【寝台特急富士 】時刻表の旅 2002年8月 東京→大分
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- เผยแพร่เมื่อ 28 มิ.ย. 2024
- 2002年8月ダイヤの時刻表をもとに、
動画内で再び「寝台特急 富士」を走らせてみました。
実際に乗車している時の風景はありませんが、
乗車している時に入ってくるであろう情報をお届けしています。
当時の雰囲気を味わうための参考としていただければ幸いです。
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お借りしたBGM
フリーBGM DOVA-SYNDROME
ワスレナグサ/作(編)曲 : まんぼう二等兵 様
「星降る空」/作曲:もっぴーさうんど 様
「水の声」/作(編)曲 : もっぴーさうんど 様
「雨雫」/作(編)曲 : もっぴーさうんど 様
「神隠しの真相」/作(編)曲:しゃろう 様
#JR #鉄道 #平成 #日本国有鉄道 #発車時刻表 #時刻表 #東海道本線 #東京駅 #ふじ #過去鉄 #富士 #ブルートレイン
あの頃の夕方〜夜の東京駅は見てるだけでもワクワクしました。その夜は今頃大阪着いたかな、とか時刻表見てから布団に入る変態でした。
まだ客車出雲やあさかぜが辛うじて生き残っていた時代でしたね。
平成になって徐々に夜行列車がなくなってきたぐらいか。
今では定期はサンライズのみ
でもここ最近は臨時ながら夜行列車の運行が増えてきてるのが嬉しい
レジェンド・ロングラン仲間の一角ですね。
懐かしいや。
乗ってみたかったなと思いながら、動画を拝見。
小さい頃に何度も観た鉄道番組で登場した頃のダイヤという面では今までよりなじみにある回でしたね。
開放式B寝台は豪華列車の個室以上に憧れる席でしたが憧れで終わってしまいました。
自分いわゆるブルートレイン乗車は青森〜京都で修学旅行で乗車した『日本海』だけです。
3段ベッドで狭くとても興奮してほとんど寝なかったこと思い出しました😅
最近❓の寝台列車ですが、トワイライトエキスプレスか北斗星動画にしてもらえたら道民の自分としては嬉しいですね☺️
この頃にもう南宮崎から大分までに短縮されていたんですね。確か車両がはやぶさと共通運用で、食堂車は休止され車販準備室になっていたようです。ロビーカーはまだ辛うじて連結されていたかな?って状況でしたね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
1993年には食堂車の営業は終了していましたね。
戦後、富士の列車愛称は偉大過ぎて、宝の持腐れ的な扱いを受けて来た。
サンロクトウで、東京〜宇野間の電車特急に命名された。
(東京〜神戸間運転の特急はこだまから富士に改称)。
1964年10月改正で東京〜大分間のブルートレインになり、翌1965年10月改正で日豊本線を南下し、西鹿児島まで延長され、日本一距離の長い運行区間を運転する特急列車になった。
背景に、当時は新婚旅行を中心に宮崎県の観光地が脚光を浴び、利用客が増えたからだと思います。
1986年10月改正で、利用客の減少により運転区間が東京〜宮崎間に短縮された。
2009年3月13日のはやぶさ・富士の下り最終列車のお見送りに、名古屋駅まで行きました。
現実的には他の交通機関と比べての優位性がなくなってしまったんですね。
飛行機のの最終便より遅くて初便より早く着いってって出来るのが唯一の生きる道か。
1980年のダイヤ改正で関西~九州の寝台特急の牽引機関車がEF58からEF65になったこともあり、大阪~長崎、熊本、大分では飛行機の最終便のあとに発地を出て目的地に一番便より前に到着する形のダイヤにしておりました。しかし需要は低迷、JRになったあたりで列車の本数減、さらには廃止されてしまいました。
停車されても困る時間だが 岡山広島通過はすごい
平成になったばかりの頃の富士号は京都や大阪を通過、逆に広島は停車していました。
東京駅を出発する時刻を早めたこともあるのでしょう。
@@TSUYOS185 確か昭和末期の富士(日豊本線経由西鹿児島行)は東京発18時00分だったので、京都大阪は通過でしたね。ただその頃は大阪京都発の寝台特急明星やなはが健在だったので、そちらでカバーできるとの考えだったのでしょう。
ところが、古い時刻表を見ると、1971(昭和46)年頃までは、寝台特急は真夜中でも停車していたようです。その後も夜行(急行を含む)は深夜停車していましたが、寝台特急だけは乗客扱いをしなくなったようです(運転停車はしているのでしょうが)。なぜそういう運用になったのかは不明です。
@@kataakeo7730さま
特急の場合は主要駅に停車するケースはあったものの、20系に座席車があった時代の名残かもしれません。東京発の寝台特急には大阪に深夜に停車するものもありましたが、1970年代には運転停車だけになっていますね。さらには大阪からの寝台列車が充実してきたこともあるのでしょう。
急行の場合扉が手動のものが多かったことから停車時に乗客が降りるケースがあることを想定して停車駅にしていたものです。
下りは通過駅なのに上りは停車駅というケースは多数ありました。さらにはダイヤ改正の度に停車駅が変わるケースもあったとのこと。
頻繁に反対側の列車の交換待ちで停車を行う臨時列車はその傾向が強いものでした。
その他には山陽本線の瀬野駅。セノハチ越えのための補助機関車を連結するために上りだけ急行が停車していました。
客車急行の運転停車が多くなったのは12系や14系の世代になってからでした。
日豊本線廻りの寝台特急富士なら、西鹿児島行を見たかった人もいるかもしれない。昭和50年代に突然ブルトレブームが来て、そのときよく富士の個室寝台がテレビで取り上げられていたような気がする。
1レ寝台特急富士の東京発車16:56。もう一方の1レである寝台特急北斗星1号も近い時間帯の16:50に上野駅13番線から発車してましたね。懐かしい。
宮崎ー西鹿児島(現在の鹿児島中央)をDF50で牽引して、東京ー西鹿児島間を24時間以上かけて走破していた時代が一番輝いていたのではないでしょうか...
