【期間限定公開「デ・キリコ展」の楽しみ方まる分かりSP】シュールレアリズムの先駆けジョルジョ・デ・キリコ!意味不明の現代的絵画の見方がよく分かる【20世紀美術に衝撃!形而上絵画はゲシュタルト崩壊絵画】
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 20 ก.ย. 2024
- 20世紀美術に衝撃を与えた孤高の画家ジョルジョ・デ・キリコを大特集☺️
マネキンや謎の塔など、とっても不思議で幻想的な絵を描くデ・キリコ🎨
その画風の秘密を五郎さんがマルっと解説します✨
難しそうな絵を見るのが、ちょっと楽しくなる50分です✌️
大回顧展に是非遊びに行ってみてください〜🤗
※切り抜き動画不可※
「デ・キリコ展」
dechirico.exhi...
東京都美術館
2024年4月27日[土]~8月29日[木]
休室日 月曜日、5月7日[火]、7月9日[火]~16日[火]
※ただし、4月29日[月・祝]、5月6日[月・休]、7月8日[月]、8月12日[月・休]は開室
神戸市立博物館
2024年9月14日[土]~12月8日[日]
休館日 月曜日
※ただし、月曜日が祝日または休日の場合は開館し、翌平日に休館
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サンカルロ広場
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#ピカソ #アポリネール #カンディンスキー #エゴンシーレ #クリムト #ギリシャ
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#イタリア広場
#原田直次郎 #ベックリン #死の島 #ニーチェ #生の無意味 #神の死 #アリストテレス
#ゲシュタルト崩壊 #画家
#山田五郎 #教養 #美術 #教育
⚠️この動画は【切り抜き不可動画】です。
仕事に疲れた日、毎日使ってる駅のホームに立って電車を待ってると、ホーム越しに見えるビルや看板全てが初めて見るもののようになることがあります。
😂🎉😂😂🎉🎉
めっちゃ分かります!田舎の駅とかでも感じる
@Tmtyk_travelingalone
それは本当に初めて見るんじゃなくて…?笑
未視感 "jamais vu”
20代の頃に経験あります!
山田五郎さんの組織力、経歴、なにより学芸員としての博学がなければ著作権が残ってる絵画を
(おそらく複雑な契約事項を乗り越えて、)期間限定とはいえ解説を配信できなかったと思うと、彼こそ唯一無二のyoutuber
ある昼下がりに公園でボーッとしてたとき、幼少期から見慣れている景色のはずなのに、日差しとか緑がすごく眩しく新しい物に感じられて、この日差しも揺れる緑もそれを見ている自分自身も、過去にも未来にもない今しかない、全てが刹那的に感じられたことがあります。この絵の夕暮れの日差しにも、その時のような刹那が感じられるような気がします
私もその感覚によくなります!景色が動いてるのに止まってるような、人がいるのに自分しかいないような感覚です。ゲシュタルト崩壊にすごく近いと感じてたので、同じ感覚の人がいて嬉しい。
てんかん発作の症状として、dejavu(デジャヴュ:既視感):「前にもどこかで一度これと同じものを見たような気がする」がありますが、jamais vu(ジャメヴュ:未視感):「何度も経験したことのある事柄を、まるで見慣れないもののように感じてしまう」があります。他にも離人感や周囲から孤立する感覚てのもあります。デ・キリコがのそれがてんかんかどうかは置いておいて、脳の機能として潜在的にそういうものがあるのは面白いことで、芸術に昇華するのですね。
美術の教科書で見た「通りの神秘と憂鬱」の印象が頭を離れず、以来気になる作家になりました。子供の頃にいろいろな素晴らしいものに触れるきっかけは大切ですね。
子供の頃、ずーっと景色を眺めていると、見ているもの以外がぼやけ、意識や視覚の遠近感、時間感覚が狂い、一人取り残されたような気分になったことをこの動画で思い出しました😂
そして、子供の時岩手県立美術館のデ・キリコ展で見た絵に惹かれたのは、この感覚が共鳴した部分があったからなのかも知れない、と新たな発見でした!
