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安東さんは今はアルゼンチンで貿易商をやっています。日系アルゼンチン人(約10万人)の間ではよく知られています。長髄彦は「先代旧事本紀」(物部氏文献)では饒速日尊から切られてはいません。饒速日尊の子孫は膨大な数の日本国民になっています。この本紀には国造(くにのみやっこ)【=地方の豪族】がこの日本列島を開拓して行った事がその「国造本記の章」に書かれています。
最近、お目にかかれないと思ってましたが〜。残念ですね。安東さんの発信するのをいつも、楽しみにしてましたよ。
趣味が饒速日命を使わして頂いております😄この度は配信ありがとうございます😊かつて長髄彦が祀られていた添御県坐神社に是非お越しください。宮司さんから長髄彦が親方様として慕われていた伝承のお話はとても感動的です😊
茂木先生の無茶振りロケ決行😸✨風の中のびのびして楽しそうに歴史を語る茂木先生の姿がうれしいです💕ず~っと聞いていたい~🤭茂木先生の国見的な地勢の解説 大好物です💕こちらは石清水八幡宮の山なんですか‼️そして向かいのあれが生駒山~✨麓に石切神社が 向こうがヒノモト?ヤマト?‼️うぉ~😻カンドウ茂木先生が前は海で~と云うとパーンと輝く海が脳内に広がります😸✨臨場感 空気感 風通る 晴れ晴れ~の現地での歴史講義🌸最高に豊かな学びのご配信をありがとうございました🙇💕私は封印された縄文の女神の瀬織津姫がきっかけでニギハヤヒが気になっています。あちらこちら謎だらけ‼️縄文のナガスネさんも気になる‼️ホアカリさんも先代旧事本紀もホアカリさんの妻も息子さんも気になる~‼️ (出雲口伝はすごい!とは思うけどまだ腑に落ちない🙇💦)茂木先生のこれからの神考察に興味津々で大注目しております😸💕 20240415am11
近鉄奈良線富雄駅の近くにある添御縣坐神社では、主祭 27:13 神のお名前は、違いますがナガスネヒコをお祀りしているとのことです24:27
茂木さんには、詳細な日本の通史を本にしていただきたいです、是非!
安倍さんが亡くなった場所が大和西大寺(ご先祖長髄彦の国)‥‥鳥肌が出ました。
安倍さんは、とっくに死んでますよ。ロンメル死 です。一般に解らせるために、一芝居したんですよ。スーツの中に血を出す、チュウーブが入っていたんですよ。
三炊屋媛(みかしきやひめ)、なるほど、名古屋弁でお米を研ぐことを「かす」と言いますが、その昔「お米かしといて」と姑に言われて「お米貸しといて???」となりました。「炊」=「かしき」ですか。何か繋がりがあるかもしれませんね。日本書紀にもあるようですが、方言も大切に伝えていかなければなと思いました。今では「お米かしといて」を言う人も少なくなりましたから。
私は30年くらい前からドラヴィダ人が気になって気になってましたが、最近色んな書籍やらTH-camやらで、歴史の開示がされてきたので点と線が繋がりました😀
最近気になっているニギハヤヒやナガスネヒコ…実家が神道で祝詞からも天津神アマツカミ=天孫族=天皇家、国津神クニツカミ=土着の神・民族=日本の縄文人等々、謎であった一面がこの動画で少し明らかになってきました。いつもありがとうございます😊
私も気になって気になって仕方がない人です😌✨
茂木先生は何故、登美家(向家)の出雲の伝承を参考にされないのか不思議です。私も色々と読み調べましたが、記紀を解釈する上で参考にするのは有りだと思いますよ。全てを鵜呑みにしなくても良いですし、私も鵜呑みにしてませんが、なかなか具体的に書かれていますので私は大元出版の本はお勧めします。記紀を解釈するのに何故か研究されている方々は四国に注目するんですよね。もちろん四国も重要ですが、その前に出雲王朝(王国)を調べてみてはいかがでしょうか。
備前一宮の石上布魂神社の宮司さんも物部氏ですね。ウマシマジの神陵があるのは石見一宮の物部神社。
最初の「日本をかっこよく」でニヤけてしまいます・
