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動画でご指摘の通り、東武は日光だけでなく奥日光・鬼怒川も含めた面的な支配が出来たのに対し、国鉄の日光の位置付けは伊豆やその他もろもろも抱えていた観光地の一つで終わってしまったのも理由でしょう。東武にとって、(最近はスカイツリーや川越もありますが)日光エリアは自社線での都内からの輸送を含めたパッケージで取り込めた唯一の観光地であったことも大きいです。今や、東武の開発力無くして日光の振興は無く、日光無くして南栗橋から北の東武線の存在意義無し、という一蓮托生の関係にあると言って過言ではありません。惜しむらくは、自社線での輸送が出来ないことから平成にリストラしてしまった伊香保や水上、那須の存在ですね。近鉄だったら日光も伊香保も水上も全部頑張れたかもしれません。
🤔名阪間関西線で名古屋から天王寺・湊町にキハ80系特急あすかを運行本数増やしたいがやはり距離がギリギリセーフかアウトか
東武は赤城山も撤退しちゃいましたね
自由研究の題材としてかなり深く調べたので結構詳しく知っているのですが、東武はもともと葛生から延伸する計画だったのを、他社(資金力がなく免許が下りず)の延伸計画を流用して直線的な今の形になったのだそうです。
鶴田駅前に住んでいたことがある私としては、感慨深い内容でした。
JR日光線も、地元輸送に徹して、東武が観光輸送に特化は、初耳です。宇都宮はライトレールの開業で、ますます賑わってきてますので、JRもライトレールと共に頑張ってほしいですね。
一年前に日光線に乗車しました。鐡坊主さんのおっしゃる様に通学客と外国人が多いと感じましたね。
日光、今市、鹿沼辺りから日光線で高校や大学に通う人が結構多いと思います。そっちの用途ではJR日光線は観光集客にはデメリットだった宇都宮駅直結がむしろ強みになっているのではないでしょうか。
これは伊勢における近鉄とJRにも通じるものがありますね。
伊勢志摩の近鉄とJRも機会あれば取り上げていただきたいですね。
同じ四日市とは思えないほど両社の駅は対照的。今のJR東海はリニアに夢中だから、鳥羽まで全線複線電化とか望むべくもなく。。
JR四日市駅の主たるお客さんは人ではなく貨物でしょうね。
今の「日光」の状態ってロマンスカー「ふじさん」に通ずるものがあると思いません?
@@湯之峰delta-交通研究部 さんちょっと関西人なもんで肌感覚的な関東の事情は分からないですね。押され気味ってことことですかね
浅草まで行かずとも、新宿池袋から日光鬼怒川へ乗り換え無しで行けるようになっただけでも万々歳です。
国鉄と私鉄の違いをあらためて感じる興味深い動画でした。私は両方のルートで日光に行ったことがありますが、東武は新栃木以北の人口が少ないのが特急にとっては有利となりましたね。
駅舎はJRのほうが風情がある気がするんですよね〜
皇族の利用が想定されていた。貴賓室も残されている。
伊勢志摩における近鉄とJR東海(国鉄)の関係と似ているように感じます。JRは快速みえ号しか走っていないのに対して、近鉄はしまかぜや伊勢志摩ライナー、Aceなど様々な特急列車を用意して観光客を迎えていますね。
そりゃJRは守備範囲が広いから1つの観光地に力を入れにくいだろ
いつもためになる内容ありがとうございます。日光については東武の圧勝は当然のようですが、その勢いで野岩鉄道経由の会津のアクセスもだいぶ改善しましたね。この距離になると新幹線の優位性もあるでしょうが、かつての在来線の特急あいづなどの運用なども含め、このあたりも興味深いです。
いつも楽しく拝見しています。今回の動画興味深く視聴しました。東武鉄道にとって東武日光線は背水の陣を敷いて取り組まなければならないほど事業運営を左右する重要な路線だったこと、そしてそれが日光における大規模観光資本の投下に向かわせ、当時の国鉄に負けるわけにはいかなかったたという指摘は激しく同意します。
日光また行きたいですね!!
貴重な動画をありがとうございます。ちょうど40年前の夏、日光に行くときに浅草駅から東武のDRCに乗車しました。あの時の浅草駅でのDRCの偉容は言葉を絶するものでした。今も東武鉄道に乗るたびにその時のことを思い出します。国鉄が戦前に雀宮~鶴田の短絡線を計画していたのは初耳でした。全国ネットで特定の地域だけを重視出来ない国鉄の体質が如実に現れた例のひとつと言えそうですね。
鐵坊主さんの「国鉄(JR東)と東武鉄道では、日光の重要性が全く違う」という考察には、なるほどなと納得いたしました。以下は余談ですが、たしか2020年頃(350系の定期運用終了)まで東武鉄道は、浅草駅と東武宇都宮駅を約110分(約1時間50分)で結ぶ「特急しもつけ」を一日一往復だけ運転しておりましたね。「特急つもつけ」は東武宇都宮線を走る唯一の優等列車でしたが、所要時間では上野駅と宇都宮駅を約100分(約1時間40分)で結ぶJR東の宇都宮線普通列車にも負ける鈍足特急だったのは懐かしい思い出です。これも浅草駅と東武宇都宮駅を遠回りで結ぶ東武鉄道と、上野駅と宇都宮駅を最短距離で結ぶJR東との、列車運行の重要性に対する考え方の違いでしょうね。
東武は特に大阪方面の客を引っ張ろうと躍起になっていた。「♪ 走る走る東武 乗ろうよ東武のロマンスカー」というCMは、なんと、大阪ローカルの番組であった、朝日放送の「道頓堀アワー」(毎週土曜日午後2時)で打たれ、東武はその番組のスポンサーであった。その際、「大阪から5時間」ということを殊更うたい文句としていた。国鉄には、そうしたCMを打てるわけがなく、東武の日光に対するこだわりが、今思うとひしひしと感じた次第。
関東ではTBSで近鉄の真珠の小箱が放送されていましたが、その逆バージョンですね。
今は無いけど、福山のと~ぶホテルに東武特急の看板があって、ずいぶん離れたところでも事業展開していたことにビックリ。
あー、なるほどです。数年前まで阪急大阪梅田駅の券売機の上の方に奥日光の中禅寺湖・男体山の写真パネルが数枚掲げられていたのはその表れ?誰も気づいてないようでしたが
『快獣ブースカ』の再放送をたまたま観たとき、ちょうど日光が舞台でした。中禅寺湖周辺なんかただただ葦原が広がっているだけで民家すらもなく、そこから魅力を引き出して観光地化したのはすごいなと思います。
3:53 157系に目が行きがちですが、これ以前に走っていたキハ56も注目に値します。上野日光間を東武と並ぶ2時間4分(157系との差はわずか7分)で結び、のちに九州の急行運用で特急並みの時間をたたき出しているのです。
キハ55ですね。スピードは速かったものの車内設備やサービスは東武の1700に及ばなかったものと思います。浅草よりも上野駅の立地の良さでカバーしたのでしょう。一点集中型の私鉄と異なり、全国的なレベルの底上げを必要とした国鉄では日光線だけ特別扱いするわけにもいかなかったものと思います。
国鉄日光線が鹿沼経由ではなく、日光街道に沿う形で敷設されていたらまた違った展開になったんだろうなと妄想してみたり
野洲⇒野州ですねJR日光線に乗りましたが、どうみても通勤通学客の路線という感じでしたその割には駅間が長いうえに単線である以上、どうみても東武に観光面では勝ち目がないでしょう振り切って地域輸送、通勤通学路線に特化するなら、駅の増設を考えてもいいのかなと思ったりもします特に鶴田-鹿沼、鹿沼-文挟は8km超えという一駅間が尋常ではない長さなので、栃木県の経済同友会が鶴田-鹿沼間への新駅設置を提言しているくらいですし、自治体などと協調したうえで路線の活性化も含め、新駅設置を軸にした地域開発も兼ねた路線づくりを考えてもいいのかなと思いますね
新駅設置は賛成。それなら増結→駅の改修→複線化も構想しておいた方が良い。
