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学生時代に下宿していたアパートが古すぎて室内と外の気温がほぼ同じでした。しかし、冬はこたつを布団3枚重ねで割と快適に過ごしていました。よくこたつ入ったまま寝落ちしていましたね〜若いから出来たことだと思います。
こたつは実家に有ります。スナック菓子、車の鍵、家の鍵、リモコン類、ティッシュ、新聞、コーヒー等の置き場としてもこたつは活躍しています。
子供の頃は、自宅が茅葺きの家だったけど、室内の温度=外気温 だった。江戸時代の家とあまり変わらない家だったから、昔は囲炉裏だけか頼りかな。関東地方なので冬の朝は寒くても昼は快晴なので、日が当たれば暖かくなるし。
同じく茅葺き、土間あり、障子張り。寒かった思い出しかないな。
雨と風が防げるだけで、体感温度は変わる物だよ。
家屋の中で焚き火が出来るってことは、換気バランスとしては過換気の状態だから発生した熱は大きな割合で茅葺き屋根に吸われ、熱効率としては非常に悪かったはず。
隙間風が有ろうが火が在る場所で過ごせる事に感謝でしょ?家の外の方が雨風しのげ無いから更に寒いよ。気象庁の想定だと直接、風が当たる時は体感気温約5℃下がる。雨で濡れた日に風に晒されると約10℃以上下がる。体温が31℃位に成ると低体温症で動けなくなるよ。
子供の頃田舎のおばあちゃんとこ行くと囲炉裏がある環境だった。現代的にアレンジされてたが、障子メインの部屋は寒かった。あれより寒い思うと正直地獄だわ。
家は隙間だらけだろうし薪も炭も集めるの大変だろうし、風邪、インフルなんか罹ろうものなら現代レベルの医者も居ないし薬も民間療法くらいしか無いし大変だと思うよ身を寄せ合ってなんとか凌ぐしかないよな
1300年から1800年頃って九州では桜島、霧島雲仙岳、本州では富士山、浅間山等の火山が噴火してるから火山灰で農業も大変だったでしょうね。
噴火と飢饉はセットでした。
エアコンと違い火鉢や囲炉裏はその周辺しか暖かくないので、本当に寒かったでしょう。住居も鉄筋コンクリートはまだなく木造なのですきま風がかなり寒かったと思う。
戦国小町苦労譚で一般庶民に布団が普及し始めたのは明治時代だと知って物凄く驚いた。それまでは板床に寝ござで、冬場は着物をありったけ被って寒さを凌いでたという衝撃の事実。時代劇の江戸時代風景は全くのフィクションだったと思い知った。
中国に赴任で住んでたが社会の底辺人などは布団と言える物を使わない人は現代でも多いぞジャンパーなど着込んで薄い掛着で寝てる人も多い
違います。「夜着」という、今で言う「着れる布団」のようなのを着て寝ていました。体に密着して隙間はないので、布団よりもむしろ暖かかった。
@@AB-mn6qb それも裕福な商家や武家屋敷の話で一般的な庶民はマジに真冬で凍4するレベルの暮らしだったそうです。
雪国のお金持ちだと馬と寝てた、なんて話もある。
会津地方に旅行に行った時に昔の古民家みたいな所で見たのは木の箱に藁ひいて寝床こさえてありました
俺も夜勤から帰ってきたら室温1℃とか全然ある暖房はつけないけど電気毛布、電気ベストで余裕で暮らせる。
おそらく夕食の後は稲わらを細かく切った藁屑を納戸に満杯にして家族全員裸になって飛び込んだのだ。遠野では昭和初期までそうだった、らしい。
めたんたんのナレーション本当助かる…
基本的に戦国時代の戦は武士も寒さが辛かったらしくあまり冬にはやらなかったそうだがもしやるのだったらきっと温石を懐に入れて戦ったに違いない❗️温石とは手頃な石を焚き火に入れて加熱して火傷しないように布に入れて温度調節したものだ.....おそらく時代は違うが八幡太郎義家の後三年の役の時もつかったんじゃないのかなぁ.....
