私が思うのは ① 新大阪ー南吹田間の新線用地が、1970年代の航空写真等で既に確保されているのが確認される。 ② 新線なのに、ホームドアが設置されなかったのはなぜか? ③ 大阪メトロ高井戸駅の乗換駅の、高井戸中央駅の名称は何とかならなかったのか?大和路線高井戸駅と混同しそう。 ④ 赤川鉄橋の赤の塗装がハゲているのは何とかならんのか? ⑤ 将来なにわ筋線が開通した時に、おおさか東線電車は大阪折返のままだろうか? おまけ 通勤路線で4ドア車が3ドア車になったのは、大阪環状線があります。京急とか西鉄も4ドア車を作ってみたが、結局3ドア車に戻りました。
動画中、放出駅の手前にある第二寝屋川を渡る3種類の鉄道橋ですが、航空写真を過去数年分さかのぼって確認してみましたが、上り線は複線化に伴って架橋された新設橋、そのとなりのガーター橋は網干電車区放出派出所(むかしの淀川電車区放出派出所)の出入庫線と下り線との併用部分で、渡った正面に検車設備と留置線らしきものが見えています。そしてとなりの白いトラス橋は、学研都市線のオーバークロスができる前2003年頃から存在していて、北側に渡ったところに車止めらしきものが見えることと、近畿車輛は徳庵駅東側の近くに隣接して敷地があり川とは場所的にも遠く離れているので工場への出入庫線ではなく、網干電車区放出派出所の引き上げ線ではないでしょうか。
地元で育った。当時、赤川鉄橋を「18門鉄橋」って言ってたのとその鉄橋が渡れてたのが懐かしい。
自分も地元!
小学校の頃は18門鉄橋を渡って淡路駅から阪急に乗って遠足行ってた。
201系が走ってた頃がもう懐かしく感じるよ
環状線にも走っていました。京葉線にもスカイブルーのが走っていました。京葉線201の方向幕が通常の201は黒地に白文字なのに白地に黒文字なのが違和感がありました。
メルヘンだね
1966年8月の時刻表には、国鉄の第三次長期計画後半(前半は関東や東北地区がメインでした。又その集大成がヨンサントオダイヤ改正でした。)の関西地区での工事計画が載っていました。そこにはおおさか東線(当時は大阪外環状線)の名も挙がっていました。
①桜島線の安治川口~桜島の複線化(昭和42年完成予定)
②新今宮~天王寺の複々線化に伴う関西線と環状線の分離(昭和42年完成予定)
③片町線の放出~四条畷の複線化(昭和44年完成予定)
④東海道本線の京都~草津の複々線化(昭和45年完成予定)
⑤福知山線の宝塚~塚口の複線化(昭和46年完成予定)
⑥山陰本線の園部~京都の複線化(昭和46年完成予定)
⑦大阪外環状線の新大阪~加美の複線化(昭和46年完成予定)←予定線の一つになっています。又本文では、「武蔵野線と同じ性質の外環状線が新設される」と紹介されています。
⑧天満駅のホーム増設・鶴橋駅のホーム改良
このように多く改良事業が計画されており、もしすべて計画通りに実現していた場合、関西地区での国鉄の状況は大幅に改善されていたと思います。しかし国鉄の財政悪化の影響を受け、第三次長期計画は昭和43年度限りで打ち切られてしまいました。そのため⑤~⑦の計画は凍結されてしまい、完成が大幅に遅れることになってしまいました。(⑤は昭和55年に完成・⑥は平成22年に完成・⑦は令和元年に完成)
貴重な資料ありがとうございます。昭和高度経済成長から計画としてあったのですね。武蔵野線も意識していたようです。しかし軒並み遅れたのは国鉄の財政赤字だと思います。5の福知山線の電化複線は1981年で1971年から10年経っています
高井田中央という駅名はなかなかの傑作だと思います
○○中央の中央ではなく
地下鉄中央線と接続するから中央
