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神奈川県西部、母校にあったのは銅像だったと思います。冬になると誰かがふざけてマフラーを巻いたりして…なんだかんだで愛されていました☺️
こんな形で面白い視点の歴史を学べるから五郎講座が一番好き!
私の小学校にもありました。数年前に廃校になったので、懐かしくて訪れました。ありました。でも当時のものは雨風で風化したので新しく地元の人が寄付されて、元の場所立っていました。60年ぶりに会って、大変感激しました。ありがとうございました❤
小学校に銅像の二宮像があった。仲間内であの読んでる本には何か書いてあるのか、ないのか…と意見が別れ台座に登って確認した思い出がある。ちゃんと書かれてたw多分、漢文。
中国・戦国時代の思想書『大学』ですね
小学生の好奇心がすごい😊
知らなかった!
中国古典大学の本文は、一家仁一國興仁一家譲一國興譲一人貧戻一國作乱其機如此一家仁なれば、一國仁に興り、一家譲なれば、一國譲に興り、一人貧戻なれば、一國乱を作す。其の機此の如し。これが金次郎像にある書物の正確な文字です。(青銅製の金次郎像)
面白かったです!! 減っていったきっかけが、陰謀でも命令でも教育でもなく、校舎建て替え。それはもうご尤も。パブリックアートという概念、目から鱗でした。想像力かきたてられるので、残していってもらいたいものです。
二宮金次郎の美徳が今の日本人の実態にそぐわないからでしょうか。時代に合わないというか。致し方ないですね。
「神社にある石の狛犬はほとんどが『岡崎型』と呼ばれるものですが、コレは大正時代に岡崎市の石工、七代目酒井孫兵衛の作が全国に広まったもの」という話は聞いた事がありましたが、二宮金次郎像も、岡崎の石工がプロデュースしていたとは初耳でした。興味深いお話をありがとうございました。
日本人の美徳である勤勉の象徴は貴重だと思います。現在の価値観とは相容れないものかもしれませんが、残して欲しい。
自分が小学生だった頃50年以上前の母校にはコンクリの金次郎像がありました。その頃既に経年劣化で表面がボロボロで台座ごと傾いていたので今は撤去されたてるかも?当時よく少年マガジンを読ませてあげたりしてました。
草の根のパブリックアートだった二宮金次郎。こんなに深い話があるとは!ビックリです!
私が通っていた小学校は当時木造校舎の裏の花壇にありました。花崗岩のタイプで小柄なものでした。卒業生である母の話しでは、戦前は表にあったが、戦後の戦前否定で裏に追いやられたとのことでした。その後木造校舎の建て替えで、表に返り咲きしました👍
@@user-take-3110 二宮金次郎も返り咲くのですね。凄いぞ。でもまだ見たことないなあ。一刻も早く見てみたい。
二宮金次郎像がパブリックアートとは!❗️新しい視点をありがとうございました😃
尺貫法からメートル法に変わった時に1mを体感できるように金次郎像の身長が1mとして設置されたと聞いたことがあります
60代の髙岡出身ですが、有名な方の作という金次郎像有りました最後に勤務した小学校には豪華絢爛の九谷焼の二宮尊徳像が校長室の前に有りました
私の小学校の門に、高々と石造りの二宮尊徳像がありました。まさに彼は生きる指針でした。日本の誇りです。
古い小学校にやたらとトーテムポールがあったのも謎だなあ。いったい誰が流行らせたんだあれ。
ありましたね当時、これ何?と思ってました
私が通った小学校にもありました。先輩の生徒が図工で作成したものが残されていたのだと思っていました。
あったあった!!こわかったです~
あったあったww青地に黒い太めの縁取りと大きな目、赤や黄色のカラフルな装飾それが二本対で建ってた。卒業制作かなーとか思ってた。
うちの小学校にも運動場片隅の花壇の真ん中にトーテムポールがあって、反対側には木の間に挟まれた二宮金次郎がいました。でも、生徒に愛されていたのは金次郎さんで、わざわざ帰る前に挨拶して帰ったり。今はどうしてるかな、また見に行きたいですね。
こう言う美術の視点も含めた話しをできるのは、五郎さんだけだと思います。潤いをありがとうございます。
身近な話題ということもあって、前後編ともに見応えあって面白かったです!日本人の民族性として「勤勉は素晴らしい」ってのが染みついてるからこそ草の根的に広がったんじゃないかなこれからもずっと残っていってほしいなぁと思いました
昔読んだ🇹🇼台湾のガイドブックに、旧尋常小学校の写真に二宮金次郎の銅像が載ってたのが印象的でした。
ブームが戦前だとすると、台湾や朝鮮半島や満州にも建ってた筈ですね。ちょっと興味が湧いてきました。
学校の七不思議のひとつでしたね。夜中にニノキンが走るんよ校庭を。で、持ってる本読み終えるから図書室に返しに来るんだけど、なぜかニノキンが持ってる本はびしょ濡れで、ニノキンはそれを目から緑色のビームを出して乾かすんよ。今思えば笑えるんだけど、当時はごっつい怖かったかなぁ…
リンカーンとのコラボがあったなんて驚きです。当時アメリカは物量で圧倒してイケイケのイメージでしたが、同じ価値観を共有してたかも、というのが興味深いですね。コンクリート造りの宣伝(?)文句、銅像供出の場合は値引きしますは、学校としてはお得感あって注文しちゃうのでしょうかね。パブリックアートとして残してほしいです。後半も楽しめました。ありがとうございます。
昭和の時代小学生だったので、二宮金次郎像いろんなところにあったことを思い出しました。近所のメガネ屋さんの前にもありました😆 私が行った小学校はセメントでした。
二宮金次郎が一般のひとたちが生み出して広めたことに驚きました。地域ごとの特性を生かした二宮像を今後も残して欲しいなと思いました。
パブリックアートという視点、勉強になりました!