茂木さーん奈良で写真ありがと今も大事な思いでです。
イコマ山は出雲口伝にある様に九州から物部氏イクメ大王活目入彦五十狭茅天皇第11代垂仁天皇が、第二次物部氏東征で大和に侵攻、降臨し陣を張った場所なのでしょうね。それが記紀に神武東征神話として書かれたモデルのひとつになった出来事のように思います。茂木先生が以前の動画で訪れておられた山形秋田県境の鳥海山に降り立ったとされる唐松神社に伝わる秋田物部氏の饒速日降臨伝説が内容的に似ているのは、ニギハヤヒは東国を平定した後、大和まで進み、ナガスネヒコと和睦して畿内に留まった 。だが、神武東征が始まるやナガスネヒコを裏切り、神武に帰順するという『日本書紀』と同じ内容であったのは、同じ物部守屋の一子、那加世からの物部氏子孫に伝わる伝承だったからでしょうね。また安倍元首相の先祖とご自身でも言われていた様ですが、出雲系富家親戚の孝元天皇の皇太子大彦命(長髄彦)が安倍姓に改姓し、東征してきた物部氏に大和を追われ、はるばる東北に逃げ延びた追討説話だったのでしょう。そこが饒速日が天孫族でありながら、先に大和に進出し第9代まで初期天皇家として治めていた出雲族磯城王家までもを統率していたかの様に物部氏に伝わった理由であり、日本書紀に出雲系の長髄彦が饒速日に恭順し、饒速日(物部氏)に殺された。とされた理由なのかもしれませんね。また出雲口伝の様に、この邇邇芸命さんより先に降臨(渡来)した、もう一方の天孫である饒速日命とは、実は渡来人の徐福の自称のことで、対外上の理由により渡来人であることを伏せるために、それがもう一人の天孫邇邇芸命として書かれた理由でもあるとすると、トンデモ論とされる出雲口伝がとてもすんなり納得できてしまう気がします。面白いですね。
丁度、茂木先生の「日本思想史マトリックス」を読み始めていたところです。今日のお話が読み始めのところと重なって、とても興味深く見させて頂きました。もう年なので、頭に中々入らないのですが(特に神様の名前 (;^_^A)茂木先生のお話や話の進め方が良くて、分厚い本も少しずつですが読み進んでいます。というか、毎日読みたいという感じです。もっとお話が聞きたいので、またお願いします。ありがとうございました。
安日彦は長髄彦の弟ではなく兄ですね。津軽の十三(じゅうさん)には長髄彦を祀った神明宮という神社があります。十三は「とさ」とも読みますが「とみ」とも読めます。長髄彦の拠点だった大和の登美(とみ)、出雲王家の富(とみ)の繋がりだと思っています。
今回はロケーション最高でした。石清水八幡宮、男山八幡宮あたりからは淀川の対岸の生駒山地まで眺望できるんですね‼️それにしても茂木先生は関西に移住するべきですね。関西、西日本の精神的振興には茂木先生のような人財が必要です。
始めましてkenと言います。五十猛君は2度目に渡来してきた徐福の子、正月の神オオトシに憧れてオオトシ彦を名乗った。東王家と西王家の正統な血筋のクシヒカタ君の妹と一緒になった。3度目に渡来してきた徐福はニギハヤヒを名乗り、宗像家の市杵島姫との間にヒコホホデミとホヤ姫生んだ。徐福は異母兄弟で子を作らせ生まれた子が村雲君。個人的には徐福を許せない!!! 出雲口伝に真実が有ると考えています。茂木先生出雲口伝とホツマツタヱを組み合わせると見えない物が見えて来るんじゃないでしょうか??? 記紀はおとぎ話…って感じです。
ほぼ繋がりました!銀河から伝わってきます!中身を見なくても、ほぼ繋がりました。
生駒山の奥の奈良に大神神社があって大物主が祀られています。大物主は出雲で大国主命に仕えていた人物で大変優秀だったため天照大御神にも気に入られて、奈良の桜井の辺りに住むことを許されて国譲り後も政治に関わっていたようで桜井には出雲という地名があります。もしかするとナガツネヒコは出雲の大物主と関係があったのかも知れませんね。
茂木先生がニゲハヤヒ好きなのは薄々気付いてはいました😊
ゆきやこんこん〜🎵ほんと近所に来てくれてたんですね!
