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36歳で早逝してたのか・・・驚き生きていれば名将として名を馳せたであろうに
文字通り中堅本当に手堅い武将だった李典が補佐に付くことになった将軍の足りない部分をキッチリ補ってくれるそんな感じ学問をしっかりやってきたのもあるんだろうけど彼は元から思慮深く観察力もあったのも大きかったんだろうなぁ仮に彼自身が出世せずこのまま補佐だったとしても沢山の将兵の助けになって色々変わってたかもしれないだけに夭折してしまったのは痛手だった
対袁紹戦で兵站任されてる時点で能力は認められてるし、合肥に配置されたのも最前線での戦術参謀ポジションだったのかもしれない
横山光輝三国志で主将の補佐として付けられ 慎重な意見を出すも却下される(その結果武闘派将軍がひどい目に合う)というイメージが強いのですが実際も頭脳派よりだったのですね若くして亡くなっていたのがもったいない名将だと思いました
李典は名副将って感じだよね。曹仁や楽進という曹軍きっての猛将と組みながら時にブレーキ役、時にターボ役になって活躍。若くして亡くなってしまったのが惜しまれる。曹操が冗談にしろ耿純をたとえに出すくらいの人物だから信頼もかなりのものだろう。もし長生きしていたら漢中に派遣されたのは夏侯淵ではなく李典だったかもね。李典と張郃、郭淮なら法正でも簡単には抜けない。
李点は攻撃よりも防御率が高いイメージがあります。官渡も合肥も。
攻撃力高めな人とよく組んでるイメージ(笑)
ゲームでも戦闘 内政 知略もこなせる曹操軍の縁の下の力持ち私は蒼天航路での官渡の学者的な一面見せた李典好きでした
この人が一番知勇兼備のイメージが有りますね、他の知勇兼備の将は経験積んだ結果ですが、この人は世に出た頃から知勇兼備なイメージです
この人と楽進のコンビ好き。
李典の精神すり減ってそう
李典と楽進っていつも同じ戦線に配置されてる様な気がする曹操があえてそうしてたのか、単なる偶然か…
李典はとにかくバランスの良さがいい呉蜀であれば驃騎将軍級に思えるそれほどまでに魏の将層が厚い問題は総大将がバランス型最強と言ってもいい曹操だから下位互換に見えてしまうかもしれないが単体で見れば李典は相当の能力があると思う早世さえしなければ対呉や対蜀の前線で曹休、曹真の下で動いてそう
敵将李典討ち取ったり〜でお馴染み。
天地を喰らう最初のボス
郭嘉・曹純・李典いやまじで優れた猛者の中にいるもっとヤバイ猛者は何で早死するんだろうか~?
結構有名だと思うけど、あまり取り上げられない武将なんですよね。無茶苦茶優秀だと思うんだけど、あくまでもサポートにおいて優秀って感じがして、主役になれないんですよね。兵糧輸送や合肥の戦いも知勇兼備って感じがするんですけどね。戦国武将でいうと、秀吉の弟の秀長や毛利隆元的な感じがします。もっと、長生きをしていればもっと評価が高くなっていたかも
「ゆるせん。けちらせ」 のイメージがあるw <天地を喰らうⅡの1面ボスだった
曹魏が「愍侯」の諡号を贈ったのは、李典、夏侯淵、楽綝(楽進の息子)の3人ですね。「在国逢難曰愍,佐国逢難曰愍」国難にある時に、国を佐(たす)けるのは「愍」だということらしいです。
李典は、冷静と言うか、慎重と言うか、敵の罠・計略・意図を見抜いて献策する知性派というイメージが強いです。
ちゃんと攻めるときには果断に判断を降せるから、マジで弱点が見当たらない
蜀の張嶷の解説聞きたいかも張嶷が亡くなった時領民は大いに涙したっていうし気になる
結構前ですがth-cam.com/video/IPP_Utkpy-I/w-d-xo.html
@@KOUMEI_NO_WANADA 早速視聴します!ありがとうございます
テストで全教科78点取ってそうなイメージの人。魏の強さは、この中堅どころの層の厚さもあると思っています。
合肥で仲の悪い張遼、楽進で対呉の前線を任せる。普通なら出来ない芸当。曹操の人事の妙、凄みを、感じる
ステージ1でやられるから早めに没すると思った人は少なくない。“敵将李典、討ち取ったりぃぃぃぃ”
合肥の戦いの時はまだ『漢王朝』内での戦いとして公式に処理されるので曹操も部下に変に高い地位を与えていなかった(※故に呂布や李確政権でインフレ高位を得ていた張遼とかその他の扱いが凄くむずかしいww)んですがツートップの張遼と楽進がこの段階で(共に将軍位は雑号ながら)”仮節”を得ておりいわば『どっちが偉いねん?』という潜在的争いがあったんですよね\( 'ω')/
李典は早死しない場合、刺史を兼ねて都督いけたかな?
