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きれいな残圧停車決めるあたりが関西私鉄のベテランやなぁ
広岡さんは共にすごした時代と対話するように、神原さんは今どうやねん?車両と対話するように、それぞれ違う感じに楽し気にでもやっぱりプロとして真剣に運転する姿が素敵でした。
広岡さん・神原さんとも、運転する姿は様になりますねー。はっきり言って、カッコイイ!!広岡さんの運転中、後ろに張り付いている神原さんが鉄道大好き少年の顔になっていますね。w抵抗制御のカム軸式主制御器は、ノッチオフの時に一気にカム軸が回って元の位置に戻るので、床下から「ガタタタタ」という音と振動が来るんですよね。昭和の電車の魅力的なサウンドの1つです。
これは完全保存版ですね! アルストムは関東では小田急が多いですが当時の阪急は台車が色々見本市みたいに沢山あってそれがまだ生き残っているのが感無量です。 それと神原係長の一発勝負の停止操作は現役の運転士と遜色無い素晴らしさです。 でも当時の1500は鋳鉄ブレーキシューだったから相当感覚変わってるのでは? それと広岡助役が最初の所で、"出発ないけど・・"と言いながら「出発進行」のホントの意味を視聴者にさりげなく教えてるのがツボりました。 沢山勉強出来て、そして運転士OBとなったお二方の色々な感情が伝わって来て・・いい動画だった。
神原のおっちゃん典型的な関西のおっちゃん😂広岡さん共々ホンマ嬉しそう😊
続編、ず〜っと楽しみにしてました。廣岡、神原の両氏の運転はやっぱり上手いですね。ブレーキ操作がお見事。床下機器の解説も分かり易くて勉強になりました。三原に行っても車体、車内、そして走行機器も全てが完璧に美しく整備されているのにも感動しました。この2両は本当に幸せな車両だと思います。もし三菱重工業三原の一般公開があれば是非ともこの電車に会いに行きたいな~
アルストムリンクの元阪急がまだ存在していることに感動
阪急の現役車両でアルストムリンクが残っているのは4000型で、確か1010系から転用ですね。
導入時にある事情により元(2100系)のミンデン台車を供出して廃車した1010系の台車を履かせたのだ。ちなみに1500系は600→1500V昇圧対応で複電圧式にしていた。地方鉄道近代化事業により他冷房改造(スイープファン付き)SIV搭載と当時新車だった阪急7000系並に仕上げた。
制限速度が5キロ単位ではなくて1キロ単位なんですね。神原さんのハンドルを段階的に入れていく様子から乗り心地よさそうでした。
マイル単位なだけでしょ
プロの目線で床下機器を見て目を輝かせる姿本当に良かったです😊
広岡さんも神原さんも運転は上手いですね!綺麗に止まってましたね。関東と関西で操作方法が違うと聞きましたが?こんなに綺麗に止まるって感動しました。
お見事な残圧停車👏
能勢電さん、今年も宜しくお願いします。いやぁー見てるだけで清々しいですね。運転お疲れ様でした。
台車の中身についてはチンプンカンプンでしたが、三菱重工業さんがとても丁寧に管理されているからこそ、まだまだ走れるのは嬉しいですね。広岡さんも神原さんも運転する姿はかっこよかったです😊。
広岡さんの運転久しぶりに拝見しました。運転も素晴らしいですが私は広岡さんの車内アナウンスの美声に痺れてました。いつか、又、聞きたいと思っています。
運転士は訓練が厳しいだけあって時間が経ってもその感覚はずっと身体に染み付いてるんだな
冒頭のナレーションに面喰らいました!😂
広岡さんと神原さんの楽しそうに運転している姿を見て、こちらも笑顔になりました(^^)
いよいよ広岡課長補佐、神原係長が久しぶりの1500系車両の運転をされるのですね。広岡課長補佐は8年のブランクで運転して運転士時代を思い出したのでしょうね。神原係長は30年ぶりの運転と言う事なのでかなりブランクですが、運転士に復帰されても良いですね。
神原さんのブレーキ扱い、お見事でした!久しぶりに運転でも綺麗に止めてらっしゃいますね!
