冒頭の星加さんによるThe Fool on the Hillレコーディングの話。そこでポールがピアノ前に座りつまびく。で、ポールが胸元から出した紙にジョンが何か書いてる・・・それは実は歌詞だった。というくだり。これだけでも、たとえばあの曲はポールの曲だと言われてる、そういう曲にも、他のメンバーの手が入ってどんどん変わってる。そういう、まあビートルズの曲は誰かのアイデアを他のメンバーが手を入れて変えたり加えたり、してできていく。そういう過程がよく出てますよね。で、いちいちそういう細かな過程についてはメンバーの記憶も曖昧だし、覚えてられないし、記録からも消えてるし。しかし一ついえるのは、ビートルズの曲は、後々メンバーが「誰々の曲」と回想していたとしても、実は他のメンバーの何かが挟まってる、そういう事例が多々ある、てことですね。また、4人のうち誰かが気に入らなければ、公式曲としては採用されないということもある。てことはつづめて言えば、ビートルズの曲はビートルズの曲、としか言えない面が多い。あの4人でなきゃできなかった、世に出せなかった、としか言えない面が多々ある・・。例のThe long and winding roadの件でも、あれだけでもコミュニケーション不足でもめるので、逆にいうと、どれだけ1曲のなかに4人の感性が反映されていたかということでもありますね。他の3人が気に入らなければ“ビートルズ”としては発表ができないわけだから。
24:30藤本「割とその、えっとー、ゲットバック・セッションが当時やってたような話も特にあんまり伝わってる感じでもないんですよね」バラカン「どうだったっけなーあの、レットイットビーの、アルバムが出て映画ももちろん公開、ま僕もその映画みましたけど、ゲットバックセッション・・・でもね」だいたい‘ゲットバック・セッション’ていう名称自体がリアルタイムでは流通してないは無論のこと、あの名称が流通始めたのも、比較的新しいでしょう。まあ1970年代からあったのかもだけど、せいぜいアルバムGET BACK製作のことであって、当時のビートルズにおいて死活の問題を、バンドを再生させるための計画、ライブ計画、それでリハーサルを撮影しTV番組制作、新曲でアルバム製作てところまで意味が汲み取られていたことってあの『LET IT BE・・・NAKED』の時にようやくチラチラそうだったってことが出てきたような。ちなみに1975年発行のシンコー・ミュージック『怪傑ビートルズの伝説』所収の詳細年表によると、1969年1月はアルバムGET BACKの録音とそれにともなう映画製作に充てられていた、という記述。せいぜいその程度の認識。そこにゲットバック・セッションという名称さえない。 35:17バラカン「あれだけ何百時間もフィルムがあるっていうのを知らなかったし」藤本「60時間ぐらいですかね。はい」バラカン「最初に観たものはやっぱりその、人間関係が悪そうな感じの映画じゃないですか」藤本「ですね、暗いですよね」バラカン「今度のはピータージャクソンがまだ3分半くらいの」藤本「ええ、短いのあります」バラカン「ティーザーしか出してないんですけど、全然なんか雰囲気が違うから、あ、これちょっと面白そうだな」私があの映画LET IT BE初めて見たのが1975年だったと思うんですが。私はビートルズの現役時代は生まれてはいたけど小さくて興味はなかった。1975年くらいからロックに興味が出て、きっかけがビートルズの音源で。しかもクラスメイトにダビングしてもらって聴いたのがSgt.PeppersとかAbbey Roadとか、ホワイトアルバムとか。後期ので、かなりもうアイドル性は失せてサイケデリックとかニューロックって言われてる時代の作品でしたから、もうそれは知ったのが彼らのアイドルではなくてアーティストの時代だったんですねーすでに1970年代半ばになって、ロックはビートルズだけじゃない色んなタイプが現れてる、ロック自体、アートの一種という同時代の認識が出てきてて、だからあの映画の雰囲気、けだるい雰囲気やスタジオの寒々しさ、全然芸能人らしくない感じ、音楽制作の現場のリアルさ、とか全部異和感はなかった。あの映画のコピーからして、「歌いまくるビートルズ!」とか、素のビートルズしかも歌いまくる。がウリ。仲がいいとか悪いとか、問題外でしたね。ただ目を凝らして、ビデオもDVDもない、映画館でしか見れない貴重な場面だし。とにかく音楽を作るビートルズってこれだと思って見つめるだけでした。10代の多感な年代で、文学や政治や一気に視界に入ってきたころだし、ビートルズも芸術家の一種。芸術家が醒めてる、暗いとかむしろ当然、だとみてたかもしれません。そういうタイプでしたね。幸か不幸か。
ものすごいお話!ゾクゾクしました✨
50代後半の後追いビートルズファンには、ずっと拝聴していたい珠玉のお話ばかりです。嬉しい時間を過ごさせていただきました。コロナがおさまったら、何とか一度生でお姿を見ながら、お話をお聞きしたいです。
星加さんのマジカル買い付けツアー談凄いですね!ポールも優しいけどそれはやはり信頼ある星加さんのお人柄だと思います。いい話!
