補足になりますが、4WASの名称は後に2006年〜発売されたV36型スカイラインに“4Wheel Active Steering(四輪アクティブステアリング)”の名称でHICASの進化版をスポーツグレードに装着車を設定していましたので恐らく動画主はそれと勘違いしていたのだと思われます。あと余談になりますがNU12型ブルーバードのアテーサ(4WD)モデルには、4輪操舵(4WS)のHICASはリアサスペンションの構造上設定はされませんでしたのだけど。代わりに“STC-Sus(スーパートーコントロールサスペンション)”と呼ばれる簡易型後輪操舵機構(リアサスペンションのアームに操舵時の後輪に掛かる応力で同位相に後輪が追随する仕組みで他メーカーではマツダのFF車の後輪に装着されたSSサスペンションやFC3型サバンナRX-7の後輪に装着されたトーコントロール機構付マルチリンクサスペンション いすゞの三代目ジェミニの後輪に採用したニシボリックサスペンション等)を採用しています。こちらは次のU13型では2WDにも採用されたのだけど、一部のアテーサ4WDモデルにしか採用が拡大しませんでした。一方FRモデルはR31型スカイラインの88年に登場したGTSオーテックバージョンではHICASの代わりにトーコントロール機構を採用し、同年に発売されたS13型シルビアから採用された後輪マルチリンクサスペンションにはその機能を最初から備えています。とはいえラリーやダートラといった悪路を走行する競技では、故障等のトラブルや挙動が安定しないとかの理由で市販のトーコンキャンセラー等でトーコントロール機構を殺して走行するのがお約束みたいだったですね。
当時、日産系ディーラーに勤めていました。U12、懐かしいです。私の顧客の大半にU12を購入頂きました。勿論『R』バッジも販売しました。CAの方がSRに比べて軽く吹け上がる感じがしましたが、たった200c cの差で後期型は別物感がありました。カタログ上205PSですがCAの185PSと比べ20PS以上の感じがありました。しかしピックアップはCAの方が鋭かった。さすがコスワースって感じです。私的意見では日産はGTi-Rなんて『屑鉄』を造らずに、ブルを正常進化させれば良かったのにと思います。VR-4に比べ全長で40mm短く(4520:4560)、ホイールベースも50mm短い(2550:2600)。車重はブルの方がVR-4RSより100kg近く軽かった記憶が・・・。因みにブルの車重は後期型で1210kgだったかな?同じ2.0ℓで同じ205PS。SR20DETが4G63に負けていたのは『最大トルク』。28.0kg-m/4000rpm:30.0kg-m/3000rpmでVR−4の方がより高いトルクをより低い回転数で発生していた事。ラリーで扱いやすいエンジンは高回転高出力より低回転高トルク型の方が速いと個人的に思っています。あとホイールサイズが14インチの点。日産のエンジニアは結構知ったかぶりが多くて、ホイールサイズを過小評価する傾向が当時ありました。R32GT-Rでも16インチ、SSS−Rに至っては14インチ(のちのGTi-Rも14インチ)。国内レースでしか使用出来ない程の小径ホイール。しかしGT i−Rに比べてI/Cをエンジンの上に載っけてもエンジンルーム自体に余裕が若干あったので『屑鉄』よりは熱によるパワーダウンは酷くなかった。VR-4は意識して前置きI/Cだったので熱害によるパワーダウンは然程でも無かったのが羨ましかった。私自身はブルがU12からU13→U14とモデルチェンジしていき『R』バッジが消滅し、『屑鉄GT i-R』に肩代わりしたので、日産車には見切りをつけて『スバル レガシィ RS-type RA』を購入しました。白い目で見られましたが、サーキットでも草ラリーでもダートラでもお遊びレベルですがVR-4やGT i−Rより遥かに速かったので周りに何を言われても気にしませんでした。
プリンスと同じ中島飛行機の流れを汲むスバルは、当時は事実上日産の傘下だったからな。そもそも現在スバルのAWDに繋がる4WD技術はスバルの水平対向エンジンのFFを元に、ラリーでも定評があり当時はまだFRだった提携関係である日産の510ブルーバードのプロペラシャフトやデフそしてセミトレの独立懸架といったパワートレインを移植したのが始まりですからね。なのでブルのアテーサにしてもスカイラインのアテーサE−TSにしてもスバルとの関係が無ければ世に出ていなかったのだから、幾ら倒産寸前まで追い込まれていたとはいえ手放してしまった事は未だに悔やまれます。
6:26
4WASはHICASではなく、ABSのことです
