ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
ついこの間まで存在していた旧高山駅舎もキハ40も今では懐かしく感じてしまう。
朱色5号のキハ40、元気な姿をご覧になりたいなら、JR西エリアへどうぞ。津山線や山陰本線の城崎温泉~鳥取で今も走っている…と思います(ちょっと自信無いです)。
高山へは、久しく行っていないので、駅舎が変わったのは知りませんでしたが、やはり変わってしまったのですね。今度、見に行きたいと思います。
昔の高山駅懐かしいですね。
今とは違うなぁ懐かしいい高山駅だこの奥に旧高山機関区があった。
時代は、変わって行きますね。
お久しぶりです。国鉄色気動車やっぱりいいですねキハ82はまつかぜ1号大阪 鳥取まで学生時代乗りました。当時は食堂車キシ80がついていて食事したのがいい想い出です。キハ28 561番好きだった車両で丹波号だいせん号にはとりわけ良く乗りました。
山陰地方の列車によく乗られているのですね。国鉄気動車ももう昔の時代の車両になってしまいましたね。高山本線には、電化してないのに電車が走る時代ですから。
2008〜2010年頃まで国鉄時代の急行型車両が全国で数多く残っていた印象がありましたが、現在では絶滅寸前なので、このチャンネルの動画はとても価値があると思います!
ありがとうございます。高山本線は、今はキハ85が廃止に近づいているみたいですね。この時代は、1日に1往復のキハ85が走っていたのです。
キハ82系の特急ひだは名古屋~高山間を約2時間50分で走っていたのですね。キハ85系は2時間10分~2時間30分なので結構な性能差があったことがわかります。字幕が入っているおかげで貴重な資料映像になりました。
走行時間までは、気にしていませんでしたが、そう言う違いがあるのですね。まあ、そうでなければ、進歩って無いですからね。
キハ82系走ってる姿を見たかったです(ノД`)貴重な映像ありがとうございます!
いいえ、どういたしまして。
俺はまだ子供時代だったクイズダビや加藤や志村がやってた
その時代の鉄道ですね。
ナレーションでHC85系がパンタグラフを装備していたら…、に思うことがありました。かなり昔のことに加えて、既にご存知かもしれませんが、20系客車の電源車「カニ22形」です。電化区間はパンタグラフで集電してMGからサービス電源を供給しました。非電化区間はディーゼル発電セットより給電しました。一見合理的に思えましたが、車体の重量が重くなりすぎて、後にパンタとMGは撤去されました。
キウイキウイさん、パワーエレクトロニクスがない時代のカニ22は電気機器が大きく重くなりすぎ失敗したんです。今のように電気変換装置が軽くなれば可能性ゼロではなくなるんですが。HC85はクルマに例えると日産ノートe-POWER/三菱アウトランダーPHEVになるんじゃないですか?PHEV(プラグインハイブリッド)なら電圧さえ調整すれば電化区間でパンタ上げて充電しながら走ることもできそうですよ。
私も、カニ22の事は、良く知りませんが、非電化区間も走っていたのですか?パンタの重さは、大したことはないと思いますが、MGが重たかったのでしょうね。
動画主さんのおっしゃる車両は烏山線&男鹿線で走ってますね😉
こんばんは。小京都・高山、いいですねぇ。僕は二度、訪れたことがあるけど、生憎いずれも短時間の滞在で、ゆっくり情緒を堪能することが出来ませんでした。高山本線の沿線風景、まさに日本のふるさと、と云う感じがします。へぇ、電気式ディーゼルが「エンジン→モーター」なら、ハイブリッドカーは「エンジン→バッテリー→モーター」なんですね。その分重量は重くなりそうだけど、それでも普通の電気式ディーゼルよりも進化した側面があるのでしょうね。キハ80系の歴史を垣間見れば、この時期は既に晩年に当たりますが、この「ひだ」、車輌がピカピカで若々しいのが嬉しい。これでJNRマークだったなら、もっとよかった。それと、ハイパワー・キハ65系って、どうして58系のように、つまりスタンダード形式になれなかったのでしょうか?