この動画を見なかったら一生思い出さなかった感覚かも知れません…!🥲🙏
私も小学生の頃に同じ経験があります。
「それが、戦後教育の悪いところ」・・・面白いです。五郎さんが、生き生きと、楽しそうに語ってくれるのが、うれしい。
50代半ば過ぎです。
40年以上前の子供の頃、キリコの「通りの神秘と憂鬱」に何故か吸い込まれるような感覚を覚え、以来好きなアーティストです。そしてある時私の大好きなルパン3世の(確か映画版)に数秒その作品が出現し、 やたら感激した瞬間も覚えています。
非常に大人びたませた子供でした。動画の中でおっしゃられていた「不思議な感覚」は子供時代の方が持っていたと思います。だからこそデ・キリコに惹かれたんだと今納得です。
そして「答えは無い」というか自分で生み出すという概念は大人になって企業研修事にインストラクターとして発信してきました。色々デ・キリコに惹かれる理由が見えてきたそんな動画でした。配信ありがとうございます。海外在住者につき展覧会に行けず本当に残念です(涙)
めちゃくちゃ展示良かった。高校の時から彼の絵にハマって20年近くたちやっとこんなに大規模な展示を開いてくれてありがとう。本当に良かった
五郎さんがおっしゃってることがめちゃくちゃよくわかって、自分の中でその現象を「ゲシュタルト崩壊」と勝手に定義していましたが、五郎さんの口から ゲシュタルト崩壊 という言葉が出てきて「それーーーー!!」と鳥肌立ちました!!🤩✨
買い物の帰りなんかに近所の公園で考え事してると、ハッと気づいた瞬間「あれ、ドコに居るんだっけ?」って感覚になる時がありますね。
しばらく周りの風景が知らない場所のように思えて、でも少しすると「あー、あの公園に居たんだ」って気づいて元の感覚に戻ります。また、外国を一人で旅行してるような、そんな寂しさも感じたりします。
「答えちゃったら終わり」「意味が分からないからこそどんな解釈も可能」ってお話を聞いて、言葉にすると答えが逃げていく感じがちょっと禅問答みたいだなと思いました。
答えても大して変わらないこともありますけどね。
@@itsumo-gomen変わりがないというよりは 大差がないという意味です。
無意味=あらゆる解釈が可能
という言葉が刺さりました
作品を見るのがより楽しくなりそうです!
デ・キリコ展、神戸で見に行きます。今日、京都ロームシアターの山田五郎さんと村上隆さんの対談講演会に行かせて頂きました。情熱のある熱いお話で目が覚める思いがしました。ありがとうございました!
逆にこの感覚って持っていいんだと安心できましたね
『小さい秋みつけた』的な、夢中で遊んでいた子供が、ふと、何気ない街並みや、そこにあるものが別の物のように感じる状態なのかな‥と思いました
デキリコの絵の中には、生命の存在があるような、ないような、恐怖も感じられるときがあります
見慣れている景色のはずなのに、ふとこんな景色だったっけ?と思うことがたまにあります。普段背景の一部としてしっかり見ていなかったものを、じっと見てみたときに起こる気がします。
なんだか別次元に来た感覚になります!
ゲシュタルト崩壊… しょっちゅうはないですが、
「これ、見えてるの、いま自分しかいないんじゃないか」
と感じた記憶はぼんやりあります。
どこか世の中と切り離されてるような感じ。
キリコの画は何故かダリなどより印象に残ってました
時間が止まったような感覚、何か起こりそうなのに起こらなさそうな、不思議な感覚
ジャメヴって言葉に近いのかなと思ったことがあります
中学の教科書で見てずっと記憶に残っているのが「通りの神秘と憂愁」です。恐怖の記憶として刺さっていると思う。回顧展絶対行きたい。
20:33 たまにテレビで芸能人を見てて「この人こんな人やったっけ」みたいな統合された概念が分解されてまったく新しい人に見えることがあるけど似たようなもんかなぁ。
無意味だからこそ解釈は無限っていうのは心に刺さったなぁ。
無意味とはどんな解釈も自由ってめちゃくちゃポジティブだと思いました。デ・キリコとニーチェのイメージが変わりました。
街角を輪回しをしながら駆け抜けていく少女の影を描いた作品が一番好きだ。
いつも思います。ウリタニさんって、山田さんのお話を聞く相手としてめちゃくちゃ優秀。
10年以上前のある日、自宅のダイニングで珈琲を飲もうとした時のことです。
突然、見えている世界が静けさに包まれました。
いつものカップ、いつものコーヒー。
眼前にあるのは見慣れたものなのに、カップはカップの意味がなく、珈琲は珈琲の意味がなくなって、
ただそれそのものがある、という感覚でした。
物に張り付いている言葉が消えたみたいな感じでした。
言葉が一切合切消え去って、物そのものだけの世界というのでしょうか。
言葉のない世界の体験を言葉で説明するのは無理がありますが、
強いて言えば「意味が張り付く以前の物」に触れている、みたいな感覚です。
その後もしばらくは何度か同じ体験をしましたが、最近はすっかり忘れていました。
この動画で思い出したのでコメントいたします。
