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美人と田舎と猪木は遠くから見るから良いのであって、近づくと苦労するのだと思ってます。
確かに❗素晴らしい考察‼️その通りだと思います☺️
うまい!
ほんまそれ!
うまいですね‼️でも田舎は、場所にもよるかもだけど、多少の不便はあれど、住めばミヤコということも多々ありますよ。
言い得て妙なり。
2000年代のプロレス人気の下降(特に新日本)は、ここから始まったのは間違いない。引退後の猪木は、プロレス界には必要なかった坂口さんは優秀な経営者だった ということですね。
4戦目の時の橋本が「猪木さんありがとうございました~」と言って崩れ落ちた時の、観客の「馬鹿かお前は~」のヤジが全てを物語ってましたね
あの試合は何回も観てしまう
4.7は高一の時に観に行きました。隣に座った気さくなお兄さんと仲良くなり、「どっちが勝つと思う?」と聞かれ、「橋本です」と答えたら、「でも小川はヒクソン戦まで行かないといけないからな〜」と返されて、衝撃を受けたのを覚えている。今考えるとかなり濃いファンだったのかも。実際猪木はその後小川をPRIDE参戦させてるし、チャンスがあればヒクソン戦というのも頭にあったかもしれない。
闘魂三銃士の中で猪木を最も崇拝していたがために最も猪木に人生を狂わされたのが橋本真也だと思う。
ずっとわからなかったところがわかってすごい面白かったし勉強になった
選手会の金を使い込んじゃダメでしょw
強い弱いの定規しか持っていなかった私少年はこの試合でプロレスに対する熱が一気に終わってしまった。その後の新日や橋本の試合を観てもどうせ誰も小川には勝てないんでしょ…とグレてしまった。。小川に勝つ以外、橋本の価値を戻す方法は無かったと今でも思っている。
同じです。強さの象徴だった橋本をあんな風にしてしまって、新日が大ダメージ負って=猪木も大ダメージ喰らうの分からなかったものかね。嫌だけど、せめて健介に小川を一度は葬らせないといかんかったわ。
@@rentaro276 私もこの辺りからプロレス熱が冷めていきました。あの時は世間がK−1やらPRIDEが異常なブームだったので猪木も乗り遅れてはならないと焦ったんだろうけどね。ただ、プロレスの威信を取り戻す為の役割に健介はないわ。そんな大役与えたら健介より下の人間が大量離脱しちゃう
@@thousand-violins 一応新日見続けてましたが、完全にPRIDEへ僕の気持ちは流れていきました。そして、永田政権が始まって完全に見なくなりました。僕も健介は嫌ですよ。ただ、現場監督が長州なら、その役目は健介に必然的になったと思います。
@@rentaro276 いや橋本じゃなく健介が小川に葬られていれば誰もが丸く収まっていたのかも
子供心に飄々としてる小川を憎らしいと思ってみててSTOを何度もくらってボロボロになっても起き上がる橋本を一生懸命応援したのを覚えてる
確かにあれだけ敵対してたのにダック組んだのはおかしいとは当時思った…
結局あの1.4こそが新日本暗黒期の幕開けだったという事を再認識させただけですなww
橋本がSTO喰らうと客席の橋本婦人が悲鳴をあげてたのが忘れられない。
ん〜東京ドーム戦の打ち上げのときその場にいましたが長州が座ったまま藤波が立った状態であれじゃ橋本が可哀想だと激怒していたので少し話が違うんじゃないかな?と思いました。そのとき猪木も別席にいましたがゴハン食べて先に帰っていたので猪木と藤波で何かが決まり後から知った長州が怒っていた。な流れだったのかな?と思いました。ただあの流れはプロレスファンを辞めるには充分すぎるストーリーだったなと今でも思います。
当時の橋本と同い年になった。本当に時が経つのは早いな。
若くて うらやましい…。自分なんて まだ20代の若僧だと思ってたのに、馬場の死亡年齢に近づいてきた(T_T)。
いやいや、やっぱこの当時のプロレスを見ていると当時小学生だった頃の心のままなのであまり歳をとった実感がありません笑
@@マサ斉藤-b7u 自分が小学生の頃となると、長州が凱旋帰国して坂口とタッグ組んでたなぁ。タイガーマスクも登場してなかった。ちなみに小川直也と同じ歳です。STOは最も簡単にできて、最も強力な技だと思います。なので橋本を応援してましたが、STOを一回喰らうと全てアウトですね、橋本じゃなくても。
マサさんがプロレス技と比べてはるかに地味な小川の大外を「危険ですよ」と慌てていたのがとても印象的でした。DDT で小川がマットに突き刺さるのを期待してたのに٠٠٠
柔道の大外刈りはやり方によっては非常に危険な技です。そのまま相手の頭を叩き付けると脳震盪。下が畳じゃない硬いとこだと命に関わる。
蝶野が後年になっても「いやぁ猪木さんに関わる周辺の人たちは本当に大変ですよ」と言及してましたが、この時代の猪木は本当に厄介でしたでしょうね。とはいえ小川vs橋本戦は成功してしまっただけに余計に猪木を調子に乗らせてしまいました。あれから猪木はPRIDEにも関わり、最初の方は猪木がPRIDEのリングに上がると歓声が上がってましたね。ところがあれから格闘技界をもかき乱したみたいで、2ちゃんねるの格闘技板では「猪木がK-1の石井館長(?)に勝利、百瀬氏がPRIDE社長の森下に勝利」といった意味深なサムネが貼られていたりしました。そういった経緯で格闘技ファンやプロレスファンにも嫌がられ、数年で嫌われ者になっていきます。
やっぱり猪木がかかわるとろくな事がない。自己中で目立ちたがりで周りに迷惑かけることしか能がないわ。
まぁ猪木以上のレスラーが居ないからな苦笑
結局、新日は猪木に帰るよな…。それが新日プロレス。
政治家
政治家としては滅私奉公、全く 自己顕示欲の無い人物だったそうです。新日時代とは真逆な控えめな政治信条を貫いた方として尊敬しています。
でも蝶野との対談で長州さんは社長としての資質は猪木より坂口の方が圧倒的だった坂口は社長として立派だったって言ってるよね
でしょうね。経営という概念理解できないと思います。猪木さんは!どっからか金が降ってくると思っているフシあり(笑)。で実際降ってくるからね!この方には。
子供の頃地方巡業に来てくれて橋本対小川戦見に行ったけど、橋本ファンだったから小川にダメージ与えようと花道の近くまで行ったけどめちゃくちゃデカくて怖くて何もできなかった小学生の頃の良い思い出
橋本にファンなんかいたんやな
前田も言ってるけど、結局は「1.4」のリング上で何も出来なかった時点で橋本の負け。あの時、凶器を使用してでも橋本が小川に一矢を報いなければいけなかったんだよね。
猪木のことを慕いすぎていたのか、プロとして試合を成立させようとしたのかはわからないけど、橋本はやり返すべきでしたね。テーピングをグルグル巻きにした拳でいくべきだった。武藤なら対応できてだろうし、蝶野なら試合ごとぶち壊してたと思う。
橋本が長州を止めるんじゃなく、長州に止められるくらいやり返さなきゃいけませんでしたよね!