李典の先祖は前漢の名将李陵といわれているのであればあのキングダムで有名な李信の子孫になるのでしょうか
このチャンネル大好きです。取り上げてほしいといえば、蒼天航路に出てきたジュンイクに似た寒貧て呼ばれてた石徳林?(実在するのか?)のような、武将でも政治家でもない、その他のエピソード(小噺)とかあれば知りたいです!スゲエ侠客の話とか!
石徳林、あるんですよ…(笑)th-cam.com/video/cR-M6JB2Euo/w-d-xo.html
@@KOUMEI_NO_WANADA あったんですね!ありがとう御座います!すごい!早速観ました!まとめが素晴らしいです!
夏侯惇や張遼らとのエピソードはわりと知られていますよね。演義の方では張遼が李典を宥めた感じになってるけど。夭折しなければ、呉蜀からも無視できないような武将になったかも。君主だけではなく軍師からも大切にされそう。伸び代は張郃や徐晃クラスか!?見ていて、手前勝手に働いてる自分が恥ずかしくなったわ。。。前から思ってましたけど、BGM が好き。
逆に本当は武官になりたかったけど大豪族の長としての体面で嫌嫌勉強してた説。武力だけってレッテル貼られると、張飛レベルですら「兵士如き」となじられる世界……
合肥の歴史・風土を記した清代の書物『嘉慶合肥県志』では、「李典が合肥に駐留していた頃、先祖である李陵をまつるために紫蓬山に李陵廟を建て、李典もこの地に葬られた」とされている。李陵が匈奴に降伏した後、漢に残っていた李陵の家族は誤報がもとで武帝に誅殺され、匈奴で儲けた子供も呼韓邪単于の時代に別の単于を立てて叛き処刑されているので、李陵が李典の先祖とは考えにくいけど、その由縁で現在、紫蓬山には李典の墓がある。
おお!僕が最も好きな魏将、李曼成を取り上げていただけるとは!地味だが、冷静沈着かつ確実な仕事ぶり…こういった人物が評価されない組織は、衰退すると思います。
合肥の戦いといえば張遼の無双がまず頭に浮かびますが、個人的には曹操が本来現場が判断すべき戦術に具体的な指示を出しているのが気になります。李典ら三将をまとめて戦いの指揮を取れる人物はいなかったのでしょうか。
一応まとめ役というか目付け役みたいな立ち位置に護軍の薛悌という人物が居たとされていますが、ゴリゴリの軍人である三将軍に対して、ほぼ文官である薛悌が強く軍事的な判断を降すことは難しかった(もしくは本分ではなかった)のかなぁ、と。
張遼と楽進をまとめられる武将だと夏侯惇しかいないでしょう。
一番乗り。補給部隊を任せたこと、そして張遼、楽進と組ませたことは、冷静沈着な性格に”李典(利点)”を見出されたからだろう。流石は曹操、「唯才」の男。しかし、そんな李典も『横山三国志』では徐庶の引き立て役。彼もまた『演義被害者の会』会員の一人なのが不憫だ(笑)。
李典というか李家って初期は曹操の協力者ポジかしらね大豪族だったけど名士層とは違う感じ?
袁術で言う孫堅、劉表で言う蔡瑁、みたいな?(ざっくりかつ曖昧なイメージ)
@@KOUMEI_NO_WANADA だいたいそんな感じですよね
李家宗家は、李叔接・李進の兄弟で、叔接は当初呂布を歓迎したのですが、李進は呂布を疑って攻撃してます。李進はその後名前が出ないので恐らく殺され、李乾・李整・李典が宗家を継いだのだと思われます。李典が曹操に従属した時、乗氏李氏は3千部曲、約1万3千人の勢力がありました。人口難の当時としては、貴重な大勢力です。
運命を受け入れて淡々と働く…私も家族のために淡々と働こうと思います。
横山光輝の三國志やゲームの数値などは評価がかなり低いけど、実際はかなり優秀な魏の名将。
1面のボスにされちゃったのホント可哀想おのれカプコン
李典と言えば、天地を喰らうの1面のボスのイメージがある(笑)
みんな無口なイメージあって三人は仲良くないのかと思ってた
いつも楽しく拝見しています^ ^蒼天航路やコーエー三国志の影響で、李典=兵器ってイメージなのですが、それに関する逸話などは残っているのでしょうか??