宇都宮周辺のJR駅間は8km前後が当たり前。
東京から新幹線で近くまで行ける観光地というと伊豆もそうですよね。踊り子と同じくらい力を入れていれば、日光戦争も結果が変わっていたのかもと思いました。
これはもう大逆転を狙うために日光新幹線誘致を目指すしかないですね。
関西人なので知らないことが本当によくわかりました。ありがとうございます。
よくよく考えると都心直結で埼玉から北ってほとんど競合が競合になってない状況ですね。沿線通勤民としては競合路線があってサービス向上にもっとバチバチやって欲しかったものです。名古屋や京阪神あたりが羨ましい😅
東海も西日本も近鉄にはほとんど勝ててないですけどね。奈良線とか頑張って複線化してるところはあるけど
JR東海にとって、新幹線ビジネス以外は国から押し付けられた付帯事業みたいなものだから、あんまりヤル気はナイのでしょうね。
@@DoReMiLight須田さんは兎も角、葛西はやる気は無かったでしょうね
DRCは思い出の列車です。当時は正真正銘のノンストップ列車もありましたビュフェのおでん(夏でしたけど)を食べた記憶があります日光の定期観光バスも東武ですし、日光とともに東武鉄道ありですね(今は業平橋の大電波塔も大きな貢献をしていますが)全国規模で車両も列車も計画しないといけなかった国鉄と「日光が命」の東武との差が大きく出たわけですねただ、国鉄特急が東武DRC・スペーシアに勝とうとするとそもそも全車グリーン車にしないと対抗し得ないですよね…157系は一段下降窓のために隙間から雨水が入って車体の腐食が早く短命に終わったのですが、東武はDRCの前に作った1700系特急車は冷房化後に固定窓に改造しましたので(最終的にはDRCに再改造)、固定式に改造しておればまだ良かったのかもですね参宮急行電鉄を作って伊勢を目指し、伊勢志摩が命の近鉄があるのと似た構図ですね近鉄大阪線も山間部には利用者の少ない区間があり、自ずと伊勢志摩や名古屋と大阪を結ぶ特急がメインになっています(ちなみに浅草〜東武日光と大阪上本町〜伊勢市の距離は同じ位。スペーシアXの座席はしまかぜの座席を参考にしたとか。そういえば、東武と近鉄でコラボキャンペーンもやってますね)
参宮線と近鉄の関係でも似たようなことが言えそうですが、一方一畑より圧倒的な有利で「出雲」が直接乗り入れていたこともあるのに消滅した大社線を見ると、実は単純に国鉄の問題だけのような気もします。
日光線・参宮線はとにかくとして、大社線についてはそういった話ではなく、大社駅の位置の問題だったと思います。大社駅が出雲大社から歩くにはやや遠くバスで行くには近すぎるので、最初から出雲市でバスに乗るのが主流になった、あるいは、観光バスで行くようになった感じです。一畑電車が参拝客を国鉄から奪ったのかというとそんなこともなくて、現在でこそ一畑電車自体が一種の観光資源になっているので川跡乗り換えで出雲大社駅前駅に行く人も多くなっているとはいえ(出雲大社前駅は出雲大社門前町のなかにあって位置的にはとても良い感じです)、大社線が廃止になった頃には出雲市から出雲大社に行くときの選択肢に一畑電車も入っていなかった感じでした。松江からの直通客もそこまで多くなったと思います。
本当の敵は自動車だったというw
いままでJR日光線のことを東武と比較して考えたことがなく、勉強になりました。
雀宮からの短絡線構想があったのは初めて知りました。東武としては絶対に負けられない戦いだったのでしょうね。昔は浅草も歓楽街としてディズニーランドの様にワクワクするような街だったのでしょうが、今は変哲もない街になってしまい観光の出発地として相応しくなくなったのでしょうね。
東武といえば群馬の赤城山方面でケーブルカー・ロープウェイ・リフトを昭和30年代頃に運営していたみたいだけど、今でも残ってたら周遊してみたかったなぁ。色々な乗り物を乗り継ぐ観光スポット巡りって、箱根もそうだけどそれ自体がアトラクション的で楽しいですよね。箱根が成功・定着して赤城山が失敗・廃止したのは何故なんでしょう?パワースポット神社・温泉・芦ノ湖っぽい湖・尾瀬っぽい湿原・春の桜・夏の滝・秋の紅葉・冬のスキー&スケート…赤城山って箱根や日光クラスの潜在能力ありそうなんだけど!?東武による赤城山周遊について概観しか知らないので…失敗の考察&成功する為の方策(もし現在まで続いていたら妄想世界線)を聴いてみたいです。
JR日光線の現在は、普通電車のみの運行ならば宇都宮LRTと接続させるのも一案でしょうね。
我が国ではほとんど例がないものの、地方の中核都市の場合既存の鉄道路線と街中の軌道区間を繋いで面的な輸送体系を作るのもひとつの手法かと思います。
万葉線みたいになりますね
ユーザーとしては、現状、両者の使い分け(宇都宮市から日光市方面へ行く時はJR、鬼怒川やその先の地域(会津地方)へ行く時は東武(と会津鉄道))が出来る事が大変有り難く、面白いと思いますね
準急時代でも国鉄内で格差がありました。【日光】は157系、同じ区間の【だいや】が80系電車でした。予算の関係か157系に揃えられていたら少しは変わったかもしれません。また157系は黒磯発着の準急【なすの】にも運用されていました。
やはり旅に出るならワクワク感が盛り上がる特急車両で行きたいですねその点ではスペーシアXは最高で早く新宿方面へも乗り入れると良いなと思います
東武はかつて国鉄日光駅前から明智平まで結んでいた、日光軌道線と明智平ケーブルカーを買収して傘下におさめて、浅草から明智平まで一体輸送ができる体制にしたから国鉄の入り込む余地はなかったんでしょうね。
大正から昭和一ケタの前半までは明智平から二荒山中宮祠までの鉄道計画もありました。中禅寺のバスタから中宮祠まで道路が二つに分かれ湖岸よりの道路と中宮祠前の駐車場はその名残です。実現して今も全て残っていたら、スペーシアX~日光軌道~明智平ケーブルカー~中宮祠まで電車とどれだけ楽しいことでしょうか!
子供のころ157は伊豆行くあまぎでよく行きました、157はワクワクする車両でした、きぬ、けごんのデラックスロマンスも大好きでした、見るだけでも大興奮‼️乗ったら気絶ものでした、
東武のDRCは今でも私鉄の特急電車の中で1番好き😊
国鉄&JR東海・西日本対近鉄の日光版!
こっちの方は関西線非電化区間が存廃問題までなるほど負け方が深刻ですからね
東京駅発着当時は湘南日光といい伊東まで直通する列車もありましたが、1973年の東京駅工事で全廃されました。新宿発着の中禅寺も早々に消えましたが、やはり浅草駅に近い上野駅では東武との差別化が図りにくかったというのも大きいでしょう。新宿駅発着を残しておけばどうなっていたのか…
小学校の移動教室。国立駅から団体列車で日光行ったなぁあれは鉄路が1本で繋がってる国鉄ならではだった😊
その団体列車、ルートが気になります(^^;
宇都宮民としては地元の商工会議所が反対していたのにびっくりでした。東武対国鉄JRというより、車社会に勝てなかったのが最大の原因のような気がします個人的には渋滞が激しく行くのが億劫なので、JRと東武の共同で東照宮の最寄になるような駅も設置し、馬返し辺りまで鉄道が延伸できれば面白いと思っています。
元々、馬返しまで路面電車が走っていましたよ。復刻すれば面白そうだけど更に渋滞に拍車かけそうですけどね。w
@@キャスバル兄さん-t9m 馬返しから明知平までロープウェイを建設すれば車以外の選択肢を示せるのかと金のある時代にやっとけばという話しですが。
@@sigehappa7427馬返〜明智平にはケーブルカーがありましたね。路面電車・ケーブルカーと乗り継いでいた時代に行ってみたかったです。
スペーシアのJR線乗り入れや、国鉄型車輌(もちろんSL大樹)が東武線内を走行してしているのを見てあの争奪戦は何だったのだろう。と思ってしまいます...
