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この人にとっての立花という性はどういったものなのかと考えてしまいます。道雪だけじゃなくて故郷への執着心もあったんじゃないかなとか。
道雪には優秀な部下が多く集まりましたよね。 薦野増時、由布惟信(雪下)、小野鎮幸(和泉)、十時連秀、米多比鎮久など素晴らしい武将達。
髙橋統虎かっこいい名前🐅🐅👍👍
薦野さんが準主役の立花三将伝面白かったよ!
私が死んだら、殿のそばに埋葬して欲しいって言われた、立花道雪、めちゃくちゃ嬉しかったですよね
宗茂が柳川に返り咲いた時に帰参しなかったというのは、その頃には増時は既に80歳近くだったし、もともと若い頃に立花家の家督を辞するなど自身より主家の安定を優先した人だから、立花家にあっては絶対に無下にできないような立場の自分が帰っては扱いに困るだろう、という配慮もあったのではないかと思います。最初に柳川に入った際に、俸禄が一番でなく小野鎮幸に次ぐ次席だったのも、菰野家の一族が立花家中で影響力を必要以上に持ちすぎないようにとの配慮だったという説もありますから。高齢で、道雪の墓の隣に入るのも近かろうと思っていたのもあるかとは思いますが、自分で推挙したという話も伝わる宗茂に対する忠義も劣っていたとは思えません。
@@maestrohound 薦野増時(立花賢賀)の子孫には、筑前藩重臣で江戸中期の茶人の立花実山や、宮本武蔵の伝記で「武蔵は柳生宗矩より強かった」というソースに使われる「丹治峯均筆記」の著者で、筑前藩の二天一流宗家の立花峯均がいますね。
立花の家臣は有能が多いな。
道雪の人物眼がすばらしいね
真の侍ですね。戦国時代の武将として、名を馳せた方に日本の魂を感じます。
薦野増時!初めて知りましたが、道雪期待の第一候補とはなかなかやるな~!早速、信長の野望でオリジナル新武将として作成させて頂きます!
s E 俺もそうします
素晴らしい部下ですね!
正に私の地元の人物。地名も残っています。近隣の秋月氏とも抗争しているので、道雪の筑前支配には欠かせない人物です。官兵衛も土地勘があるから誘ったのかもしれない。
べっきあきつらと戸次川の戦いって関係してるんですか?
名将の傍らに名将有りですな。
私も投稿主様と同様に感じました。主様の情報量は凄まじいですね👍
これほど有能な武将なのに初めて名前を知りました。道雪は若い時に雷に打たれて歩けなくなった。戦国武将としてはかなりのハンデなのに、籠に乗って戦に勝ちまくって、雷神の化身と敵から恐れられた。これだけ有能な家臣が居たから活躍出来たのですね。龍造寺隆信も籠に乗ってたけど、太りすぎのせい。なので島津に討たれた。立花の家臣の忠義の高さには感服する。
成る程!
主さん👍
関係ないのですが、声だけでいいかもしれません。主様に目がいってしまって文字に集中出来ません。
じっくり紀行とどう違うの?そもそも同じ人?
前の方が良かった…
自分もそう思います。しかし、u主にとっても苦肉の策なのでしょう。
まぁ続いてくれただけでもありがたいですけどね
しゃべるのが、うまくなった気がします
もし大河にするなら、宗茂ではなく由布雪下惟信を主人公(語り部)にした立花家の群像劇の方がいいと思います。宗茂では問題ありすぎじゃないかな。雪下なら青年期からドラマスタートできるし。薦野増時もいいキャラですね。
それだと宗茂の陸奥棚倉移封までで、柳河藩再封から島原の乱での活躍は全カットになりますね…
いつも見ています。もう少しゆっくりと、間隔を置きながら話した方が、より聴きやすいと思います。応援しています。頑張ってください!!
貴重なご意見ありがとうございます(^-^)/ホントにあせる気持ちが出ていたかもです。やさしいお言葉に感謝です(^-^)
うぷ主が怪しい過ぎる。気になって仕方ないので、マスコットとか作っては?
だから立花道雪やめて。実在してませんから。真田幸村的な。きちんとご存知なはずですから、お願いします。
@@hatsune650f9 ひょっとして、道雪本人はあくまでも生涯「戸次鑑連」を名乗り、「立花道雪」を名乗ったことは一度もない(むしろ大友宗麟から禁じられていた)ということが仰りたいのでしょうか?真田信繁や伊勢盛時が、「真田幸村」「北条早雲」と名乗ったことがないみたいに?
