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本物の偉人は後年の常識を作り出すんですね、だから自分みたいな無学な輩でも、理解できてるかどうかは別として、簡単に耳に入ってくる。
腐敗したカトリックに反抗したから偉大
9:33 ギリシャ3500年前に大学があり、物理、哲学が学ばれていた。アメリカは300年前にハーバード大学、日本は100年前に帝国大学。
そのギリシャの数学、哲学が今の大学で学ばれていて学者の誰も昔の哲人を追い越せていない。昔の人は頭が良かった。というか天才がいた時代。ピラミッドはそういう人達が造ったのだ。社会が発展したとかいうけど女まで労働させている始末。店が多いだけですよ。学問は全員がしていますけどね。義務教育で。今が一番平和なんでしょうか?
日本遅れすぎ。
ものすごい差ですね。
ピタゴラスの数学、ソクラテスの哲学が今も学ばれている。正解中のスタジアムはギリシアの闘技場の真似で大型イベントをするというのも真似。
タレスやピュタゴラスも外国を旅して学んだんだよ
いつの時代も大衆は易きに流されるだけ。少数の天才が切り拓いたレールに乗っかるだけ。
わたしは、無学生ですが、学者の説の発想が好きですね、仏教も、有りのままの現象を観察して、法則性発見して、説いていますので、説では無く因果の法則で、観察して要る所が凄いと、思います、わたしは、ユニークな説を考えました、まず、ビッグバン説は、科学で計算して膨張している宇宙を現在から過去に、フイルムを逆再生したら0にたどり着いたので、その0地点が宇宙の始まりとの説と?成ってますが?わたしは、無から有は現れないと思いますので、その前の宇宙が有ると思う一人です、なので、ユニークな発想を考え付きました、人間を宇宙に例えたなら口が、ブラックホールで、食べ物をドンドン吸い込みます、吸い込んだものは、簡単には出てきません、一方通行に成ってますから、食堂通り過ぎ大腸、小腸の何億細菌に分解されて、やがてお尻に溜まり限界を超えたら爆発しながら別の世界へ飛び散るのが、大きな便です、つまり、英語でビックベンです、これがビッグバン理論と重なりますなので、ブラックホールとホワイトホールはセットなのですね、宇宙は、だから永遠に続くのだと思いますね無始無終なのですね、宇宙は、始まりがあれば、とっくに、終わってますからね?
ガリレオが信念を貫いたように,京大の宮沢先生も信念を貫いて,結果,京大を追われた。現代においても権力と科学の状況は変わっていないことを認識し,反省すべき。
配信を、ありがとうございます。ガリレオ・ガリレイ教授は、真の物理学者です。そのガリレオ・ガリレイ教授に比べて、理論物理は、物理学者ではなくて、数学者に近い。
実に面白い
昔は恒星の年周視差を観測出来なかったから地動説が受けいれなかったとの説明があります。成る程と思いました。
この動画ではコペルニクスがまるで、宗教感で適当に天動説を唱えたと捉えるように作られていますが、コペルニクスは天文台で日々星の観測をしてその観測データより天動説を導きだしたんですよね?更に本を出版する際にそれを発表すると世間を騒がせると思い何年も出版しないでようやく出版し、出版の印刷では友人が初めの注釈で”これはあくまで仮説です”とつけたお陰でそこまで騒ぎにならなかったこうではないのですか?