ピアノに4人が集まって打ち合わせの最中のジョージマーティンの行動も気さくですが、動じない当時20代の4人の若者はやはり只者じゃない風格がありますね
何か余裕のある空気感、達観した雰囲気は素敵です
貴重なお話ばかりで機会があればまた企画してくださいませ♪
冒頭の星加さんによるThe Fool on the Hillレコーディングの話。そこでポールがピアノ前に座りつまびく。で、ポールが胸元から出した紙にジョンが何か書いてる・・・それは実は歌詞だった。というくだり。これだけでも、たとえばあの曲はポールの曲だと言われてる、そういう曲にも、他のメンバーの手が入ってどんどん変わってる。そういう、まあビートルズの曲は誰かのアイデアを他のメンバーが手を入れて変えたり加えたり、してできていく。そういう過程がよく出てますよね。で、いちいちそういう細かな過程についてはメンバーの記憶も曖昧だし、覚えてられないし、記録からも消えてるし。しかし一ついえるのは、ビートルズの曲は、後々メンバーが「誰々の曲」と回想していたとしても、実は他のメンバーの何かが挟まってる、そういう事例が多々ある、てことですね。また、4人のうち誰かが気に入らなければ、公式曲としては採用されないということもある。てことはつづめて言えば、ビートルズの曲はビートルズの曲、としか言えない面が多い。あの4人でなきゃできなかった、世に出せなかった、としか言えない面が多々ある・・。例のThe long and winding roadの件でも、あれだけでもコミュニケーション不足でもめるので、逆にいうと、どれだけ1曲のなかに4人の感性が反映されていたかということでもありますね。他の3人が気に入らなければ“ビートルズ”としては発表ができないわけだから。
大変すばらしい内容でした。ありがとうございました。
星加さん歴史の生き証人ですねー。感無量です。
19歳の超後追い世代なので星加さんのことは初めて知ったのですがほんとにすごい方なのですね。貴重なお話ありがとうございました!