五郎さん。今回もさりげなく始まって、どんどん興味深い展開が広がって、長い期間と沢山の方々の関わるパブリックなアート運動(?)だったのですねえ。丁寧に調べて解説頂いて、本当にありがとうございます。面白かったので後でまた解説聞き直しますよ。二宮金次郎さんも間違いなく喜んでいる事と思います。😊
等身大フィギュアをイベントに出展したら予約が殺到した‼️という話か‼️
マジでフィギュアを作ればいいのに欲しくなった
@@tikatika1576 海洋堂あたりが既に出してそうw
謎多き二宮金次郎像、前後編大変興味深く拝見しました📖小中高と二宮金次郎像のない学校に通っていたので実感として馴染みはないのに、なぜか怪談のほぼレギュラーでとても身近に感じられて不思議に思っていました。それほど一般的な存在だったのですね。由来や製作者、材質の違いなど、アートとしての側面も知れて良かったです👏
懐かしいです。小学校の頃に、ありました。もっと観ていれば良かったな…そう思いながら観ました。茶色の記憶があるような?ないような?銅像だった様な、気がします。色々な経緯があって、何故か今は学校の怪談で、コミカルになっていますね♪これからも、色々なエピソードが出てくるかも知れないと思うと、それはそれで楽しいですね。今日も、面白い動画を、ありがとうございます。金曜日、毎週楽しみです♫
廃校巡りが好きなので、金次郎像もついでに拝見しております。様々な金次郎さんがいらっしゃいますね。
中学生の頃、市内の別の中学にこの像があってうらやましかった。自分が通ってた中学には裸の女の子の像が正門の前に置いてあって、時々男子たちが群がってゲラゲラ笑ってたから。
歩く金次郎像が有名になっていたころ,うちの小学校におられた金次郎さんもいつの間にかいなくなっていました。昨年とある場所に佇んでおられる金次郎さんを発見,お願いしてわが家にお迎えすることができました。コンクリート製で,背負子の一部が欠けていますが,そのお姿から動画で紹介のあった日本硬化石美術工業所パンフレットの一番右側の金次郎さんだと思います。
近所の瓦屋さんに鬼瓦、シーサーに並んでミニチュア金次郎像あったのを思い出しました。
とても興味深いお話でした。私の通っていた小学校は30年以上前に取り壊され別の場所に立て直されましたが、金次郎像は旧校舎の跡地近くに残されているようです。私は母校の金次郎像は銅像だと思い込んでいたのですが、地元の方のブログによると陶製だそうで、ずっと勘違いしてた自分が恥ずかしくなりました(笑)今度帰省した折にでも見に行こうと思いました。
有難う御座います。大変面白かった。目から鱗が落ちました。
二宮金次郎像の歴史大変楽しかったです😊
夜も寝ないで昼寝して待ってました❤
これ好き。
気になって夜しか眠れませんでした❤
子どもの頃、小学校の金次郎像をもっとよく見ておけばよかった
草の根パブリックアートという視点、面白かったです。意外と経緯を調べてみたら、民間主導の草の根運動だったのに、かなりの時間を経たことで権威的な象徴のように捉えられている事例は他にもありそうですね。二宮金次郎像ひとつとってもこれだけストーリーがあったとは…
半年くらい前に掛川に行ったんですけど、金次郎像には気が付きませんでした😅なんか、パブリックアートって単語が出て来た時点で、みうらじゅんさんが頭に浮かびました。ご本人は徳川の世で亡くなっているのに、確かに農政に尽くされた方ですけど、像が独り歩きした感があって、面白かったです。
撮影中、下にサーキュレーター置いてるのかな、五郎さんのネクタイがヒョコヒョコ動いてるのが面白かったです
勤勉アイコン二宮金次郎。ここまで話が広がるとは思わなかった😄楽しく視聴させていただきました。
「二宮金次郎」はもはや美術テーマの確立された一ジャンルなんだねブッダやキリストの宗教画、古代中国の思想家や仙人の伝説・逸話の画みたいに、色んな画家が同じテーマを題にして画く…みたいなw現代の若手アーティストも自分なりの表現でどんどん金次郎の新作を作って欲しいw
私の通った学校には、二宮金次郎像はありませんでした。アート運動の一環だった事も、今回初めて知りました。それならば残して欲しいと感じました。それと、18:09 の言葉に思わず笑ってしまいました。芸術の秋と読書の秋🎨📖五郎さん、スタッフの方々、皆様良い秋をお過ごし下さいませ。
近所のこれがどういう像なのか外国人観光客によく聞かれますニノミヤ モストフェイマス エコノミスト インジャパン の説明で アハー! ってなります
地元のは確かコンクリート製でしたね。自分が小学校高学年頃に、雷が頭頂部に直撃して穴が空き、中の鉄筋が剥き出しになってました。
非常に興味深いお話しでした。ちょうど、二宮尊徳の本を読んだタイミングで動画が上がってきました。民間で広まった、という点がまた素晴らしいと思いました。二宮尊徳は、今で言えば減税政策を行なった人です。(年貢米を測る升の基準を統一した)明治初期の自由民権運動家的な、農家の地主、都市の知識人、事業家、教育家という性格を合わせ持つ凄い人です。全国に金次郎の銅像があることで、アートとしての楽しみはもちろんのこと、二宮尊徳が為したことを知って頂くきっかけになるように、働きかけていきたいと思いました。いつも楽しくて勉強になるお話し、ありがとうございます!
