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名君の方が名将よりレアなんだなあ。
反撃の流れがめっちゃ格好いい
70城余りをスッと取り返すの半端ねえや
田単「饅頭怖い」燕軍「なら饅頭を贈ってやろう」
相手を騙そうと思ったら、自分に都合のいい情報ではなくて、相手に都合のいい情報を流すのが大事なのね今でも役に立つ考え方だなあ
この人の不幸なところは即墨後の失地回復を超ぬるっと語られたことだと個人的に思います
楽毅と田単は趙で再会しなかったのかな?楽毅「あー、おまえー!」田単「へへっ、自分も疑われちまいまして汗」みたいな
田単と楽毅、怪物2人は趙に行ったのか
うボツです。何故かこの手の将としての力量は平和の時になく、戦乱の際に現れるものなんですよね。そこがまた、歴史の面白いところです。
今回もたのしかったです!いつも面白い動画投稿をありがとうございます!首?お大事に!
田単と楽毅争った二人が最終的に同じ趙に流れるのか、出会ったらどんな会話をしたんだろ
ホントに🎵 動画見てるときからそれ思ってました😊仲良く酒でも酌み交わしたのかな?😋
いや、楽毅は田単が趙に移った頃には死んでいたはず。楽乘が対応したと思う。けど、楽毅の子孫も田単の子孫も秦に滅ぼされてしまうんだよな。
まさに救斉主
斉が危急存亡の秋だからこそ出番が巡ってきたわけで、もし平和な時代に生まれてたら市場の役人として普通に過ごしてそう
ただ一回の勝ち戦で史上に不朽の名声を得た人物の名が「単」というところが趣き深いですね。
即墨で鎬を削った楽毅と田単が、それぞれ逃れた先が趙だったというのも大変興味深いですね。互いに重責から逃れた好敵手どうし、邯鄲の街で対面したことはあったのかなあ、などと想像が広がります😊
楽毅と田単の居酒屋トークがもしあれば100万払ってでも聞いてみたい。
騎劫に「即墨の人は『饅頭がこの世で一番恐ろしい』と言っている」と伝えてみたいものですね〜。
田楽コンビすき...
田単が一戦で斉を回復出来たのは、斉王室に心を寄せる人々がそれだけ多かったのもあるでしょうね。単純な武力だけでは一国を取れないのは斉に滅ぼされた燕が復興した事からも明らかで、それを抑えきっていた楽毅の行政能力も相当だという証しにもなります。
毋忘在莒の莒はこの時代の話だったんですね
毋忘在莒 齊桓公流亡在莒,維基百科
宮城谷昌光著『楽毅』に出てくる田単の父親が楽毅と友達という設定が好きでした。
動画ありがとうございます王や皇帝ってのは本当に孤独なんだなぁ、と歴史を振り返れば「また讒言かよ」って思いますけど、ここまで多くの王や皇帝が讒言に惑わされるってことは彼らがどんだけ孤独の中で個人には奮いきれないほどの権力を振るわなければならないのかというのを考えてしまいます讒言も正しければ忠告になるわけで、非常に難しいところですねだからこそ讒言に惑わされずに、正しい忠告を正しく判断できる王や皇帝が名君と言われるのでしょう美女に引っかかる王や皇帝が多いのも、彼らの孤独ゆえかもしれません
田単「まんじゅう怖い」燕軍「マジか!?まんじゅう送り付けたろw」
まさかれーしちゃんねさんも同じ人物をとりあげているという奇跡
木曾義仲「火牛計ええやん」
自分の実力を分かった上で勝てない相手を裏から消すように仕向けたり、敵味方に心理戦仕掛けるとか現代から見ても諜報戦の鬼すぎる。
新しいbgmや!
1本ドラマを見たような読後感。おもしろかった
横山史記の中で一二を争う名エピソード。勝つためにありとあらゆる手段奇策を弄して、苦境に耐える。最後の一撃はとにかくすさまじい破壊力だったろうと思う。あれだけ強勢を誇った斉が燕の楽毅の侵攻から坂道を下るように落ちていくのは無常だ。
田単スゲェ!救国の英雄ですね。日本の近未来は不透明ですが、防衛省官僚の皆さんは、こういった故事も参考に作戦、立案していただきたい。
やっぱり木曾義仲の「火牛の計」の元祖として知った人だな。ライバル楽毅と同じように、国家にうとまれて出国したことは初めて知った。終わりを全うできたのは本当に幸運だったな。是非ぜひ、楽毅も取り上げてください。
中華の歴史がまた一頁。
人の心には常に不安がある、情報操作は強力な武器、今の日本は我が身大事。
田単の策謀は見事という他ないですね。正に「戦わなければ生き残れない」!
