「眠たいな〜、今日早く起きすぎたからな〜」という類の文が日本語にはたくさんありますよね。 僕もずっと気になっていて1ヶ月ほど前に、「転移修飾」という文法用語に出会ったときにこれだ!!!と思いました。 他にも、英語の文法書の例文で見たことのある They’ve been playing a lot of tennis recently. という文。ん?たくさんのテニスをしているの?おかしくない?と長い間思っていたのも、この「転移修飾」に出会って解決しました。 もしよろしければ、調べてみてください。
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【参考文献のリンク】
○日本語のシンタクスと意味(第二巻)
amzn.to/3f84Bx5
○文法と意味I
amzn.to/3zHXNzC
先行研究を調査する上で参考にした本。タ形の意味の列挙はほとんどこちらが元になっている。決して初学者向けの本とは言えませんが、日本語文法を腰を据えて勉強してみたい方にはおすすめ。この2冊は色んな論文や本で目にします。
○基礎日本語文法・改訂版
amzn.to/3zJTcNu
大学の時に使っていた日本語文法の教科書。教科書なので読み物として面白いというわけではないが、平易な言葉遣いで日本語文法の全体観が把握できる。
○時・否定の取り立て
amzn.to/3JWJqMK
金水敏先生によるタの説明を調べる際に用いた。
○日本語学と通言語的研究の対話 テンス・アスペクト・ムード研究を通して○
amzn.to/3JYB5YU
定延利之先生によるタ論。タとはミラティブ(発見)だ、という自説を展開。研究の発表パートと、世界の諸言語を幅広く研究するロシアの言語学者・マルチュコフ先生との対話パートという構成の本。マルチュコフ先生の鋭い質問が面白い。
○日本語のテンス・アスペクト研究を問い直す 第2巻 「した」「している」の世界
amzn.to/31KaZHT
タ、テイルに関する論文を集めたオムニバス。「タってそもそも活用形の一つなの? それとも、助詞?」「東北方言ではタ以外にもケというテンス形式があるよ」「情報を得たときにそれが頭に定着するまでの速度とタの関係」など、タに興味を持った方にはたまらない論文がいっぱい。
○「た」の言語学
amzn.to/3tuxpZh
日本語以外に、ロシア語、中国語、ベトナム語、韓国語の過去時制、完了形を考察。対照研究を通じて日本語のタの本質に迫る。
○時間と言語を考える 「時制」とはなにか
amzn.to/3ndBaOO
タに限らず、英語の完了形や未来時制などの事例を取り上げながら、言語から見える時間意識に迫った一冊。「タを深掘りしたいというよりは時制、時間とは何かを勉強してみたい」という方にはこちらをおすすめしたい。
○日本語と時間 〈時の文法〉をたどる
amzn.to/3qfVz7L
日本文学研究者であり詩人でもある藤井貞和先生による日本語時制論。古典文法の時制体系を概観し、タの本質に迫る。
○認知言語学の大冒険
amzn.to/3zJZ9tE
難解と言われる認知言語学を、図や例えをふんだんに盛り込んでわかりやすく解説した良書。
論文
○ムードの「た」の過去性(定延利之)
○タ形の意味を考える ──日本語学習者の運用能力に貢献する文法研究──(山本雅子)
「僕が堀元さんに心を許し始めたのは、収録が始まって2ヶ月後である。」の時、堀元さんちょっと傷ついてないか気になって従属節が主節を上回ってしまった。
このチャンネルは実は、「堀本さんの吸収の速さ」が1番のキーになってるんじゃないかと思ってる。
確かに吸収速度についていけない時ありますね笑笑
実際そうだと思います。堀本さんの理解、展開、話しやすい合槌、これがなかったらこのチャンネルはここまできてないと思います。
水曜どうでしょうの藤村さんの様に補助者なのに主役的な仕事もできるのが素晴らしいと思います。
こんなところに傘がある。
→傘を探してはいなかった
こんなところに傘があった。
→その傘を探してた
「た」は「イビピーオ」にどことなく似ている気がする。「確実遂行・実現」を表すので、それが過去だったり、完了だったり、強調だったり、自分にとってあるべきと思っていることの要求になる(接続法が過去形で婉曲の命令になるのと似てるの面白い)のかな。
こんなところに傘があったよ
→誰かに伝える場合(モダリティ?)
ですかね
そう思います。
廃墟探検で「傘があった」というときは、(傘ではないにしろ)何かしらを発見する期待が前提としてあるんじゃないかと思いますね。
本当に予期せぬ場合は「傘がある」としか言わない気がします。
~ある
~あった
~あるよ
~あったよ
~あるね
~あったね
確かに。
ということは「発見」は、モダリティというよりも完了のアスペクトの一部と言えるかも。期待や捜索が、今終わったのだから。
た は不連続性を表しているように感じます。
探しているときにも「傘があった」と使えますが
それとは別に、傘はこんなところに無いはずと考えていた場合も「傘があった」と、使えるように思います。
「傘がある」だと、あって当然のような感じがしますので、連続的な印象てます。
相撲の「残った残った」は、土俵に脚が残っている状況を描写しているのではなく、
「(土俵に)残れ!残れ!」と要求している掛け声なのだと思っていました。
まったく確証もない個人的な考えなのですが…
なので、要求の「た」の用例のひとつなのかと。
行司が言ってるとこからしても凄い納得感ありますね
はったはった、と同じニュアンス
帰った帰ったみたいな掛け声とかと同じ気がしますね
残れ残れと煽っている感じがピンときますね!