関西線と地下鉄中央線に相次いで高井田駅が開業したときに「大阪外環状線(注・当時のおおさか東線の仮称)開業したら駅名どうするんだろう?」てマジで思ったなw。
野田阪神方式ですね
東西線では野田阪神駅にしようとしたけど他社の名前を何故入れるんだとなって海老江になったのよね
@@さくら999 付け加えますと東西線の駅名は全て当初の予定から変更ですよね
東の中央線利用者だった自分にとって201系は懐かしく感じます。想い出がいっぱいです❤
ハナテンも無くなって、ビックモーターになってニュースでは大炎上してるけど、最寄り駅は深江橋駅でしょうね。
放出の第二寝屋川トラス橋はその先にある放出派出所の構内で、近畿車両とは関係ないですよ(近畿車両は徳庵が最寄り駅)。あそこに橋を架けたのは放出派出の前身である淀川電車区が都島区から現地へ移転した際、もともと存在した電留線では構内入換するだけの有効長が足りないためそれを延長するために設置されました。
ポジション的にも似ていますよね、西名古屋港線こと、あおなみ線に。大ターミナル貨物駅の旅客利用という点も全く同じです。
でも、お荷物だったんでしょうね。JRからは切り離されてしまいました。社長まで成り手がないのか名古屋市長です。
「中古車ばっかり」は埼京線・武蔵野線・京葉線も開業時はそうでしたね。
大阪環状線も4ドア車から新造3ドア ロングシート車になったのでは?
流石😂鐡郎さん。武蔵野線やったら、すぐおおさか東線😅グット👍です🎉
大阪東線の画像紹介、ありがとうございました。
大阪市内の街中の貨物線を生活路線に活用出来た事は、素晴らしいと思います。m(__)m
大阪環状線にホームドア(3枚ドア対応)が設置される為にそこに入る大和路線に走る車両を3枚ドア対応の221系にしました
そこに乗り入れるのに同じ221系をおおさか東線を導入すれば大和路線に入る電車を全て3枚ドアの221系に出来ますよね?
それを証拠に同じく環状線に乗り入れる阪和線も223系も3枚ドアクロス転換シートですよね
昔、ヒグチ薬局(ヒグチ産業)のプログラマー採用面接で片町線乗った時に8710本社の看板見て「これがかいな」と記憶してます。ウチの市にも店、出した思ったら伝説のオフ会参加者0人のTH-camrの当時の自宅近所やったと言うオチが付いて後にご存知の8710が買収されたってのが有りましたね。
ちなみに5:52からの左下の「紙芝居のようなもの」は、「フリー素材のいらすとやさんを使って、ハナテン中古車センターのCMを再現したもの」です。
百済~平野貨物列車専用の線路が有るので、平野~難波からも乗り入れしてほしい。今放出まで通勤で使用つかってますが久宝寺での乗り換えが面倒
最新技術を駆使した大阪地下駅とレトロ感溢れる赤川鉄橋の対比が面白い😅😅
なるほど 武蔵野線と似ているところはありますね。
違うのは ベースとなる路線が古くから存在していた事。
路線自体が都心部(新大阪) へ直接繋がっている事。
各駅ホームをテーマカラーで識別するアイデアは 田園都市線の地下区間各駅でも採用されていて 一目で降りる駅がわかるという意味で効果的です。
1929年ですから古いですね。新しく出来た路線に中古車両が投入されるのは誰でも違和感はありますね。改造はされても旅客線としては新規なのに玉突きがくるのはやっぱり似てますね
新大阪は都心部ではない……
武蔵野線も東京駅に乗り入れていますけど
@@takanishi7441 さん
『路線自体が』とお断りしてますので
武蔵野線の電車は 確かに東京駅迄乗り入れていますが 西船橋よりも先は直通先の『京葉線』です。