星加さんは、私が中学高校時代の音楽の神様みたいな方でした。とにかく雑誌ミュージックライフやラジオ(DJ)で、いろんな情報をいち早く知らせてくれた唯一の女性音楽評論家です。未だに尊敬しております。
ポールが電話してくれた話は 感動します! TBSの映写の順番間違えた話も面白すぎます(笑)アップル・ビルの下の話も。
僕はアビイ・ロードが一番好きでしたが、中期も初期もそれぞれ良いですね~。
ポールいい人だなあ~♪
思わず引き込まれて見てしまいました。リアルタイムの人の話は違いますね
星加さんのお話は、ビートルズファンの私にとって
とても興味深くて興奮してしまいます。
メンバーと会ってお話したことなど想像してしまいます✨
それにしてもポールマッカートニーは人柄よさそうですね。
まだまだお話をたくさんお聞きしたいです❗️
65、66年の話を星加さんから聞きたかったですね。
あの伝説のルーフトップコンサートの現場の間近に、日本人がいたとは、、、驚きです。
星加さんが「知り合うとナアナアになっちゃう人もいたけど、そうならないように気を付けていた」と話されたのが印象的でした。スタジオに案内されてもジョージ・マーティンから録音の声がかかったら自分から退出するとか。日本人の思慮深さは彼らも見ていたんですね。
おっしゃる通りで、礼儀正しく慎ましい姿勢を見る人は見るんですね。 本音で接し、そしてそこに常識とマナーがあればお互い接近出来るんですね。
星加編集長様、素晴らしい体験です・・・どころか、凄すぎ!でも、日頃のプロぶりがこういうご体験に結びついたのですね。「僕がビートルズをやめたのではない。ビートルズがビートルズであることをやめたんだ。」というポールの言葉、私はその通りだと思います。
同感ですね。
1,2部共見せて頂きましたが、大変に興味深いお話に感動しました。 ましてや昔から有名な星加さんとピーターさんのお話ときたら絶対に見逃せないですよね。私が中学高校時代は、ミュージックライフは愛読書、そしてラジオも星加さん(編集長と同時に)、それにピーターさんも大ファンでした。今朝も当然、ピーターさんのミュージックサンシャイン(NHKFMラジオ)を聞きましたよ。 いや~映画ゲットバック、楽しみですね。そしてこの動画を制作アップして頂き誠にありがとうございました(感謝!!)。
ウォーカーブラザーズを呼んでくれたんですね、ありがとうございました!
渋谷のヤマハ楽器のサイン会に行きました。
多分こんなにウォーカーが人気があるとはマスコミも関係者も知らず、物凄いファンが押しかけて、ウォーカー自体も超びっくりで、急きょサイン会も中止になり、ファンもびっくり!
サイン貰えなかった!
そこに行けた人居ますか?
アルバム、レットイットビーは米国のフィル・スペクターがプロデュース(オーバーダビング)したもので、ポールは気に入らなかったらしいけど、一曲一曲はとても素晴らしい❗
後にレットイットビー、ネイキッドが発売されて、ポールがやりたかったライブ感が収められている。個人的にはどちらも好きなアルバム。
屋上でのドントレットミーダウンが一番ジンとくる🥀
メンバーがバラバラになったホワイトアルバム以降の後期のアルバムが好きです❗
後追い世代ですが当時の話、ほとんとにおもしろかったです。ありがとうございます!
おせっかいかとおもいますが、サムネイルに星加さんとピーターさんの名前を大きく出した方が再生回数が伸びるとおもいますよ。多くのビートルズファンにおすすめなので。
24:30藤本「割とその、えっとー、ゲットバック・セッションが当時やってたような話も特にあんまり伝わってる感じでもないんですよね」バラカン「どうだったっけなーあの、レットイットビーの、アルバムが出て映画ももちろん公開、ま僕もその映画みましたけど、ゲットバックセッション・・・でもね」だいたい‘ゲットバック・セッション’ていう名称自体がリアルタイムでは流通してないは無論のこと、あの名称が流通始めたのも、比較的新しいでしょう。まあ1970年代からあったのかもだけど、せいぜいアルバムGET BACK製作のことであって、当時のビートルズにおいて死活の問題を、バンドを再生させるための計画、ライブ計画、それでリハーサルを撮影しTV番組制作、新曲でアルバム製作てところまで意味が汲み取られていたことってあの『LET IT BE・・・NAKED』の時にようやくチラチラそうだったってことが出てきたような。ちなみに1975年発行のシンコー・ミュージック『怪傑ビートルズの伝説』所収の詳細年表によると、1969年1月はアルバムGET BACKの録音とそれにともなう映画製作に充てられていた、という記述。せいぜいその程度の認識。そこにゲットバック・セッションという名称さえない。