要求として「残った!」私も同感でした。
そして、要求したところ、まだ土俵にスモウレスラーは残っているので
状態として「残った!」
この連呼する流れがスモウレスラーのナイスファイトを演出しているのかと。
要求と状態、両方を次から次へと連呼するのでスモウはエキサイティングになる。
行司が沈黙していたら超シュールかもですw
「た」に苦戦している最中に「る」の影がほの見えるの、バトル漫画の新展開匂わせみたいで好き。
行司「残った?」
審判員A「残っているよ」
行司「残った?」
審判員B「残っているよ」
行司「残った?」
力士「左足出ました」
行司疑問形説
一番近くで見てるのに分からないの草
😂
ポプテピピック
相撲の「残った」は力士がぶつかり合ったが、まだどちらも土俵に「残っている」ため、行司が勝負を続けろとの意味で発している言葉であったと思います。
そのため「存続」の意味合いが強い「た」かと思います。
ですね(相撲ガチ勢
状態を表すたじゃないのかなー??
続けろなら、自分は要求の「た」だと思いましたが・・・・どうなんでしょう?
そうかそうか、「続けろ」なんですね。
私も行事の発声は独白ではなく、最も近い場所で勝敗審判の責務を負ってる行事が周囲(審判団や観客)に「まだ勝負はついてない!」と言う事実を端的に伝えてる行為なんだと解釈してましたが、そこに力士は抜けてました。
「のこった のこった」は「今の技はまだ決まってないぞ、のこしたぞ!」が簡潔になって、更に様式化したものだと解釈できる(と思う)んで、何も違和感ないと思うんですが…
何か、とっちらかった文章ですみません。
残った残ったは、張った張ったと同じ使い方で。残れ残れだと思いました
安易に答えを見つけて分かったつもりになるより、「分からんわ~」って放っておくのも、読んでない本をそっと置いとくみたいでいいですね。いつの日か突然なにかを悟るかもしれない。おもしろいですね、ほんと。終わらない。
「た」で思い出した。
「来るのが早すぎた」ことを「早く来すぎた」と自然に言ってしまうの不思議だなー。
動画内で時制の一致の話してましたね。それかなぁ?
@@yuri-ei2wf その感じしますよねぇ
「すぎる」をどこかにつけないといけないんだけど、付ける場所がないので文末につけたって感じですね。
「○○していただき、ありがとうございました」も本来は「○○していただき」に「た」をつけたいけど、つけられないので文末に付けたのと同じでしょう。
「逆時制の一致」よりももっと広い概念で説明できるような気がします。
「動物園に行って、水族館に行きました」も「ます」を本来なら「動物園に行きまして」までつけるべきだけど、くどすぎるので文末につけるとか。
従属節をできるだけシンプルにして、オミットした部分は主節の最後に押し込みんで帳尻を合わせたいというドリフトが働いている気がします。
生徒に「ありがとうございます」と「ありがとうございました」を説明するときに役立つ!!!
でも私自身は母語話者じゃないから、未だに混乱しちゃう…とほほ
母語話者ではない人が「とほほ」を使いこなしていることに良い驚きを得ています。
@@user-gt9tc9qw5r さん
昔は(笑)と同じように とほほ を使ってたんです。
友達に指摘されて、用例と一緒に使い方を教えてもらった、思い出深い言葉なんです。
ちなみにその用例は「お菓子を食べすぎちゃった!とほほ」でした。
最近、字幕が要約としてよりわかりやすくなってきてる気がする
2人のちょっとした反応とかも邪魔になるタイミングがなくて見やすい
相撲の「残った残った」は、博打での「張った張った」と同じじゃないでしょうか?
博打で言うと、第三者に張る行為を行わせて、結果その第三者が"張った"状態
相撲で言うと、土俵上に最後まで残って、勝ってその結果土俵内に"残った"状態
が頭に浮かびました。
同じことを考えました。力士に対して「頑張れ!頑張れ!」ってニュアンスで、要求の「た」を使い「残った残った」を使っているように思えました。
待ってた!(事態の獲得?)
恐ろしく速い適応
有能
16:15
「残った残った」は残るという言葉自体が継続的意味を持ってるから、その意味が動作の完了を表す(と仮定する)「た」を征服しているんじゃなかろうか。
スポーツじゃないけど、とどまるとかも「とどまった」と言っても、まだそこにずっといてとどまる状態が続いてる感じがするもの。
あと、全然関係ないけど、水野さんの「お土産」のイントネーションが草。
「残った」に関して一つ言えることは、
非常に歴史の長いスポーツなので
現在では使われにくくなった「た」の用法が
残っている可能性があるということですよね。
「た」の原形は助動詞「たり」なので、
仮に古くは「残りたり」と言っていたのだとすると
完了や存続(=アスペクト)をあらわしていたと言えそうです。
これはあくまで私の予想ですが、土俵は神様の用意した場所という設定なので最初に「はっきょい」(はっ清い)というんですよね、その土俵の上に力士が「まだ残った」ということを表しているので「残った、残った」というのではないのでしょうか。すなわち行司さんが神視点で「(力士がまだ)残った」と言っているのではと思いました。
「大きくなったなあ」の「た」は子供の成長途中から今まさに再会した瞬間を切り取った現在のアスペクトが主で、小さかった当時を思い出して想起してるモダリティも同時に乗っかってる気がします
同感です!そして、動画中で出されているスポーツ実況の例も、「なんとボールを捕ることができた!」というモダリティが乗っかってるのでは、と。
古語で過去の助動詞「けり」が詠嘆も表すことを考えると、「大きくなっ『たなぁ』」で詠嘆を表すと考えることもできるかもですね
言語においても理論の構築は自然であるかどうかが一基準になっている事に感心を覚えました。
いつも面白いラジオをありがとうございます!
