ニギハヤヒは大和の大王!神社伝承が紐解く古代日本史
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- เผยแพร่เมื่อ 13 ม.ค. 2024
- タイトル:ニギハヤヒの真相に迫る!神社が紐解く古代日本史
この動画では、神話に登場するニギハヤヒについて、神社伝承を使い、以下の観点から紹介します。
1.ニギハヤヒとは
2.記紀・先代旧事本紀でのニギハヤヒの物語
3.神社で紐解くニギハヤヒの真相
4.なぜニギハヤヒが神話に隠されたのか?
5.再評価が必要
この動画は下記の音声読み上げソフト、画像、動画、音楽を使用しています。
・Wikipedia
・Adobe stock
・TH-cam オーディオライブラリ
・VOICEPEAK
参考書籍
・『記紀以前の資料による古代日本正史』原田常治 著
・『日本書紀と神社が語る天皇誕生史』崎元正教 著
・『埋もれた巨像』上山春平 著
・『古代日本神話の考古学』関裕二 著
・『日本書紀上下』宇治谷孟 著
・『古事記上中下』次田真幸 著
#日本史 #歴史チャンネル #神社 #古代史 #ニギハヤヒ - บันเทิง
交野市には物部氏と饒速日の伝承がたくさんあります。
天の川流域にある天孫降臨の哮ノ峰、磐船神社、七夕伝承の機物神社・天田の宮・妙見神社など。
妙見東住宅地には妙見山古墳という物部氏の首長を祀る4世紀中ごろに造られた円墳のレプリカがあります。饒速日のことを調べていて、このチャンネルに行き当たりましたが、丁寧に詳しく調べられていて、とても感動しました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。交野市は一度訪れたいと思ってます。妙見様との関わりが分かり興味深いところでね。
地元で暮らされているのは、古代を感じて来ますね⁉️日本の成り立ちのイザナギ、イザナミが作ったとされる日本列島ですが歴史が動いた所で 暮らされて古代遺物の神社に近いと神々降臨された所わくわくしますね。
こうした考察も貴重であると思います、そのうえで益々我が国の象徴であり権威である皇室と
国民とが互いに御宝とする敬意の念が深まれば良いと願うのです。
コメありがとうございます。新しい國體の検討がタブーにならないことを祈ります。
ありがとうございました。
参考にさせて頂きます。
コメントありがとうございます。参考になるようこれからも勉強を続けます。
ニギハヤヒは長髄彦の祀ってた神で天照大神じゃないのかなぁ。天火明って太陽だよね。十種の神宝とか三種の神器の元とか。ニギハヤヒが神なら持ってたのは長髄彦だよね。三種の神器が天皇に祟るのは戦利品とかだから。天叢雲の剣も八俣の大蛇のだったし。
コメントありがとうございます。おっしゃるとおりニギハヤヒはすべて神様とされていますね。本当の天照大神だといえるかも。
@@kumao01nigi 同じ太陽神だから合体させたかもしれん。天照大神と大日如来を神仏習合したみたいに。
祖神でありながら、敵対した相手の神様。
ニギハヤヒは十種神宝の天孫降臨されたミコト、ニニギの兄ですね、物部氏の祖になって行くんですね⁉️
古事記では奈良を渡さない戦いありますが、戦いなどしてません、ナガツネ彦は自害し神武に渡しました。地元の人々は慕ってましたから名を隠し神社作りました
[ニギハヤヒ・饒速日]・・・徐福3度目来日の名・・・・そして物部氏の祖・・・この説、気に入ってます。
コメントありがとうございます。徐福についてはよく分からず、物部氏の祖であることはかなり確からしいですね。
原田常次氏 「古代日本正史」 ですね?