当時、ABSがBOSCHの商標だったため、BOSCH製のユニットを搭載していないと名称が使えませんでした
なのでトヨタが4-ESC(Electric Skid Control)、日産は4WAS(4-Wheel Anti-Skid)、ホンダは4-ALB(4-wheel Anti-Lock Brakes)なんて名称使ってましたね
補足になりますが、4WASの名称は後に2006年〜発売されたV36型スカイラインに“4Wheel Active Steering(四輪アクティブステアリング)”の名称でHICASの進化版をスポーツグレードに装着車を設定していましたので恐らく動画主はそれと勘違いしていたのだと思われます。あと余談になりますがNU12型ブルーバードのアテーサ(4WD)モデルには、4輪操舵(4WS)のHICASはリアサスペンションの構造上設定はされませんでしたのだけど。代わりに“STC-Sus(スーパートーコントロールサスペンション)”と呼ばれる簡易型後輪操舵機構(リアサスペンションのアームに操舵時の後輪に掛かる応力で同位相に後輪が追随する仕組みで他メーカーではマツダのFF車の後輪に装着されたSSサスペンションやFC3型サバンナRX-7の後輪に装着されたトーコントロール機構付マルチリンクサスペンション いすゞの三代目ジェミニの後輪に採用したニシボリックサスペンション等)を採用しています。こちらは次のU13型では2WDにも採用されたのだけど、一部のアテーサ4WDモデルにしか採用が拡大しませんでした。一方FRモデルはR31型スカイラインの88年に登場したGTSオーテックバージョンではHICASの代わりにトーコントロール機構を採用し、同年に発売されたS13型シルビアから採用された後輪マルチリンクサスペンションにはその機能を最初から備えています。とはいえラリーやダートラといった悪路を走行する競技では、故障等のトラブルや挙動が安定しないとかの理由で市販のトーコンキャンセラー等でトーコントロール機構を殺して走行するのがお約束みたいだったですね。
これは日産ブルーバードSSS-RのU12型ですね。普通の廉価版モデルをラリーカーにしてすごいですね。私は日産U12型ブルーバードSSS-Rのデザインが大好きです。
ウチの家内の足車がコレです。
1.8Lの方ですが、新車で購入してもう20万キロ越えですが元気です。
もっとも、私のS54B-2はもうすぐ30万キロになるのですが…(^◇^;)
元…中の人がWRCにはブルーバードで参戦したいと直談判したと話してくれた、大人の都合でパルサーにされてたって、色々大変だよね…サラリーマンって。😂
エンジンスペースや排気熱の関係でしたっけ?
霊夢も魔理沙も相当なクルマオタクなのがこちらのチャンネルのユニークさ。
本来ブルーバードは5人乗りなのに、「専用リアシート」のSSS-Rは4人乗りらしい。ハチマルヒーローで見たんだけと理由は忘れた。
考えてみるとBNR32の開発理由に近いですよね、SSS-Rも。そこまでモータースポーツに熱かった日産は何処に…
自分がセリカGT-FOUR(165)からランサーGSR(CM5A)に乗り換えた頃、親友がセリカGT-R(162)からSSS-Rに乗り換えました。
そしてしばらくして自分がローン終らない内にエボ5に乗り換えたら、彼はレガシーGTB(セダンのMTの中古出るまで1年待ったらしい)になっていました。…やっぱロールバーの付いた競技車はファミリーカーにはムリらしいw
カルソニックブルーと言えば多くの人が星野一義さんとスカイラインGT-Rでしょうが、オイラにとっては綾部美津雄さんとブルーバードSSS-Rですネ!個人的に日産U12ブルーバードこそヘリテージ。「ブルーバードにならないか!」
私的には「日本一速い男」の称号を持つ星野一義氏やスカG乗りの第一人者長谷見昌弘氏が、このNU12型ブルーバードSSS−Rでサーキットとかダートコースそしてターマックやグラベルといったラリーステージ等でどの様な走りを見せてくれるか興味深いですね。
ギャランVR-4のライバルはこのブルーバードだったんだよね。後にレガシィに取って代わられてしまうけど。
u12はカッコよかったなぁ。b12サニーのvrとかk10マーチのRとかこの頃の日産車はスカイラインみたいにメジャーじゃないけど、マニアックな熱い車がありましたね(*´ω`*)
当時の日産、国内ラリー選手権に重きを置いていた。他社ディーラーにいたけどなんか羨ましかった。
E-38Aの活躍は関西在住のN選手に依る所が多いと思います。
関西在住なのにDCCSラリーで活躍出来たのは、降雪が少ない関西で雪が降ると
