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リクエストに応えていただきありがとうございます。この特急「第一富士」や急行「四国」には乗ったことはありませんが、育ちが岡山なので宇高連絡船にはお世話になりました。連絡船の甲板で吹きさらしの海風を浴びながら名物のうどんをすすったのも何度やら。宇和島到着、その日のうちだったんですね。
当時も今も変わらないのは、東京駅から2回乗り換えれば宇和島まで行ける。ということですか。とはいえ、熱海に富士が止まらなかったら、今ののぞみを静岡に止めろという話と同じことが起こったのかもですね。
特急「第1富士」🗼東京 → 横浜 →熱海⛵️→ 🐔名古屋🏯→ 岐阜 → 🌲京都 → 🐙大阪 → 🎅三ノ宮🛩️ → 👸姫路 → 🍑岡山🗻→ 宇野(宇高連絡船)🚢→ 🌲高松 急行「四国」→ 宇多津♪→ 🍊伊予三島🏝️→ 新居浜 → 🍊伊予西条 → 今治 → 🌲松山⏳️ →🍊伊予大州 → 八幡浜 → 🐰卯之町 → 宇和島🏝️ 🍀
予讃線はロマンの塊😂❤😂
熱海〜名古屋間はノンストップだったんですね😳運転士はこだまと同じように安倍川橋梁を通過中に交代していたのでしょうか?
当日に着くんだ・・・
熱海ー名古屋無停車か…すごいっすね、、
せっかく 瀬戸大橋が 開通しても,四国特急は 岡山止まりであり,大阪 方面には 直通しません(岡山 → 新大阪 は 在来線特急が 直通しない)。
あくまでも新幹線でできるだけ近くのターミナルまで、が基本ですしね。あと特に姫路から東は新快速がメインでなかなか特急列車ですら入れないというJR西の事情も(やはり昭和時代の戦前から阪急阪神京阪との京阪神間競争がねぇ)
後に東海道新幹線の駅ができる小田原、浜松、豊橋、米原が通過だったのですね。最も新大阪は存在しませんでしたが...
静岡も…
@@masurao4140さん忘れていました。すみません😣💦⤵️ご指摘いただきありがとうございました...
逆に横浜は全ての特急が停車していたのに新横浜はこだまだけという現象が長年続くことに。新横浜に全列車が停車するようになったのは開通から40年以上あと。品川駅が出来ても一部ののぞみとひかりは品川と新横浜の振り分け停車でした。
八幡浜市内の住民ですが、八幡浜に停車するのですね。フェリーで九州に向かう人のためかな
昭和30年代に東京~宇野間に「富士」の名称の特急があり、歴代の他の富士号に比べれば地味だと思っていました。が、熱海を出て次は名古屋までノンストップとは驚きました。なぜかそのあと岐阜に停まりますが、あとはほぼ「のぞみ」の停車駅と同じですね。東京~大阪間は6時間半で当時の特急「こだま」とほぼ同じ所要時間で、宇野まで9時間20分。
熱海駅に停車するのは意外ですね。
@@山形祐介-e5l 当時、熱海は屈指の温泉街だったのでしょう。ほぼすべての特急が停車していました。
@@kataakeo7730さま熱海と沼津での振り分け停車ですね。特急が少ない時代はごく普通にありました。急行は全て熱海、三島、沼津でした。近年では北陸新幹線のかがやき号が金沢から敦賀の間で福井はデフォルトですが、その他が加賀温泉・芦原温泉停車と小松・越前たけふに振り分け停車させています。
@@TSUYOS185 確かに熱海に昼行特急全停車ではありませんでした。熱海:沼津=7:2(但し熱海停車のうち2本は臨時便)でした。ちなみにその後は静岡、浜松、豊橋が各2本ずつしか停車せず、残りは名古屋までノンストップであり、これが新幹線開業後のひかりが、東京名古屋ノンストップ運転につながっているような気がします。
12:38 通過と表示されている多度津での乗換案内がされているのは??