温石は、俺がガキの頃使ってたぜ。今様のホッカイロだ。昼過ぎまで暖かいからな。
たしかに江戸時代に飢饉ありましたもんね。小氷河期だったのか。なら今は温暖化ではなく、小間氷期なだけかな。
人間ってよう今まで続いてこれたよな。ホンマ歴史と文化の造詣があるほど人間性の上限が広まるんじゃないかと思うわ。
この時代の冬用の農民の夜着という今の掛け布団見たけどボロボロのツギハギなんだけど、綿が干した枯れ草とか詰めてるんでよねー。。。
木綿の栽培がようやっと始まったかどうかって頃ですからねそれまでは綿と言えば真綿、つまり蚕の繭で絹にできない程度のものを使ったものだったから、とても高かったのんす、使えさえすれば暖かかったけど
現代もストレス社会だけど戦国の庶民は…すぐに死なないだけ良い時代なのだ
先祖が生き抜いて今の私がいる。
1:57これは、蓑というより茣蓙帽子(ござぼし)なのでは?。
コタツの起源から人間と一緒に利用してる猫かわいい
農民は着るものにも恵まれず、寒さの中で知恵を絞って生き抜いていたサバイバーだったんでしょうね。
そんな殿の為に、殿の為に草履を懐にて温めて来ましたm(__)m
草履じゃなくて、安全靴ですと殿!安全作業が第一で有ります😊❤️
囲炉裏や火鉢は子供の頃親戚のウチに有りましたが今思うと結構あったかかったなぁ…😊
自分も経験有るけど背中めっちゃ寒いんよね
ネコが火鉢にフンをして困ったことがあった。
7:10~ダウト。戦国時代、冬は戦が極端に少ない。戦は6月7月8月10月に集中している。
枝豆は寒さに弱いのに、奥州宮城の名産なのか…なんかスゲー
秀吉は能力もあったけど、それだけではなく天佑がボロボロと出てくる豪運の持ち主でもあった。能力だけで最後まで順調に出世したりできるんならみんなできてんだよね。謀殺された有能な偉人を何人も知ってる。
間氷期は氷期と氷期の間の温暖な時代の事で、間氷期に偶にある寒い時期を小氷期って言う。だから戦国時代は小氷期。囲炉裏が有るのは東日本に多く、竈門は西日本に多い。戦国が地獄なのは、冬に向けて溜め込む時期を狙っての合戦が多い。
ヨーロッパなんかもっとすごい状況、故に南方に活路を見出した後はご存知の通り占領と植民地支配の歴史
昔田舎の家にとまらせてもらったことがあります。囲炉裏が暖かかったです。春から秋にかけ薪を集めて冬使う。間伐材を1年くらい寝かせると程よく燃えたのだそうです。それと,めん入り布団ではなくて 藁 入り布団でした。藁の橋を集めてめんの代わりに入れてました。1年に一回藁を変えていたようですが、メン入り布団より暖かかった。
「めん」ってより「わた」かな
戦国時代の飢餓は、食糧不足が原因ではなく、食糧を買うお金を持っていなかったのが原因と言われていますね。その対策として、信長やその配下は何度も築城をしたのだそうです。築城のため人夫を雇い、そして、その人夫に賃金を渡して、それで飢えを凌がせたのだそうです。
餓えを救うために城を…とは思ってなかったです…ありがとう
上から目線で飢えから召せんもんな
ママ上チマチョゴリで草
当時は家屋に換気は一切考えられてないから、汚れた煙の中で生活することで眼病を患ってる人だらけだったみたいですね
だから目薬がめちゃくちゃ注目されたのか
煙って目に悪いのですね…
今って恵まれてるんだなぁ 幸せ見つけて生きよう
今は木造住宅すら隙間風なんてないしエアコン等冷暖房器具も1部屋に1台以上がデフォだし、いい時代になった
家の中と外気温が同じ訳は無い。廊下が冷蔵庫よりも冷たいからビールとかキリンレモンとかを冷やしてた。廊下で冷やすは今もしてる。
戦国時代は綿の布団なかったのかよ……
@user-hq5cw1ue3f筵(むしろ)とか藁製の物が多いから。余裕の有る農家は麻とかの布を使ってたんじゃないか?