田単 メンタル強っ
ちゃんと両方視聴しました(・w
れーしさんと掛け持ちしてる人の多いこと。自分もだけど
田単かぶりで、1時間以上の田単タイム!👍です。😺
同じです
me too
私が知る限り古今東西で「火牛の計」を使用したと呼ばれるのは4人。田単ハンニバル北条早雲私(木曽義仲)田単だけが牛の角に剣を付けるタイプの火牛の計、残りの3人(ハンニバル、早雲、私)は牛の角に松明を付けるタイプの火牛の計。ハンニバルだけが陽動作戦の為の火牛の計、残りの3人(田単、早雲、私)は敵を攻める為の火牛の計。ハンニバルが火牛の計を使用した場所はカリクラ(カリキュラ)峠、私が火牛の計を使用したのは倶利伽羅峠。また承久の乱絵巻にも今の新潟県の親不知付近で火牛の計が使用されているのが描かれている。
勝利の為なら目的を問わないを地で行くな民は慈しむものでは無く時と場合に合うように制御するものと
本日もありがとうございました。これからもよろしゅうです。(  ̄ー ̄ )ゞ
谢谢!
ご支援ありがといございます!!誠に感謝感謝でございます~!
でんたん♪でんたん♪霊夢かわいい!
火牛の計ってどっかで聞いたことがあると思ったが、木曽義仲か。
救国の英雄 田単大将軍‼️史記の中でも特に大好きです😍💓名将倒すのは名将に非ず。白起 李牧 廉頗 楽毅 そして田単後の時代も枚挙に暇が無い程に😢
来たー!
残り2都市になってから数年かけても楽毅が落とさないままだったのも謎だけど。 斉が滅亡寸前になるきっかけを作った先代の王も王だけど田単のおかげで斉王に戻れたのに国力を取り戻せなかった次の王も不甲斐ない
田単が趙の宰相に就任したのが前269年だとすると、戦国時代最大の戦いである長平の戦いの前哨戦までわずか7年しかない。田単は長寿で前240年近くまで存命していた記録があり、長平の戦い前後は間違いなく存命で、なのにその時は何をやっていたのか一切記録がない廉頗、趙奢、藺相如、田単が趙の国に揃い踏みした時代もあったのでしょうか?長平の戦いの頃は田単はいったい何をしていたのかこのあたりの謎が解決するのはいつになるのでしょうか
ででんでんででん で、もうワロタwww
楽毅と田単の関係がハンニバルとスキピオと重なります。こちらは野戦の直接対決はないけど、絶望的な状況からの救国の英雄、最後は祖国に二人とも追われた、など。史記は報われる話が少ないから余計に輝くのかな、と思ってます。良い英雄は死んだ英雄だけ、とは良く言ったものです。某アニメの大魔王が勇者に言った、お前は必ず迫害される、は本当に残酷な歴史だと感じます。
田単は、平時やそこそこの乱世では世に出ることなく終わり、亡国のような大乱戦にならないと出てこなかった英雄ですね。田単本人は、最初は馬車の補強を家族に指示したり、小役人で終わる気満々ですよね。王翦と同じく人間観察力がすごい人物だと思います。商人がちょろまかしたり、万引きする仕草とかよく観察してた人かなと思いました。
今回もありがとうございました。単田は救国の逸材だったのに,復活した襄王の治世にて,宰相として安定をもたらすことにならなかったのは何とも皮肉なものです。火牛の計で紹介された日本の武将とは,性格は異なりますが,楽榖も含め,窮地を救った者が追われるというのは,どの国にも共通する悲劇と感じました。
田単が樂毅との直接対決を避けたように、相手の能力を知って強敵だと思えば絡めてを使って排除する王翦が李牧に対してやったことにも通ずるけどしっかり相手と自分の戦力分析をできることは重要な能力であるということなんでしょう。ぶっちゃけ、この辺の時代は猜疑心の強い無能王がどの国でも1番のウイークポイントだったってことなんでしょう。
田単を思うに、最後の一点の崖っぷちからの反抗。後世の蒋介石も最後の踏ん張り総反撃をいい、朝鮮戦争も釜山の一点を守り仁川の逆転反攻になった。けれど戦略なき反攻は敗れ、準備なき反攻は腰砕けになる。一点を守りきって勝ち、最後の一点を欠いて瓦解する。田単に習うことかなあ。
