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こんないい動画がどうして万再生行ってないんだろう?めちゃくちゃわかりやすくて感謝です。
ありがとうございます!
演繹で論理をつなげていくのはここから始まったんですね
三段論法こそ真理!イブンハイサムまで観測方法が確立しないからしょうがないですね
アリストテレスの形而上学のこれほど本質的な説明を、初めて読んだ気がする…私の理解はアリストテレスの形而上学が本棚のオブジェになる程度の知識レベルにしか過ぎないので、よく普及している説明なのかも知れませんがアリストテレスが経験論、プラトンが合理論に繋がっていく説明は、ナルホド!と納得しました。現象を原因に遡っていくと無限後退をさけるためには神の存在を置かないといけない。逆に現象の変化を未来に向けて推し進めていくとそれ以上変化しえない「不動の動者」をおかないと、永遠・無限という概念をどうにか扱う方法を考えないといけなくなる。現在の物理学の宇宙論では宇宙の膨張エネルギーが使い果たされると、そこで止まらず(不動でない)逆に収縮に動いて、となると聞きましたが、その宇宙の運動を支える何らかの構造が必要になり、それは原因の無限後退のパラドックス?になると…「不動の動者」って神と呼びたくなりますが、そうなると原因が神で結果も神、過去も未来も神という存在になるなら、現在は神が神で在ることを「やめている」間の現象とも言える?過去も未来も神ならば、メビウスの輪のように、ループしている構造なら、始まりが終わり、終わりが始まり、どちらがどうと区別出来ない、その輪の中でメビウスの輪の表面を帯に沿って、唯歩むのみしか出来ない人間のような存在には…未来の神が過去の神と同一の存在と言えるのではないか、などイロイロ想像をかき立てられました。小松左京の「果しなき流れの果てに」という小説で小松が構想して表したかったことは、タイトルからして、このことがテーマだったんじゃないかとふと思いつきました。しかしここのチャンネルの動画は面白い。公民という軽いイメージで観てると知らず知らず、遥か彼方に連れて行かれるような、そんな印象を受けました。
公民は奥が深いのです!
神だぁこの動画
現象界とイデア界という2つの世界を否定したとはいえ、不動の動者も現象界から見れば無限の彼方にある到達不可能な領域にありそうな気がします。演繹的か帰納的かの方向性が違うだけのようにも思えました
形而上学において論理を積み重ねていくのはプラトンもアリストテレスも同じですからね自分の認識の及ばない世界をプラトンは上からアリストテレスは下から積み重ねたんでしょうね
自分はこの分野に関して勉強し始めたばかりなのですが、到達不可能なほど遠い無限の彼方であるとはいえ、イデア界として世界を切り離して考えるのではなく、あくまで現象界が内包している要素として考えているというとこがキモなのではないかと思います。
@@立風動画工房 アリストテレスはプラトンのイデア界を否定して現象界のみで説明を試みましたもんね
中国哲学、インド哲学もお願いします。
インドの思想がひと段落したら諸子百家と儒学に行く予定です!
探究せずにいられない 学者
こんないい動画がどうして万再生行ってないんだろう?
めちゃくちゃわかりやすくて感謝です。
ありがとうございます!
演繹で論理をつなげていくのはここから始まったんですね
三段論法こそ真理!イブンハイサムまで観測方法が確立しないからしょうがないですね
アリストテレスの形而上学のこれほど本質的な説明を、初めて読んだ気がする…
私の理解はアリストテレスの形而上学が本棚のオブジェになる程度の知識レベルにしか過ぎないので、よく普及している説明なのかも知れませんが
アリストテレスが経験論、プラトンが合理論に繋がっていく説明は、ナルホド!と納得しました。
現象を原因に遡っていくと無限後退をさけるためには神の存在を置かないといけない。
逆に現象の変化を未来に向けて推し進めていくとそれ以上変化しえない「不動の動者」をおかないと、永遠・無限という概念をどうにか扱う方法を考えないといけなくなる。
現在の物理学の宇宙論では宇宙の膨張エネルギーが使い果たされると、そこで止まらず(不動でない)逆に収縮に動いて、となると聞きましたが、その宇宙の運動を支える何らかの構造が必要になり、それは原因の無限後退のパラドックス?になると…
「不動の動者」って神と呼びたくなりますが、そうなると原因が神で結果も神、過去も未来も神という存在になるなら、現在は神が神で在ることを「やめている」間の現象とも言える?
過去も未来も神ならば、メビウスの輪のように、ループしている構造なら、始まりが終わり、終わりが始まり、どちらがどうと区別出来ない、その輪の中でメビウスの輪の表面を帯に沿って、唯歩むのみしか出来ない人間のような存在には…
未来の神が過去の神と同一の存在と言えるのではないか、などイロイロ想像をかき立てられました。
小松左京の「果しなき流れの果てに」という小説で小松が構想して表したかったことは、タイトルからして、このことがテーマだったんじゃないかとふと思いつきました。
しかしここのチャンネルの動画は面白い。
公民という軽いイメージで観てると知らず知らず、遥か彼方に連れて行かれるような、そんな印象を受けました。
公民は奥が深いのです!
神だぁこの動画
ありがとうございます!
現象界とイデア界という2つの世界を否定したとはいえ、不動の動者も現象界から見れば無限の彼方にある到達不可能な領域にありそうな気がします。演繹的か帰納的かの方向性が違うだけのようにも思えました
形而上学において論理を積み重ねていくのはプラトンもアリストテレスも同じですからね
自分の認識の及ばない世界をプラトンは上からアリストテレスは下から積み重ねたんでしょうね
自分はこの分野に関して勉強し始めたばかりなのですが、到達不可能なほど遠い無限の彼方であるとはいえ、イデア界として世界を切り離して考えるのではなく、あくまで現象界が内包している要素として考えているというとこがキモなのではないかと思います。
@@立風動画工房 アリストテレスはプラトンのイデア界を否定して現象界のみで説明を試みましたもんね
中国哲学、インド哲学もお願いします。
インドの思想がひと段落したら諸子百家と儒学に行く予定です!
探究せずにいられない 学者