あらかし公園やないですかよくこの景色を眺めに来ました😊
すごい!よくおわかりで!コメントありがとうございます。私たちも近所ですが、改めて訪れてみると良い風景でした。
いやはや、とても勉強になりました!出血大サービスですね!茂木先生のお話を聞いていて、やはりチンギスハンは義経でまちがいないんじゃないかな?と思いました。東北というのは、日本にとってなくてはならない場所だったんですねぇ。ユダヤ人は寒いのが苦手だってのかなぁ(^^)
え?海だったんだ〜生駒を見てました東大阪に、、、昔、生駒山で夜景見ていた時にUF O見たいな変な物をみました、、、
7000年前、縄文海進のため、大阪平野や濃尾平野や関東平野は内陸まで海岸線が入り込んでいた。「縄文海進」とは、約7000年前ころ(縄文時代に含まれる)に、現在に比べて海面が2~3メートル高くなり、 日本列島の各地で海水が陸地奥深くへ浸入した現象をさす。 神武東征時の大阪平野は縄文海進を考慮にすれば、古事記や日本書紀の記述が正しいことが分かる。つまり、神武東征は旧約聖書同様に史実であることが分かる。大阪城のある、上町台地は、陸地であった。 濃尾平野では、岐阜市や大垣市の方まで海が迫って来ていた。名古屋城のある名古屋の中心部は10m以上あり、水没から免れているエリアであり、城はちゃんと考えられた場所に作られている。岐阜城や各務原台地も水没から免れているエリアである。 関東平野では、川越にも貝塚があったことから、海岸線が川越あたりだったことが分かる。江戸城、川越城は、先に触れた大阪城・名古屋城同様、しっかりと台地の上に建てられている。
地元民です!ここにも来たことあります。敬愛してやまない安倍元総理とこのような繋がりがあったなんて!感動してます。解説下さりありがとうございます
出雲口伝で、長髄彦=大彦(中曽大根彦)なのですが、息子の武渟川別と沼川姫の名前が似ていたり、第2代綏靖天皇(建沼河耳命)と、兄の神八井耳命(多氏の祖)が重なるのも気になっています。多分、同族。一人の人物だと考えないで、協力し合ってた部族だと考えると良いのかも。ニニギも饒速日も、カルデア人の一派、アメニギから来ていて、ニンギルスという神に関係があるという説があります。両神の父神の天忍穂耳命(正勝吾勝々速日天之忍穂耳命)の名のカツカチはコーカサスのことなのだとか。饒速日も火明命も実際にいた人物というより、部族が祀った年神様(ニンギルス)の名前だったのかも。渡来した徐福はヨセフとも重なり、その信仰を持っていたのかも。父神の天忍穂耳命は、天忍日命(大伴氏)と天穂日命を合わせたような名前だなと思っていたのですが、大伴氏とセットなのが大久米命で、天槵津大来目や天穂津大来目とも書かれ、天穂日命とされたのは大久米命のことなのでは?とも思ったりします。久米氏はクメールや熊襲とかとも音が似ていて、入れ墨をしていた海の民。大伴と久米は豊石窓神・櫛石窓神(合わせて天手力雄命)とも考えられ、ソロモン王(オーモン→大物主)とヒラム王(フェニキア王)の関係とも重なります。
動画みたあとまず調べたのは、ナガスネヒコは何処で抵抗したのかだ。孔舎衛坂という場所で、大和へ至るルートの入り口、グーグルアースでみると生駒山を縫うように奈良盆地へ至る道が走ってる。他は崖しかなくこの場所で懸命に大和へ通じるルートを守ろうとしていたことは明かだ。河内湾に碇泊している神武軍を、おそらくナガスネヒコは崖の上から一方的に矢を放って攻撃している。東の空に昇っていた太陽がまぶしかったのだろう、神武軍はすぐさま反対側に回り込む航路に変更している。変更を指示した兄の五瀬命はこのときナガスネヒコ軍の矢を受けて負傷しており、まわりこむルートの途中でなくなっている。(神武東征のあの熊野古道のルートまで五瀬命が軍を指揮していたのかもしれない。すなわち五瀬命東征)奇妙なのはこの間、期を同じくして長髄彦も饒速日命もなくなっている。それにもまして不思議なのは国譲りのあと神武は国つ神の系譜である比売多多良(タタラ)伊須気余理比売と結婚している。この一連の出来事は出雲側が何を譲り、何を譲らなかったかという視点で考えれば理解しやすい。
源平合戦の様に平も源も入り組んで戦う様に饒速日尊は出雲系のナガスネヒコの嫁を貰いで両者一枚岩ではないでしょう、此方の交野には秦物と呼ばれ地域があり、また機物神社と言われるかなり由緒深い神社もありますよ!