言語、専門的に研究されている先生方が整理しきれないものを、なんの疑問も抱くことなく日常的にみんな使いこなしてるあたりに凄みを感じた。
マジで動画に関係ないんやけど、
「嘘つけ!」と「嘘つくな!」が同じ意味なのヤバいよね。どすこい!!!!
「け」についても掘り下げたくなりますね
@@yuri-ei2wf この場合の「け」は「つく」という動詞の命令形「つけ」の1部では?
@@str9105
確かに!そうですね!
直訳すると「嘘をいえ」という命令文だけど、何故か「真実をいえ」という意味になってるんですね
馬鹿言え!とかもありますね
命令形はひっくり返っても同じになるの多そう
それ以外だと「ぞっとする」「ぞっとしない」とか
「のこった!」「張った!」「どいた!」に関する個人的仮説は、「~するんだ!(要求)」の短縮形説です。
実況下において、言葉の短縮は臨場感・スピード感が増すのと、「た」の響きの良さでこの形になったのではと思います。
たしかに、残った!は要求に分類される気がしてきた
それだと、中立の行司が危機にある側を贔屓することにならない?
@@user-gt8wy2lw2x タシカニー!
ゆる言語学ラジオで言語学について楽しみながら山田五郎先生のチャンネルでカラバッジョについて知識を深めてたわい、
一生使うことのない知識だと思っていたものが消化され、とてつもないカタルシスに包まれました。
ありがとうございました。
山田五郎先生のカラバッジョ
他の動画もおすすめです。
th-cam.com/video/HxqT5gBkpNY/w-d-xo.html
同じ人がいてワロタww
この2つのチャンネル並行して見てる人自分以外にも居たんだ!笑
まさかこんなに自分と同じ人がいるとは…笑笑
自分も両方みて「た」
掘元さんの輪講のエピソード、「めちゃくちゃ詳しい人が揃いも揃って頭を捻る」「それが研究の最先端」という、理系ラボの雰囲気が絶妙に再現されていて大好きです。僕は「さすがにもうちょっとちゃんと調べろ」と言われがちでしたが……
相撲でコメント欄盛り上がってますが、私も「どいた!どいた!」「張った!張った!」の「た」だと思ってました。はっけよーいの出どころが「早よ競え」とのこと(三国第八版)を考えると、構造としてはGet set, ready, GOのgoと同じで「行け/残れ」と読むのがよいのかなーと。
たしかにready goとハッケヨイノコッタは同じ構造に見えますね
ただ、これから始まる取組に対して「早よ競え」は自然ですが、取組の真っ最中に「残れ」は不自然に思えます。
野球の「入った」と同じで、やはりこれも完結しているのではないかと。
「(現時点では)残った(と行司が判断した)」が何回も起きていると考えると自然に思えます。
@@byATARUI
そうですね。
行司を審判だと考えるなら、審判がまだ土俵に「残ってる、残ってる」と確認しながら実況し続けているという風にも捉えられますね
@@byATARUI 行司の立場をどう見ているかが重要そうですね。個人的には行司は実況する人でなく、「本日のうちどめー」などの宣言もするような、場を取り仕切る(司る)人と言う認識だったので「残れ」派だったことがよく分かりました。
@@yuri-ei2wf 早く競え!残ってる!!早く競え!残ってる!って実況してる行司凄く見たい
相撲の「残った!残った!」って、あれは神事だから神様を喜ばせるためにもなるべく長く「残って」試合をしてほしいから、要求の「た」だと思ってました。
丁半博打の「さぁ、張った!張った!」を思い浮かべました
「る」の意味が分からないと「た」の意味が分からない、分かります。
「分かる」が「意味や事実がはっきりする」という意味なのに、ル形「わかる〜」が「私も前から理解していた」でタ形「わかった」が「今理解した」になるのなんでだ?とよく思ってました。
何よりこれらを混同して使う母語話者を見たことがないのが一番すごい。
わかりみ
@@user-jj7hh6so1s 「わかりみ」って「ある」ものなのか「あった」ものなのか……
わかる、は理解の状態の継続を示して、わかった、は理解の過程の終了を示す、という理解だな。
「残った」に関しては、1回1回の勝負の継続の判定がそれぞれ完結している時点での「た」のように思いました。
つまり、事態の獲得の「た」ですかね。
また、「ライオンさんいるよ」「ライオンさんいたよ」の違いについては、会話のコンテキストで変わる気がします。
それまでライオンの話題が無くて、今初めてライオンの話題になった場合は「ライオンさんいるよ」「ライオンさんいるね」が自然ですが、「ライオンさんいるといいね」…(時間経過)という事象の後の会話では、「ライオンさんいたよ」や「ライオンさんいたね」の方が自然な感じがします。これをどういう分類にするべきかは全くわからないですが。
ライオンを探してたから、発見の「た」では?