横山史記では安平君に封じるところで話が終わってたのでその後のエピソードもあって良かったです。時代や国が途切れ途切れにある史記の中でも隗に始まり火牛で終わるあたりは本当に面白い。
まさか同日に田単動画を2つ見れるとは…これはお得
如何に秦から遠かったとはいえ、六國の中で最も長生きしたのだからそう容易く滅びないか。人は石垣、人は城ですね。
どこぞのコンスタンティノープル包囲戦(1453に限らず)ですかねこれ(驚愕)いつ見てもこの滅亡寸前から甦る大国の意地にワクワクする
籠城中の田単が楽穀の情報を知らべないはずもなくそれでも降伏しなかったのはさしもの田単も自らの主について調べ評価するのは恐れ多いと思ったのかな
初めて知った。多分自分で情報の価値や使い方を知っていたのだろうな。時代が変わっても人間自身は変わっていないからね。軍師の下りは笑った。
牛で突撃マジ😆⤴️⤴️好き
最高の受け入れ先恵文王時代の趙楽毅、田単因縁の二人が共に流れ着くとは人士を敬愛すること当代最高格
でもその後が暗君続きで郭開の様な佞臣をのさばらせてしまう。
春秋戦国は苦手だけど、ここら辺のオールスター感はめっちゃ好き
5年間諦めなかったのが最も凄い点だと思います。あと、燕軍が総崩れとなって速攻全軍撤退となった点。
時間差で田単の解説動画を観れるとは!!
「湣」の諡号は主に理不尽な目に振り回された君主と本編にありましたが、「襄」は周や魏などの例と併せ考えると地位や領土を(自力ではなく?)取り戻せた人に贈られるのでしょうか。それにしたって(記録が残ってないだけかもしれないけど)本当に何もしてないなあ
「押すなよ?押すなよ?」のレベル100かな?名将の後の身の振り方はいずれも難しいもんなんだなー
奇跡の被りですね。
山東半島で戦国時代に見つかった人骨と弥生人の人骨が酷似していて、弥生人は戦国時代に山東半島から渡来した人たちがルーツではないかというのを見たことがあります。山東半島から逃げ出したくなるような大変事となるとこの楽毅VS田単のバトルではないか?・・・と。もしそうだとしたら私たちのご先祖様に関わる出来事だったというわけで。
木曾義仲の火牛の計は以下の理由で否定的な意見が多いですね・角に縛り付けた松明に火を着けたら牛の挙動を読めない少なくとも真っ直ぐ前進はしないだろう・狭い峠道に牛の群れを突進させようと考える人がいるだろうか?・どうやって牛の群れをそこまで運んだの?
功績を挙げても上司が馬鹿だと逃げるしかない
田単のこの手段を選ばぬ5年もの時をかけた執念は一体どこから来たのだろうか。智謀は天に轟き後世も賞賛される事になったが、彼個人の為人は分からないのでそこに様々な想像の余地があって良いですね。
田単饅頭怖がりすぎー
西帝秦「んほ~燕と斉の潰し合いたまんねぇ~。サンキュー田単、フォーエバー楽毅」やっぱり火牛の計で知った人ですね~。孟嘗君回いつまでも待ってます…。
孟嘗君好
こいつは優秀
楽毅は田単に降伏勧告はしなかったのかな?この二人が組めば最強って気がするけど、
孫子を読んでいたとしても、いきなり実戦で使うなんて普通無理なんだけど…趙括とはえらい差だ。
大御所中国史チャンネル同士のまさかの被りに興奮が抑えられねぇ!
田単の即墨の戦意高揚のための策、巨大スケールな饅頭怖いじゃねーか!そして楽毅をガッキー。徳川慶喜をウルフと呼ぶくらいには広まって欲しい。
単○電池の名前を口にすると頭の片隅に田単が浮かぶ斉、色んな破滅の要素を含んだ発展だったんだろうけど暗君一代で転落するとは権力者の無能は恐ろしい
田単の動画、ありがとうございます。籠城5年!これだけ士気を保てるだけでも田単は凄い人物なのに、情報戦や心理戦に巧み。晩年の襄王との確執も田単だからこそ、乗り切れたような気がしますね。
今日は田単の日か?