昔取った篠塚(笑)昔取った杵柄
Oldman阪急です。元阪急2100系HSC車の運転台、いや〜懐かしいの一言です。🥰おふた方の運転を見ていると、飛び入り参加したくなりますね。☺️私は、京都線だったので2300系、2800系でしたが、ご存知の通り神宝線の東芝製機器と、京都線の東洋電機製との違いが目につきます。判りやすい例では、運転台のマスコン(主幹制御器)ハンドル自体がデカいし、デットマン装置のスイッチが、ハンドルの上にぴょこんと傘を差したように飛び出ているのが特徴的です。(0:31 広岡さんが、何度か左手で押し込んでいます。東洋製は、ハンドルの黒いつまみ全体が少し浮く程度。)ハンドルのカラーも東芝製が真鍮色なのに対し、東洋製は銀色です。また、マスコンの解錠も神宝線は個人貸与のマスコンキーだし、京都線はレバーハンドルとブレーキハンドルを一緒に持ち歩いていました。オリジナルの2000、2100系では定速ノッチでしたが、昭和40年代に600Vから1500Vへの昇圧時に外されてしまいました。しかし、2800系は、ロングシート3扉改造後、8連の急行運用に入った頃でも定速ノッチが生きていて、ノッチを一定位置に入れておくと線路の勾配が登りになれば勝手に力行、下りだと自動的に回生ブレーキになって速度制御される優れものでした。(指令最高速度は105km/hでしたが…)電流計指針の真上位置が0Aで、右に針が触れると力行、左に針が触れると回生ですが、撮影の電車は改造されているのでしょうか?制御器のカム軸が進段しても、力行側に触れないのが謎です。🤔最後に、三菱重工さんで電車を綺麗に、大切に扱って頂いて感激ですね。👍どうか、この車両達がこの地で末長く活躍して貰って、2000系で確立した阪急オリジナルスタイルの車体を、後世に伝えて頂きたいと切に願っております。🙏😌🍀
Oldman阪急さん いつも興味深く書き込みを拝見させて頂いています。私は2800系が7連で普通運用に入っている頃しか知らないのですが、その頃の先頭車のマスコンは3300系以降のものと同じ定速ノッチの無いものに交換されていました。2800系は制御器が2300系のように界磁チョッパに更新されず、最後までオリジナルだったと聞いていますが、定速制御はマスコンが交換された後も機能していたのでしょうか。
@@gbc025026さんOldman阪急です。お返事下さってありがとうございます。☺️おっしゃる通り、2800系先頭車両のマスコンは、確か5300系と同等のものに変更され、定速ノッチ機能はその時に外されたと記憶しています。(ただし、編成中間の運転台は改造されずに、オリジナルのまま残されていましたが。)また、2800系は、制御器更新や方向幕自動化も行われず、2300系より先に引退しました。個人的には、特急運用時代に「特急」の運行標識板(円板)を前面に二枚掲げて、十三〜大宮間をノンストップで疾走していた頃が、2800系には華やかで相応しかったと思っています。😌🍀
Oldman阪急さんご返答をありがとうございます。2800系のマスコン交換後は定速ノッチは外されていたとのこと。長年の疑問が解けました。中間運転台のオリジナルのマスコンも覚えています。7ノッチまである楕円形のスリムな形状はむしろ斬新に見えました。2800系の晩年は当時通学で乗車する機会も多かったのですが、かつて栄光の特急専用車両だった事を思うと、もう少し何とかしてあげて欲しいと思う車両でした。編成単位で廃車が始まったのはその後間も無くでしたが。。
2300系が異例の長寿を過ごしたのもうなずけます。制御装置を変更して7300系同等の性能を発揮しましたから。その代わり新1300系まで一般の新車が入らなくなり3300系5300系の扱いに苦労したようです
@@gbc025026さんOldman阪急です。再度のお返事ありがとうございます。🙏長年の疑問の解消について、お役に立てて良かったです。☺️元特急車2800系の3扉ロングシート改装後、8連急行運用に入っていた頃、車内内装の一部について、特急当時の面影を残した部分を見出しては、悦に入っていた時期がありました。(笑)具体的には、天井クーラーダクトの形状(逆台形の断面形状)や、座席シート端部のパイプ肘掛け下の木目印刷アルミデコラ板の装飾等、旧特急車の面影を残していたり、3扉改装後中央扉の熱線吸収ガラス入り戸袋窓(2連連窓を巧みに改装)、 C#2814×8連の一部が、汽車会社製の空気バネ付きシンドラ台車で、他の住友金属製ミンデンドイツ台車よりも、乗り心地が良かったこと等も思い起こされます。また、編成の組み替えで先頭に出なくなった、中間運転台の機器が撤去されずに、オリジナル当時のものが残されていたのも、特筆に値するものでした。2800系の急行運用引退に伴い、京都線の一般車で初めてのワンハンドル方向幕車両として、7300系の登場を見たこともあり、2800系の7連普通車運用は、歴史の必然であったと考えております。どうも、色々と楽しいお話しを頂き、ありがとうございました。🙏😌🍀
8:53×診断○進段
久しぶりの運転でも直ぐに慣れていましたね!1500系を綺麗にメンテナンスされているのですね!