自分にとって価値がある発見のときは「た」を使うのでは。
雨が降ってて、傘がない状態で、傘をみつけたら「こんなところに傘があった」と言うのは自然に感じます
個人的見解ですが、
「ライオンさん いるよ」は、そこに行けばライオンが居る事が共通認識としてある時のイメージ。なので、発見に該当しないのかな。
「ライオンさん いたよ」は、ライオンが居るかどうかわからない状態があって、それに対する答えになっているイメージ。なので「発見のた」なのはわかる。
「発見」を正確に定義する必要性があるのでは?
@@user-lx5dx6hb4e
「見て見て!ライオンさんがいるよ!」これは発見に該当すると思いませんか?。
ライオンさんいるよは、発見した後にその存在事実を伝達している、あるいは、他の方を向いている子供にライオンさんいる(からこっちおいで)よと勧誘している感じがしますね。
いたよ、は発見した事実を中心にしている気がします。
@@k34097 おお!おっしゃる通りですね!
伝達、発見の中心で考えるとイメージしやすいです。ありがとうございます!
3回を通して色々な武器をいただきましたが、
これまでの話を聞けば聞くほど、大元は全部「完了」から来てるのでは?という思いが募ります。
難しい…
言われてみればそうかも。
完了というアスペクトがあるからこそ、感情が動いてモダリティとしての意味が生じるんですよね。
完了(現在完了)は、まさに現在ですよね。
でも過去の「た」は現在と距離があるからこそ、仮定法的用法があるわけで...
完了と過去を同じ「た」で表す日本語って不思議
道民なのに、標準語の論議をガチでする堀本さんの日本語スキルがすごいと思ったー。北海道では、電話で「お父さんでしたー。」、ボタンが「押ささってたー。」っていうのが普通なので、で全然ついていけませんでしたー。
水野さんのお土産のアクセントが気になりすぎる
以前
「周りの人」っておっしゃってた時のアクセントも気になったです〜
ま↑わ↑り→のひと
尾張弁?
こちら九州の平坦イントネーション地区だからきになるだけかもしれませんが…
「タ。」で漫画化希望
ワロタ
―過去の助動詞について―
間違いは無意味を意味しない。
なお夕(ユウ)と読み間違える人続出
「タ」リンギスティコ
義務教育で習った日本語や英語の文法が、「た」という山を登るための杭になっている…!
たの過剰摂取で立ち眩みがした
相撲分からないけど
力士Aの一撃:土俵内に残った!
力士Bの一撃:土俵内に残った!
力士Aの一撃:土俵内に残った!
みたいな短いスパンなのかなと思いました。標準出力かな?
古き良きRPGみたいで草
はっけよーい。のこったのこった。しょうぶあったー!→気合い入れて立ち合えよ!。まだ勝負付いてないぞ!付いてないぞ!。決まったー!では?
相撲の取り始めに行司が発する「ハッケヨイ、ノコッタ!」であるが、ヘブライ語では「撃て、やっつけろ、打ち破れ」の意味となる。ですって。そもそも日本語じゃないようです
@@tandendo
それ似てるだけで嘘松って聞いたことあるぞ
@@kamome3663 日本語として例外になるんだったらまんざら嘘でもないかも
「のこった!」は「要求」に近い「鼓舞」のような感じじゃないですかね
バーゲンの「さあ買った買った!」とか大食いの「食った食った!」とか
この動画を見て、気になって行司の掛け声についてググったら、天覧相撲のときは結びの一番の口上が変わることを初めて知りました
やっぱり良いコンテンツは良い学びの連鎖を生みますね
随分以前の回で、ゆる言語学ラジオは大人の自由研究を目指してるって話をされてましたけど、ちゃんと体現されてますね!
従属側が本体越えちゃった事例
・ぷよぷよ(RPGの魔導物語のスピンオフ)
・魔法少女リリカルなのは(とらいあんぐるハート3のスピンオフ)
・桃太郎電鉄(RPGの桃太郎伝説のスピンオフ)
・かいけつゾロリシリーズ(元はほうれんそうマンシリーズの悪役)
有名どころですかね?