私が包まれた静けさは、物音がしないというよりは、音が消えた感じ。言葉が存在しない感じです。
無意味というのは、意義がないのではなく、意味以前の「物そのものがある」感じです。
例えば、目の前のカップは、カップと名付けられたいつものそれではなく、「ただそれがある」感じで
カップと呼ぶよりずっと奥深い何か、みたいな。
書けば書くほどうまく表現できないもどかしさが募ります。
長文、失礼いたしました。
そのように見よう、認識しようとしても難しいものですが‥意図せずしてそのプラグマティックな境地に達すると混乱しそうですね
@@fools-ascension
確かに、意図的にそうしようと試みても難しいものですね。
プラグマティックな境地かどうかはわかりませんがw、「なんだ、これは???」という混乱は少しはありました。
私の場合、その体験は短時間だし、しばしばというわけでもないので、忘れていたのですが
「ある秋の午後の謎」の山田さんの解説、ニーチェの話等々がめちゃくちゃリアルに迫ってきて、とてもおもしろく、いろいろと納得し、スッキリしました。
デ・キリコの「ある秋の午後の謎」が大好きな絵だったので、なおさらでした。
フランスの作家サルトルの小説「嘔吐」の主人公が、マロニエの木を眺めている時、上辺だけの見た目が剥ぎ取られて存在そのものを実感する瞬間が描写されているのですが、なんかその状態ににているような気がしますね。
もっともその主人公は吐き気も同時に感じているのですが…。
@@TheHidesan
サルトルの「嘔吐」、全く知らなかったのですが少し調べてみると・・・
サルトルによる当初のタイトルは「メランコリア」だったようですね。
(そこになんだかつながりが見えそうな気も・・・。)
「マロニエ・・・」の箇所に興味を惹かれましたので、読んでみようかと思います。
子供の頃、キリコの「通りの神秘と憂鬱」を絵画集で見て吸い込まれました。何か気分が良くなりました。
キリコ大好きなんです!!
ムッチャクチャ楽しみにしていた企画ですので
ですからこちらの配信も本当に嬉しい!!絶対にあるのではないかと信じていました!
山田さんの仰るその感覚、分かるような気がします。
わたしが海外旅行に行く理由はそれに近い感覚を味わうためです。
今眺めている主観を第三者として俯瞰しつつも、五感が敏感になる。
理屈としては矛盾していると言えなくもないですが、そんな感覚です。
同じものでしょうか?
自分がそんな風に東南アジアの裏路地にいた時、
小汚く痩せていて、目が綺麗な野良犬が歩いてきました。
何の気なしにその犬と目を合わせた瞬間、
突然その犬が抱いていた哀しみのような感情の津波が自分の心の中に流れ込んでくるのを感じました。
もしわたしが芸術家ならば、
啓示として受け取ってもおかしくない程の忘れられない強い体験でした。
その日から、私は犬にも人間と同じか、
それ以上の感受性が備わっている事を確信しています。
ちょうど今日デ・キリコ展行ってきました!
私も同じ感覚にとらわれることがあります。今の自分が別次元の誰かであるような、さっきまで見ていた映画の世界に自分が入り込んでしまっているような、外の窓から自分の人生を第三者として見ているような、そんな変な感覚…。離人症なのかなと思ってて、私はおかしくなってしまったんだと思っていたので、今日作品を見て共感してしまいました。この独特な感覚もひとつの感性だと思うことにします!
ずっとやってほしかったアーティストを特集してくれて本当に嬉しいです。ありがとうございます。
🎉😂😂😂😂❤🎉🎉🎉
意味が無いってことはどんな解釈も可能性も受け入れてくれるってこと
それって昨今の『生産性』という言葉や『役に立たないものは存在してはいけない』みたいな価値観からの解放であり、救いなんじゃないかと思います
機械論的な効率性で人や営みを計る風潮が強くなる程、その囚われから自由にしてくれる異物性は重要なのかもしれませんね
「作品に意味を求めたがる」の、戦後教育というより「新世紀エヴァンゲリオン」以降あたりの最近の作品の影響がある気がします。
絵画にしても映像にしても、何かしらの謎解き要素を入れて、その答えを見つけさせる、それがアートである、みたいな。
30年ぐらい前はこういう「感じる」タイプの作品に対して「問1:この絵画の示す意味を答えよ」みたいなのをやりたがるのが多く、子供ながらに「知るかボケ」と思ってました。
興味深い切り口ですね、30年ぐらい前ですとエヴァンゲリオン現象の頃でしょうか。まだネットの普及率が低く、どのジャンルも好事家同士の考察レベルだったような…ミクシィ以降のSNSで考察から正解探しみたいな流れが生じて、それを隠しテーマとして反映させる娯楽作品も増えた印象があります。本来は作家の意図が正解という訳ではなかった筈が、まるで正解通りに鑑賞する事で分かった事になるみたいな見方が出てきたような。むしろ予備知識なしで感じて、作品の情報や時代背景などは後から仕入れた方が二度おいしい気もしますね…タイパ悪い、となるのでしょうけど。
逆じゃないですか?
