【大熱戦‼ 女王奪還】1991年 女子バレー 日本リーグ 優勝決定戦【日立vsユニチカ】

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  • เผยแพร่เมื่อ 20 ส.ค. 2024
  • 【1990年度・第24回女子バレー日本リーグ】長いリーグ戦の末、優勝マジック1に迫った日立が古豪ユニチカと対戦。
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    00:00 Opening
    02:14 1st set
    08:37 大林のクロス
    11:48 福田のストレート
    15:55 ここから生中継
    28:38 白熱の後半戦
    40:38 吉原の一人時間差
    44:54 Ending
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    前回大会、故障明けの選手が多く、不本意な4位と惨敗した女王日立。1990年春には教員志望だった廣紀江が大学院を卒業と同時に引退(嘱託社員として週末だけ日立に参加していた)、中田久美も進退を迷い、長期休養を取るなど、紆余曲折はあったものの、『勝つために帰ってきた』と復帰を決意。女王奪回に向け、中田大林吉原福田の不動の4人に中田不在の間、セッターを務めていた永富をセンターにコンバート、レフトは三木恵と守備の堅いメンバーで補強し、大エース格の大林が前から後ろから縦横無尽に攻めるスタイルで日本リーグ優勝を目指した。
    前回大会覇者のイトーヨーカドーとの開幕戦を制すると、勢いに乗り、13勝1敗※で予選1位通過。2位のヨーカドーが4敗したため、上位4チームによる最終順位決定リーグを、あと1勝すれば優勝が決まるマジック1で迎えた。その初日の相手は『目の前での日立優勝は必ず阻止する』と燃える古豪ユニチカ(予選4位)。予選では日立が簡単にストレート勝ちしていたが、伝統の粘りのバレーで試合は大熱戦となった。
    ※日立の1敗は妹分の小田急(山田重雄がバレー部創設に関わり、元日立の岩本監督や高橋有紀子、藤田幸子等が移籍)にフルセット負け。
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    ●日立スタメン(1990年度)
    中田久美 176㎝(305㎝)25歳
    大林素子 182㎝(324㎝☆)23歳
    吉原知子 180㎝(313㎝※)21歳
    永富有紀 173㎝(295㎝※)21歳
    福田記代子 178㎝(315㎝)20歳
    三木恵 177㎝(298㎝)21歳
    ・サブレギュラー
    川瀬ゆかり 182㎝(307㎝)23歳
    ☆1994年のプロフィールより
    ※1998年のプロフィールより
    引退した廣紀江の穴を永富有紀が埋めるという山田マジック。翌年には多治見麻子が加入し、選手が揃ってくるが、過渡期ならでは采配で見事、優勝をさらった。以降、日立は日本リーグ4連覇、第4次黄金期に突入する事になる。
    なお、中田大林吉原は1988年度の優勝メンバー。当時、三木恵も控えとして優勝決定戦では怪我で離脱した藤田幸子の穴を埋めていた。その後は馬場洋子、サウスポーの永富や村田美穂をレフトにコンバートするなど、試行錯誤を重ねるが、常にレフトエースが1枚足りない状態で、全日本ではダイエーの山内美加の力を借り、日立で勝ちに行きたい試合では手堅く三木恵を起用する事も多かった。
    福田記代子は長年、エースとして日立を支えた杉山加代子(1989年引退)と入れ替わる形で、前年から期待されていたが、肩の怪我で1989年度は不本意なシーズンを送り、この年、本格エースへの道を歩み始め、1992年のバルセロナ五輪後に開花。1994年の横田JAPANの時代には大きなトスは大林よりも福田にあがる事も増えていたが、一連のプロ化騒動で大林吉原が抜けると、日立は福田のワンマンチームになってしまい、ひざを故障、アトランタ五輪を逃す。以降、多治見と共に最後まで日立に留まり、日立廃部(2001年)と共に引退。全盛期の福田は歴代でもトップクラスの高さ、決定力を誇っていただけに、1994年が運命を分けてしまった。
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    ●伝統の一戦
    ユニチカの前身は大松博文が率いた東洋の魔女・日紡貝塚。東京五輪後に大松が監督を引退、四天王寺高校の監督だった小島孝治が引き継いだが、都立の三鷹高校を全国優勝に導いた山田重雄が日立バレー部を創設するとメキシコ五輪前には日本一を奪われ、その辺りから因縁が続く。日立がプロ野球の巨人なら、ユニチカが阪神の位置づけで、全日本の主導権争いを含め、東西でライバル関係にあったが、1980年代以降、ユニチカは低空飛行が続き、上位争いに絡めない年も増えていた※。
    ※Vリーグの前身である日本リーグ(1967~1993年度)全27回中、日立は18回優勝、ユニチカは優勝5回。1980年度以降に限れば、日立は14回中、11回優勝と圧倒的で、ユニチカ、日本電気、イトーヨーカドーが各1回。
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    ●山田日立
    創部間もないチームで、第1回の日本リーグ優勝。山田重雄が構想通りにチームを組めた時は、国内で独走状態になる事が多く、高さとコンビバレーで黄金時代を築き、※主力選手の引退等、世代交代で冬の時代が訪れると、他チームの台頭を許すも、再び、新たなチームを作り上げ、席巻する事を繰り返した。
    ※1970年代当時は、20代前半で選手達が結婚適齢期を迎え、五輪後に引退してしまう事に山田自身、頭を悩ませていた。日本は五輪のたびにチームを組み直す必要があり、国内での勢力図も変わっていたが、ライバルのソ連は結婚後も主力選手はチームに残っていた。
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    ・第1次黄金期(1967年度~)は生沼スミエ、高山鈴江のセンターのツーセッターで2連覇。主力メンバーでメキシコ五輪を戦い、銀メダルを獲得。
    ・第2次黄金期(1973年度~)は大エース白井貴子、名セッターの松田紀子などで5連覇。主力メンバーで1974年の世界選手権、76年五輪、77年W杯と世界大会、三冠獲得。
    ・第3次黄金期(1981年度~)は中田江上三屋、小高杉山森田の不動の6人で、3年連続の全勝優勝を飾り、ほぼオール日立の陣容でロス五輪銅メダル。26歳トリオの江上三屋森田が引退した後は、世代交代しながら日本リーグ記録である88連勝、6連覇まで記録を伸ばした。
    ・第4次黄金期(1990年度~)は中田大林吉原などで2連覇した後、主力メンバーでバルセロナ五輪5位。中田引退後は、永富が後継セッターとして、4連覇まで記録を伸ばした所で、日本リーグのプロ化構想が持ち上がり、一連のトラブルで山田日立は終焉を迎えた。
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    結局、リーグのプロ化は見送られたが、1994年度のVリーグ化は確定事項だったので、日立は米田監督を呼び戻し、山田色の強かった大林吉原を解雇。大林と吉原の所に村田美穂と江藤直美を入れた純血(日本人のみ)のチームで第1回Vリーグに臨んだが、キューバのルイスやアメリカのワイショフ等の豪華な助っ人外国人を入れたダイエーが優勝、日立は3位に終わった。
    以降、翌年には永富、2年後には村田も東洋紡へ移籍するなど、求心力を失い、実業団リーグへの降格も味わうなど、廃部へのカウントダウンは始まっていた。仮定ではあるが、第4次黄金期のメンバーでVリーグを戦っていれば、純血メンバー(日本人のみ)での戦いも【ほぼ全日本 VS 世界のトップ選手】の構図で興味深いものになったのではないか。また、一連のプロ化騒動の影響はその後の全日本にも暗雲をもたらし、女子バレー界にとっては運命を分けた1994年となってしまった。
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