@@話ズ あー……あれかぁ……あれで冬は寒いなぁ……
動物の毛皮も...って思ったけど、そもそも人の数に対して希少だし、処理の手間も多そうだし、最悪こっちが動物の餌になる時代だよな。
いや、村請成立以前に惣村で一括徴収する地下請があるわけで、流石に村請で戦乱が終わったってのは説明が苦しいだろ…
僧侶何かが着ていた、紙子とかは、古くからあった様ですが、紙も高いからな、後は、毛皮くらいか?履きものは、藁沓とかかな?
スカイリムってクッソ寒そうで地獄にしか思えなかったけど暖炉と布団があるだけマシな国だったんだな
人間に生まれたら『苦』ばかり一切皆苦技術の進んだ現在でも苦が多い、多すぎる。
こんな時代でよく子供増えたよなぁ庶民男女の力関係も気になるけど娯楽やSNSが無いとやっぱやるのか?
寒いから抱き合うのが一番の暖房
大飢餓で死に絶えた村もありましたね😢
日本全土が、ないなら奪うしか生きる術がない北方の騎馬民族状態といっても過言ではない時代だったのかな❓過酷すぎる😩
雪を燃やして暖を取ってる。クマも戸籍に入れてる
ザビエルもめっちゃ寒いってロヨラへの手紙に書いてたな〜山も盗賊がいるし…って…悲惨…(*´Д`)
こんな話は地方で違うと思う布蒲は元々蒲の穂で作られており江戸時代にはありました綿花の布団や絹の布団は大名や将軍家ぐらいしか使ってないでしょうね
紙装甲に隙間だらけのザルのような家、それが日本家屋。地震がなかったら欧州のようにレンガに暖炉だわな。
ホームレスも一番きつい季節は冬らしいからな。
冬は生活保護を受けて、春から秋まではホームレス。っていうのが上級ホームレスなんですよ。
@@七草葉絶対刑務所のがラクチンだよ…
褞袍の中に入れるのは「綿(めん)」ではなくて「綿(わた)」ですよ。
戦国時代は武士でも領主級の地位でないと布団なんて持ってなかった
そもそも戦国時代は略奪酷いから仕方ない。炬燵は江戸時代に流行り始めたんだっけか?
二毛作で食料供給が増えたというのと氷河期でそれがままならなくなるってのは少し意味不明だな。歴史学者はなーにを考えているのだろう。夏寒くなるとイネの生育が遅れ、冬作に移るのも難しくなる。同時にはできないのだ。二毛作ってのはキャンセルした方が良いだろう。住環境が良くなったりして乳幼児死亡が減ったなどの可能性を突き詰めた方が良い「清潔」な環境の導入で変わるものである。床が板張りになるだけで変わる。お産の時に産土に産み落とすのは、板を作れるようになるまでは砂が比較的に清潔だったからで、「板」の入手は鉄器文化とそろいのもの。そして完全に普及したのが平安末期だと推定できる。江戸時代にできたのだろう、産土を使う風習の村を馬鹿にする戯れ歌があるそうだ。丹波地方には遅くまで残ったようだ。
二毛作が始まったのは室町時代ですね。それで人口が増えたけど、だんだん小氷河期に向かうにしたがって食糧生産力が落ちていったのでは?
@@meaw2m19 20年、40年程度の時制スパンのズレですか。ハイわかりました。1~2世代挟むと酷いことになり得ますね。
石を焼いて布で包み懐に入れると思ってた
この時代のギャルの垢を食べたい
みの…もんた
オチなくね?
