のハードタックが皿だった。
固いからね。
味のしみたハードタックは召使や奴隷の人気食。
8:51
犬猫が激減・・・まさか人口まで減ってないだろうね?
トルコリラを
解説してください。
10:53 銃にコーヒーミルを仕込んだ奴・・・
後装式シャープス騎兵銃の銃床にミルを取り付けた奴ですね!!
ミズーリ州騎兵隊のウォルター・キング中佐による発案で、製造数はおそらく100丁未満・・・
現存数に至っては10~15丁ほどしかないと言われる珍銃です。
なお、実戦ではコーヒーよりも小麦を挽いて食料にするのに役立っていたのでは?
なんて言われることもありますが、まあ製造数が少なすぎて実際のところどうだったか謎すぎる存在のようです。
お詳しい。実銃死ぬ前に見ておきたいですね、写真しか見たことない。
羊や牛を戦場まで連れて行けばいつでも新鮮な食事が食べられるんだよなぁ
黒人志願兵・南部からの逃亡奴隷が肉の配給で差別されたので戦地でダイナマイトや弾薬を爆発させた漁で捕獲したナマズや鯉を良く食べていたと聞いたことがあります。特にアイルランド・南部イタリア・南米の移民・国籍取得目的の志願兵が識字率が低いので粗雑な行動をする・酒や肉の補給部隊が味方のアル中に狙われたと言う話があります。大体は激戦地での人海戦術用補充兵送りと知って自暴自棄になったと言うのが実際の話だそうです。酒や肉の補給部隊を襲撃した兵士達は懲罰部隊行きで南軍狙撃兵の歓迎パーティーでさっくり戦死が常だったとアイオワ出身の英語教師(御先祖アイルランドから内戦中6人移民志願で戦地配属で9日以内に4人死亡)が言ってました。敵の南軍狙撃兵は狙撃した相手の所持する物資で戦闘継続していると
かなり詳しい話ですね、さすが内戦当事国の方の話ですね。
包囲して餓えさせたって言っても
8:26 ビスケット2個 ベーコン2枚 エンドウ豆少々 米 スプーン一杯 って日本の戦国時代に比べると かなりマシな気がするわ
もしかして鳥取城や小田原城の飢餓って世界史的にも希少な例なんかな?
ガタルガナル島の戦いの記録はご存じでしょうか?
@@mebiusu1000 それも日本側やね
こういうのって実際に全員に行き届いてるはずもないからね(偏見)
戊辰戦争時、薩摩の糧食は旧幕府軍の良将の生肝だったとか?
来た来た
南軍って食べ物に不自由してるから、亀とかアルマジロも食べてたんだっけか(汗)
653秒奪われました レベ知が653上がりましたありがとうございます
なるほど、秒に換算するとこの動画の時間は653秒でしたか(笑)。
ありがとうございました。
➡➡ 北軍兵士の軍隊食・・・太平洋戦争中の日本兵よりも・・・豪華・・・やな。😬😬😬😬😬😬😬😬
貧乏人ビールか
あたり前田のクラッカー
TV中継喜劇てなもんや三度笠で、
主人公あんかけの時次郎を演じていた、
藤田まことさんが、
脚本作家が予め台本に書いてあった、
クラッカーでも喰らっかぁ!
をど忘れしてしまって、
吉本新喜劇の舞台劇公演であったために、コレを胡麻化すために、
思いついた台詞が、
俺がこんなに強いのも、
当たり前田のクラッカー!
だったそうです。
なんば花月劇場でコレを言ったところ、
観客にオオウケしたので、
次からは、台本の台詞として正式採用されたそうです。
ほぼ茶番