放映されたエヴァは答えが語られてません。「おめでとう」をどう解釈するかは受け手が決めて良かったんです。意味があるかもしれないし無いかもしれない。これは形而上学的なモノではないですか?
もう一つ。冬月や碇ユイは「形而上生物学研究所」の人間だということをお伝えしておきます。
@@shibainu-nu 逆じゃないです。エヴァ以降「観客が」自分の解釈が正しい、でマウント合戦を始め、それがさも映画の醍醐味かのように見せられたんですよ。その後「何かしらの正当な解釈がある意味深な何か」を入れる作品が流行り、それを見つけ出せるかどうかを「観客が」競いドヤり続けた、その結果として今があると言っています。
@@bukkosimposha なるほど。では作品には形而上的な「解釈を聴衆に委ねる」アプローチは持たせると解釈論争を巻き起こす為やるな、という立場の元発言されてるってことですか?
それとも「解釈の余地、含み」を持たせる作品がよくないってことですか?
それとも作品の意味は一意に定まるべきであって形而上的なアプローチ自体に違和感があるってことですか?
自分の休みと美術館の休みがかぶっててつらい😂
心の渇望は有給とってでも行きたいですね♪♪
デ・キリコの絵は中学校か高校の美術の教科書で見たのが初めてで、強烈な印象が残っています。あの独特の荒廃感はなんなんだろうかとずっとモヤモヤしていたのですがその感覚を言語化してくれて、ああこの感覚はそれだったのかという思いと、自分以外にもそういう感覚を持ってる人がいたんだという思いを抱きました。東京都美術館で展示するというのはまさにこの動画で知ったので早速チケット購入しました。今から楽しみです。
本日、行ってきました。年代によってアプローチやアレンジが変わっていたのが印象的で、個人的にはよく知られているマネキンなどの形而上的なアプローチより、ルノワールを真似た画風と銅像の作品が印象的でした。こちらの動画で予習させていただき、心ゆくまで展示を楽しめました。ありがとうございます。
自分の経験で言うと、これまで最もゲシュタルト崩壊を引き起こしやすかったのが "を” ですw
ほんとにもー、この字見てるとすぐ「・・・なんじゃこりゃ?」ってなります。
世界一好きなジョルジュ・デ・キリコ!!
幼少期に見た昼間の遊戯に衝撃を受けてずーーっと好きです。
解説ありがとうございます
まだ10代ですが毎日ゲシュタルト崩壊しています、軽度の解離の可能性も無きにしも非ず😂
ぼーっとしていると意識が目の奥に行くというか、そうすると世界から切り離された気分を味わえます。勘違いされそうなのですが、決してスピリチュアルな話をしているのではなくてあくまで私個人の主観的な感覚です。
そういうときに芸術的なインスピレーションをもらえる感覚もかなり共感できて面白かったです。
ニーチェは「ツァラトゥストラはかく語りき」しか読んだことがありませんが、たしかに今回紹介された作品の秋の寂寞とした感覚がニーチェの言っていることと似ているような?もう一回読み直そうと思います、長いけど...😬
これは自論でしかないのですが、人生を無意味に感じるためには先ずぼーっとして世界から隔離された感覚になる必要があるのではないのでしょうか。寂寞はその第一歩というか。あの秋の作品はそういった「生に肯定的なニヒリズム」に至るための初期段階に私を引き戻す、あるいはニヒリズムに人々を引き摺り込む力があると思います。初期段階のあの感覚は好きでないです、鬱っぽくなる🥱
期間限定なんですね…!デ·キリコ展、行きたい♪確かに見慣れている景色が、突然違ったものに見える感覚、時々あります。階段を下りている時など、影の傾斜で不思議な感覚になることがあります。
キリコ取り上げて頂けるの待ってました!著作権の関係もあり日本ではさほど一般的な人気や知名度のある作家とも言えないので無理だろうな、、、と諦めておりました💦案件バンザイ🙌
2000年頃に京都の「えき」美術館へ回顧展を観に行きました。今回の回顧展も楽しみです。
、、、むせる
その感覚、めちゃめちゃわかります!
孤独も感じる時もありますし、
自分は誰で今何してるんだ?
どこにいる?自分は何なんだ!?
みたいな感覚が急に来る時あります。
でも、誰かにこの事を言ってもあまり共感を得られなかったんですが、五郎さんがこの事を話してる時は、首がもげるんじゃないかってくらい頷きながら、あるある!って言って聴いてました!