当時の斉は、田氏があちこちにいたことからも解るように、国全体が保守的になり過ぎていたのでしょうね。国のあらゆる役職が一族とか横の繋がりで固められてしまうと、今までの利権を守るためとか、同族の権力を保証するために新しい発明や政策を保守層が握りつぶすようになる。実力主義で外国人すらガンガン登用しまくった秦との差がすでに出ており、この辺りが近現代の国家と重なって見えてしまいますね。
趙で田単と楽毅は会ったのだろうか
会っていたら熱いですよね。
会えていたら、ハンニバルとスキピオみたいな遣り取りをしたかもしれませんね。
こんなに面白いエピソードを詰め込んで頂き感謝に耐えない。一発屋にさえ逸話あり。正にロマンの坩堝が戦国期真実をなんとか押さえつつ 楽しみますた
よめなかった😭😭😭💦
テンタン
田単回ではあるんだけど、燕の昭王の「楽毅が斉をほしいならくれてやる!」がほんとに大好き。楽毅への信頼と感謝がどれほど大きいかというエピ。この時代以降の斉にも、この昭王に匹敵する君主が立っていれば、良臣も集まり、再度斉の興隆があったかもしれないのに。
今回も面白かったです。楚漢戦争の田単とは違う英雄の田単も居たんですね。勉強になりました!A presto!
後の時代のモンゴル帝国軍は「極限まで追い詰めた強敵は、命を捨てて最後まで必死に抵抗するからこっちの被害も甚大になる」言う事で、モンゴル帝国軍は相手を追い詰めても必ず解りやすい逃げ道とか隙を作って逆に、敵兵の動揺を誘って尚且つ高揚を防ぐ戦術を好んだらしいけど、燕軍目線だと今回の追い詰めた田単の場合はこの人孫子学んだ可能性あるとは言え、これが初戦場しかも国家存亡の大危機だからほんとヤバい。
田単がありとあらゆる智謀を尽くし、燕に勝利し斉を復興させたのは実に凄い。偉業の裏に斉の人々の祖国復興の悲願があったのは間違いない。が、あまりに優秀で人望が篤いゆえに主君に猜疑され趙に行く羽目になるとは。然し趙でもその英邁さの所為か、そこの宰相になったのだから、人の運命はわからないものだね。
「田単」の名前の響きと語呂ほんと良いよね。
燕軍の蛮行(大体田単のせい)には笑った。流石にこういう人物は名君じゃなきゃ宰相としては扱いきれんですわ、無事逃げて正解。
田単デターん
「およそ戦いは、正をもって合い、奇をもって勝つ。 凡戦者、以正合、以奇勝。」孫子の名言ですね。個人的に、正攻法を知らなければ奇策に奇策を重ねても勝利はつかめないと思うのですが、田単は奇策を重ねても勝利出来たのは、正攻法(楽毅の戦略)をよく理解出来ていたからではと、感じずにはいられませんでした。小役人に身をやつしていても、ひとかどの人物だったんですね。動画大変面白かったです。
大昔、NHK人形劇「里見八犬伝」で、あるエピソードにさしかかると、語りの坂本九さんがしつこく「火牛の計、斉の田単」を番組数回にわたって連呼したことを思い出しました。どういう意味で里見八犬伝で斉の田単、火牛の計が重要だったのか当時幼稚園児だったので記憶にないのは残念です。坂本九さんは、視聴者をあおって、みんなで一緒に行こう!、はい、せーのー、でんたあーん、と、掛け声をあげていました。
動画ありがとうございます。えっ?!鳥人間さんも田単なのですか。れーしさんが17時にやったのが同じ田単なんですよ。ただ、鳥人間さんの視点の田単を拝見させていただこうと思います。
ダブル田単嬉しいですよね
田単は高校時代十八史略おもしろ史話で読んですごいと思った名将ですから70分でも余裕で耐えられる。
田単……流行りなのかな
僕は中国史に詳しくないけど、この地図の中の楚って、東帝の斉や西帝の秦よりも大きいし、異常に大きな国土を持っていたのに、何故天下を取れなかったのかな?一度解説してもらえたら嬉しいなあ😃
楽毅は恵王さえ讒言を真に受けなければ斉を滅ぼせただろうに、と言いたいところだが、この弱点を見抜き衝いた田単の方が一枚上手と称えたい。燕はこの時の最後の輝きを失ったことが最大の痛恨事になったが、斉も二度と強国に返り咲けず、さらに田単に趙に去られた(楽毅も趙に亡命したから当人同士で対面したかもしれない)。燕の過ちを反面教師にしなかったようだ。一つ言えるのは燕も斉も中華を統一する器になかったということだ。
うぽつです。個人的には諡号も中国史の見所の一つだと思います。これを見ればどのような人生を送った人物なのか大体分かるのがポイント。
はい。さらに宮城谷さんの小説が、より楽しめます😊
楽毅相手に、5年籠城で耐えたのは凄い!まぁ、無理攻めをしなかったこともあるのだろうが。最後、趙の宰相になったのは知りませんでした!楽毅と同じ最後になってしまったのは残念。動画、面白かったです。
名君の方が名将よりレアなんだなあ。
反撃の流れがめっちゃ格好いい
70城余りをスッと取り返すの半端ねえや
田単「饅頭怖い」
燕軍「なら饅頭を贈ってやろう」
相手を騙そうと思ったら、自分に都合のいい情報ではなくて、相手に都合のいい情報を流すのが大事なのね
今でも役に立つ考え方だなあ
この人の不幸なところは即墨後の失地回復を超ぬるっと語られたことだと個人的に思います
楽毅と田単は趙で再会しなかったのかな?
