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むらくも歴史チャンネル
Japan
เข้าร่วมเมื่อ 3 ต.ค. 2023
古代から現代につながる、歴史の真相を探求する、むらくも歴史チャンネルです。
歴史学者ではないため間違いがあるかもしれません、ご容赦くださいませ。
神奈川在住で、生まれは尾張です。
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長屋王の変の真相と謎!藤原氏との対決と祟り
今回のむらくも歴史チャンネルは、長屋王の変の真相です。
是非最後までお付き合いください。
このチャンネルでは、日本古代史をテーマに発信しております。
よかったらチャンネル登録よろしくお願いします。
■長屋王の経歴
長屋王は、天武天皇十三年(684年)、天武天皇の御子である高市皇子と、御名部皇女の長男として生まれました。
長屋王の父親である高市皇子は、母親が宗形徳善の娘・尼子娘の子という卑しい身分の出自だったため、皇位に就くことはならず、持統によって排除されていました。
天武天皇の孫であり、天智や藤原との血縁関係はありません。
■藤原不比等の経歴
689年、藤原不比等は裁判をつかさどる官人としてデビューを果たします。
藤原不比等は、持統天皇が即位すると、公に登場してきます。
持統天皇三年(689年)2月、判事に任命されたのが日本書紀の初出です。
乙巳の変で鎌足が登場したのと同じように、藤原不比等が突然登場するのです。
そして、天武天皇の心配を無下にするように大津皇子を謀反の罪で自害に追い込み、草壁皇子を即位させます。
不比等がこの謀略に関わっているかどうかは記録に残っていないため、不明です。
しかし、あの乙巳の変を起こした鎌足の血を引く不比等です、権謀術数を使ってもおかしくありません。
694年に持統天皇は藤原京に遷都、首都機能を備えた本格的な都でした。
扶桑略記には、持統天皇が藤原の私邸に宮を置いた、と書かれています。
このあと、700年、大宝律令が制定され不比等の名前が筆頭に登場します。
これで、藤原不比等の独裁政治が始まります。
■日本書紀の改ざん
権力を持ち始めた不比等は、日本書紀編纂事業において、ある行為を行います。
それは、大神神社、石上神宮の古文書や、16氏族の墓記、系図を献上させ没収するというものです。
ここから、不比等による歴史の創作がはじまるのでした。
それが、スサノオ、ニギハヤヒを神話に閉じ込め、皇祖神・天照大神(アマテラス)を女神に変更するというものでした。
■長屋王の変のきっかけ
■辛巳事件
724年2月、24歳になった首皇太子は聖武天皇として即位しました。
【目次】
00:00 スタート
01:59 藤原不比等の経歴
04:04 日本書紀の改ざん
05:21 長屋王の変のきっかけ:辛巳事件
08:36 長屋王の変が勃発
11:50 祟りに怯える藤原氏
日本古代史の謎を紐解き、すこしでも本来の日本建国の姿を再現できればと思い、ご紹介させていただきました
このチャンネルでは、独自の視点から見た歴史、科学について発信しています
この動画は下記の音声読み上げソフト、画像、動画、音楽を使用しています。
・Wikipedia
・Adobe stock
・TH-cam オーディオライブラリ
・VOICEPEAK
【参考書籍】
・『日本書紀上下』宇治谷孟 著 講談社学術文庫
・『古事記上中下』次田真幸 著 講談社学術文庫
・『現代語 古事記』竹田恒泰 学研
・『古代日本神話の考古学』関裕二 著
・『温泉の日本史』石川理夫 著 中公新書
・『埋もれた巨像』上山春平 著
・『藤原氏の正体』関裕二 著 新潮文庫
#長屋王の変 #日本史 #むらくも歴史チャンネル #長屋王 #藤原不比等 # #日本書紀 #藤原四兄弟
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■長屋王の経歴
長屋王は、天武天皇十三年(684年)、天武天皇の御子である高市皇子と、御名部皇女の長男として生まれました。
長屋王の父親である高市皇子は、母親が宗形徳善の娘・尼子娘の子という卑しい身分の出自だったため、皇位に就くことはならず、持統によって排除されていました。
天武天皇の孫であり、天智や藤原との血縁関係はありません。
■藤原不比等の経歴
689年、藤原不比等は裁判をつかさどる官人としてデビューを果たします。
藤原不比等は、持統天皇が即位すると、公に登場してきます。
持統天皇三年(689年)2月、判事に任命されたのが日本書紀の初出です。
乙巳の変で鎌足が登場したのと同じように、藤原不比等が突然登場するのです。
そして、天武天皇の心配を無下にするように大津皇子を謀反の罪で自害に追い込み、草壁皇子を即位させます。
不比等がこの謀略に関わっているかどうかは記録に残っていないため、不明です。
しかし、あの乙巳の変を起こした鎌足の血を引く不比等です、権謀術数を使ってもおかしくありません。
694年に持統天皇は藤原京に遷都、首都機能を備えた本格的な都でした。
扶桑略記には、持統天皇が藤原の私邸に宮を置いた、と書かれています。
このあと、700年、大宝律令が制定され不比等の名前が筆頭に登場します。
これで、藤原不比等の独裁政治が始まります。
■日本書紀の改ざん
権力を持ち始めた不比等は、日本書紀編纂事業において、ある行為を行います。
それは、大神神社、石上神宮の古文書や、16氏族の墓記、系図を献上させ没収するというものです。
ここから、不比等による歴史の創作がはじまるのでした。
それが、スサノオ、ニギハヤヒを神話に閉じ込め、皇祖神・天照大神(アマテラス)を女神に変更するというものでした。
■長屋王の変のきっかけ
■辛巳事件
724年2月、24歳になった首皇太子は聖武天皇として即位しました。
【目次】
00:00 スタート
01:59 藤原不比等の経歴
04:04 日本書紀の改ざん
05:21 長屋王の変のきっかけ:辛巳事件
08:36 長屋王の変が勃発
11:50 祟りに怯える藤原氏
日本古代史の謎を紐解き、すこしでも本来の日本建国の姿を再現できればと思い、ご紹介させていただきました
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・Wikipedia
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【参考書籍】
・『日本書紀上下』宇治谷孟 著 講談社学術文庫
・『古事記上中下』次田真幸 著 講談社学術文庫
・『現代語 古事記』竹田恒泰 学研
・『古代日本神話の考古学』関裕二 著
・『温泉の日本史』石川理夫 著 中公新書
・『埋もれた巨像』上山春平 著
・『藤原氏の正体』関裕二 著 新潮文庫
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มุมมอง: 969
วีดีโอ
「竹取物語」とんでもない闇が隠されていた!?