35:17バラカン「あれだけ何百時間もフィルムがあるっていうのを知らなかったし」藤本「60時間ぐらいですかね。はい」バラカン「最初に観たものはやっぱりその、人間関係が悪そうな感じの映画じゃないですか」藤本「ですね、暗いですよね」バラカン「今度のはピータージャクソンがまだ3分半くらいの」藤本「ええ、短いのあります」バラカン「ティーザーしか出してないんですけど、全然なんか雰囲気が違うから、あ、これちょっと面白そうだな」私があの映画LET IT BE初めて見たのが1975年だったと思うんですが。私はビートルズの現役時代は生まれてはいたけど小さくて興味はなかった。1975年くらいからロックに興味が出て、きっかけがビートルズの音源で。しかもクラスメイトにダビングしてもらって聴いたのがSgt.PeppersとかAbbey Roadとか、ホワイトアルバムとか。後期ので、かなりもうアイドル性は失せてサイケデリックとかニューロックって言われてる時代の作品でしたから、もうそれは知ったのが彼らのアイドルではなくてアーティストの時代だったんですねーすでに1970年代半ばになって、ロックはビートルズだけじゃない色んなタイプが現れてる、ロック自体、アートの一種という同時代の認識が出てきてて、だからあの映画の雰囲気、けだるい雰囲気やスタジオの寒々しさ、全然芸能人らしくない感じ、音楽制作の現場のリアルさ、とか全部異和感はなかった。あの映画のコピーからして、「歌いまくるビートルズ!」とか、素のビートルズしかも歌いまくる。がウリ。仲がいいとか悪いとか、問題外でしたね。ただ目を凝らして、ビデオもDVDもない、映画館でしか見れない貴重な場面だし。とにかく音楽を作るビートルズってこれだと思って見つめるだけでした。10代の多感な年代で、文学や政治や一気に視界に入ってきたころだし、ビートルズも芸術家の一種。芸術家が醒めてる、暗いとかむしろ当然、だとみてたかもしれません。そういうタイプでしたね。幸か不幸か。
ビリープレストンが来てから、いい雰囲気になったんだよね。
同時代に一緒に生きて来た自分としては、前期のビートルズと後期のビートルズはファン層が入れ違った印象が強いですね
抱きしめたいが好きなファンはレットイットビーは嫌いだし、レットイットビーが好きなファンは抱きしめたいのビートルズは好みじゃない感じを強く受けました、それは今もそうではないでしょうか?
平成の初め、女友達にビートルズって何が凄いの?って聞かれて、光GENJIがいきなりひげ生やして長渕剛になったところだよと言った時あるよ。
記者がポールに質問、「貴方は成功しました。成功前と比べ貴方は変わりましたか?」「ぼくは前と一緒。でも周りの人が変わってしまった」。この記事いまでも憶えている。ついでにスーパー、『無手数流』でなく「無勝手流」が正、だべ。
残念 ! 正解は「無手勝流」だ。
塚原卜伝の話から来てる。
戦わずして勝つという意味だよ。
当時の大変貴重なお話を聞けてありがとうございます。でも進行役の方はよく分かりません。
ルーフトップコンサート。特にポールは上がって来た
警察官に逮捕されたかったと思ってたようです。
それこそ映画のエンディングにふさわしいと。
ムリヤリ止められた方が決まると思ったんでしょうね。
新しい映画。自分にはどうも眉ツバに思える。
調子のいい場面だけをつなぎ合わせたんじゃないかと思ってた。
けど60時間も撮っていればいろんな状況がありますよね。
レットイットビーが悪い時を、今度のがよい時を編集して
作ったとしたら、どっちもどっちなのかもしれません。
真実はその中間くらいにあるのかも知れませんね。笑
というより、ホントのことは各自の心の中にあるんだよね😌
一気に見てしまいました。当時自分はミュージックマガジンの方がマニアックで偉いと思っていました。バラカンさんの書いたものも熱心に読んでいましたよ。でも今思うとミュージックライフが実はすごかったこと、星加さんの偉大さが、この動画で改めてわかりました。あと私の妹がシンコー出版で当時お世話になっていて、バラカンさんから「これいいよ」と言ってポリスのデビュー盤をもらったと言ってました。それと「会社で一番きれいな子をお嫁さんにもらったんだよ」とも。すみませんプライベートな話。ポールにはfrozen Japという曲があったりで、日本が嫌いなのかとも思っていましたが、電話の件、感動しました。
ニューミュージックマガジンの創刊は1969年4月です。ニューの3文字がとれたのはその10年後くらいでしたか。
自分が高校の体育館で観た
マジカルミステリーツアー
そんな買付けに苦労してたんだ…
星加ルミ子さんの当時の写真は
失礼ながら小学生くらいに見えます
それで音楽誌の編集長やってるんで
アチラの人たちびっくりしたんじゃないかな
「こんなちっちゃい子が一所懸命やってる」
とか思って、何かと協力してくれたんでは?