うちの猫は、TH-camから声がするとどこかへ行ってしまうのに、私の傍らで五郎さんのありがたいお言葉に耳を傾けて聞き入っておりました。ワンコじゃなくてすみません。残していきたいカルチャーですね。人々がそれだけ共感して今に受け継がれているものですから🙏✨五郎さんが髪を剃られたのに気がつかずアハ体験しました。
日本人の主人公がアメリカ人の親友(ライバル)をつくるって昔の少年漫画なんかでよくありますけど、金次郎が元祖なんですかね。戦前のプロパガンダ彫刻が戦後撤去されたりタイトルだけ差し替えられたり、ということが辻田真佐憲さんの研究で明らかになっていますが、そういう意味ではプロパガンダ彫刻が戦前戦後を生き延びた稀有な例なのかもしれませんね。
私の小学校は昭和41年に建て替えられたせいか、最初から金次郎像は無かったです。大学で上京するまで金次郎像を知りませんでした。てっきり帝国主義のお仕着せと思っていたので、民間から展開したアート群だったことがわかり、とても嬉しいです。日本て不思議。
子供の頃には必ずあった金次郎像が姿を消しつつあるのは寂しいことですね。♪ 柴刈り縄ない 草鞋をつくり 親の手助け 弟を世話し 兄弟仲よく 孝行つくす 手本は二宮金次郎 ♫
一行目に関しては今の子供たちには「なんのこっちゃ」でしょうね。とりあえず、家の手伝いはしようねってことで収まりそうですけど。
母が子守唄代わりによく歌ってくれていた。この歌が,私の二宮金次郎の原体験といえます。
内村鑑三著「代表的日本人」を読んで金次郎に興味を持ち、さらに金次郎を深く知りたいと思い、「報徳記」も読みました。幕末にこんなに立派な日本人がいたということにとても感動しました。彼が農民ではなく武士として生まれていたらきっと全国規模でもっと大きな事業を成し遂げていたと思います。私がもっとも尊敬する日本人です。金次郎像は勤勉な日本人の象徴としてぜひ残してほしいです。
30年ぐらい前、小笠原父島の小学校の金次郎さんの像は、頭が吹っ飛んでなかったです。そのまま戦後何十年、今もいらっしゃるかな金次郎さん。日本の学校で勤勉、親の手伝い、学習、地味にこつこつを教えてくれていい金次郎さんですな。無くならないように祈りたいです。
日暮里から鶯谷に向かう途中に、松の苗と鍬を持った尊徳像があります。
二宮金次郎さんって平成の幼少期は怪談の定番だったんだけども、昭和では金属として出兵した英雄だったのか。
尊徳自身についてはそこそこ勉強したつもりでしたが、像はノーマークでした。めちゃくちゃ勉強になりました。ありがとうございます。内需でぐるぐる回すのいいよネ
今回も勉強になりました
残すべき?撤去すべき? なら「残すべき」ですね。 あと残す上で五郎さんが話して下さったこうした知識も一緒にであれば、尚更いいと思います。てっきり当時の文部省推奨なのかと思ったらパブリックアートで、こうしたアレコレの経緯があった事には新発見でした。
戦前からある小学校だから無かったのかなぁ?でも祖父母や母も同じ小学校に通ってたけど「あった記憶が無い」と言われましたが…。今になって思えば祖父母に聞けば良かった、興味を持てば良かったと思いました。二ノ宮金次郎(尊徳)が勉強しながら家(幕府や武士)を助けて否かはどうであれ勉強しながら人助けをしていた、という感じがしました。このチャンネルは学ぶ事が多いし、興味や趣味を増やしてくれる、まさに“大人の教養講座”だと改めて思いました。毎回知識が増え、趣味を枠を超え…色々楽しませてもらって有意義な時間も過ごせて幸せな時間を過ごしてます。今回も毎度ながら感謝です✨
恐慌というと1929年が有名ですが日本では1927年にも起きています(カリオストロの城でも言及された)。二宮尊徳がブームになったのはその相互扶助の精神が必要になったからでしょう。報徳社が展開した協同組合運動は信用制度の不備を柳田國男に批判されますが、全くの誤解で今日でも有効です。二宮尊徳の経済思想も有効であり続けています。
すごく勉強になりました😃楽しかったです♪二宮金次郎像を見かけたら、よく観察してみます✨
そういう経緯で設置されてたとは知らなかった
ふと通勤途中の中学校見たら金ちゃんいました
永久保存版の回でした。いかにも日本的な歴史。母校に残る金次郎像を見る目が変わりました。
石像の金次郎像で「夜中に走りすぎて折れちゃって、後に足を探し回る金次郎像の怪談になったとかw」なんていうファンタジーな世界に一瞬迷いこみました。子供のながら歩きが危ないと言うなら大人が手本になればいい話ですね。
二宮金次郎の像は小学校にありましたが「無気味」感がありましたね。子供の間では夜中に学校の校庭を歩き回ってると言われて無気味さで近づきがたい存在でした。押し付けがましい物だろうと思ってましたね。
私の学校では陶器でした。瓦産業のあったところでは、損壊してしまっただけでかなりの数があったのではないかと推測します。大きさは、60㎝ほどだったと思います。サッカーのゴールキーパー役として、いけると思ったのですが・・・・足から折れるのは地震とは限らず、いろいろ当たって壊れます(どえらい怒られます)。二宮翁夜話は、今の時代に最適な経済テキストとして像の前で教えられる一冊でしょう
待ってました!気になって夜しか寝れんかった!
永眠しとけ
寝れとるやないかい!!笑
健全な生活ナイス!