最初、伊勢への輸送の近鉄vsJRと同じ構図かなと思ったが、意外にもJR日光線はローカル輸送はしっかりしていて、ローカル輸送でも負けている参宮線とは毛色の違う路線なんですね。
宇都宮の街に集客力があり、さらには通勤や通学で一定の需要があるからこそと思います。三重の場合国鉄がソフト、ハードの面でほとんどてこ入れ出来ず、JRになってもそれが響いているのでしょう。ライバルの近鉄も近年は自家用車との競合が激しいようですが、、
JR日光線を利用する外国人観光客が増えているそうです。東京・宇都宮間の新幹線が使えることが、短距離でも新幹線に乗りたい短期滞在の外国人観光客に人気なのだそうです。JR日光線の巻き返しまでには程遠いかもしれませんが、JRと東武で色々な顧客ニーズに応えられるのは良いことだと思います。
外国人観光客はJAPAN RAIL PASSやJR EAST PASSを使えますから東武だと別途運賃が必要ですが、東北新幹線&JR日光線だとパスに含まれてて追加料金が必要ありませんからね。
@@tako3378ae1似たような理由でJR奈良線もインバウンド多いです。
@@tako3378ae1 そもそも、外国人は私鉄の事を知らないでしょう。どうしてもJRで行けない場所以外は、JRで紹介されているでしょう優位性があるなら宣伝しないと、ガイドブックにすら載せてもらえない
DRCの全盛期は東京を訪れる外国人の方のツアーのコースのひとつに都心の各ホテルから浅草駅までの送迎付きの日光1日ツアーがありましたね。そのツアー客をターゲットとして浅草→東武日光でノンストップのけごん号が設定され、英語を話せるアテンダントを乗務させていました。
@@TSUYOS185 あと、DRCは洋式便所も。
日光の人気は令和になってさらに加速してますね、スペーシアXの導入により、日光にも新たにリッツ・カールトンに続き最高級ホテルが建設されます。東武鉄道はうまく需要を掴んでいます。
リッツも金谷ホテルもふふも東武が運営しています。日光は東武様々ですよ。東武と古河の2つが特に日光の経済を支えてくれている
レークサイドホテルを閉めてリッツを持ってきた根津さんは先見の明がありましたね。なお、ふふ日光はヒューリックの事業で、東武鉄道は主体的な関与はしていません。
日光新幹線作るしかないですね。
自分は関西在住ですが、以前日光に居住地から日光まで一枚の切符で、宇都宮まで新幹線、そこから日光線というルートで3年前くらいに行きました。利便性やわかりやすさでそのルートを選んだのですが、自分みたいな、東京周辺以外の人間やインバウンド客目線では、JRもまだまだ優位な選択肢なのかもしれないですね
東武の方が運賃が安かったのが勝敗の一つだと思います。特急の他に近年まで快速が日光方面へ走ってましたよね。東武スペーシアがJR新宿駅へ乗り入れたのは歴史的な和解だったと思います。ちなみに撮影で来られてた鐵坊主さんをたまたま下今市駅の乗り換え階段ですれ違いましたw背が高くてビビりました
この辺の図式は名古屋~伊勢,鳥羽の近鉄と当時の国鉄と近いものがありますね。今さらですが東京駅を経由する名古屋,大阪の客を東北新幹線接続で誘導すればそれなりの勝負をできたかもしれません。
チャンスは1982年の開業時だけだったと思いますよ。ですが、上野、大宮、宇都宮の3回乗換ですし国鉄が攻勢をかけるなら1985年の上野開業だったんですが、この時は国鉄改革真っ只中。1991年の東京開業時には東武もスペーシアで手を打っていますからねぇ。ことごとくチャンスを潰された感じがします。
大阪→日光は国鉄のネットワークあるあるですが、その後の分割民営化で集客が厳しくなっていたかもしれません。東京都心からでは仮に新幹線を使っても宇都宮でローカル線に乗り換えることも敬遠されるでしょうね。逆に東武は北千住に特急を停車させて千代田線や日比谷線、さらにはJRからの集客を図っているほどです。仮に東武がなく国鉄だけなら東京からですら草津や房総のように高速バスに敗退したかも。
あと、東武の競合相手が国鉄だったことも良かったと思います。伊豆箱根のように東急、西武、小田急が三つ巴で争うような展開だったら別の結果もあったかもしれません。
箱根戦争の時代は小田急は直前まで東急に吸収されていたから、小田急は東急の影響力を活用してました。
小山短絡線みたいな日光線短絡線の計画があったのを知りませんでした。車両も157系ハザは、確か傾斜固定で二列一体のロマンスシート。1720系の座席は国鉄グリーン車並みの3段リクライニングシートでは差がありすぎでしたね。
雀宮駅~鶴田駅間の短絡線計画は初耳でした。1720系DRC、平成2年に乗りましたが、引退が近い時期にも関わらず、豪華な設備に感心した記憶があります。帰路は「スペーシア」でしたが、こちらも素晴らしい電車でした。それ以降も「スペーシア」を愛用し、昨年は「スペーシアX」にも乗車し素晴らしい体験を味わうことができました。現地での観光施設・宿泊施設・二次交通も東武グループが担っており、国鉄・JRとは力の入れ方の違いが勝敗を分けたという考察には大いに納得です。国鉄・JRに勝ち目があったとすれば、JR日光線のミニ新幹線化だったと思います。大宮以南の厳しい速度制限はあるものの、日光線内を各駅停車ではなく、主要駅停車の優等列車で運行すれば、宇都宮駅で東北新幹線に乗り入れ、ターミナル駅としての利便性の高い、大宮・上野・東京駅に直行することで、宇都宮駅のスイッチバックが残ったとしても、所要時間面で優位になり一定のシェアを獲得できていたことと推察します。1969年に157系が日光線から撤退した経緯が不思議で仕方がありませんでしたが、伊勢志摩輸送での近鉄VS国鉄・JRと同様、財界有力企業である東武鉄道への遠慮や、「民業圧迫」批判回避も、国鉄サイドにあったものと推察します。ただ、1720系DRC・「スペーシア」・「スペーシアX」の乗車体験の素晴らしさは、それらの疑問をすっぱりと忘れさせてくれる素晴らしいもので、東武鉄道の日光開発にかける思いの強さが、東武一強という状況を作り出していったものと思います。
戦前の国鉄は、足尾線→両毛線→東北本線→日光線→日光軌道線のルートで足尾銅山の鉱石を運んでいたそうですが、トラック輸送に切り替わっちゃえば 雀宮〜鶴田の短絡線需要は無いですよね😅ボクの地元なので、短絡線無くて良かった。自衛隊と富士重工を避けて敷設すると線形も悪かっただろうと妄想できます。
当時の国鉄と東武の事情が大きく影響しているのは間違いないと思います。この動画を視聴してひとつ気になった事ですが、雀宮から短絡線を設置するのではなく、宇都宮からスイッチバックなしで日光に行けるような線路変更を考えていたら全く違っていたように思います。身延線が東京方面からスイッチバックなしで直通できるように変更した、という例がありますから
ちなみに宇都宮が餃子の街として認知されたのが30年前。山田邦子の番組(山田商会)で宇都宮=餃子とアピールしたところ大バズりしたのがきっかけです。なので宇都宮市の反発は相当なものだったと推測出来ますね((( ;゚Д゚)))
2:43 雀宮ー鶴田の短絡線は、宇都宮台地の地形の関係で昭和中期でも難しかったのでは? 富士重工宇都宮製作所の北に日光線は通っていますが、東北本線と分岐するあたりからは切通しを通っています。宇都宮の北の鬼怒川沿いに線路を敷いて、日光線に合流する案もありましたが。17:29 新栃木が分岐点ですが、系統的には栃木で分かれています。また、数年前のダイヤ改正から、特急の停車駅が栃木となりまして…
確かに日光はこれからもインバウンドなどで栄えるのだろうけど、東武は鬼怒川線とかどうするのかな。鬼怒川の廃墟群などを見るにつけ、あそこも再開発して欲しいと思うのですが。
寂しいことに宇都宮線ってコレだけなんですよね、特急。栗橋までですが東武に感謝です。
小学校の修学旅行が日光でしたが、実は川崎駅から当時の国鉄の修学旅行用臨時列車で行きました。なので降りた駅は当然国鉄日光駅。風情はいいですし鉄道に乗れること自体は楽しかったのですが、小学生としては東武日光のほうがキラキラ見えましたね。それを考えると当時の日本人たちが東武を選び国鉄を択ばなかったのは当然だったとも言えるでしょう。ただ、それでも日光線がJRの路線として残ったことに意義があるのではと思います。地方ローカル線で廃線の危機にある路線もある中、残ったからこそ地域輸送とインバウンドに選択される路線になったわけで、東武日光線は日光への観光一択になったとも言えます。その点で言えば、むしろ今後はJRのほうが有利とも言えるのかもしれません。SL大樹を投入し日光や鬼怒川をテコ入れする東武には、むしろ普段使いが減っている分危機感が見受けられるのは私だけなのでしょうか。スペーシアXの投入はまさに、安泰のJRに対する東武の危機感の表れのように見えます。これってまさに、新幹線に乗って観光列車に乗ってもらうという、JRのやり方と同じですので(もちろん、JRが私鉄をまねた結果が観光列車だと言えますが、むしろ私鉄で観光列車が近年生まれているのはJRの影響という側面もありますから。もともと私鉄には観光列車は少なかったので)。
スペーシア乗りたさに金券ショップで東武の株主優待券を時々買います。
快速みえVS近鉄特急も見てみたくなりました。
鐡side制作お疲れ様でござい〼🫡東武界隈の話は解りませんが、地元沿線に置き換えると、近鉄の伊勢志摩観光開発と参宮線の対比にも近いものがありますね🤔なるほどなるほど🧐
宇都宮の短絡線が開通していたら、日光観光は競争が激化していた。栗橋の短絡線が出来て、日光方面の列車は相互に乗入れた。好評でガチ競争中なら乗り入れないと思うのですが、日光に訪れる観光客が減少して、浅草だけ、新宿だけ、では集められなくなってる?
90年代柏から日光まで直通の列車乗った思い出があります修学旅行需要を取り込んだ臨時列車だったかもしれないですけど、もしそうだとしたらそういうニーズに応えられる私鉄の強さも東武の勝因なのかも
新幹線開業の甲斐もあって、都心と宇都宮の利用者が爆増したので、JRもそこまで困ってなさそう。
快速みえと近鉄特急(名伊)を似た例としている方が多数居られますが、快速みえのライバルは名伊特急というより急行電車ですね。
国鉄157系🆚東武1720系の競争も今は昔。東武の最大のライバルは[🚙🚌🛣]になった。
すべてその通り!取材力に星みっつ!