神原係長の運転、感動です。神原さんの一瞬のカメラ目線(11:44)に、笑顔で返している自分がいました。
アルストムリンク台車は小田急が好んで採用してましたね。あと、構内運転士は経験を積んだベテランのみ(の筈)なので見事だなと。
47年生まれ、向陽台に住んでてのせでんは子供の頃の想い出😂自由研究で平野の事務所にアポなしで突撃しても優しく対応していただきました。なんか泣ける動画です。これからもTH-cam楽しみにしてます😊
一企業が70kmも出せる試験路線を持っているのが凄い、線路も三線あるので各種電車がテストできるのですね。東武でも南栗橋で練習用(よくSL用)の構内線が少しあるくらい。
広岡課長補佐の目が輝いている…! マスコンキー投入からスイッチ類指差確認、デッドマンぱこぱこしてからレバーサ倒す所作に至るまで、体が憶えてるんだろうな…と。ミンデン台車投入前の実験や継電器箱の外部電源の話など、ここでしか聞けない話がポロポロ出て来るのが凄い…。もっと聞きたいです。
ベテランお二人の運転を拝見し、胸熱です✨広岡課長補佐のベテランの運転、神原さんの車輌課社員目線の運転…おかわりも、ノーカットで見たかったです😅営業線は、神経を張り詰めないとできないので、試験線など運転に集中できる環境下での動画、いいですね👍これからのご活躍、動画が楽しみです🌸
本当に楽しそうに運転していて、見ているこっちも楽しく見れました
東武の1720系も初期の編成はアルストム形でしたね☝️後にS形ミンデンに変わって2000系に流用されました。
のせでんさんにもラブライバーがいるんですねwww
ベテランさんの運転技術感動いたしました!!残圧停車すごいです!阪急電車ファン全員集合の阪急電車館館長さんとT兄さんも運転して欲しいなと思いましたね😊
いつ停止したのかわからない制動技術は忘れないものですね。
さすが職人芸
マルーン塗装は何度か塗り直ししてるんですかね?移籍してだいぶ経ちますが、海に近いこともあり、メンテナンスは丁寧にされてるだろうと想像しますね。
がんばってください。機会あれば 山下駅でグッズかいます。豊中の聚楽園で鉄道グッズかいにいったもんです。能勢電は鋏入れる車内補充券 ユウライとか実際に買いに行きました。水間鉄道に負けない。鉄道愛に徹したローカル線 私鉄です。三菱に残ってる車両に思いを語るところ。愛に満ちてる泉北高速鉄道のように吸収されたらあきません。能勢電はいつまでも
いつも楽しみに拝見しています。お二人のブレーキ扱いはフンワリ停止するいつもの感じで素晴らしいですね!神原係長の運転士時代の写真?がチラリと出ましたが、これはもしや以前にVHSビデオで出ていた運転室展望ビデオのパッケージではありませんか⁇実家にあるので写真をみてすぐに分かりました(笑)まさかそんなに以前から知らずに拝見していたとは(笑)
広岡さん、神原さんの運転初めて見ました。見てて私も楽しめました。
広電チャンネルのほうでもこの試験線が紹介されていて(あちら新車のテストでしたが)この車両についてもちょっとだけ触れられていましたよく整備されていて何よりですねベテランの皆さん、久しぶりの運転士体験も出来て良かったですアルストム台車、他では小田急が長年使ってますが他社ではあまり広がりませんでしたね
広岡さんが運転しているのが見れたのはすごい
2000系由来の台車ですなあ……3000系になるとミンデンドイツになってましたし
三菱三原にトラックで入って来ましたが会えなかった😭社員さんに残念と笑われました𐤔𐤔
広島県で、動態保存機なのが、素晴らしいです😭🤧ピカピカの2000系は、名車ですよね😊
対応荷ブレーキ、空車だから制動時の黒針と赤針の差が大きいですね。2ノッチは30秒以内というのは抵抗が入るから長時間使うと焼けるわけですか?FS-345はFS-333と軸間距離は同一だけど全長が長い。そのFS-345やけど製造当初は軸ばねにコイルばね&ダンパーも装備されていた。軸箱の蓋にダンパー受けの痕跡がありますね。途中からゴム製に変わったから乗り心地が劣化したように感じました。住友ゴムさん、今でも製造しているのかな?FS-333は乗り心地が良いと仰っていますがそれが要因やと思います。『出発・・無いけど進行』笑わせてもらいました~。あれ?電流計が動いていないぞ?