手元にある1964年9月号の交通公社の時刻表と比較しましたが、特急第一富士、宇高連絡船、急行四国のダイヤは全く同じです。静岡に停車し、岐阜は通過扱いに変わったくらいです。宇多津は通過で、多度津停車が正しいのではないでしょうか。この年の10月1日に東海道新幹線が開業し、東海道本線の電車特急は全廃、富士の列車名称は東京〜大分間の夜行寝台特急列車に引き継がれました。
2、3分程度だが、第一富士が踊り子号よりも速い、もしかしたらスーパービューやサフィールとデッドヒートを演じられるかも。
静岡も浜松も通過…これには恐れ入りました。なのに岐阜には停車?三ノ宮には停まるのに神戸は通過というのも少し不思議な気がしました(三ノ宮の方が利用者が多いのかな?)。在来線と宇高航路の接続時間が10分というのも、なかなかハードですね。帰省ラッシュの時だと接続に間に合わないケースもあったかもしれませんね。
この時代ですら神戸の中心は三宮だったからこそ三ノ宮だけの停車にしたのでしょう。新大阪始発の夜行が多数設定されていたときには特急は三ノ宮と神戸で選択停車させていた時代もありました。当時の新快速が神戸に停車しないのに不思議なものでした。
@@TSUYOS185 いや、この頃はまだ神戸と三ノ宮の選択停車制だったようです。第2富士は東京発神戸行にして三ノ宮通過でした。大阪発九州行の昼行特急もかもめは三ノ宮停車でみどりは神戸停車でした。
この選択停車ば特急はまかぜが出来るまで続いており、ゴウマルサンダイヤ改正まで続き寝台特急は無くなるまで選択停車でした。
この頃はまだ岡山までしか山陽本線は電化されておらず蒸気機関車が以西で牽引していました。寝台特急は岡山からC62型がヘッドマークをかざして先頭にたっていました。この中には1号機も含まれています。
@@TSUYOS185 さんありがとうございます!当時すでに三ノ宮が神戸の中心だったんですね。幹線の起終点って、基本的に停車というイメージがありました。そういえば、夜行列車でも三ノ宮停車のものと神戸停車のものがありましたね。でも、新快速が神戸通過というのは知りませんでした。
特急「富士」東京→ 横浜 → 熱海→ 名古屋 → 岐阜 → 京都 → 大阪 → 三ノ宮 → 姫路 → 岡山 宇野 → (宇高連絡船) → 高松 急行「四国」→ 宇多津 → 伊予 三島 → 新居浜 → 伊予西条 → 今治 → 松山 → 伊予大洲 → 八幡浜 → 卯之町 → 宇和島 🌰
宇多津は瀬戸海峡線ができてからの分岐点なので、このころは多度津(土讃本線との分岐点)ではないでしょうか?
この頃の151系は、変電所の容量の関係で宇野線内では電動車1ユニットカット運転でしたっけ?
いつもありがとうございます。阪神地区と四国は瀬戸内海を行く航路との競合があったものの、首都圏からでは国鉄の一択だったのでしょう。その日のうちに快適な特急電車、さらには連絡船や急行を乗り継いで瀬戸内海沿いの都市や松山、さらには宇和島まで行けるようになったのも大きな歴史だと思います。四国内の急行の停車駅が相当少ないことも本州から瀬戸内海沿いの工業都市や県都松山、西予地域との連絡に全振りしていたのですね。この列車を最優先に通すためにその分普通列車や反対方向の列車に皺寄せが来ていたとは思いますが。
今日は四国への旅ですね!この当時特急はまだ無く(登場は11年後の1972年10月改正から)、急行や準急だったようですね。四国は線路の軌道レベルが低くC58やC56等の機関車しか入線出来なかったので、無煙化が早く出来たそうです。
四国の無煙化は他の地域より10年早かったのが良かったのですが、その後は近代化が遅れ、国鉄が民営化される直前までキハ58の急行がフル回転していましたね。