でも、それができたら橋本さんは猪木越えしてましたね
@@今井信吾-k2o 様 いや、たかが一試合だけでそれは絶対無理(笑)差があり過ぎる。
そんな問題じゃない。橋本はただ、新団体を作りたかっただけ。本気でやれば血まみれのエグい試合になりドローだったかも知れない。負け役を選ぶのがプロとしたんだと思う。事実はわからないが、ガチじゃ無い試合だった証明の気がします。
小川×橋本ファイナルで20年見てきたプロレスを嫌いになり見るのをやめました。
小川は負けブックを呑もうとしなかったって、ミスター高橋に暴露されてたよね。
橋本は殺気立ってて三銃士の中では一番好きだったけど、トニー・ホームとの試合見て従来のプロレス以外の試合は少々ショッパく感じた。それで小川戦、同じ様な感想、少しでもプロレスから逸脱すると弱い。長州のようにプロレスから一歩も出ないことを選択したら、最高の選手になっただろうな。
やっぱり猪木か。傍から見てると面白い事この上無いけど、決して関係者にはなりたく無い輩だね。全部裏で糸引いてるのは猪木なんだよなぁ。振り回された新日は大変だったよな。ビッグ·サカの『人間不信』辞表が印象深い。
猪木のプロデュース能力…という締め言葉になっているけど、その過程で何大会も不透明決着を繰り返し、新日本没落の原因を作ったのも間違いないわけで。話題性だけで中身が酷すぎたというか、当時の感覚でいえば、プロレスファンであるほどシラケていたと思います。同じ頃、大仁田もFMや色んなところで滑り倒してた(新日本参戦は除く)時期だったんですよね。格闘技という黒船来航に伴い、稀代の策士である猪木、大仁田は策士ゆえに策に溺れていた感じがありました。同時にそこには一切交わらずにプロレスを深化させた全日本~NOAHが一人勝ちしたことからも、もし坂口体制のままならあの暗黒時代はなかったと予想します。(そのかわり、今の新日本もなければ、その後のNOAHの凋落もあるので…どっちが良かったのかは分かりませんが)
物凄くまとまってる考察ですね。坂口体制なら、闘魂三銃士と若手との世代交代をメインに格闘技と一線を引けたかも。一連の流れから始まった聚落は、本当新日亡くなってたかもしれないですからね。そして、おっしゃる通り、今の新日は、新日であって新日ではありませんから、
橋本敗戦後、小川戦を誰も名乗りを上げない。格闘路線行けば惨敗。これがなけりゃ、勢いは持続できたと思う。ゼロワン・全日本と三銃士は袂を別ったが世代交代のチャンスでもあった。そこにNOAH、盛り上がる要素はまだあったよ。
ノアはともかく末期千日は完全に行き詰まっていたが。
破壊王大好きやったなー。
あれだけ持ち上げてた小川VSマット・ガファリがクソ塩試合でUFOファンが離れてしまったから猪木佐山小川のUFOは結局新日に縋るしかなかったからな
小川vsガファリは、2002年8月(東京ドームで行われたUFO興行。日本テレビ系で中継)でしたね。小川vsガファリが、くそスベったのは事実ですが、順番が逆です。1.4事変の数ヶ月後には佐山は猪木と揉めて、UFOを離脱していたし。
仕掛けられた、硬い攻撃入れたけど全然仕掛けてない色々と説はあるけど橋本が対応できずに終わったのがダメだった負けるにしても1発くらいは殴り返すとか椅子を持ち出して試合を壊すとか機転を利かせられてたらその後は全然違うものになってたと思う
それは前田日明さんからも言われてましたね。その通りだと思います。
蝶野だったら天山たちを乱入させて試合壊して終わらせてましたね。でも立場上橋本はそれは出来なかった。。。
自分の現役時代は予定調和の連続だったくせに。沢山の弟子を振り回し混乱させた猪木の最大の犠牲者は橋本だったと思う。
猪木には第1回IWGP決勝という「逆ブック破り」があるじゃないか。
@@susumania69 人間不信 by坂口
一年前のコメントですが完全同意です。猪木の汚さって「結局は自分が一番」なんですよね。そのくせ経験は異種格闘技であって、総合格闘技なんてやってない癖に新日本プロレスにそれを持ち込んでオープンフィンガーグローブ付けて対戦させられる橋本や健介に違和感ありましたよ。晩年の猪木は自分の死期を悟ったかのように元新日選手と交流する動画を上げてましたが、正直なところ「とっとと逝け、今更良い顔しやがってエゴの塊が…」と冷めた目線で見てました。
@@福の神ミリオンそこまで云うか❓まあ 人生にブーメランがあるだろう😓
天龍戦での復帰時には体を絞って脚が上がる蹴りが出せるようになってたのに、またすぐブクブク太ったのが残念
Poppoopoo
負けたら即引退!の小川VS橋本は視聴率や動員数は稼げたが、ただの劇薬でしかなかった予定調和の中に裏切りがあるからこそプロレスは面白いんだろうけど、このマッチは予定調和であるべきだった
プロレスを盛り上げて来た猪木が、結果プロレスを衰退させてしまったのが残念でなりませんね!
どちらにしろあれだけやられといて小川戦を避けるなんて無理でしょ。一般の人は小川が悪いなんて思ってなかったよ。単に橋本が弱いと。やっぱりあそこでやり返さなかった橋本が一番ダメだったと思う。やり返してれば今後はUFOとは関わらないというのもありだった。
仕掛けられてやり返せなかったのは、失敗でも何度か対戦してますからやり返せば良かったのに最後までプロレスしてましたね
90年代後半から1.4を経て猪木問答あたりの新日をよく観ていた世代ですが、あの当時の影響か今でも大の猪木嫌いですw
わかる
小川vs橋本戦は確かに盛り上がるカードだったけど、新日にしてもUFOにしてもその「ドル箱カード」に頼りすぎた感じがする。当時は自分は全日を見ていたので、この辺りの新日の動きは比較的冷めた感じで眺めていましたが、この短期間に5回のシングルなんて多すぎ。馬場さん亡き後の元子さんのスタンスはあまり感心しなかったが、5.2の東京ドームの川田との対決を許さなかったのは正しい判断だと思う。そして、どっちもどっちかもしれないが、結果的にはその「力(猪木)」にいいように振り回されてしまった橋本が不憫でならない。
コメ主さんと一緒で、この頃の新日本は、茶番劇半端無かった…学生時代👨🎓の、ブック📕やらも解らない純粋な頃の自分でも、『❓』な展開が多すぎて…観てて、寒すぎて鳥肌が立った覚えがあります😅
14:00あたりからの、メモリアル力道山の話が面白すぎて、笑いが止まらなくなった。本当猪木は、短期的なアングル下手すぎるな。それが何故か年単位だと成立するから面白い。
あの村上による場外での襲撃コントは酷かったね。橋本が自分でおでこに血を塗っているのがモロに見えているんだもんな。笑いを通り越して呆れた‥開いた口が塞がらないとはあの事だ。
あのアングルは、何が狙いだったか、未だに謎
両国国技館のTPG事件も、当時は大失敗のアングルと言われたけど今となっては30年以上経過しても語り継がれる伝説の興行になったし当時現地観戦してた人も、当時はふざけんな金返せという感じで怒り心頭だったが今となっては、あの時現地観戦して良かったと語ってるしね。
小川にボコられて手術した際についでに包茎手術もしたって話好きw
小川直也はあの高坂剛が柔道時代に「触らせてももらえない」「組むことも出来なかった」と言うくらい地獄のように強い。猪木という心はちびっこのオモチャにしてはいけなかった。
高坂も柔道は四段らしいけど、全日本7度制覇の小川とでは比較にならないよ
@@matktm だからそう言っているのだが。
@@matktm www
それ吉田でしょ。
@@chizukuwa 吉田かなあ。小川だと思い込んでいたけど。
「あいつ負けたら引退するって言ったぞwww負けたらマジ引退してもらおうぜwww」って乗って来て逃げ道塞いだテレ朝の悪質さよ、プロレスの慣習に則って迂闊に引退を口にした橋本もダメだが…
この小川vs橋本の対決が、後の新日冬の時代到来を告げるゴングになったって訳か。
ここでも元子が止めているけど今回は元子の言っていることは理解出来た。
いつからだろう猪木に嫌悪感しか感じなくなったのは
わかる!😓
よくわからないのが4戦目、普通に考えたらセメントの後なんだから橋本の勝ちブックのはず。なのにボコボコにされて猪木ストップ。ドラゴンの依怙贔屓なレフリー。これでも負けるのは何故か?
ゴールデン15.7%は確かに凄い。テレビ局からしたらプロレスでこんな数字出せるんなら今後とも宜しくってなるもんなぁ
坂口さんは頑張ったのに藤浪さんが社長になった途端UFO、猪木さんと復縁した時はそれは無いだろうと思った。
こがいだからな
坂口が社長の時期は猪木は政治家だったから、新日どころではなかったのもあると思う。
プロレスラーの「引退」をここまで利用して営業につなげていったのは日本人レスラーだと橋本真也、あと大仁田厚かな?ただ、引退表明→ファンから復帰懇願→復帰。この流れもいいけど限度があるよね流石に。
元子さんの器の小ささ…………そりゃ大量離脱するわ~女がしゃしゃり出てきてごちゃごちゃ言うのは良くないよね元子さん口出ししすぎ💢
あくまで馬場さんの逝去直後の全日本プロレス 東京ドーム大会なので、全日本プロレス所属レスラー・馬場さんに縁のあるレスラーで固めたいという元子さんの気持ちは分かります。新日本プロレスに置き換えたら、G1決勝戦がメインイベントの興行なのに、セミファイナルが新日本プロレスのエースクラスのレスラーvs大物ゲスト選手というワケにはいかないじゃないですか。メインイベントが霞むワケで。
元々は橋本の勝ちブックだったけど、猪木が話題性が無い!と言ったので試合直前でブックを差し替えた。結局、橋本は負けブックを渋々飲んだけど、後にOH砲結成やハッスル等で再開した事から結果オーライだったような?ちなみに当時の新日本プロレスの社長は蒟蒻藤波だったからなぁ。
当時のファンとしては凄く参考になるんだけど、この情報源はどこなん?