楽毅「あー、おまえー!」
田単「へへっ、自分も疑われちまいまして汗」
みたいな
田単と楽毅、怪物2人は趙に行ったのか
うボツです。
何故かこの手の将としての力量は平和の時になく、戦乱の際に現れるものなんですよね。
そこがまた、歴史の面白いところです。
今回もたのしかったです!いつも面白い動画投稿をありがとうございます!首?お大事に!
田単と楽毅争った二人が最終的に同じ趙に流れるのか、出会ったらどんな会話をしたんだろ
ホントに🎵 動画見てるときからそれ思ってました😊
仲良く酒でも酌み交わしたのかな?😋
いや、楽毅は田単が趙に移った頃には死んでいたはず。楽乘が対応したと思う。けど、楽毅の子孫も田単の子孫も秦に滅ぼされてしまうんだよな。
まさに救斉主
斉が危急存亡の秋だからこそ出番が巡ってきたわけで、もし平和な時代に生まれてたら市場の役人として普通に過ごしてそう
ただ一回の勝ち戦で史上に不朽の名声を得た人物の名が「単」というところが趣き深いですね。
即墨で鎬を削った楽毅と田単が、それぞれ逃れた先が趙だったというのも大変興味深いですね。互いに重責から逃れた好敵手どうし、邯鄲の街で対面したことはあったのかなあ、などと想像が広がります😊
楽毅と田単の居酒屋トークがもしあれば100万払ってでも聞いてみたい。
騎劫に「即墨の人は『饅頭がこの世で一番恐ろしい』と言っている」と伝えてみたいものですね〜。
田楽コンビすき...
田単が一戦で斉を回復出来たのは、斉王室に心を寄せる人々がそれだけ多かったのもあるでしょうね。単純な武力だけでは一国を取れないのは斉に滅ぼされた燕が復興した事からも明らかで、それを抑えきっていた楽毅の行政能力も相当だという証しにもなります。
毋忘在莒の莒はこの時代の話だったんですね
毋忘在莒 齊桓公流亡在莒,維基百科
宮城谷昌光著『楽毅』に出てくる田単の父親が楽毅と友達という設定が好きでした。
動画ありがとうございます
王や皇帝ってのは本当に孤独なんだなぁ、と
歴史を振り返れば「また讒言かよ」って思いますけど、ここまで多くの王や皇帝が讒言に惑わされるってことは
彼らがどんだけ孤独の中で個人には奮いきれないほどの権力を振るわなければならないのかというのを考えてしまいます
讒言も正しければ忠告になるわけで、非常に難しいところですね
だからこそ讒言に惑わされずに、正しい忠告を正しく判断できる王や皇帝が名君と言われるのでしょう
美女に引っかかる王や皇帝が多いのも、彼らの孤独ゆえかもしれません
田単「まんじゅう怖い」
燕軍「マジか!?まんじゅう送り付けたろw」
まさかれーしちゃんねさんも同じ人物をとりあげているという奇跡
木曾義仲「火牛計ええやん」
自分の実力を分かった上で勝てない相手を裏から消すように仕向けたり、敵味方に心理戦仕掛けるとか現代から見ても諜報戦の鬼すぎる。
新しいbgmや!
1本ドラマを見たような読後感。おもしろかった
横山史記の中で一二を争う名エピソード。勝つためにありとあらゆる手段奇策を弄して、苦境に耐える。最後の一撃はとにかくすさまじい破壊力だったろうと思う。あれだけ強勢を誇った斉が燕の楽毅の侵攻から坂道を下るように落ちていくのは無常だ。
田単スゲェ!救国の英雄ですね。日本の近未来は不透明ですが、防衛省官僚の皆さんは、こういった故事も参考に作戦、立案していただきたい。
やっぱり木曾義仲の「火牛の計」の元祖として知った人だな。
ライバル楽毅と同じように、国家にうとまれて出国したことは初めて知った。終わりを全うできたのは本当に幸運だったな。
是非ぜひ、楽毅も取り上げてください。
中華の歴史がまた一頁。
人の心には常に不安がある、情報操作は強力な武器、今の日本は我が身大事。
田単の策謀は見事という他ないですね。
正に「戦わなければ生き残れない」!