有名な銅像のわりには「何故ここに?」とか「どうやって広まって行ったのか?」とか意外と知られていないというか伝わってないというか。前編と後編通して知る事ができて非常に興味深く、大変面白かったです。
日本字らしい心温まるお話でした。我が社には”二宮尊徳”という実名の社員がいます。
前後編通して、たいへん面白かったです。このチャンネルの魅力の一つは、五郎さんご自身が、いろんなことを興味津々で調べてくださるので、「知ること」への貪欲さを感じられることだと思います。
母校の小学校は木造から鉄筋になりましたが、陶製の尊像は場所を移して鎮座しています
91歳の祖母の小学校の二宮像は銅像だったから戦争の時に二宮様は戦争に行かれたと学校で聞かされたそうです😮
大阪にある個人宅の庭に二宮金次郎さんが飾られてるのを見たことがある😂でもそれ以外で見たことがない…
とても興味深い講義ありがとうございました、、、わたしの通った小学校は、わたしの代が10期だったかな、新しい学校だったためか、残念ながらいらっしゃいませんでした、、、さておき何気に中村直吉さんの奥さま、美容院代を17年貯めて金次郎像を87体寄付って、素晴らしく徳の高い方ですね、、、直吉さん存じ上げなかったのでググってみたところ、最初に出てくる肩書きが冒険家で、???と思い経歴を読んでみたところ、結婚間も無く奥さまを残して10年渡米、帰国3年で営んでいた帽子店を妻子に任せ6年掛けて世界1周、、、直吉さんに関しては敢えて何も言うまいが、奥さまが貯金されていたことと徳の高さに納得、、、
関西在住なのですが、近所の某ガソリンスタンド2店舗に二宮さんが居ます…いつも不思議に思ってました。
日本最初の西洋式銅像が靖国神社の大村益次郎像だと聞いております。日本のパブリックアートの歴史になるかどうかわかりませんが、もし、パブリックアートであるならば、何時か、明治期以降に街に建てられている各種の人物像の歴史(上野公園の西郷隆盛像や皇居外苑の楠木正成像、旧万世橋駅前にあったとされる広瀬武夫中佐像など)の歴史をご教示いただけたらと思います。
こと軍人に関してはなかなかにナイーブな歴史があります。敗戦までは「軍人=地元が生んだ英雄」だったので、各地に「忠魂碑」という石碑が建てられました。戦後、戦シした出征者を悼むために建てられたのが「招魂碑」です。後の反戦ブームのなかで忠魂碑の多くが地元民に破壊され、各地の神社の境内などに招魂碑が遺されているのみです。銅像については金属供出もあったでしょうが、残っていたとしても忠魂碑と共に破壊されたものも少なくなく、現存しているものはレアケースです。ゴローさんに調べて頂けるのであれば、現存するものよりも、失われたもの、の方が深い歴史を覗けるような気がしますね。
最近、金次郎さんの銅像。各地で盗難のニュースになってた気が…個人的には子供のワクワクの7不思議のために金次郎さん残って欲しいです。 大日本報徳社大講堂は和洋折衷の建築でも有名ですね😊
自分が通っていた小学校にも二宮金次郎がありました。が、「撤去された理由」が極めて特殊。。。80年代当時、世の中ではオカルトネタが流行っておりそんなテレビ番組も多かった時代。ニュースなどでも「血の涙を流すマリア像」などが話題になったり(あちこちでそんな話がありましたよね?)そんな折に、自分が通う小学校の二宮金次郎像にもちょうど涙を流すような跡が見つかってしまいw怖がる生徒たちの不安が伝播し、逆に面白がる奴が他の様々な怪談話も持ち込んだりで、学校中が騒然。生徒たちの不安は収まる様子もなく学校側も看過できないと踏んだか、程なくして二宮金次郎は撤去されてしまいましたwそれから30年以上。。ネットで二宮金次郎像の行方を知ることに。実は学校から撤去されておらず、体育館の入口の庇の上に追いやられ、ひっそりと隠されて余生を過ごしていたようです。かわいそうな話ですがw「栗林小学校」「二宮金次郎」でgoogle検索をしていただければ、2014年当時のその様子が出てくると思います。現在は校舎も体育館も建て替えられ、二宮金次郎像も地面に足を下ろすことができたようです。めでたしめでたし。
なんとなくいつもそこにあった金次郎像。紐解いていくととても奥深いのですね。母校のは石像だと思ってましたが、コンクリかもしれない??久々に母校を訪ね確かめたくなってきました。市内でも明治からの歴史ある学校なのですが、生徒数が減り廃校の危機だと同級生が言っていたので、母校も金次郎像もなくならないでほしいなぁ。
今年の2月に東京豊洲に開業した千客万来という複合施設に夫婦バージョンではありますが二宮金次郎像が設置されたらしいです。令和の世になっても東京に新しく二宮金次郎像が置かれたということにビックリしました。豊洲に行く機会ができたら見てみようと思います(^_^)
私の母方の祖父が、石像彫刻をする人でした。昭和20年代から50年代くらいまで彫っていました。今でも鹿児島の谷山というところに、祖父の彫った観音像や子供の像があるのですが、二宮金次郎の石像は見つかりません。写真は残っているのですが…。どこかの学校にあるのかなぁ、撤去されたのかなぁ、いつか探しに行きたいなぁと思っています。
もうそろそろ、モダンアートな二宮金次郎像が出て来てもいいんじゃないかな?と思うんだけど、二宮尊徳に失礼かな。でもあったらそれはそれで画期的だと感じるな。
いろいろ面白かったです。全国各地にあって熱心に寄贈された、ご当地事情でいろんなタイプがあった…これ何かに似てるような。あ、灯篭の立ち位置に似てる!と思いましたー。
二宮金次郎とリンカーンまさかの共演😮
ウチの中学校にもありました(熊本市)石造だったと思うけど。小学校には無かったような・・・
仮想 22:16 へえボタンを連打しました。面白かったです!
みうらじゅんさんが好きそうな分析
ありがとうございます。
面白かったぁ😁まさか金次郎が草の根パブリックアートと言われるとは!!私の学校には無かったから、憧れのパブリックアートだ😂今度見かけたら材質はなんなのかを見てみよう😊
前回と今回はかなり貴重ですね 知っていそうで全く知らなかった事柄ですね
私の小学校の尊徳像は写真がnetに落ちてました😅再建モノかなぁ😊たぶん青銅で薪のようですけど😅
おしんの時代ではないので、蛍の光や窓の雪で勉強する子どもはいなかったですが、小、中、高と卒業式では歌いましたね。薪を背負って歩きながらでも学ぶ、そういう苦学を良しとする土壌が戦後の学校教育にもありました。金次郎像と学校に親和性があったということはあるかと思います。
学校の怪談用に設置するべき
ためになるなぁ
愛好家の人ありがとうございました🙇
先日、島根県の西の方をぶらぶら歩いていたら、小学校の低い塀の向こう側にいるのを見つけました😳 見た瞬間、石でできてるな、背負っているのは薪だな、無意識にチェックしている自分に笑ってしまいました😅 この話のお陰です。ありがとうございます😊
うーん、やっぱり勉強になりますね。あらゆるものは歴史を創る一部なのだ。
仕事で訪れていた小学校の二宮金次郎像の指は6本でした。。。教頭先生が嬉しそうに教えてくれたのが印象的でした😅
近所の廃校となった小学校跡地に金次郎像だけがぽつねんと残されています。いつ撤去されるかわからないので写真だけでも撮っておこうと思います。
それオークションに出したら結構な値がつくかも。なんでも鑑定団に出してみるのも面白い。
昭和3年設立の小学校に通っていました。ニノキンは茶色かったので陶器だったかな。少子化で統合となり、敷地は公民館となりましたが二宮金次郎像は学校があった記念として移転までして残りました!今度台座をみてこようと思います。
うちの小学校は考える人でした。あれも寄付ブームの産物だったのかな?
