【ピアノ】どうしたら演奏に自信が持てるの?
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- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.พ. 2025
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自分の演奏の評価が気になる?
自分の演奏が間違ってないか心配?
そんな悩めるピアノ学習者さんに、
イタリア仕込みのピアニストが
一言アドバイス!
#ピアノ入門 #ピアノ初級 #ピアノ中級 #ピアノレッスン
チャオ、日本の老後おじさんです。ピアノの練習を独習で1年が過ぎました。独習とは言え最近、孫がピアノを習いに行くようになったので孫が先生です。ただただ練習が楽しい。目標はインベンションを弾く横でバッハさんが語りかけてくれる事です。リサイタル情報も孫から仕入れてデートする機会も増えそうです。
僕も、在米30年ということもあって、「日本人って・・・」という風に外から見てしまうことがよくあります。
自分の内面を外にさらけ出すような演奏ってありますよね。というか、そういうのこそが芸術だとも言えるかもしれません。でも、それって、すごく勇気のいることだと思うんです。人前でそれをすると、聞いてる人、見てる人にどう思われるか、という不安も出てくるでしょう。
日本人って、発表会大好きですよね。あれこれと迷っても、発表会の曲は自分の憧れの曲を選んで、いつもよりも時間もかけて練習し、準備します。せっかく憧れの曲を頑張って練習しても、そういう場所で、人前で演奏するとき、「自分をさらけ出す」のじゃなくて、逆に自分をかくすようにして、ミスのない無難な演奏をすれば、聞いている人に認めてもらえると思うんじゃないかという気がします。
レッスンで先生の前で弾くときも、きっと同じだと思います。表現の追及とか、冒険とかをせず、ミスのない無難な演奏を、生徒だけじゃなくて、先生も求めてしまう。ミスなく無難に弾けていたら、「もっと表現を工夫しなさい」とか、「こことここは同じように弾いちゃつまらないから、変化をつけなさい。どう変えるかは自分で考えなさい。」などと言って突っ返す先生は少ないんじゃないでしょうか。あるいは、このピアニストとこのピアニストの演奏を聞いてみなさいとかって、ものすごく違う演奏を聞かせてみて、どっちの方がすきかとか聞いてみたり、好きな方を真似してみなさいとかって言ってみたり・・・。そういう宿題を出して、その子がどういう風にやってくるかを見るのも、非常に興味深いんじゃないかと思うんですけどねえ。音符やリズムといった、「正解」のあることは教えられても、先生自身が、芸術的表現というものをいったいどう教えていいのかわからないというような問題もあるでしょう。
じゃあ、日本は、自分をさらけ出すような演奏はしない文化なのかというと、例えば、演歌歌手は、ものすごく感情をさらけ出して歌いますよね。そんな伝統がある文化なのに、クラシックの世界では、やっぱり人と比べてしまう、誰々さんより上手とか下手とか、ミスをしたかしなかったかというような視点だけから、そう考えてしまいがちなのは、残念ですね。
でも、普通の人が、自分をかくそうとする意識に支配されてしまう中、才能があって、しかもそれを克服した極少数の人達だけが、本当に芸術家になるんでしょうね。だからこそ芸術家って、とても希少な存在なんだろうと思います。
クラシックの分野の方には鼻で笑われてしまうかもしれませんが、
こと日本の吹奏楽の世界では採点主義、評価主義が正に主流です。
幼い学生の頃の部活動で音楽は採点されるもの、どこかの誰かと競うもの、
優劣があり、順位をつけられて当然のもの、
と刷り込まれてしまった吹奏楽経験者は数多いのではないでしょうか。
その刷り込みは大人になっても当然抜けず、
何十年経っても憧れの演奏は学生の子たちが金賞を獲得した演奏…と、
音楽センスをアップデートできず当時の憧れをいつまでも追い続ける人もままいます。
もちろんそれが心の灯火となって音楽を続けているのであれば素晴らしいことですが、
それこそ縁もゆかりも無い学生の子達を評論家気取りで
採点している自称音楽家は私は苦手です。
確実に「劣」の方にフォーカスするから。
もちろん、プロの世界を目指すのであればその言葉の刃に研磨されて輝いていく部分もあるでしょう。
でも、それに耐えられず「音楽は苦痛」と脳内に刻まれてしまった子達も多くいると思います。
音楽で自信を築くには長い年月が必要、
誰かに貼られたシールの価値ではなく、
自分の中から音楽を生み出すにはどうしたらいいか?
