ウィーンに行ってみた!クラシック音楽の巨匠の足跡を訪ねて~ウィーン留学インタビュー前編

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  • เผยแพร่เมื่อ 1 ต.ค. 2024

ความคิดเห็น • 7

  • @erikasono565
    @erikasono565 5 หลายเดือนก่อน +3

    シューベルト一家が借りていたのは、生家の2階の二間ですね。19世紀当時は、城壁で囲まれた旧市街やそのすぐ外の3~4階建てのアパートを何家族かでシェアするのが一般的で、浸水被害に遭いやすい1階や、照り返しの強い屋根裏最上階に住むのは貧乏人。
    シューベルト一家は、旧市街の外のリヒテンタール地区とはいえ、比較的裕福な人が住む2階にかなり広い2間を借りていて、1階で小学校を開設していたので、当時の市民としては裕福な方。
    シューベルトの祖父は農家出身ですが、継母は絹織物職人の娘なので、シューベルトの父がウィーンでかなり成功したということでしょう。兄フェルディナンドは師範学校教師にまでなっていますし。
    尚、ベートーヴェンやシューベルトが亡くなった家が立派なアパートに観えるのは、単に比較的最近、修復されたからかもしれませんよ。
    -
    ドームガッセ5番地のモーツァルトハウス、懐かしいです。向かいのドームガッセ4番地に住んでいたことがあります。
    オーストリア国立図書館に日参するのに、シュテファン寺院裏から、一番近道であるケルンテン通りの裏道の細い路地を抜けていってオペラ座前まで10分くらい歩くのですが、それが石畳の古い路地で風情がある。
    モーツァルトハウスは、シュテファン寺院裏の一等地ですが、当時約2億円の年収があったモーツァルトは、一部屋ではなく、3階建てくらいの1区画を丸ごと借りていたらしい。
    中に螺旋階段があるらしいのですが、私は向かいに住んでいながら、結局、中に入ったことはなくて。
    私が住んでいたドームガッセ4番地も、モーツァルトハウスの向かいの大門を潜って中庭に出ると、ロの字型の中庭から縦割りにした各区画に入る入口があります。
    1区画は螺旋階段状に上がれるようになっていて、私が下宿していたのは4階だったかな? 最上階だったか、その下だったか、とにかくかなり上の階で、1階ごとに別のアパートになっており、内部は何部屋かに分かれてバス・トイレ・キッチンがありました。
    私が住んでいたのは、その階の入り口を入って;、左側にダイニングキッチンやバスルーム、トイレなどの水回り、その奥に母屋のいくつかの部屋があり、右側に離れのような部屋がある、その離れの部分で、恐らくは昔はその階が大小のアパートに分かれていたものの名残なのだと思います。
    そうしてみると、狭い1区画とはいえ、3階分くらいのすべてを借りていたモーツァルトの全盛期は豊かだったのでしょうが、フランクフルトのゲーテの生家や、ヴァイマールのゲーテの館などが、広いアパートや豪邸のすべてがゲーテ一家のものだったことを考えると小さいですね。
    ヴァイマールにあるリストの家も、大臣だったゲーテの豪邸に比べると小さいです。
    ハイリゲンシュタットでベートーヴェンが住んでいたという家も、ベートーヴェンがすべてを借りていたわけではないのでは?
    私が今、住んでいるアパートも、一見、かなり大きな一軒家に見えますが、内部は6軒に分かれています。
    ドイツではそういう形態が多くて、大きな家? と思うと、よく見るとテラスハウスのように2階建ての家が横に2件繋がっていたり、上下で2軒に分かれていたり。3階建て以上の家だと、大抵は内部は3~6軒のアパートに分かれています。