赤川鉄橋は小学校の時耐寒遠足で淀川の河川敷を延々歩いて行きました。
貨物列車は滅多に見れなかったけれど、人口密集地からすぐローカル色あふれる景色が子供心にも新鮮で懐かしい思い出です
「あぁ~、またあのボロや~😢」、という嘆き節が聞こえてきます😅。
赤川鉄橋、渡ったことがあります。貨物の通過時刻を調べてから行き、DD51牽引のコンテナ貨物がすぐ横を通るのを体験しました。
大阪駅から赤川鉄橋のすぐ近くまで行くバス便があり、それで行きました。旅客化後はまだ乗っていないので、一度乗りに行きたいものです。
仰るように、ようやくJRの車両に…の広告は無理がある気がします。確かにJR発足後の車両ですが、何せ平成初期製ですからね。あと個人的な経験と感想ですが、221系はアンモニア臭のような、何か鼻につく臭いがしました。特に雨の日は臭くてたまらなくて、113系の方が良いと思ったこともあります。今は臭いは気にならないですが、座席撤去改造はいただけないし、窓が磨りガラスのように濁って汚ないことが多いです。よく利用する東海道山陽本線の快速で221系の6両編成が来た時はげんなりします。221系ファンには申し訳ないですが。
久宝寺駅も所在地は唯一八尾市ですが、大阪市内の駅扱いにしてもらいたいです。(大半が東大阪市であり吹田市もある。また最近までは新加美駅は大阪市内でありながら除外されていたため)
自分は207系などより221系の方がはるかに好きだな!
採用ありがとうございます。「ラジオのパーソナリティ」とは、「ラジオ大阪(弁天町にスタジオがある)」の「原田年晴アナウンサー」。今は「原田年晴かぶりつきフライデー(マンデー)」という番組を担当しています。
こちらこそありがとうございました。ハナテン中古車センター線。なかなかいいネーミングですね。ラジオ大阪の方なのですね。大和路快速なら弁天町は一本で通えますね。またよろしくお願い致します
お疲れ様です☺️ 4扉→3扉への変更は通勤路線としては格下げっぽく取れますが、この線区に関して座ること前提で考えると103系、201系を一掃して221系にするのはプラスだと思います
播但線の姫路~寺前の普通列車は電化に伴い2扉から4扉になりました(一部列車に221系の運用があるようですが)。しかも車両は201系よりも古い103系。加古川線は2扉(125系)と4扉(103系)が混在して3扉車がないですね。
ちなみに221系が各停でも走るようになったのは大和路線快速が221系だからです
阪和線の223系も関空快速で使われていたのでそのまま各停にもという流れは同じです
おおさか東線の列車が4扉から3扉になったのは別に格下げではない。恐らくホームドア対応のため3扉に統一したかったのだろう。少子化/小人口化の進む現在、もうかつてのような通勤ラッシュは考えにくいし、統一するなら3扉に…という考えなのだろう。現に大阪環状線の新型車両も3扉だ。
確かに、貨物線時代から存在する第二寝屋川橋梁は謎でした。橋梁といいつつ、端が行き止まりになっているし。
あとは、かつて存在した淀川貨物駅にアプローチする部分がデルタ線になっていた(鴫野駅付近)のも思い出しました。
昔から謎でしたか。近畿車両の橋は第二寝屋川を斜めに渡っているようなので長くなるのでデカいトラス橋になっているようです。
赤川鉄橋は渡れなくなる前に渡っておこうと阪急淡路から歩いて行ったな 今では歩いて渡ることはかなわない…
京阪電車七不思議お願いします
承知いたしました。企画します。ありがとうございます。
@@heitetsu4649
一つ目京阪最強伝説お願いします
最強伝説とはかつての京阪帝国でしたでしょうか?