Creepy Nutsの「助演男優賞」では従属側が本体越えちゃった事例を羅列してて面白いです。
・バナナワニ園のレッサーパンダ
・ダークナイトのジョーカー
・ブラックレインの松田優作
・ロックフェスでのクリーピーナッツ
オチがボースティング(ヒップホップでの自画自賛表現)になってるのも含めて面白い歌詞だなと思います。
プロ野球カードやビックリマンシール。
お菓子よりもオマケの方がメイン
以前から
「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」は間違いで「よろしいでしょうか」が正しい日本語なのは『た』は過去形だから
という主張に納得できていなかったんですけど、一連の動画を見るとやはりそんな簡単な話じゃない気がしますね
面白い!「あの話はあんな感じでよかった?」という表現と似ている文の敬体だから、ありかもしれん。。。
勉強してみよう。。
ネットサーフィンしてみると、
「『私は良いと思いますが、私の認識に間違いはないですか?』という、自身の無さからくる、認識をすり合わせるための表現だ」
という解説もありましたし、そっちのほうがしっくり来ますね。
確かに!「ご注文はよろしかったでしょうか」は誤用だと習いましたが、間違ってないかもですね
誤用として社会的に叩かれている、というノイズを除いてフラットに読むと、個人的には過去形にすることで丁寧さを帯びるような感覚があります。
直接「よろしいですか」と言うより、柔らかく聞こえるような。
日本語での他の類例は思いつかないですが……。
英語で過去形にすることで丁寧表現になるものがあったり、山形では自分の名前を「〜でした」と言うなどの例はあり、過去形と丁寧さの親和性はありそう。
「た」そのものではありませんが、「予定通り、次の工程に移ります」というときに司会者が「〜させていただきます」「〜したいと思います」というときの気持ちと同じだと思います。
丁寧といえばそうだけど、それ無い方がすんなり言い切ってて印象良くなるパターンも結構あるのでは? というやつ。
「〜するのにいちいちこちらに許可を取るみたいな言い方しないでよ」「〜したいと思ったのは単なるあな たの気持ちだから、こっちはそんなの気にしてないよ。早く進めて」みたいな。
「残った」はピンチを乗り切った=まだゲームが続行しているぞ、という逆説的な用法ではないかと思った。ボクシングに当てはめると激しい撃ち合いが続く中で、あともう一発でも食らったら倒れそうな選手がパンチをギリギリ避けたら「かわす!」より「かわした!」の方が実況者側の心理として適切に思えます。
避けるのが得意な選手が相手のパンチを余裕綽々で避け続けてたら「かわす、かわす、まだかわす!」とかが適切か。
堀本さんが早くもアスペクトという用語を使いこなしている。
メモ(今回は尾上説以外の話やその他のトピック)
(寺村秀夫『日本語のシンタクスと意味 Ⅱ 』から尾上説に含まれなかったもの)
○逆時制の一致 : 従属節の時制を主節に適用
例) 待たせた(従属節・過去)+ すまない(主節・現在) => 待たせてすまなかった(過去)
例) お土産を受け取った状況(従属節・現在)+ありがとうございます(主節・現在) => ありがとうございます(現在)
○強調構文(「のは構文(〜のは、ーである)」など)
強調したい事柄の時制によらず主節のテンスは現在でいい
例) 2ヶ月後に心を許した(過去) → 心を許したのは、2ヶ月後である(現在)
○歴史的現在
例) ある日の暮れ方のことである(現在) ※「である」とあるが「のは」がないので強調構文ではない
○談話機能としてのた
○スポーツ実況のた
○発見のた(mozhi gengoさんのコメントから引用)
例) おや、こんな所に傘がある(傘を探していなかった)
例) お、こんな所に傘があった(その傘を探していた)
5:20
「早く走りすぎる」とかのときにも思ってたんですけど、この場合「〜すぎる」は「早い」を補足してるはずなのに「走る」にくっついてて、これも、移動してますよね。
「眠たいな〜、今日早く起きすぎたからな〜」という類の文が日本語にはたくさんありますよね。
僕もずっと気になっていて1ヶ月ほど前に、「転移修飾」という文法用語に出会ったときにこれだ!!!と思いました。
他にも、英語の文法書の例文で見たことのある
They’ve been playing a lot of tennis recently.
という文。ん?たくさんのテニスをしているの?おかしくない?と長い間思っていたのも、この「転移修飾」に出会って解決しました。
もしよろしければ、調べてみてください。
「ありがとうございました」の話を聞くと、「おはようございました」の方言を思い出す。
これも逆時制の一致だったんだろうか。
残った残った!は実況ではなくて行司が言うのでは?
はったはった!どいたどいた!帰った帰った!とかと同じ、要求のイメージであります。
ついでに言うと、見上げ「た」根性だねェとか、田へし「た」モンだよカエルのションベンみたいな、なんとなく江戸弁・・・というか方言としての「た」というのもありそうだと思いました。
最初の例文。「待たせて、すまないね」も「待たせたね。すまない」も「待たせてすまなかったね」もどれも意味が通りそうなので凄く奇妙ですよね。自分も同じ場面の時にいつも、少し考えてしまいます。
①これは「待たせている」現在の状態に対しての現在の謝罪。
②これは今回のとは少し違う。2文にわけられている。でも、この表現は1番理解しやすそうではある
③動画。
④追加。「待たせたね。すまなかった」これは逆時制の一致をモロに受けている。
盗塁のスタート切った瞬間に「ランナー走った」っていいますね
北海道方言では、進行中のことに対して「ありがとうございました」と言います。
日常の些細な疑問を考えることが楽しくなるラジオ
23:55
①なくした傘をさがしている時→「おや、こんなところに傘があった」
②廃墟探索で傘があった時→「おや、こんなところに傘がある」
①の狭義の「発見」での場合は、重要な発見なので「た」を使って強調していますが、②は傘があるという単なる状況説明的な広義の「発見」なので、「た」を使わずに表現するほうが自然ということではないでしょうか?