五郎さんの解説は 絵の背景を多方面から解説してくださるから 展覧会では わかりやすく 意味深いものになるでしょうね。
行きたいなぁ。
怖いからその感覚を増大しない方法を子供の時見つけましたなぁ。
この感覚が始まるタイミングがだんだんわかる様になって①走る(スピードを出す)②頭の中で人を探す(近しい人との思い出を繰り返す)、で打ち消けせます。ワタシは笑。
ビューティフル・ドリーマですよねー
漢字を眺めていて「なんだっこりゃ、、意味のない変な形」って思う時期があったのは、ゲシュタルト崩壊だったんですね。
「本物のゲシュタルト崩壊ってのをみせてやるよ
……
ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ
ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ
ぬぬぬぬぬめぬぬぬぬぬ
ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ
ぬのぬぬぬぬぬぬぬぬぬ
ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ
ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ
……!!
」
@@so8661
アリさんカマボコに見えてきた
すごくわかりやすいです。世界に付された記号が崩壊するとき浮かび上がる世界があるんですね。
言葉より先に、意味づけするより先に垣間見える何か。。
平成生まれですが、答えがないことにむしろ自由を感じて救われます!😂
フライヤーを見て、是非行きたいと思っていた展示です!行く前に予習ができてありがたいです。
みんながコメント欄で「あの感覚」について語ってるのが嬉しいです。結構多くの人が体験してるんですね。
十年くらい前に、「あの感覚」が何日間か続いてしまい、絶望感がつのり病院行こうかと思ってたら急に治りました。
あれは一瞬くらいがちょうどいいです。
わかります。学生の頃 深夜のコンビニで一人バイトしてた時
すごく明るい店内と 整然と並べられた食品 ジーーーとなる電灯の音
あの時 ああもう世界は終わって私はこの無機質な真夜中のコンビニエンスでひとりなんだなって
無性に切なくなったのを思い出しました・・・・
わーーー❣️ 続きがあるのですね💓
楽しみです♪♪♪
ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』は芸術の虚脱感を表現した内容として印象に残っている。今回の動画を見て、俄然、『デ・キリコ展』が見に行きたくなりました。ありがとうございます。
この展覧会本当に楽しみだから取り上げてくれて嬉しいです😭
子供の頃、友達何人かで砂場で遊んでいた時。
何の前触れもなく周りの風景がゆっくり後ろへ流れていった。
自分が動いているわけではない。
その時『自分はこの世界に一人きりで、自分以外の自分は、この世界にいないんだ』と自覚した。
…という経験があります。
あとで思い返すと、ヒッチコックが『めまい』で使っていたドリーズームという技法のように風景が流れていきました。
意味を求めない。全肯定に近いのでは
世界に1人だけになるような感覚
すごく分かりますwwよくあるw
仕事で市内のビジネスホテルで止まって
朝早く街に出てバス待ちとかでボーッとしてると時とか
地元の神社に参拝に行った時に神木見てボーッとした時とか
人の居ない電車でボーッとしてる時とかw
キリコ、不思議な感じの絵が大好きでした。是非、観に行きます
素人意見です。漢字をじっと見てると「こんな字だったっけ?」と思えてくる。
漢字は読めるが、書け無い時はよくある。絵が下手な人は不思議な人物像を描くが、そう見えてる訳ではない。
これらは脳の違う部分を使っているからだと思います。その脳の違う部分に切り替わった時に、その物の意味が無くなったような感じになる。
つまり意味を捕らえていた脳から、単純な形だけとらえる部分に移って、幻覚を見ている様に感じるのだと思います。
例えば「愛」と言う漢字を見ると、日本人には意味がついて来て、そこから思い出す印象すらついてくるが、アメリカ人なら単純な形だけでの良し悪しを判断出来るでしょう。
この「愛」と言う漢字を見たアメリカ人のような感覚を追い求めたのがキリコだと思うのです。
キリコといえば影。少女と車輪の影、彫像の影、聳え立つ塔の影、黄昏の神秘感
に魅入られた画家なのかなって思います。
マネキンも人の影ともいえるし、アリアドネは迷宮の引きこもり
陰影でもって世界の謎を際立たせる形而上絵画ですね。
的外れかもしれませんが、形而上絵画のお話で「作者が意味を決めず、見た人が感じたことが意味」と言われていたのを聞いて、龍安寺の石庭を見た時のことを思い出しました。
ゴローさん、解説ありがとうございます❗ いつかやっていただけると思っていました、ジョルジョ・デ・キリコ解説。
長年好きな画家なのにどう好きなのかを人に説明するのが難しかったんです。それを「突如世界の秩序から切り離された感覚、突如音が消えてさびしさ切なさが…」という感覚で説明されたのが、とてもしっくりきました。どんな解説書よりも府に落ちた感じです。もやもやしていたモノを言語化できてすっきりしました。展示を見に行くのがますます楽しみです。
教科書で見てとても印象に残っていた画家だったので解説嬉しいです!!