何かの番組で橋本の大ファンだと言う小学生の男の子が橋本に復帰をお願いするのがあったけど、あれってガチだったのかな?
色んな意味で破壊王ですな
シュート仕掛けてくる、小川に対して、5回共、同じ変化の無いスタイルで戦った訳が解った気がする。
子供たちの、橋本の復帰希望を募る署名とかあったな。
この辺のgdgd振りが新日暗黒時代をもたらしたような。凄く不思議なのは犬猿の仲とさえ言われた長州監督全盛マッチメイクが橋本を1番輝かせた事。結局以降の橋本選手は燻り続けた印象。
橋本が小川が仕掛けた時に対応出来たら前田と同格になってたとおもう。前田はアンドレの仕掛けに応じて、男をあげたが橋本はダメだった。レスラーとして転落した転機だったと思います。ノーコンテストにしようとタイガーシバいたりしてたので明らかに逃げてた。残念。それにしても橋本を冷酷に切った猪木は恐ろしい。
結局前田明良も無効試合だったよナ、勝負事は白黒あってダよね⁉️
北尾がテンタとやった不穏試合の事を橋本が思い浮かべたとしか思えなかったね
ゼロワンで橋本と小川がくっ付いた理由が謎だったけど、やっと謎が解けました。当時の自分の想像では、負けたら即引退試合はシュートじゃないけど最後のケツ決めだけはせず。ゼロワンで2人がくっ付いたのは、激闘の中で通じるものを感じたのかな?なんて思ってたけど、全部猪木のシナリオ通りだったとは‥。
橋本の選手として、人間としての寿命を縮ませてしまった所業だったと思う。
正直、橋本は新日に居たほうが良かったと思うzeroneで精神的にも経済的にもやばくなって体調も身体も壊して良くない方向に行った気がする
@@鈴木隆二-w5s 本当に同感ですね。ゼロワン旗揚げに行ったのですが、あの時の高揚感は今も忘れられませんが、一方で毎回劇薬を仕込んでの年間スケジュール、シリーズ、、かなり観戦してたのですが、あれは経費凄いんだろうなとは思ってました。
橋本に経営者が勤まるわけがない。
この件もありますが、冬木の元夫人と付き合った事が致命傷になった感がある。
寿命は不摂生が原因でしょ
1999年5月の全日ドームには、橋本以外にも、当時WARだった天龍も出場プランがあがっていた。結局2人とも出場せず、翌月に新日でシングルを行ったことから、そういう伏線があったのかと納得。
ドーム行ってました。ほぼ席が埋まってたから橋本天龍がいなくても良かったと思う。サスケが初登場したするだけでもチケットが売れてたと思う。IWGPジュニアタッグベルトが映ったときのどよめきが凄かった。
サスケのそれは当時全日本のTV中継見て衝撃でしたね!
このチャンネル素晴らしい!
試合後、学校の先生からsto禁止令でたブックであろうがそれぐらい説得性のある技
これに限らず飯塚×村上の決着も酷いものだったし、蝶野×ムタも無茶苦茶な結果だった。生放送だったから仕方ないのかもだけど,確実に全てがおかしかったよね
蝶野vsムタが試合前・試合後に、たっぷり時間を掛けた事で、健介vsライガーのIWGPヘビー級王者vsIWGP Jrヘビー級王者の『IWGPスペシャルシングルマッチ』が「巻き」状態になってしまったのは気の毒でした。東京ドーム大会だからって無理してセミファイナルに組んでほしくはなかった。5月の福岡ドーム(現 福岡PayPayドーム)大会or6月の日本武道館大会のメインイベントでしょう。
猪木流ショービジネスは付け焼き刃で利益の先取りに過ぎなかった。橋本だけではなく他の選手の運命も大きく狂わせたUFO劇場。謎なのが最後、朦朧とした橋本が『だめだだめだ』とリングで吐露していたことや、かずみ夫人が会場裏で号泣していたのも芝居なの?
自分もあの「だめだ」がずっと気になってます。。
@@wk6126 ですよね。ブックがあるなら辻褄が合わないことが多々ある。
当時はなんとしてもドームを埋めるためにカード編成に力を注いでいましたね。今みたいに両国クラスと大差ないカードの手抜き感は感じられない
本当にブックだったのかと思う橋本にメリットが無さすぎる最後の試合で命を縮めたような試合内容だったし
既に、ZERO1案はこのときに有った❗とゆうのが橋本側の旨みみたいです更に、この時武藤も親日のやり方には後ろ向きだったと…
新団体設立の流れがあるにしても負けと決まっていたならSTOを何度もくらって致命傷に成りかねない状況で死にもの狂いで立ち上がる必要が無いし後に命を縮める事にもなってしまっているからなそれとも橋本本人は負けたくなくてブック破りでもしたかったのか⁉️
橋本のこの一連の扱われ方には選手内でも不満があったらしく蝶野が間に入ってフロントと交渉したことがきっかけでその後本人の意思に反して現場監督になってしまいあの猪木御殿へとなってゆく
平成維震軍やりながらマッチメイク手掛けた越中はすごい。
うわ、橋本vs川田観てみたかったなぁ✨🤩✨✨あれ?でもどっかの団体で橋本vs川田を見たぞ?🤔
ZERO-ONE(現 ZERO1)と全日本プロレス(武藤敬司が社長時代)が対抗戦をしていて、それでタッグでもシングルでも、橋本vs川田をやっていましたね。
猪木とかいう創造主にして破壊神今のプロレスは優等生で大人しい。ファンはもっと刺激的でエンタメ性に富んだプロレスを求めている。
橋本はのちに小川と組んだ時点で「ダメだこりゃ」と思いました。
当時それはそれで漢同士、何か通じるものがあったのだろう、と信じておりました。
かつての猪木信者としては、UWF設立以降の姿は醜いだけで腹が立った。「風車、雨だれ」と訳の分からない理論を口走る一方で、「いつ何時、誰の挑戦も受ける」と公言していたはずが、前田からは逃げ回るだけだった。そして自身が作ったUWFがブームとなると、やがてK-1やプライドが勃興しプロレスをコントにしてしまった。私はその頃、嫌いだったG馬場を見直し、三沢らやファミリー軍団を後楽園ホールで楽しむようになった。やがて小川直也がプロレス入りし、猪木がバッタもんの団体を作ったと知ったが、もはや彼には興味が無かった。どうせ彼がやる事は格闘技風のプロレスでしかないと知っているからだ。動画にあった「負けたら引退」は久し振りに見たが、当然、橋本が勝つと思っていた。動画が事実であるなら両者に負けブックの旨味があったという訳だ。晩年の猪木は北朝鮮との物貰い外交など本当に醜かった。それでも良い時もあったと考える事にしている。
大人になった今、アントニオ猪木という人物を観察したときにこの騒動の原因で一番思い浮かぶのは「嫉妬」と「独占欲」だと思う。まず自分の統治を跳ね返されて尚、好調だった事で自分の手元から離れてしまった新日への独占欲PRIDEやK-1という外敵に対応した試合展開ができない新日への怒りと他競技への嫉妬猪木が小川を使ってかき回したのはある種 新日へのDVであり、ストーキングやリベンジポルノの要素もある。とはいえ結果的に猪木が離れてブシロード統治の下、復調した今の新日含めたプロレス業界にはもう『闘い』がなくなってしまったのは何とも皮肉な話だ。新日本プロレスの『ストロングスタイル』は本物の競技によって淘汰されてしまったんだなぁ。
予定調和をぶっ壊す猪木のブックはそれまで通りのガチャガチャだったんだけど、この筋書きを受け入れた橋本はやはり先を見通しが甘かった。レスラーとしての商品価値で二度と小川を超える事がなくなる。そんなもの受け入れたらオシマイなのに。橋本のその後の迷走もこのつまづき・・・見通しの甘さが大きかった様に思う。
まぁこの混沌というかグダグダ感が新日本であり、だからこそ馬場系の王道も成り立つんだよな
全日本の方がグダグダやけどなあ、笑
ある意味猪木のマネジメント力がすげーと思わせる出来事猪木イズムはプロレス界で延々と受け継がれるんやろな
猪木はこの当時の魅力ある沢山のレスラーを潰した。と、本当に思う。しまいには自分のケツを蝶野に拭かせるし。最悪な時代だった。
ビッグ坂と力ちゃんとの北米タッグ選手権がみたい。誰かアップして。
小川・橋本が出演したヒッパレの映像、どこかに無いかしら。↑的外れなコメント(笑)。
橋本復帰の大義名分としてプロレスファンの兄弟が復帰を懇願して折り鶴を送ったりとかあったなー。今思うとあれも仕込みかな🤔 お兄さんは今テレ朝のプロデューサーで新日ちゃんの担当してるというから人生わからんね
家のねーちゃんは鶴を折って送ろうとしたけど、締切に間に合わず泣いてたwww
何と言ってもテレ朝だし、そりゃ電◯あたりが演出手掛けてますよ。なんて言ったら謝罪案件かなw?