とある高地に練習に赴かれ、恵まれない環境で最大限の効果を出すべく鬼気迫る練習をされておりました。
氏の代名詞となっていた雪壁走りは竜神スカイラインで編み出された物だったのですよ。
個人的に自分の好きな車種の解説が多くていつも楽しく拝見させていただいています。いつも素敵な動画をありがとうございます!これからも陰ながら応援させていただきます。
実は、310サニークーペ後期最終に、RSってグレードが存在しました、スカイライン、シルビアよりも早いRSグレードです、RSの名称ですが、ラリースポーツの略称です、これを知っている人は流石に、なかなかいないだろうなぁ。
A型エンジンのEGI仕様で、SGX-Eから装備を簡略化したスパルタン仕様でした。
1800のSSS-R乗ってました、本当に楽しい車でした、あと30センチ、リアオーバーハング短ければ...お尻気にしながら走ったの覚えてます、最後は信号無視の車にズドンされて廃車でした😢
セダンがボディ剛性で有利なのは窓枠じゃなくセンターピラーの有無ね。当時日産はBピラーレスのハードトップをやってたけど、側突対策で絶滅しましたわ。
自分は土木技術者なんでとんちんかんなこといってるかもですが。学校で習ったのは金属はとにかくひっぱたくと強くなるで。って話でした。
マッチ棒みたいなのが真ん中で折れる座屈って破壊モードあるやないですか。あれ計算するとき近似的に真ん中にヒンジとうずまきスプリングとして置き換えしてたんすけど。このヒンジの発生が分子配列の血管。芋ののすから微小分子レベルの欠陥まで。こ割り箸が削ったところで割れるように強度の不均衡があるとそこに応力集中して破壊が進む。鋳物だと欠陥だらけなのでとにかくぶっ叩いて穴潰せと教わりました。
鉄はローラーで伸ばして作りますが洗車なんかでは均質圧延工版。ただロールするんじゃなくてたてよこななめとかけるんだそうです。高性能な刃物は日本等から肥後守までとにかくひっぱたきますしスバル360のショットピーニング。時計でも古いのは中の機会に趣向を凝らした模様だまスキン模様がありますがあれもおされだけってことでもなくストレス与えることによる高価も期待してるみたいです。
鉄の場合余った炭素捨てるとかそも温度や圧力で分子配列違ったり決勝サイズがどうのこうのとややっこしいです。アルミは健在にしないのででんでんわかりません。すみません。
ただ鋳造ホイールより鍛造ホイールのほうがはるかにいいのは多分近い話だと思います。金属疲労もこういう欠陥とか四角く切り欠いた角から成長したりするので飛行機の窓の書くはエンドリされてます。
まるっきりとんちんかんな事をいっているかもしれません。とにかく金属はなんでもぶったたきたくなる病気になってます。
日立金属やすき工場のよみものコーナーに鉄ですが熱処理とか分子構造強くする工夫などPDF資料がいっぱいあります基本は刃物鋼と鉄骨ですがおもろいかもです。なにしろここのATS-34とか404Cなんぞは検索するとうーじゃうじゃ。
後継車よりも出来が良かったが、前期のコスワースピストンは棚落ちが発生したそうだ
綾部サン、再車検で失格になりませんでしたっけ?
確かアフターファイアしながら走っていて、そこにクレームがついたんじゃなかったかな。
チーム側は「純正ノーマルだ!」と言い張っていたけど、
「ノーマル車両でマフラーから火を吹くクルマなどあるハズがない‼︎」の裁定で失格になった記憶がある。
実家にPDがあると思うのでまた見てみたいな。
3:40「お役所仕事だもの」確か国土交通省(当時は運輸省)の人が街の自動車整備工場を査察に行った際に、派手なカラーリングの車がいるので車内を覗いて、「なんだこれは、暴走族じゃねえか」と思ったらしく、それが新聞記事になって騒ぎが大きくなったと当時の自動車雑誌で読んだ記憶があります。
当時はマーチRも狂っていた
u12sss-rに2台乗りました。
クロスミッションでr32gt-rに負けない加速力、高燃費で良い車でした。
スタッドレス穿かすと雪道最強!
4人乗りなのはロールゲージが組んであり後部座席の両サイドが低く、高さが確保できない為に中央寄りの座席配置になっているためでした。
近所に一台SSS-Rのほぼ純正ワタナベ換装運転席レカロの車両が走ってます。後ろから見た時簡素なロールケージ付いてたからなんだ?って思ってましたが純正だったのね。末永く大事にしていただきたい。
U12のクロスミッションは5速が離れていたので町乗りにも使いやすくて良かったですね。
ダートラで走ってたら2速がぶっ飛んで終わっちゃいましたが・・・
ブリーバードやサニーやマーチがラリーで走っていた時代が懐かしい
パルサーGTI-Rも思い出して!