と考え続けて演奏していくのが私の理想です。
長くなりましたが、私は一緒に合奏している仲間に「いい音だね!」と褒めてもらえるのが1番嬉しいです。
それが自信につながるし、私も素敵な演奏に出会ったら素晴らしかったよ、と声をかけてあげたいです。
顔の知らない誰かに採点されるために練習する気にはなれません笑
この動画今の自分にとても刺さりました!もっとたくさん聞きたくなった笑
私も海外でピアノを教えています。
皆個性があるのでそれを尊重したい気持ちは多々ありますが、
楽譜を前にしてしまうと、その通りに弾くように教えなければ、、、
というプレッシャーを無意識に自分にかけてしまってます。
私自身がそのように教えられてきたからというのも大きいですね。
コンテンポラリーな曲に関しては自由度が比較的高いですが、
クラシック系の曲だとまさにアドバイスし過ぎになってしまいます。
でも、たしかに楽しそうに弾いてる生徒さんの音楽を聴くと、
楽譜と多少違っていてもそれはオッケーなんだろうなと思います。
音楽って、習う方も教える方も難しいですね。
イタリアの人達に教えるの、すごく楽しそうですねー。
私は、テンポが結構揺れていたり、個性的な人の演奏が好きです。
そういう意味で、ポリーニさんの完璧すぎる演奏はあまり好きでは有りません。
自分の解釈を思い切って出せると良いなと思いながらも、いつも縮こまった演奏をしてしまっています。
やはり自信が持てないのは練習不足なせいなのでしょうか?
人前にあがるとどうしても弾けず挫折し音楽の道をあきらめました。
でもピアノ好きなのはずっと続けています。
音大卒です。
私が師事した先生は「ppって書いてあるからあなたはffで弾きなさい」「あの子にはクレッシェンドで弾かせるから、あなたは逆をやりなさい」という教え方で、私はどうしてもその考え方が納得出来ず、月1でやっていた発表会では自分で「こう弾きたい」と思う通りに弾いていました。根拠はあまり無かったのですが😅流れ的に何となくこうかな?と思う通りに演奏していました。
在米25年で家でピアノを教えてます。音大で17年伴奏ピアニストもしてます。私も同じような事,よく考えます。アメリカ人の音大生でも、きっちりテンポ通りに教科書みたいに弾く生徒もいれば、すっごく自由に弾きすぎて、先生に「ちょっとそこは作曲家が書いた事を無視してるよ」って言われる生徒もいます。どちらかと言うと、声楽専攻はやっぱり自由すぎる生徒が多いような(性格の違い?😅)逆に器楽専攻は小さい時からきっちり教えられたんだろうなって生徒が多い気がします。でも全体的には,日本よりも自由に弾く生徒が多い気もします。そこはアメリカ人の性格が出てるのかな?とも思います🤔
そんな私も、日本で教育を受けた人間なので、自分の生徒にはついつい教科書通り教えてしまう事が多いです。でも日本の先生が教えてくれたように、作曲家が意図したことをちゃんと分かってから、自分のカラーをつけなさいと言う事が多いです。
なるほどなぁ。いろいろ注意されると正しさ的なものを求めてしまうわけか。民族性もあるのかねー。
もっと「どうよ私の演奏は!」ていう人が多いのかと思ってたけど少数派なのかな。
となると、逆に何をしたいのか疑問がわくね。
コンピュータ演奏の下りで、AIが審査するコンクールを想像してしまった。
ゲーム的な意味合いならそれもありかなと。e-piano competitionとかできたりして、邪道かね。