猪木のアングルは覚せい剤みたいなもの、最後は体がズタズタになる。
1.4の内容があれだから、簡単に橋本は小川に勝てないイメージ着いちゃった。だからこの「負けたら引退」で橋本が勝つってのはどうしても説得力がないから、負けちゃうのは仕方ない。3回くらい負け続けて、やっと返し技とかギリギリのリングアウトとかで勝つしか橋本が勝つにはなかったんじゃないかなあ・・・
そうだね。打撃戦であれ程歯が立たないとは…😅投げや関節で勝てるわけないし❗️あそこから、目が飛んでる小川に勝つには、反則しかなかったな❗️
5.2のドームで橋本vs川田が実現してたらやっぱり橋本が寝たのかな?
試合後に両軍入り乱れてあそこまで大暴れしたんだから、新日本vsUFOで全面対抗戦して欲しかったです。
ブックは確実にありますよね!絶対王者時代の小橋ドーム級か、ビッグネームしか増刊号が出なかったのに、力皇に負けた時、試合前から増刊号が出る事が決まっていて違和感しかなかった
当時を知らない人が作ってるのバレバレだね。猪木が止めたのはホントは藤浪が止めないといけないぐらいボコボコにされてるのに止めて無かったから。
猪木は特別レフェリーの「藤波」のレフェリングに苦言を呈していましたね。
この頃のプロレスは『殺伐』がウリだった。令和になり、本当に命を脅かされる時代となった今、プロレスに求められるのは、ある種の『希望』みたいなモノに思える。自分はそっちの方が好きです。
甘い!
当時のプロレスは勿論総合格闘技ではないけどある意味で総合的(総合プロレスとでも言えばいいのでしょうか)でした。①猪木イズムに代表される殺伐さ、②nWoのようなアメプロ、③ジュニア戦線の充実、④インディー団体との交流...これらが同時並行で高いレベルで行われていました。今は亜流な②と選手の小型化で③もヘビーなんだかジュニアなんだかよく分からない感じでやっており①や④はもはやありません。なんだかなぁという個人的な感想です。99年の1.4をカオスと言うなら00年の1.4は最後の花火という感じです。あんな盛り沢山のカード、今では絶対組めません。。あの2年間を生で体感できたファンが羨ましいです。
負けたら引退➡️「橋本勝つんでしょ」より負けたから引退➡️「どうせ復帰するんでしょ」の方にシラケた当時その余波を引きずっててゼロワンに至る流れには完全に覚めてたそういえば、あの千羽鶴兄弟って仕込みだったの❔
千羽鶴はガチでしょ。ブックが世間に出てないのだから。とりあえず僕も同意見です。橋本真也の大ファンでしたが、どうしても見たい選手でなくなってしまって、結果PRIDEへ流れていきました。
うろ覚えになっちゃってるけどその兄弟は仕込みらしい(片方はこれに協力したおかげで現在はテレビ朝日(だと思う)で関係者になってると自ら証言したとか
@@Victory72 そうなんですねぇ。結果的にそうなのか、ファンだった少年見つけて、無理やり作らせたのかですね。、
番組が構成したものと思いますね所謂やらせ番組づくりとはそういうものです
それで言うと橋本の車に小川と落書きしたのも仕込みだったんかな笑当時新日本のエース級だった橋本真也をそんなに簡単に引退なんてさせんやろと思ってたけど、本人が新日から出て自分の団体を作りたいと考えてたんなら納得だけど、小川に3連敗、見事に返り討ちにあってしまった橋本のブランド力はもうすでに無かったよね
常識人坂口さんが社長のままなら・・・
今のアラサー世代はここからPRIDEとK-1にハマるんよね〜ここ数年は有プロ含めネットでプロレスの歴史を調べるのが楽しくてたまりません!トキハキタァ、、ソレダケダッ
混乱するプロレスとは逆にこの頃は桜庭がグレイシーに勝ち、藤田はケアーに勝ちました❗K-1ではホースト優勝しミルコ、バンナも躍進。やはりインパクトある試合は重要でしょう❗
確かに「負けたら引退スペシャル」はテレビ朝日も気合入ってましたね。確か、サザンオールスターズの桑田佳祐が小川の応援ソングを作って生歌披露してた記憶があります。
それPRIDEの佐竹戦
ほんとにブックだったの? ソースを知りたいです。当時、橋本信者だった自分は負けたら引退スペシャル橋本が負けて、本当に頭が真っ白になった。双方同意の上でブックだったとしたら完全に客をなめてる。少なくともブックなら橋本に勝たせてやれよ。。。 あの試合以降プロレスに対する熱が完全に冷めてしまったのは自分だけじゃないはず。 OH砲? はぁぁぁ?って感じで超シラけた。
全く同じ気持ちです。橋本信者だった僕も、当時の健介をスターにしようとする流れもイライラしたのに、引退スペシャルで負けた時は、本当泣きました。その後も全く同じで、OH砲とか全く乗れなかったし、永田政権になってから、本当プロレスみなくなった。ハッスルは面白かったけどね。
新日本プロレスって今でも「猪木イズム」があるけど、「脱猪木」をして新闘魂三銃士で売って行きたかったんだろう。でも結局「闘魂」を使ってる時点で変われないんだけどね?この時代は色んな意味で模索してたんだろうな?
新日本プロレスと言えど我が国の法律に基づいて設立された株式会社だったと言う事ですね。8:38
坂口が残った方が良かった。猪木地獄がないので。
しかしまぁ橋本も猪木さんありがとうございましたはないわな観てるほうはなんでやねん!となったもんな
僕も、何で橋本晴々としてるんだよー、小川に負けて悔しくないんかーって、テレビ前で泣いてた記憶があります。この動画の前に負けブックだったっていう証言って何かありましたか?
観客の有名なヤジで「馬鹿かお前は~」が全てを物語ってましたね
馬場が猪木を信用してないのは当たり前異種格闘技含めこれが猪木の本質なのよ。いい加減。みんな買い被りし過ぎで、一部信者にとっては幻想のみが大きくなった(後に乖離が生まれる)
「力道山メモリアル」当時猪木とエキビジションマッチを闘った滝沢秀明まで後に「行けば解るさ。」とばかりにジャニーズを出るとは。
真相はどうあれ、今回も動画面白かったです。
ここから新日がつまらなくなって見なくなりだしたな。
猪木は橋本の事を嫌っていたでしょ。闘魂伝承のガウンがどうしても許せない猪木が橋本に痩せろ痩せろとずっと言っていたけど
まあ人間的な事はともかく、猪木は練習しないでブクブク太った奴を嫌ってたからね~橋本に限らず
新日にとっては苦境だったけど結局は猪木と切れ、橋本って扱いにくく、塩分の濃い、落ち目を切れて良かったと思うけどなあれが無ければ新日の今の地位はなかったよ
それは分かる。全て無くなってからの再生だからね。ただ、今日の繁栄も、普通に考えたらない可能性の方が高くて、新日本がなくなってた可能性すらある。棚橋と中邑、オカダは本当凄いわ。
美人と田舎と猪木は遠くから見るから良いのであって、近づくと苦労するのだと思ってます。
確かに❗素晴らしい考察‼️その通りだと思います☺️
うまい!
ほんまそれ!