JRは通勤通学の日常列車から抜け切れず 東武は浅草からすでに観光が始まるイメージ。箱根いくのに小田急ロマンスカー乗った瞬間から観光始まるような感じ?東北新幹線の那須塩原駅は観光駅として成功したような気がする。元からある街中へむけた出口は昔のままだが 新幹線駅ができて観光地側の出口は新しい街になってる。
17:04 東武日光線って、東武動物公園~新栃木は駅間距離が長いのに、新栃木以北は都会並みに駅間距離が短くなるんですよ。だから乗車人員が2桁なんて駅が出てくるんです。東武は浅草直通の快速を廃止した後も、1日に2本だけ新栃木以北でも通過運転する急行を運行しているけど、はっきり言って乗車人員の少ない駅を統廃合したほうが合理的だと思いますね。JRは逆に、日光線も宇都宮線も駅間距離が長すぎです。東武宇都宮線は、宇都宮市内の短い距離に4駅あるのに、JRは宇都宮線に3駅、日光線に1駅ですからね。JRが宇都宮市内の移動に使えないんだから、宇都宮駅が起点のLRTの利用者も限られますよね。
伊勢・鳥羽への近鉄対JRとも似た関係ですね
浅草もしくは北千住乗り換えが前提となるが、日光・鬼怒川は運賃の安い私鉄特急で気軽に行けるのが良い。ただ鬼怒川線内のノロノロ運転がじれったい。バブル期に鬼怒川線も複線化してほしかった。
そう言えば約40年前の日光への移動教室(修学旅行とは言わない💦)には東武で行ったような気がする(江東区出身者)。
逆に神奈川県の小6の修学旅行は県内の各駅からJRで日光に向かいます。宇都宮で方向転換もあります。車両は155→167→183→185→E257と変わりましたが、毎年春の恒例運転が行われています。生徒の多かった時代は最大11両でしたが、今は5両になってしまいました。
@@TSUYOS185小学生当時川崎に住んでいた私は155系でした。当時は153系かと思ってましたが、修学旅行ですもんね😅
157系は人気の「こだま」の補完として東海道線を「ひびき」の名で爆走した頃が最も華やいでいたんでしょうね。
JR日光線と東武日光線の間に住んでいます。東京に行く時は東武線、宇都宮に行く時はJRで便利です。東京からJRで日光直行の車両がなぜないのか不思議でしたが線路の理由があったんですね。
雀宮から鶴田駅の短絡線できてたら、上野東京ライン熱海発日光行きとか胸熱な電車が誕生していたんだろうな
JR宇都宮駅東武宇都宮駅直通列車とかも相当胸圧です。
かつての国鉄には、伊東→日光を約4時間で結ぶ、準急「湘南日光」というのが走っていた。
大昔は東武宇都宮発着の浅草行準急がありましたね(その逆もあり)。
もし国鉄がこだま号の延伸扱いで151系を投入してたらどうなっていたろうか?
国鉄は、本社と各鉄道管理局がバラバラで動いていたから駄目だったのでは???また、電車は、近距離で長距離に向かないと考えていたから電化が進まなかったのです。
そのせいで、大阪管理局が新快速を登場させたときに、本部がああだこうだ言ってきたそうですね
@@KamikazeRapidService 国鉄時代は、電車線が各鉄道管理局の管轄で特急や貨物列車が通る列車線が、本社の管轄でした。大阪鉄道管理局が、新快速を列車線で運行しようとした時に、本社が駄目と言った様です。
賛成国鉄という建前で、画一性に拘った結果がこの体たらくまともに勝負しようとするなら、関西の新快速に投入された117系並みのサービスを提供するしかなかったと考える(特別料金不要で、デッキの有無を除いて特急型185系と同等の車内設備)
これが、分割民営化の正しさであり、ローカル線の活性化の試行と廃線につながるわけです。
@@KamikazeRapidService本社管轄の特急雷鳥を新快速が追い抜いて大鉄局はエラい怒られたそうですね。
栃木県内では、都会と言えば宇都宮ぐらいしか有りませんが、日光(旧日光市)の人はJRで宇都宮に行けますが、鬼怒川(旧藤原町)の人は、電車で宇都宮に行けないんですよね。東武の日光鬼怒川行きが宇都宮を通らないのは、県内生活者には致命的で、観光需要以外にあり得ないというのが弱点ですね。
そこで、鶴田のJRと東武が交差しているあたりに乗換駅か相互行き来できるような線路の敷設ですね。
地元商工会は完全に東武経済圏ですからね!JRで来ても結局は東武グループにお金が落ちますし…しかし 東武は少し古風なところがありスペーシアXではサロンカー的なシートにバーカウンターを備え私鉄では珍しく駅弁に力入れたりと…都内のターミナルである浅草と池袋にバス路線が無いってのも不思議なもんですあっ西武もですね!確か少しだけあったと記憶していますが…
宇都宮商工会議所には東武鉄道から金が流れたんだろうなぁ、宇都宮の商店街の中心部は東武鉄道駅だもんね。
こんにちは。沿線の鉄道外事業が大きいですね。東武の日光vs国鉄日光線近鉄の伊勢vs国鉄参宮線
JR日光線 開通までの歴史明治19年宇都宮より今市までの汽車小鉄道敷設願この時の中心人物は鹿沼宿 柳田治作他36名明治20年発起人らは「日光鉄道会社」を設立創立委員長は渋沢栄一明治22年鉄道局の井上勝長官は「日本鉄道会社」の理事会で日本鉄道会社が宇都宮―日光間の鉄道の建設・経営を引き受けてはどうかと打診日本鉄道会社が自らの支線として日光線を経営することに決定明治23年日光線の正式開通は明治23年(1890) 8月1日
そうだよね。以前華厳の滝に行ったとき、スタッフの親父が東武鉄道の制服を着ていて(昔の茶色いやつ)、え!ここ東武鉄道なの!?って思った。
1720系はジュークボックスもついていましたね。でも今にすると音飛びしなかったのかな?
何も無い田んぼを大開発した阪急伊勢参りを身近にした近鉄そして、日光を我がものにした東武大手私鉄の最大の強みは、このような攻めの姿勢による「需要の創出」なんでしょうね
おお、日光線の話題。地元なので嬉しいです。
国鉄は157系電車を準急で使っていたが、東海道線「ひびき」や伊東線「あまぎ」とかの方が独占かつ稼げるとそっちに回してしまい、「日光」は165系運用に格下げしてしまってる。東北筋も新幹線開業までは特急や急行更に貨物で混雑しており、本社の本音は「日光輸送なんか力入れたら線路容量が足りなくて困る」とか考えていてもおかしくない。御殿場線の急行「ごてんば」も高速バスや小田急直通の「あさぎり」に負けて昭和末には消えてるもんね…
当時の国鉄は急行といったら「165系」ですからね😅あれじゃ勝てるわけない…輸送力はあるけど…
@@kenken-c2w その前は153系、その後は185系で特急格上げでしたからなあ…画一化という一元経営の悪い面が多くでてました
国鉄に比べて狭い地域を営業圏とする東武には日光・鬼怒川で食っていくんだという覚悟のようなものがあったのだろうと私も思います。それでDRCをつくったのだと。ただ、世代のせいにはしたくはないですが、DRCや鬼怒川温泉の雰囲気はどんちゃん騒ぎを連想してあまり好きではありません。そのため、日光の高付加価値化には好印象を持っています。以前に訪れたのは子供のころで明確に比較できるわけではありませんが、品のある感じになっているような気がしています。
今はJRは対東京(インバウンド)だけじゃなくて、東武が直通していない常磐線沿線等からの直通便を走らせて棲み分けしてるイメージです。
横浜や千葉あたりからもJRからの直通特急が走れば良さそうなものですが、、
1980~2000年代だとDRCの本数を見ると東武は日光よりも鬼怒川の方に注力していた時期があるんですよね。
興味深い内容でした。もし、仮に西武秩父線が軽井沢まで延伸していたら、軽井沢戦争もまた西武の勝ちになったと思われますか?
貨物と長距離旅客が 国鉄の本流とされた時代ですね、若干だが東京と大阪の通勤輸送も少しは考慮してたがそれ以外はどうでもいい 民鉄に任せておけばいいという考え
東武線の日光周辺の地域輸送が、そこまで需要が低いとは知りませんでした。通りで、特急や観光客輸送にあそこまで大きく力を入れ続ける訳ですね。考えてもみれば、特急列車のブラッシュアップに留まらず、SL大樹まで走らせるくらいですからね😮
まあ、冷房&シートラジオ付きの近鉄特急の対抗として「乗り心地の悪いシート&台車」のキハ17系(の2エンジン車)を投入した関西線準急よりはマシでしたが・・・仮に戦前に日光まで電化していたら、もしかするとモハ52(流電)を投入していたかも?