掛け合い漫才は不要だと思う。
ズンちゃん「にゃんまは、学歴の割には、将棋が強かったたり二段の方を倒した方倒したり、寒さ対策教えてのだ!」私「こたつから出ない!食料ならば、こたつの中でも、手にとって食べれる位置に」ズンちゃん「火鉢を使って」私「換気は?一酸化炭素中毒どしぬぞ😅🤩ノビシッ💓
みのを着る、みのもんた
学生時代に下宿していたアパートが古すぎて室内と外の気温がほぼ同じでした。
しかし、冬はこたつを布団3枚重ねで割と快適に過ごしていました。
よくこたつ入ったまま寝落ちしていましたね〜若いから出来たことだと思います。
こたつは実家に有ります。
スナック菓子、車の鍵、家の鍵、リモコン類、ティッシュ、新聞、コーヒー等の置き場としてもこたつは活躍しています。
子供の頃は、自宅が茅葺きの家だったけど、室内の温度=外気温 だった。江戸時代の家とあまり変わらない家だったから、昔は囲炉裏だけか頼りかな。関東地方なので冬の朝は寒くても昼は快晴なので、日が当たれば暖かくなるし。
同じく茅葺き、土間あり、障子張り。
寒かった思い出しかないな。
雨と風が防げるだけで、体感温度は変わる物だよ。
家屋の中で焚き火が出来るってことは、換気バランスとしては過換気の状態だから発生した熱は大きな割合で茅葺き屋根に吸われ、熱効率としては非常に悪かったはず。
隙間風が有ろうが火が在る場所で過ごせる事に感謝でしょ?
家の外の方が雨風しのげ無いから更に寒いよ。気象庁の想定だと直接、風が当たる時は体感気温約5℃下がる。
雨で濡れた日に風に晒されると約10℃以上下がる。
体温が31℃位に成ると低体温症で動けなくなるよ。
子供の頃田舎のおばあちゃんとこ行くと囲炉裏がある環境だった。現代的にアレンジされてたが、障子メインの部屋は寒かった。
あれより寒い思うと正直地獄だわ。
家は隙間だらけだろうし薪も炭も集めるの大変だろうし、風邪、インフルなんか罹ろうものなら現代レベルの医者も居ないし薬も民間療法くらいしか無いし大変だと思うよ
身を寄せ合ってなんとか凌ぐしかないよな
1300年から1800年頃って九州では桜島、霧島雲仙岳、本州では富士山、浅間山等の火山が噴火してるから火山灰で農業も大変だったでしょうね。
噴火と飢饉はセットでした。
エアコンと違い火鉢や囲炉裏はその周辺しか暖かくないので、本当に寒かったでしょう。
住居も鉄筋コンクリートはまだなく木造なのですきま風がかなり寒かったと思う。
戦国小町苦労譚で一般庶民に布団が普及し始めたのは
明治時代だと知って物凄く驚いた。
それまでは板床に寝ござで、冬場は着物をありったけ被って
寒さを凌いでたという衝撃の事実。
時代劇の江戸時代風景は全くのフィクションだったと
思い知った。
中国に赴任で住んでたが社会の底辺人などは布団と言える物を使わない人は現代でも多いぞ
ジャンパーなど着込んで薄い掛着で寝てる人も多い
違います。「夜着」という、今で言う「着れる布団」のようなのを着て寝ていました。
体に密着して隙間はないので、布団よりもむしろ暖かかった。
@@AB-mn6qb
それも裕福な商家や武家屋敷の話で一般的な庶民は
マジに真冬で凍4するレベルの暮らしだったそうです。
雪国のお金持ちだと馬と寝てた、なんて話もある。
会津地方に旅行に行った時に昔の古民家みたいな所で見たのは木の箱に藁ひいて寝床こさえてありました
俺も夜勤から帰ってきたら室温1℃とか全然ある
暖房はつけないけど
電気毛布、電気ベストで余裕で暮らせる。
おそらく夕食の後は稲わらを細かく切った藁屑を納戸に満杯にして家族全員裸になって飛び込んだのだ。遠野では昭和初期までそうだった、らしい。
めたんたんのナレーション本当助かる…
基本的に
戦国時代の戦は
武士も寒さが辛かったらしく
あまり冬にはやらなかったそうだが
もしやるのだったらきっと
温石を懐に入れて戦ったに違いない❗️
温石とは手頃な石を焚き火に入れて加熱して火傷しないように布に入れて温度調節したものだ.....
おそらく時代は違うが八幡太郎義家の後三年の役の時も
つかったんじゃないのかなぁ.....