うまいですね‼️
でも田舎は、場所にもよるかもだけど、多少の不便はあれど、住めばミヤコということも多々ありますよ。
言い得て妙なり。
2000年代のプロレス人気の下降(特に新日本)は、ここから始まったのは間違いない。
引退後の猪木は、プロレス界には必要なかった
坂口さんは優秀な経営者だった
ということですね。
4戦目の時の橋本が「猪木さんありがとうございました~」と言って崩れ落ちた時の、観客の「馬鹿かお前は~」のヤジが全てを物語ってましたね
あの試合は何回も観てしまう
4.7は高一の時に観に行きました。隣に座った気さくなお兄さんと仲良くなり、「どっちが勝つと思う?」と聞かれ、「橋本です」と答えたら、「でも小川はヒクソン戦まで行かないといけないからな〜」と返されて、衝撃を受けたのを覚えている。今考えるとかなり濃いファンだったのかも。実際猪木はその後小川をPRIDE参戦させてるし、チャンスがあればヒクソン戦というのも頭にあったかもしれない。
闘魂三銃士の中で猪木を最も崇拝していたがために最も猪木に人生を狂わされたのが橋本真也だと思う。
ずっとわからなかったところがわかってすごい面白かったし勉強になった
選手会の金を使い込んじゃダメでしょw
強い弱いの定規しか持っていなかった私少年はこの試合でプロレスに対する熱が一気に終わってしまった。
その後の新日や橋本の試合を観てもどうせ誰も小川には勝てないんでしょ…とグレてしまった。。
小川に勝つ以外、橋本の価値を戻す方法は無かったと今でも思っている。
同じです。
強さの象徴だった橋本をあんな風にしてしまって、新日が大ダメージ負って=猪木も大ダメージ喰らうの分からなかったものかね。
嫌だけど、せめて健介に小川を一度は葬らせないといかんかったわ。
@@rentaro276
私もこの辺りからプロレス熱が冷めていきました。
あの時は世間がK−1やらPRIDEが異常なブームだったので猪木も乗り遅れてはならないと焦ったんだろうけどね。
ただ、プロレスの威信を取り戻す為の役割に健介はないわ。
そんな大役与えたら健介より下の人間が大量離脱しちゃう
@@thousand-violins
一応新日見続けてましたが、完全にPRIDEへ僕の気持ちは流れていきました。
そして、永田政権が始まって完全に見なくなりました。
僕も健介は嫌ですよ。ただ、現場監督が長州なら、その役目は健介に必然的になったと思います。
@@rentaro276 いや橋本じゃなく健介が小川に葬られていれば誰もが丸く収まっていたのかも
子供心に飄々としてる小川を憎らしいと思ってみててSTOを何度もくらってボロボロになっても起き上がる橋本を一生懸命応援したのを覚えてる
確かにあれだけ敵対してたのに
ダック組んだのはおかしいとは
当時思った…
結局あの1.4こそが新日本暗黒期の幕開けだったという事を再認識させただけですなww
橋本がSTO喰らうと客席の橋本婦人が悲鳴をあげてたのが忘れられない。
ん〜
東京ドーム戦の打ち上げのとき
その場にいましたが
長州が座ったまま
藤波が立った状態で
あれじゃ橋本が可哀想だと激怒していたので
少し話が違うんじゃないかな?と
思いました。
そのとき猪木も別席にいましたが
ゴハン食べて先に帰っていたので
猪木と藤波で何かが決まり
後から知った長州が怒っていた。
な流れだったのかな?と思いました。
ただあの流れはプロレスファンを辞めるには充分すぎるストーリーだったなと今でも思います。
当時の橋本と同い年になった。
本当に時が経つのは早いな。
若くて うらやましい…。
自分なんて まだ20代の若僧だと思ってたのに、馬場の死亡年齢に近づいてきた(T_T)。
いやいや、やっぱこの当時のプロレスを見ていると当時小学生だった頃の心のままなのであまり歳をとった実感がありません笑
@@マサ斉藤-b7u
自分が小学生の頃となると、長州が凱旋帰国して坂口とタッグ組んでたなぁ。
タイガーマスクも登場してなかった。
ちなみに小川直也と同じ歳です。
STOは最も簡単にできて、最も強力な技だと思います。
なので橋本を応援してましたが、STOを一回喰らうと全てアウトですね、橋本じゃなくても。
マサさんがプロレス技と比べてはるかに地味な小川の大外を「危険ですよ」と慌てていたのがとても印象的でした。DDT で小川がマットに突き刺さるのを期待してたのに٠٠٠
柔道の大外刈りはやり方によっては非常に危険な技です。そのまま相手の頭を叩き付けると脳震盪。下が畳じゃない硬いとこだと命に関わる。
蝶野が後年になっても「いやぁ猪木さんに関わる周辺の人たちは本当に大変ですよ」と言及してましたが、この時代の猪木は本当に厄介でしたでしょうね。
とはいえ小川vs橋本戦は成功してしまっただけに余計に猪木を調子に乗らせてしまいました。
あれから猪木はPRIDEにも関わり、最初の方は猪木がPRIDEのリングに上がると歓声が上がってましたね。
ところがあれから格闘技界をもかき乱したみたいで、2ちゃんねるの格闘技板では「猪木がK-1の石井館長(?)に勝利、百瀬氏がPRIDE社長の森下に勝利」といった意味深なサムネが貼られていたりしました。
そういった経緯で格闘技ファンやプロレスファンにも嫌がられ、数年で嫌われ者になっていきます。
やっぱり猪木がかかわるとろくな事がない。
自己中で目立ちたがりで周りに迷惑かけることしか能がないわ。
まぁ猪木以上のレスラーが居ないからな苦笑
結局、新日は猪木に帰るよな…。
それが新日プロレス。
政治家
政治家としては滅私奉公、全く 自己顕示欲の無い人物だったそうです。新日時代とは真逆な控えめな政治信条を貫いた方として尊敬しています。
でも蝶野との対談で長州さんは社長としての資質は猪木より坂口の方が圧倒的だった
坂口は社長として立派だったって言ってるよね
でしょうね。経営という概念理解できないと思います。猪木さんは!どっからか金が降ってくると思っているフシあり(笑)。で実際降ってくるからね!この方には。
子供の頃地方巡業に来てくれて橋本対小川戦見に行ったけど、橋本ファンだったから小川にダメージ与えようと花道の近くまで行ったけどめちゃくちゃデカくて怖くて何もできなかった小学生の頃の良い思い出
橋本にファンなんかいたんやな
前田も言ってるけど、結局は「1.4」のリング上で何も出来なかった時点で橋本の負け。
あの時、凶器を使用してでも橋本が小川に一矢を報いなければいけなかったんだよね。
猪木のことを慕いすぎていたのか、プロとして試合を成立させようとしたのかはわからないけど、橋本はやり返すべきでしたね。
テーピングをグルグル巻きにした拳でいくべきだった。
武藤なら対応できてだろうし、蝶野なら試合ごとぶち壊してたと思う。
橋本が長州を止めるんじゃなく、長州に止められるくらいやり返さなきゃいけませんでしたよね!