185系の臨時列車走らないかな。
小学生の修学旅行用路線みたいなもんですよね
東武は以前に東上線池袋⇔東武日光(秩父鉄道経由)の臨時列車があった。国鉄を利用したほうが遥かに早いのだけど池袋からも運行させる程日光という観光地に力を入れていたのがわかる例である。団体列車で復活して欲しいけど保安設備の関係で難しいみたいだ。
国鉄が東武の鉄道輸送事業に付随してターミナル駅周辺の街づくりや観光開発を行った日光駅まで鉄道輸送バトルを熾烈に繰り広げられ、結果的に東武が勝利しました。それ程、宇都宮駅手前の短絡線建設や157系電車を投入してまで東武との鉄道輸送に勝利したかった思いがあった事が伝わってきます。ただ、仮に国鉄が日光駅までの鉄道輸送に勝利したとしましても、結局は日光駅周辺を開発した東武にお金が落ちる事となった訳で、東武にとって国鉄との鉄道輸送バトルは結果的に日光への更なる誘客に成功したかと思います。
私鉄はどうしても都会中心で、東京からの観光客目線で見れば、確かに東武鉄道は便利ですね。でも日光や今市に住んでいる人にとっては、県都宇都宮へ行くのは、東武では大回りになり、JR日光線が便利なんでしょうね。
国鉄は鬼怒川方面への開発をあきらめたから、その影響もあるかも。今市から会津線に接続する予定だった。
宇都宮は首都圏から近すぎるのではなく、首都圏です
法律で そうなってるのよね首都圏「首都圏整備法」の適用される範囲をいい東京を中心に半径約150キロメートルの区域すなわち東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬、山梨の1都7県全域にあたる
おもしろい動画でした。でも結局は日光線は新幹線に負けたということですね。
動画でご指摘の通り、東武は日光だけでなく奥日光・鬼怒川も含めた面的な支配が出来たのに対し、国鉄の日光の位置付けは伊豆やその他もろもろも抱えていた観光地の一つで終わってしまったのも理由でしょう。
東武にとって、(最近はスカイツリーや川越もありますが)日光エリアは自社線での都内からの輸送を含めたパッケージで取り込めた唯一の観光地であったことも大きいです。
今や、東武の開発力無くして日光の振興は無く、日光無くして南栗橋から北の東武線の存在意義無し、という一蓮托生の関係にあると言って過言ではありません。
惜しむらくは、自社線での輸送が出来ないことから平成にリストラしてしまった伊香保や水上、那須の存在ですね。近鉄だったら日光も伊香保も水上も全部頑張れたかもしれません。
🤔名阪間関西線で名古屋から天王寺・湊町にキハ80系特急あすかを運行本数増やしたいがやはり距離がギリギリセーフかアウトか
東武は赤城山も撤退しちゃいましたね
自由研究の題材としてかなり深く調べたので結構詳しく知っているのですが、東武はもともと葛生から延伸する計画だったのを、他社(資金力がなく免許が下りず)の延伸計画を流用して直線的な今の形になったのだそうです。
鶴田駅前に住んでいたことがある私としては、感慨深い内容でした。
JR日光線も、地元輸送に徹して、東武が観光輸送に特化は、初耳です。
宇都宮はライトレールの開業で、ますます賑わってきてますので、JRもライトレールと共に頑張ってほしいですね。
一年前に日光線に乗車しました。鐡坊主さんのおっしゃる様に通学客と外国人が多いと感じましたね。
日光、今市、鹿沼辺りから日光線で高校や大学に通う人が結構多いと思います。そっちの用途ではJR日光線は観光集客にはデメリットだった宇都宮駅直結がむしろ強みになっているのではないでしょうか。
これは伊勢における近鉄とJRにも通じるものがありますね。
伊勢志摩の近鉄とJRも機会あれば取り上げていただきたいですね。
同じ四日市とは思えないほど両社の駅は対照的。
今のJR東海はリニアに夢中だから、鳥羽まで全線複線電化とか望むべくもなく。。
JR四日市駅の主たるお客さんは人ではなく貨物でしょうね。
今の「日光」の状態ってロマンスカー「ふじさん」に通ずるものがあると思いません?
@@湯之峰delta-交通研究部 さん
ちょっと関西人なもんで肌感覚的な関東の事情は分からないですね。押され気味ってことことですかね
浅草まで行かずとも、新宿池袋から日光鬼怒川へ乗り換え無しで行けるようになっただけでも万々歳です。
国鉄と私鉄の違いをあらためて感じる興味深い動画でした。私は両方のルートで日光に行ったことがありますが、東武は新栃木以北の人口が少ないのが特急にとっては有利となりましたね。
駅舎はJRのほうが風情がある気がするんですよね〜
皇族の利用が想定されていた。貴賓室も残されている。
伊勢志摩における近鉄とJR東海(国鉄)の関係と似ているように感じます。
JRは快速みえ号しか走っていないのに対して、近鉄はしまかぜや伊勢志摩ライナー、Aceなど様々な特急列車を用意して観光客を迎えていますね。
そりゃJRは守備範囲が広いから1つの観光地に力を入れにくいだろ
いつもためになる内容ありがとうございます。日光については東武の圧勝は当然のようですが、その勢いで野岩鉄道経由の会津のアクセスもだいぶ改善しましたね。この距離になると新幹線の優位性もあるでしょうが、かつての在来線の特急あいづなどの運用なども含め、このあたりも興味深いです。
いつも楽しく拝見しています。今回の動画興味深く視聴しました。東武鉄道にとって東武日光線は背水の陣を敷いて取り組まなければならないほど事業運営を左右する重要な路線だったこと、そしてそれが日光における大規模観光資本の投下に向かわせ、当時の国鉄に負けるわけにはいかなかったたという指摘は激しく同意します。
日光また行きたいですね!!
貴重な動画をありがとうございます。
ちょうど40年前の夏、日光に行くときに浅草駅から東武のDRCに乗車しました。あの時の浅草駅でのDRCの偉容は言葉を絶するものでした。今も東武鉄道に乗るたびにその時のことを思い出します。
国鉄が戦前に雀宮~鶴田の短絡線を計画していたのは初耳でした。全国ネットで特定の地域だけを重視出来ない国鉄の体質が如実に現れた例のひとつと言えそうですね。
鐵坊主さんの「国鉄(JR東)と東武鉄道では、日光の重要性が全く違う」という考察には、なるほどなと納得いたしました。
以下は余談ですが、たしか2020年頃(350系の定期運用終了)まで東武鉄道は、浅草駅と東武宇都宮駅を約110分(約1時間50分)で結ぶ「特急しもつけ」を一日一往復だけ運転しておりましたね。「特急つもつけ」は東武宇都宮線を走る唯一の優等列車でしたが、所要時間では上野駅と宇都宮駅を約100分(約1時間40分)で結ぶJR東の宇都宮線普通列車にも負ける鈍足特急だったのは懐かしい思い出です。これも浅草駅と東武宇都宮駅を遠回りで結ぶ東武鉄道と、上野駅と宇都宮駅を最短距離で結ぶJR東との、列車運行の重要性に対する考え方の違いでしょうね。
東武は特に大阪方面の客を引っ張ろうと躍起になっていた。「♪ 走る走る東武 乗ろうよ東武のロマンスカー」というCMは、なんと、大阪ローカルの番組であった、朝日放送の「道頓堀アワー」(毎週土曜日午後2時)で打たれ、東武はその番組のスポンサーであった。その際、「大阪から5時間」ということを殊更うたい文句としていた。国鉄には、そうしたCMを打てるわけがなく、東武の日光に対するこだわりが、今思うとひしひしと感じた次第。
関東ではTBSで近鉄の真珠の小箱が放送されていましたが、その逆バージョンですね。
今は無いけど、福山のと~ぶホテルに東武特急の看板があって、ずいぶん離れたところでも事業展開していたことにビックリ。
あー、なるほどです。
数年前まで阪急大阪梅田駅の券売機の上の方に奥日光の中禅寺湖・男体山の写真パネルが数枚掲げられていたのはその表れ?誰も気づいてないようでしたが
『快獣ブースカ』の再放送をたまたま観たとき、ちょうど日光が舞台でした。中禅寺湖周辺なんかただただ葦原が広がっているだけで民家すらもなく、そこから魅力を引き出して観光地化したのはすごいなと思います。
3:53 157系に目が行きがちですが、これ以前に走っていたキハ56も注目に値します。
上野日光間を東武と並ぶ2時間4分(157系との差はわずか7分)で結び、のちに九州の急行運用で特急並みの時間をたたき出しているのです。
キハ55ですね。スピードは速かったものの車内設備やサービスは東武の1700に及ばなかったものと思います。浅草よりも上野駅の立地の良さでカバーしたのでしょう。
一点集中型の私鉄と異なり、全国的なレベルの底上げを必要とした国鉄では日光線だけ特別扱いするわけにもいかなかったものと思います。
国鉄日光線が鹿沼経由ではなく、日光街道に沿う形で敷設されていたらまた違った展開になったんだろうなと妄想してみたり
野洲⇒野州ですね
JR日光線に乗りましたが、どうみても通勤通学客の路線という感じでした
その割には駅間が長いうえに単線である以上、どうみても東武に観光面では勝ち目がないでしょう
振り切って地域輸送、通勤通学路線に特化するなら、駅の増設を考えてもいいのかなと思ったりもします
特に鶴田-鹿沼、鹿沼-文挟は8km超えという一駅間が尋常ではない長さなので、栃木県の経済同友会が鶴田-鹿沼間への新駅設置を提言しているくらいですし、自治体などと協調したうえで路線の活性化も含め、新駅設置を軸にした地域開発も兼ねた路線づくりを考えてもいいのかなと思いますね
新駅設置は賛成。
それなら増結→駅の改修→複線化も構想しておいた方が良い。
宇都宮周辺のJR駅間は8km前後が当たり前。
東京から新幹線で近くまで行ける観光地というと伊豆もそうですよね。
踊り子と同じくらい力を入れていれば、日光戦争も結果が変わっていたのかもと思いました。
これはもう大逆転を狙うために日光新幹線誘致を目指すしかないですね。
関西人なので知らないことが本当によくわかりました。ありがとうございます。
よくよく考えると都心直結で埼玉から北ってほとんど競合が競合になってない状況ですね。
沿線通勤民としては競合路線があってサービス向上にもっとバチバチやって欲しかったものです。
名古屋や京阪神あたりが羨ましい😅
東海も西日本も近鉄にはほとんど勝ててないですけどね。奈良線とか頑張って複線化してるところはあるけど
JR東海にとって、新幹線ビジネス以外は国から押し付けられた付帯事業みたいなものだから、
あんまりヤル気はナイのでしょうね。
@@DoReMiLight須田さんは兎も角、葛西はやる気は無かったでしょうね
DRCは思い出の列車です。当時は正真正銘のノンストップ列車もありました
ビュフェのおでん(夏でしたけど)を食べた記憶があります
日光の定期観光バスも東武ですし、日光とともに東武鉄道ありですね
(今は業平橋の大電波塔も大きな貢献をしていますが)
全国規模で車両も列車も計画しないといけなかった国鉄と「日光が命」の東武との差が大きく出たわけですね
ただ、国鉄特急が東武DRC・スペーシアに勝とうとするとそもそも全車グリーン車にしないと対抗し得ないですよね…
157系は一段下降窓のために隙間から雨水が入って車体の腐食が早く短命に終わったのですが、
東武はDRCの前に作った1700系特急車は冷房化後に固定窓に改造しましたので(最終的にはDRCに再改造)、
固定式に改造しておればまだ良かったのかもですね
参宮急行電鉄を作って伊勢を目指し、伊勢志摩が命の近鉄があるのと似た構図ですね
近鉄大阪線も山間部には利用者の少ない区間があり、自ずと伊勢志摩や名古屋と大阪を結ぶ特急がメインになっています
(ちなみに浅草〜東武日光と大阪上本町〜伊勢市の距離は同じ位。スペーシアXの座席はしまかぜの座席を参考にしたとか。
そういえば、東武と近鉄でコラボキャンペーンもやってますね)
参宮線と近鉄の関係でも似たようなことが言えそうですが、一方一畑より圧倒的な有利で「出雲」が直接乗り入れていたこともあるのに消滅した大社線を見ると、実は単純に国鉄の問題だけのような気もします。
日光線・参宮線はとにかくとして、大社線についてはそういった話ではなく、大社駅の位置の問題だったと思います。大社駅が出雲大社から歩くにはやや遠くバスで行くには近すぎるので、最初から出雲市でバスに乗るのが主流になった、あるいは、観光バスで行くようになった感じです。
一畑電車が参拝客を国鉄から奪ったのかというとそんなこともなくて、現在でこそ一畑電車自体が一種の観光資源になっているので川跡乗り換えで出雲大社駅前駅に行く人も多くなっているとはいえ(出雲大社前駅は出雲大社門前町のなかにあって位置的にはとても良い感じです)、大社線が廃止になった頃には出雲市から出雲大社に行くときの選択肢に一畑電車も入っていなかった感じでした。松江からの直通客もそこまで多くなったと思います。
本当の敵は自動車だったというw
いままでJR日光線のことを東武と比較して考えたことがなく、勉強になりました。
雀宮からの短絡線構想があったのは初めて知りました。
東武としては絶対に負けられない戦いだったのでしょうね。
昔は浅草も歓楽街としてディズニーランドの様にワクワクするような街だったのでしょうが、今は変哲もない街になってしまい観光の出発地として相応しくなくなったのでしょうね。
東武といえば群馬の赤城山方面でケーブルカー・ロープウェイ・リフトを昭和30年代頃に運営していたみたいだけど、今でも残ってたら周遊してみたかったなぁ。
色々な乗り物を乗り継ぐ観光スポット巡りって、箱根もそうだけどそれ自体がアトラクション的で楽しいですよね。箱根が成功・定着して赤城山が失敗・廃止したのは何故なんでしょう?
