室町時代の結婚生活はどんな感じだったの?
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- เผยแพร่เมื่อ 13 ก.ค. 2024
- 【動画の目次】
室町時代の結婚生活はどんな感じだったの? 00:00
意外!室町時代は嫁姑が食卓を囲むのは稀 00:28
室町時代の離婚 01:55
離婚は不利益ではない 03:33
室町時代はシングルが多く離婚は悲しかった 04:47
戦国時代ライターkawausoの独り言 06:04
NHK大河ドラマ麒麟がくる12話「十兵衛の嫁」では、明智十兵衛が幼馴染の妻木煕子と結婚する回です。朴念仁の十兵衛も年貢の納め時という事ですが、室町時代のリアルな結婚生活って、どんなものでしょうか?
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#室町時代 #妻木煕子 #結婚生活
平安から江戸末期まで純血主義ってもともと外国文化で明治時代に列強文化を真似しようってのが通説ですね
明治以前は遊女との結婚も当たり前だったとか
室町時代の結婚生活も結構楽しそうだけどね
小・中・高と歴史…というか社会科そのものが天敵だった私のところに、なぜかオススメで現れてきました。
声や話し方が聞き取りやすいし、イラストもかわいいし、高校卒業して30年以上たって初めて社会科のニガテが少〜し取れましたf^_^;。
また勉強させてもらいに来ますね。
意外と合理的な昔の日本
経済的地盤があればの話だけど。
勉強になりました!!
このころは身分の差はあれど、男女間においては平等だったのでしょうね。
「平等」をどうとらえるかですが…
「同権」ではなかったと思います。
【動画の目次】
室町時代の結婚生活はどんな感じだったの? 00:00
意外!室町時代は嫁姑が食卓を囲むのは稀 00:28
室町時代の離婚 01:55
離婚は不利益ではない 03:33
室町時代はシングルが多く離婚は悲しかった 04:47
戦国時代ライターkawausoの独り言 06:04
あなたは室町時代の結婚生活についてどう思いますか?
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大多数の平民には名字すらなかったからね。
駆け込み寺ってのもありますよね。
秀頼の娘が庵主で、甲斐姫もいたのかも、の。
出産が忌みごとで、かまどを分けたとは、幕末に稲先生が嘆いていました。
古代ローマ帝国時代も離婚や他の理由で前夫と別れてても子持ちだったとしても、全然障害に為らなかったらしいですよ。逆に子持ちの方が乳幼児の死亡率の高かった当時は、健康な子供を産めるって事で子持ちの方がモテモテだったそうですね。
農民は一家で食事だったのでは?二世帯だからって嫁姑問題が無かったってどうして言えるのか?(現代もそうだけど)
豊臣秀吉がおねと結婚する際、尾根の親族が秀吉の身分を問題視したと言う話もこれと通じるのかな。
つまり武家のおねが農民の秀吉と結婚すると、おねも農民扱いになっちゃうと。
ちなみにこの時おねは12か13才だが、そこを問題としたという話は伝わっていない
武家なら、農民が結婚相手というのは普通に抵抗あると思いますよ。上とか下とか以前に出身身分が違うわけですから。
当時は12、3才くらいで結婚することは特殊ではありませんでしたし。
一生独身が多い割に室町時代って人口が増えているから、やっぱ一夫多妻が一番いいのかね?