楽しそお!
8:55字幕ですけど診断じゃなくて“進段”ですね~(笑)
京急旧1000形の保存車1351-1356を再整備して、ここを走ってもらいたいぐらいです。ロータリーコンプレッサーの作動音も聞きたいし…。
2000形にも付いていましたね。
広岡さんの勇姿、とくと拝見いたしました。このクルマ、セルフラップなんですかね??
“のせでん”コンビ運転で車両と会話してる感じ。アルストム東武でも少数だったな悲運の白帯車1700と更新後に台車を地下鉄直通の2000に転用した歴史やね
そーいや三原の実験線能勢電のだったなー。
Eテレのノリに面食らった。もっと
吉田さんは実況だけじゃないからね焼き討ち事件で迷惑施設の競馬場廃止を望む地元住民を「競馬が命の人間もいるんです。命までは取らんでやってほしい」と説得したのは吉田さん園田競馬が存続したのは吉田さんのおかげ関係者は氏がお元気なうちに吉田勝彦記念競走を設けて永くその功績を讃えてほしいサンバコールの兵庫大賞典もいいけれどインターロツキー引退レースやコノミテイオー小牧太→カオリヒジン森繁の兵庫ワンツーをサンテレビジョンの映像で見たかったね
きれいな残圧停車決めるあたりが関西私鉄のベテランやなぁ
広岡さんは共にすごした時代と対話するように、神原さんは今どうやねん?車両と対話するように、それぞれ違う感じに楽し気にでもやっぱりプロとして真剣に運転する姿が素敵でした。
広岡さん・神原さんとも、運転する姿は様になりますねー。はっきり言って、カッコイイ!!
広岡さんの運転中、後ろに張り付いている神原さんが鉄道大好き少年の顔になっていますね。w
抵抗制御のカム軸式主制御器は、ノッチオフの時に一気にカム軸が回って元の位置に戻るので、床下から「ガタタタタ」という音と振動が来るんですよね。昭和の電車の魅力的なサウンドの1つです。
これは完全保存版ですね! アルストムは関東では小田急が多いですが当時の阪急は台車が色々見本市みたいに沢山あってそれがまだ生き残っているのが感無量です。
それと神原係長の一発勝負の停止操作は現役の運転士と遜色無い素晴らしさです。
でも当時の1500は鋳鉄ブレーキシューだったから相当感覚変わってるのでは?