神奈川県西部、母校にあったのは銅像だったと思います。冬になると誰かがふざけてマフラーを巻いたりして…なんだかんだで愛されていました☺️
こんな形で面白い視点の歴史を学べるから
五郎講座が一番好き!
私の小学校にもありました。数年前に廃校になったので、懐かしくて訪れました。ありました。でも当時のものは雨風で風化したので新しく地元の人が寄付されて、元の場所立っていました。60年ぶりに会って、大変感激しました。ありがとうございました❤
小学校に銅像の二宮像があった。
仲間内であの読んでる本には何か書いてあるのか、ないのか…と意見が別れ台座に登って確認した思い出がある。
ちゃんと書かれてたw
多分、漢文。
中国・戦国時代の思想書『大学』ですね
小学生の好奇心がすごい😊
知らなかった!
中国古典大学の本文は、
一家仁一國興仁一家譲一國興譲一人貧戻一國作乱其機如此
一家仁なれば、一國仁に興り、一家譲なれば、一國譲に興り、一人貧戻なれば、
一國乱を作す。其の機此の如し。
これが金次郎像にある書物の正確な文字です。(青銅製の金次郎像)
面白かったです!! 減っていったきっかけが、陰謀でも命令でも教育でもなく、校舎建て替え。それはもうご尤も。パブリックアートという概念、目から鱗でした。想像力かきたてられるので、残していってもらいたいものです。
二宮金次郎の美徳が今の日本人の実態にそぐわないからでしょうか。時代に合わないというか。致し方ないですね。
「神社にある石の狛犬はほとんどが『岡崎型』と呼ばれるものですが、コレは大正時代に岡崎市の石工、七代目酒井孫兵衛の作が全国に広まったもの」
という話は聞いた事がありましたが、二宮金次郎像も、岡崎の石工がプロデュースしていたとは初耳でした。興味深いお話をありがとうございました。
日本人の美徳である勤勉の象徴は貴重だと思います。現在の価値観とは相容れないものかもしれませんが、残して欲しい。
自分が小学生だった頃50年以上前の母校にはコンクリの金次郎像がありました。
その頃既に経年劣化で表面がボロボロで台座ごと傾いていたので今は撤去されたてるかも?
当時よく少年マガジンを読ませてあげたりしてました。
草の根のパブリックアートだった二宮金次郎。こんなに深い話があるとは!ビックリです!
私が通っていた小学校は当時木造校舎の裏の花壇にありました。花崗岩のタイプで小柄なものでした。卒業生である母の話しでは、戦前は表にあったが、戦後の戦前否定で裏に追いやられたとのことでした。その後木造校舎の建て替えで、表に返り咲きしました👍
@@user-take-3110 二宮金次郎も返り咲くのですね。凄いぞ。
でもまだ見たことないなあ。一刻も早く見てみたい。
二宮金次郎像がパブリックアートとは!❗️新しい視点をありがとうございました😃
尺貫法からメートル法に変わった時に1mを体感できるように金次郎像の身長が1mとして設置されたと聞いたことがあります
60代の髙岡出身ですが、有名な方の作という金次郎像有りました
最後に勤務した小学校には豪華絢爛の九谷焼の二宮尊徳像が校長室の前に有りました
私の小学校の門に、高々と石造りの二宮尊徳像がありました。まさに彼は生きる指針でした。日本の誇りです。
古い小学校にやたらとトーテムポールがあったのも謎だなあ。いったい誰が流行らせたんだあれ。
ありましたね
当時、これ何?と思ってました
私が通った小学校にもありました。
先輩の生徒が図工で作成したものが残されていたのだと思っていました。
あったあった!!
こわかったです~
あったあったww
青地に黒い太めの縁取りと大きな目、赤や黄色のカラフルな装飾
それが二本対で建ってた。
卒業制作かなーとか思ってた。
うちの小学校にも運動場片隅の花壇の真ん中にトーテムポールがあって、反対側には木の間に挟まれた二宮金次郎がいました。
でも、生徒に愛されていたのは金次郎さんで、わざわざ帰る前に挨拶して帰ったり。今はどうしてるかな、また見に行きたいですね。
こう言う美術の視点も含めた話しをできるのは、五郎さんだけだと思います。潤いをありがとうございます。
身近な話題ということもあって、前後編ともに見応えあって面白かったです!
日本人の民族性として「勤勉は素晴らしい」ってのが染みついてるからこそ草の根的に広がったんじゃないかな
これからもずっと残っていってほしいなぁと思いました
昔読んだ🇹🇼台湾のガイドブックに、旧尋常小学校の写真に二宮金次郎の銅像が載ってたのが印象的でした。
ブームが戦前だとすると、台湾や朝鮮半島や満州にも建ってた筈ですね。
ちょっと興味が湧いてきました。
学校の七不思議のひとつでしたね。夜中にニノキンが走るんよ校庭を。
で、持ってる本読み終えるから図書室に返しに来るんだけど、なぜかニノキンが持ってる本はびしょ濡れで、ニノキンはそれを目から緑色のビームを出して乾かすんよ。
今思えば笑えるんだけど、当時はごっつい怖かったかなぁ…
リンカーンとのコラボがあったなんて驚きです。当時アメリカは物量で圧倒してイケイケのイメージでしたが、同じ価値観を共有してたかも、というのが興味深いですね。
コンクリート造りの宣伝(?)文句、銅像供出の場合は値引きしますは、学校としてはお得感あって注文しちゃうのでしょうかね。パブリックアートとして残してほしいです。
後半も楽しめました。ありがとうございます。
昭和の時代小学生だったので、二宮金次郎像いろんなところにあったことを思い出しました。近所のメガネ屋さんの前にもありました😆 私が行った小学校はセメントでした。
二宮金次郎が一般のひとたちが生み出して広めたことに驚きました。地域ごとの特性を生かした二宮像を今後も残して欲しいなと思いました。
パブリックアートという視点、勉強になりました!