天動説と地動説が混乱しそうですが、まあ、あまり重要でないのでどうでもいいですが、コペルニクスも天文観測を続けた結果を当時の幾何学で分析したことは確かなようです。
振り子を作って時間を取り込んだ事で、物理学が出発。
ガリレオの時代は16世紀だが宇宙の謎は何も進歩してない
興味深い レオナルド・ダ・ヴィンチと共に生涯研究すべき偉人だ
明石の学芸員の表現には修正箇所がある。
開始1分まで、そういやこの番組タイトルの由来はガリレオだったと忘れてたwところで、科学を扱う番組なのだから、迂闊に『ガリレオは人類で初めて望遠鏡を月に向けた』 12:05 と断言しては欲しくはなかった。せいぜい「人類で初めて(略)向けたとされている」までしか言い切れない。望遠鏡が子供のオモチャだというなら、実際に望遠鏡を持った子供も居ただろう。朝に、昼に、夕に、望遠鏡を覗き込んで色々なモノを観察することを楽しんだ子供が幾人も居ただろう。そんな子が、ふと夜中に目が醒めて、窓から月明かりがまるで陽光のように差し込んでいる様を見て、望遠鏡を月に向けないことなどあるだろうか? 教会の偉いヒトから聞いた完全なる月の姿との余りの違いに、恐ろしくなって口を噤むしかなくなってしまった子が、ガリレオより前に1人も居なかった 11:58 と、どうして断言できようか。
ガリレオ以外に向けた人がいたともいないとも言えない。しかも確認もいまさらできない。というわけで史実に残ってることのみで判断するとそういう言い回しになる。その僅かな可能性を追い求めてしまうと何に対しても、それより前に実は文明があってそこで行われていたかもしれない。とかなんでもありになってしまう。だからこそ史実に残ってることだけで伝えるのだと思う。
ガリレオが発明した高倍率な望遠鏡がそれまでの真偽不明な常識を観測によって裏付ける事が出来たというエピソードを「初めて月に向けた」って表現してんのに「その前に子供が向けてたかもしれない」なんてクソどーでもいいやん
@@sugosugomugimugi それな
信念を貫くのは科学にとって良くない。信念を貫くのを是とするのは宗教です。科学にとっては寧ろ、自分の誤りを認め、訂正することが好ましいのでは?地動説を証明するのは難しい。現代では、地動説を小学校や中学校で天下りに教えていて、地動説が当たり前だと思われているが、これを証明するのは難しいということにも触れておくことも必要ではないのかな?ガリレオは土星の「輪のような」という言い方はしてなかったと思いますが。「一次性質、二次性質」はイギリス経験論のロックではないのかな?ガリレオは、近代科学に、啓蒙家として貢献をしたかも知れないけど、それ以外はどうなんでしょう?ガリレオが著作した「偽金鑑識管(黄金計量士)」から、「宇宙と言う書物は数学の言葉で書かれている」という言葉が名言として引用されることが多いですが、ガリレオが言う「数学」は、あくまでも、直線を引く定規と、円を描くコンパスの世界です。ですから、ガリレオはケプラーの「楕円運動」を、「子供じみた発想」だと、バカにして相手にしなかったのではないでしょうか?また、ガリレオ裁判においても、教会側は地動説が理解できなかったのではありません。これは、ガリレオという宗教の門外漢が、知ったかぶりして教会側に、キリスト教の教義の誤りを正そうと、余計な口出しを出したことに教会側が怒った上での宗教裁判ではないのでしょうか?しかも、コペルニクスやガリレオの地動説より、古代のトレミーの天動説の方が、遥かに厳密な数学を用い、正確・精密に観測結果を説明できました。そういう意味では、教会の下した判決は正しかったのでは?
もっと詳しく知りたい
あの花の主題歌もよかったよね。
板チョコアイスのガリレオに見えてしまうw
何でも最初に見つけた人、作った人は偉大と呼ばれるのです、いずれ彼でなくても誰かが見つけていたでしょう。
日本は八百万の神がいる何でもありの国なので、科学は受けいられやすいと思いますね。
そうかな~?私含めてかなり固定観念やそれまでの常識や化学にしばられていると思うのですが・・・例えばスマホの大きな画面。あれをスマホがでる5年くらい前にタッチパネルで操作する携帯電話の画面サイズは手の動線を考慮してそれまでの(大画面携帯の)1~2回り大きくしなければならないって言っても誰も理解してくれなかったし、携帯電話の高画質化を大絶賛しているのにも関わらずまともな漢字表示ができる携帯なんて(当時は)存在しない事への不満も書きなぐってましたがこれも理解されなかった(PC 嘘漢字 等で検索すれば概要が解ると思います。要は48×48ドットでは正確に表現できない漢字があると言う事) 理解されずに逆に物笑いのネタになる事もありましたよ。流石にスマホの画面を昔の携帯みたいな小さい画面で操作ってのは今だと笑われるとは思いますが(本当に昔はそういう発想がなかった)こういう事は誰しも経験があると思いますけど。
都合の良い日本観w
6:50野家啓一
隅田川わきの汐入公園のところがでてきた
ヨーロッパにキリスト教が来てヨーロッパは不幸になったと思う。
キリスト教ってヨーロッパで出来たんじゃないの?そもそも宗教なんてそんなもんじゃない?