特にそういった話はなかったはず…将軍だけど知力が高いことを分かりやすく見せるために、兵器開発キャラを蒼天航路が付属したって感じなのかもですね(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA ご丁寧に返信頂き、ありがとうございました^ ^魅力的な創作を組み込める三国志は、やっぱり最高のコンテンツですね(*゚∀゚*)b
とりあえず、空いてる所があってたら李典をいれとけばおk
なぜ李典が学問を志していたかは五大将の子や孫をみたらわかりますね。誰も経歴が残ってないでしょ? 荀彧・程昱・鍾繇・董昭・陳羣らの子供たちとの差は歴然。魏では 文官>>>(越えられない壁)>>>武官 なんです。逆に呉は教養がある陸遜・諸葛瑾・歩騭ですら武官になります。
なるほど。張コウが熱心に学問に精を出していた理由もここら辺にあるのかしらん?('ω')
合肥って、「がっぴ」じゃないのか?
太史慈の動画見たい。あるのかな?
無双シリーズのせいか、李典は「軽口をたたくイケメン」ってイメージがつよい。
Kakkoii
李乾は済陰郡の乗氏県、李典は山陽郡の鉅野県の人ですが、この二つの県の間には鉅野沢と言う琵琶湖を超えるサイズの湿地帯がまたがっていたようですね。想像ですが、この広大な湿地帯を利用した水運業とかで李一族は財を成していたのかもしれませんね。それにしても琵琶湖を超えるサイズの湿地帯とか、スケールがでかい話ですなあw
某ベルスクで1面ボスやって、56されまくった人
光栄の三国志でも初期は能力値も低くザコ扱いだったが、近年は評価も上がってきた。
36歳で早逝してたのか・・・驚き
生きていれば名将として名を馳せたであろうに
文字通り中堅
本当に手堅い武将だった
李典が補佐に付くことになった将軍の足りない部分をキッチリ補ってくれるそんな感じ
学問をしっかりやってきたのもあるんだろうけど彼は元から思慮深く観察力もあったのも大きかったんだろうなぁ
仮に彼自身が出世せずこのまま補佐だったとしても沢山の将兵の助けになって色々変わってたかもしれないだけに夭折してしまったのは痛手だった
対袁紹戦で兵站任されてる時点で能力は認められてるし、合肥に配置されたのも最前線での戦術参謀ポジションだったのかもしれない
横山光輝三国志で主将の補佐として付けられ 慎重な意見を出すも却下される(その結果武闘派将軍がひどい目に合う)というイメージが強いのですが実際も頭脳派よりだったのですね
若くして亡くなっていたのがもったいない名将だと思いました
李典は名副将って感じだよね。曹仁や楽進という曹軍きっての猛将と組みながら時にブレーキ役、時にターボ役になって活躍。若くして亡くなってしまったのが惜しまれる。曹操が冗談にしろ耿純をたとえに出すくらいの人物だから信頼もかなりのものだろう。もし長生きしていたら漢中に派遣されたのは夏侯淵ではなく李典だったかもね。李典と張郃、郭淮なら法正でも簡単には抜けない。
李点は攻撃よりも防御率が高いイメージがあります。官渡も合肥も。
攻撃力高めな人とよく組んでるイメージ(笑)
ゲームでも戦闘 内政 知略もこなせる曹操軍の縁の下の力持ち
私は蒼天航路での官渡の学者的な一面見せた李典好きでした
この人が一番知勇兼備のイメージが有りますね、他の知勇兼備の将は経験積んだ結果ですが、この人は世に出た頃から知勇兼備なイメージです
この人と楽進のコンビ好き。
李典の精神すり減ってそう
李典と楽進っていつも同じ戦線に配置されてる様な気がする
曹操があえてそうしてたのか、単なる偶然か…
李典はとにかくバランスの良さがいい
呉蜀であれば驃騎将軍級に思える
それほどまでに魏の将層が厚い
問題は総大将がバランス型最強と言ってもいい曹操だから下位互換に見えてしまうかもしれないが単体で見れば李典は相当の能力があると思う
早世さえしなければ対呉や対蜀の前線で曹休、曹真の下で動いてそう
敵将李典討ち取ったり〜でお馴染み。
天地を喰らう
最初のボス
郭嘉・曹純・李典いやまじで優れた猛者の中にいるもっとヤバイ猛者は何で早死するんだろうか~?