たしか畑の肥料ができたりして前よりも農作物が取れるようになった時代だったよね。
たくさん食べれれば寿命も延びる。そしたら出産のチャンスも増えるし、子育て期間も長いから成人まで生き延びる子が増える。その子が大人になったら、また子供を産み育てる。
ってサイクルが増えて、人口が増えたのかもしれない。
日本改悪しかしてない気がする……
夫婦別姓とか日本今問題になってるよね。
今の夫婦別姓はむしろ今が「個」の時代になったからだと言えるのではないでしょうか。
まあ夫婦同姓はそこまで普遍的絶対的なものではないということではあるでしょうな。
@@kiyopu28 さま 私は夫婦別姓にも夫婦同姓にも反対ですが、いくらなんでも「夫婦別姓は家庭破壊の元」だなんて言い過ぎですよねえ。片方が併合姓にしたら、よその人にもよくわかるのに。
韓国や中国やベトナムの夫婦別姓と日本の夫婦別姓は全然違いますよね。いいか悪いかより前に男性は自分が改姓したらと一度も考えないで夫婦別姓を反対するのは思いやり無さすぎ。
日本は古代から、女性優位の母系社会。
結婚は婿の実家から嫁の家に満月の夜等に通う通い婚。
婿殿は日頃はどうしていたか?というと、実家の家長の母ちゃん(刀自、トジ。戸主に同じ)や姉妹など女たちの為に労働に勤しんでいました。
この結婚も、嫁の気分次第(多くは婿殿が男性機能減退により嫁の欲望を満足出来なく成って)で御払い箱にされいて即離縁出来ました。
離縁された男は悲惨な末路しか待っていません。
片やポンコツの役立たずを御払い箱にした女盛りの元嫁(刀自)は精力旺盛な遥かに若いイケメン?を後釜の婿にして事に励みました。
なので、女盛りで精力旺盛なカーちゃんは婿を何人も取替たりしていました。
コレは特別な事ではなく極ありふれた普通の事だった。
大事な事を忘れて居ました。
結婚を決めるのは家の刀自(女主人、戸主)同士で縁談を決めました。
そこに男の出る幕は一切有りません。
それで男を「婿入り」させる側の刀自は我が息子が先様の刀自や新嫁に粗相の無い様に、娘に気に入られ受入れてくれる事を一晩中、
自宅にお祀りする出雲の国教の「幸の神」さま(主神と后神(後にイザナギとイザナミに改変)。縁結びの神さま)に祈り続けたらしい。
新婿は夕刻にカーちゃんに言われた相手方の家に到着。
相手方のカーちゃん(刀自)に土産物やら自己紹介やらの挨拶もソコソコに家に招きいれられて、
新嫁とご対面(村内などの近所なら顔見知り)。ご馳走が振る舞われ、頃合いもヨロシクなると、いよいよ「お試し」の御床入。形通りに床神酒の神事を済ませて、、、
その少し離れた傍らには衝立等を隔てて新嫁のカーちゃんが初床入の成否を息を殺して添い寝して覗いました。
娘が婿を気に入ってその上に乗ってミトのマグワイ(女性上位が普通)を3回目になると、
カーちゃんは胸を撫で下ろし安心して静かに自分の部屋に退散。
開けて翌日。息子さんが天晴れな働きをしたと連絡を貰い一晩中ハラハラしていたカーちゃんは胸を撫で下ろし安堵。
双方晴れやかに正式に結婚式を挙げて正式な女夫に成りました。
満月の月夜の晩に婿は嫁の家に通い、ご馳走の米餅(実は偽物で「婿ダマシ餅」と言った)を喰って一晩中励むのが習いだった。
子供たちは嫁の家で養育されて、トーちゃんは月に何度かやって来る他所のオジサンだった
…スゲーよ
あんた『本』を出した方が良い
うん…マジスゲーΣ( ̄□ ̄)!
森岩光
3回せなアカンのですね…
キツイわー…
婿が月夜の晩に嫁の家に到着したら、
前回にいついつ来るとは打ち合わせ?はしてありますが
当然ながら物騒なので戸締りされています。
そこで、婿は嫁の家の戸板を叩きながら、余人の知らない嫁の本名を呼ばい(叫び)ます。
それによりセキュリティチェックのパスワードwwの一致を確認すると、戸が開かれて嫁の家に招き入れる。と言った志儀。
お互いの本名を呼ばい合う。が、夜這いにw
イザナギとイザナミが呼ばい合って結婚するのはこれを反映したモノ。
ところで、つい近世まで本名を明かす事は相手に自分を委ねる(服属する)事で有った。
半ば喜劇等で、バカ殿様が気に言った女人に名前を尋ねて、女人が(是非もないとは言え)名前を告げる事=その晩の夜トギ(セックス)を承知したことになりました。
@@user-iq4bc6qe3e
オナゴ様の要求は絶対ですから?💫
色々、カルチャーショックだなぁ。
室町時代の西洋と日本は、今の西洋と日本の真逆の価値観みたいだし。
ただ、この話し、人口の集中した西日本の話しで、東北地方などはちょっと違うと聞いた。
勉強になります!