「東征」などという勇ましさより「御東遷」 婿入り の方が、よほど真実らしいです。
武力を伴う厳しい交渉もあったでしょうが、、 大和らしく 統べて行ったと思いたい。。
コメありがとうございます。原田常治氏の「古代日本正史」は参考になります。
スサノオの荒ぶり。
天井から、馬の革を落とすなんて、馬を扱う事が出来たと云う事です。自分の中では、四国地方、吉備地方が、抜けています。何かあれば、ご紹介を~😅
コメントありがとうございます。四国特に阿波、吉備は今後広げていきたいテーマです。
出雲口伝では徐福が饒速日と名乗っていた
と書いてました
コメントありがとうございます。徐福伝説は多いですので、もう少し勉強したいです。
良く研究しています。神武天皇以前鵜葺草葺不合朝は1代ではなく、70数代続いています。いくらなんでも同時代に2人同時に存在は無理。
コメありがとうございます。神武以前に70数代いたのですか!!面白いです。
何で神武さんはサルタ彦の言う事をころっと信じたのでしょうね(^ ^)
コメントありがとうございます。猿田彦自体が謎ですね。
イワレって、ヘブライっていう意味だし、フヒトもヘブライ語で重要な意味があるらしい。つまり、ヘブライヒコが神武天皇になるよう、フヒトが改ざんしたのかなぁ。
イワレビコは、和歌山の女首長を殺してバラバラにする性格だったのに、神武天皇はそのバラバラ遺体を探して頭、胴、脚の3つの神社を建立している。多分、ニギハヤヒが成り代わったのかな。同族だし、似通っていても不思議じゃないし。金鵄については、あれ、鏡の盾の反射光だよね。盾形銅鏡って、ごまかそうとしてるみたいだけど、ペルセウスの鏡の盾だね。
真相を知るナガスネヒコは、アビヒコと名前を変えて、諏訪の方で出雲族の支援に向かわせたのかな。まぁ、妄想は尽きることがないけど、
なるほど、貴重な意見ありがとうございます。
ヘブライが絡む話、大変興味深いです。
関祐ニ 封印された謎を解く が情報源でしょうか。 引用元は明記して
ビジネスしたがいい。
コメントありがとうございます。関裕二さんの参考文献は『古代日本神話の考古学』ですね。
説明欄に参考書籍が載せてあります。とはいえ、関裕二さんはたくさん書籍を出されており、正確に参考図書としているのとは違ったりしますことはご容赦願います。
百濟王
私が学校から来る教科書ではなく、町の書店から購入した、もう社会人になってましたが日本史として時系列が写真など載っているもので、飛鳥から平安期に藤原氏について述べてて月の欠けない満月と解説しているものあって天皇家の皇統維持出来る様に、娘を天皇に嫁がせて、蘇我氏がして来た事と同様な外戚からコントロールする影👤の支配者とありました。
確実に、藤原氏の意図が古事記、また神社のご祭神隠しから大和朝廷を使って、伝承されて来た古史古伝を封印する意図は伝わりますよね⁉️
先生方の研究から、様々な角度解釈から史実が浮かび上がります。だから私はとっても有難く思っています。小市民の一人として、ありがとうございます。
まあ、今の日本があるのも、藤原氏の存在なくしてありえないということは認めざるを得ないですね。
当時の実権握りたかった藤原不比等のもくろみも、時間が過ぎて研究者や先生らの疑問や熱意が不比等のもくろみが、暴かれました。日本を正しく知らない、特に先の大戦でアメリカに敗戦し左翼教育が始まりました。全然私も教科書で教わった事がない学校の先生たちからの授業も熱意がなかったし、古代史に触れる事なく終わった。正しい歴史を知りたいです。先生方の研究にかかっています。消された部分は必ず修復します。
よろしくお願いいたします
コメントありがとうございます。真実かどうか、わからないことだらけだけど、沼の深みにはまって抜け出せないのも歴史学の面白いところです。
時間が解決します。嘘の上にまた嘘の化粧は、暴かれます。
その真相に着くには全てが無理でも
時間が解決してくれます。
ニギハヤヒは徐福ですよ。出雲の口伝をよんでください。ホアカリも徐福です
徐福ですか。。。徐福伝説、ユダヤ失われた十氏族の方が面白いかな。
徐福というのは大変興味のある説ですので、もっと勉強しないといけませんね。
徐福がニギハヤヒだって?そんなわけあるわけないよ。徐福が日本に渡ってきたのはBC210年代ですから、紀元後ではない。
ニギハヤヒは別名が大物主で、大物主はヤマトトトヒモモソヒメと夫婦であり、崇神天皇の時代てすから大体300年頃の人だと思われます。ニギハヤヒはその頃船に乗って畿内にやって来たようです。九州の邪馬台国の卑弥呼がなくなったのは250年頃で、その後邪馬台国は九州からいなくなりますからおそらく邪馬台国が九州から畿内に東遷したのがニギハヤヒではないでしょうか。つまりニギハヤヒとは邪馬台国の事ではないでしょうか。崇神天皇の前の開化天皇あたりが大物主ニギハヤヒではないでしょうか。
コメントありがとうございます。貴重な論説、参考にさせていただきます。
ニギハヤヒは紀元前に天竺から来ています。
大物主は蛇神だと言われているんですよ。ニギハヤヒが蛇神のはずがない。
パラレルワールドのようでとても面白い説だと思います。九州の邪馬台国が勢いが盛んな終盤の時期に大和へ東征したのが、神武さんではなく、それよりも前に大和を治めたとされているけど実は邪馬台国の饒速日さんだと予想される理由は何かあるのでしょうか?東征後の九州の邪馬台国はどうなったと思われますか?
大物主ニギハヤヒとはアジスキタカヒコネの事であり母は出雲系であるので蛇神ではないでしょうか。東征後の九州の邪馬台国ですが、南九州熊本の狗奴国の王の景行とその子の成務即ちヤマトタケルの武内宿禰が北九州の邪馬台国の残存勢力を討伐し九州を統一したのが熊襲征伐で、武内宿禰はその後三韓征伐してから畿内のヤマト朝廷のニギハヤヒの勢力を従えたのが応神東征で400年頃であり、応神天皇である武内宿禰が真の神武天皇ではないでしょうか。