パワースポット神社・温泉・芦ノ湖っぽい湖・尾瀬っぽい湿原・春の桜・夏の滝・秋の紅葉・冬のスキー&スケート…赤城山って箱根や日光クラスの潜在能力ありそうなんだけど!?
東武による赤城山周遊について概観しか知らないので…失敗の考察&成功する為の方策(もし現在まで続いていたら妄想世界線)を聴いてみたいです。
JR日光線の現在は、普通電車のみの運行ならば宇都宮LRTと接続させるのも一案でしょうね。
我が国ではほとんど例がないものの、地方の中核都市の場合既存の鉄道路線と街中の軌道区間を繋いで面的な輸送体系を作るのもひとつの手法かと思います。
万葉線みたいになりますね
ユーザーとしては、現状、両者の使い分け(宇都宮市から日光市方面へ行く時はJR、鬼怒川やその先の地域(会津地方)へ行く時は東武(と会津鉄道))が出来る事が大変有り難く、面白いと思いますね
準急時代でも国鉄内で格差がありました。
【日光】は157系、同じ区間の【だいや】が80系電車でした。予算の関係か157系に揃えられていたら少しは変わったかもしれません。
また157系は黒磯発着の準急【なすの】にも運用されていました。
やはり旅に出るならワクワク感が盛り上がる特急車両で行きたいですね
その点ではスペーシアXは最高で早く新宿方面へも乗り入れると良いなと思います
東武はかつて国鉄日光駅前から明智平まで結んでいた、日光軌道線と明智平ケーブルカーを買収して傘下におさめて、浅草から明智平まで一体輸送ができる体制にしたから国鉄の入り込む余地はなかったんでしょうね。
大正から昭和一ケタの前半までは明智平から二荒山中宮祠までの鉄道計画もありました。中禅寺のバスタから中宮祠まで道路が二つに分かれ湖岸よりの道路と中宮祠前の駐車場はその名残です。
実現して今も全て残っていたら、スペーシアX~日光軌道~明智平ケーブルカー~中宮祠まで電車とどれだけ楽しいことでしょうか!
子供のころ157は伊豆行くあまぎでよく行きました、157はワクワクする車両でした、きぬ、けごんのデラックスロマンスも大好きでした、見るだけでも大興奮‼️乗ったら気絶ものでした、
東武のDRCは今でも私鉄の特急電車の中で1番好き😊
国鉄&JR東海・西日本対近鉄の日光版!
こっちの方は関西線非電化区間が存廃問題までなるほど負け方が深刻ですからね
東京駅発着当時は湘南日光といい伊東まで直通する列車もありましたが、1973年の東京駅工事で全廃されました。新宿発着の中禅寺も早々に消えましたが、やはり浅草駅に近い上野駅では東武との差別化が図りにくかったというのも大きいでしょう。新宿駅発着を残しておけばどうなっていたのか…
小学校の移動教室。国立駅から団体列車で日光行ったなぁ
あれは鉄路が1本で繋がってる国鉄ならではだった😊
その団体列車、ルートが気になります(^^;
宇都宮民としては地元の商工会議所が反対していたのにびっくりでした。
東武対国鉄JRというより、車社会に勝てなかったのが最大の原因のような気がします
個人的には渋滞が激しく行くのが億劫なので、
JRと東武の共同で東照宮の最寄になるような駅も設置し、
馬返し辺りまで鉄道が延伸できれば面白いと思っています。
元々、馬返しまで路面電車が走っていましたよ。
復刻すれば面白そうだけど更に渋滞に拍車かけそうですけどね。w
@@キャスバル兄さん-t9m
馬返しから明知平までロープウェイを建設すれば車以外の選択肢を示せるのかと
金のある時代にやっとけばという話しですが。
@@sigehappa7427馬返〜明智平にはケーブルカーがありましたね。路面電車・ケーブルカーと乗り継いでいた時代に行ってみたかったです。
スペーシアのJR線乗り入れや、国鉄型車輌(もちろんSL大樹)が東武線内を走行してしているのを見てあの争奪戦は何だったのだろう。と思ってしまいます...