ハイブリッドカーの形式は、モハとかクモハらしいですね。名古屋の80系は、意外と綺麗になってましたね。キハ65なんですが、58系のスタンダードと言うと、例えば、折り畳みドアーの採用や、165系のようなユニット窓採用の事なのかな?58系との塗装に段差が付くことなのでしょうか。
@@HobbyVideos 様。キハ28・58のDMH17エンジンは非力で、勾配線区では2エンジン車ばかりで組成しないとならないが、そうすると冷房用発電機を搭載出来なくなる。キハ65は勾配線区の急行列車のスピードアップに寄与した筈なのに、結局58にとって代わることなく少数派にとどまったのは何故でしょうかねぇ?
詳しい事情は分かりませんので、憶測になるのですが、キハ65は、これ位形式だけでしたね。初めから、キハ28・58の間に組み入れて、使うつもりで作ったのではないでしょうか。高出力のエンジンで、冷房用発電用エンジンをつんだ車両を58に組み入れるために作られたのではないかと思います。実際そのような使い方でしたね。中央西線のちくま等は、キハ57にキハ65が繋がっていました。
@@HobbyVideos 様。成程。基本は58で、65はその至らぬところを補うためのサポート役として開発されたですね。昭和40年代中期、591系電車が試作された背景には、勾配線区の高速化にはパワーよりも曲線通過性能の向上が肝要だとの認識があったのでしょう。古い時刻表を紐解くと、特急「しなの」は381系電車になったことで、急行とさして変わらぬ速さだった181系ディーゼル時代よりも名古屋~塩尻で凡そ30分の時短を成し遂げていますね。
なるほど、58のサポート役と言う言い方。うまい良い方かも知れませんね。ただ、なぜ、58と同じ形状にしなかったのかと言う事に疑問がありますね。ユニット窓の採用や、折り畳みドアーなど。58と連結すると、凸凹な感じになってしまいます。 特急「しなの」は、勾配区間を走るため、やはりパワーも必要だったのでしょう。急行とさして変わらぬ速さと言うのは、カーブも多かったためなのかな。カーブの通過性能とパワーの両方が必要がったのだと思います。
今は亡きワイドビューひだ
はい
懐かしいですね、富山行の急行「たかやま」
急行「たかやま」は、飛騨古川までなんです。この当時「のりくら」が、富山まで行っていました。JR特急が、高山や飛騨古川止まりだったのです。
和風でいいですね❗
はい。
ついこの間まで存在していた旧高山駅舎もキハ40も今では懐かしく感じてしまう。
朱色5号のキハ40、元気な姿をご覧になりたいなら、JR西エリアへどうぞ。津山線や山陰本線の城崎温泉~鳥取で今も走っている…と思います(ちょっと自信無いです)。
高山へは、久しく行っていないので、駅舎が変わったのは知りませんでしたが、やはり変わってしまったのですね。
今度、見に行きたいと思います。
昔の高山駅懐かしいですね。
今とは違うなぁ懐かしいい高山駅だこの奥に旧高山機関区があった。
時代は、変わって行きますね。
お久しぶりです。
国鉄色気動車
やっぱりいいですね
キハ82は
まつかぜ1号
大阪 鳥取まで
学生時代乗りました。
当時は
食堂車キシ80が
ついていて
食事したのが
いい想い出です。
キハ28 56
1番好きだった
車両で
丹波号
だいせん号には
とりわけ良く
乗りました。
山陰地方の列車によく乗られているのですね。
国鉄気動車ももう昔の時代の車両になってしまいましたね。
高山本線には、電化してないのに電車が走る時代ですから。
2008〜2010年頃まで国鉄時代の急行型車両が全国で数多く残っていた印象がありましたが、現在では絶滅寸前なので、このチャンネルの動画はとても価値があると思います!
ありがとうございます。
高山本線は、今はキハ85が廃止に近づいているみたいですね。
この時代は、1日に1往復のキハ85が走っていたのです。
キハ82系の特急ひだは名古屋~高山間を約2時間50分で走っていたのですね。
キハ85系は2時間10分~2時間30分なので結構な性能差があったことがわかります。
字幕が入っているおかげで貴重な資料映像になりました。
走行時間までは、気にしていませんでしたが、そう言う違いがあるのですね。
まあ、そうでなければ、進歩って無いですからね。
キハ82系走ってる姿を見たかったです(ノД`)
貴重な映像ありがとうございます!