มุมมอง 2.1K9 ชั่วโมงที่ผ่านมา
今回のむらくも歴史チャンネルは、竹取物語です。 かぐや姫の物語として絵本、アニメ、映画などで描かれる人気の物語です。 この竹取物語、実はとんでもない闇が隠されていたことがわかりました。 その闇について探っていくことにします。 竹取物語のあらすじと背景 かぐや姫のモデルと作者 物語の隠された意図 まずは竹取物語のあらすじを簡潔にご紹介します。 ■かぐや姫誕生 昔の話ですが、竹を取って暮らしていたおじいさんとおばあさんがいました。 おじいさんの名前は「さるきの造」です。 ある日、おじいさんが竹林に行くと、光る竹がありました。 不思議に思って近づくと、中に約9センチほどの小さなかわいい女の子が座っていました。 おじいさんとおばあさんはその子を自分たちの子供として大切に育てることにしました。 それからというもの、竹の中からお金が見つかるようになり、おじいさんとおばあさんは豊かになりました。 ...
徹底的に隠蔽!?ニギハヤヒはヤマト王権の初代統治者
มุมมอง 3.9K19 ชั่วโมงที่ผ่านมา
今回のむらくも歴史チャンネルは、神社伝承と史料で紐解く、ニギハヤヒの真相のまとめです。 新しい情報も加えておりますので、是非最後までお付き合いください。 ■ニギハヤヒの概要 ・ニギハヤヒはヤマト王権の初代統治者とされるが、歴史から意図的に隠蔽された可能性がある ・記紀や先代旧事本紀では異なる表記で登場し、神や人物として描かれている ■ニギハヤヒの伝承と神社 ・石上神宮、大神神社、籠神社など、古い由緒ある神社にニギハヤヒの痕跡が残されている ・物部氏と尾張氏の先祖とされ、多くの古社で祀られている ■歴史的な位置づけ ・神武天皇が東遷する前に近畿地方を統治していたとされる ・十種神宝や鎮魂祭の起源とされ、重要な祭祀との関連が示唆されている ■歴史からの隠蔽と再評価の必要性 ・藤原不比等による日本書紀編纂時に、ニギハヤヒの存在が意図的に隠蔽された可能性がある ・神社伝承や考古学的証拠を基に...
日本の温泉の古代史!三大古湯を文献で紐解く旅
มุมมอง 1.3Kวันที่ผ่านมา
こんにちは、むらくも歴史チャンネルです。 みなさん、好きな温泉はありますか? 私は、長島、蔵王、草津、山中、熱海温泉でしょうか。 最近は訪れていないので、また行きたいですね。 このチャンネルでは日本古代史について発信しています。 よかったらチャンネル登録よろしくお願いします。 ■全国にある温泉の概要 温泉は、日本列島にやって来た人たちがいつ頃利用し始めたのか、考古学の観点からも分かっていません。 とはいえ、縄文時代、日本各地で利用されてきた自然の恩恵であることは推定できます。 日本列島は、プレートの境界に位置するため地殻変動が頻繁で、火山や地熱活動が盛んな地域です。 こうした火山活動によって地下水が温められ、温泉が各地に湧き出しています。 古代の人々は、これを「神の恵み」として崇め、祭祀や治癒のために活用していました。 温泉は、単に身体を清めるための場所ではなく、神聖な場所としての役...
地味すぎ!?葛城氏とソツヒコの正体と謎 幻の葛城王朝
มุมมอง 3.7K14 วันที่ผ่านมา
こんにちは、むらくも歴史チャンネルです。 葛城氏は、初期ヤマト政権において多くの皇后を輩出し、天皇家と外戚関係を築いていた豪族です。 ところが、藤原氏や蘇我氏などとくらべてほとんど知られていない地味な存在です。 葛城氏といえば、葛城地方を思い浮かべます。 そして、葛城氏の祖先といわれる葛城襲津彦はどんな人物だったのか。 今回は、葛城氏、その正体に迫ります。 ■高鴨神社 高鴨神社は、賀茂氏発祥の地、葛城にある味耜高彦根命を祀る式内社です。 奈良県御所市鴨神の金剛山東山麓にある県社です。 上賀茂・下鴨神社をはじめ全国の鴨・賀茂・加茂神社の総本社でもあります。 葛木御歳神社(中鴨社)・鴨都波神社(下鴨社)に対して「上鴨社」と称されます。 味耜高彦根神の母は、宗像三女神の多紀理毘売命です。 熊野の熊野本宮大社付近で神武天皇とアジスキタカヒコネは落ち合いヤマトに入ることになるのです。 ■葛城一...