それと広岡助役が最初の所で、"出発ないけど・・"と言いながら「出発進行」のホントの意味を視聴者にさりげなく教えてるのがツボりました。 沢山勉強出来て、そして運転士OBとなったお二方の色々な感情が伝わって来て・・いい動画だった。
神原のおっちゃん典型的な関西のおっちゃん😂広岡さん共々ホンマ嬉しそう😊
続編、ず〜っと楽しみにしてました。
廣岡、神原の両氏の運転はやっぱり上手いですね。ブレーキ操作がお見事。
床下機器の解説も分かり易くて勉強になりました。三原に行っても車体、車内、そして走行機器も全てが完璧に美しく整備されているのにも感動しました。この2両は本当に幸せな車両だと思います。もし三菱重工業三原の一般公開があれば是非ともこの電車に会いに行きたいな~
アルストムリンクの元阪急がまだ存在していることに感動
阪急の現役車両でアルストムリンクが残っているのは4000型で、確か1010系から転用ですね。
導入時にある事情により元(2100系)のミンデン台車を供出して廃車した1010系の台車を履かせたのだ。
ちなみに1500系は600→1500V昇圧対応で複電圧式にしていた。
地方鉄道近代化事業により他冷房改造(スイープファン付き)SIV搭載と当時新車だった阪急7000系並に仕上げた。
制限速度が5キロ単位ではなくて1キロ単位なんですね。
神原さんのハンドルを段階的に入れていく様子から乗り心地よさそうでした。
マイル単位なだけでしょ
プロの目線で床下機器を見て目を輝かせる姿本当に良かったです😊
広岡さんも神原さんも運転は上手いですね!綺麗に止まってましたね。関東と関西で操作方法が違うと聞きましたが?こんなに綺麗に止まるって感動しました。
お見事な残圧停車👏
能勢電さん、今年も宜しくお願いします。いやぁー見てるだけで清々しいですね。運転お疲れ様でした。
台車の中身についてはチンプンカンプンでしたが、三菱重工業さんがとても丁寧に管理されているからこそ、まだまだ走れるのは嬉しいですね。広岡さんも神原さんも運転する姿はかっこよかったです😊。
広岡さんの運転久しぶりに拝見しました。運転も素晴らしいですが私は広岡さんの車内アナウンスの美声に痺れてました。
いつか、又、聞きたいと思っています。
運転士は訓練が厳しいだけあって時間が経ってもその感覚はずっと身体に染み付いてるんだな
冒頭のナレーションに面喰らいました!😂
広岡さんと神原さんの楽しそうに運転している姿を見て、こちらも笑顔になりました(^^)
いよいよ広岡課長補佐、神原係長が
久しぶりの1500系車両の運転をされるのですね。
広岡課長補佐は8年のブランクで運転して運転士時代を思い出したのでしょうね。
神原係長は30年ぶりの運転と言う事なのでかなりブランクですが、
運転士に復帰されても良いですね。
神原さんのブレーキ扱い、お見事でした!久しぶりに運転でも綺麗に止めてらっしゃいますね!
昔取った篠塚(笑)
昔取った杵柄
Oldman阪急です。
元阪急2100系HSC車の運転台、いや〜懐かしいの一言です。🥰
おふた方の運転を見ていると、飛び入り参加したくなりますね。☺️
私は、京都線だったので2300系、2800系でしたが、ご存知の通り神宝線の東芝製機器と、京都線の東洋電機製との違いが目につきます。
判りやすい例では、運転台のマスコン(主幹制御器)ハンドル自体がデカいし、デットマン装置のスイッチが、ハンドルの上にぴょこんと傘を差したように飛び出ているのが特徴的です。
(0:31 広岡さんが、何度か左手で押し込んでいます。東洋製は、ハンドルの黒いつまみ全体が少し浮く程度。)
ハンドルのカラーも東芝製が真鍮色なのに対し、東洋製は銀色です。
また、マスコンの解錠も神宝線は個人貸与のマスコンキーだし、京都線はレバーハンドルとブレーキハンドルを一緒に持ち歩いていました。
オリジナルの2000、2100系では定速ノッチでしたが、昭和40年代に600Vから1500Vへの昇圧時に外されてしまいました。
しかし、2800系は、ロングシート3扉改造後、8連の急行運用に入った頃でも定速ノッチが生きていて、ノッチを一定位置に入れておくと線路の勾配が登りになれば勝手に力行、下りだと自動的に回生ブレーキになって速度制御される優れものでした。(指令最高速度は105km/hでしたが…)
電流計指針の真上位置が0Aで、右に針が触れると力行、左に針が触れると回生ですが、撮影の電車は改造されているのでしょうか?