自分は「ある/いる」のときは発見ではなく再確認のようなものだと思いました
「傘があった!」は即座に言うし発見と発声が同時な感じがする
「傘がある」は一旦見てから発声して再確認したり、「ライオンがいるね」も自分が認識してから確認を促してて、発見という感じがしないと思いました
加えて、
「た」のほうは、これから使ってその物体の状態を変える未来があるからだと思うな。
「こんなところに鉛筆があったー!」
「このまま置いておこう!」
はないけど、
「こんなところに鉛筆がある」
「このまま置いておこう」
はある。ニュアンスとして。+感情も落ち着いている感はある。
あとは「前々から」認識してい「た」か、「今」認識したか、とか。
15:40 マラソンや駅伝では「先頭集団を捉えた!並んだ!ここでスパートをかける!抜き去った!突き放す!」といった感じで、動作の完了まで「た」を使わないって印象は無いですね。
水野「まず『た』を学習しようと決めてからはイメージ修行だな。最初は実際の『た』の用法を一日中いじくってたな。とにかく四六時中だよ。」
「目をつぶって触感を確認したり何百枚何千枚と『た』の文献を写生したり、ずーっとただ眺めてみたり舐めてみたり、音を立てたり嗅いでみたり」
「『た』で遊ぶ以外は何もするなと師匠に言われたからな」
「しばらくしたら毎晩『た』の夢を見るようになって、その時点で実際の『た』の文献をとりあげられた。そうすると今度は幻覚で『た』が見えてくるんだ。」
「さらに日が経つと幻覚の『た』がリアルに感じられるんだ。重さも冷たさもすれあう音も聞こえてくる。」
「いつのまにか幻覚じゃなく、自然と具現化した『た』が出ていたんだ。」
なかなか内容について行くのが難しいけど、みなさんのコメント欄が理解のサポートに役立つ。
昔の深夜ラジオのハガキ職人にスゴい人たちがいたのを思い出しました。
水野「えいえい」「のこった?」
堀本「のこってないよ」
水野「えいえい」「のこった?」
堀本「のこってないよ」
ってネタが急に思いついたんで書き込んだんだけど、たぶん後から後悔する。
(2人は顔のサイズ感もポプテピみありません?)
「ある日の暮れ方のことである」は、現在形にすることで臨場感増すなーと思いました。英文法で、過去形にすると心理的な距離が遠くなる(敬語のcould, 仮定法など)っていうのがありましたが、それの逆であえて現在形にすることで距離が近く感じられて臨場感出るのでは?とか思いました。
のこった! は のこれ!がんばれ!
で要求なんじゃないかと
いやしかし深いな
ジェイムズ・ティプトリー・Jr.が亡くなったとき、私は大学生で、大学のSF研究会に所属していました。
『愛はさだめ、さだめは死』の日本語訳が発売されてまもなくで、話題になっていたある日、海外とパソコン通信を行っていた先輩が、「ティプトリーが亡くなったらしい」と言って、ビックリしました。
そして後日更にビックリしたのは、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.が実は女性だったということでした。
初めて行った動物園で「ライオンさんいるよー」は自然じゃない気がするなぁ・・・
発見の「た」で「ライオンさんいたよー」になりません?
慣れ親しんだ学校の飼育小屋で「うさぎさんいるよー」は自然だとは思います。
喜ぶときの「やったーー!」ってなんなんだろう。
やる→やった→やったー
だとしたらスポーツ実況の「刺したー」と似たような感じがする
「た」はアオリストに近い気がしてきた。
アオリストは、繰り返しのない一回だけの単純な動作を表し、その動作の開始から終了までがある短時間の時間帯の中に収まっていることを指す。文法的にはテンスの部類だがアスペクトの要素もある。アオリストを希求で使うこともでき、その場合、「直ちに~せよ」という決断的動作を求めるニュアンスが出る。
いつも楽しく拝見してます。
第二言語を学ぶことで性格変わる?
みたいな話を言語と心理の両側面から聞いてみたいですー!
23:59
話し手と聞き手が同じものを同時に観測しているかが本質な気がする
手土産、のイントネーションでお土産って言う水野さん
新しい動画待ちきれなくてよるぐっすり眠ってる
「どいたどいた」の仲間として、「買った買った」と呼びかける店主がありますよね。
適当に言葉を使っているのに、その使われ方にここまで理論付けができるのすごい
インタビューで「おめでとうございました」って言うのを聞く度に「今はもうめでたくないのか、、、?」って気持ちになる
NHKのプロジェクトXはナレーションで「た」を多用していたけど、どんな意味だったんだろう。
「こちらでよろしかったでしょうか?」に、それは「よろしいでしょうか」だろ、とモヤモヤしていたのですが、テンスとアスペクトの話を聞いて、なぜこれが誤りとされているにもかかわらず、色々な人が使うのか、が少し理解できたような気がします。
カラバッジオが出てきて山田五郎さんとのコラボ化と思ってしまった。
ところで、津軽弁話者は電話を掛けるとき「〇〇でした。」で会話を始めるのである。
番組の最後に「提供は〇〇でした。」とか「〇〇がお送りしました。」というような感じなのである。
津軽弁には古語がそのまま残されていると津軽の国語の先生は得意げであった。
この「でした」の古語なのだろうか?
是非ともゆる言語学徒に解析してもらいたいものである。
相撲の「残った」は皆さんが仰ってる通り、「残れ」と力士に言っているというのが結構しっくりきます。
ただ、個人的な推測ではありますが、取り組みの勝負がついたときに、行司が「勝負あり」と言ったりしていたな、という記憶があるので、勝負がついていない状態、足や体が「残っている」状態を「残った」と言っているのではないかと考えました。
『た』の話とは関係ないけど、他の節に影響を与える例としては
「早すぎる」+「やる」→「早くやりすぎる」
とかもありますよね。
日本語を10年以上勉強している外国人です🙏🏻
偶然このチャンネルを見つけましたが、とても興味深くて面白いです!👏🏻
ところで、発見の「た」は、探して見つけた時は「あった」、ものや生き物が現れると予想していない時の発見は「ある」なんでしょうか?🤔
英語の「時や条件を表す副詞節では未来のことでも現在形」の文法ルール教わったときに、話者の頭の中ではそうなることと一旦確定させて話してるので、未来形は使わないよって教わったの思い出しました
発見の「た」は発見した対象を探していた場合に用いて、探す行為が完了したことを表しているのではないかと思いました!