スサノオはなぜ神話に閉じ込められたのか?(まとめ)
มุมมอง 2K14 วันที่ผ่านมา
こんにちは、むらくも歴史チャンネルです。 ■スサノオとは 今回はスサノオについてまとめてご紹介します。 ・スサノオは神話上の存在ではなく実在の人物 ・スサノオを神話に閉じ込めた人物 ・世紀の大発見! ・出雲の力の源泉となったものとは ・スサノオの息子がヤマトに侵攻 ■古事記のスサノオ 古事記では、イザナギとイザナミのところにはじめて登場します。 イザナギとイザナミによる「国生み」と「神生み」の物語がはじまり、イザナギが左の目を洗うとアマテラスが、鼻を洗うとスサノオが誕生します。 ■日本書紀のスサノオ 光うるわしい大日孁貴(おおひるめのむち)、アマテラスを生んだ後、蛭児を生みますが成長せず、その次にスサノオを生みました。 【目次】 00:00 スタート 01:01 古事記のスサノオ 03:08 天岩戸隠れ 05:00 出雲国造り 05:52 ヤマタノオロチ(八岐大蛇) 07:...
卑弥呼と日食の関係!邪馬台国論争ついに科学で解明か?
มุมมอง 1.6K21 วันที่ผ่านมา
こんにちは、むらくも歴史チャンネルです 卑弥呼の邪馬台国はどこにあったのか? 議論を巻き起こしているのが、少ない情報のために邪馬台国の場所が特定できないでいます。 まず、帯方郡から伊都国までの記述はほぼ定説化しているところです。 畿内説、九州説はもちろん、四国説、関東説、沖縄説、インドネシア説なんてのもあるそうです。 そして、存在しなかった説もあります。 80種類ほど説があるとか、まあ、どこでもアリっていうことですかね。 永遠のテーマと思える邪馬台国論争ですが、科学で場所を特定しようとする試みがあります。 それは、場所を日食で特定しようとするものです。 国立天文台「247 年 3 月 24 日の日食について」という2012年の論文です。 その前に、アマテラスの天岩戸隠れ神話のおさらいです。 ■天岩戸神話の岩戸隠れ スサノオは誓約で身の潔白を証明した後、高天原で暴れ回り、田の畔を壊し溝...
関東の雄・上毛野氏の出自と物部氏との関係
มุมมอง 2.6K21 วันที่ผ่านมา
関東の雄なのになぜ消された?上毛野氏の出自と物部氏との関係 こんにちは、むらくも歴史チャンネルです 古代、関東の雄といえば、上毛野氏を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。 そして豊城入彦命と関係してくる氏族です。 上毛野氏は、第10代崇神天皇の皇子・豊城入彦命を祖とする皇別氏族です。 毛野という古代の地名が北関東をさし、毛野のうち上毛野は「上野国」になり、現在の群馬県に相当します。 毛野地域は、渡良瀬川を境として上毛野・下毛野に分かれていますが、上下に分かれた時期には諸説あります。 「下毛野」はのちに「下野国」に転じ現在の栃木県に該当します。 「上毛野」はのちの「上野国」に転じ現在の群馬県に該当します。 私の住んでいる神奈川からは少し遠いので同じ関東といっても、土地勘が無くピンときません。 しかし、古代の北関東は東国の中心地で繁栄しました。 それは上毛野氏の存在が大きかったから...
忌部氏とフトダマの謎に迫る!阿波王国を神社と文献で紐解く
มุมมอง 2.4Kหลายเดือนก่อน
こんにちは、むらくもチャンネルです。 今回は、古代の有力氏族「忌部氏」(いんべうじ)についてご紹介します。 【「うじ」の読み方は、ここでは「し」とさせていただきます】 古代の宮廷祭祀において、中臣氏とともに重要な役割を果たした氏族がありました。 中央に位置する忌部氏の本拠地は、現在の奈良県橿原市忌部町付近にあり、太玉命を祀る太玉命神社(今の天太玉命神社)がありました。 ■天太玉命神社 奈良県橿原市忌部町にある名神大社で旧社格は村社です。 フトダマは、忌部氏の祖神とされます。 鎮座地一帯は忌部氏の本拠地(本貫)と推測されています。 この神社には、太玉命のほかに、大宮売命(おおみやのめ)、豊石窓命(とよいわまと)、櫛石窓命(くしいわまと)の4柱の神々が祀られており、3神は古語拾遺や先代旧事本紀ではフトダマの御子と位置づけられています。 ■古代朝廷における祭祀を担う 祝詞によると、これらの...