    都市部の旧市街地では、中層アパートが壁のように連なり、都市部郊外では、テラスハウスのように横に何軒も連なる形が多いのに対し、もっと郊外や田舎に行くと、一軒家や、数軒が入る戸建てが多いのは、昔の住宅の名残なのでしょうか?
    *****
    ウィーン楽友協会資料室長のビーバ博士とは、私は懇意なのですが、ドイツの大学のゼミ仲間で、ブラームスに関する博士論文を書いて、ウィーン楽友協会資料室に就職した人がいますよ。
    ブラームスとウィーン楽友協会は縁が深いので、訊けばいろいろ教えてくれると思います。
    但し、自筆譜については、ウィーン楽友協会がその自筆譜を所蔵していることを確認してから行くのが普通です。
    尚且つ、自筆譜は貴重なので、誰にでも見せてくれるわけではなく、通常は、自筆譜のマイクロフィルムの閲覧しか許可されません。
    --
    私は自筆譜を研究していたのですが、ウィーン楽友協会資料室では室長のビーバ博士、オーストリア国立図書館音楽部門やウィーン図書館音楽部門ではそれぞれの部門長の部屋に呼ばれて、何のために自筆譜原本を調査する必要があるのか、質問されて許可を得ています。
    通常は、希望者は、ウィーン楽友協会から自筆譜のマイクロフィルムのコピーを購入することになります。
    私の場合にも、ドイツの研究所からマイクロフィルムのリーダープリンターのコピーを入手し、あらかじめ調査した上で、自筆譜原本を見なければ分からない調査は、なぜその調査が必要で、どういう研究成果が見込まれるのか、申請しています。
    当然、研究成果を論文にする際には、協力を得た図書館の名前を列記して謝意を表した上で、論文を一部、図書館に寄贈しなければならないので……。
    貴重な文化財なので、管理はかなり厳重ではありますね。
    とはいえ、音楽家が自筆譜を確認したいと思うのは良いことなので、精巧なファクシミリがネットなどで公開されるのは良い傾向です。
    -
    ウィーン楽友協会は私設で、国や市から援助を得ているわけではなく、作曲家達が寄贈した自筆譜のマイクロフィルムやファクシミリを販売したり、自筆譜を展覧会に貸し出してその賃料を徴収することで採算を取っているので、資料の公開には消極的です。
    それでも、オーストリア国立図書館や国立資料館が利用料として、入室して資料を閲覧することそのものにも料金が発生する(これはフランス国立図書館や大英図書館でも同じ)のに対し、ウィーン楽友協会は閲覧室入室や資料の閲覧そのものは無料なので、良心的だと思います。
    そのため、資料を勝手に写真撮影することは絶対厳禁ですし、購入したマイクロフィルムを一般公開したり、複製を配布することはもちろん、授業等で使うだけですら、著作権法違反(資料を所蔵する資料室が所有権を有する)になります。
    学会やシンポジウムの配布資料として用いたい場合には、特別許可を得る必要があります。
    ***
    モーツァルトの葬儀が簡素だったことに関しては、遺された妻、コンスタンツェの生活を考慮したと言われていますね。
    私の指導教授の葬儀も、有名人が眠る旧市街に近い墓地ではなく、少し離れた小高い丘の上の墓地で、墓石ではなく、簡素な十字架が立てられました。
    でも、昨今はやりの樹木葬や、欧州らしくない下層の骨壺をコンクリートのロッカーに納めて並べた墓地団地のようなものではなく、ちゃんと糸杉に囲まれた墓地の一区画に葬られ、自然派の夫人の意向が感じられました。
    ビーバ博士なども含め、国内外から音楽関係者、音楽学者が集まり、シューベルトの曲が数多く生演奏される音楽葬でした。

