『日本神話』謎多き神ニギハヤヒ~文献から読み解くその正体とは?~
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- เผยแพร่เมื่อ 30 ก.ย. 2024
- 日本神話には、森羅万象を司る八百万の神が登場し
古代日本の様々物語を彩っています。
ニギハヤヒは天津神の一柱であり、
「古事記」「日本書紀」では神武天皇がヤマトの地を平定する物語「神武東征」において、
神武天皇より以前からヤマトの地にいる神として登場します。
古史古伝と呼ばれる記紀以外の文献では、
ニギハヤヒのものとされる様々な説話が残っており、
近年の古代史研修においてひそかに注目される存在となっています。
今回はそんな謎多き神、ニギハヤヒについて囁かれる様々な説についてご紹介します。
・当チャンネルで調べた範囲のことをご紹介しています。
学術的、専門的なものではありません。
・ご紹介する説はあくまで一説です。
特定の説を真実であると主張する意図はありません。
色々な考察をお楽しみいただければ幸いです。
・特定の国家、地域、団体、宗教、歴史について
事実を歪曲したり、批判したりする意図はありません。
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ナレーション:ぽっこ さん
BGM フリー音楽素材 H/MIX GALLERY 秋山裕和 様
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#ハテナ見聞録 #日本神話 #ニギハヤヒ - บันเทิง
ニギハヤヒ 千と千尋でも龍として描かれていますね
「アマテラスの暗号」という「ダビンチ・コード」のようなベストセラーの歴史ミステリー小説にニギハヤヒの秘密が書いてありました。衝撃的な内容で、小説としても秀逸でした。
天照大御神のルーツとキリスト、
曽根八幡の一つ物神事、
久保有政セミナーが詳しいです。
ニギハヤヒ伝承は、古代九州北部の 豊国・ウエツフミに記載しているそうです。
ウガヤフキアエズ王朝の豊国にもニギハヤヒの伝承有りですね。特に高木産霊命と深い繋がりが 有るので、田川市の春日神社に ニギハヤヒが、降臨した史実が、有りますけど。ニギハヤヒの幼い頃から過ごした 「 田川地域 / 古代地名 : 多賀 。特に香春町又は、赤村等… 」は、その王子の御陵だろうとする、古墳があるらしいのです。
史実上、イザナミ命が、古代豊国で、ニギハヤヒを産んだ訳です。古事記や日本書紀は、結構 奈良時代、当時の編纂の際に、かなり隠さなければならぬ史実を改竄する作業を行っていたと言うことは、誰でも ご存知でしょう。
とても興味深い内容でした。
古事記や書記に隠された歴史。
ニギハヤヒの名前と共に、大勢の日本人に広まって行くのでしょうね。
秋田氏(安東氏の末裔、鎌倉期に蝦夷管領を名乗った)には、
自分たちは長髄彦の兄安日王(あびおう)の子孫であり、長髄彦が神武東征で殺された時に秋田に逃れたという伝承が残っているそうです。
関西でも河内は、饒速日命、物部氏にアイディンティティを感じている人間は多いです。これに対して大和地方は大神神社、蘇我という感じですかね。何せ未だに蘇我、藤原で居酒屋で盛り上がる土地柄です(笑)
ニギハヤヒの主流子孫の物部氏が蘇我氏との争いに敗れて権勢を失ったから、必要最小限の記述だけ残して讃えるような内容を抹消されたんじゃないでしょうか?
古事記編纂712年、物部麻呂死去717年、日本書紀編纂720年。物部麻呂は晩年は太政官であり、形式的には臣下No.1、しかし実権は中臣氏が握っていた。この状況だと古事記編纂時はまだ物部麻呂健在であり、少しは物部氏への配慮があったと思う。日本書紀編纂時は麻呂の死去後であり、中臣氏のやりたい放題だったでしょうね。
千と千尋思い出す。ハクーー!