ツクヨミ(月読尊)の正体に迫る!神社伝承で紐解く古代史
มุมมอง 3.6Kหลายเดือนก่อน
こんにちは、むらくも歴史チャンネルです 月読尊をご存知でしょうか アマテラス、スサノオと並んで記紀に登場しますが、まったく活躍が描かれない神です。 学説でも明確な主張が見られない珍しい神様でもあります。 そんな正体不明のツクヨミについて推理してみます。 ■月読尊とは? 月読尊(つくよみのみこと)は、日本神話に登場する月の神です。 アマテラスの弟で、スサノオの兄とも言われています。 三貴子(みはしらのうずのみこ)の一柱として重要な存在であり、夜を支配し、秩序を守る役割を持つ神です。 ■ツクヨミ(月読尊)の神話と起源 ツクヨミは古事記や日本書紀に記載されていますが、その詳細な説明は少なく、謎が多い存在です。 わずかに、日本書紀の一書に記されているくらいです。 月を司る神として、古代の農業や漁業に深く結びついており、特に月の満ち欠けを重要視した暦や儀式に関連する神として考えられています。 ...
中央構造線と神社の神秘:古代信仰と地質学の交差点
มุมมอง 29Kหลายเดือนก่อน
日本列島は、東西にほぼまっすぐに「中央構造線」が走っています 日本列島の地質を太平洋側と日本海側に二分する断層で、フォッサマグナ、糸魚川静岡構造線と並んで、日本列島において最も重要な地形です。 中央構造線もフォッサマグナもナウマンが発見しています。 ナウマンゾウで有名ですね。 ■ナウマン エドムント・ナウマンは1854年9月にドイツのマイセンに生まれました。 ミュンヘン大学で博士号を得て地質調査事業に従事していたとき、日本に行って地質学の教授にならないかという話を持ちかけられます。 1876年に東京開成学校の教授になりました、つまりドイツのお雇い外国人です。 1877年ナウマン22歳のとき、東京大学が創設されると地質と採鉱冶金学科の教授に就 しました。 あるとき、ナウマンは地質調査旅行に出かけます。 碓氷峠を越えて中山道をとおり、浅間山へ登っています。 その後、野辺山から獅子岩をと...
聖徳太子(厩戸皇子)は何をしたのか
มุมมอง 1.3Kหลายเดือนก่อน
こんにちは、むらくも歴史チャンネルです。 聖徳太子は、一万円、千円も聖徳太子、歴代最多の7回顔になっています。 1930年に発行された百円札、当時は金融恐慌で失業者が溢れていました。 なんと千円、五千円、一万円がすべて聖徳太子になったこともありました。 戦後廃止された中で、聖徳太子だけがお札の肖像画に残りました。 和を以て貴しとなす、彼は平和主義者だとGHQを説得したため残りました。 一万円札の肖像画にもなった聖徳太子が、実は創作された人物だったという風説が流行ったのは2011年頃のようです。 一時的流行で終われば、笑い話で済みますが、そうではありませんでした。 教科書の表記に影響が出ました。 つまり、聖徳太子ではなく、厩戸王(聖徳太子)という括弧付きの表現に変更になったのです。 ■聖徳太子は実在しなかった説 聖徳太子は厩戸王であり聖徳太子という人物は存在しなかったという説が出回りま...
古代出雲とオオクニヌシ!出雲王国はなぜ葬られたのか
มุมมอง 3.1Kหลายเดือนก่อน
こんにちは、むらくも歴史チャンネルです。 ■オオクニヌシ(大国主)の正体 たくさんの異名を持つのがオオクニヌシです。 日本書紀だけでも6つの名前が出てきます。 これだけたくさんの異名を持つ神はそんなにいません。 ただし異名と言われる中には、オオクニヌシではないものもあります。 大物主神はニギハヤヒ、八千矛神はスサノオの別名です。 ■出雲神話がフィクションとされた訳 古事記では、神話の3割程度を出雲神話が占めていると言われます。 その出雲神話のテーマは主に、オオクニヌシの「国譲り」の話です。 日本古代史界隈では、第二次世界大戦後、出雲神話はまったくのフィクションとして扱われてきました。 それを後押ししていたのが、出雲には遺跡がないからという通説でした。 さらに、『出雲国風土記』にも出てきません。 ところが、世紀の大発見といわれる遺跡が出雲地方で発見されたのです。 ■荒神谷遺跡 1984...
日本武尊(ヤマトタケル)は実在したのか?神話の世界から解き放つ
มุมมอง 2.5Kหลายเดือนก่อน
こんにちは、むらくも歴史チャンネルです。 ■日本武尊(ヤマトタケル)の正体 日本の古代史の中で、認知度が高いのは、ヤマトタケルを挙げる人も多いのではないでしょうか 記紀に、ヤマトタケルが九州の熊襲を退治したり、奥さんが身代わりに入水したり、伊吹山で体力を落とし、三重で亡くなり、白鳥に変身した説話が記されています。 記紀に書かれているヤマトタケルのお話しは、ほぼ創作で、荒唐無稽な説話になっています。 日本書紀では「日本武尊」と表記され、古事記では主に「倭建命」と表記されます。 ヤマトタケルは、景行天皇と播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)との間に生まれた皇子で、双子でした。 兄が大碓で弟が小碓です。 小碓がヤマトタケル、別名がヤマトオグナです。 后妃は、両道入姫皇女(ふたじいりひめ)、吉備穴戸武媛(きびのあなとのたけひめ)、弟橘媛(おとたちばなひめ)、宮簀媛(みやづひめ) 皇...