光に照らされた場を見ると脳が停止してただ視覚から入る流れる風景を眺めてることあります。微妙な光りの加減が眩しいなかで移ろいだり、視野端にぼやける蝶の羽ばたきや子供たちのかけ遊ぶ陰や叫声が停まった脳裏に流動的になだれこんできても、視野はただただ光る何かから一切目を離さず、一種懐古的な心持ちになっている。見ているものは光る白い壁だったり、鮮やかな黄緑の葉枝だったり。目を奪われているのでしょうね。脳内シナプスが光りの刺激で他の似た記憶を呼び覚ます瞬間かもしれないし、クロノスタシス的に時間停止したなかを、体だけが浮世から分離して浮遊している、または現から切り離されて存在している感覚。そのときは自身は見ている光る対象と分子レベルで同化しているのかもしれない。自身も光りの中にあり、太陽光無くば色さえ判然といない宇宙分子が集まるなかで、ヒトや物資の別を超えて、ひとつになった感覚というか、過去ほど若く、若さは生まれる前の死に近い宇宙無垢の状態ですから、より光りを直に感じて生きていた子供時代の記憶と結びついて、脳内と視野は光のなかで懐古を感じて停止して、昔の無垢に帰ることを望み、魂レベルに太古帰りをしたがってるのかもしれないです。太陽は長年地球を照らしてきましたが、水に記憶力があること同様、太陽が照らし出す分子にも太古からの記憶が染み込んでいるのではないかと思うと、ヒトや生物が、光るものを見て懐古的になるのは必然、と思います。感受性が豊かな証拠なのだと思います。私の場合は、ですが…。
単に退屈とかすかな居心地の悪さを感じてその時間の過ぎ行くのを眺めているだけかもしれないですけどね✨
抽象的なご意見ありがとうございます。愉しませて頂きました。
@@ykohrt880 逆ですね。キラキラ光るものへの希望の懐かしさです。私は常に脳内多動で様々な考えが止まらないので。行きたい場へ行き好きな場にいるので、居心地も良い時間の合間に見る現象です。
@@薄紫dm1zkなるほど。素晴らしいですね。よく理解出来ました。どんな風に感受性が豊かであるか言語化されています😊
時として心から感動する場合は確かにありますね✨あなたとは違った感覚ですが。私の場合は、そう頻繁にはありません。
@@ykohrt880 生き方と見てきたものは皆が違うからこそ楽しいことので、880さんの感覚は私には新しく新鮮に思いました。人により、880さんのおっしゃる退屈や、はたまた寂しさに美しさを感じる人もいれば、焦燥に逆にドキドキ胸踊らせちゃう人もいたり、幸せを避けたい心境の人もいます。生きてるなかで全てを体験する人もいるでしょう。それも人です。880さんがそれらの喜怒哀楽をどう受け止めるか、体験していくか、それは880さん次第だし、周りに影響されてしまうのか好転できるのか、立ち止まりゆっくり考えることも人生でできると思います。かなり話がズレてしまいましたが、お互い、個々の感性を楽しみましょう。いろいろな物を見て心動かしましょう。あ、強要じゃないですよ。何を選ぶかは最後は本人ですし、提案でしかありませんから。
キリコさん、中学校だったかな美術教科書で一番好きな画家でした。キリコの絵は夕方、とくに逢魔が時をイメージさせます。東京都立美術館に必ず行きます!
7月4日行きました!
