邪馬台国畿内説を考えてみる!考古学や史料で紐解く古代日本

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  • เผยแพร่เมื่อ 7 ก.ย. 2024

ความคิดเห็น • 7

  • @user-kz8wk6mn3y
    @user-kz8wk6mn3y 5 วันที่ผ่านมา

    邪馬台国はヤマト国と発音し、現在の奈良県を指しています。
     魏志倭人伝の時代には崇神天皇を中心として政治及び祭祀が行われていました。
     従って邪馬台国は奈良県にほかなりません。

  • @user-ym8hr9jd7l
    @user-ym8hr9jd7l 3 หลายเดือนก่อน +1

    纏向遺跡=邪馬台国
    箸墓=卑弥呼の墓であるかは別にして箸墓、纏向4世紀説は考古学とは相反することです。
    年代を特定する主は炭素年代測定や年輪年代法ではなく土器編年です。纏向遺跡が4世紀(しかも末)なら全国の全ての遺跡の年代がずれますね。

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  3 หลายเดือนก่อน +1

      コメントありがとうございます。考古学界隈でも意見が分かれていて、最近は畿内説有利なんですね。ご指摘ありがとうございます。

  • @user-ql4ri8nx5x
    @user-ql4ri8nx5x 2 หลายเดือนก่อน +3

    考古学者はまともなんですが、歴史学者は論理的な思考ができません。Wiki等で「集合」とか「写像」と言う言葉を調べてみて下さい。証明(又は証拠)には多くの場合方向性があります。簡単に説明すると「卑弥呼は魏志倭人伝等で3世紀中頃に存在したと思われているので、その住む都も3世紀中頃に有ったはずである。」と言う命題は真(正しい)なのですが、その逆命題である「3世紀中頃の都市遺跡は卑弥呼の都である。」と言うのは必ずしも真ではありません。むしろ偽(間違い)である場合が多く、逆命題が成立するのは「日本に邪馬台国以外の国が無かった場合」だけです。よく纏向遺跡が出雲や尾張の都であっても3世紀中頃の都市遺跡が纏向にある可能性があるのでは?と言う質問に歴史学者が答えられないのはそのせいです。他に国が有る場合には逆命題は成立しないのです。纏向遺跡はかって昭和の時代には大田遺跡と呼ばれていました。出雲の太田田根子が住んでいた場所だからです。しかもすぐ目の前には事代主命を祀った三輪山が有ります。なので本当は(島根の)出雲で生まれた大国主命がお兄さん達に2回も殺され(そうになり)逃げて奈良県あたりに新しい第二の出雲をつくったんだと思います。古事記にお母さんから逃げなさいと言われて木の国(多分紀ノ國でしょう)に逃げたとそう書いてあります。だから歴史学者は多分「大人の事情」でウソをついているのだと思いますよ。歴史学者の非論理的な推論が許されるのならば、私も非論理的かも知れない推論をすると、宇陀市榛原石田付近は昔は「伊那佐」と呼ばれていました。今でも文化センターの名称に名前が残っています。古事記には国譲りの場所を「稲佐の小濱」とは書いていません。「伊那佐の小濱」です。しかも「小濱」とは昔は川砂の岸辺もそう呼んでいたようです。ここ宇陀市の芳野川の「伊那佐の小濱」が国譲りの場所で、葛城氏(及びその後をついだ蘇我氏)が出雲の大国主命の子孫ならば、歴史の色々な矛盾が半分くらい解けるような気がします。証拠が無いのであくまでも推論ですが。

    • @kumao01nigi
      @kumao01nigi  2 หลายเดือนก่อน +3

      コメントありがとうございます。「大人の事情」確かにありそうです。

    • @katumoku10
      @katumoku10 2 หลายเดือนก่อน +2

      お邪魔します(;^ω^)
      >考古学者はまともなんですが、歴史学者は論理的な思考ができません。
      全く同感です。理由を考えると、歴史学は文学部なので一次史料重視なのです。一次史料は正しいので、正しく解釈すれば真相が得られるはずという思想です。でもこれって、明らかに間違いなのです。史料が誰によって、何の目的で編纂されたのかを鵜呑みにすると、事実、つまり考古学や民俗学などの成果と合致しないのです。「古代史には謎があるね!ロマンだね!とふんぞり返っているから真相が分からないのです。合致しないということは書かれた内容に虚偽があるということなのですが、いや・いや表現を正しく解釈すればいいだけだと思っているのですが、正しく解釈してもダメですよね。何故なら、嘘が書かれていたら事実とは違いますからね(^_-)-☆
      ですから、ここで、何のためにウソを書いたのかを考え、事実に基づき真相を推理すれば正解にたどり着けます。19世紀末から20世紀初頭に活躍した米国の偉人C.S.パースが提唱したアブダクションという第三の推論法によって明らかにできることが分かりました。よろしければ詳しくは「【刮目天の古代史】古代史を推理する」をご参照ください!