@@heitetsu4649 そうです
地震や台風や
京阪の駅名って、「京阪本線」は「市駅」なのに、「大津線(石山坂本線、京津線)」は「京阪◯◯」と社名が冠に付きます。そして何もつかない「宇治」。(「新京阪線」の「阪急京都本線」も「市駅」ですね。「西向日町」「東向日町」は「向日町→向日市」の市制化の時に「町」を取ってしまいました。)
5:52 うーん、カチカチ…ギ、ギギィー!「あなた、いったい誰?」ハナテン中古車センター!「あなた、車売る?」
アラフィフの関西人には懐かしいCMです。
実は、おおさか東線もですが、大和路線も寝ぐらにしてる奈良電車区(吹田総合車両所奈良支所)は電化してからずっと「中古車市場」とか揶揄されてました。
かつては気動車で伊賀上野やら名古屋まで行くような列車も多かったそうですから。
ローカル線の和歌山線・桜井線は新型の新車なので都会線のおおさか東線より恵まれている。
私が思うのは
① 新大阪ー南吹田間の新線用地が、1970年代の航空写真等で既に確保されているのが確認される。
② 新線なのに、ホームドアが設置されなかったのはなぜか?
③ 大阪メトロ高井戸駅の乗換駅の、高井戸中央駅の名称は何とかならなかったのか?大和路線高井戸駅と混同しそう。
④ 赤川鉄橋の赤の塗装がハゲているのは何とかならんのか?
⑤ 将来なにわ筋線が開通した時に、おおさか東線電車は大阪折返のままだろうか?
おまけ
通勤路線で4ドア車が3ドア車になったのは、大阪環状線があります。京急とか西鉄も4ドア車を作ってみたが、結局3ドア車に戻りました。
自分はなにわ筋線開業時に普通電車は大和路〜なにわ筋〜おおさか東線直通の王寺(奈良)〜JR難波〜新大阪〜久宝寺の運転系統になるかな?て思いますね(もちろん新車で)。
地下鉄大江戸線みたいな運転系統ではあるがw。
60年ぐらい前に野江内代に住んでいました その頃は貨物輸送輸送は多分D51が毎朝汽笛を鳴らしながら走っていました毎朝同じ時間に汽笛を鳴らしながら走っていたので 懐かしいかったです
>第二寝屋川
埼玉に古(ふる)綾瀬川、愛知には矢作古川などありますが、「第二」という名称はなかなか合理的な感じですね。「JR○○駅が多い」のもそうした考えに基づくのかもしれません。
そういえば現在の荒川(放水路)は治水事業による人工河川で、それ以前は現在の隅田川が荒川を名乗っていたようです。
川の件にてコメントをいただき、ありがとうございます。確かに「第二」という名前はあまりないですね。高速道路や国道などには多いですが。この動画の前に中川を特集しました。中川は荒川放水路ができる前は1つだったのですが江戸川区と墨田区の境にある中川。青砥付近の蛇行の中川。旧江戸川にそそぐ中川放水路と3つありました。中川は荒川水系ではなく、利根川水系なのですね。中川の上流が古利根川です。青砥付近の中川の蛇行の流れが好きですね。淀川も昔は大川、堂島川、土佐堀川、安治川が淀川だったのですね。今の広い淀川は人工川でかつて「新淀川」とよばれていました。
@@heitetsu4649
確かに小学校では「新淀川」で習いました。
河内も永和もアクセントが間違ってます
ハナテン中古車センターはよりによって、保険金不正請求問題の会社に買収されたのですか。
この機に買収先を脱し、ハナテン中古車センターの名を復活させますかね。
正直、大和路線とおおさか東線ほど中古車センター状態の酷い路線は関西圏に無い気がします。東海道線(JR京都線、JR神戸線)に新車導入が優先されるのは仕方無いとして、学研都市線(片町線)がJR東西線開業で207系、321系導入となり、おおさか東線開業で普通は103系と201系の使い回しですが直通快速は223系6000番台という新車でした。これでいよいよ大和路線にも新車かそれに準ずる車両が玉突きでやって来るかと思いきや、阪和線が関空快速型223系量産で変わり、大阪環状線にも323系導入で注目される中、大和路線はいつまで経っても国鉄車がチョロチョロ。それどころか直通快速が223系6000番台→207系、321系→221系と「退化」している現実。比較的新しい車両が古い車両に淘汰される逆転現象が起こっているのがおおさか東線なのです( º дº)
寝屋川の上流に淀川と繋がる水路がある。
第二寝屋川のトラス鉄橋は、貨物列車の高頻度運転や操重車・大物車の運転を想定してたんかな?しらんけど。
関東でも昔は南武線のことを、ナンブ中古車センターなんて揶揄してましたね。
(本当にそういう店があったのかどうかは不明です)
でも関西は中古で転換クロスシート車が配属されるのですから羨ましいです。
やっぱりクロスシートはいいですね。南武線も中古車センターでしたか。確か72系の溜まり場でしたでしょうか。鶴見線の方はつい最近まで大川支線に残っていました、
@@heitetsu4649首都圏の101系の冷房改造車もJR化時点で南武線に集約されてましたな。
杉本町〜南港の一部が残ってたら、
奈良〜関空の利便性が高かったのかもね...