わかる。おそらく「予想外」と「目当てのもの」の発見の差で「た」を使う使えないが変わる気がするな。
めっちゃ「た」使うじゃん
意図せず視認したものと、目的を持って発見したものの差だろうなー、と思いました。
相撲の残った残ったは、やはり完了だと思いますね。残った(完了)→よって相撲が続く→力士がピンチ→残った(完了)→相撲が続く→の繰り返しで、その完了部分のみをピックアップ(?)する事により、激しく相撲が続いてる事をアナウンサーが視聴者に伝えられるので。
すごくよくわかります!ざっくり1秒ごとの観測結果をずっと連呼している雰囲気を僕も感じます!
相撲って他の格闘技と比べて非常に一瞬の勝負なので、その短い時間の中身をすごく濃密に実況した結果なのではないかと思いました?
開始
1秒「残った」
2秒「残った」
3秒「残った」
4秒「残った」
↓
8秒「押し出し〜」
思いました。
スポーツ実況の犠牲フライの例ですが、フライを取ってアウトを1つ取ったという状態を特に言いたいときは「レフト取った。バックホーム」という場合もあるような気がします。
野球の他の例で言うと、打球の実況で「一塁線抜けた。ボールは転々と転がっている。フェンスまで到達した。ランナーは2塁へ向かってセーフ」みたいに途中に「た」が入ることがありますが、「一塁線抜けた」=シングルヒット以上はほぼ確定、「ボールは転がっている」=プレー続行中、「フェンスまで到達した」=二塁打以上がほぼ確定、みたいにプレーの状態が変わる段階で「た」を使う場合があるように私は感じています。
その後『Runner』の歌詞で「走った」とは言わないという話も出てきてますが、野球だと盗塁の時に「ランナー走った」(その言葉を言った時点ではまだプレーは続いているが、ランナーが走った段階で盗塁というプレーを行っている状態に変わったから?)と実況することはあります。
中学生の頃に友達に「ちょっと待って、ちょっと待って、ちょっと待った!!」
って言ったことがきっかけで「"て" と "た" に説得力の差が生まれるのはなんでだろう」って会話があったことを思い出しました。
たしかその時「"た"は言い切ってるから命令分みたいな強さがあるんじゃね?」
って結論が出てました。
「要求のた」ってわかってスッキリ。
「待たせてすまなかった」のような文の時制については自分も気になったことがあって
文末表現が意味を決定する日本語の性質から
「待たせた」の「た」が文末にスライドしたのかな?とか何となく思っていた
「誤用のた」もいっぱいありそう
元々の意味的には間違ってるけど慣用的に根付いた「た」
面白く、刺激的なお話ありがとうございます
ただ、知識が追いつかない私は文法用語の基礎がしっかりしていないため、お話が面白いのは解るのですが
なかなか理解が追いつきません
機会があれば、文法用語の基礎を解説して頂くと有りがたく思います
ニュアンスの言語と言われる日本語
いろいろ、面白い話を今後お聞かせ下さい。
水野さんのお土産のイントネーションが気になる
ちなみに英語だとスポーツ実況は基本現在形で統一ですよね。
「Watanabe, open look, buries it from the east corner!
渡邊、フリーになって、左コーナーからスリーポイントを沈めた!」
のように。
なぜそうなんでしょうね。映画的な捉え方なんだろうか。
時制の一致に萌えるという初体験をありがとうございます。
この様に「言語(学)にイデオロギーの介入ができない」事が素晴らしい。
「文法」と言っても "曖昧・鷹揚" が支配し、少なくとも日本では「日本語」が健全に護られている。
「象さんいるよ」は先に見つけて象の檻の前で孫を待ってるおばあちゃんが言いそう
「象さんいたよ」は象の檻を探して一緒に歩いている母親が子供より先に見つけたときに言いそう
おや、こんな所に傘がある
→あると思っていなかった傘を見つけた時
おや、こんな所に傘があった
→無くしていた、あるいは探していた傘を見つけた時
という使い分けがあると感じました。
以前の動画で出てきた例の、
明日は彼の誕生日だった
みたいな例も、既知の事柄に気づく例だと思います。
それらをふまえると、「た」の本質は「完了した状態を認識すること」みたいな感じになるのでしょうか。
本質の仮説が提示される回を楽しみにしてます!
前回のやつなんですけど、状態の獲得の”た”と完了の”た”って何が違うんですかね
例えば「宿題終わった」というのは「宿題を終える、という行為の完了」を示すことである一方で、「宿題を終わらせる、という状態の獲得」でもある気がしてしまいます
何か分類があれば教えてください
たしかに、どちらも通じそうですね。前回の動画でも触れられていますが「事態の獲得」の場合はモダリティのため主観的で、「完了」の場合はアスペクトのため客観的なのではないでしょうか。
「よし、」とか、間投詞に続くときは(専ら主観的なので)「事態の獲得」にあてはまることが多いと思います。
ちがったらごめんなさい
ありがとうございます、ありがとうございました、の件について
昔百貨店でバイトしてた時に、お客さまにお品物をお渡しした後のお礼は「ありがとうございます」で教えられました。
普通、スーパーなどは「ありがとうございました」が多いかと思いますが、百貨店は自店での買い物が終わった後もお客さまが店内他のお店に寄るかもしれない、寄って欲しいという意図で「ありがとうございます」と声をおかけするとのことでした。
確かに「ありがとうございました」と言われたら潜在的に百貨店内から出ていこうという気になるかも知れないですね。
きちんと店内教育されているところは「ありがとうございます」と言ってくれると思うので気にしてみても面白いかもしれないです😊
相撲の「残った」は、丁半博奕の「張った」に近い気がする
相撲ののこった、ですが、まだ残っている状態、どころか取組みが始まるときに
はっけよーい、のこった!