やはり我らが巨匠アンリ·ルソーは後続の画家に与えた影響は巨匠にふさわしいですね🎉
太郎さんの言ってることめっちゃわかります。一点をみてるときづいたら無の世界に一人になってて。凄い孤独を感じます。確かにあれはゲシュタルト崩壊。
五郎さんですね
大好きな画家です。
学生の頃、影響受けまくりで似たような絵を描いてました。
十年前、浜松市立美術館でキリコ展ありましたよ。観に行きました。
好きな画家の回はすぐ観ちゃう!「ある秋の午後の謎」の話を聞いて(ああ、私がデ・キリコが好きな理由はこのことかな・・)と思いました。デ・キリコ展行こうと思います。
よくわかる感覚です〜 学生の頃にキリコの絵で、自分の持つその感覚を肯定された様で嬉しかった思い出があります。
日本にもその感覚を詩にした作家がいますね。萩原朔太郎の「猫町」という詩がその感覚を描いています〜。
キリコの絵には、人間の本能的な恐怖が封じ込められている気がします。感性の画家って思ってます。
地理的背景は異なるものの禅に通ずる世界観が感じられる。これは奇妙な感覚でした。
私も似たような経験を意識的に行うことがあります。小学生の頃から,部屋で一人で仰向けになり、天井を見て「自分誰誰だろう,何だろう?宇宙てなんだろう?」と考えてると、自分の意識が自分の体から出てしまう感覚となり、自分が誰だかわからなくなり、この宇宙は何だろうという意識になりました。小さい頃は気持ちが悪いので、すぐその考えから逃れるとまた元の自分に戻ります。わたしは医療従事者ですが、学生時代に精神科の授業で習ったことからは、この症状は離人症かと思います。それも。軽度なのだろうと思います。友達に聞いてもあんまりそういう経験はないようでした。山田さんがどうかはわかりません。
この絵に答えはない!という五郎さんに、答えはなくても思わせぶりだ!といったウリタニさんの一言に、その通りだなと思いました😂
あとゲシュタルト崩壊のくだりは、まさにシュルレアリスム。。。とか思ってしまいました。
五郎さんの今日のいでたち、色合いが素敵
ゲシュタルト崩壊みたいな感覚、めちゃくちゃわかるなぁ
特にお風呂に入ってるときによくその感覚に陥る
自分を俯瞰的に見ている自分もいて、ゲームの中の登場人物を見ている(TPSみたいな)みたいな、
自分という人間をコントロールしている他の人間がいるのでは……みたいな
一人きりになったような寂しさを感じるというのもめちゃくちゃわかる……!
雪が積もった満月の夜によく窓の外眺めてましたが、雪が音を吸収して異常なくらい静かで雪が月明かり反射して何時もより青白く明るい夜は本当にこの世界に自分だけな感じもしましたし、時間さえ止まったような錯覚がありました。
五感の中でも音が無いというのは圧倒的な孤独感を感じるような気がしました。
ちょうどよいタイミング。チケットを前売りで買って、明日行きます。ありがとうございました!
「無意味=無限の可能性」
これ、印象的でした。
寂寥を感じるのよデ、キリコの絵を見ると。
私解離性(解離症の様々な症状があった)をずっと患っていました。最近は多分治まってるはず(多分)。五郎さんの描写を聞いていて、実に解離的だと思いました。解離症は感覚器の経路を自ら閉じてしまうという症状が出る病気です。症状はストレスフルな状態で起きると言われています。私の実感からもその症状が起きている間の自身の感情として、寂しいというのがありました。世界がなにかを隔てて向こう側にあり、こちらに自分ひとりでいるような感じです。また関係があるかわかんないけど、私は小説を書いていて、それがどうしても形而上的(具体的じゃなくて観念的な?イメージが前面に出ちゃいやすい)になりますし、またディストピアっぽい雰囲気になりやすいです。ニーチェというより、仏教的、華厳的な?言いすぎてるかも。お話聞いててなんとなく言ってみたくなりました。キリコってそうなんだ…。見に行ってきます!
ですよね!?
離人感に近いのかなと思いました!!
@@時雨-d7w ですよね!ただ、ゲシュタルト崩壊はゲシュタルト崩壊で別にあるような気もします、、、。メカニズムが似てるんですかね……。
@@kkkkkk5476
ね~~ なんだか興味深いですね✨✨
解離症状というのは、特定の記憶が抜け落ちる、人格交代がある、離人感や現実感が伴わないという様な病気ですね。
あなたご自身の自覚がそうであるのでしょうか。失礼ですが興味深いですね。
いずれも自分にはない感覚ですので、周りの風景がそんな風に見えていたら大変だなと思います。
間違っていたらごめんなさいですね。
え!!乖離症なんですかコレ!!