饒速日がホアカリで、しかも徐福だという口伝があるということは、饒速日は徐福の時代の人ということも考えられるのではと思います。となると神武東征もその頃なのでしょうか。
茂木先生外出て楽しそう〜😂
もう一つ、東北 海洋から親族が沢山 沿岸部に栄えた例えば、現代の異常気象が 夏と冬が長くなり 秋と春が短くなって 春に咲く桜が2週間程度しか咲かないなら日本は そう言うカタチの自然をしてるのかも知れない ゆえ可能性が出るのは、春は2週間くらいで終わる 温暖な気候に 日本がなる。そして、その都度 米の保管庫 "都"が 東北の時もある。大和の都も つつ その場所を変わる。って感じですかねー 調べたら
なぜですか宜しければ教えてください
古史古伝や神代時代を読み解くには天津太祝詞音図(アマテラス)や大日経を象徴する精神世界と天津金木音図を象徴する物質世界に分けて考えないといけなく、この価値観の戦いでしょう。これははっきり古事記に書かれています。そして立速日や饒速日などの速日とは五十音の速見表というのははっきり示されています。そして十種神宝の祝詞に石上神宮において何をしに来たか書いてあります。天孫とはそもそも精神(魂)世界であり物質世界の存在ではなく、天孫とは高次元魂から肉体を持って来たか、もしくは巫女に降りた神人合一状態のはずですね。十種神宝祝詞からわかるのは布都主が作った石上神宮、天津太祝詞音図を復活させて祝詞の運用を再構築したのが饒速日が降りて行ったということでしょう。ヒフミ祝詞や十種神宝(身体活性技法で物ではない)の運用でしょう。十種神宝とは上筒男、中筒男、底筒男身体を筒にして天地のエネルギーを螺旋で取り入れる身体活性技法です。8までは身体の骨のある部分を示しています。リンパ、血液を合わせて十種ですね。この現象界では精神性とか在り方以前に魂の乗り物である身体の力を引き出すことを優先しています。DNAの活性もアカシックレコードのアクセスも含めてです。天叢雲とは海部氏(尾張氏)と出雲族の合同ヤマト政権の王族でしょう。そして天の真名井という松果体からDNAの情報を引き出す方法を治めていた存在でしょう。あくまで真名井とはウォーターではなく、空、光の存在であり情報の意味です。
茂木先生、お疲れ様です。記紀は乙巳の変の後天智天皇と藤原氏の正統性が微塵も揺るがないように真の歴史をとことん改変して編纂されたと考えます。ですから、国譲神話や饒速日命が長脛彦を切って神武の軍門に自ら下るなど普通ではありえない事が書いてあるのだと思います。記紀は参考程度に考えて各神社の文献や風土記、各地の伝承、口伝などを総合的に体系付けて真の歴史に少しでも迫ってゆく姿勢が大切かと思います。しかし藤原氏はとんでもない事をしてくれたものですwwもはや手遅れですが・・・
高志国はタカシと読みます。また、海部氏も物部氏も尾張氏も河野氏もおそらく、全て四国が祖だと思います。
ウマシマジは出雲の古根、飯入根の弟とされるうましからひさ、この方は朝廷側と通じて出雲の古根を攻めさせた。石上神宮の主祭神布留御魂は出雲の古根ではないかという私の妄想
銀河の神、宇宙の神、地球の神、国の神です。
神が降り立った。いつなの?今でしょ。予備校世界史界の。
ニギハヤヒ。は徐福が北九州で自称した偽名。その子孫、物部王家が神武に化けた。古事記等のニギハヤヒの大和降臨は物部王家軍の第一次大和侵攻(神武東征の前半部分に同じ)を示唆。先祖であるニギハヤヒ(徐福)と子孫の神武(物部王家)が会合するなど自己矛盾(古事記完成当日、我々が鎌倉、室町幕府~織田、豊臣、徳川等の歴史を一般常識として知るのと同様に出雲王国や徐福の渡来~悪逆無道をやらかした事は知識人たちには一般常識だった)
ニギハヤヒは兄弟が王になってしまったので、命をねらわれる立場になって、郎党引き連れてヤマトに亡命してきたペルシャの王子だったんじゃないかな、と思います。
十三大坂と、?津軽十三を?のちがい?😂
🙏 從前有一群朋友把真珠趕進海里了 😔 蜯 小昭 🌈 。
誠に恐縮ですが、先の身近な身としては、お若い何某氏の画は一寸避けて、拝聴するにたるレベルの茂木先生にその分の尺を多くして頂きたく❗
短いと打ったつもりが、勝手に別の表現に変換されたような。早く完全手書きがそのまま反映できる日本初の通信創造を❗
とくさのかんだから
ニギハヤヒは、外国人、ユダヤ人かな?人相が、
私もその可能性が非常に高いと見ております。天孫族だけでなく、前からいる出雲族も外国から来ているでしょうね。
その辺は 日本に残ったイスラエル系の始まりの地になるのかな?ヤコブの子供達が日本に落ち延びて根づいた土地
