武士道Bushido100(501)

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  • เผยแพร่เมื่อ 20 ต.ค. 2024
  • (501)武士道Bushido100「武士道ルネサンス」
    「『孫子』
    生き抜くための智略がある
    戦わずして勝つ――――それが最上の策である
    湯浅邦弘 大阪大学大学院教授  NHK『100分de名著』より抜萃  No.7
    4.勝つための知略                     」武士道ルネサンス
    夏井川護岸工事進捗2023.10.14.Ⅰ
    ・「●『だます』ことで勝利をつかむ
    『孫子』は、戦わずして勝つための方法として、『詭道(きどう)』というものを大変重視しています。『詭』は偽りという意味です。詭道とは偽りの方法、すなわち、相手をだますということです。
    冒頭の計篇で、『孫子』は戦争の本質についてこう語っています。
    兵とは詭道(きどう)なり。(1 計篇)
    (戦争の本質は、『詭道(きどう)』〔偽りの方法〕である。)
    例えば、自軍に十分な戦力があるのに、敵にはあたかもこちらの戦力が乏しいかのように見せる。敵の近くに自軍を展開しながら、あたかも遠くにいるかのように見せかける。あるいは、遠くの城を攻めるつもりなのに、近くの城を狙うかのような構えを見せる。このように、敵の裏をかいたり、意表を突いたりする偽りの作戦を展開することを、詭道と呼ぶのです。
    では、なぜ『孫子』は詭道を重視するのでしょうか。それは、正面対決をすると結局は消耗戦になり、勝つにしても負けるにしても、互いに甚大な被害が出てしまうからです。
    冒頭でも解説したように、『孫子』は敵国を保全したまま勝つのがよい勝ち方であるとしています。当然、味方の犠牲も少ないに越したことはありません。実際に戦場で戦う前に謀略を巡らせ、相手の油断を誘ったりして、できるだけ兵力を消耗しない戦いをする。これこそが理想だとしたのです。
    詭道こそが勝敗を決める。この原則が、勢篇では次のように語られています。
    凡(およ)そ戦いは、正(せい)を以(もっ)て合(がっ)し、奇(き)を以て勝つ。故に善(よ)く奇を出(いだ)す者は、窮(きわ)まり無きこと天地の如(ごと)く、竭(つ)きざること江河(こうが)の如し。(5 勢篇)
    (敵兵力を前にして布陣するには、まず定石(じょうせき)通りの『正』兵による。しかし、最後の勝利の鍵を握るのは『奇』兵である。巧みに奇兵を繰り出す軍隊は、天地の運行のようにきわまりなく、大河の流れのようにつきることがない。)
    戦争ではまずは正攻法で対峙するが、最後に勝利を決めるのは奇策だというわけです。
    奇策と言うと、何かだまし討ちのようで怪訝(けげん)な顔をされる方もあるかと思います。しかし、例えばスポーツの世界を考えれば、これは半ば常識だと言えるでしょう。どんなスポーツでも、まずは基本を学びます。ところが、一流選手同士が戦う国際レベルともなると、実力差は紙一重。最後は、より多くの作戦を繰り出すことができ、相手の裏をかく技術を持っている方が勝つのです。例えばサッカーでは、パスをすると見せかけてドリブルでディフェンスを突破する。相撲では、横綱だけは奇策を使ってはいけないとされていますが、そうでない力士、特に小柄な力士は、意表を突くさまざまな作戦や技を繰り出さないと勝つことができません。スポーツでは、さまざまな『詭道』が常に使われているのです。
    ただ、日本にはどうしても真っ向勝負をよしとする美学があります。それは、戦国時代から近現代にかけての日本の軍事史にも表れています。
    『孫子』は日本の戦国時代の武将たちにもよく読まれていました。甲州武田軍は、軍旗に『孫子』から取った言葉『風林火山』を掲げたことがよく知られています。
    機動力のある騎馬隊や、軍師山本勘助のさまざまな奇策により、武田軍は数々の勝利を収めたと伝えられています。しかし、その他の戦国武将たちにも『孫子』の教えが広く受容されたかどうかについては、疑問があると言えるでしょう。日本には『武士道』の伝統があり、正々堂々と戦うことが武士の美学であるという考えがあるからです。だまし討ちはしないということです。その点において、謀略や詭道を推奨する『孫子』に拒絶感を抱く武将たちもいたのではないかと思われるのです。
    今でも、その傾向は同じだと言えるでしょう。できればあまり卑怯(ひきょう)なことはしたくない。もちろん、戦国時代や近現代の戦争にも、詭道で勝利を収めた局面はありますが、あくまでそれは例外という扱いです。しかし、先の戦争を思い起こせば分かるように、この美学を追求しすぎていくと、悲惨な玉砕につながります。真っ向勝負で勝てないなら潔く散る、という発想になるからです。
    『孫子』は、そのような発想は評価しないのです。『孫子』が重視するのは、人命の尊重と国の保全です。戦力を消耗せず、国力を保ったまま勝利を収める。そのためには、少ない労力で大きな成果をあげることが必要となります。そこで導入されるのが、詭道なのです。詭道を重視する『孫子』の考えは、人命と国の保全を第一とする観点から導かれたものなのです。
    ●敵を知り、自分を知る
    詭道を繰り出すための前提として、最も重要なものは何でしょうか。
    それは、やはり情報です。相手はこう出ようとしている、その情報があるからこそ、自分はこのように回り道をしようとか、援軍を呼んで挟み撃ちにしようといった作戦が取れるわけです。逆に言えば、情報がなければ、詭道は取りようがありません。
    謀攻篇の次の言葉があります。
    故(ゆえ)に曰く、彼(かれ)を知り己(おのれ)を知れば、百戦(ひゃくせん)して殆(あやう)からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負(いちしょういちふ)す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎(ごと)に必ず殆(あやう)し。(3 謀攻篇)
    (敵の実情を知り、また自軍の実態を知る。そうすれば、百たび戦っても危ういことはない。また敵の実態については充分な情報が得られなかった。しかし自軍の実態については充分把握していた。このような場合は、勝ったり負けたりとなる。敵を知らずまた己をも知らないということでは、戦うたびに身を危険にさらすことになる。)
    『彼を知り己を知れば、百戦して殆からず』。これは、『孫子』の中の最も有名な言葉の一つです。相手のことを十分認識し、自分が何者かもよく分かっている。そういった場合は、何度戦っても危ういことはないと言います。これはつまり、情報収集と自己分析ができているということ。この両方が万全であれば、決してピンチは訪れないというわけです。
    ところが、なかなかこうはいかない場合もあるでしょう。相手は実情を隠そうとしますから、やはり敵のことは分かりづらい。すると次に、『彼を知らずして己を知れば』という局面が出てくるわけです。自分のことは分かるが、相手の実力は十分には分からない。このような場合は、勝率は50パーセントになると言います。
    最悪なのは、相手の実態も分からないし、自己認識も甘いという場合です。こういう人は、戦うごとに必ずピンチに陥ると『孫子』は言っています。
    戦いに勝つためには、敵の実情をこちらに知らせてくれる情報が不可欠です。同時に『孫子』は、自分自身を理解することも大事であると言っています。その両方が相まって初めて、勝つための作戦が立てられるということなのです。」武士道ルネサンス

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