日本をつくった藤原氏の歴史!始祖から昭和まで
มุมมอง 2.6Kหลายเดือนก่อน
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考察が沢山あって私的にはとても面白いです。『誰なのか?』と突き詰めるのも面白いでしょうけれど、私は大国主命と珍道中しながらも真面目に日本の国造りをしてくれたんだと思うとホッコリとして頼もしくて嬉しくなります。途中での面白い我慢比べとか😂具合の悪くなった少彦名命の為に温泉を掘り造って、両手に乗せて浮かばせてあげるなんて……とても可愛らしい兄弟でありバディだと思います。途中で少彦名命が常世の国へ行ってしまい、ワーンワーンオーイオーイ😭と途方に暮れている大国主命を思い浮かべると貰い泣きすらしてしまいます😢その後現れた大年神と国造りを進めていくわけですが、あれは大国主命自らの魂の一部を具現化したものなんですよね?ドラマVIVANTの主人公を思い浮かべます。とにかく少彦名命と大国主命の二柱は私の中では永遠にヒーローです‼️
いつも動画アップありがとうございます。 提案ですが、一度BGM無しで作成いただけないでしょうか。 BGM無しの方が聞き取りやすく内容が頭に残ると思います。 他のチャンネルで話の内容は良いのにBGMが打ち消してしまっているケースを散見します。
『八所御霊は、吉備真備から長屋王にトレードいたします!』 by・桓武天皇(笑)
とても参考になる動画をありがとうございます。 天武天皇の後に高市皇子が即位していた証拠が見つかり、藤原不比等が暗殺して文武天皇を15歳で即位させたと推理しています。ですから持統天皇も存在しないということなのです。それを誤魔化すために前例として推古天皇や皇極・斉明天皇も創作しましたが、これらもフェイクであることが、天智天皇の出自を調べて分かりました(詳細は「天智天皇とは何者だ?( その4 )」参照)。 ということで、持統の後の女帝元明天皇、元正天皇も聖武天皇の娘孝謙・称徳天皇もすべて架空の女帝ですので、史実を誤魔化したと分かります。ですから、藤原四兄弟と長屋王(本当は親王で、即位していたかも?)やその後の政権抗争の史実は続日本紀の内容とかなり異なるはずです。大きな流れは藤原四家の権力闘争で最終的に南家の仲麻呂を倒した北家の勢力が天智天皇中大兄の孫光仁天皇そしてその子の桓武天皇を立てることによって平安遷都して終了したということだと思います。おっしゃるとおり、この辺りを今後証拠を固めて、もっと詰めていく必要がありますね。日本の古代の真相究明はまだこれからですよ。どうもお邪魔しました(;^ω^)
父、鎌足と中大兄のせいなんです、 不比等、皆んなにあやまれw
平安時代末期ころは、日本書紀の神話は、全く異なるナーガ(龍蛇神)信仰の中世日本紀と呼ばれるものに変貌していたのです(斎藤栄喜「読み替えられた日本神話」など参照)。古事記は祭祀関係の氏族によって細々と読み継がれていたのですが、江戸時代になって国学者本居宣長が発掘して大絶賛しました。その影響を受けた神道家平田篤胤が記紀神話に基づく復古神道を提唱したのです。それが幕末の志士たちに人気になり、明治新政府は、神仏分離令を出したら全国的に廃仏毀釈の運動が起こり、神を祀っていた寺院が打ち壊され、無理やり僧侶は還俗させられたのです。日本版文化大革命でした。国家神道が創設されて学校で国史が教えられるようになって、記紀神話が日本古来からの伝承だと洗脳されたので、戦後の日本人も何となく日本の歴史だと思わされてきたのです。今、ようやく日本書紀のトリックが解明されてきましたので、本当の古代史はようやくこれから分かってきますよ(^_-)-☆ 不比等も不都合な歴史を隠すために神話まで創作したのですが、何でこんなに長くウソがバレなかったのか自分でも不思議に思っているはずですね(;^ω^)
かぐや姫は実在してなかった‼️夢物語の世界やね‼️
中大兄皇子が葛城皇子? 舒明天皇と皇極天皇の子どもではなくて、 では誰が産んだ誰の子供だったのかなぁ? “大兄”って表記がこの時代を境に無くなるけど、この頃の“大兄”表記には皇位継承者の意味があると学会では推定されていますよね。 “中大兄”って表記自体が、“大兄”の次の皇位継承者を示している特殊な呼び名になっているのですが、 “中大兄皇子”を“中大兄”と意図的に呼ぶのは皇子をつけると皇位継承者になってしまうと思ってるのかな。