古事記は「磯上乃古事記」が正式本名であり日本全体の歴史でなく磯上国の歴史が書かれたもので、空海は磯上国は阿波と書いているがご存じですか?奈良の大和(大倭)政権が天皇の血統・生誕地を隠すために 奈良以前の阿波の歴史を神話化させて古事記を書かせています。明治大正の薩長は天皇神格化のため言論弾圧・神社捏造を行い、宮崎・日向と島根・出雲が天孫降臨・神武東征の地であるかのごとく 虚偽を国民に押し付けました。阿波(倭)の時代の文化圏に日向・出雲は含まれて無いのをご存じですか? 従って日向・出雲がかかわる 天孫降臨・神武東征 は成立しません。当然 国譲り神話も阿波での話となります。 古事記は阿波の歴史を書いているのです。 古事記を正しく解釈してください。
神が降りた???ただの神話を最もらしく理屈をつけてまるで真実のようにしてしまう。キリストの死後の昇天と同じような話です。 そんなことを本当に真実だと語っているのがまるで統一ですね。こんな話を信じるのはどのような人達なのでしようかね。
安東さんは今はアルゼンチンで貿易商をやっています。日系アルゼンチン人(約10万人)の間ではよく知られています。長髄彦は「先代旧事本紀」(物部氏文献)では饒速日尊から切られてはいません。饒速日尊の子孫は膨大な数の日本国民になっています。この本紀には国造(くにのみやっこ)【=地方の豪族】がこの日本列島を開拓して行った事がその「国造本記の章」に書かれています。
最近、お目にかかれないと思ってましたが〜。
残念ですね。
安東さんの発信するのをいつも、楽しみにしてましたよ。
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茂木先生の国見的な地勢の解説 大好物です💕こちらは石清水八幡宮の山なんですか‼️そして向かいのあれが生駒山~✨
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向こうがヒノモト?ヤマト?‼️
うぉ~😻カンドウ
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最高に豊かな学びのご配信をありがとうございました🙇💕
私は封印された縄文の女神の瀬織津姫がきっかけでニギハヤヒが気になっています。
あちらこちら謎だらけ‼️
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ホアカリさんも先代旧事本紀もホアカリさんの妻も息子さんも気になる~‼️
(出雲口伝はすごい!とは思うけどまだ腑に落ちない🙇💦)
茂木先生のこれからの神考察に興味津々で大注目しております😸💕 20240415am11
近鉄奈良線富雄駅の近くにある添御縣坐神社では、主祭 27:13 神のお名前は、違いますがナガスネヒコをお祀りしているとのことです24:27
茂木さんには、詳細な日本の通史を本にしていただきたいです、是非!
安倍さんが亡くなった場所が大和西大寺(ご先祖長髄彦の国)‥‥
鳥肌が出ました。
安倍さんは、とっくに死んでますよ。ロンメル死 です。一般に解らせるために、一芝居したんですよ。スーツの中に血を出す、チュウーブが入っていたんですよ。
三炊屋媛(みかしきやひめ)、なるほど、名古屋弁でお米を研ぐことを「かす」と言いますが、その昔「お米かしといて」と姑に言われて「お米貸しといて???」となりました。「炊」=「かしき」ですか。何か繋がりがあるかもしれませんね。日本書紀にもあるようですが、方言も大切に伝えていかなければなと思いました。今では「お米かしといて」を言う人も少なくなりましたから。
私は30年くらい前からドラヴィダ人が気になって気になってましたが、最近色んな書籍やらTH-camやらで、歴史の開示がされてきたので点と線が繋がりました😀
最近気になっているニギハヤヒやナガスネヒコ…
実家が神道で祝詞からも
天津神アマツカミ=天孫族=天皇家、
国津神クニツカミ=土着の神・民族=日本の縄文人等々、
謎であった一面がこの動画で少し明らかになってきました。
いつもありがとうございます😊
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私も色々と読み調べましたが、記紀を解釈する上で参考にするのは有りだと思いますよ。
全てを鵜呑みにしなくても良いですし、私も鵜呑みにしてませんが、なかなか具体的に書かれていますので私は大元出版の本はお勧めします。
記紀を解釈するのに何故か研究されている方々は四国に注目するんですよね。
もちろん四国も重要ですが、その前に出雲王朝(王国)を調べてみてはいかがでしょうか。
備前一宮の石上布魂神社の宮司さんも物部氏ですね。ウマシマジの神陵があるのは石見一宮の物部神社。
最初の「日本をかっこよく」でニヤけてしまいます・
茂木さーん
奈良で写真ありがと
今も大事な思いでです。