五郎さん。
今回もさりげなく始まって、どんどん興味深い展開が広がって、長い期間と沢山の方々の関わるパブリックなアート運動(?)だったのですねえ。
丁寧に調べて解説頂いて、本当にありがとうございます。
面白かったので後でまた解説聞き直しますよ。
二宮金次郎さんも間違いなく喜んでいる事と思います。😊
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マジでフィギュアを作ればいいのに
欲しくなった
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謎多き二宮金次郎像、前後編大変興味深く拝見しました📖小中高と二宮金次郎像のない学校に通っていたので実感として馴染みはないのに、なぜか怪談のほぼレギュラーでとても身近に感じられて不思議に思っていました。それほど一般的な存在だったのですね。由来や製作者、材質の違いなど、アートとしての側面も知れて良かったです👏
懐かしいです。小学校の頃に、ありました。もっと観ていれば良かったな…そう思いながら観ました。茶色の記憶があるような?ないような?銅像だった様な、気がします。色々な経緯があって、何故か今は学校の怪談で、コミカルになっていますね♪これからも、色々なエピソードが出てくるかも知れないと思うと、それはそれで楽しいですね。今日も、面白い動画を、ありがとうございます。金曜日、毎週楽しみです♫
廃校巡りが好きなので、金次郎像もついでに拝見しております。様々な金次郎さんがいらっしゃいますね。
中学生の頃、市内の別の中学にこの像があってうらやましかった。
自分が通ってた中学には裸の女の子の像が正門の前に置いてあって、時々男子たちが群がってゲラゲラ笑ってたから。
歩く金次郎像が有名になっていたころ,うちの小学校におられた金次郎さんもいつの間にかいなくなっていました。
昨年とある場所に佇んでおられる金次郎さんを発見,お願いしてわが家にお迎えすることができました。
コンクリート製で,背負子の一部が欠けていますが,そのお姿から動画で紹介のあった日本硬化石美術工業所パンフレットの一番右側の金次郎さんだと思います。
近所の瓦屋さんに鬼瓦、シーサーに並んでミニチュア金次郎像あったのを思い出しました。
とても興味深いお話でした。
私の通っていた小学校は30年以上前に取り壊され別の場所に立て直されましたが、金次郎像は旧校舎の跡地近くに残されているようです。
私は母校の金次郎像は銅像だと思い込んでいたのですが、地元の方のブログによると陶製だそうで、ずっと勘違いしてた自分が恥ずかしくなりました(笑)
今度帰省した折にでも見に行こうと思いました。
有難う御座います。大変面白かった。目から鱗が落ちました。
二宮金次郎像の歴史大変楽しかったです😊
夜も寝ないで昼寝して待ってました❤
これ好き。
気になって夜しか眠れませんでした❤
子どもの頃、小学校の金次郎像をもっとよく見ておけばよかった
草の根パブリックアートという視点、面白かったです。意外と経緯を調べてみたら、民間主導の草の根運動だったのに、かなりの時間を経たことで権威的な象徴のように捉えられている事例は他にもありそうですね。二宮金次郎像ひとつとってもこれだけストーリーがあったとは…
半年くらい前に掛川に行ったんですけど、金次郎像には気が付きませんでした😅なんか、パブリックアートって単語が出て来た時点で、
みうらじゅんさんが頭に浮かびました。ご本人は徳川の世で亡くなっているのに、確かに農政に尽くされた方ですけど、像が独り歩きし
た感があって、面白かったです。
撮影中、下にサーキュレーター置いてるのかな、
五郎さんのネクタイがヒョコヒョコ動いてるのが面白かったです
勤勉アイコン二宮金次郎。ここまで話が広がるとは思わなかった😄楽しく視聴させていただきました。
「二宮金次郎」はもはや美術テーマの確立された一ジャンルなんだね
ブッダやキリストの宗教画、古代中国の思想家や仙人の伝説・逸話の画みたいに、色んな画家が同じテーマを題にして画く…みたいなw
現代の若手アーティストも自分なりの表現でどんどん金次郎の新作を作って欲しいw
私の通った学校には、二宮金次郎像はありませんでした。
アート運動の一環だった事も、今回初めて知りました。
それならば残して欲しいと感じました。
それと、18:09 の言葉に思わず笑ってしまいました。
芸術の秋と読書の秋🎨📖
五郎さん、スタッフの方々、皆様良い秋をお過ごし下さいませ。
近所のこれがどういう像なのか外国人観光客によく聞かれます
ニノミヤ モストフェイマス エコノミスト インジャパン の説明で アハー! ってなります
地元のは確かコンクリート製でしたね。
自分が小学校高学年頃に、雷が頭頂部に直撃して穴が空き、中の鉄筋が剥き出しになってました。
非常に興味深いお話しでした。
ちょうど、二宮尊徳の本を読んだタイミングで動画が上がってきました。
民間で広まった、という点がまた素晴らしいと思いました。
二宮尊徳は、今で言えば減税政策を行なった人です。(年貢米を測る升の基準を統一した)
明治初期の自由民権運動家的な、農家の地主、都市の知識人、事業家、教育家という性格を合わせ持つ凄い人です。
全国に金次郎の銅像があることで、
アートとしての楽しみはもちろんのこと、
二宮尊徳が為したことを知って頂くきっかけになるように、
働きかけていきたいと思いました。
いつも楽しくて勉強になるお話し、ありがとうございます!