あれで日産のラリー活動がズッコケちゃったw
ラリー、パルサーうっ、、、、、、頭が
CA18DETの初期S13購入後、何故か?最果ての道東某所にSSSRの試作車が処分する為に入ってきて、無理言ってEXカムを譲って貰った平成2年。分かる人しか分からない理由w
懐かしいなぁー
親父にラリー観戦に連れてってもらった時にバリバリ走ってました。
その後草ラリーに出るにあたって買ったのはレガシィRS-RAだったけど…
レガシィRS-RA&RS-Rの解説もお願いします。
日産の最初のラリーで意外とセドリックがサファリラリーで入賞する快挙。ラリー初出場ではリタイアばっかりしてますけど初期のブルーバードがクラス優勝🏆️してます❗富士号が
1:46 往年の全日本ラリー仕様のランサーやTE27の頃だと公認改造車の時代でしたか、あの時代に国内チューニングカーのノウハウが蓄積されてきたんだなぁと感慨深いモノがありますねぇ。
( ;´∀`)そう考えるとラリー出走限定とは言え仮ナンバー発給される様になった今の全日本ラリーも考えてみるといい時代なのかも、と思いつつ純レーシングマシンになってある意味国際化したなぁとw
純正チューニングピストンって今でこそ英コスワースや米ワイセコ、独マーレやヴォスナー、日本のアートや戸田やHKSなどが出てきてますが、純正装着でかなりのプロファイルを持たせて出荷することってなかなか大変だったと思います。
日本でWRCが開催されるようになったけど、日本政府はいつも外圧に屈してるよな。
綾部さんのAE86のアヤベ塗装が懐かしいです スポンサー変わると看板屋に行って書き直ししてたなー
普通にラリー者や☺️
CAからSR20に変わる😊
いいね……
パルサーGTI-Rが出た後も前後重量配分とホイールベースの関係で操縦性がマイルドなU12ブルで全日本ラリー戦ってた人達が居たよね
まあ主力はギャランやレガシィで日産勢は少数派だったけど
全部公式の部品じゃないと車検通らない時代か...そう考えると、今のチューニング業界は幸福な時代だね。代償として、違法だからこそ何でもありのヤンチャ感は消えたけど。
今でもチューニングは車検素通しとなると自由なんて無いですよ
自由と無法は違いますよ。
S30Zは?510ブルは?シルビアは? 過去にも日産はラリーに力入れてたけど その辺教えてください 特にシルビアの角オーバーフェンダー好きでした
GTI-Rの前のパルサーR1に乗っておりました。
あの頃の日産は良かった🥲
私が初めて買った車がSSS-R今でも乗りたい車👍
ラリー仕様にする為ラリーショップでデフ3個入れて下さいって(笑)
FR乗りには分からないチューニングw
昔、友人が6ヶ月待ちで、入手して数ヶ月で廃車にしたのを、思い出した、車体が大きいと、愚痴っていたが後で買った
パルサーGTI‐Rよりもバランスが、良かったらしく、頭を抱えていた。
車そもそもの基礎体力はギャランVR4 RSのほうがうえだった❗
巨大インタークーラーと4G63が魅力❗
結局初期型セリカGT4 からギャランエテルナZR4 E39Aに乗り換えた
SR換装後のSSSーR乗ってたわ…
PS13で問題になりまくった、SR20のエンジンブロー問題、
このU12では問題にならなかったのかなあ?
GTI-Rも「ラリー」の「R」だったんだ・・・
綾部美津雄!高崎正博!
日産ラリー参戦復活してほしいですね
コメ欄を見ていると、意外に元オーナーさんが多くてビックリ!!
私の記憶では、ブルSSS-RとマーチRは購入に「要Bライ」だったような・・・・・・
4WDスポーツセダンの雄アテーサ リミテッド
日産、頑張ってくれぇ(; ̄ー ̄A
SSSR速かった
鍛造ピストンと言えばコスワースも有名だがマーレーも有名。GRヤリス、GR86のピストンバラバラ事件時にはまず頭に浮かんだわ!
ATTESAの原点
サイドのガラスも軽量化の為に薄かった
静音性もクソ喰らえな仕様
サファリラリー出場した車は現地で売却するか、廃車処分する悲劇の末路が待っている。
ブルーバードより、サニーが先よ。
B12のサニーVRは、LSDやクロスミッション、マフラーもVR専用ですよ。
オプションで、ロールバーやアンダーガードも選べる車でしたよ。
もう少し、お勉強して下さいねw
SSS-Rの発表発売は1987年9月(U12型発表と同時)、B12サニー1600VRの発売は1988年1月(後期型に追加)
4ヶ月ほどですが、SSS-Rの方が先ですね
310サニークーペ最終型にRS(ラリスポーツ)ってグレードありました、流石にこれを知っている人は、ほぼいないだろうな。
@s.nagichan 310末期時、サニー系ディーラー勤めでしたが知らなんだ。
そうそう、この時ギャランとカーオブ争いで敗れたんだ。あとで三菱の不正発覚して腹立ったなぁ!