    • @erikasono565
      @erikasono565 5 หลายเดือนก่อน +2

      ウィーン楽友協会資料室長のビーバ博士とは、私は懇意なのですが、ドイツの大学のゼミ仲間で、ブラームスに関する博士論文を書いて、ウィーン楽友協会資料室に就職した人がいますよ。
      ブラームスとウィーン楽友協会は縁が深いので、訊けばいろいろ教えてくれると思います。
      但し、自筆譜については、ウィーン楽友協会がその自筆譜を所蔵していることを確認してから行くのが普通です。
      尚且つ、自筆譜は貴重なので、誰にでも見せてくれるわけではなく、通常は、自筆譜のマイクロフィルムの閲覧しか許可されません。
      希望者は、ウィーン楽友協会から自筆譜のマイクロフィルムのコピーを購入することになります。
      ウィーン楽友協会は私設で、国や市から援助を得ているわけではなく、作曲家達が寄贈した自筆譜のマイクロフィルムやファクシミリを販売したり、自筆譜を展覧会に貸し出してその賃料を徴収することで採算を取っているので。
      それでも、オーストリア国立図書館や国立資料館が利用料として、入室して資料を閲覧することそのものにも料金が発生する(これはフランス国立図書館や大英図書館でも同じ)のに対し、ウィーン楽友協会は閲覧室入室や資料の閲覧そのものは無料なので、良心的だと思います。
      そのため、資料を勝手に写真撮影することは絶対厳禁ですし、購入したマイクロフィルムを一般公開したり、複製を配布することはもちろん、授業等で使うだけですら、著作権法違反(資料を所蔵する資料室が所有権を有する)になります。
      学会やシンポジウムの配布資料として用いたい場合には、特別許可を得る必要があります。
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      モーツァルトの葬儀が簡素だったことに関しては、遺された妻、コンスタンツェの生活を考慮したと言われていますね。
      私の指導教授の葬儀も、有名人が眠る旧市街に近い墓地ではなく、少し離れた小高い丘の上の墓地で、墓石ではなく、簡素な十字架が立てられました。
      でも、昨今はやりの樹木葬や、欧州らしくない下層の骨壺をコンクリートのロッカーに納めて並べた墓地団地のようなものではなく、ちゃんと糸杉に囲まれた墓地の一区画に葬られ、自然派の婦人の意向が感じられました。
      ビーバ博士なども含め、国内外から音楽関係者、音楽学者が集まり、シューベルトの曲が数多く生演奏される音楽葬でした。

    • @クラシック音楽奇譚
      @クラシック音楽奇譚  5 หลายเดือนก่อน +1

      きっと興味深いコメントを下さることだろうと期待していました!ありがとうございます。
      住んでいる階で経済状況がわかるのは今も昔も変わらないんですね。一階は浸水する可能性ということはドナウ川も氾濫したということなのですね。
      城壁の外側の家は戦争で被害を受けたりもしたのでしょうか。
      外側からみる街並みとアパートの中に入った時の風景が違って見えるという噂を聞いていましたので、ドームガッセの家の話をわくわくしながら読みました。
      楽友協会が歴史と遺産をうまく使ってちゃんとビジネスとして成り立たせているというのも驚きです。日本だと資料を扱うところは公立のものが圧倒的に多いので、そういう点でも著作権についての意識は欧州とは差異があるのかもしれません。
      そういえばと思って調べてみたら、大英博物館は資料をデジタル化するそうで、これもゆくゆくはサブスクのようなサービスに繋げるのかしら…