未だに心は解放されて居ない!
こう言う事があるから宗教やキリスト教を信用出来ない要因ではないだろうか~これも時代背景なんだろうな~
キリスト教にとって地動説が不都合だったという表現は正しくないです。その当時の科学?の主流な考えがそうだったのと、ローマカトリックが科学的権威とされてたと言うだけです。ガリレオもコペルニクスもキリスト教だし、聖書を読んで地動説と相反することは書かれていません。ローマカトリックは聖書そのものに矛盾することもしているので、解釈が間違っていたのでしょう。キリスト教という一括りで表現すべきではないと思います。
昔はしょうがないけど、今はこれだけ宗教に間違えがあるのがわかっているのにまだ宗教にすがるのはどうしてか?
宗教心のない科学は不具であり、科学知識のない宗教は盲目である縋るのは考えもんだが、完全に撲滅するのも考えもんだな程々の距離感を維持するのは難しい、故に偏る人間が出る
三日金に満金が正しい。
それは異星人だから。
でも天文対話は流石に性格悪いと思う
野球はつまんねーとか、ディーンフジオカの歌がヘタすぎ説をコメントしたら、DMがきて死刑かと思いました。勇気っているんですね😢
※ガリレオの地動説は大嘘 飛んでいる飛行機から地球の自転する動きを観測出来る筈であるが、とても動いている様には見えない。地球と大気と飛行機は一体で自転している訳ではない。風は東西南北のどの方向からも吹いているから、大気は地球に束縛されていない。飛行機は大気の中を自由に航行できるから大気に束縛されていない。確かに、飛行中の飛行機の中で虻を放って飛んでいる様子を観測すると、虻は飛行機の速度による虻自身の体重が生み出す慣性力の影響を受けないで、軽やかに飛んでいた。これは閉じ込められた飛行機内での慣性力は生じないと言う証拠である。つまり、虻の前後の空間の気(真空にしても同様)が慣性力を打ち消していると考えられる。慣性力は物体の運動している後のエアポケットが作り出しているのである。だから、飛行機の後には慣性力が働いて急に減速すれば前向きに慣性力が働く。しかし、地球上の大気は地球に糊付けされていない状態で自由に流動している。だから、飛行機が地球の自転による東方向への慣性力(遠心力による)に逆らって、西方向へ航行するなら、飛行機の推進力がその分減衰する。時速1600kmの地球の自転が生み出す慣性力は相当に大きなもので飛行機が進行出来ない事も十分考えられる。赤道付近の地球の自転の速度は時速1700Kmである。飛行機が着陸する時に地面がこの速度で動いていたら、飛行機はその衝撃で大破する。大破しないのは地球が自転していないからである。星座の動きをよく見てみると、二つの円が出来ている。地球の自転なら一つの円が出来る筈である。これは自転説の矛盾である。左回転の回転木馬に乗って相手にボールをパスすると、ボールは右カーブを描いて反れてしまう。ライフルで的を射撃すれば同じ様に反れて的に当たる事はない。これも自転説が間違いだと言う根拠だ。ロケットの発射ビデオはロケットが真っ直ぐ天に向かって飛んでいる。地球が自転しているなら、遠心力による慣性力で回転方向へ反れるカーブを描く筈である。太陽の雲の隙間からもれる光線は平行ではなく、扇型の放射線である。このことから、太陽は天文学が言う所の地球の約100倍の大きさなどでは無く、大きな懐中電灯の様な物である。太陽≦地球だと断言出来る。
こういう考えができる人がある意味うらやましい。ファンタジー小説の舞台背景を任せたらとことん細かく描写してくれそう。
本物の偉人は後年の常識を作り出すんですね、
だから自分みたいな無学な輩でも、理解できてるかどうかは別として、簡単に耳に入ってくる。
腐敗したカトリックに反抗したから偉大
9:33 ギリシャ3500年前に大学があり、物理、哲学が学ばれていた。
アメリカは300年前にハーバード大学、日本は100年前に帝国大学。
そのギリシャの数学、哲学が今の大学で学ばれていて学者の誰も昔の哲人を追い越せていない。昔の人は頭が良かった。というか天才がいた時代。ピラミッドはそういう人達が造ったのだ。
社会が発展したとかいうけど女まで労働させている始末。店が多いだけですよ。学問は全員がしていますけどね。義務教育で。今が一番平和なんでしょうか?