結構有名だと思うけど、あまり取り上げられない武将なんですよね。
無茶苦茶優秀だと思うんだけど、あくまでもサポートにおいて優秀って感じがして、主役になれないんですよね。兵糧輸送や合肥の戦いも知勇兼備って感じがするんですけどね。
戦国武将でいうと、秀吉の弟の秀長や毛利隆元的な感じがします。
もっと、長生きをしていればもっと評価が高くなっていたかも
「ゆるせん。けちらせ」 のイメージがあるw <天地を喰らうⅡの1面ボスだった
曹魏が「愍侯」の諡号を贈ったのは、李典、夏侯淵、楽綝(楽進の息子)の3人ですね。
「在国逢難曰愍,佐国逢難曰愍」
国難にある時に、国を佐(たす)けるのは「愍」だということらしいです。
李典は、冷静と言うか、慎重と言うか、敵の罠・計略・意図を見抜いて献策する知性派というイメージが強いです。
ちゃんと攻めるときには果断に判断を降せるから、マジで弱点が見当たらない
蜀の張嶷の解説聞きたいかも
張嶷が亡くなった時領民は大いに涙したっていうし気になる
結構前ですが
th-cam.com/video/IPP_Utkpy-I/w-d-xo.html
@@KOUMEI_NO_WANADA
早速視聴します!ありがとうございます
テストで全教科78点取ってそうなイメージの人。
魏の強さは、この中堅どころの層の厚さもあると思っています。
合肥で仲の悪い張遼、楽進で対呉の前線を任せる。
普通なら出来ない芸当。
曹操の人事の妙、凄みを、感じる
ステージ1でやられるから早めに没すると思った人は少なくない。
“敵将李典、討ち取ったりぃぃぃぃ”
合肥の戦いの時はまだ『漢王朝』内での戦いとして公式に処理されるので
曹操も部下に変に高い地位を与えていなかった(※故に呂布や李確政権でインフレ高位を得ていた張遼とかその他の扱いが凄くむずかしいww)んですが
ツートップの張遼と楽進がこの段階で(共に将軍位は雑号ながら)”仮節”を得ており
いわば『どっちが偉いねん?』という潜在的争いがあったんですよね\( 'ω')/
李典は早死しない場合、刺史を兼ねて都督いけたかな?
李典の先祖は前漢の名将李陵といわれているのであれば
あのキングダムで有名な李信の子孫になるのでしょうか
このチャンネル大好きです。取り上げてほしいといえば、蒼天航路に出てきたジュンイクに似た寒貧て呼ばれてた
石徳林?(実在するのか?)のような、武将でも政治家でもない、その他のエピソード(小噺)とかあれば知りたいです!スゲエ侠客の話とか!
石徳林、あるんですよ…(笑)
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@@KOUMEI_NO_WANADA
あったんですね!ありがとう御座います!すごい!
早速観ました!
まとめが素晴らしいです!
夏侯惇や張遼らとのエピソードはわりと知られていますよね。
演義の方では張遼が李典を宥めた感じになってるけど。
夭折しなければ、呉蜀からも無視できないような武将になったかも。
君主だけではなく軍師からも大切にされそう。
伸び代は張郃や徐晃クラスか!?
見ていて、手前勝手に働いてる自分が恥ずかしくなったわ。。。
前から思ってましたけど、BGM が好き。
逆に本当は武官になりたかったけど大豪族の長としての体面で嫌嫌勉強してた説。武力だけってレッテル貼られると、張飛レベルですら「兵士如き」となじられる世界……
合肥の歴史・風土を記した清代の書物『嘉慶合肥県志』では、「李典が合肥に駐留していた頃、先祖である李陵をまつるために紫蓬山に李陵廟を建て、李典もこの地に葬られた」とされている。李陵が匈奴に降伏した後、漢に残っていた李陵の家族は誤報がもとで武帝に誅殺され、匈奴で儲けた子供も呼韓邪単于の時代に別の単于を立てて叛き処刑されているので、李陵が李典の先祖とは考えにくいけど、その由縁で現在、紫蓬山には李典の墓がある。
おお!僕が最も好きな魏将、李曼成を取り上げていただけるとは!