四国の近代化は、当時の国鉄総裁だった十河信二氏の命で、矢山康夫四国支社長の元で実施されています。無煙化・ディーゼル化から進まないなかったのは、人の問題も大きい様に思います。
四国島内は今の特急より停車駅が少なかったんですね、当時の四国屈指の韋駄天列車ではあったようですが…ふと疑問ですが、連絡船自体の余裕時分はどれくらいあったのかが気になるところです。ただでさえ前後の乗り換えがシビアな中、長距離列車ゆえに遅れを引きずってくることも少なくなかったでしょうし…それこそ「首都圏の人身事故が線路に繋がってない北海道や四国にダイヤ乱れを引き起こした」みたいなこともありえなくはなかったでしょう。今ほど事故処理が丁寧ではなかったとは言われているにしても…
このころは、四国は急行が最速種別でした。
発車する東京駅15番線は今は新幹線ホーム。
宇和島って、うち(伊達藩)の分家なのでそれだけで萌えます。
151系時代の「富士」といえば踏切事故…。最初の特急愛称で、富士山麓を突っ切るからリニア用にJR東海が温存している説が。
東海道新幹線ののぞみの愛称を中央リニア新幹線に明け渡して今ののぞみを富士にした方が富士山見えて良い様な…
今は商標にうるさい時代。特急列車の愛称は各社で商標登録されています(例・はやぶさは「旅客車による輸送」という指定役務でJR東日本が登録。)富士はもともとの経緯でJR九州が登録しています。
153系で代走になった特急こだまは「替えだま」と呼ばれました。ただ、153系でも151系と同じ速度で走ることができたそうです。153系代走になったとき、151系を楽しみにしていた当時の子供たちがたいへん悲しんだと聞いたことがあります。
折り返しで使うはずのうずしお号の車両はなんと80系。
当時は16時間弱。今でも8時間かかるのか…。相対的な時間距離として、宇和島の人にとって東京は近くなったのか遠くなったのか、興味深いものがあります(愛媛県南西部には空港がありません)
動画内で宇多津停車となってますが、多度津ではないでしょうか。宇多津は今でこそ、特急の停まる規模の大きな駅ですが、瀬戸大橋開通前は田舎にあるような小駅でした。
確かに。動画では多度津駅乗り換えの表示があるのに、なぜか宇多津駅に停車していることになっています。実際には宇多津通過で多度津駅の時刻でしょうね。
私がリクエストするのは昭和63年の寝台特急「北陸」とL特急「加越8号」と新幹線「ひかり332号」の時刻旅をリクエストしますお願いします
静岡も浜松も通過?
この日をもって、宇和島は日着が可能になった。鉄道しか手段がなかった時代の話。
確かに。今は(というか20~30年くらい前から?)、東京から松山は飛行機がメインの交通手段ですね。宇和島へは、空港からのバス移動か松山駅経由で鉄道かどちらかでしょうね。
浜松通過するのか・・・
卯之町という駅にはなぜ停まるのですか?
地元県民の推測ですが、当時の東宇和郡宇和町の中心地(現在では、その東宇和郡をほぼ市域とする西予市の市役所があります)であり、南予地域の交通の要衝でもあったからではないかと思います
八幡浜と宇和島のちょうど中間点で、両者をノンストップにするよりも卯之町に停車した方が良いとの判断でしょうね。
熱海は停まるのに静岡浜松は通過してしまうという…静岡浜松は逆に急行が充実していたから停車しないということなのだろうか?あと急行四国の坂出丸亀を通過して間の宇多津には停まるというのもなかなか興味深いw
兵庫県内は三ノ宮にも姫路にも停まるのにね。熱海停車は当時の温泉客需要対策かな。
@@Kineosporia そこは、今ののぞみの岡山&広島行が新神戸と姫路に停車するのと似ているとも言えます。
富士は富士駅に止まれません。
宇多津と多度津 間違えてませんか?