うちの猫は、TH-camから声がするとどこかへ行ってしまうのに、私の傍らで五郎さんのありがたいお言葉に耳を傾けて聞き入っておりました。ワンコじゃなくてすみません。
残していきたいカルチャーですね。人々がそれだけ共感して今に受け継がれているものですから🙏✨五郎さんが髪を剃られたのに気がつかずアハ体験しました。
日本人の主人公がアメリカ人の親友(ライバル)をつくるって昔の少年漫画なんかでよくありますけど、
金次郎が元祖なんですかね。
戦前のプロパガンダ彫刻が戦後撤去されたりタイトルだけ差し替えられたり、ということが辻田真佐憲さんの研究で
明らかになっていますが、そういう意味ではプロパガンダ彫刻が戦前戦後を生き延びた稀有な例なのかもしれませんね。
私の小学校は昭和41年に建て替えられたせいか、最初から金次郎像は無かったです。大学で上京するまで金次郎像を知りませんでした。てっきり帝国主義のお仕着せと思っていたので、民間から展開したアート群だったことがわかり、とても嬉しいです。日本て不思議。
子供の頃には必ずあった金次郎像が姿を消しつつあるのは寂しいことですね。
♪ 柴刈り縄ない 草鞋をつくり
親の手助け 弟を世話し
兄弟仲よく 孝行つくす
手本は二宮金次郎 ♫
一行目に関しては今の子供たちには「なんのこっちゃ」でしょうね。
とりあえず、家の手伝いはしようねってことで収まりそうですけど。
母が子守唄代わりによく歌ってくれていた。
この歌が,私の二宮金次郎の原体験といえます。
内村鑑三著「代表的日本人」を読んで金次郎に興味を持ち、
さらに金次郎を深く知りたいと思い、「報徳記」も読みました。
幕末にこんなに立派な日本人がいたということにとても感動しました。
彼が農民ではなく武士として生まれていたらきっと全国規模でもっと大きな事業を成し遂げていたと思います。
私がもっとも尊敬する日本人です。
金次郎像は勤勉な日本人の象徴としてぜひ残してほしいです。
30年ぐらい前、小笠原父島の小学校の金次郎さんの像は、頭が吹っ飛んでなかったです。そのまま戦後何十年、今もいらっしゃるかな金次郎さん。日本の学校で勤勉、親の手伝い、学習、地味にこつこつを教えてくれていい金次郎さんですな。無くならないように祈りたいです。
日暮里から鶯谷に向かう途中に、松の苗と鍬を持った尊徳像があります。
二宮金次郎さんって平成の幼少期は怪談の定番だったんだけども、昭和では金属として出兵した英雄だったのか。
尊徳自身についてはそこそこ勉強したつもりでしたが、
像はノーマークでした。
めちゃくちゃ勉強になりました。
ありがとうございます。
内需でぐるぐる回すのいいよネ
今回も勉強になりました
残すべき?撤去すべき? なら「残すべき」ですね。
あと残す上で五郎さんが話して下さったこうした知識も一緒にであれば、尚更いいと思います。
てっきり当時の文部省推奨なのかと思ったらパブリックアートで、こうしたアレコレの経緯があった事には新発見でした。
戦前からある小学校だから無かったのかなぁ?でも祖父母や母も同じ小学校に通ってたけど「あった記憶が無い」と言われましたが…。今になって思えば祖父母に聞けば良かった、興味を持てば良かったと思いました。二ノ宮金次郎(尊徳)が勉強しながら家(幕府や武士)を助けて否かはどうであれ勉強しながら人助けをしていた、という感じがしました。このチャンネルは学ぶ事が多いし、興味や趣味を増やしてくれる、まさに“大人の教養講座”だと改めて思いました。毎回知識が増え、趣味を枠を超え…色々楽しませてもらって有意義な時間も過ごせて幸せな時間を過ごしてます。今回も毎度ながら感謝です✨
恐慌というと1929年が有名ですが日本では1927年にも起きています(カリオストロの城でも言及された)。二宮尊徳がブームになったのはその相互扶助の精神が必要になったからでしょう。報徳社が展開した協同組合運動は信用制度の不備を柳田國男に批判されますが、全くの誤解で今日でも有効です。二宮尊徳の経済思想も有効であり続けています。
すごく勉強になりました😃
楽しかったです♪
二宮金次郎像を見かけたら、よく観察してみます✨
そういう経緯で設置されてたとは知らなかった
ふと通勤途中の中学校見たら金ちゃんいました
永久保存版の回でした。いかにも日本的な歴史。母校に残る金次郎像を見る目が変わりました。
石像の金次郎像で「夜中に走りすぎて折れちゃって、後に足を探し回る金次郎像の怪談になったとかw」
なんていうファンタジーな世界に一瞬迷いこみました。
子供のながら歩きが危ないと言うなら大人が手本になればいい話ですね。
二宮金次郎の像は小学校にありましたが「無気味」感がありましたね。子供の間では夜中に学校の校庭を歩き回ってると言われて無気味さで近づきがたい存在でした。押し付けがましい物だろうと思ってましたね。
私の学校では陶器でした。瓦産業のあったところでは、損壊してしまっただけでかなりの数があったのではないかと推測します。大きさは、60㎝ほどだったと思います。サッカーのゴールキーパー役として、いけると思ったのですが・・・・足から折れるのは地震とは限らず、いろいろ当たって壊れます(どえらい怒られます)。二宮翁夜話は、今の時代に最適な経済テキストとして像の前で教えられる一冊でしょう
待ってました!
気になって夜しか寝れんかった!
永眠しとけ
寝れとるやないかい!!笑
健全な生活ナイス!
有名な銅像のわりには「何故ここに?」とか「どうやって広まって行ったのか?」とか意外と知られていないというか伝わってないというか。前編と後編通して知る事ができて非常に興味深く、大変面白かったです。
日本字らしい心温まるお話でした。我が社には”二宮尊徳”という実名の社員がいます。
前後編通して、たいへん面白かったです。このチャンネルの魅力の一つは、五郎さんご自身が、いろんなことを興味津々で調べてくださるので、「知ること」への貪欲さを感じられることだと思います。
母校の小学校は木造から鉄筋になりましたが、陶製の尊像は場所を移して鎮座しています
91歳の祖母の小学校の二宮像は銅像だったから戦争の時に二宮様は戦争に行かれたと学校で聞かされたそうです😮
大阪にある個人宅の庭に二宮金次郎さんが飾られてるのを見たことがある😂
でもそれ以外で見たことがない…
とても興味深い講義ありがとうございました、、、
わたしの通った小学校は、わたしの代が10期だったかな、新しい学校だったためか、残念ながらいらっしゃいませんでした、、、
さておき何気に中村直吉さんの奥さま、美容院代を17年貯めて金次郎像を87体寄付って、素晴らしく徳の高い方ですね、、、
直吉さん存じ上げなかったのでググってみたところ、最初に出てくる肩書きが冒険家で、???と思い経歴を読んでみたところ、結婚間も無く奥さまを残して10年渡米、帰国3年で営んでいた帽子店を妻子に任せ6年掛けて世界1周、、、
直吉さんに関しては敢えて何も言うまいが、奥さまが貯金されていたことと徳の高さに納得、、、
関西在住なのですが、近所の某ガソリンスタンド2店舗に二宮さんが居ます…いつも不思議に思ってました。
日本最初の西洋式銅像が靖国神社の大村益次郎像だと聞いております。
日本のパブリックアートの歴史になるかどうかわかりませんが、もし、パブリックアートであるならば、何時か、明治期以降に街に建てられている各種の人物像の歴史(上野公園の西郷隆盛像や皇居外苑の楠木正成像、旧万世橋駅前にあったとされる広瀬武夫中佐像など)の歴史をご教示いただけたらと思います。
こと軍人に関してはなかなかにナイーブな歴史があります。
敗戦までは「軍人=地元が生んだ英雄」だったので、各地に「忠魂碑」という石碑が建てられました。戦後、戦シした出征者を悼むために建てられたのが「招魂碑」です。後の反戦ブームのなかで忠魂碑の多くが地元民に破壊され、各地の神社の境内などに招魂碑が遺されているのみです。
銅像については金属供出もあったでしょうが、残っていたとしても忠魂碑と共に破壊されたものも少なくなく、現存しているものはレアケースです。ゴローさんに調べて頂けるのであれば、現存するものよりも、失われたもの、の方が深い歴史を覗けるような気がしますね。
最近、金次郎さんの銅像。各地で盗難のニュースになってた気が…個人的には子供のワクワクの7不思議のために金次郎さん残って欲しいです。 大日本報徳社大講堂は和洋折衷の建築でも有名ですね😊
自分が通っていた小学校にも二宮金次郎がありました。
が、「撤去された理由」が極めて特殊。。。
80年代当時、世の中ではオカルトネタが流行っておりそんなテレビ番組も多かった時代。
ニュースなどでも「血の涙を流すマリア像」などが話題になったり(あちこちでそんな話がありましたよね?)