お疲れ様です。むらくもチャンネルさんの由来となったムラクモ君のパパちゃん(イソタケ君)がこの場合のニギハヤヒとされていると思います。そして大物主はクシヒカタ君で出雲の伝承に書かれているそうです。俺はまだそこんとこ確認してないですけど〰m(_ _)m 最近つくづく記紀ってのは物部系を神格化させる為の書物ッて感じています。そんで不比等ですが、個人的には好きではない人何ですが、出雲の富さんと仲が良いある人がコメントを下さいました、不比等君は物凄く真面目な人だったと話してくれたそうで、そ為に嘘を書かせた記紀。こんな感じらしいです。でも、不比等は物部系(宇佐家)と仲良くし物部系は不比等と仲良く、蘇我系を排除した??? ん〰〰〰 ですね。あと、ムラクモの剣(天叢雲剣)何ですが、尾張家が後を継いだッて、それ 奪われたッて事らしいです。本当は高尾張家の持ち物(出雲族から御祝にムラクモ君にプレゼントされた)で、それを正統じゃない尾張家が奪ってしまったようです。この話は出雲の富さんと仲の良い人が富さんから聞いたと言われていました〜 この後の竹取物語楽しく見させて貰いました、俺は竹取物語の話はトゥーランブイログ位でしか知らなかったので、凄く勉強になりました〜サンキュ〰です🎉 月の氏族ッて事は宇佐家?? 宗像家の方かなぁ??? 関係してそうですね。もしかして物部イクメが宇佐の姫巫女を殺害命令出したのが関係してるんじゃッて思ってましたが〰 …出雲の伝承に出て高なぁ??? それか宇佐家の伝承に書かれていそうですね。
アマテラスが役職名なら徐福も役職名に考察刷る。後日約束事は伝言に成る。3000も考察されたし。感謝
垂仁天皇の妃、迦具夜比売命。 その父親、大筒木垂根王、『筒木』は筒型の木つまり竹、その親の比古由牟須美命の父親が開化天皇、母親が竹野比売。 迦具夜比売命の系統は明らかに竹を暗示してますよね。 子の袁耶弁王の名も異質な感じがして気になります。
作者は菅原道真説が最も納得できます。
まあ求婚を5人の貴族らの嘘には都合がまず良い事、結局月からのお迎えはテクノロジーが違う弓矢などバリアで全然利かない、平安時代良く書いたと思う
むっちゃん説がしっくり来ます、神大市姫の孫。
悲劇の姫皇子だとおおくのひめみこもいるけどね。斎王なので誰とも結婚したらいけない。13才に成長した時点で竹の都いつきの宮に強制的に連れていかれる。大津皇子を殺害の批判だろうか?でも暗殺してたのは天智だろうが蘇我氏だろうがやりまくってたけどな
天皇は自分が死ぬまで斎王は帰ってこないのだから、不老不死になんの意味があろうかと嘆くのもむべなるかなである。斎王システムをつくったのが5人の側近だと仮定したら、このような悲劇的なシステムを作ったことへの批判の可能性もある。
旧唐書には倭国伝と日本国伝が記されています。 宋書にある倭の五王は九州王朝の倭国王のことでしょう。 663年の白村江の戦いで唐、新羅の連合軍に大敗した倭国は衰退し、日本に名称変更した大和王権がその後、倭国に取って代わったと思います。 だから倭の五王に大和王権の歴代天皇を比定しようとしても整合性は全く取れないはずです。
阿波→安房という繋がりが、千葉住人の自分を歴史に走らせました。忌部は印旛に転訛したとも言われていますね。興味深く拝見させて頂きました。 ・・・ただ、歴史史料至上主義者の方々って、卑弥呼を歴史に登場させなきゃ死んじゃうんでしょうかね? あと西暦と日本の古事記を付け合わせする遊びをやる事が多いけど、本当に不毛だと思います。後の親王任国毛野國で毛生やしてきてください。 というのもね、当たり前だけど記紀には東日本、東国の記述がないから。だから歴史史料至上主義者には歴史が無かった事になってしまってる、そんなわけあるかい!!! 千葉県というか下総地域は貝塚(縄文遺跡)の数では超・過密地帯で日本一です。香取神宮は下総国の一ノ宮ですが、香取と鹿島が、なんで『神宮』なんですかね? そこまで行かなくても、動画に出てくるまさに弥生期、稲作文化≒登呂遺跡のあった先進地域である古駿河国という、富士山信仰の聖地である処も、富士山ですら登場されてないってね。 だからこそ、記紀は叙事詩として読むべきだし、歴史を綴ったものでは無いというのが自分の古代史解釈において、最も大切な根本です。 親王任国上総は古墳(前方後円墳)も初期から存在しているし、忌部氏の後に来たであろう大和武尊に因んだ地名だらけである。 まぁ、結局の所、タイムマシンがあればなぁと思うこの頃。取り留めの無いコメント失礼しました。
いい話題をありがとうございます。 おっしゃるとおり、日本書紀は完成当時の権力者の藤原不比等が主導して、藤原氏に都合の悪い建国時代の史実を神話に閉じ込めて、人代の歴史もかなり改ざんしたことが、事実、つまり考古学や民俗学などの成果から判明しました。 神社伝承ですが、建国時代に活躍した豪族を衰退させるために創作した神話に合わせて祭神・由緒・社名まで変更させています。 さらに、明治になって国家神道が創設されて記紀神話に合うように徹底して変更されてしまいましたので、表の神社伝承を信じると訳が分からなくなります。地元の人たちが祀る摂社や末社に本当の祭神が隠されています(例えば、京丹後市奈具神社の末社(新羅神社)で本当の祭神スサノヲが祀られています。詳細は「乱暴者の神スサノヲは実在人物だった?!(^_-)-☆」参照)。 ですから記紀のストーリーで仮説を組み立てても事実に合いませんので、不比等の意図を読んでなぜウソをついたのかを考えて、仮説を作り、事実で検証してゆくと真相らしいものが見えてきました。 ニギハヤヒは本当に徹底的に隠されているのですが、ヒントとなる事実から鬼退治した吉備津彦でとして隠された楯築王墓の被葬者だということが判明しています。ニギハヤヒの子孫がヤマト王権を成立させ、今上陛下の祖天智天皇がニギハヤヒの嫡流だと分かりました。よろしければ「【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?(*^▽^*)」・「【大発見!】天皇家のルーツの証拠!(*^▽^*)」「天智天皇も天武天皇もアメノタリシヒコの孫?(@_@)」などをご参照ください。お邪魔しました(;^ω^)