四国上陸して、高松からの予讃線乗り換えは、なぜ表題の急行「四国」? ここは普通列車を案内してほしかった。また、停車駅が多度津ではなく宇多津になっていますよ。あと、寝台特急「富士」は最長西鹿児島まで運転していたこと(大分行きは末期)を忘れていますね。
シウマイ弁当の値段が10倍くらいになってて草
封筒の郵便料金も今は当時の10倍くらいですね。
当時の大卒初任給が約2万円なので、貨幣価値がかなり変わったようですね。
リクエストに応えていただきありがとうございます。
この特急「第一富士」や急行「四国」には乗ったことはありませんが、育ちが岡山なので宇高連絡船にはお世話になりました。連絡船の甲板で吹きさらしの海風を浴びながら名物のうどんをすすったのも何度やら。
宇和島到着、その日のうちだったんですね。
当時も今も変わらないのは、
東京駅から2回乗り換えれば宇和島まで行ける。
ということですか。
とはいえ、熱海に富士が止まらなかったら、今ののぞみを静岡に止めろという話と同じことが起こったのかもですね。
特急「第1富士」🗼東京 → 横浜 →熱海⛵️→ 🐔名古屋🏯→ 岐阜 → 🌲京都 → 🐙大阪 → 🎅三ノ宮🛩️ → 👸姫路 → 🍑岡山🗻→ 宇野(宇高連絡船)🚢→ 🌲高松 急行「四国」→ 宇多津♪→ 🍊伊予三島🏝️→ 新居浜 → 🍊伊予西条 → 今治 → 🌲松山⏳️ →🍊伊予大州 → 八幡浜 → 🐰卯之町 → 宇和島🏝️ 🍀
予讃線はロマンの塊😂❤😂
熱海〜名古屋間はノンストップだったんですね😳
運転士はこだまと同じように安倍川橋梁を通過中に交代していたのでしょうか?
当日に着くんだ・・・
熱海ー名古屋無停車か…すごいっすね、、
せっかく 瀬戸大橋が 開通しても,四国特急は 岡山止まりであり,大阪 方面には 直通しません(岡山 → 新大阪 は 在来線特急が 直通しない)。
あくまでも新幹線でできるだけ近くのターミナルまで、が基本ですしね。
あと特に姫路から東は新快速がメインでなかなか特急列車ですら入れないというJR西の事情も(やはり昭和時代の戦前から阪急阪神京阪との京阪神間競争がねぇ)
後に東海道新幹線の駅ができる小田原、浜松、豊橋、米原が通過だったのですね。最も新大阪は存在しませんでしたが...
静岡も…
@@masurao4140さん
忘れていました。すみません😣💦⤵️
ご指摘いただきありがとうございました...
逆に横浜は全ての特急が停車していたのに新横浜はこだまだけという現象が長年続くことに。
新横浜に全列車が停車するようになったのは開通から40年以上あと。品川駅が出来ても一部ののぞみとひかりは品川と新横浜の振り分け停車でした。
八幡浜市内の住民ですが、八幡浜に停車するのですね。
フェリーで九州に向かう人のためかな
昭和30年代に東京~宇野間に「富士」の名称の特急があり、歴代の他の富士号に比べれば地味だと思っていました。
が、熱海を出て次は名古屋までノンストップとは驚きました。なぜかそのあと岐阜に停まりますが、あとはほぼ「のぞみ」の停車駅と同じですね。東京~大阪間は6時間半で当時の特急「こだま」とほぼ同じ所要時間で、宇野まで9時間20分。
熱海駅に停車するのは意外ですね。
@@山形祐介-e5l 当時、熱海は屈指の温泉街だったのでしょう。ほぼすべての特急が停車していました。
@@kataakeo7730さま
熱海と沼津での振り分け停車ですね。
特急が少ない時代はごく普通にありました。急行は全て熱海、三島、沼津でした。
近年では北陸新幹線のかがやき号が金沢から敦賀の間で福井はデフォルトですが、その他が加賀温泉・芦原温泉停車と小松・越前たけふに振り分け停車させています。
@@TSUYOS185 確かに熱海に昼行特急全停車ではありませんでした。熱海:沼津=7:2(但し熱海停車のうち2本は臨時便)でした。
ちなみにその後は静岡、浜松、豊橋が各2本ずつしか停車せず、残りは名古屋までノンストップであり、これが新幹線開業後のひかりが、東京名古屋ノンストップ運転につながっているような気がします。
12:38 通過と表示されている多度津での乗換案内がされているのは??