田単 メンタル強っ
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れーしさんと掛け持ちしてる人の多いこと。自分もだけど
田単かぶりで、1時間以上の田単タイム!👍です。😺
同じです
me too
私が知る限り古今東西で「火牛の計」を使用したと呼ばれるのは4人。
田単
ハンニバル
北条早雲
私(木曽義仲)
田単だけが牛の角に剣を付けるタイプの火牛の計、残りの3人(ハンニバル、早雲、私)は牛の角に松明を付けるタイプの火牛の計。
ハンニバルだけが陽動作戦の為の火牛の計、残りの3人(田単、早雲、私)は敵を攻める為の火牛の計。
ハンニバルが火牛の計を使用した場所はカリクラ(カリキュラ)峠、私が火牛の計を使用したのは倶利伽羅峠。
また承久の乱絵巻にも今の新潟県の親不知付近で火牛の計が使用されているのが描かれている。
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民は慈しむものでは無く時と場合に合うように制御するものと
本日もありがとうございました。これからもよろしゅうです。(  ̄ー ̄ )ゞ
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誠に感謝感謝でございます~!
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火牛の計ってどっかで聞いたことがあると思ったが、木曽義仲か。
救国の英雄 田単大将軍‼️
史記の中でも特に大好きです😍💓
名将倒すのは名将に非ず。
白起 李牧 廉頗 楽毅 そして田単
後の時代も枚挙に暇が無い程に😢
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田単が趙の宰相に就任したのが前269年だとすると、戦国時代最大の戦いである長平の戦いの前哨戦までわずか7年しかない。田単は長寿で前240年近くまで存命していた記録があり、長平の戦い前後は間違いなく存命で、なのにその時は何をやっていたのか一切記録がない
廉頗、趙奢、藺相如、田単が趙の国に揃い踏みした時代もあったのでしょうか?
長平の戦いの頃は田単はいったい何をしていたのか
このあたりの謎が解決するのはいつになるのでしょうか
ででんでんででん で、もうワロタwww
楽毅と田単の関係がハンニバルとスキピオと重なります。
こちらは野戦の直接対決はないけど、絶望的な状況からの救国の英雄、最後は祖国に二人とも追われた、など。史記は報われる話が少ないから余計に輝くのかな、と思ってます。
良い英雄は死んだ英雄だけ、とは良く言ったものです。
某アニメの大魔王が勇者に言った、お前は必ず迫害される、は本当に残酷な歴史だと感じます。
田単は、平時やそこそこの乱世では世に出ることなく終わり、
亡国のような大乱戦にならないと出てこなかった英雄ですね。
田単本人は、最初は馬車の補強を家族に指示したり、小役人で終わる気満々ですよね。
王翦と同じく人間観察力がすごい人物だと思います。
商人がちょろまかしたり、万引きする仕草とかよく観察してた人かなと思いました。
今回もありがとうございました。単田は救国の逸材だったのに,復活した襄王の治世にて,宰相として安定をもたらすことにならなかったのは何とも皮肉なものです。火牛の計で紹介された日本の武将とは,性格は異なりますが,楽榖も含め,窮地を救った者が追われるというのは,どの国にも共通する悲劇と感じました。
田単が樂毅との直接対決を避けたように、相手の能力を知って強敵だと思えば絡めてを使って排除する
王翦が李牧に対してやったことにも通ずるけどしっかり相手と自分の戦力分析をできることは重要な能力であるということなんでしょう。
ぶっちゃけ、この辺の時代は猜疑心の強い無能王がどの国でも1番のウイークポイントだったってことなんでしょう。
田単を思うに、最後の一点の崖っぷちからの反抗。後世の蒋介石も最後の踏ん張り総反撃をいい、朝鮮戦争も釜山の一点を守り仁川の逆転反攻になった。けれど戦略なき反攻は敗れ、準備なき反攻は腰砕けになる。一点を守りきって勝ち、最後の一点を欠いて瓦解する。田単に習うことかなあ。
横山史記では安平君に封じるところで話が終わってたのでその後のエピソードもあって良かったです。
時代や国が途切れ途切れにある史記の中でも隗に始まり火牛で終わるあたりは本当に面白い。
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人は石垣、人は城ですね。
どこぞのコンスタンティノープル包囲戦(1453に限らず)ですかねこれ(驚愕)
いつ見てもこの滅亡寸前から甦る大国の意地にワクワクする
籠城中の田単が楽穀の情報を知らべないはずもなくそれでも降伏しなかったのはさしもの田単も自らの主について調べ評価するのは恐れ多いと思ったのかな
初めて知った。多分自分で情報の価値や使い方を知っていたのだろうな。
時代が変わっても人間自身は変わっていないからね。
軍師の下りは笑った。
牛で突撃マジ😆⤴️⤴️好き
最高の受け入れ先恵文王時代の趙
楽毅、田単因縁の二人が共に流れ着くとは
人士を敬愛すること当代最高格
でもその後が暗君続きで郭開の様な佞臣をのさばらせてしまう。
春秋戦国は苦手だけど、ここら辺のオールスター感はめっちゃ好き
5年間諦めなかったのが最も凄い点だと思います。あと、燕軍が総崩れとなって速攻全軍撤退となった点。
時間差で田単の解説動画を観れるとは!!