この人にとっての立花という性はどういったものなのかと考えてしまいます。
道雪だけじゃなくて故郷への執着心もあったんじゃないかなとか。
道雪には優秀な部下が多く集まりましたよね。 薦野増時、由布惟信(雪下)、小野鎮幸(和泉)、十時連秀、米多比鎮久など素晴らしい武将達。
髙橋統虎かっこいい名前🐅🐅👍👍
薦野さんが準主役の立花三将伝面白かったよ!
私が死んだら、殿のそばに埋葬して欲しいって言われた、立花道雪、めちゃくちゃ嬉しかったですよね
宗茂が柳川に返り咲いた時に帰参しなかったというのは、その頃には増時は既に80歳近くだったし、もともと若い頃に立花家の家督を辞するなど自身より主家の安定を優先した人だから、立花家にあっては絶対に無下にできないような立場の自分が帰っては扱いに困るだろう、という配慮もあったのではないかと思います。最初に柳川に入った際に、俸禄が一番でなく小野鎮幸に次ぐ次席だったのも、菰野家の一族が立花家中で影響力を必要以上に持ちすぎないようにとの配慮だったという説もありますから。高齢で、道雪の墓の隣に入るのも近かろうと思っていたのもあるかとは思いますが、自分で推挙したという話も伝わる宗茂に対する忠義も劣っていたとは思えません。
@@maestrohound 薦野増時(立花賢賀)の子孫には、筑前藩重臣で江戸中期の茶人の立花実山や、宮本武蔵の伝記で「武蔵は柳生宗矩より強かった」というソースに使われる「丹治峯均筆記」の著者で、筑前藩の二天一流宗家の立花峯均がいますね。
立花の家臣は有能が多いな。
道雪の人物眼がすばらしいね
真の侍ですね。戦国時代の武将として、名を馳せた方に日本の魂を感じます。
薦野増時!初めて知りましたが、道雪期待の第一候補とはなかなかやるな~!
早速、信長の野望でオリジナル新武将として作成させて頂きます!
s E
俺もそうします
素晴らしい部下ですね!
正に私の地元の人物。地名も残っています。近隣の秋月氏とも抗争しているので、道雪の筑前支配には欠かせない人物です。官兵衛も土地勘があるから誘ったのかもしれない。
べっきあきつらと戸次川の戦いって関係してるんですか?
名将の傍らに名将有りですな。
私も投稿主様と同様に感じました。
主様の情報量は凄まじいですね👍
これほど有能な武将なのに初めて名前を知りました。道雪は若い時に雷に打たれて歩けなくなった。戦国武将としてはかなりのハンデなのに、籠に乗って戦に勝ちまくって、雷神の化身と敵から恐れられた。これだけ有能な家臣が居たから活躍出来たのですね。龍造寺隆信も籠に乗ってたけど、太りすぎのせい。なので島津に討たれた。立花の家臣の忠義の高さには感服する。
成る程!
主さん👍
関係ないのですが、声だけでいいかもしれません。
主様に目がいってしまって文字に集中出来ません。
じっくり紀行とどう違うの?そもそも同じ人?
前の方が良かった…
自分もそう思います。しかし、u主にとっても苦肉の策なのでしょう。
まぁ続いてくれただけでもありがたいですけどね
しゃべるのが、うまくなった気がします
もし大河にするなら、宗茂ではなく
由布雪下惟信を主人公(語り部)にした立花家の群像劇の方がいいと思います。
宗茂では問題ありすぎじゃないかな。
雪下なら青年期からドラマスタートできるし。
薦野増時もいいキャラですね。
それだと宗茂の陸奥棚倉移封までで、柳河藩再封から島原の乱での活躍は全カットになりますね…
いつも見ています。
もう少しゆっくりと、間隔を置きながら話した方が、より聴きやすいと思います。
応援しています。頑張ってください!!
貴重なご意見ありがとうございます(^-^)/ホントにあせる気持ちが出ていたかもです。やさしいお言葉に感謝です(^-^)
うぷ主が怪しい過ぎる。
気になって仕方ないので、マスコットとか作っては?
だから立花道雪やめて。実在してませんから。真田幸村的な。
きちんとご存知なはずですから、お願いします。
@@hatsune650f9 ひょっとして、道雪本人はあくまでも生涯「戸次鑑連」を名乗り、「立花道雪」を名乗ったことは一度もない(むしろ大友宗麟から禁じられていた)ということが仰りたいのでしょうか?
真田信繁や伊勢盛時が、「真田幸村」「北条早雲」と名乗ったことがないみたいに?