むしろ西欧に汚染された現代より当時の方が日本人にとっては合理的な文化だったようですねw
西洋の文化を取り入れたのは明治天皇や井上馨を始めとした、当時の日本の上層部ですけどね。
興味深い,今の伝統と言われているような和のしきたりは,明治からってものも多いのね。
I heard that marrying a samurai in ancient Japan had to give a large dowry.
「日野富子が足利義政の妻になっても足利富子にならない」
すげー納得したので高評価押させていただきました('ω')
当時は戸籍がなく、税制面での優遇もなかったので、別姓でも問題なかったのでしょうけど('ω')
追加:源頼朝の正室は北条政子とも源政子ともいわれている。
別姓はちょっと違います
足利義政は、姓は源・氏が足利・名が義政です。日野富子は、姓が藤原・氏が日野・名が富子になります
源 足利 義政 と結婚した 藤原 日野 富子 は、藤原 足利 富子 と変わりました
当時結婚後に残された資料には日野富子と書かれたものは一つもありません
殆どの書物には、藤原朝臣子か将軍の妻とか源義政の妻とか書かれています
別姓の話は、昔の姓の意味と今の姓の意味が変わっているのでややこしいですね
なるほど。わかった。。
秀吉の父親は詳細不明になっているが、秀吉の母はシングルマザーみたいな存在だった。秀吉が天下人となったころ、秀吉の兄弟だと自称する男たちがやってきて、母なか は、そいつらを見て確認することになった。そもそも確認をとること自体がなにか変。実際見て、自分の子ではない、と言ったため男らは即座に皆殺害されてしまった。
んん~~
室町時代って云っても、
武家と公家、庶民って分かれると思うけど
それぞれの結婚事情はどうだったんでしょう?
皆がみんな、下男下女って訳でも無いだろうし
公家は、平安的慣習を守ってたのかしらん?
武家は、鎌倉時代と違った変化を遂げたのかな?
てな感じの、各時代での変わり様とか分かると
もっと興味深いカモとか思いました
(てか、自分で調べろヨな(笑))
昔の方が、嫁姑問題は起こり得なかった?、
そのうち、現代でも中世のように未婚者ばかりになるのかな~?
1:35
夫婦同姓派見てみろ。
何が日本の伝統だって。
そもそも当時、女に苗字はありません。
江戸時代や明治時代以降の文化だけが日本の伝統文化だと思ってる人多すぎ‼️名前は半分は相手が呼ぶための者だということを忘れている人が多過ぎます。
今も結婚が難しい時代ですね。
下身分が多い
…ここまで来ると
カワウソ氏のお嫁さんが
気になる…(>_
日野富子本人は、日野姓を名乗っていたのでしょうか?