千葉県の北西部の地域には饒速日命を御祭神とする鳥見神社が多く、物部氏の子孫も移り住んだという話を聞いたことがあります。
家の近くの氏神様も饒速日命なので、興味深いですね✨
多分失われた記録もあるでしょうから、そこに今残ってない神の記述もあるかもしれませんね。
私自身の個人的な意見として。
物部氏の初代はウマシマジ命。そして物部氏が大和=近畿地方に侵入するまでにその地を支配していたのは、
出雲族の代表者である大国主命の後裔だったタケミナカタ命と、出雲族と協力関係にあった事代主の海人族だった。
この二人の関係は、丁度ナガスネヒコとニギハヤヒの関係と全く同じ。
神武天皇が大和にやって来た時、事代主は神武天皇側に付いて自分の娘を神武天皇の后にしている。
結論。神武天皇(イワレヒコ)に対するニギハヤヒの行動は、本来は事代主のやった事だった。
物部氏は河内・大和における居住権・支配権を正当化する為、元々近畿地方が舞台だった出雲族の国譲りを山陰地方に書き換え、
大国主以後のリーダーだった事代主の行動を、ウマシマジの先代である饒速日のやった事として、近畿地方における出雲族の痕跡を抹殺した。
また、三輪山に祀られていた事代主の存在を隠す為、「事代主」の名を「大物主」にすり替え、饒速日が祀られているように誤魔化した、と
考えています。
ニギハヤヒが本当の天照だろうね。
歴史学者が認めるところだが、古事記や日本書紀が正史となったのは江戸幕府が公認してからだ。それまでは記紀は偽書とされ、先代旧事本記が正史とされてきた。同様の事は清少納言の日誌にも書いてある。また崇神天皇は天照御魂神を,景行天皇は天照皇大神 の諡号を邇芸速日尊に奉っている。邇芸速日の母の萬幡豊秋津師比売は伊勢内宮の本殿に相殿神として主神の大日孁貴と合祀されており、この事から大日孁貴が邪馬台国の卑弥呼に、萬幡豊秋津師比売は台与に比定されている。十種神宝の授与は天照大神が邇芸速日尊に譲位した証ではないだろうか?
今回も、非常にロマンチックな考察誠に有難うございます。
ハテナ見聞録を見て!なおさら
日本🇯🇵の古代史に興味を持つ様になりました!
個人的に思うのは、史実を知るのも大事だと思いますが!
やはり日本🇯🇵の古代史は史実よりも
ロマンを感じたいと思います。
何か今回の話を聞くと、富士古伝が正しいのかなと思います。富士の裾野にあった王朝が、噴火により近畿に移り、大陸からの防衛の為、九州にも王朝を置いた。けど、脅威も無くなり戻ろうとしたが、永らく離れていたから意思疎通がなくなり、敵対したが共通の印、宝で和解した。ニギハヤヒは、本当はもっと重要だが、それを詳しく説明すると、富士王朝の存在を隠せなくなるので割愛したのでないかな?
フリーステッキさんへ、お勉強されていますね、杖は、ツタンカーメンから、とったハンドルネームですか?