手元にある1964年9月号の交通公社の時刻表と比較しましたが、特急第一富士、宇高連絡船、急行四国のダイヤは全く同じです。静岡に停車し、岐阜は通過扱いに変わったくらいです。
宇多津は通過で、多度津停車が正しいのではないでしょうか。
この年の10月1日に東海道新幹線が開業し、東海道本線の電車特急は全廃、富士の列車名称は東京〜大分間の夜行寝台特急列車に引き継がれました。
2、3分程度だが、第一富士が踊り子号よりも速い、もしかしたらスーパービューやサフィールとデッドヒートを演じられるかも。
静岡も浜松も通過…これには恐れ入りました。なのに岐阜には停車?三ノ宮には停まるのに神戸は通過というのも少し不思議な気がしました(三ノ宮の方が利用者が多いのかな?)。
在来線と宇高航路の接続時間が10分というのも、なかなかハードですね。帰省ラッシュの時だと接続に間に合わないケースもあったかもしれませんね。
この時代ですら神戸の中心は三宮だったからこそ三ノ宮だけの停車にしたのでしょう。
新大阪始発の夜行が多数設定されていたときには特急は三ノ宮と神戸で選択停車させていた時代もありました。当時の新快速が神戸に停車しないのに不思議なものでした。
@@TSUYOS185 いや、この頃はまだ神戸と三ノ宮の選択停車制だったようです。第2富士は東京発神戸行にして三ノ宮通過でした。大阪発九州行の昼行特急もかもめは三ノ宮停車でみどりは神戸停車でした。
この選択停車ば特急はまかぜが出来るまで続いており、ゴウマルサンダイヤ改正まで続き寝台特急は無くなるまで選択停車でした。
この頃はまだ岡山までしか山陽本線は電化されておらず蒸気機関車が以西で牽引していました。寝台特急は岡山からC62型がヘッドマークをかざして先頭にたっていました。この中には1号機も含まれています。
@@TSUYOS185 さん
ありがとうございます!
当時すでに三ノ宮が神戸の中心だったんですね。
幹線の起終点って、基本的に停車というイメージがありました。そういえば、夜行列車でも三ノ宮停車のものと神戸停車のものがありましたね。でも、新快速が神戸通過というのは知りませんでした。
特急「富士」東京→ 横浜 → 熱海→ 名古屋 → 岐阜 → 京都 → 大阪 → 三ノ宮 → 姫路 → 岡山 宇野 → (宇高連絡船) → 高松 急行「四国」→ 宇多津 → 伊予 三島 → 新居浜 → 伊予西条 → 今治 → 松山 → 伊予大洲 → 八幡浜 → 卯之町 → 宇和島 🌰
宇多津は瀬戸海峡線ができてからの分岐点なので、このころは多度津(土讃本線との分岐点)ではないでしょうか?
この頃の151系は、変電所の容量の関係で宇野線内では電動車1ユニットカット運転でしたっけ?
いつもありがとうございます。
阪神地区と四国は瀬戸内海を行く航路との競合があったものの、首都圏からでは国鉄の一択だったのでしょう。
その日のうちに快適な特急電車、さらには連絡船や急行を乗り継いで瀬戸内海沿いの都市や松山、さらには宇和島まで行けるようになったのも大きな歴史だと思います。
四国内の急行の停車駅が相当少ないことも本州から瀬戸内海沿いの工業都市や県都松山、西予地域との連絡に全振りしていたのですね。
この列車を最優先に通すためにその分普通列車や反対方向の列車に皺寄せが来ていたとは思いますが。
今日は四国への旅ですね!この当時特急はまだ無く(登場は11年後の1972年10月改正から)、急行や準急だったようですね。四国は線路の軌道レベルが低くC58やC56等の機関車しか入線出来なかったので、無煙化が早く出来たそうです。
四国の無煙化は他の地域より10年早かったのが良かったのですが、その後は近代化が遅れ、国鉄が民営化される直前までキハ58の急行がフル回転していましたね。
四国の近代化は、当時の国鉄総裁だった十河信二氏の命で、矢山康夫四国支社長の元で実施されています。無煙化・ディーゼル化から進まないなかったのは、人の問題も大きい様に思います。
四国島内は今の特急より停車駅が少なかったんですね、当時の四国屈指の韋駄天列車ではあったようですが…