同じく「明治以前は夫婦別姓だった論」で名前が挙げられる北条政子は、「平政子」名義で寺社に奉納した鏡が残っていますが、頼朝も実朝も没後のことであり、また実家の苗字「北条」ではなく本姓の「平」としていることから、話は変わってきます。
後の時代の立花宗茂は、婿入りの際に父・高橋紹運から「お前は今日から高橋家の人間ではない。もし我が家との間に戦あらば、この刀でわしを斬れ」と刀を渡され、送り出されています。
幕末には天璋院篤姫が、幕府を攻める実家・薩摩の西郷隆盛に向け「私は徳川家に嫁いだ以上、徳川家の人間として生きるのは当然」という趣旨の手紙を送っています。
古来、日本において結婚とは、夫婦がひとつの家(文化的意味でのイエ)に所属することであり、また夫婦双方の生家を結ぶという意識があったのでしょう。ので、嫁入りした人の名前を記述する際、実家の苗字を冠したのではかと思っています
平安期以降、“源”、“平”、”藤原”等は「氏」名として帝から与えられたもので、“北条”、“足利”、“日野”等は「名字(苗字)」になります。人名を表記する際「氏」か「名字」かのどちらか一方しか記載されないことになっていたので、“日野富子”は“源富子”であり、“北条政子”は“平政子”です。“源頼朝”の「名字」は“多田”らしいので、北条政子が“多田政子”と名乗っていたのなら、現代で言う嫁入りになりますが、そうはなっていないことに注意が必要です。
平安期の貴族階級は、女性が財産を相続し、男性が女性の元に通う「通い婚」が通常だったので、現代とは感覚とはかなり違います。
戦国時代の嫁入りは密偵としての役割もあったようです。
@@ChartyWood 日野家は藤原氏だと思います
同じ姓にするのってホントめんどくさい!手続きとか呼び名とか🙄
変更手続きにかかった費用は全て夫が出すべき‼️そして感謝するべきです。
吉井光子 様
同感です😢
@@veilchen1846 夫婦になるんだから両方が出せばいいじゃん。
@@user-simikou さま 妻が夫の姓になるなら、夫は周りに改姓報告は一切必要ないでしょ!男性は自分が嫌がることをしてもらっていることを自覚してください。
学生時代に特別に親しくはなくても友達ではないといえない人は名字で呼んでいたから、下の名前で呼ぶのも新しい姓で呼ぶのも抵抗がある。
日野富子が日野と言われる場合には、足利義政は源義政に為るのでは?
足利義政が源義政なら日野富子は藤原富子になりますよ
姑=しゅうとめ ですよね?気になり過ぎて内容が入ってこない笑笑
しゅうと は結婚相手の親、男女どっちにも使うよ
5:57 おしりかゆっがどうしても気になるww
ふふふ。
現代はバージンに拘ってるんですか?
それもかなり偏った指向だと思いますけどね。。
You can read english?
Can you speak English, please?
@@hononi I use an English translator to translate my Chinese.
姑はしゅうとめと読みます。
しゅうとでも合ってます
夫の父母は両方ともしゅうとと呼び、姑、舅と字があてられました
しゅうとだけだと父か母か分からないので女性を表す『め』をつけて『しゅうとめ』が広まりました
小姑は『こじゅうと』と読んで『こじゅうとめ』とは読まないのでそこら辺から理解していただければ
ちなみに小舅も『こじゅうと』です
まぁ気になったのでたった今検索しただけなんですけどね
そんな程度で上から目線ですみません
それは理解できる
でも「嫁姑問題」はやっぱり「よめしゅうとめ」じゃないかな~
収益化できてないのですか?!
結構最近まで、食事は男女別々で取っていたようですよ。それこそ、昭和の時代まで。先ずは家長たる男性とその子供たち。その後嫁と娘たち。母も子供の頃はそうだったと聞きました。
あと、日本だけではないですが、相続の関係で後継となる男子だけが財産や土地などを引き継げる為、他の男子はあくまでも控えでしかなく、生涯を部屋住みとして独身として過ごすか、娘しか居ない家に婿入りするかの二択だったようです。徳川吉宗も元は紀州徳川家の世継ぎではなかったのに、うまい具合に?上の兄弟達が死んでしまって紀州徳川家を継いで更に将軍にまでなったのです。
自分の父親も次男だったけど、長男と比べると扱いに差があったみたいな事言ってたな…
大河ドラマはドラマであり、結構嘘ばっかです。しんじちゃじゃだめよー
姑=しゅうとめ 舅=しゅうと
しゅうとは舅姑どちらでも使えますよ。
しゅうと?しゅうとめ?
へぇ〜バージンに拘る人なんだ。
俺はまったく拘らない。