みんなのパノラマカー・前面行先表示機を見てみよう!

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  • เผยแพร่เมื่อ 3 ต.ค. 2024
  • 今回は、みんなの名鉄パノラマカーを、前面の行先表示機に注目して見てみましょう。なお、私はパノラマカーのガチ勢ではありませんので、認識違いがあったらご容赦ください。
    パノラマカー登場初期には、正面に行先表示機はありませんでしたが、行き先が多岐にわたる名鉄でそれは不便でしたので、ほどなく取り付けられるようになりました。そのバリエーションが豊富ですので、観察しましょう。21世紀になるとパノラマカーも衰退期でしたので、電動方向幕を備えるのが一般的でした。ローマ字もなく、列車の種別も一文字で表示していたのは、2005年頃には消滅したようです。名鉄の方向幕は小さいのが多いので、ローマ字がないと漢字が読みやすいですね。道路と併用していた頃の犬山橋では、ミュージックホーンがいつも鳴っていました。パノラマカーの中でも7000系ではなく7500系と言われるグループは、上にある運転席が突き出て見えるのが特徴です。当時はこのように「犬山経由新岐阜」というのがありましたので、表示が窮屈に見えます。電動方向幕なのですが、行先だけ板で表示することもあったようです。
    ここからは、ローマ字表記の時代です。漢字が小さくなりましたので、少々見にくくなってしまいました。同じ犬山橋ですが、車の通行は隣接する橋に移行してしまったので、まるで違う橋のようになってしまいました。パノラマカーの主戦場と言える、豊橋行きと新岐阜行きをご覧ください。ローマ字表記のものには、「岐阜」と「新岐阜」とがあるようです。ただ、新岐阜は2005年に「名鉄岐阜」に名称変更したため、短命だったようです。「犬山経由新岐阜」には、ローマ字表記もありました。ここまでくるとギチギチで、本当に字が小さいですね。
    今までご覧いただいたのは「逆富士型」と言われるものでしたが、このように小ぶりなのもありました。これは、特急用として白い帯を塗装していた時の名残でした。
    やはり印象深いのは、この電動式ではない「ブック式」と言われるものではないでしょうか。本のようにパラパラ捲って、行き先を変更するものです。そしてとくに印象深いのは、極太表示ではないでしょうか。これこそ、昭和のパノラマカーだと思います。
    あとは、臨時の方向板をお目にかけます。蘇水湖号は、いちおう八百津まで行くことになっていましたが、実態は新可児で乗り換える列車でした。そりゃそうですよね。先ほど話した白帯車が消滅するということで走行した団体列車がこれでした。「犬山への旅」でしたっけ?折り返し列車ですが、黒板の状態でした。このように黒板のページも用意され、多種多様な行先に対応していました。パノラマカー40周年ということで、しつらえられた方向板です。この豊橋行きと、折り返しの新岐阜行きが設えられました。豊橋と岐阜の間を直通運転して60周年ということで、これも豊橋行きと岐阜行きが設えられました。パノラマカーの形をしていて、凝ってますね。
    いかがでしたでしょうか。全部の行き先を網羅しているわけでも、行き先変更しているシーンもありませんが、そこはご容赦いただければと思います。それでは。

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