イコマ山は出雲口伝にある様に九州から物部氏イクメ大王活目入彦五十狭茅天皇第11代垂仁天皇が、第二次物部氏東征で大和に侵攻、降臨し陣を張った場所なのでしょうね。
それが記紀に神武東征神話として書かれたモデルのひとつになった出来事のように思います。
茂木先生が以前の動画で訪れておられた山形秋田県境の鳥海山に降り立ったとされる唐松神社に伝わる秋田物部氏の饒速日降臨伝説が内容的に似ているのは、
ニギハヤヒは東国を平定した後、大和まで進み、ナガスネヒコと和睦して畿内に留まった 。だが、神武東征が始まるやナガスネヒコを裏切り、
神武に帰順するという『日本書紀』と同じ内容であったのは、同じ物部守屋の一子、那加世からの物部氏子孫に伝わる伝承だったからでしょうね。
また安倍元首相の先祖とご自身でも言われていた様ですが、出雲系富家親戚の孝元天皇の皇太子大彦命(長髄彦)が安倍姓に改姓し、
東征してきた物部氏に大和を追われ、はるばる東北に逃げ延びた追討説話だったのでしょう。
そこが饒速日が天孫族でありながら、先に大和に進出し第9代まで初期天皇家として治めていた出雲族磯城王家までもを統率していたかの様に
物部氏に伝わった理由であり、日本書紀に出雲系の長髄彦が饒速日に恭順し、饒速日(物部氏)に殺された。とされた理由なのかもしれませんね。
また出雲口伝の様に、この邇邇芸命さんより先に降臨(渡来)した、もう一方の天孫である饒速日命とは、実は渡来人の徐福の自称のことで、
対外上の理由により渡来人であることを伏せるために、それがもう一人の天孫邇邇芸命として書かれた理由でもあるとすると、トンデモ論とされる出雲口伝が
とてもすんなり納得できてしまう気がします。
面白いですね。
丁度、茂木先生の「日本思想史マトリックス」を読み始めていたところです。
今日のお話が読み始めのところと重なって、とても興味深く見させて頂きました。
もう年なので、頭に中々入らないのですが(特に神様の名前 (;^_^A)
茂木先生のお話や話の進め方が良くて、分厚い本も少しずつですが読み進んでいます。
というか、毎日読みたいという感じです。
もっとお話が聞きたいので、またお願いします。
ありがとうございました。
安日彦は長髄彦の弟ではなく兄ですね。津軽の十三(じゅうさん)には長髄彦を祀った神明宮という神社があります。
十三は「とさ」とも読みますが「とみ」とも読めます。長髄彦の拠点だった大和の登美(とみ)、出雲王家の富(とみ)の繋がりだと思っています。
今回はロケーション最高でした。石清水八幡宮、男山八幡宮あたりからは淀川の対岸の生駒山地まで眺望できるんですね‼️それにしても茂木先生は関西に移住するべきですね。関西、西日本の精神的振興には茂木先生のような人財が必要です。
始めましてkenと言います。五十猛君は2度目に渡来してきた徐福の子、正月の神オオトシに憧れてオオトシ彦を名乗った。東王家と西王家の正統な血筋のクシヒカタ君の妹と一緒になった。3度目に渡来してきた徐福はニギハヤヒを名乗り、宗像家の市杵島姫との間にヒコホホデミとホヤ姫生んだ。徐福は異母兄弟で子を作らせ生まれた子が村雲君。個人的には徐福を許せない!!! 出雲口伝に真実が有ると考えています。茂木先生出雲口伝とホツマツタヱを組み合わせると見えない物が見えて来るんじゃないでしょうか??? 記紀はおとぎ話…って感じです。
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生駒山の奥の奈良に大神神社があって大物主が祀られています。大物主は出雲で大国主命に仕えていた人物で大変優秀だったため天照大御神にも気に入られて、奈良の桜井の辺りに住むことを許されて国譲り後も政治に関わっていたようで桜井には出雲という地名があります。もしかするとナガツネヒコは出雲の大物主と関係があったのかも知れませんね。
茂木先生がニゲハヤヒ好きなのは薄々気付いてはいました😊
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あらかし公園やないですか
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茂木先生のお話を聞いていて、やはりチンギスハンは義経でまちがいないんじゃないかな?と思いました。
東北というのは、日本にとってなくてはならない場所だったんですねぇ。
ユダヤ人は寒いのが苦手だってのかなぁ(^^)
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生駒を見てました
東大阪に、、、
昔、生駒山で夜景見ていた時に