もちろん星加さんの才能もあっての幸運でしょう
ほんとにちいちゃい小柄な女の人でしたよね。
MMTの値引き交渉はポールがしてくれたとのご発言ですが、
2005 年ごろ出版された「JOHN LENNON FOREVER」で
星加さんは、「ジョンは本当に掛け合ってくれたらしく、
結果的には価格がかなり下がりました。ジョンには、
そういう世話好きな一面もあったんですね」と
話されています。
些細なことだと思いますが、ビートルズに関しては
研究者も多くいますし、各人の性格把握にも影響します。
覚えていないことは、覚えていないでよいのですから、
あまり調子よく話を構成しないほうがよいと思います。
そうでないとイヨンスになってしまいます。
「ビートルズとカンパイ」でしたっけ?
星加さんの本を読んでましたから、懐かしいハナシを聞けました。
記憶が確かなら、最初にビートルズに会ったのは
ticket to ride のレコーディングの時で、お土産は(模造の)日本刀と兜でしたか。
それからfool on the hillの時には、スタジオに日本人らしき人がいた、
後でそれが小野洋子だったと分かったんですよね。
ルーフトップセッションの時は、屋上から降りて来た
(僕にはジョンかポールか思い出せないどちらかに)
「ルミ、僕らはもうダメだよ」って言われたとか。
プロモーションの都合上、言いづらいのでしょうけれど。
星加さんが忘れてしまったとは思えません・・・。
ジョン・レノンですよね多分、ゲットバックの最後のセリフの続きみたいなジョークじゃないのかなあ、初めて知りましたありがとうございます、新しく知ることが嬉しくてビートルズは
興味深い話、ありがとうございます。多分違うと思いますが屋上で、ディグアポニーの演奏の時場面がアップルのビルに入ってくる警察官二人、スタッフが対応して、その後、マルエバンスと警察官は、画面右に、歩いて行きます。その後一瞬ですが、後ろ姿で、黒髪の人が映ります。もしかして、星加さんかな?違うと思いますが、返信、コメント貰えたら、嬉しいです。例えば「私が、居たときは警察官は、来なかった」とか「アップルのビルには、居たけどあの場所ではなかった」とか、又は「もしかしたら、私かも」など、コメント貰えたら嬉しいです。一瞬のことなので、一時停止してコマ送りすると、わかると、思います。
第一部と第二部、息もつかずに見ました。まさにビートルズを語るにオールスターのメンバー。ただ白けさすようで申し訳ないですが、アップルの屋上セッションについて、あの3カ月前にニューヨーク・マンハッタンでジェファスン・エアプレーンが行っています。これはフランスのゴダール監督の作品の一部です。状況、つまり周囲のビル、警察出動、下の道路の混雑、見物人へのインタビューはビートルズのそれとそっくり。ビートルズ側の発案者、撮影者はゴダールの作品に触発されたのは間違いありません。その話が第二部で出ると思ったけど出ませんでした。