中臣氏[藤原氏]は古代シュメール天皇家と一緒に大陸から渡ってきた旧聖書堕天使ネフィリムの末裔「爬虫類遺伝子レプティリアン」であると宇野正美氏は話していますね。藤の蔦は一度絡んだら離さない藤原氏娘達を天皇家に嫁がせ権力を誇示してきたと言う。
連立政権で平和に統治していたが、子孫の物部が政争で追われてから饒速日命が忘れ去られてしまった…
男天照(饒速日)を女神天照にしたのは持統女性天皇の時ですね。 素晴らしいですねっ! ここまで検証されるなんて、ありがとう。
5:04「天皇系図:欠史八代」の系図は、古事記日本書紀の記述と異なるが、根拠は?出典などを明示してもらいたい。
ニギハヤヒはシャントン半島斉国から和国の王になるため、BC210年佐賀県伊万里湾に渡来した徐福(徐市)です。筑秦国を築き筑紫で亡くなった。子・彦穗穗出見は物部の祖となり、子孫が大和東征を成し遂げた。ホアカリ、ニギハヤヒ、徐福は同一人物ですが、皇祖神とするのはまずいはずです。奈良時代の文献や神社由来は歴史とは大きく異なる改竄が行われており、神話物語と歴史とは別物であることを認識せねばならない。但し物語が日本の通説・常識となっているのも事実です。「記紀」編纂者は古代史に詳しい人達でしたが、時の権力者の意向に沿わざる得なかった。コビト、ヒトマロ、ヤスマロはあの世で今どう思っているだろうか?⁉️
饒速日好きとして面白かったです! ちなみに4:58 に出てくるニギハヤヒ系図で、天香山(高倉下)の母が違っていました。先代旧事本紀では天道日女が母とありましたが。。
コメントありがとうございます。天道日女のご指摘もありがとうございます。櫛玉比賣命神社(愛媛県)のご祭神が、天道日女命・御炊屋姫命とあり二人は別人であることが確認できました。
物部氏と尾張氏の祖でその2つが後裔氏族って事ならそれでいいやろ。 後裔氏族が分からないって言う者はすべてファンタジーとしかいいよう無い。 邪馬台国や卑弥呼って何氏なんですか?神様に繋がってますくらいに主張してくるし、私達は後裔氏族ですみたいに主張してくるのが在り方なんやから。 邪馬台国と卑弥呼や卑弥呼を支持してた氏族よりは信ぴょう性ある。 卑弥呼は天皇家と繋がらない、大和王権と別なら何氏の人かを早く説明して欲しいもんや。 その点物部氏と尾張氏は俺たちの氏族のが消されたんや、正当性高いのやと言ってくる意味も価値もある。
奈良の大和神社は坐が入って、大和坐大国魂神社じゃなかったでしたっけ。 淡路島の大和大圀魂神社、徳島の倭大国魂神社も気になります。
妄想ですな。
否定するなら、それなりのソースを出すのが筋ですね。
ホツマツタヱでは、オシホミミの子供は、長男クシタマ(アスカ)ホアカリ、次男ニニギ(ニニキネ)です。ニニキネは水田開発の業績 や朝臣に信頼されていたため、二朝体制だったのです。ですから、両方とも神器を持っていました。 ホアカリには、嗣子がいなかったので、ニギハヤヒが養子になります。ニギハヤヒは、コノハナサクヤ姫が産んだ三つ子の長男の子供です。ちなみに、三男は山幸彦(ヒコホホデミ)です。 ニニキネ(ニニギ)もニギハヤヒも古事記的にいうと、天孫系です。 先代旧事本紀は、聖徳太子作は別として、物部氏の祖神ニギハヤヒの旧事紀なのでしょう。
天才的な不比等の気持ちが分かります、お察しくださいw
三輪山の大物主こそ饒速日だと言う説もありますネ。隠そうにも隠しきれない大物だから大物主とは!それはそれで良いかも😊スピ系の方によると三輪山は国体鎮護の中心だとか🙏
長屋王が親王である可能性が高い話も知りたいですね
中大兄皇子が何故中臣鎌足に指示されないといけないのか?どっちの方が身分が上なのか
九州のへそ 阿蘇高千穂 幣立神宮(幣立神社)を POWERspot
温泉に沸く「湯(ゆ)」が「水(みず)」よりも短いのは、子供の頃から面白いと思っていました。湯は英語では「warm water」で私の知る限り単語はありません。「湯」と言う漢字も中国人に聞いたところでは、飲む「お茶」(茶の葉を入れないのも普通)の意味で、日本語の湯とはかなり違う様です。 水-->湯-->熱湯 を温度で表すと水は0℃-30℃程、で湯は30℃-50℃、それ以上は熱湯では無いでしょうか。しかしその定義は極めて曖昧で、しかも日本人にとって、水、湯、熱湯は感覚的に全く異質の物であるのは興味深く、「湯」が他の言語では日本語の「湯」が持つ重要性を持たないのも、面白いのでは。
古代から出雲の尊と聖徳太子に空海さま温泉の効能広めたのですね、縄文人らも効能知り活用した