西鹿児島まで走り始めた頃は門司からDF50でした。
その頃は新婚旅行先の一つとして日南海岸がクローズアップされ、寝台券をゲットするのも一苦労だったとか。
宮崎まで電化された頃には新婚旅行が沖縄やハワイなどの海外となっただけでなく羽田から大分や宮崎も航空路線が便利になっていました。
@@TSUYOS185 昭和42年に大分(実際には幸崎)まで電化され、同49年に南宮崎まで電化されたので、DFの牽引する場所は変遷したと思われます。
@@TSUYOS185 新婚旅行先として九州が人気だったのは、沖縄返還までくらいでしょうね。
その後、海外旅行しやすくなり、国内での新婚旅行は減りました。今後は分かりませんが。
宮崎ー西鹿児島と書いた理由は客車が24系25形の2段ハネで、門司や大分からDF50だった時代は客車が20系の狭い3段ハネだったからです...
@@exp.m.k.2300さま
その頃ともなれば国鉄は運賃、料金ともに5割の値上げで国鉄そのものが国民から見放されようとしていた時期でしたね。
時刻表を見れば華やかだったもののA寝台の個室や食堂車は付属編成の回転率を上げるために大分まで、さらには首都圏から宮崎や鹿児島まで乗り通す乗客も少なくなり、宮崎~鹿児島ともなると地域間でのヒルネ客がメインになっていたものと思います。
2段寝台にしたのは窮屈な空間を少しでも和らげようということもありましたが、寝台のセットや解体作業を省略する一面もありました。
いつも動画を楽しみにしております。
通過するのはわかってますが
戸塚駅は含まれないのでしょうか?
この時刻表の時代には戸塚に東海道線の電車は停車していますね。
ちなみに停車するようになったのは1980年10月からです。
それ以前は横須賀線の電車のみ停車で、現在の保土ヶ谷、東戸塚と同様でした。
戸塚駅は1980年から東海道線の電車が止まるようになりましたね。東戸塚駅はその時に開設されています。
その時まで川崎駅は朝のラッシュは横須賀線は停車していたものの東海道線は停車しませんでした。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
ご指摘の通りで、抜けていますね。時刻表掲載の駅名のみをリストにしたための誤りでした。今後は資料の確認をより詳しく行ってまいります。
熱海でよく見てました😢
19:40 辺りで出てくる「西鹿児島」は、宮崎空港の間違いではないですか? このにちりんシーガイアって今のそれとほぼ同じスジで動いてますよね?
ぼくが子供の頃、(昭和50年代)は東海道夜行列車が最後の輝きを放っていました。時刻表でしかなぞれない列車ばかりでしたが(笑)
夜の女王、なんて呼ばれてもいましたね
行き先西鹿児島の富士時刻表まだでしたら是非!
東京発の夜行列車は長い間長崎行きのさくら号が列車番号1を付けていたものがこの頃には富士号になっていました。
かつて動画に上げられた戦前の富士号と同じエースナンバーでしたね。
横浜で普通電車を追い抜くこともなく平塚まで普通電車の後追い、さらには九州ではソニックなどの特急に追い抜かれるというJR各社特有のダイヤ構成に翻弄された列車だったことが窺えます。
運行経路が鏡に写したつの字型になる本州から日豊線方面はどうしても厳しくなりがちですね。彗星の廃止も比較的早かったような?
小郡乗り換えの門司行は415系の九州車運用ですね。
大半は今でも見慣れた運行形態ですが、東海道線東京口の静岡行といい、ちょくちょく変わっているものもありますね…
やはり鹿児島線より峠越えが多く単線区間も長い日豊線は不利ですしね
富士・はやぶさが廃止されたのが15年前か…
たった15年で結構変わってしまったなぁ…
そうですね。はやぶさは、今では東北・北海道新幹線の最速達便なので。
この時代になると寝台特急は途中の駅で昼間の特急に追い抜かれることも多かったですね。
九州では電車の新型特急が最高速度130キロで走るなか、100キロが限界の客車列車は抜かれることを余儀なくされましたね。
ヒルネ利用でエアコン付きでフカフカの寝台に座席で座れたのは昭和40年代には快適であったもののこの時代には全くアドバンテージはありませんでした。
1コメ
このころの時代に戻って乗ってみたいものです
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
いつでも乗れると思い、乗らなかった事を後悔しています。
時刻表の旅をリクエストします
今度は寝台特急「富士」の宮崎行と寝台特急「さくら」の92年の時刻をリクエストします
戸塚駅どこ消えた?
このころの富士の東京発は17時前と、かつてのさくら、みずほの出発時刻みたいですね。
静岡県内はこまめに停車する反面、浜松から先は名古屋、京阪神のみの停車。そしてそこから小郡駅まで無停車(運転停車はあるのでしょうが)。運用の関係もあるのでしょうが、下関、門司、小倉をすべて停車しています。
このころはもう、京都大阪発の寝台特急はなくなっているかほとんどないのだとすれば、それと兼ねたダイヤ設定なのかもしれませんね。
1993年にさくら号と時間を入れ換え、この時刻になりましたね。その時点で列車番号が1になっていました。
さくら・はやぶさ号は福岡周辺のラッシュを避けた設定になっていました。
東京〜大阪間、速さだけなら、スーパーレールガーゴの勝ち(笑)。🤣🤣🤣🤣🤣
お願いだからサンライズ東北を走らせて欲しい。
IGRと青い森の通行料がかかる分割高でもいいから。