制御器のカム軸が進段しても、力行側に触れないのが謎です。🤔
最後に、三菱重工さんで電車を綺麗に、大切に扱って頂いて感激ですね。👍
どうか、この車両達がこの地で末長く活躍して貰って、2000系で確立した阪急オリジナルスタイルの車体を、後世に伝えて頂きたいと切に願っております。🙏😌🍀
Oldman阪急さん いつも興味深く書き込みを拝見させて頂いています。
私は2800系が7連で普通運用に入っている頃しか知らないのですが、その頃の先頭車のマスコンは3300系以降のものと同じ定速ノッチの無いものに交換されていました。2800系は制御器が2300系のように界磁チョッパに更新されず、最後までオリジナルだったと聞いていますが、定速制御はマスコンが交換された後も機能していたのでしょうか。
@@gbc025026さん
Oldman阪急です。
お返事下さってありがとうございます。☺️
おっしゃる通り、2800系先頭車両のマスコンは、確か5300系と同等のものに変更され、定速ノッチ機能はその時に外されたと記憶しています。
(ただし、編成中間の運転台は改造されずに、オリジナルのまま残されていましたが。)
また、2800系は、制御器更新や方向幕自動化も行われず、2300系より先に引退しました。
個人的には、特急運用時代に「特急」の運行標識板(円板)を前面に二枚掲げて、十三〜大宮間をノンストップで疾走していた頃が、2800系には華やかで相応しかったと思っています。😌🍀
Oldman阪急さん
ご返答をありがとうございます。
2800系のマスコン交換後は定速ノッチは外されていたとのこと。長年の疑問が解けました。中間運転台のオリジナルのマスコンも覚えています。7ノッチまである楕円形のスリムな形状はむしろ斬新に見えました。
2800系の晩年は当時通学で乗車する機会も多かったのですが、かつて栄光の特急専用車両だった事を思うと、もう少し何とかしてあげて欲しいと思う車両でした。編成単位で廃車が始まったのはその後間も無くでしたが。。
2300系が異例の長寿を過ごしたのもうなずけます。
制御装置を変更して7300系同等の性能を発揮しましたから。
その代わり新1300系まで一般の新車が入らなくなり3300系5300系の扱いに苦労したようです
@@gbc025026さん
Oldman阪急です。
再度のお返事ありがとうございます。🙏
長年の疑問の解消について、お役に立てて良かったです。☺️
元特急車2800系の3扉ロングシート改装後、8連急行運用に入っていた頃、車内内装の一部について、特急当時の面影を残した部分を見出しては、悦に入っていた時期がありました。(笑)
具体的には、天井クーラーダクトの形状(逆台形の断面形状)や、座席シート端部のパイプ肘掛け下の木目印刷アルミデコラ板の装飾等、旧特急車の面影を残していたり、3扉改装後中央扉の熱線吸収ガラス入り戸袋窓(2連連窓を巧みに改装)、 C#2814×8連の一部が、汽車会社製の空気バネ付きシンドラ台車で、他の住友金属製ミンデンドイツ台車よりも、乗り心地が良かったこと等も思い起こされます。
また、編成の組み替えで先頭に出なくなった、中間運転台の機器が撤去されずに、オリジナル当時のものが残されていたのも、特筆に値するものでした。
2800系の急行運用引退に伴い、京都線の一般車で初めてのワンハンドル方向幕車両として、7300系の登場を見たこともあり、2800系の7連普通車運用は、歴史の必然であったと考えております。
どうも、色々と楽しいお話しを頂き、ありがとうございました。🙏😌🍀
8:53
×診断
○進段
久しぶりの運転でも直ぐに慣れていましたね!
1500系を綺麗にメンテナンスされているのですね!
神原係長の運転、感動です。神原さんの一瞬のカメラ目線(11:44)に、笑顔で返している自分がいました。
アルストムリンク台車は小田急が好んで採用してましたね。
あと、構内運転士は経験を積んだベテランのみ(の筈)なので見事だなと。
47年生まれ、向陽台に住んでてのせでんは子供の頃の想い出😂
自由研究で平野の事務所にアポなしで突撃しても優しく対応していただきました。
なんか泣ける動画です。
これからもTH-cam楽しみにしてます😊
一企業が70kmも出せる試験路線を持っているのが凄い、線路も三線あるので各種電車がテストできるのですね。東武でも南栗橋で練習用(よくSL用)の構内線が少しあるくらい。
広岡課長補佐の目が輝いている…! マスコンキー投入からスイッチ類指差確認、デッドマンぱこぱこしてからレバーサ倒す所作に至るまで、体が憶えてるんだろうな…と。
ミンデン台車投入前の実験や継電器箱の外部電源の話など、ここでしか聞けない話がポロポロ出て来るのが凄い…。もっと聞きたいです。
ベテランお二人の運転を拝見し、胸熱です✨
広岡課長補佐のベテランの運転、神原さんの車輌課社員目線の運転…おかわりも、ノーカットで見たかったです😅
営業線は、神経を張り詰めないとできないので、試験線など運転に集中できる環境下での動画、いいですね👍
これからのご活躍、動画が楽しみです🌸
本当に楽しそうに運転していて、見ているこっちも楽しく見れました
東武の1720系も初期の編成はアルストム形でしたね☝️後にS形ミンデンに変わって2000系に流用されました。
のせでんさんにもラブライバーがいるんですねwww
ベテランさんの運転技術感動いたしました!!