古代富士王朝は、徐福が 、秦王国から、大勢の民達を多数の船で、古代日本へ亡命して、当時の九州から上陸して、東日本の関東で、徐福の王朝王国を築いた訳です。
「 宮下文書 」ですか…。
ご参考な迄に。👩✈️☝️
島崎由加利 様 そうですね、宮下文書の件を今回の動画で思い出してね。ニギハヤヒがそんなに記述されてないと推測しただけです。
国連では、アスクレピオスの杖とありますが、本当は、1神教を推奨した。ツタンカーメンですよ。姉を毒蛇で、暗殺して、罰を被り、なくなったのですよ。
記紀編纂の際に各豪族が重視したのは、如何に自らの祭神。つまり自らの氏族の先祖である祖神を由緒正しくするかだ。
それはつまるところ、どれだけ天皇家にとって重要な位置づけにある氏族であるかを示す事になる。
ニギハヤヒは神武東征で対抗した神だから、当然、記紀で良い役割ではない。これは蘇我氏に対抗して衰退した物部氏の祭神だからだろう
しかし物部氏とともに仏教受容問題で蘇我氏と対立した中臣氏の祖神の天児屋命や建御雷神では重要な地位にある
まあ、これは明らかに中臣氏の一派が記紀編纂時には藤原氏として絶大な影響力を誇ったからだろう。中臣氏は古くから祭事を司った氏族だし。
これらのことが中臣氏はそれだけ古い氏族だって事も伺わせる。
物部氏と同じ大連の地位にあった大伴氏の祭神はアメノオシヒ
天孫降臨で瓊瓊杵尊で随伴した神とされる。瓊瓊杵尊に随伴したとされる神の子孫は布刀玉命は忌部氏の祖神だし、サルタヒコやウズメの子孫の宇治土公氏の祖神
どうにも神事や祭事を司る氏族の祖神が多いな。
これはこれらの氏族が古代、それも神武東征の時代かそれに近い時代あたりから大王に服属した、古い氏族だって事ではないかと思う
それに瓊瓊杵尊に随伴した氏族を祖神とする氏族は、神武東征の際に神武に随伴した氏族ではないかと考えたこともあったけど
それぞれの氏族を調べていけば、どうもそうではないらしくも感じるな。
また、その点で言ってもニギハヤヒ命とそれを祖神とする物部氏は特殊なんだよね。祭事を司る古い氏族でありながら、その祖神のニギハヤヒは神武天皇の対抗者だった
いっそのこと、古い氏族はどこも神武東征の対抗者か随伴者の子孫だったで判別できれば簡単なんだが、そうもいかないらしい
記紀編纂時の政治的な事情や実際の歴史など、色々と考えられながら記紀での神の位置づけが定められたのだろうが、難しいものだ
日本神話以前の方が化学的にも歴史的にも重要。地球レベルで解明されることがたくさんある。
秋田県には物部氏が代々宮司を勤める唐松神社があります。この唐松神社に伝わる物部文書によると、物部氏の祖とされる饒速日命は鳥海山に天磐船に乗って降臨し、近くの唐松山に日の宮を建てて、持参した十種の神宝を収めたという神代の伝説が残されている。また唐松神社には十種の神宝のうち、5種の神宝が所属されているそうです。
饒速日とは物部の元祖となる日神の大歳(徐福と神大市姫の子)ではないでしょうか? 天つ日嗣として大和へ婿入りした先が出雲から大和へ離散した第2出雲王朝(登美家)だという古伝がありますし、同時期にニニギも天つ日嗣だったようです。もしそうなると万世一系や出雲国譲りが否定されてしまうので何よりも隠したい神になったのでしょうね。
73世 武内宿禰こと竹内睦泰さんが言うにはニギハヤヒは素戔嗚と櫛名田比売の間に生まれた四男で本名はオオドシと言うそうです。
天照=天ではなく本当は海を照らすと書く。国照=出雲を捨てて国の中心である大和を取ったから。櫛玉=呪術も含め最強。
ということみたいですね。アメノトリフネを使い長髄彦を倒したと言ってました。(長髄彦配下に置いたと考えます)
古代日本はおもしろいのですが、なかなか難しいですね☆
ニンギパヤピ 昔の日本語ではハ行は発音できやない......かな?