「湣」の諡号は主に理不尽な目に振り回された君主と本編にありましたが、
「襄」は周や魏などの例と併せ考えると地位や領土を(自力ではなく?)取り戻せた人に贈られるのでしょうか。
それにしたって(記録が残ってないだけかもしれないけど)本当に何もしてないなあ
「押すなよ?押すなよ?」
のレベル100かな?
名将の後の身の振り方はいずれも難しいもんなんだなー
奇跡の被りですね。
山東半島で戦国時代に見つかった人骨と弥生人の人骨が酷似していて、弥生人は戦国時代に山東半島から渡来した人たちがルーツではないかというのを見たことがあります。山東半島から逃げ出したくなるような大変事となるとこの楽毅VS田単のバトルではないか?・・・と。もしそうだとしたら私たちのご先祖様に関わる出来事だったというわけで。
木曾義仲の火牛の計は以下の理由で否定的な意見が多いですね
・角に縛り付けた松明に火を着けたら牛の挙動を読めない少なくとも真っ直ぐ前進はしないだろう
・狭い峠道に牛の群れを突進させようと考える人がいるだろうか?
・どうやって牛の群れをそこまで運んだの?
功績を挙げても上司が馬鹿だと逃げるしかない
田単のこの手段を選ばぬ5年もの時をかけた執念は一体どこから来たのだろうか。智謀は天に轟き後世も賞賛される事になったが、彼個人の為人は分からないのでそこに様々な想像の余地があって良いですね。
田単饅頭怖がりすぎー
西帝秦「んほ~燕と斉の潰し合いたまんねぇ~。サンキュー田単、フォーエバー楽毅」
やっぱり火牛の計で知った人ですね~。孟嘗君回いつまでも待ってます…。
孟嘗君好
こいつは優秀
楽毅は田単に降伏勧告はしなかったのかな?この二人が組めば最強って気がするけど、
孫子を読んでいたとしても、いきなり実戦で使うなんて普通無理なんだけど…
趙括とはえらい差だ。
大御所中国史チャンネル同士のまさかの被りに興奮が抑えられねぇ!
田単の即墨の戦意高揚のための策、巨大スケールな饅頭怖いじゃねーか!
そして楽毅をガッキー。徳川慶喜をウルフと呼ぶくらいには広まって欲しい。
単○電池の名前を口にすると頭の片隅に田単が浮かぶ
斉、色んな破滅の要素を含んだ発展だったんだろうけど暗君一代で転落するとは権力者の無能は恐ろしい
田単の動画、ありがとうございます。
籠城5年!これだけ士気を保てるだけでも田単は凄い人物なのに、情報戦や心理戦に巧み。晩年の襄王との確執も田単だからこそ、乗り切れたような気がしますね。
今日は田単の日か?