ふと疑問ですが、連絡船自体の余裕時分はどれくらいあったのかが気になるところです。ただでさえ前後の乗り換えがシビアな中、長距離列車ゆえに遅れを引きずってくることも少なくなかったでしょうし…それこそ「首都圏の人身事故が線路に繋がってない北海道や四国にダイヤ乱れを引き起こした」みたいなこともありえなくはなかったでしょう。今ほど事故処理が丁寧ではなかったとは言われているにしても…
このころは、四国は急行が最速種別でした。
発車する東京駅15番線は今は新幹線ホーム。
宇和島って、うち(伊達藩)の分家なのでそれだけで萌えます。
151系時代の「富士」といえば踏切事故…。最初の特急愛称で、富士山麓を突っ切るからリニア用にJR東海が温存している説が。
東海道新幹線ののぞみの愛称を中央リニア新幹線に明け渡して
今ののぞみを富士にした方が
富士山見えて良い様な…
今は商標にうるさい時代。特急列車の愛称は各社で商標登録されています(例・はやぶさは「旅客車による輸送」という指定役務でJR東日本が登録。)
富士はもともとの経緯でJR九州が登録しています。
153系で代走になった特急こだまは「替えだま」と呼ばれました。
ただ、153系でも151系と同じ速度で走ることができたそうです。
153系代走になったとき、151系を楽しみにしていた当時の子供たちがたいへん悲しんだと聞いたことがあります。
折り返しで使うはずのうずしお号の車両はなんと80系。
当時は16時間弱。今でも8時間かかるのか…。相対的な時間距離として、宇和島の人にとって東京は近くなったのか遠くなったのか、興味深いものがあります(愛媛県南西部には空港がありません)
動画内で宇多津停車となってますが、多度津ではないでしょうか。宇多津は今でこそ、特急の停まる規模の大きな駅ですが、瀬戸大橋開通前は田舎にあるような小駅でした。
確かに。動画では多度津駅乗り換えの表示があるのに、なぜか宇多津駅に停車していることになっています。
実際には宇多津通過で多度津駅の時刻でしょうね。
私がリクエストするのは昭和63年の寝台特急「北陸」とL特急「加越8号」と新幹線「ひかり332号」の時刻旅をリクエストします
お願いします
静岡も浜松も通過?
この日をもって、宇和島は日着が可能になった。鉄道しか手段がなかった時代の話。
確かに。今は(というか20~30年くらい前から?)、東京から松山は飛行機がメインの交通手段ですね。
宇和島へは、空港からのバス移動か松山駅経由で鉄道かどちらかでしょうね。
浜松通過するのか・・・
卯之町という駅にはなぜ停まるのですか?
地元県民の推測ですが、当時の東宇和郡宇和町の中心地
(現在では、その東宇和郡をほぼ市域とする西予市の市役所があります)であり、
南予地域の交通の要衝でもあったからではないかと思います
八幡浜と宇和島のちょうど中間点で、両者をノンストップにするよりも卯之町に停車した方が良いとの判断でしょうね。
熱海は停まるのに静岡浜松は通過してしまうという…
静岡浜松は逆に急行が充実していたから停車しないということなのだろうか?
あと急行四国の坂出丸亀を通過して間の宇多津には停まるというのも
なかなか興味深いw
兵庫県内は三ノ宮にも姫路にも停まるのにね。
熱海停車は当時の温泉客需要対策かな。
@@Kineosporia そこは、今ののぞみの岡山&広島行が新神戸と姫路に停車するのと似ているとも言えます。
富士は富士駅に止まれません。
宇多津と多度津 間違えてませんか?
四国上陸して、高松からの予讃線乗り換えは、なぜ表題の急行「四国」? ここは普通列車を案内してほしかった。また、停車駅が多度津ではなく宇多津になっていますよ。あと、寝台特急「富士」は最長西鹿児島まで運転していたこと(大分行きは末期)を忘れていますね。
シウマイ弁当の値段が10倍くらいになってて草
封筒の郵便料金も今は当時の10倍くらいですね。
当時の大卒初任給が約2万円なので、貨幣価値がかなり変わったようですね。