残圧停車すごいです!
阪急電車ファン全員集合の阪急電車館館長さんとT兄さんも運転して欲しいなと思いましたね😊
いつ停止したのかわからない制動技術は忘れないものですね。
さすが職人芸
マルーン塗装は何度か塗り直ししてるんですかね?移籍してだいぶ経ちますが、海に近いこともあり、メンテナンスは丁寧にされてるだろうと想像しますね。
がんばってください。
機会あれば 山下駅でグッズかいます。豊中の聚楽園で鉄道グッズかいにいったもんです。能勢電は鋏入れる車内補充券 ユウライとか実際に買いに行きました。
水間鉄道に負けない。鉄道愛に徹したローカル線 私鉄です。
三菱に残ってる車両に思いを語るところ。愛に満ちてる
泉北高速鉄道のように吸収されたらあきません。能勢電はいつまでも
いつも楽しみに拝見しています。
お二人のブレーキ扱いはフンワリ停止するいつもの感じで素晴らしいですね!
神原係長の運転士時代の写真?がチラリと出ましたが、これはもしや以前にVHSビデオで出ていた運転室展望ビデオのパッケージではありませんか⁇実家にあるので写真をみてすぐに分かりました(笑)
まさかそんなに以前から知らずに拝見していたとは(笑)
広岡さん、神原さんの運転初めて見ました。見てて私も楽しめました。
広電チャンネルのほうでもこの試験線が紹介されていて(あちら新車のテストでしたが)
この車両についてもちょっとだけ触れられていました
よく整備されていて何よりですね
ベテランの皆さん、久しぶりの運転士体験も出来て良かったです
アルストム台車、他では小田急が長年使ってますが他社ではあまり広がりませんでしたね
広岡さんが運転しているのが見れたのはすごい
2000系由来の台車ですなあ……3000系になるとミンデンドイツになってましたし
三菱三原にトラックで入って来ましたが会えなかった😭
社員さんに残念と笑われました𐤔𐤔
広島県で、動態保存機なのが、素晴らしいです😭🤧
ピカピカの2000系は、名車ですよね😊
対応荷ブレーキ、空車だから制動時の黒針と赤針の差が大きいですね。
2ノッチは30秒以内というのは抵抗が入るから長時間使うと焼けるわけですか?
FS-345はFS-333と軸間距離は同一だけど全長が長い。
そのFS-345やけど製造当初は軸ばねにコイルばね&ダンパーも装備されていた。
軸箱の蓋にダンパー受けの痕跡がありますね。
途中からゴム製に変わったから乗り心地が劣化したように感じました。
住友ゴムさん、今でも製造しているのかな?
FS-333は乗り心地が良いと仰っていますがそれが要因やと思います。
『出発・・無いけど進行』笑わせてもらいました~。
あれ?電流計が動いていないぞ?
楽しそお!
8:55
字幕ですけど
診断じゃなくて“進段”ですね~(笑)
京急旧1000形の保存車1351-1356を再整備して、ここを走ってもらいたいぐらいです。
ロータリーコンプレッサーの作動音も聞きたいし…。
2000形にも付いていましたね。
広岡さんの勇姿、とくと拝見いたしました。このクルマ、セルフラップなんですかね??
“のせでん”コンビ
運転で車両と会話してる感じ。
アルストム
東武でも少数だったな
悲運の白帯車1700と
更新後に台車を地下鉄直通の2000に転用した歴史やね
そーいや三原の実験線能勢電のだったなー。
Eテレのノリに面食らった。もっと
吉田さんは実況だけじゃないからね
焼き討ち事件で迷惑施設の競馬場廃止を望む地元住民を
「競馬が命の人間もいるんです。命までは取らんでやってほしい」と説得したのは吉田さん
園田競馬が存続したのは吉田さんのおかげ
関係者は氏がお元気なうちに吉田勝彦記念競走を設けて
永くその功績を讃えてほしい
サンバコールの兵庫大賞典もいいけれど
インターロツキー引退レースや
コノミテイオー小牧太→カオリヒジン森繁の兵庫ワンツーを
サンテレビジョンの映像で見たかったね