当時の斉は、田氏があちこちにいたことからも解るように、国全体が保守的になり過ぎていたのでしょうね。
国のあらゆる役職が一族とか横の繋がりで固められてしまうと、今までの利権を守るためとか、同族の権力を保証するために新しい発明や政策を保守層が握りつぶすようになる。
実力主義で外国人すらガンガン登用しまくった秦との差がすでに出ており、この辺りが近現代の国家と重なって見えてしまいますね。
趙で田単と楽毅は会ったのだろうか
会っていたら熱いですよね。
会えていたら、ハンニバルとスキピオみたいな遣り取りをしたかもしれませんね。
こんなに面白いエピソードを
詰め込んで頂き感謝に耐えない。一発屋にさえ逸話あり。
正にロマンの坩堝が戦国期
真実をなんとか押さえつつ
楽しみますた
よめなかった😭😭😭💦
テンタン
田単回ではあるんだけど、燕の昭王の「楽毅が斉をほしいならくれてやる!」がほんとに大好き。楽毅への信頼と感謝がどれほど大きいかというエピ。
この時代以降の斉にも、この昭王に匹敵する君主が立っていれば、良臣も集まり、再度斉の興隆があったかもしれないのに。
今回も面白かったです。
楚漢戦争の田単とは違う英雄の田単も居たんですね。
勉強になりました!
A presto!
後の時代のモンゴル帝国軍は「極限まで追い詰めた強敵は、命を捨てて最後まで必死に抵抗するから
こっちの被害も甚大になる」言う事で、モンゴル帝国軍は相手を追い詰めても必ず解りやすい逃げ道とか
隙を作って逆に、敵兵の動揺を誘って尚且つ高揚を防ぐ戦術を好んだらしいけど、燕軍目線だと今回の追い詰めた田単の場合は
この人孫子学んだ可能性あるとは言え、これが初戦場しかも国家存亡の大危機だからほんとヤバい。
田単がありとあらゆる智謀を尽くし、燕に勝利し斉を復興させたのは実に凄い。偉業の裏に斉の人々の祖国復興の悲願があったのは間違いない。が、あまりに優秀で人望が篤いゆえに主君に猜疑され趙に行く羽目になるとは。然し趙でもその英邁さの所為か、そこの宰相になったのだから、人の運命はわからないものだね。
「田単」の名前の響きと語呂ほんと良いよね。
燕軍の蛮行(大体田単のせい)には笑った。流石にこういう人物は名君じゃなきゃ宰相としては扱いきれんですわ、無事逃げて正解。
田単デターん
「およそ戦いは、正をもって合い、奇をもって勝つ。 凡戦者、以正合、以奇勝。」孫子の名言ですね。個人的に、正攻法を知らなければ奇策に奇策を重ねても勝利はつかめないと思うのですが、田単は奇策を重ねても勝利出来たのは、正攻法(楽毅の戦略)をよく理解出来ていたからではと、感じずにはいられませんでした。小役人に身をやつしていても、ひとかどの人物だったんですね。動画大変面白かったです。
大昔、NHK人形劇「里見八犬伝」で、あるエピソードにさしかかると、語りの坂本九さんがしつこく「火牛の計、斉の田単」を番組数回にわたって連呼したことを思い出しました。
どういう意味で里見八犬伝で斉の田単、火牛の計が重要だったのか当時幼稚園児だったので記憶にないのは残念です。
坂本九さんは、視聴者をあおって、みんなで一緒に行こう!、はい、せーのー、でんたあーん、と、掛け声をあげていました。
動画ありがとうございます。
えっ?!鳥人間さんも田単なのですか。れーしさんが17時にやったのが同じ田単なんですよ。
ただ、鳥人間さんの視点の田単を拝見させていただこうと思います。
ダブル田単嬉しいですよね
田単は高校時代十八史略おもしろ史話で読んですごいと思った名将ですから70分でも余裕で耐えられる。
田単……流行りなのかな
僕は中国史に詳しくないけど、この地図の中の楚って、東帝の斉や西帝の秦よりも大きいし、異常に大きな国土を持っていたのに、何故天下を取れなかったのかな?一度解説してもらえたら嬉しいなあ😃
楽毅は恵王さえ讒言を真に受けなければ斉を滅ぼせただろうに、と言いたいところだが、この弱点を見抜き衝いた田単の方が一枚上手と称えたい。燕はこの時の最後の輝きを失ったことが最大の痛恨事になったが、斉も二度と強国に返り咲けず、さらに田単に趙に去られた(楽毅も趙に亡命したから当人同士で対面したかもしれない)。燕の過ちを反面教師にしなかったようだ。一つ言えるのは燕も斉も中華を統一する器になかったということだ。
うぽつです。
個人的には諡号も中国史の見所の一つだと思います。
これを見ればどのような人生を送った人物なのか大体分かるのがポイント。
はい。さらに宮城谷さんの小説が、より楽しめます😊
楽毅相手に、5年籠城で耐えたのは凄い!
まぁ、無理攻めをしなかったこともあるのだろうが。
最後、趙の宰相になったのは知りませんでした!楽毅と同じ最後になってしまったのは残念。
動画、面白かったです。