日本遅れすぎ。
ものすごい差ですね。
ピタゴラスの数学、ソクラテスの哲学が
今も学ばれている。正解中のスタジアムは
ギリシアの闘技場の真似で大型イベントを
するというのも真似。
タレスやピュタゴラスも外国を旅して学んだんだよ
いつの時代も大衆は易きに流されるだけ。
少数の天才が切り拓いたレールに乗っかるだけ。
わたしは、無学生ですが、学者の説の発想が好きですね、仏教も、有りのままの現象を観察して、法則性発見して、説いていますので、説では無く因果の法則で、観察して要る所が凄いと、思います、わたしは、ユニークな説を考えました、まず、ビッグバン説は、科学で計算して膨張している宇宙を現在から過去に、フイルムを逆再生したら0にたどり着いたので、その0地点が宇宙の始まりとの説と?成ってますが?わたしは、無から有は現れないと思いますので、その前の宇宙が有ると思う一人です、なので、ユニークな発想を考え付きました、人間を宇宙に例えたなら口が、ブラックホールで、食べ物をドンドン吸い込みます
、吸い込んだものは、簡単には出てきません、一方通行に成ってますから、食堂通り過ぎ大腸、小腸の何億細菌に分解されて、やがてお尻に溜まり限界を超えたら爆発しながら別の世界へ飛び散るのが、大きな便です、つまり、英語でビックベンです、これがビッグバン理論と重なりますなので、ブラックホールとホワイトホールはセットなのですね、宇宙は、だから永遠に続くのだと思いますね無始無終なのですね、宇宙は、始まりがあれば、とっくに、終わってますからね?
ガリレオが信念を貫いたように,京大の宮沢先生も信念を貫いて,結果,京大を追われた。現代においても権力と科学の状況は変わっていないことを認識し,反省すべき。
配信を、ありがとうございます。
ガリレオ・ガリレイ教授は、真の物理学者です。
そのガリレオ・ガリレイ教授に比べて、理論物理は、物理学者ではなくて、数学者に近い。
実に面白い
昔は恒星の年周視差を観測出来なかったから地動説が受けいれなかったとの説明があります。成る程と思いました。
この動画ではコペルニクスがまるで、宗教感で適当に天動説を唱えたと捉えるように作られていますが、コペルニクスは
天文台で日々星の観測をしてその観測データより天動説を導きだしたんですよね?
更に本を出版する際にそれを発表すると世間を騒がせると思い何年も出版しないでようやく出版し、出版の印刷では友人が初めの注釈で
”これはあくまで仮説です”
とつけたお陰でそこまで騒ぎにならなかった
こうではないのですか?