日本の初代天皇は饒速日である
饒速日は奈良の三輪山に葬られている
北九州あった「倭国」が679・684年の地震で、田んぼがひび割れ水が使え泣きなり、奈良へ遷都した、北九州には「廃寺」跡が沢山有ります。(福永晋三」説。
三輪山? オカルト話もいい加減にせんと。
ニギハヤヒコこれは日本神話に或る謎多き神です、古事記以前に文明があり大和政権は隠すために古事記を作り今に至る。
チェンソーマンの早川アキのモチーフってニギハヤヒだと思う
日本の偽書扱いの古文書では「竹内文書」や「上記(ウエツフミ)」もあるが、
触れなかったな。。。
また、龍神というと須佐之男命や市杵島姫命(弁財天)のイメージが強いですね。
いずれも水に密接に関係のある神様ですね。
ニギハヤヒは逃げる早い日、つまりは冬至の太陽を表しています。
徐福。天火明命、饒速日は同一で徐福。
天照大御神は男神で女神は似た名前の子孫。
天照という御神名、天照大神様以外にもいらっしゃったのですね。
天を照らして国も照らす、すごい神様のような気がします。
物部真椋とその子孫(又は係累)で呪術部隊やってた須佐連と須佐之男信仰と出雲臣と出雲平定と朝廷との政治的交渉とか考えるとにやにやしちゃう
お話を聞いて今まで納得のいかなかったところが、だいたい理解できました。もう少し調べてハッキリとさせたいと思います。急になが恒彦をうらぎったところが納得できずにいたのですが、だいたい想像してた通りでした。古代のことは調べても意味がないと言う人も居ますが~。
神武の母はわかっていますが、父がわからないのです。にぎはやひがいは異父兄ならながつねひこを裏切るのも解ります。
あめのほありは神武天皇によって、
真清田神社に祭られました。
尾張氏の祖がアメノホアカリ
長い名前で
すべては徐福から
大変、勉強になりました😆👍✨‼️
古代に、薩摩半島の南の沖の大噴火で、半島や大陸に逃げていった縄文人がいる。その集団が、大陸の技術や知識を持って戻ってきた頃、大陸の西側から、中華文明圏に移住してきた集団も一緒に移ってきた可能性もあります。その時古代神道ができた可能性があるのでしょう。
こうなると、記紀の方が怪しい
長髄彦いきなりうたれてかわいそう
八咫烏が暗殺したのか
出雲口伝では、徐福が2回目に渡来して来た際に饒速日と名乗ったとあります。そして彼が連れて来た一族が物部の祖先だとも伝えています。
天の火明命から10種の神宝を授かり大王になりました。妻ミカシヤ姫の兄ナガスネヒコが抵抗するも神武軍に敗れ、その子ウマシマチから神宝が神武に渡ったと承知しています。如何でしょうか。
古史古伝が多く存在しているが、岩文字もそうである、
古代日本には文字が無かったと何故言われるのか?
トトがシリウス星人だったからホルスじゃない?
日の神が日本の「朝昼晩、春夏秋冬、東南西北」を経て1年を賑々しく行幸することを擬人化してニギハヤヒ尊といわれるのでは?物部氏と共に滅ぼされた「トウアマリフタミチ」の思想であるのよ
勉強になりました❗
鎌足が書き換えた記紀にないから ミステリアスな対象になるとは。
ミコトのイントネーションですがミ(↓)コトではなくミ(↑)コトでは?
ちょっとあまりに気になったので。
饒速日はニニキネの孫ですね。
ニギハヤヒはスサノヲとクシ稲田姫との息子でしょ。
アマテル・クニテル・ルルルルル~♪
ありがとう
天鳥船(あめのとりふね)を何で空飛ぶ舟にしたいのかな?
海を鳥のように速く進む舟で良いよね。
その舟を作れるのがが鳥之石楠船神ではないのかな?