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7000年前、縄文海進のため、大阪平野や濃尾平野や関東平野は内陸まで海岸線が入り込んでいた。「縄文海進」とは、約7000年前ころ(縄文時代に含まれる)に、現在に比べて海面が2~3メートル高くなり、 日本列島の各地で海水が陸地奥深くへ浸入した現象をさす。
神武東征時の大阪平野は縄文海進を考慮にすれば、古事記や日本書紀の記述が正しいことが分かる。つまり、神武東征は旧約聖書同様に史実であることが分かる。大阪城のある、上町台地は、陸地であった。
濃尾平野では、岐阜市や大垣市の方まで海が迫って来ていた。名古屋城のある名古屋の中心部は10m以上あり、水没から免れているエリアであり、城はちゃんと考えられた場所に作られている。岐阜城や各務原台地も水没から免れているエリアである。
関東平野では、川越にも貝塚があったことから、海岸線が川越あたりだったことが分かる。江戸城、川越城は、先に触れた大阪城・名古屋城同様、しっかりと台地の上に建てられている。
地元民です!ここにも来たことあります。
敬愛してやまない安倍元総理とこのような繋がりがあったなんて!感動してます。
解説下さりありがとうございます
出雲口伝で、長髄彦=大彦(中曽大根彦)なのですが、息子の武渟川別と沼川姫の名前が似ていたり、第2代綏靖天皇(建沼河耳命)と、兄の神八井耳命(多氏の祖)が重なるのも気になっています。多分、同族。一人の人物だと考えないで、協力し合ってた部族だと考えると良いのかも。
ニニギも饒速日も、カルデア人の一派、アメニギから来ていて、ニンギルスという神に関係があるという説があります。両神の父神の天忍穂耳命(正勝吾勝々速日天之忍穂耳命)の名のカツカチはコーカサスのことなのだとか。饒速日も火明命も実際にいた人物というより、部族が祀った年神様(ニンギルス)の名前だったのかも。渡来した徐福はヨセフとも重なり、その信仰を持っていたのかも。
父神の天忍穂耳命は、天忍日命(大伴氏)と天穂日命を合わせたような名前だなと思っていたのですが、大伴氏とセットなのが大久米命で、天槵津大来目や天穂津大来目とも書かれ、天穂日命とされたのは大久米命のことなのでは?とも思ったりします。
久米氏はクメールや熊襲とかとも音が似ていて、入れ墨をしていた海の民。
大伴と久米は豊石窓神・櫛石窓神(合わせて天手力雄命)とも考えられ、ソロモン王(オーモン→大物主)とヒラム王(フェニキア王)の関係とも重なります。
動画みたあとまず調べたのは、ナガスネヒコは何処で抵抗したのかだ。孔舎衛坂という場所で、大和へ至るルートの入り口、グーグルアースでみると生駒山を縫うように奈良盆地へ至る道が走ってる。他は崖しかなくこの場所で懸命に大和へ通じるルートを守ろうとしていたことは明かだ。
河内湾に碇泊している神武軍を、おそらくナガスネヒコは崖の上から一方的に矢を放って攻撃している。東の空に昇っていた太陽がまぶしかったのだろう、神武軍はすぐさま反対側に回り込む航路に変更している。変更を指示した兄の五瀬命はこのときナガスネヒコ軍の矢を受けて負傷しており、まわりこむルートの途中でなくなっている。(神武東征のあの熊野古道のルートまで五瀬命が軍を指揮していたのかもしれない。すなわち五瀬命東征)
奇妙なのはこの間、期を同じくして長髄彦も饒速日命もなくなっている。それにもまして不思議なのは国譲りのあと神武は国つ神の系譜である比売多多良(タタラ)伊須気余理比売と結婚している。この一連の出来事は出雲側が何を譲り、何を譲らなかったかという視点で考えれば理解しやすい。
源平合戦の様に平も源も入り組んで戦う様に饒速日尊は出雲系のナガスネヒコの嫁を貰いで
両者一枚岩ではないでしょう、此方の交野には秦物と呼ばれ地域があり、また機物神社と言われるかなり由緒深い神社もありますよ!
饒速日がホアカリで、しかも徐福だという口伝があるということは、饒速日は徐福の時代の人ということも考えられるのではと思います。となると神武東征もその頃なのでしょうか。
茂木先生外出て楽しそう〜😂
もう一つ、東北
海洋から親族が沢山 沿岸部に栄えた
例えば、現代の異常気象が 夏と冬が長くなり 秋と春が短くなって 春に咲く桜が2週間程度しか咲かないなら
日本は そう言うカタチの自然をしてるのかも知れない ゆえ
可能性が出るのは、春は2週間くらいで終わる 温暖な気候に 日本がなる。
そして、その都度 米の保管庫 "都"が 東北の時もある。
大和の都も つつ その場所を変わる。
って感じですかねー 調べたら
なぜですか
宜しければ教えてください
古史古伝や神代時代を読み解くには天津太祝詞音図(アマテラス)や大日経を象徴する精神世界と天津金木音図を象徴する物質世界に分けて考えないといけなく、この価値観の戦いでしょう。これははっきり古事記に書かれています。