いいえ、どういたしまして。
俺はまだ子供時代だったクイズダビや加藤や志村がやってた
その時代の鉄道ですね。
ナレーションでHC85系がパンタグラフを装備していたら…、に思うことがありました。かなり昔のことに加えて、既にご存知かもしれませんが、20系客車の電源車「カニ22形」です。電化区間はパンタグラフで集電してMGからサービス電源を供給しました。非電化区間はディーゼル発電セットより給電しました。一見合理的に思えましたが、車体の重量が重くなりすぎて、後にパンタとMGは撤去されました。
キウイキウイさん、パワーエレクトロニクスがない時代のカニ22は電気機器が大きく重くなりすぎ失敗したんです。今のように電気変換装置が軽くなれば可能性ゼロではなくなるんですが。HC85はクルマに例えると日産ノートe-POWER/三菱アウトランダーPHEVになるんじゃないですか?PHEV(プラグインハイブリッド)なら電圧さえ調整すれば電化区間でパンタ上げて充電しながら走ることもできそうですよ。
私も、カニ22の事は、良く知りませんが、非電化区間も走っていたのですか?
パンタの重さは、大したことはないと思いますが、MGが重たかったのでしょうね。
動画主さんのおっしゃる車両は烏山線&男鹿線で走ってますね😉
こんばんは。
小京都・高山、いいですねぇ。僕は二度、訪れたことがあるけど、生憎いずれも短時間の滞在で、ゆっくり情緒を堪能することが出来ませんでした。
高山本線の沿線風景、まさに日本のふるさと、と云う感じがします。
へぇ、電気式ディーゼルが「エンジン→モーター」なら、ハイブリッドカーは「エンジン→バッテリー→モーター」なんですね。その分重量は重くなりそうだけど、それでも普通の電気式ディーゼルよりも進化した側面があるのでしょうね。
キハ80系の歴史を垣間見れば、この時期は既に晩年に当たりますが、この「ひだ」、車輌がピカピカで若々しいのが嬉しい。これでJNRマークだったなら、もっとよかった。
それと、ハイパワー・キハ65系って、どうして58系のように、つまりスタンダード形式になれなかったのでしょうか?
ハイブリッドカーの形式は、モハとかクモハらしいですね。
名古屋の80系は、意外と綺麗になってましたね。
キハ65なんですが、58系のスタンダードと言うと、例えば、折り畳みドアーの採用や、165系のようなユニット窓採用の事なのかな?58系との塗装に段差が付くことなのでしょうか。
@@HobbyVideos 様。キハ28・58のDMH17エンジンは非力で、勾配線区では2エンジン車ばかりで組成しないとならないが、そうすると冷房用発電機を搭載出来なくなる。キハ65は勾配線区の急行列車のスピードアップに寄与した筈なのに、結局58にとって代わることなく少数派にとどまったのは何故でしょうかねぇ?
詳しい事情は分かりませんので、憶測になるのですが、キハ65は、これ位形式だけでしたね。
初めから、キハ28・58の間に組み入れて、使うつもりで作ったのではないでしょうか。
高出力のエンジンで、冷房用発電用エンジンをつんだ車両を58に組み入れるために作られたのではないかと思います。実際そのような使い方でしたね。
中央西線のちくま等は、キハ57にキハ65が繋がっていました。
@@HobbyVideos 様。成程。基本は58で、65はその至らぬところを補うためのサポート役として開発されたですね。
昭和40年代中期、591系電車が試作された背景には、勾配線区の高速化にはパワーよりも曲線通過性能の向上が肝要だとの認識があったのでしょう。古い時刻表を紐解くと、特急「しなの」は381系電車になったことで、急行とさして変わらぬ速さだった181系ディーゼル時代よりも名古屋~塩尻で凡そ30分の時短を成し遂げていますね。
なるほど、58のサポート役と言う言い方。うまい良い方かも知れませんね。
ただ、なぜ、58と同じ形状にしなかったのかと言う事に疑問がありますね。ユニット窓の採用や、折り畳みドアーなど。58と連結すると、凸凹な感じになってしまいます。
特急「しなの」は、勾配区間を走るため、やはりパワーも必要だったのでしょう。急行とさして変わらぬ速さと言うのは、カーブも多かったためなのかな。カーブの通過性能とパワーの両方が必要がったのだと思います。
今は亡きワイドビューひだ
はい
懐かしいですね、富山行の急行「たかやま」
急行「たかやま」は、飛騨古川までなんです。この当時「のりくら」が、富山まで行っていました。
JR特急が、高山や飛騨古川止まりだったのです。
和風でいいですね❗
はい。