そんな折に、自分が通う小学校の二宮金次郎像にもちょうど涙を流すような跡が見つかってしまいw
怖がる生徒たちの不安が伝播し、逆に面白がる奴が他の様々な怪談話も持ち込んだりで、学校中が騒然。
生徒たちの不安は収まる様子もなく学校側も看過できないと踏んだか、程なくして二宮金次郎は撤去されてしまいましたw
それから30年以上。。ネットで二宮金次郎像の行方を知ることに。
実は学校から撤去されておらず、体育館の入口の庇の上に追いやられ、ひっそりと隠されて余生を過ごしていたようです。かわいそうな話ですがw
「栗林小学校」「二宮金次郎」でgoogle検索をしていただければ、2014年当時のその様子が出てくると思います。
現在は校舎も体育館も建て替えられ、二宮金次郎像も地面に足を下ろすことができたようです。
めでたしめでたし。
なんとなくいつもそこにあった金次郎像。紐解いていくととても奥深いのですね。
母校のは石像だと思ってましたが、コンクリかもしれない??久々に母校を訪ね確かめたくなってきました。
市内でも明治からの歴史ある学校なのですが、生徒数が減り廃校の危機だと同級生が言っていたので、母校も金次郎像もなくならないでほしいなぁ。
今年の2月に東京豊洲に開業した千客万来という複合施設に夫婦バージョンではありますが二宮金次郎像が設置されたらしいです。
令和の世になっても東京に新しく二宮金次郎像が置かれたということにビックリしました。
豊洲に行く機会ができたら見てみようと思います(^_^)
私の母方の祖父が、石像彫刻をする人でした。昭和20年代から50年代くらいまで彫っていました。今でも鹿児島の谷山というところに、祖父の彫った観音像や子供の像があるのですが、二宮金次郎の石像は見つかりません。
写真は残っているのですが…。
どこかの学校にあるのかなぁ、撤去されたのかなぁ、いつか探しに行きたいなぁと思っています。
もうそろそろ、モダンアートな二宮金次郎像が出て来てもいいんじゃないかな?と思うんだけど、二宮尊徳に失礼かな。でもあったらそれはそれで画期的だと感じるな。
いろいろ面白かったです。全国各地にあって熱心に寄贈された、ご当地事情でいろんなタイプがあった…これ何かに似てるような。あ、灯篭の立ち位置に似てる!と思いましたー。
二宮金次郎とリンカーンまさかの共演😮
ウチの中学校にもありました(熊本市)
石造だったと思うけど。
小学校には無かったような・・・
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面白かったです!
みうらじゅんさんが好きそうな分析
ありがとうございます。
面白かったぁ😁まさか金次郎が草の根パブリックアートと言われるとは!!私の学校には無かったから、憧れのパブリックアートだ😂今度見かけたら材質はなんなのかを見てみよう😊
前回と今回はかなり貴重ですね 知っていそうで全く知らなかった事柄ですね
私の小学校の尊徳像は
写真がnetに落ちてました😅
再建モノかなぁ😊
たぶん青銅で薪のようですけど😅
おしんの時代ではないので、蛍の光や窓の雪で勉強する子どもはいなかったですが、小、中、高と卒業式では歌いましたね。薪を背負って歩きながらでも学ぶ、そういう苦学を良しとする土壌が戦後の学校教育にもありました。金次郎像と学校に親和性があったということはあるかと思います。
学校の怪談用に設置するべき
ためになるなぁ
愛好家の人ありがとうございました🙇
先日、島根県の西の方をぶらぶら歩いていたら、小学校の低い塀の向こう側にいるのを見つけました😳 見た瞬間、石でできてるな、背負っているのは薪だな、無意識にチェックしている自分に笑ってしまいました😅 この話のお陰です。ありがとうございます😊
うーん、やっぱり勉強になりますね。
あらゆるものは歴史を創る一部なのだ。
仕事で訪れていた小学校の二宮金次郎像の指は6本でした。。。教頭先生が嬉しそうに教えてくれたのが印象的でした😅
近所の廃校となった小学校跡地に金次郎像だけがぽつねんと残されています。いつ撤去されるかわからないので写真だけでも撮っておこうと思います。
それオークションに出したら結構な値がつくかも。なんでも鑑定団に出してみるのも面白い。
昭和3年設立の小学校に通っていました。ニノキンは茶色かったので陶器だったかな。少子化で統合となり、敷地は公民館となりましたが二宮金次郎像は学校があった記念として移転までして残りました!今度台座をみてこようと思います。
うちの小学校は考える人でした。あれも寄付ブームの産物だったのかな?