    • @erikasono565
      @erikasono565 5 หลายเดือนก่อน +2

      ​@@クラシック音楽奇譚
      ドナウ川は氾濫を繰り返したので、旧ドナウ川の流れを一度変え、蛇行が激しい部分を真っ直ぐにしました。旧ドナウ川は、今は池のような形で残っています。
      更に、市街地に近い部分に生活用水を取るためのドナウ運河を作り、多摩川の河原敷きのように、ドナウが氾濫した際にしないが浸水しないでいいように、土手の下に緑地帯を設けています。
      -
      私が長く住んでいた9区のシューベルトの生家近くでは、地下鉄が地上に出ていて、ドナウ運河の上を通るので、その河原敷きの緑地帯がよく見えました。
      ドナウ本流とドナウ運河に分けることで、ドナウ川の氾濫による浸水被害をできるだけ少なくしようとしたわけです。
      ウィーン旧市街である1区は、北東はドナウ運河に接しており、残りの部分は城壁で囲まれていました。19世紀に城壁が取り壊され、リンク通りになりました。
      -
      ドナウ本流とドナウ運河に挟まれた部分は、ドナウ川が氾濫したら浸水することを見越して、できるだけ緑地帯が残されてきました。
      南側の大半は、もともとは皇帝の狩場で、今はプラ―タ―公園になっています。北側には、ウィーン少年合唱団の本拠地があるアウガルテンがあります。
      このプラ―タ―公園などがある2区、アウガルテンがある20区は、そうした経緯から、旧市街に近い割には、今でも家賃などが比較的安い、言い換えれば高級とはいいがたい住宅街です。トルコ人などの外国人も多く住んでいます。
      とはいえ、郊外の16区、17区、21区などに比べれば、中心部に近いから、労働者が住むような地区ではないですね。
      -
      ウィーンに限らず、パリやロンドンなどでもそうですが、住んでいる階以前に、住んでいる地区で身分や階級、経済状況が分かってしまう傾向はあります。
      ウィーンでお屋敷町として有名なのは、ウィーンの森に近い高台の19区と、シェーンブルン宮殿に近い13区。
      私の場合は、払える家賃に限界があるから、共同アパートや下宿の小さな部屋を探したのですが、とはいえ、中心部のオーストリア国立図書館、オーストリア国立文書館、ウィーン楽友協会、ウィーン図書館にできるだけ通いやすい、できれば徒歩でも通える、そうでなければ市電などの交通の便の良いところを探したため、住んだことのあるのは、1区、3区、4区、6区、7区、8区、9区、12区、18区、20区、23区。
      3区はコンツェルトハウス裏で、4区はナッシュマルクト脇。どちらも大使館などが多い地区です。7区、8区は市庁舎に近い官庁街。ウィーン大学にも近いですね。9区はシューベルトの生家やシューベルト教会の近く。18区はシューベルトやベートーヴェンの最初の墓があったヴェーリング墓地の近く。20区がアウガルテンの近くで、23区は、お屋敷街である13区の奥に広がる、庭付き一軒家が多い、緑豊かな閑静な住宅街です。
      オーストリア人と結婚してウィーンに住んでいる日本人にこの話をしたら、「いいところばっかり」と言われてしまったことがあります。
      最初に住んだのが4区、その次が3区、9区の順で、その頃には、16区や17区が労働者街でうら寂しく、21区などは、若い女性が独り歩きできる場所ではないということが分かってきて、そういうところは意識的に避けました。
      音大生などは、音を出せる環境ということで、中心部から離れたうら寂しい場所に住むことも多いようですが、あまり風紀の悪い地区は、若い女性にはお勧めできません。
      そういうことは、後輩たちにもきちんと伝えていきたいものです。
      -
      ウィーンがオスマントルコの侵攻を受けた頃は、戦争が起きると市民は城壁の中に逃げ込んでいたようですが、シューベルトの時代くらいには、既に旧市街の城壁の外まで市街地が広がっていたようですね。
      アン・デア・ウィーン劇場ができた際、ウィーンの旧市街から、現在のナッシュマルクト脇にあるアン・デア・ウィーン劇場まで、ガス灯が灯る街路ができたという話があります。
      モーツァルトの《魔笛》が初演されたのがアン・デア・ウィーン劇場ですから、その頃の話ですね。
      この辺りから、ウィーンの人口が増え、城壁の外にまで市街地が広がり始めた、逆に言えば、オーストリア継承戦争後は、マリア・テレジア女帝の許、オーストリアとウィーンは比較的平和だったのかな、と思います。
      その後にウィーンが侵攻されたのは、ナポレオン侵攻と、ナチス侵攻の時くらいかな?
      -
      旧市街の家は、表通りに面したアパートには比較的裕福な人が住んでいますが、ドームガッセ4の私が住んでいた部屋を含め、中庭に面した窓しかないようなアパートは、決していいアパートではないし、家賃も比較的安く、庶民的なのです。
      モーツァルトハウスの真向かいのドームガッセ4の大門は立派なのですが、中庭は極めて慎ましい。
      でも、中庭に小さなマリア様の祭壇があって、ちゃんと花が供えられているのです。そこがウィーンらしいところ。
      -
      でも私にとっては、どんなに慎ましい部屋でも、最上階に近い部屋で、シュテファン寺院の大鐘楼プンメリンの音を至近距離で聴けるというのは、至福の時でした。本当にいい音色なのです。
      そして、モーツァルトハウスの真向かいの大門を潜り、小さな細い路地を抜けて国立図書館に行き、帰りはウィーン国立歌劇場で立ち見でオペラを観て、ケルンテン通りの華やぎと賑わいの中でその余韻を楽しみ、ショーウィンドウを冷かしながら、シュテファン寺院前広場をぐるりと回って帰ってくる。
      片道10分足らずの距離なのですが、その道のりがまた楽しいのです。
      今にして思えば、一番幸せな時でしたね。あの生活に戻れるものなら戻りたいです。
      -
      このドームガッセ4のアパートは、階段も、塔の中にあるような狭い螺旋階段で、もちろんエレベーターなども全くない。私が住んでいたアパートでも、6区や12区の比較的新しいアパートにはエレベーターがありましたから。
      バドゥーラ=スコーダ宅があった8区のアパートにもエレベーターがあり、しかも彼が住んでいた最上階以外の階は、どうやら住宅ではなかったような。楽器関係の施設かな? と思うような。
      なるほど、そうでなければ、19区の庭付きお屋敷街の家を出て、8区に住んで、毎日自由に練習はできませんからね。
      *****
      (続く)