でも、それができたら
橋本さんは猪木越えしてましたね
@@今井信吾-k2o 様 いや、たかが一試合だけでそれは絶対無理(笑)差があり過ぎる。
そんな問題じゃない。
橋本はただ、新団体を作りたかっただけ。本気でやれば血まみれのエグい試合になりドローだったかも知れない。
負け役を選ぶのがプロとしたんだと思う。
事実はわからないが、ガチじゃ無い試合だった証明の気がします。
小川×橋本ファイナルで
20年見てきたプロレスを嫌いになり
見るのをやめました。
小川は負けブックを呑もうとしなかったって、ミスター高橋に暴露されてたよね。
橋本は殺気立ってて三銃士の中では一番好きだったけど、トニー・ホームとの試合見て従来のプロレス以外の試合は少々ショッパく感じた。
それで小川戦、同じ様な感想、少しでもプロレスから逸脱すると弱い。
長州のようにプロレスから一歩も出ないことを選択したら、最高の選手になっただろうな。
やっぱり猪木か。
傍から見てると面白い事この上無いけど、決して関係者にはなりたく無い輩だね。
全部裏で糸引いてるのは猪木なんだよなぁ。
振り回された新日は大変だったよな。
ビッグ·サカの『人間不信』辞表が印象深い。
猪木のプロデュース能力…という締め言葉になっているけど、その過程で何大会も不透明決着を繰り返し、新日本没落の原因を作ったのも間違いないわけで。
話題性だけで中身が酷すぎたというか、当時の感覚でいえば、プロレスファンであるほどシラケていたと思います。
同じ頃、大仁田もFMや色んなところで滑り倒してた(新日本参戦は除く)時期だったんですよね。
格闘技という黒船来航に伴い、稀代の策士である猪木、大仁田は策士ゆえに策に溺れていた感じがありました。
同時にそこには一切交わらずにプロレスを深化させた全日本~NOAHが一人勝ちしたことからも、もし坂口体制のままならあの暗黒時代はなかったと予想します。
(そのかわり、今の新日本もなければ、その後のNOAHの凋落もあるので…どっちが良かったのかは分かりませんが)
物凄くまとまってる考察ですね。
坂口体制なら、闘魂三銃士と若手との世代交代をメインに格闘技と一線を引けたかも。
一連の流れから始まった聚落は、本当新日亡くなってたかもしれないですからね。
そして、おっしゃる通り、今の新日は、新日であって新日ではありませんから、
橋本敗戦後、小川戦を誰も名乗りを上げない。
格闘路線行けば惨敗。
これがなけりゃ、勢いは持続できたと思う。
ゼロワン・全日本と三銃士は袂を別ったが世代交代のチャンスでもあった。
そこにNOAH、盛り上がる要素はまだあったよ。
ノアはともかく末期千日は完全に行き詰まっていたが。
破壊王大好きやったなー。
あれだけ持ち上げてた小川VSマット・ガファリがクソ塩試合でUFOファンが離れてしまったから猪木佐山小川のUFOは結局新日に縋るしかなかったからな
小川vsガファリは、2002年8月(東京ドームで行われたUFO興行。日本テレビ系で中継)でしたね。
小川vsガファリが、くそスベったのは事実ですが、順番が逆です。
1.4事変の数ヶ月後には佐山は猪木と揉めて、UFOを離脱していたし。
仕掛けられた、硬い攻撃入れたけど全然仕掛けてない色々と説はあるけど橋本が対応できずに終わったのがダメだった
負けるにしても1発くらいは殴り返すとか椅子を持ち出して試合を壊すとか機転を利かせられてたらその後は全然違うものになってたと思う
それは前田日明さんからも言われてましたね。その通りだと思います。
蝶野だったら天山たちを乱入させて試合壊して終わらせてましたね。でも立場上橋本はそれは出来なかった。。。
自分の現役時代は予定調和の連続だったくせに。
沢山の弟子を振り回し混乱させた猪木の最大の犠牲者は橋本だったと思う。
猪木には第1回IWGP決勝という「逆ブック破り」があるじゃないか。
@@susumania69 人間不信 by坂口
一年前のコメントですが完全同意です。
猪木の汚さって「結局は自分が一番」なんですよね。
そのくせ経験は異種格闘技であって、総合格闘技なんてやってない癖に新日本プロレスにそれを持ち込んでオープンフィンガーグローブ付けて対戦させられる橋本や健介に違和感ありましたよ。
晩年の猪木は自分の死期を悟ったかのように元新日選手と交流する動画を上げてましたが、正直なところ「とっとと逝け、今更良い顔しやがってエゴの塊が…」と冷めた目線で見てました。
@@福の神ミリオン
そこまで云うか❓
まあ 人生にブーメランがあるだろう😓
天龍戦での復帰時には体を絞って脚が上がる蹴りが出せるようになってたのに、またすぐブクブク太ったのが残念
Poppoopoo
負けたら即引退!の小川VS橋本は視聴率や動員数は稼げたが、ただの劇薬でしかなかった
予定調和の中に裏切りがあるからこそプロレスは面白いんだろうけど、このマッチは予定調和であるべきだった
プロレスを盛り上げて来た猪木が、結果プロレスを衰退させてしまったのが残念でなりませんね!
どちらにしろあれだけやられといて小川戦を避けるなんて無理でしょ。
一般の人は小川が悪いなんて思ってなかったよ。単に橋本が弱いと。
やっぱりあそこでやり返さなかった橋本が一番ダメだったと思う。
やり返してれば今後はUFOとは関わらないというのもありだった。
仕掛けられてやり返せなかったのは、失敗
でも何度か対戦してますから
やり返せば良かったのに
最後までプロレスしてましたね
90年代後半から1.4を経て猪木問答あたりの新日をよく観ていた世代ですが、あの当時の影響か今でも大の猪木嫌いですw
わかる
小川vs橋本戦は確かに盛り上がるカードだったけど、新日にしてもUFOにしてもその「ドル箱カード」に頼りすぎた感じがする。
当時は自分は全日を見ていたので、この辺りの新日の動きは比較的冷めた感じで眺めていましたが、この短期間に5回のシングルなんて多すぎ。
馬場さん亡き後の元子さんのスタンスはあまり感心しなかったが、5.2の東京ドームの川田との対決を許さなかったのは正しい判断だと思う。
そして、どっちもどっちかもしれないが、結果的にはその「力(猪木)」にいいように振り回されてしまった橋本が不憫でならない。
コメ主さんと一緒で、この頃の新日本は、茶番劇半端無かった…学生時代👨🎓の、ブック📕やらも解らない純粋な頃の自分でも、『❓』な展開が多すぎて…観てて、寒すぎて鳥肌が立った覚えがあります😅
14:00あたりからの、メモリアル力道山の話が面白すぎて、笑いが止まらなくなった。
本当猪木は、短期的なアングル下手すぎるな。それが何故か年単位だと成立するから面白い。
あの村上による場外での襲撃コントは酷かったね。橋本が自分でおでこに血を塗っているのがモロに見えているんだもんな。笑いを通り越して呆れた‥開いた口が塞がらないとはあの事だ。
あのアングルは、何が狙いだったか、未だに謎
両国国技館のTPG事件も、当時は大失敗のアングルと言われたけど
今となっては30年以上経過しても語り継がれる伝説の興行になったし
当時現地観戦してた人も、当時はふざけんな金返せという感じで怒り心頭だったが
今となっては、あの時現地観戦して良かったと語ってるしね。
小川にボコられて手術した際についでに包茎手術もしたって話好きw
小川直也はあの高坂剛が柔道時代に「触らせてももらえない」「組むことも出来なかった」と言うくらい地獄のように強い。
猪木という心はちびっこのオモチャにしてはいけなかった。
高坂も柔道は四段らしいけど、
全日本7度制覇の小川とでは
比較にならないよ
@@matktm だからそう言っているのだが。
@@matktm
www
それ吉田でしょ。
@@chizukuwa 吉田かなあ。小川だと思い込んでいたけど。
「あいつ負けたら引退するって言ったぞwww負けたらマジ引退してもらおうぜwww」って乗って来て逃げ道塞いだテレ朝の悪質さよ、プロレスの慣習に則って迂闊に引退を口にした橋本もダメだが…
この小川vs橋本の対決が、後の新日冬の時代到来を告げるゴングになったって訳か。
ここでも元子が止めているけど今回は元子の言っていることは理解出来た。
いつからだろう猪木に嫌悪感しか感じなくなったのは
わかる!😓
よくわからないのが4戦目、普通に考えたらセメントの後なんだから橋本の勝ちブックのはず。なのにボコボコにされて猪木ストップ。ドラゴンの依怙贔屓なレフリー。これでも負けるのは何故か?
ゴールデン15.7%は確かに凄い。テレビ局からしたらプロレスでこんな数字出せるんなら今後とも宜しくってなるもんなぁ
坂口さんは頑張ったのに藤浪さんが社長になった途端UFO、猪木さんと復縁した時はそれは無いだろうと思った。
こがいだからな
坂口が社長の時期は猪木は政治家だったから、新日どころではなかったのもあると思う。
プロレスラーの「引退」をここまで利用して営業につなげていったのは日本人レスラーだと橋本真也、あと大仁田厚かな?ただ、引退表明→ファンから復帰懇願→復帰。この流れもいいけど限度があるよね流石に。
元子さんの器の小ささ…………そりゃ大量離脱するわ~
女がしゃしゃり出てきてごちゃごちゃ言うのは良くないよね
元子さん口出ししすぎ💢
あくまで馬場さんの逝去直後の全日本プロレス 東京ドーム大会なので、全日本プロレス所属レスラー・馬場さんに縁のあるレスラーで固めたいという元子さんの気持ちは分かります。
新日本プロレスに置き換えたら、G1決勝戦がメインイベントの興行なのに、セミファイナルが新日本プロレスのエースクラスのレスラーvs大物ゲスト選手というワケにはいかないじゃないですか。メインイベントが霞むワケで。
元々は橋本の勝ちブックだったけど、猪木が話題性が無い!と言ったので試合直前でブックを差し替えた。
結局、橋本は負けブックを渋々飲んだけど、後にOH砲結成やハッスル等で再開した事から結果オーライだったような?