天動説と地動説が混乱しそうですが、まあ、あまり重要でないのでどうでもいいですが、コペルニクスも天文観測を続けた結果を当時の幾何学で分析したことは確かなようです。
振り子を作って時間を取り込んだ事で、物理学が出発。
ガリレオの時代は16世紀だが
宇宙の謎は何も進歩してない
興味深い レオナルド・ダ・ヴィンチと共に生涯研究すべき偉人だ
明石の学芸員の表現には修正箇所がある。
開始1分まで、そういやこの番組タイトルの由来はガリレオだったと忘れてたw
ところで、科学を扱う番組なのだから、迂闊に『ガリレオは人類で初めて望遠鏡を月に向けた』 12:05 と断言しては欲しくはなかった。せいぜい「人類で初めて(略)向けたとされている」までしか言い切れない。
望遠鏡が子供のオモチャだというなら、実際に望遠鏡を持った子供も居ただろう。朝に、昼に、夕に、望遠鏡を覗き込んで色々なモノを観察することを楽しんだ子供が幾人も居ただろう。そんな子が、ふと夜中に目が醒めて、窓から月明かりがまるで陽光のように差し込んでいる様を見て、望遠鏡を月に向けないことなどあるだろうか? 教会の偉いヒトから聞いた完全なる月の姿との余りの違いに、恐ろしくなって口を噤むしかなくなってしまった子が、ガリレオより前に1人も居なかった 11:58 と、どうして断言できようか。
ガリレオ以外に向けた人がいたともいないとも言えない。しかも確認もいまさらできない。
というわけで史実に残ってることのみで判断するとそういう言い回しになる。
その僅かな可能性を追い求めてしまうと何に対しても、それより前に実は文明があってそこで行われていたかもしれない。とかなんでもありになってしまう。
だからこそ史実に残ってることだけで伝えるのだと思う。
ガリレオが発明した高倍率な望遠鏡がそれまでの真偽不明な常識を観測によって裏付ける事が出来たというエピソードを「初めて月に向けた」って表現してんのに「その前に子供が向けてたかもしれない」なんてクソどーでもいいやん
@@sugosugomugimugi それな
信念を貫くのは科学にとって良くない。信念を貫くのを是とするのは宗教です。科学にとっては寧ろ、自分の誤りを認め、
訂正することが好ましいのでは?地動説を証明するのは難しい。現代では、地動説を小学校や中学校で天下りに教えていて、
地動説が当たり前だと思われているが、これを証明するのは難しいということにも触れておくことも必要ではないのかな?
ガリレオは土星の「輪のような」という言い方はしてなかったと思いますが。「一次性質、二次性質」はイギリス経験論の
ロックではないのかな?ガリレオは、近代科学に、啓蒙家として貢献をしたかも知れないけど、それ以外はどうなんでしょう?
ガリレオが著作した「偽金鑑識管(黄金計量士)」から、「宇宙と言う書物は数学の言葉で書かれている」という言葉が名言
として引用されることが多いですが、ガリレオが言う「数学」は、あくまでも、直線を引く定規と、円を描くコンパスの世界で
す。ですから、ガリレオはケプラーの「楕円運動」を、「子供じみた発想」だと、バカにして相手にしなかったのではないで
しょうか?また、ガリレオ裁判においても、教会側は地動説が理解できなかったのではありません。これは、ガリレオという
宗教の門外漢が、知ったかぶりして教会側に、キリスト教の教義の誤りを正そうと、余計な口出しを出したことに教会側が怒
った上での宗教裁判ではないのでしょうか?しかも、コペルニクスやガリレオの地動説より、古代のトレミーの天動説の方が、
遥かに厳密な数学を用い、正確・精密に観測結果を説明できました。そういう意味では、教会の下した判決は正しかったのでは?
もっと詳しく知りたい
あの花の主題歌もよかったよね。
板チョコアイスのガリレオに見えてしまうw
何でも最初に見つけた人、作った人は偉大と呼ばれるのです、いずれ彼でなくても誰かが見つけていたでしょう。
日本は八百万の神がいる何でもありの国なので、科学は受けいられやすいと思いますね。
そうかな~?私含めてかなり固定観念やそれまでの常識や化学にしばられていると思うのですが・・・
例えばスマホの大きな画面。あれをスマホがでる5年くらい前にタッチパネルで操作する携帯電話の画面サイズは手の動線を考慮してそれまでの(大画面携帯の)1~2回り大きくしなければならないって言っても誰も理解してくれなかったし、携帯電話の高画質化を大絶賛しているのにも関わらずまともな漢字表示ができる携帯なんて(当時は)存在しない事への不満も書きなぐってましたがこれも理解されなかった(PC 嘘漢字 等で検索すれば概要が解ると思います。要は48×48ドットでは正確に表現できない漢字があると言う事)
理解されずに逆に物笑いのネタになる事もありましたよ。流石にスマホの画面を昔の携帯みたいな小さい画面で操作ってのは今だと笑われるとは思いますが(本当に昔はそういう発想がなかった)こういう事は誰しも経験があると思いますけど。
都合の良い日本観w
6:50野家啓一
隅田川わきの汐入公園のところがでてきた
ヨーロッパにキリスト教が来てヨーロッパは不幸になったと思う。
キリスト教ってヨーロッパで出来たんじゃないの?