温石は、俺がガキの頃使ってたぜ。今様のホッカイロだ。昼過ぎまで暖かいからな。
たしかに江戸時代に飢饉ありましたもんね。小氷河期だったのか。
なら今は温暖化ではなく、小間氷期なだけかな。
人間ってよう今まで続いてこれたよな。
ホンマ歴史と文化の造詣があるほど人間性の上限が広まるんじゃないかと思うわ。
この時代の冬用の農民の夜着という今の掛け布団見たけどボロボロのツギハギなんだけど、綿が干した枯れ草とか詰めてるんでよねー。。。
木綿の栽培がようやっと始まったかどうかって頃ですからね
それまでは綿と言えば真綿、つまり蚕の繭で絹にできない程度のものを使ったものだったから、とても高かったのんす、使えさえすれば暖かかったけど
現代もストレス社会だけど
戦国の庶民は…
すぐに死なないだけ良い時代なのだ
先祖が生き抜いて今の私がいる。
1:57
これは、蓑というより茣蓙帽子(ござぼし)なのでは?。
コタツの起源から人間と一緒に利用してる猫かわいい
農民は着るものにも恵まれず、寒さの中で知恵を絞って生き抜いていたサバイバーだったんでしょうね。
そんな殿の為に、殿の為に草履を懐にて温めて来ましたm(__)m
草履じゃなくて、安全靴ですと殿!
安全作業が第一で有ります😊❤️
囲炉裏や火鉢は子供の頃親戚のウチに有りましたが今思うと結構あったかかったなぁ…😊
自分も経験有るけど背中めっちゃ寒いんよね
ネコが火鉢にフンをして困ったことがあった。
7:10~ダウト。戦国時代、冬は戦が極端に少ない。戦は6月7月8月10月に集中している。
枝豆は寒さに弱いのに、奥州宮城の名産なのか…なんかスゲー
秀吉は能力もあったけど、それだけではなく天佑がボロボロと出てくる豪運の持ち主でもあった。能力だけで最後まで順調に出世したりできるんならみんなできてんだよね。謀殺された有能な偉人を何人も知ってる。
間氷期は氷期と氷期の間の温暖な時代の事で、間氷期に偶にある寒い時期を小氷期って言う。だから戦国時代は小氷期。
囲炉裏が有るのは東日本に多く、竈門は西日本に多い。
戦国が地獄なのは、冬に向けて溜め込む時期を狙っての合戦が多い。
ヨーロッパなんかもっとすごい状況、故に南方に活路を見出した後はご存知の通り占領と植民地支配の歴史
昔田舎の家にとまらせてもらったことがあります。
囲炉裏が暖かかったです。春から秋にかけ薪を集めて冬使う。
間伐材を1年くらい寝かせると程よく燃えたのだそうです。それと,めん入り布団ではなくて 藁 入り布団でした。
藁の橋を集めてめんの代わりに入れてました。1年に一回藁を変えていたようですが、メン入り布団より暖かかった。
「めん」ってより「わた」かな
戦国時代の飢餓は、食糧不足が原因ではなく、食糧を買うお金を持っていなかったのが原因と言われていますね。その対策として、信長やその配下は何度も築城をしたのだそうです。築城のため人夫を雇い、そして、その人夫に賃金を渡して、それで飢えを凌がせたのだそうです。
餓えを救うために城を…とは思ってなかったです…ありがとう
上から目線で飢えから召せんもんな
ママ上チマチョゴリで草
当時は家屋に換気は一切考えられてないから、汚れた煙の中で生活することで眼病を患ってる人だらけだったみたいですね
だから目薬がめちゃくちゃ注目されたのか
煙って目に悪いのですね…
今って恵まれてるんだなぁ 幸せ見つけて生きよう
今は木造住宅すら隙間風なんてないしエアコン等冷暖房器具も1部屋に1台以上がデフォだし、いい時代になった
家の中と外気温が同じ訳は無い。
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廊下で冷やすは今もしてる。
戦国時代は綿の布団なかったのかよ……
@user-hq5cw1ue3f
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@@話ズ あー……あれかぁ……あれで冬は寒いなぁ……
動物の毛皮も...って思ったけど、そもそも人の数に対して希少だし、処理の手間も多そうだし、最悪こっちが動物の餌になる時代だよな。
いや、村請成立以前に惣村で一括徴収する地下請があるわけで、流石に村請で戦乱が終わったってのは説明が苦しいだろ…
僧侶何かが着ていた、紙子とかは、古くからあった様ですが、紙も高いからな、後は、毛皮くらいか?