ちなみに当時の新日本プロレスの社長は蒟蒻藤波だったからなぁ。
当時のファンとしては凄く参考になるんだけど、この情報源はどこなん?
何かの番組で橋本の大ファンだと言う小学生の男の子が橋本に復帰をお願いするのがあったけど、あれってガチだったのかな?
色んな意味で破壊王ですな
シュート仕掛けてくる、小川に対して、5回共、同じ変化の無いスタイルで戦った訳が解った気がする。
子供たちの、橋本の復帰希望を募る署名とかあったな。
この辺のgdgd振りが新日暗黒時代を
もたらしたような。
凄く不思議なのは犬猿の仲とさえ
言われた長州監督全盛マッチメイクが
橋本を1番輝かせた事。
結局以降の橋本選手は燻り続けた印象。
橋本が小川が仕掛けた時に対応出来たら前田と同格になってたとおもう。前田はアンドレの仕掛けに応じて、男をあげたが橋本はダメだった。レスラーとして転落した転機だったと思います。ノーコンテストにしようとタイガーシバいたりしてたので明らかに逃げてた。残念。それにしても橋本を冷酷に切った猪木は恐ろしい。
結局前田明良も無効試合だったよナ、勝負事は白黒あってダよね⁉️
北尾がテンタとやった不穏試合の事を橋本が思い浮かべたとしか思えなかったね
ゼロワンで橋本と小川がくっ付いた理由が謎だったけど、やっと謎が解けました。
当時の自分の想像では、負けたら即引退試合はシュートじゃないけど最後のケツ決めだけはせず。
ゼロワンで2人がくっ付いたのは、激闘の中で通じるものを感じたのかな?
なんて思ってたけど、全部猪木のシナリオ通りだったとは‥。
橋本の選手として、人間としての寿命を縮ませてしまった所業だったと思う。
正直、橋本は新日に居たほうが良かったと思う
zeroneで精神的にも経済的にもやばくなって
体調も身体も壊して良くない方向に行った気がする
@@鈴木隆二-w5s 本当に同感ですね。ゼロワン旗揚げに行ったのですが、あの時の高揚感は今も忘れられませんが、一方で毎回劇薬を仕込んでの年間スケジュール、シリーズ、、かなり観戦してたのですが、あれは経費凄いんだろうなとは思ってました。
橋本に経営者が勤まるわけがない。
この件もありますが、冬木の元夫人と付き合った事が致命傷になった感がある。
寿命は不摂生が原因でしょ
1999年5月の全日ドームには、橋本以外にも、当時WARだった天龍も出場プランがあがっていた。
結局2人とも出場せず、翌月に新日でシングルを行ったことから、そういう伏線があったのかと納得。
ドーム行ってました。ほぼ席が埋まってたから橋本天龍がいなくても良かったと思う。サスケが初登場したするだけでもチケットが売れてたと思う。IWGPジュニアタッグベルトが映ったときのどよめきが凄かった。
サスケのそれは当時全日本のTV中継見て衝撃でしたね!
このチャンネル素晴らしい!
試合後、学校の先生からsto禁止令でた
ブックであろうがそれぐらい説得性のある技
これに限らず飯塚×村上の決着も酷いものだったし、蝶野×ムタも無茶苦茶な結果だった。生放送だったから仕方ないのかもだけど,確実に全てがおかしかったよね
蝶野vsムタが試合前・試合後に、たっぷり時間を掛けた事で、健介vsライガーのIWGPヘビー級王者vsIWGP Jrヘビー級王者の『IWGPスペシャルシングルマッチ』が「巻き」状態になってしまったのは気の毒でした。
東京ドーム大会だからって無理してセミファイナルに組んでほしくはなかった。
5月の福岡ドーム(現 福岡PayPayドーム)大会or6月の日本武道館大会のメインイベントでしょう。
猪木流ショービジネスは付け焼き刃で利益の先取りに過ぎなかった。橋本だけではなく他の選手の運命も大きく狂わせたUFO劇場。
謎なのが最後、朦朧とした橋本が『だめだだめだ』とリングで吐露していたことや、かずみ夫人が会場裏で号泣していたのも芝居なの?
自分もあの「だめだ」がずっと気になってます。。
@@wk6126 ですよね。ブックがあるなら辻褄が合わないことが多々ある。
当時はなんとしてもドームを埋めるためにカード編成に力を注いでいましたね。
今みたいに両国クラスと大差ないカードの手抜き感は感じられない
本当にブックだったのかと思う
橋本にメリットが無さすぎる
最後の試合で命を縮めたような試合内容だったし
既に、ZERO1案はこのときに
有った❗
とゆうのが橋本側の旨みみたいです
更に、この時武藤も親日のやり方には
後ろ向きだったと…
新団体設立の流れがあるにしても
負けと決まっていたなら
STOを何度もくらって致命傷に成りかねない状況で
死にもの狂いで立ち上がる必要が無いし
後に命を縮める事にもなってしまっているからな
それとも橋本本人は負けたくなくてブック破りでもしたかったのか⁉️
橋本のこの一連の扱われ方には選手内でも不満があったらしく
蝶野が間に入ってフロントと交渉したことがきっかけで
その後本人の意思に反して現場監督になってしまい
あの猪木御殿へとなってゆく
平成維震軍やりながらマッチメイク手掛けた越中はすごい。
うわ、橋本vs川田
観てみたかったなぁ✨🤩✨✨
あれ?でもどっかの団体で
橋本vs川田を見たぞ?🤔
ZERO-ONE(現 ZERO1)と全日本プロレス(武藤敬司が社長時代)が対抗戦をしていて、それでタッグでもシングルでも、橋本vs川田をやっていましたね。
猪木とかいう創造主にして破壊神
今のプロレスは優等生で大人しい。ファンはもっと刺激的でエンタメ性に富んだプロレスを求めている。
橋本はのちに小川と組んだ時点で「ダメだこりゃ」と思いました。
当時それはそれで漢同士、何か通じるものがあったのだろう、と信じておりました。
かつての猪木信者としては、UWF設立以降の姿は醜いだけで腹が立った。
「風車、雨だれ」と訳の分からない理論を口走る一方で、「いつ何時、誰の挑戦も受ける」と公言していたはずが、前田からは逃げ回るだけだった。
そして自身が作ったUWFがブームとなると、やがてK-1やプライドが勃興しプロレスをコントにしてしまった。
私はその頃、嫌いだったG馬場を見直し、三沢らやファミリー軍団を後楽園ホールで楽しむようになった。
やがて小川直也がプロレス入りし、猪木がバッタもんの団体を作ったと知ったが、もはや彼には興味が無かった。
どうせ彼がやる事は格闘技風のプロレスでしかないと知っているからだ。
動画にあった「負けたら引退」は久し振りに見たが、当然、橋本が勝つと思っていた。
動画が事実であるなら両者に負けブックの旨味があったという訳だ。
晩年の猪木は北朝鮮との物貰い外交など本当に醜かった。
それでも良い時もあったと考える事にしている。
大人になった今、アントニオ猪木という人物を観察したときにこの騒動の原因で一番思い浮かぶのは「嫉妬」と「独占欲」だと思う。
まず自分の統治を跳ね返されて尚、好調だった事で自分の手元から離れてしまった新日への独占欲
PRIDEやK-1という外敵に対応した試合展開ができない新日への怒りと他競技への嫉妬
猪木が小川を使ってかき回したのはある種 新日へのDVであり、ストーキングやリベンジポルノの要素もある。
とはいえ結果的に猪木が離れてブシロード統治の下、復調した今の新日含めたプロレス業界にはもう『闘い』がなくなってしまったのは何とも皮肉な話だ。
新日本プロレスの『ストロングスタイル』は本物の競技によって淘汰されてしまったんだなぁ。
予定調和をぶっ壊す猪木のブックはそれまで通りのガチャガチャだったんだけど、
この筋書きを受け入れた橋本はやはり先を見通しが甘かった。
レスラーとしての商品価値で二度と小川を超える事がなくなる。
そんなもの受け入れたらオシマイなのに。
橋本のその後の迷走もこのつまづき・・・見通しの甘さが大きかった様に思う。
まぁこの混沌というかグダグダ感が新日本であり、だからこそ馬場系の王道も成り立つんだよな
全日本の方がグダグダやけどなあ、笑
ある意味猪木のマネジメント力がすげーと思わせる出来事
猪木イズムはプロレス界で延々と受け継がれるんやろな
猪木は
この当時の魅力ある
沢山のレスラーを潰した。
と、本当に思う。
しまいには自分の
ケツを蝶野に拭かせるし。
最悪な時代だった。
ビッグ坂と力ちゃんとの北米タッグ選手権がみたい。誰かアップして。
小川・橋本が出演したヒッパレの映像、どこかに無いかしら。
↑的外れなコメント(笑)。
橋本復帰の大義名分としてプロレスファンの兄弟が復帰を懇願して折り鶴を送ったりとかあったなー。今思うとあれも仕込みかな🤔 お兄さんは今テレ朝のプロデューサーで新日ちゃんの担当してるというから人生わからんね
家のねーちゃんは鶴を折って送ろうとしたけど、締切に間に合わず泣いてたwww
何と言ってもテレ朝だし、そりゃ電◯あたりが演出手掛けてますよ。なんて言ったら謝罪案件かなw?