そもそも宗教なんてそんなもんじゃない?
未だに心は解放されて居ない!
こう言う事があるから宗教やキリスト教を信用出来ない要因ではないだろうか~これも時代背景なんだろうな~
キリスト教にとって地動説が不都合だったという表現は正しくないです。その当時の科学?の主流な考えがそうだったのと、ローマカトリックが科学的権威とされてたと言うだけです。ガリレオもコペルニクスもキリスト教だし、聖書を読んで地動説と相反することは書かれていません。ローマカトリックは聖書そのものに矛盾することもしているので、解釈が間違っていたのでしょう。キリスト教という一括りで表現すべきではないと思います。
昔はしょうがないけど、今はこれだけ宗教に間違えがあるのがわかっているのにまだ宗教にすがるのはどうしてか?
宗教心のない科学は不具であり、科学知識のない宗教は盲目である
縋るのは考えもんだが、完全に撲滅するのも考えもんだな
程々の距離感を維持するのは難しい、故に偏る人間が出る
三日金に満金が正しい。
それは異星人だから。
でも天文対話は流石に性格悪いと思う
野球はつまんねーとか、ディーンフジオカの歌がヘタすぎ説をコメントしたら、
DMがきて死刑かと思いました。勇気っているんですね😢
※ガリレオの地動説は大嘘
飛んでいる飛行機から地球の自転する動きを観測出来る筈であるが、とても動いている様には見えない。地球と大気と飛行機は一体で自転している訳ではない。風は東西南北のどの方向からも吹いているから、大気は地球に束縛されていない。飛行機は大気の中を自由に航行できるから大気に束縛されていない。確かに、飛行中の飛行機の中で虻を放って飛んでいる様子を観測すると、虻は飛行機の速度による虻自身の体重が生み出す慣性力の影響を受けないで、軽やかに飛んでいた。これは閉じ込められた飛行機内での慣性力は生じないと言う証拠である。つまり、虻の前後の空間の気(真空にしても同様)が慣性力を打ち消していると考えられる。慣性力は物体の運動している後のエアポケットが作り出しているのである。だから、飛行機の後には慣性力が働いて急に減速すれば前向きに慣性力が働く。しかし、地球上の大気は地球に糊付けされていない状態で自由に流動している。だから、飛行機が地球の自転による東方向への慣性力(遠心力による)に逆らって、西方向へ航行するなら、飛行機の推進力がその分減衰する。時速1600kmの地球の自転が生み出す慣性力は相当に大きなもので飛行機が進行出来ない事も十分考えられる。
赤道付近の地球の自転の速度は時速1700Kmである。飛行機が着陸する時に地面がこの速度で動いていたら、飛行機はその衝撃で大破する。大破しないのは地球が自転していないからである。
星座の動きをよく見てみると、二つの円が出来ている。地球の自転なら一つの円が出来る筈である。これは自転説の矛盾である。
左回転の回転木馬に乗って相手にボールをパスすると、ボールは右カーブを描いて反れてしまう。ライフルで的を射撃すれば同じ様に反れて的に当たる事はない。これも自転説が間違いだと言う根拠だ。ロケットの発射ビデオはロケットが真っ直ぐ天に向かって飛んでいる。地球が自転しているなら、遠心力による慣性力で回転方向へ反れるカーブを描く筈である。
太陽の雲の隙間からもれる光線は平行ではなく、扇型の放射線である。このことから、太陽は天文学が言う所の地球の約100倍の大きさなどでは無く、大きな懐中電灯の様な物である。太陽≦地球だと断言出来る。
こういう考えができる人がある意味うらやましい。ファンタジー小説の舞台背景を任せたらとことん細かく描写してくれそう。