と行司さんが言っている気がするので、そこまで踏まえると「いい勝負しろよ」「負けるな、負けるな」くらいのニュアンスの要求のたにも思えてきますね。
【た】面白いです。
最近会話の中で語尾にたどり着く前がまるで走馬灯のようになり、「た」をつけるかつけないかで、とても迷っている自分と葛藤中です😄
英語の学習をしていても、また現在完了あたりで、「た」のことを考えてしまいます。。
先日、ほぼ会わない友人からお土産を貰いました。そのときに、「た」をつけたのですが、そのときは、旅行中、私だったらその子のこと思い出さないだろうという関係性だったはずなのに、お土産をくれているこの瞬間よりも、寧ろ私のことを思い出してくれたその過去の時間の方に深い感謝の気持ちを伝えたいと思って、「た」が言いたくなり、「た」に集中しすぎて、人生で初めて、「ありがとた」と言ってしまいました。あれ、友達関係ではありがとうございますじゃないから、どうしたらええんかな。
発見の「た」は主観と客観で分かれてる気がする
例えば動画中ので例でいうと自分1人で見つけるor小説の地の文だと「おや、こんなとこに傘がある」は自然だけど、誰かに対して発見を報告したい時は「おーい、傘あったよー」になる気がする
動物園の例でも独り言なら「お、ライオンいるじゃん」だけど誰かに伝える時は「ほら、ライオンいたよ」になる、気がする…?
(厳密には「る系」でも別に成立する気がするので、主観判断であるモダリティとは反対の客観判断だと「る系」と「た系」の区別が曖昧になる気がする)
東北のどこかの方言で、電話で名乗る時に「〇〇でした」と言うって聞いたことあるけど、それはどこに分類されるんだろう
「確定性の高いこと」と「確定性が高まること」を 「た 」で表してるんやとおもう。
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○過去、完了したこと
すでに起きており、確定している事実。
○単なる状態
人などが手を加えない限り変化しない、確定的な状態を表現。「壁に掛かった時計」
一方、蝶が花に止まっている状況は、いつ飛び立つか分からない不確定な状態なので、
「花にとまった蝶」より「花にとまっている蝶」の方が自然に感じる気がする。
○事態の獲得
今までよくわからなかったことに確信を持てた状況。
「あー、それってそういうことだったのか~。」
○見通しの獲得
試合の序盤では勝つか負ける不確定だったのが、終盤で勝負の行方が大体確定したときにいう。
「この勝負はもらった。」
○発見
今まで所在が不確定だったものが、そこにあると確定した状態。
「探してた傘、こんなところにあった。」
そのため、廃線の傘の例のように、探していないものを見つけても「た」は使わない。
その傘の所在の不確定性を認識しておらず、確定性の高まりを感じないから。
○決定
こういう方針でいきます。と確定させたときにつかう。
「やーめた!」「よし買った!」
○野球と相撲の例
・野球
得点が入るかどうかが興味の対象。なので、得点が入るかどうかが確定する現象に対して「た」を用いる。(入ったー! 刺したー!)
・相撲
力士が土俵から落ちるかどうかが興味の対象。いつ土俵から落ちるか分からない状況で、「まだ両者残っている!、まだ残っている!」という物事の確定が時々刻々と起きていることを「残った残った」で表現していると考えられる。
○確定性で説明がつかないもの
「どいたどいたー!」
【残った、残った】は要求する感じが含まれているのかと!
「もっと残って!踏ん張って!」みたいな・・・。
【張った、張った】も「張って!張って!」みたいに煽ってる感じですかね・・・
思いつきですみません
酒飲みのわたしの伯父は英語の教師をしていた。彼らが語るまじめなヨタ話が子ども心に大好きだった。常識を疑え。わかりきった身近な物にこそ、それがあるってね。偉らぶって与えてはいけない。だから"ゆる"言語ラジオも大好きです。アルキメデスもプラトンも、そうした楽しみは酒が飲める大人になるまで取っておきゃなきゃねと、今もそう思っている。
22:11
傘の話、他の人のコメントで探していたものが見つかった時に「あった」を使うんじゃないかって意見が見られるけど、「かさあった」って言う時に、(カタカナがアクセント)「カさあった」って言うと思いもよらぬ発見、驚きのニュアンスが含まれるように感じて「かさアった」って言うと皆の言う探し物の発見のニュアンスを感じる。
堀本さんも「あった」で言えると感じてるし面白いのではと思った。
相撲って攻め技を仕掛ける守り技で堪えるという形式の連続なんですよね。歌舞伎の見得や空手の型と同じで一つ一つの形式が見所になってる。勝敗はおまけみたいなもの。
だから形式の完了という感覚で「残った」になったんじゃないですかね。芝居の掛け声に「出来ました」ってのがありますがこれもそうでしょう。
2:34
マタセタテスマナイ連打用スタンプ