最初、伊勢への輸送の近鉄vsJRと同じ構図かなと思ったが、意外にもJR日光線はローカル輸送はしっかりしていて、ローカル輸送でも負けている参宮線とは毛色の違う路線なんですね。
宇都宮の街に集客力があり、さらには通勤や通学で一定の需要があるからこそと思います。
三重の場合国鉄がソフト、ハードの面でほとんどてこ入れ出来ず、JRになってもそれが響いているのでしょう。
ライバルの近鉄も近年は自家用車との競合が激しいようですが、、
JR日光線を利用する外国人観光客が増えているそうです。
東京・宇都宮間の新幹線が使えることが、短距離でも新幹線に乗りたい短期滞在の外国人観光客に人気なのだそうです。
JR日光線の巻き返しまでには程遠いかもしれませんが、JRと東武で色々な顧客ニーズに応えられるのは良いことだと思います。
外国人観光客はJAPAN RAIL PASSやJR EAST PASSを使えますから東武だと別途運賃が必要ですが、東北新幹線&JR日光線だとパスに含まれてて追加料金が必要ありませんからね。
@@tako3378ae1似たような理由でJR奈良線もインバウンド多いです。
@@tako3378ae1 そもそも、外国人は私鉄の事を知らないでしょう。
どうしてもJRで行けない場所以外は、JRで紹介されているでしょう
優位性があるなら宣伝しないと、ガイドブックにすら載せてもらえない
DRCの全盛期は東京を訪れる外国人の方のツアーのコースのひとつに都心の各ホテルから浅草駅までの送迎付きの日光1日ツアーがありましたね。そのツアー客をターゲットとして浅草→東武日光でノンストップのけごん号が設定され、英語を話せるアテンダントを乗務させていました。
@@TSUYOS185 あと、DRCは洋式便所も。
日光の人気は令和になってさらに加速してますね、スペーシアXの導入により、日光にも新たにリッツ・カールトンに続き最高級ホテルが建設されます。東武鉄道はうまく需要を掴んでいます。
リッツも金谷ホテルもふふも東武が運営しています。日光は東武様々ですよ。
東武と古河の2つが特に日光の経済を支えてくれている
レークサイドホテルを閉めてリッツを持ってきた根津さんは先見の明がありましたね。
なお、ふふ日光はヒューリックの事業で、東武鉄道は主体的な関与はしていません。
日光新幹線作るしかないですね。
自分は関西在住ですが、以前日光に居住地から日光まで一枚の切符で、宇都宮まで新幹線、そこから日光線というルートで3年前くらいに行きました。利便性やわかりやすさでそのルートを選んだのですが、
自分みたいな、東京周辺以外の人間やインバウンド客目線では、
JRもまだまだ優位な選択肢なのかもしれないですね
東武の方が運賃が安かったのが勝敗の一つだと思います。特急の他に近年まで快速が日光方面へ走ってましたよね。東武スペーシアがJR新宿駅へ乗り入れたのは歴史的な和解だったと思います。
ちなみに撮影で来られてた鐵坊主さんをたまたま下今市駅の乗り換え階段ですれ違いましたw背が高くてビビりました
この辺の図式は名古屋~伊勢,鳥羽の近鉄と当時の国鉄と近いものがありますね。
今さらですが東京駅を経由する名古屋,大阪の客を東北新幹線接続で誘導すれば
それなりの勝負をできたかもしれません。
チャンスは1982年の開業時だけだったと思いますよ。
ですが、上野、大宮、宇都宮の3回乗換ですし
国鉄が攻勢をかけるなら1985年の上野開業だったんですが、この時は国鉄改革真っ只中。
1991年の東京開業時には東武もスペーシアで手を打っていますからねぇ。
ことごとくチャンスを潰された感じがします。
大阪→日光は国鉄のネットワークあるあるですが、その後の分割民営化で集客が厳しくなっていたかもしれません。
東京都心からでは仮に新幹線を使っても宇都宮でローカル線に乗り換えることも敬遠されるでしょうね。逆に東武は北千住に特急を停車させて千代田線や日比谷線、さらにはJRからの集客を図っているほどです。
仮に東武がなく国鉄だけなら東京からですら草津や房総のように高速バスに敗退したかも。
あと、東武の競合相手が国鉄だったことも良かったと思います。伊豆箱根のように東急、西武、小田急が三つ巴で争うような展開だったら別の結果もあったかもしれません。
箱根戦争の時代は小田急は直前まで東急に吸収されていたから、小田急は東急の影響力を活用してました。
小山短絡線みたいな日光線短絡線の計画があったのを知りませんでした。
車両も157系ハザは、確か傾斜固定で二列一体のロマンスシート。
1720系の座席は国鉄グリーン車並みの3段リクライニングシートでは差がありすぎでしたね。
雀宮駅~鶴田駅間の短絡線計画は初耳でした。
1720系DRC、平成2年に乗りましたが、引退が近い時期にも関わらず、豪華な設備に感心した記憶があります。
帰路は「スペーシア」でしたが、こちらも素晴らしい電車でした。
それ以降も「スペーシア」を愛用し、昨年は「スペーシアX」にも乗車し素晴らしい体験を味わうことができました。
現地での観光施設・宿泊施設・二次交通も東武グループが担っており、国鉄・JRとは力の入れ方の違いが勝敗を分けたという考察には大いに納得です。
国鉄・JRに勝ち目があったとすれば、JR日光線のミニ新幹線化だったと思います。大宮以南の厳しい速度制限はあるものの、日光線内を各駅停車ではなく、主要駅停車の優等列車で運行すれば、宇都宮駅で東北新幹線に乗り入れ、ターミナル駅としての利便性の高い、大宮・上野・東京駅に直行することで、宇都宮駅のスイッチバックが残ったとしても、所要時間面で優位になり一定のシェアを獲得できていたことと推察します。
1969年に157系が日光線から撤退した経緯が不思議で仕方がありませんでしたが、伊勢志摩輸送での近鉄VS国鉄・JRと同様、財界有力企業である東武鉄道への遠慮や、「民業圧迫」批判回避も、国鉄サイドにあったものと推察します。
ただ、1720系DRC・「スペーシア」・「スペーシアX」の乗車体験の素晴らしさは、それらの疑問をすっぱりと忘れさせてくれる素晴らしいもので、東武鉄道の日光開発にかける思いの強さが、東武一強という状況を作り出していったものと思います。
戦前の国鉄は、足尾線→両毛線→東北本線→日光線→日光軌道線のルートで足尾銅山の鉱石を運んでいたそうですが、トラック輸送に切り替わっちゃえば 雀宮〜鶴田の短絡線需要は無いですよね😅
ボクの地元なので、短絡線無くて良かった。自衛隊と富士重工を避けて敷設すると線形も悪かっただろうと妄想できます。
当時の国鉄と東武の事情が大きく影響しているのは間違いないと思います。この動画を視聴してひとつ気になった事ですが、雀宮から短絡線を設置するのではなく、宇都宮からスイッチバックなしで日光に行けるような線路変更を考えていたら全く違っていたように思います。身延線が東京方面からスイッチバックなしで直通できるように変更した、という例がありますから
ちなみに宇都宮が餃子の街として認知されたのが30年前。
山田邦子の番組(山田商会)で宇都宮=餃子とアピールしたところ大バズりしたのがきっかけです。なので宇都宮市の反発は相当なものだったと推測出来ますね((( ;゚Д゚)))
2:43 雀宮ー鶴田の短絡線は、宇都宮台地の地形の関係で昭和中期でも難しかったのでは? 富士重工宇都宮製作所の北に日光線は通っていますが、東北本線と分岐するあたりからは切通しを通っています。宇都宮の北の鬼怒川沿いに線路を敷いて、日光線に合流する案もありましたが。
17:29 新栃木が分岐点ですが、系統的には栃木で分かれています。また、数年前のダイヤ改正から、特急の停車駅が栃木となりまして…
確かに日光はこれからもインバウンドなどで栄えるのだろうけど、東武は鬼怒川線とかどうするのかな。鬼怒川の廃墟群などを見るにつけ、あそこも再開発して欲しいと思うのですが。
寂しいことに宇都宮線ってコレだけなんですよね、特急。
栗橋までですが東武に感謝です。
小学校の修学旅行が日光でしたが、実は川崎駅から当時の国鉄の修学旅行用臨時列車で行きました。なので降りた駅は当然国鉄日光駅。風情はいいですし鉄道に乗れること自体は楽しかったのですが、小学生としては東武日光のほうがキラキラ見えましたね。それを考えると当時の日本人たちが東武を選び国鉄を択ばなかったのは当然だったとも言えるでしょう。ただ、それでも日光線がJRの路線として残ったことに意義があるのではと思います。地方ローカル線で廃線の危機にある路線もある中、残ったからこそ地域輸送とインバウンドに選択される路線になったわけで、東武日光線は日光への観光一択になったとも言えます。その点で言えば、むしろ今後はJRのほうが有利とも言えるのかもしれません。SL大樹を投入し日光や鬼怒川をテコ入れする東武には、むしろ普段使いが減っている分危機感が見受けられるのは私だけなのでしょうか。スペーシアXの投入はまさに、安泰のJRに対する東武の危機感の表れのように見えます。これってまさに、新幹線に乗って観光列車に乗ってもらうという、JRのやり方と同じですので(もちろん、JRが私鉄をまねた結果が観光列車だと言えますが、むしろ私鉄で観光列車が近年生まれているのはJRの影響という側面もありますから。もともと私鉄には観光列車は少なかったので)。
スペーシア乗りたさに金券ショップで東武の株主優待券を時々買います。
快速みえVS近鉄特急も見てみたくなりました。
鐡side制作お疲れ様でござい〼🫡
東武界隈の話は解りませんが、地元沿線に置き換えると、近鉄の伊勢志摩観光開発と参宮線の対比にも近いものがありますね🤔
なるほどなるほど🧐
宇都宮の短絡線が開通していたら、日光観光は競争が激化していた。
栗橋の短絡線が出来て、日光方面の列車は相互に乗入れた。
好評でガチ競争中なら乗り入れないと思うのですが、日光に訪れる観光客が減少して、浅草だけ、新宿だけ、では集められなくなってる?
90年代柏から日光まで直通の列車乗った思い出があります
修学旅行需要を取り込んだ臨時列車だったかもしれないですけど、
もしそうだとしたらそういうニーズに応えられる私鉄の強さも東武の勝因なのかも
新幹線開業の甲斐もあって、都心と宇都宮の利用者が爆増したので、JRもそこまで困ってなさそう。
快速みえと近鉄特急(名伊)を似た例としている方が多数居られますが、快速みえのライバルは名伊特急というより急行電車ですね。
国鉄157系🆚東武1720系の競争も今は昔。東武の最大のライバルは[🚙🚌🛣]になった。
すべてその通り!
取材力に星みっつ!
JRは通勤通学の日常列車から抜け切れず 東武は浅草からすでに観光が始まるイメージ。箱根いくのに小田急ロマンスカー乗った瞬間から観光始まるような感じ?
