大阪市ニュースNo.154 消えゆく市電
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- เผยแพร่เมื่อ 4 ก.พ. 2023
- アジア発の国際博覧会として開催された前回の大阪万博は、 「人類の進歩と調和」をテーマとして、1970年3月15日から9月13日までの183日間、総入場者数は6400万人を超えるなど、戦後日本の高度成長を象徴する一大イベントとして開催され、1964年の東京オリンピックとともに戦後日本のインフラ整備の契機となりました。
大阪市においても、路面電車を廃止し、地下鉄整備が進められたことや、現在も主要な幹線道路である新御堂筋や中央大通りが整備されるなどのインフラ整備が行われました。
この映像は、大阪市が所有する記録映像です。是非ご覧になっていただき、当時の様子に思いを馳せ、一人でも多くの方々に3年後に控える大阪・関西万博に対する興味や関心、期待感等を高めていただければと思います。
なお、映像は、当時放送された映像をそのまま上映しています。そのため、現在では使用しない表現等が含まれますことをご了承ください。
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うちの親父が乗ってた日野コンテッサ
懐かしい
3001形は、当時の昼間に南北線(肥後橋ー湊町間)を車掌を乗せ客扱いを行いながら約7分で走ったと聞いたことがあります。
法善寺横丁の石畳は、たしか市電の敷石だったような記憶が。
ここに映っている電車は今でも広島で乗ることができるが、やはりできれば大阪市内で乗りたかった…
そうらしいですが、整備する時の部品は有るんですかね??
@@user-yc9oj4wg6kかなり退役が進んでいるので、予備部品が少ないかも知れませんね。現在は…
750形(営業車1両・イベント車1両)、900形(営業車1両)、貨51形(花電車用1両)が大阪由来の車両となっています。
大阪市電は昭和32年頃は通勤通学に重宝されていたのも束の間だった。やがて交通障害の餌食となり身動きが取れなくなり、やがて廃止することなったのは皮肉のことでした。その大阪市電が廃止になるのは昭和43年度末の昭和44年3月31日で残ったのが阪急東口から守口間と今里車庫前から玉船橋間だった。by酒向正也
当時は路面電車と車道の境界がすみ分けられなかったことで、特にマイカー時代の大混雑で事故るという問題を抱えていたため、それが地下鉄にとって代わるものとなった。
最近はライトレール形式で、地下鉄が存在しない地方のターミナル(宇都宮、富山など)や、バス専用道路(BRT)の整備で改めて、見直しが図られてきており、路面電車も専用のレーンを設けているからこういう光景はまず見られないだろうか