そして立速日や饒速日などの速日とは五十音の速見表というのははっきり示されています。そして十種神宝の祝詞に石上神宮において何をしに来たか書いてあります。天孫とはそもそも精神(魂)世界であり物質世界の存在ではなく、天孫とは高次元魂から肉体を持って来たか、もしくは巫女に降りた神人合一状態のはずですね。
十種神宝祝詞からわかるのは布都主が作った石上神宮、天津太祝詞音図を復活させて祝詞の運用を再構築したのが饒速日が降りて行ったということでしょう。ヒフミ祝詞や十種神宝(身体活性技法で物ではない)の運用でしょう。
十種神宝とは上筒男、中筒男、底筒男身体を筒にして天地のエネルギーを螺旋で取り入れる身体活性技法です。8までは身体の骨のある部分を示しています。リンパ、血液を合わせて十種ですね。この現象界では精神性とか在り方以前に魂の乗り物である身体の力を引き出すことを優先しています。DNAの活性もアカシックレコードのアクセスも含めてです。
天叢雲とは海部氏(尾張氏)と出雲族の合同ヤマト政権の王族でしょう。そして天の真名井という松果体からDNAの情報を引き出す方法を治めていた存在でしょう。あくまで真名井とはウォーターではなく、空、光の存在であり情報の意味です。
茂木先生、お疲れ様です。記紀は乙巳の変の後天智天皇と藤原氏の正統性が微塵も揺るがないように真の歴史をとことん改変して編纂されたと考えます。ですから、国譲神話や饒速日命が長脛彦を切って神武の軍門に自ら下るなど普通ではありえない事が書いてあるのだと思います。記紀は参考程度に考えて各神社の文献や風土記、各地の伝承、口伝などを総合的に体系付けて真の歴史に少しでも迫ってゆく姿勢が大切かと思います。しかし藤原氏はとんでもない事をしてくれたものですwwもはや手遅れですが・・・
高志国はタカシと読みます。
また、海部氏も物部氏も尾張氏も河野氏もおそらく、全て四国が祖だと思います。
ウマシマジは出雲の古根、飯入根の弟とされるうましからひさ、この方は朝廷側と通じて出雲の古根を攻めさせた。石上神宮の主祭神布留御魂は出雲の古根ではないかという私の妄想
銀河の神、宇宙の神、地球の神、国の神です。
神が降り立った。いつなの?今でしょ。予備校世界史界の。
ニギハヤヒ。
は徐福が北九州で自称した偽名。
その子孫、
物部王家が神武に化けた。
古事記等の
ニギハヤヒの大和降臨は
物部王家軍の第一次大和侵攻(神武東征の前半部分に同じ)
を示唆。
先祖であるニギハヤヒ(徐福)と
子孫の神武(物部王家)が会合するなど
自己矛盾
(古事記完成当日、
我々が鎌倉、室町幕府~織田、豊臣、徳川等の歴史を一般常識として知るのと同様に
出雲王国や徐福の渡来~悪逆無道をやらかした事は知識人たちには一般常識だった)
ニギハヤヒは兄弟が王になってしまったので、命をねらわれる立場になって、郎党引き連れてヤマトに亡命してきたペルシャの王子だったんじゃないかな、と思います。
十三大坂と、?津軽十三を?のちがい?😂
🙏 從前有一群朋友把真珠趕進海里了 😔
蜯 小昭 🌈 。
誠に恐縮ですが、先の身近な身としては、お若い何某氏の画は一寸避けて、拝聴するにたるレベルの茂木先生にその分の尺を多くして頂きたく❗
短いと打ったつもりが、勝手に別の表現に変換されたような。早く完全手書きがそのまま反映できる日本初の通信創造を❗
とくさのかんだから
ニギハヤヒは、外国人、ユダヤ人かな?人相が、
私もその可能性が非常に高いと見ております。
天孫族だけでなく、前からいる出雲族も外国から来ているでしょうね。
その辺は 日本に残ったイスラエル系の始まりの地になるのかな?
ヤコブの子供達が日本に落ち延びて根づいた土地
古事記は「磯上乃古事記」が正式本名であり日本全体の歴史でなく磯上国の歴史が書かれたもので、空海は磯上国は阿波と書いているがご存じですか?
奈良の大和(大倭)政権が天皇の血統・生誕地を隠すために 奈良以前の阿波の歴史を神話化させて古事記を書かせています。明治大正の薩長は天皇神格化のため言論弾圧・神社捏造を行い、宮崎・日向と島根・出雲が天孫降臨・神武東征の地であるかのごとく 虚偽を国民に押し付けました。
阿波(倭)の時代の文化圏に日向・出雲は含まれて無いのをご存じですか? 従って日向・出雲がかかわる 天孫降臨・神武東征 は成立しません。当然 国譲り神話も阿波での話となります。 古事記は阿波の歴史を書いているのです。 古事記を正しく解釈してください。
神が降りた???
ただの神話を最もらしく理屈をつけてまるで真実のようにしてしまう。
キリストの死後の昇天と同じような話です。
そんなことを本当に真実だと語っているのがまるで統一ですね。
こんな話を信じるのはどのような人達なのでしようかね。