    • @erikasono565
      @erikasono565 5 หลายเดือนก่อน +2

      @@クラシック音楽奇譚
      (続き)
      ​*****
      ウィーン楽友協会は、あれだけの数の大作曲家の自筆譜を所蔵していながら、政府の資金援助を受けずに私設で成り立っている珍しい例です。
      ウィーンでも、図書館や資料館は国立、市立の場合が圧倒的に多い。但し、オーストリア国立図書館や、オーストリア国立文書館は、利用料を徴収しています。
      但し導入は大英図書館、フランス国立図書館などよりは遥かに遅れ、料金も割安です。大英図書館やフランス国立図書館の利用料は高いのですよ。
      大英博物館、大英図書館の資料のデジタル化は以前から少しずつ進んでいるようですが、あの利用料の設定からして、すべて無料公開にはならないのでしょうね……。
      -
      シューベルトの自筆譜が、自筆譜の過半数を所蔵するウィーン図書館音楽部門長のアイグナー氏の主導で、1999年にデジタル化してネットで無料公開されていることは、既に何度か書いたと思います。
      schubert-online.at/activpage/index.php
      この企画は、ニコラウス・デュンバが蒐集したシューベルトの自筆譜をウィーン市に遺贈したことで設立されたウィーン図書館音楽部門を中心に、オーストリア国立図書館音楽部門、ベルリン国立図書館、ノルウェーの国立図書館などが賛同し、無料で公開。
      schubert-online.at/activpage/index.php?top=5
      但し、シューベルトの自筆譜の中でも、兄フェルディナンドが所有していた交響曲やいくつかのオペラなどを遺贈したウィーン楽友協会資料室は、私設であり、資料の利用料を収入源としているため、この企画に参加していないのです。
      ウィーン楽友協会資料室所蔵分だけ有料にして公開することはで買ないか、という話は出ていたのですが、いったんデジタル化して公開してしまうと、いくらでも抜け駆けされてしまいますからね。難しいところです。
      いっそのこと、政府から補助金を受けて公立にしてしまえばよいのでしょうが、ウィーン楽友協会は、サリエリなどが尽力し、音楽が貴族の手から、市民によるコンサートに代わる時代を見越して作った施設。
      その伝統を受け継ぎ、ウィーンフィルの本拠地などとして活動を続けてきたので、そう簡単には政府の傘下には入りたくないのでしょうね。
      -
      心配なのは、昨年4月頃からかな? そのウィーン楽友協会ホールのコンサートが、今までのようなウィーンフィルなどのコンサートではなく、観光客向けのコンサートに変わってしまったこと。
      コロナ禍でオーストリアの観光業は大打撃を受け、博物館などの入館料も軒並み値上げされ、特にウィーン国立歌劇場の立見席は、5ユーロ前後から、一気に10ユーロ、そして13~18ユーロへと値上げされました。
      ウィーンフィルも本拠地を離れて海外に出稼ぎに出掛けているのか、音楽の都ウィーンは今後どうなるのか、と心配しているところです。

  • @santex1900
    @santex1900 5 หลายเดือนก่อน +1

    行ってみたらブラームスの墓だけ荒れていたとは・・・
    ブラームスとウェルテルといえば、アルトラプソディを思い浮かべます。
    ユーリエの死はショックだったでしょうね。

    • @クラシック音楽奇譚
      @クラシック音楽奇譚  5 หลายเดือนก่อน

      そうか、ゲーテとブラームス!
      またはユーリエとブラームス!
      ウェルテル四重奏のコンサートの私の台本は骨子はもうできているのですが、もうひとネタ捻り出せ、となってどうしようかなーと思っていたところでした。ゲーテとブラームスは掘り甲斐があるかもしれません。