今授業ええ感じやねん
古代天皇は皆、入婿って事が解りました。 地元豪族女性と婚姻する事でその地域の勢力をって事ですね? 古代のオオクニヌシのやり方ですよね
所謂欠史八代と葛城氏の外戚時代が重複している。私見は、欠史八代説は根拠のないエセ歴史学者の妄想にすぎないと考える。ヤマト地方支配勢力の中で、1世紀と推測される神武東征にいち早く呼応したのが葛城氏、一歩遅れて、長髄彦敗退後の神武に合流したのが、饒速日の物部勢力。物部も葛城も同じ三輪神=大国主を信仰したヤマトの土着勢力だったのだろう。ただ三輪神=出雲神を信仰しながら、同時に自らを天の火明を祖とする天孫族を自称した。おそらく欠史八代は、三輪神信仰と皇祖神信仰が融合する時代だと言える。葛城、鴨=加茂、物部は、何れも神武以前のヤマトの支配勢力であり、神武以降は、天皇の外戚神としての三輪信仰を維持する役割を果たしたのだろう。 3世紀、崇神は神人分離の宗教改革を行い、伊勢の皇祖神を祀った。この改革を完成させたのが息子の垂仁天皇で、新たに征服した出雲の地に杵築大社を創建し、三輪神=大国主を祀り、日本神話が完成した。
7:00 岡山県に伊部(いんべ)という地名がありますが、忌部氏と関係があるようですね
大海人皇子が天智天皇の同腹の兄弟ではないとしたら 母親が皇族以外の出身かも知れないな。 天智天皇の子である大友皇子の母親は伊賀宅子娘とされ 皇族ではなく、大友皇子は皇族を母にしないのに皇太子になったが これは例外であり。 当時は母親が皇族ではないのに皇太子や次代の天皇になることは許されなかった。 その大海人皇子が、甥である大友皇子を倒し、天皇になったのなら。 正当性をより確かなものとするために天智天皇の同腹と記紀に記すことはありえるだろう
小学生時代に近所で葛城って珍しい名字の家族が住んでいて子供が女子二人で姉はいっこ下のまあまあ美少女だった。 母親曰く、葛城さん一家の御先祖は奈良の葛城氏一族だそうだよと当時言ってたな... あの頃はまだどんな人か理解してなかったけど、ヤマト政権時代の天皇を補佐する一族だったなんて、知ってたらどう思ったかな⁉
御所市で発掘された中西・秋津遺跡の名前が挙げられていないことがとても残念に思います 纏向遺跡と同様な祭祀に関わる大規模(だいきぼ)なムラがあった場所です また、御所市からは名柄銅鐸という初期型の銅鐸が鏡とセットで出土しています この鏡はモンゴル、朝鮮地域を経由して運ばれてきたとされています 愛知県一宮市にある真清田神社の御祭神は、火明命ですが、元は葛城から来たとされています。また、同じ敷地内には、服部神社があり御祭神は秋津比売である
葛城御年神社の東川(うのかわ)宮司さんから聞いた話ですが、葛城御年神社の神奈備の裏山は砂鉄が多く、踏鞴場があったという話もあるそうです。 そうなると出雲との繋がりが踏鞴を通して見えてきますね。 あと役小角の地であり、後に修験道の聖地になるのも興味深いです。
大臣と大連。戦前で言う、文官と軍部のような役割分担なのかも。 葛城・蘇我が臣、大伴・物部が連に任命されることが多かったかは不明ですが、文官と軍部の対立に比喩できる状況があったかもしれないですね。
スサノオって、台風?
カラスの訳無い
藤原不比等が日本書紀で隠したスサノヲの正体についてしっかりと検討していただき、とても参考になります。ありがとうございます。 不比等が神話を創った理由をご説明されていますが、その内容に賛成です。 しかし、そこから作られた基本的なストーリーを、記紀の話の大筋に合せると不比等の罠にかかりますよ。 日本書紀の内容は、藤原氏にとって都合の好い話にするために史実を改ざんしたということですので、都合の悪い史実は何かを深読みして、もうひとひねりする必要があると思います。天武天皇崩御の34年後の720年に日本書記を完成するまでには、相当不都合な事件があったはずです。 ちなみに、古事記も通説とは異なりますが、9世紀の日本紀講えんの際に突然登場したものです。正史にその記録はありませんし、日本書紀で引用した痕跡もないのです。日本書紀が隠した史実をそれとなく暴露する暗号書だったのです。それを解いて多くの古代史の謎が分かりました。 そこで、スサノヲの謎を解くカギのひとつが、記紀に卑弥呼が登場しないことですが、卑弥呼の正体の推理が長くなったのでブログ記事にしました。よろしければご参照ください(#^.^#)
出雲王家伝承史と記紀・神話物語がミックスジュースになっている。
音楽にも【ゆらぎ】は大切です。 人も【バイオリズム】という揺らぎがあります。 干潮・満潮も揺らぎの一種でしょうか。 人は母親の胎内で揺らぎの中で育ちます。
日本の本当の歴史にも興味はあるのですが、RENさんの柔らかい声が聴きたくて登録しました。癒されます。
あの戦国時代の英雄、魔王織田信長が忌部氏の末裔であったのは有名な話。 現在も越前剱神社の宮司として織田氏が仕えています😊 中臣氏に追いやられたとはいえ、非常に謎の多い惹かれる氏族であります😉👍 また次の動画も楽しみにしております😊