ニギハヤヒは、天照大御神から命じられてヤマトの国を治めに行ったのに、なぜ神武天皇と争うのかね。仲間じゃあないのかね。
ニギハヤヒ=大物主神(伏義・八卦祖師)です。
日本では、最高神格となります。
誰かチャネリング出来る人だったかな、
名前はアマテラスじゃなくてアマテルなんだよ~って言われたらしいが、そうなのかな…ワイはチャネリングとか出来んしわからんけど(´・ω・`)
もともとは男性神だったのではないかという説がありますね
「アマテル神社」という古い神社が京都にあって、そこでは男性神ですし、アマテラス神を奉じて大和姫がたどりついた伊勢神宮では、主神(=アマテラス)に「妻」がいるんですよね
記紀を編纂するときに女性神にして皇室の祖先にもってきた。女神にすることで、持統天皇が女であることの正当性を作ったのではないかという話も。
以前に龍神様がついていると言われた事があります。
ちゃんとしなくちゃと思いました😊
東洋では、守り神、西洋では、悪魔を記されていますよねぇ~謎?
ニギハヤヒは徐福
徐福懐かしいwww始皇帝に「不死の薬」を求め日本へやって来た方
That’s right !🍻
しごとが早い!
瀬下津姫ももしかしたら天照大神かもしれない…。
愛知県春日井市味美の「味美」の地名由来を調べていたらここに辿り着いた…
味美の味は隣の町名の「味鋺」から来ているとの事。「美」は美しい田んぼの意味だそう…
なら名古屋市寄りの春日井市エリアにやたら「味」が付く町名が多いが「味鋺」の地名由来は?と調べたら、味鋺神社に祭られている次の二柱の神様:
宇麻志麻治命(うましまぢのみこと)(『先代旧事本紀』では味間見命(うましまみのみこと))
味饒田命(まじにぎたのみこと)
(この二神は親子であるということだそう)から来ているとの事。
そして「饒速日命(ニギハヤヒ)」は宇麻志麻治命の父だそう…
ニギハヤイとニニギノミコト。
ニギハヤイは握るのが速いと言う意味合いの名称です。
ニニギは二つの木を握る、この二つの木とは善悪と命の木の事です。ニニギは天武の置き換え、ニキハヤイは徐福の事です。
徐福は紀元前219年、秦の始皇帝の時代に沖縄に渡り、アーマンチュと名乗ります。アーマンチュは天津神ですが、日本語の表記ではアマミクと称します。
天武の資金は沖縄のタカラ貝になります。
歴史を考古学的にピンポイントで証明、立証するのもいいのですがイロイロな伝承等から歴史の大筋の流れを固めて行くという手法も面白くロマンがあると思います。所詮、温故知新ですが誇りを持って次の世代に繋ぎたいものです。
ハテナ見聞録のナレーターのかたは尾張、愛知のかたなんでしょうか。いつも訛りがすごいきになってしまいます。
太陽神じゃないよ。ムーの時に地球には居たよ。神のひとりだけどね。
ニギハヤヒは、スサノオ直系の血族ですよね
スサノオと、クシナダとの子供スセリ姫
その夫オオクニ主との子供
出雲の八重垣にスサノオ アマテラス クシナダ が仲良く画かれてます。アマテラスとスサノオとの血族 ニニギノミコトなのでは
ニギハヤヒとスサノオは同じ人
good🍻!
ベートーベンの前世が饒速日命
舟杉忍 ウマシカ!
スサノオ。これも古事記が徐福の隠蔽、暗号として捻りだした創作。
徐福は中国の蘇州(江蘇省)出身との伝承から、
徐福は蘇州から来た→蘇州のから来た男。→蘇州の男。
[蘇州を反転(常套手段)して]、州蘇(スソ、スサ)の男。
『スサノオ』に適当な漢字を充てて須佐之男。素戔之男。
事代主命は、元来は出雲王国の副王の役職名、少名彦(スクナヒコ)の別称で表記は、言治主。
この事代主命と目されるお方は、出雲王国第8代少名彦の八重波津身命。
今、事代主命の正式な神名は、ツミハ八重事代主命。
あきらに賢き八重波津身命(天皇家の直系祖先です)のお名前をバラして反転させた事が判ります?
生駒山!いってた!笑笑
河内に住んでたよ!
ワクワク!今頃!