履きものは、藁沓とかかな?
スカイリムってクッソ寒そうで地獄にしか思えなかったけど暖炉と布団があるだけマシな国だったんだな
人間に生まれたら『苦』ばかり
一切皆苦
技術の進んだ現在でも苦が多い、多すぎる。
こんな時代でよく子供増えたよなぁ
庶民男女の力関係も気になるけど娯楽やSNSが無いとやっぱやるのか?
寒いから抱き合うのが一番の暖房
大飢餓で死に絶えた村もありましたね😢
日本全土が、ないなら奪うしか生きる術がない北方の騎馬民族状態といっても過言ではない時代だったのかな❓過酷すぎる😩
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ザビエルもめっちゃ寒いってロヨラへの手紙に書いてたな〜山も盗賊がいるし…って…悲惨…(*´Д`)
こんな話は地方で違うと思う
布蒲は元々蒲の穂で作られており
江戸時代にはありました
綿花の布団や絹の布団は大名や将軍家ぐらいしか使ってないでしょうね
紙装甲に隙間だらけのザルのような家、それが日本家屋。地震がなかったら欧州のようにレンガに暖炉だわな。
ホームレスも一番きつい季節は冬らしいからな。
冬は生活保護を受けて、春から秋まではホームレス。っていうのが上級ホームレスなんですよ。
@@七草葉絶対刑務所のがラクチンだよ…
褞袍の中に入れるのは「綿(めん)」ではなくて「綿(わた)」ですよ。
戦国時代は武士でも領主級の地位でないと布団なんて持ってなかった
そもそも戦国時代は略奪酷いから仕方ない。炬燵は江戸時代に流行り始めたんだっけか?
二毛作で食料供給が増えたというのと氷河期でそれがままならなくなるってのは少し意味不明だな。歴史学者はなーにを考えているのだろう。夏寒くなるとイネの生育が遅れ、冬作に移るのも難しくなる。同時にはできないのだ。二毛作ってのはキャンセルした方が良いだろう。住環境が良くなったりして乳幼児死亡が減ったなどの可能性を突き詰めた方が良い「清潔」な環境の導入で変わるものである。床が板張りになるだけで変わる。お産の時に産土に産み落とすのは、板を作れるようになるまでは砂が比較的に清潔だったからで、「板」の入手は鉄器文化とそろいのもの。そして完全に普及したのが平安末期だと推定できる。江戸時代にできたのだろう、産土を使う風習の村を馬鹿にする戯れ歌があるそうだ。丹波地方には遅くまで残ったようだ。
二毛作が始まったのは室町時代ですね。それで人口が増えたけど、だんだん小氷河期に向かうにしたがって食糧生産力が落ちていったのでは?
@@meaw2m19 20年、40年程度の時制スパンのズレですか。ハイわかりました。1~2世代挟むと酷いことになり得ますね。
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この時代のギャルの垢を食べたい
みの…もんた
オチなくね?
掛け合い漫才は不要だと思う。
ズンちゃん「にゃんまは、学歴の割には、将棋が強かったたり二段の方を倒した方倒したり、寒さ対策教えてのだ!」
私「こたつから出ない!食料ならば、こたつの中でも、手にとって食べれる位置に」
ズンちゃん「火鉢を使って」
私「換気は?一酸化炭素中毒どしぬぞ😅🤩ノビシッ💓
みのを着る、みのもんた
ズンちゃん「にゃんまは、学歴の割には、将棋が強かったたり二段の方を倒した方倒したり、寒さ対策教えてのだ!」
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ズンちゃん「火鉢を使って」
私「換気は?一酸化炭素中毒どしぬぞ😅🤩ノビシッ💓
ズンちゃん「にゃんまは、学歴の割には、将棋が強かったたり二段の方を倒した方倒したり、寒さ対策教えてのだ!」
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ズンちゃん「火鉢を使って」
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ズンちゃん「火鉢を使って」
私「換気は?一酸化炭素中毒どしぬぞ😅🤩ノビシッ💓