確かにいつもストレス負荷が凄い時に感じてたのかもしれない。。
夜中、ぼーっと風呂に入っている時、ふと自分の手を見て、妙な形だな〜何だこりゃと訳分からん感じになる事があります。腕や足もしみじみ眺めて何じゃコレ感にしばらく浸ってから、これが人間・自分の形と散らかった感覚を丸めてからあがって寝ます。奇妙ですがふと浮き上がってはまた戻る感が面白いです。
日本SFの古典に光瀬龍という作家がいる。
彼の好きな画家がデ・キリコ
彼の作中にデキリコのモチーフ、乾いた大地、尖塔、長く伸びた影、静寂を再現している場面が所々に現れる
その作品を通じて私もデ・キリコが好きになった
デ・キリコの絵は体調悪い時に見る夢とか、イデアの世界から現実世界を覗いた様子とか、白昼夢とかそんな感覚でした。
今回のデ・キリコ展はっぽい絵だけじゃなく色んな作品があるようなので楽しみです。
私が好きなのは「ヘクトルとアンドロマケ」ですね。シュールレアリズム展でポストカードを買いました。
自分の経験で言うと、たくさんのビルが並んでいるのを見た時に、
①この灯り1つ1つに「生活があるんだな」と思ってなんとも言えない暖かい気持ちになる
②こんなに多くの「家」が見えるのに、なぜか世界に自分1人であるかのような冷たい感覚になる
①②の両方を感じた事があります。その時のメンタルによるのでしょうか……
個人的には①はサウダージのような感情で、②が今回言われていたメランコリーなのかなと思っています。
風景や構造物をぼーっと眺めている時、自分の存在が消えていく感覚たまにありますよね
世界と切り離されるというよりも、全ての物が意味を失って己と世界の境界線が曖昧になるというか
同じような感覚を持ってる人が多くて安心します
形而上学的な思索は抽象概念を認識する上で極めて重要なプロセスですね。
飛行機に乗って見に行きます。先に図録を取り寄せてじっくり予習する予定です。
19:17 イタリアの地方の中世みたいな都市アスコリ・ピッチェーノの真っ白な石の街路の白昼は、まさにキリコ的でした。ボローニャのアーチのファッサードが連なる街並みもキリコ風ですね。ちなみに形而上という言葉は易経の繋辞伝からです。今回1910年代の作品もあるようで、ますますいきたくなりました。
五郎さんの話は時代や諸々背景の話が面白いですね。若いころみてたタモリ倶楽部のおしり評論家のイメージは何処へやら。別人。
今日上野まで見に行きましたがこの動画を見てから行けばより楽しめたかなと少し後悔笑
山田五郎さん、久しぶりに拝見しましたが、20年前と全くお変わりなく驚きました😊
子どもの頃から気になってた画家なので
展覧会は行く予定でしたが
その前に今回お話しが伺えて
本当に良かったです
キリコは私には独りぼっちで
あてもなく
知らない町をたずねる印象ですね
ベックリン風キリコ、😮マグリットの感じに近いですね。マグリット好きなので、若いキリコ、ベックリン、その前の人と、三枚並べた画面はとても良い感じでした。
その後の色も影も濃いダリ的キリコも良いですが。輪回しの影子が好きですが。謎を解かない楽しみは、自分の混沌を許して好きなように遊ばせてくれる安心感があります。
神戸にデ・キリコ観に行きます!今回の動画で期待値ますます膨らみました。次回の動画まで楽しみです。展覧会の予習の
為に時間が有る時は見るようにします。でも今月は京セラでキュビズム展を観るのでその解説の動画を中心に見つつ今回の解説も見ようと思います。解説の回も観る楽しみ方を学べて有意義な時間を過ごす勉強にもなって有難いです✨
五郎さんがおっしゃる感覚は非常によくわかりますし、キリコの画そのものであるので大好きな画家です。
子供のころによく体験した白昼夢そのものの世界、この世にただ独りになったような不思議な感覚。
不安や怖さもありながらも、そんな感じが今でも嫌いではないです。
確かに、この手の体験に哀愁のような感情がくっついて来るのが興味深いですね。
盛りだくさんのお話し
面白かったです
次回を視聴してから
東京都美術館に行きます
デ·キリコは「通りの神秘と憂愁」
が好きです
次回も期待してます。
何だか分からなくなる瞬間ですが、自分も20代の頃にありました。テレビを
ボーっと見てて、画面に映った「手術」という字の意味が分からずボーっと
考えていました。「手の術って何だ?芸術とか美術と関係あるのか?」少し
してハっとなって「あ、病院で行う“手術”か!」と、しばらく意味が分から
なかった自分自身に驚きました。ボケるような年では全然なかったですから。
なので未だに時々あの瞬間を思い出します・・後編も楽しみにしています。
お金の問題で難しいですが、ポール・デルヴォーが実現するといいなぁと
思っています。マグリットは実現しそうとの事で楽しみです。
あります。急にさーっと全てが止まったようになり、空間というより切り抜かれた絵のように見え、自分がそこから切り離されます。小さい頃から、この感覚が怖かったので皆さんにもあると知れて良かったです。
東京でキリコ展に行くので あまり知らなかったキリコについて予習が出来て良かったです。
いつも楽しく拝見させていただいてます、今回すごく面白い話でした。もうここ数十年はありませんが私も五郎さんのいう経験、何度もしたことがあります。最近でも喧騒から離れた港なんかでボーッと海面を見ながら波の音に耳を傾けていると持っていかれそうになる時があります。この世についていろいろ思案した結果この世界の全てに意味も価値も無いという結論に至ったのでデ・キリコの絵が理解できた気がします。無と無限は等価なんですかね。思うに釈尊が得た悟りもそのような事だったのではないかと思う次第です。似たような経験で幼少の頃はずっと自分を斜め上から傍観している感覚がありました。あまり関係はありませんが私の誕生日はニーチェと同じです。では今後の配信も楽しみにしております。