地味だが、冷静沈着かつ確実な仕事ぶり…
こういった人物が評価されない組織は、衰退すると思います。
合肥の戦いといえば張遼の無双がまず頭に浮かびますが、個人的には曹操が本来現場が判断すべき戦術に具体的な指示を出しているのが気になります。李典ら三将をまとめて戦いの指揮を取れる人物はいなかったのでしょうか。
一応まとめ役というか目付け役みたいな立ち位置に護軍の薛悌という人物が居たとされていますが、ゴリゴリの軍人である三将軍に対して、ほぼ文官である薛悌が強く軍事的な判断を降すことは難しかった(もしくは本分ではなかった)のかなぁ、と。
張遼と楽進をまとめられる武将だと夏侯惇しかいないでしょう。
一番乗り。補給部隊を任せたこと、そして張遼、楽進と組ませたことは、冷静沈着な性格に”李典(利点)”を見出されたからだろう。流石は曹操、「唯才」の男。しかし、そんな李典も『横山三国志』では徐庶の引き立て役。彼もまた『演義被害者の会』会員の一人なのが不憫だ(笑)。
李典というか李家って初期は曹操の協力者ポジかしらね
大豪族だったけど名士層とは違う感じ?
袁術で言う孫堅、劉表で言う蔡瑁、みたいな?(ざっくりかつ曖昧なイメージ)
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李家宗家は、李叔接・李進の兄弟で、叔接は当初呂布を歓迎したのですが、李進は呂布を疑って攻撃してます。李進はその後名前が出ないので恐らく殺され、李乾・李整・李典が宗家を継いだのだと思われます。李典が曹操に従属した時、乗氏李氏は3千部曲、約1万3千人の勢力がありました。人口難の当時としては、貴重な大勢力です。
運命を受け入れて淡々と働く…
私も家族のために淡々と働こうと思います。
横山光輝の三國志やゲームの数値などは評価がかなり低いけど、実際はかなり優秀な魏の名将。
1面のボスにされちゃったのホント可哀想おのれカプコン
李典と言えば、天地を喰らうの1面のボスのイメージがある(笑)
みんな無口なイメージあって三人は仲良くないのかと思ってた
いつも楽しく拝見しています^ ^
蒼天航路やコーエー三国志の影響で、李典=兵器ってイメージなのですが、それに関する逸話などは残っているのでしょうか??
特にそういった話はなかったはず…
将軍だけど知力が高いことを分かりやすく見せるために、兵器開発キャラを蒼天航路が付属したって感じなのかもですね(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA
ご丁寧に返信頂き、ありがとうございました^ ^
魅力的な創作を組み込める三国志は、やっぱり最高のコンテンツですね(*゚∀゚*)b
とりあえず、空いてる所があってたら李典をいれとけばおk
なぜ李典が学問を志していたかは五大将の子や孫をみたらわかりますね。誰も経歴が残ってないでしょ? 荀彧・程昱・鍾繇・董昭・陳羣らの子供たちとの差は歴然。
魏では 文官>>>(越えられない壁)>>>武官 なんです。
逆に呉は教養がある陸遜・諸葛瑾・歩騭ですら武官になります。
なるほど。張コウが熱心に学問に精を出していた理由もここら辺にあるのかしらん?('ω')
合肥って、「がっぴ」じゃないのか?
太史慈の動画見たい。あるのかな?
無双シリーズのせいか、李典は「軽口をたたくイケメン」ってイメージがつよい。
Kakkoii
李乾は済陰郡の乗氏県、李典は山陽郡の鉅野県の人ですが、この二つの県の間には鉅野沢と言う琵琶湖を超えるサイズの湿地帯がまたがっていたようですね。
想像ですが、この広大な湿地帯を利用した水運業とかで李一族は財を成していたのかもしれませんね。
それにしても琵琶湖を超えるサイズの湿地帯とか、スケールがでかい話ですなあw
某ベルスクで1面ボスやって、56されまくった人
光栄の三国志でも初期は能力値も低くザコ扱いだったが、近年は評価も上がってきた。