猪木のアングルは覚せい剤みたいなもの、最後は体がズタズタになる。
1.4の内容があれだから、簡単に橋本は小川に勝てないイメージ着いちゃった。
だからこの「負けたら引退」で橋本が勝つってのはどうしても説得力がないから、負けちゃうのは仕方ない。
3回くらい負け続けて、やっと返し技とかギリギリのリングアウトとかで勝つしか橋本が勝つにはなかったんじゃないかなあ・・・
そうだね。打撃戦であれ程歯が立たないとは…😅投げや関節で勝てるわけないし❗️あそこから、目が飛んでる小川に勝つには、反則しかなかったな❗️
5.2のドームで橋本vs川田が実現してたら
やっぱり橋本が寝たのかな?
試合後に両軍入り乱れてあそこまで大暴れしたんだから、新日本vsUFOで全面対抗戦して欲しかったです。
ブックは確実にありますよね!
絶対王者時代の小橋
ドーム級か、ビッグネームしか増刊号が出なかったのに、力皇に負けた時、試合前から増刊号が出る事が決まっていて違和感しかなかった
当時を知らない人が作ってるのバレバレだね。猪木が止めたのはホントは藤浪が止めないといけないぐらいボコボコにされてるのに止めて無かったから。
猪木は特別レフェリーの「藤波」のレフェリングに苦言を呈していましたね。
この頃のプロレスは『殺伐』がウリだった。
令和になり、
本当に命を脅かされる時代となった今、
プロレスに求められるのは、
ある種の『希望』みたいなモノに思える。
自分はそっちの方が好きです。
甘い!
当時のプロレスは勿論総合格闘技ではないけどある意味で総合的(総合プロレスとでも言えばいいのでしょうか)でした。①猪木イズムに代表される殺伐さ、②nWoのようなアメプロ、③ジュニア戦線の充実、④インディー団体との交流...これらが同時並行で高いレベルで行われていました。今は亜流な②と選手の小型化で③もヘビーなんだかジュニアなんだかよく分からない感じでやっており①や④はもはやありません。なんだかなぁという個人的な感想です。99年の1.4をカオスと言うなら00年の1.4は最後の花火という感じです。あんな盛り沢山のカード、今では絶対組めません。。あの2年間を生で体感できたファンが羨ましいです。
負けたら引退➡️「橋本勝つんでしょ」
より
負けたから引退➡️「どうせ復帰するんでしょ」
の方にシラケた当時
その余波を引きずっててゼロワンに至る流れには完全に覚めてた
そういえば、あの千羽鶴兄弟って仕込みだったの❔
千羽鶴はガチでしょ。ブックが世間に出てないのだから。
とりあえず僕も同意見です。
橋本真也の大ファンでしたが、どうしても見たい選手でなくなってしまって、結果PRIDEへ流れていきました。
うろ覚えになっちゃってるけどその兄弟は仕込みらしい(片方はこれに協力したおかげで現在はテレビ朝日(だと思う)で関係者になってると自ら証言したとか
@@Victory72
そうなんですねぇ。結果的にそうなのか、ファンだった少年見つけて、無理やり作らせたのかですね。、
番組が構成したものと思いますね
所謂やらせ
番組づくりとはそういうものです
それで言うと橋本の車に小川と落書きしたのも仕込みだったんかな笑
当時新日本のエース級だった橋本真也をそんなに簡単に引退なんてさせんやろと思ってたけど、本人が新日から出て自分の団体を作りたいと考えてたんなら納得だけど、小川に3連敗、見事に返り討ちにあってしまった橋本のブランド力はもうすでに無かったよね
常識人坂口さんが社長のままなら・・・
今のアラサー世代はここからPRIDEとK-1にハマるんよね〜
ここ数年は有プロ含めネットでプロレスの歴史を調べるのが楽しくてたまりません!
トキハキタァ、、ソレダケダッ
混乱するプロレスとは逆にこの頃は桜庭がグレイシーに勝ち、藤田はケアーに勝ちました❗K-1ではホースト優勝しミルコ、バンナも躍進。やはりインパクトある試合は重要でしょう❗
確かに「負けたら引退スペシャル」はテレビ朝日も気合入ってましたね。
確か、サザンオールスターズの桑田佳祐が小川の応援ソングを作って生歌披露してた記憶があります。
それPRIDEの佐竹戦
ほんとにブックだったの? ソースを知りたいです。当時、橋本信者だった自分は負けたら引退スペシャル橋本が負けて、本当に頭が真っ白になった。双方同意の上でブックだったとしたら完全に客をなめてる。少なくともブックなら橋本に勝たせてやれよ。。。 あの試合以降プロレスに対する熱が完全に冷めてしまったのは自分だけじゃないはず。 OH砲? はぁぁぁ?って感じで超シラけた。
全く同じ気持ちです。
橋本信者だった僕も、当時の健介をスターにしようとする流れもイライラしたのに、引退スペシャルで負けた時は、本当泣きました。その後も全く同じで、OH砲とか全く乗れなかったし、永田政権になってから、本当プロレスみなくなった。
ハッスルは面白かったけどね。
新日本プロレスって今でも「猪木イズム」があるけど、「脱猪木」をして新闘魂三銃士で売って行きたかったんだろう。
でも結局「闘魂」を使ってる時点で変われないんだけどね?この時代は色んな意味で模索してたんだろうな?
新日本プロレスと言えど我が国の法律に基づいて設立された株式会社だったと言う事ですね。8:38
坂口が残った方が良かった。
猪木地獄がないので。
しかしまぁ橋本も猪木さんありがとうございましたはないわな
観てるほうはなんでやねん!となったもんな
僕も、何で橋本晴々としてるんだよー、小川に負けて悔しくないんかーって、テレビ前で泣いてた記憶があります。
この動画の前に負けブックだったっていう証言って何かありましたか?
観客の有名なヤジで「馬鹿かお前は~」が全てを物語ってましたね
馬場が猪木を信用してないのは当たり前
異種格闘技含めこれが猪木の本質なのよ。いい加減。みんな買い被りし過ぎで、一部信者にとっては幻想のみが大きくなった(後に乖離が生まれる)
「力道山メモリアル」当時猪木とエキビジションマッチを闘った滝沢秀明まで後に「行けば解るさ。」とばかりにジャニーズを出るとは。
真相はどうあれ、今回も動画面白かったです。
ここから新日がつまらなくなって見なくなりだしたな。
猪木は橋本の事を嫌っていたでしょ。闘魂伝承のガウンがどうしても許せない猪木が橋本に痩せろ痩せろとずっと言っていたけど
まあ人間的な事はともかく、猪木は練習しないでブクブク太った奴を嫌ってたからね~橋本に限らず
新日にとっては苦境だったけど結局は猪木と切れ、橋本って扱いにくく、塩分の濃い、落ち目を切れて良かったと思うけどな
あれが無ければ新日の今の地位はなかったよ
それは分かる。全て無くなってからの再生だからね。
ただ、今日の繁栄も、普通に考えたらない可能性の方が高くて、新日本がなくなってた可能性すらある。
棚橋と中邑、オカダは本当凄いわ。