関西線愛知の永和駅が愛西市なのを知ったのは割合最近です。てっきり、弥富か蟹江だと思っていました。
名鉄の町方・勝幡・佐屋とモザイク状に駅がある市ですが、JRのほうは完全に盲点でしたね。町方に親類がいたので旧佐織町なのを知ってました。
今回調べたら町方の2つ先の渕高・勝幡の南の藤浪・佐屋の北日比野も愛西市内で永和を含めて7つ。
>国鉄時代の中央西線
沿線ではないので他のかたの前面展望で前に見た程度ですが、春日井も勝川も今では考えられないほどの田舎の駅ですね。高蔵寺も愛知環状線乗り入れで急遽作り直したという雰囲気がよかったです。
愛西市は佐屋も入っているのですね。確か尾西線の弥富へ行く途中にあった駅で佐屋行きに乗ったことがあります。永和駅からみるとかなり北の方にあり愛西市は細長いのですね。ちなみに佐屋駅で折り返しの方向幕回しで目的地が全然出て来ず焦っている車掌さんがいました
@@heitetsu4649 さん。
そうですか、路線と行先が極めて多いのでロール式方向幕は名鉄には向かなかったのかもしれません。
今回の永和と佐屋、隣の日比野が旧佐屋町で、西の木曽川沿い南北に細長い地域で旧立田村と旧八開村があり(駅はどちらもなし)、八開村の東に旧佐織町があり、此処が津島線と尾西線の駅がいくつかあって(これも永和同様に点在)この2町2村が合併し、津島市(鉄道駅は飛び地で2つだけ)の北南西を挟み込むような形をしているのが愛西市(駅7つ)です。カタカナのコの字を反転した形です。
今回の話とは関係ありませんが、鉄道関連なのでついでに。
愛西市駅の間にある津島駅はむしろ佐屋よりも拠点駅の意味合いが強いのですが、歴史を見ると1969年に「定期券専用の自動改札機導入」というなかなか興味深いものがありました、この前年に駅高架化があり、また阪急千里線で(切符も含む)自動改札が初導入された(地下鉄などの例を除いては)時期と重なります。
ちなみに新岐阜駅でも設置されましたが、どちらも多数の乗客が行く先はまだ金山総合駅も無かったので新名古屋駅ですが、此処には勿論そんな余裕は無いのですぐに廃止になったみたいですね。
路線の性格からすると途中駅での乗り降りが激しいわけですし、通勤型車両のほうがいい気がしますけどね。221を入れるにしてもロング改造くらいはするかと思っていましたが、
そこまでの需要がないってことなんでしょうか
さすがの転クロに人生のすべてをささげる関西人でも大阪‐放出程度ではロングシートのほうがいいでしょうし
面白すぎ
鉄道ビジネスカジュアル最高