東北新幹線の那須塩原駅は観光駅として成功したような気がする。元からある街中へむけた出口は昔のままだが 新幹線駅ができて観光地側の出口は新しい街になってる。
17:04 東武日光線って、東武動物公園~新栃木は駅間距離が長いのに、新栃木以北は都会並みに駅間距離が短くなるんですよ。だから乗車人員が2桁なんて駅が出てくるんです。東武は浅草直通の快速を廃止した後も、1日に2本だけ新栃木以北でも通過運転する急行を運行しているけど、はっきり言って乗車人員の少ない駅を統廃合したほうが合理的だと思いますね。
JRは逆に、日光線も宇都宮線も駅間距離が長すぎです。東武宇都宮線は、宇都宮市内の短い距離に4駅あるのに、JRは宇都宮線に3駅、日光線に1駅ですからね。JRが宇都宮市内の移動に使えないんだから、宇都宮駅が起点のLRTの利用者も限られますよね。
伊勢・鳥羽への近鉄対JRとも似た関係ですね
浅草もしくは北千住乗り換えが前提となるが、日光・鬼怒川は運賃の安い私鉄特急で気軽に行けるのが良い。
ただ鬼怒川線内のノロノロ運転がじれったい。バブル期に鬼怒川線も複線化してほしかった。
そう言えば約40年前の日光への移動教室(修学旅行とは言わない💦)には東武で行ったような気がする(江東区出身者)。
逆に神奈川県の小6の修学旅行は県内の各駅からJRで日光に向かいます。宇都宮で方向転換もあります。
車両は155→167→183→185→E257と変わりましたが、毎年春の恒例運転が行われています。生徒の多かった時代は最大11両でしたが、今は5両になってしまいました。
@@TSUYOS185小学生当時川崎に住んでいた私は155系でした。
当時は153系かと思ってましたが、修学旅行ですもんね😅
157系は人気の「こだま」の補完として東海道線を「ひびき」の名で爆走した頃が最も華やいでいたんでしょうね。
JR日光線と東武日光線の間に住んでいます。東京に行く時は東武線、宇都宮に行く時はJRで便利です。
東京からJRで日光直行の車両がなぜないのか不思議でしたが線路の理由があったんですね。
雀宮から鶴田駅の短絡線できてたら、上野東京ライン熱海発日光行きとか胸熱な電車が誕生していたんだろうな
JR宇都宮駅東武宇都宮駅直通列車とかも相当胸圧です。
かつての国鉄には、伊東→日光を約4時間で結ぶ、
準急「湘南日光」というのが走っていた。
大昔は東武宇都宮発着の浅草行準急が
ありましたね(その逆もあり)。
もし国鉄がこだま号の延伸扱いで151系を投入してたらどうなっていたろうか?
国鉄は、本社と各鉄道管理局がバラバラで動いていたから駄目だったのでは???
また、電車は、近距離で長距離に向かないと考えていたから電化が進まなかったのです。
そのせいで、大阪管理局が新快速を登場させたときに、本部がああだこうだ言ってきたそうですね
@@KamikazeRapidService 国鉄時代は、電車線が各鉄道管理局の管轄で特急や貨物列車が通る列車線が、本社の管轄でした。
大阪鉄道管理局が、新快速を列車線で運行しようとした時に、本社が駄目と言った様です。
賛成
国鉄という建前で、画一性に拘った結果がこの体たらく
まともに勝負しようとするなら、関西の新快速に投入された117系並みのサービスを提供するしかなかったと考える(特別料金不要で、デッキの有無を除いて特急型185系と同等の車内設備)
これが、分割民営化の正しさであり、ローカル線の活性化の試行と廃線につながるわけです。
@@KamikazeRapidService
本社管轄の特急雷鳥を新快速が追い抜いて大鉄局はエラい怒られたそうですね。
栃木県内では、都会と言えば宇都宮ぐらいしか有りませんが、日光(旧日光市)の人はJRで宇都宮に行けますが、鬼怒川(旧藤原町)の人は、電車で宇都宮に行けないんですよね。
東武の日光鬼怒川行きが宇都宮を通らないのは、県内生活者には致命的で、観光需要以外にあり得ないというのが弱点ですね。
そこで、鶴田のJRと東武が交差しているあたりに乗換駅か相互行き来できるような線路の敷設ですね。
地元商工会は完全に東武経済圏ですからね!
JRで来ても結局は東武グループにお金が落ちますし…
しかし 東武は少し古風なところがありスペーシアXではサロンカー的なシートにバーカウンターを備え
私鉄では珍しく駅弁に力入れたりと…
都内のターミナルである浅草と池袋にバス路線が無いってのも不思議なもんです
あっ西武もですね!
確か少しだけあったと記憶していますが…
宇都宮商工会議所には東武鉄道から金が流れたんだろうなぁ、宇都宮の商店街の中心部は東武鉄道駅だもんね。
こんにちは。
沿線の鉄道外事業が大きいですね。
東武の日光vs国鉄日光線
近鉄の伊勢vs国鉄参宮線
JR日光線 開通までの歴史
明治19年
宇都宮より今市までの汽車小鉄道敷設願
この時の中心人物は鹿沼宿 柳田治作他36名
明治20年
発起人らは「日光鉄道会社」を設立
創立委員長は渋沢栄一
明治22年
鉄道局の井上勝長官は「日本鉄道会社」の理事会で
日本鉄道会社が宇都宮―日光間の鉄道の建設・経営を
引き受けてはどうかと打診
日本鉄道会社が自らの支線として日光線を経営することに決定
明治23年
日光線の正式開通は明治23年(1890) 8月1日
そうだよね。以前華厳の滝に行ったとき、スタッフの親父が東武鉄道の制服を着ていて(昔の茶色いやつ)、え!ここ東武鉄道なの!?って思った。
1720系はジュークボックスもついていましたね。
でも今にすると音飛びしなかったのかな?
何も無い田んぼを大開発した阪急
伊勢参りを身近にした近鉄
そして、日光を我がものにした東武
大手私鉄の最大の強みは、このような攻めの姿勢による「需要の創出」なんでしょうね
おお、日光線の話題。地元なので嬉しいです。
国鉄は157系電車を準急で使っていたが、東海道線「ひびき」や伊東線「あまぎ」とかの方が独占かつ稼げるとそっちに回してしまい、「日光」は165系運用に格下げしてしまってる。東北筋も新幹線開業までは特急や急行更に貨物で混雑しており、本社の本音は「日光輸送なんか力入れたら線路容量が足りなくて困る」とか考えていてもおかしくない。
御殿場線の急行「ごてんば」も高速バスや小田急直通の「あさぎり」に負けて昭和末には消えてるもんね…
当時の国鉄は急行といったら「165系」ですからね😅
あれじゃ勝てるわけない…輸送力はあるけど…
@@kenken-c2w
その前は153系、その後は185系で特急格上げでしたからなあ…画一化という
一元経営の悪い面が多くでてました
国鉄に比べて狭い地域を営業圏とする東武には日光・鬼怒川で食っていくんだという覚悟のようなものがあったのだろうと私も思います。それでDRCをつくったのだと。
ただ、世代のせいにはしたくはないですが、DRCや鬼怒川温泉の雰囲気はどんちゃん騒ぎを連想してあまり好きではありません。そのため、日光の高付加価値化には好印象を持っています。以前に訪れたのは子供のころで明確に比較できるわけではありませんが、品のある感じになっているような気がしています。
今はJRは対東京(インバウンド)だけじゃなくて、東武が直通していない常磐線沿線等からの直通便を走らせて棲み分けしてるイメージです。
横浜や千葉あたりからもJRからの直通特急が走れば良さそうなものですが、、
1980~2000年代だとDRCの本数を見ると東武は日光よりも鬼怒川の方に注力していた時期があるんですよね。
興味深い内容でした。
もし、仮に西武秩父線が軽井沢まで延伸していたら、軽井沢戦争もまた西武の勝ちになったと思われますか?
貨物と長距離旅客が 国鉄の本流とされた時代ですね、若干だが東京と大阪の通勤輸送も少しは考慮してたが
それ以外はどうでもいい 民鉄に任せておけばいいという考え
東武線の日光周辺の地域輸送が、そこまで需要が低いとは知りませんでした。通りで、特急や観光客輸送にあそこまで大きく力を入れ続ける訳ですね。
考えてもみれば、特急列車のブラッシュアップに留まらず、SL大樹まで走らせるくらいですからね😮
まあ、冷房&シートラジオ付きの近鉄特急の対抗として「乗り心地の悪いシート&台車」のキハ17系(の2エンジン車)を投入した関西線準急よりはマシでしたが・・・仮に戦前に日光まで電化していたら、もしかするとモハ52(流電)を投入していたかも?
185系の臨時列車走らないかな。
小学生の修学旅行用路線みたいなもんですよね
東武は以前に東上線池袋⇔東武日光(秩父鉄道経由)の臨時列車があった。国鉄を利用したほうが遥かに早いのだけど池袋からも運行させる程日光という観光地に力を入れていたのがわかる例である。団体列車で復活して欲しいけど保安設備の関係で難しいみたいだ。
国鉄が東武の鉄道輸送事業に付随してターミナル駅周辺の街づくりや観光開発を行った日光駅まで鉄道輸送バトルを熾烈に繰り広げられ、結果的に東武が勝利しました。
それ程、宇都宮駅手前の短絡線建設や157系電車を投入してまで東武との鉄道輸送に勝利したかった思いがあった事が伝わってきます。
ただ、仮に国鉄が日光駅までの鉄道輸送に勝利したとしましても、結局は日光駅周辺を開発した東武にお金が落ちる事となった訳で、東武にとって国鉄との鉄道輸送バトルは結果的に日光への更なる誘客に成功したかと思います。
私鉄はどうしても都会中心で、東京からの観光客目線で見れば、確かに東武鉄道は便利ですね。でも日光や今市に住んでいる人にとっては、県都宇都宮へ行くのは、東武では大回りになり、JR日光線が便利なんでしょうね。
国鉄は鬼怒川方面への開発をあきらめたから、その影響もあるかも。
今市から会津線に接続する予定だった。
宇都宮は首都圏から近すぎるのではなく、首都圏です
法律で そうなってるのよね
首都圏
「首都圏整備法」の適用される範囲をいい
東京を中心に半径約150キロメートルの区域
すなわち
東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬、山梨
の1都7県全域にあたる
おもしろい動画でした。
でも結局は日光線は新幹線に負けたということですね。