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裸にならないのが一般人恥ずかしいけど裸になるのがクリエイター裸を恥ずかしいと思わない赤さん
文庫本で乳首を隠すのが見城徹
はぁめっちゃいいコメント
わかりやすい例え
高校で文芸部にいた頃インタビューで「なぜ詩が好きか」ときかれ「辞書から離れたところで好きに日本語を使っていいから」と答え相手を悩ませたことがあります。なので今回はその時の私が救われる感じがありました
なんと素敵な理由...普段あるキチンと日本語を使う意識から抜け出すのって、言われてみればかなり面白い体験ですね
日本語の奥深さでもあり、言葉ですら超越した もっと自由な表現を追い求める素敵な試みですよね。
個人的神回。「型にハマらないことがクリエイティブ」論と「型がないとクリエイティブは生まれない」論を建設的な議論によって見事に調停している!
同じことを思いました。いわゆる「型破り」と「形無し」の違いというやつですね。
子供の発想って本当にすごいですよね!私が寝転がってると、私の頭に座ってきたりしますもんね。あぁ、椅子という概念がまだ確立されてないんだなぁ~。
子育て頑張ってください…!笑
@@_ange342 ありがとうございます。当面は椅子と頭の違いを教えたいと思います…!
笑わせていただきました!
晩年のパブロ・ピカソが言ったとされる「子供の頃、私はラファエロのように描くことができた。だが子供のように描けるようになるまでには、何年もかかった」という言葉を思い出しました。
9:25本日の水野さんが日常会話にぶっこんでくる難解な用語:MECE(ミーシー)MECE:「モレなく、ダブりなく」と訳し、Mutually(お互いに)、Exclusive(重複せず)、Collectively(全体に)、Exhaustive(漏れがない)の頭文字を取った用語だそうです。勉強になります。
つまり樹形図はMECE必須ということか
ミーシーって聞く度にミースじゃないのって思ってしまうナイスはナイシーでミームはミーミーなのか?
@@yotta11 個人的にもそう思うけど、英語圏でもミーシー(ME-see)が主流っぽい
堀元さんの個人チャンネルあるいはその切り抜きを見るとビジネス書のMECEじゃない分類に怒ってる様子がよく観察できます
MECEはマッキンゼーが産んだ思考整理法で、ビジネスマンの会話では頻出単語です
「ビットワールド」という教育番組の中で「その答えアリですよ」という、子供のイラスト大喜利に対していとうせいこうとバカリズムが突っ込むというコーナーがあります。これは子供と大人の力が合わさったクリエイティブだから面白いのですね。
めちゃんこ懐かしくて草
他の日と全く変わらない1日だけど今日のことを「サラダ記念日」と独自に新たに切り分けるのは正しくクリエイティブだ
私の母は私の幼少期の興味深い発言を日記の体裁で事細かに残しているのですが、赤ちゃん回を見てから感謝が止まらなくなりました。コピー用紙100枚以上のサンプルが残っていることに感動すら覚えます。
こう言う討論友達とする時もお互いに「ん?うん?」ってお互いに何言ってるかわからんくなる時間あるのがめちゃめちゃあるあるで面白いすね
2:28 奇跡的に一番タイムリーな「ビンタする」を用いる堀元さん。
武道や芸能における、『守』『破』『離』の話を思い出しました。型破りと型無しは、やっていることは同じでも、本質的には異なると。
齢3歳で「耕す」という単語が出てくる時点で教養ありすぎ…
農家の子では?
高校国語教師です!昨年度まさしく「逸脱」をキーワードに短歌創作の授業を行いました。パターンを打ち破った生徒の作品はとても面白く、目を見張るものも多かったです❗
創作に関する考え方とても面白かったです。以前、京都の職人さんが「私らは自由に作っても良いと言われても作品は作れない。材料や形や使い道や値段をお客さんから聞き、作るものを狭めていくことで作品が決まる」とおっしゃっていたのを思い出しました。文学や芸術とは別の物作りの世界では制約をつけることが大事なんですね。
堀元さんのクレバーさと聞き手としての素晴らしさがすごいよく表れてる気がする
もはや『糠床を耕す』が正しいパターンとして認識されて、上手なメタファーの例として受け入れられなくなってしまった、、、クリエイティブむずい、、、
今回ずっと自分の意見は堀元さん派だなぁと思いながら見ていました。「糠床を耕す」は、仰る通り、喩えとして良い例すぎると思いますね。確かに赤ちゃんがまぐれ当たりでクリエイティブな(ように思える)フレーズを出すことはあるかもしれませんが、「打率が低い」んですよね。自分が音楽畑の人間なので音楽での話になってしまいますが、たとえば出鱈目に鍵盤を弾いただけのフレーズがクリエイティブかと言われるとそれは絶対に違うと思います。出鱈目に弾いてもそれっぽいフレーズが出ることもあるかもしれませんが、その打率は低いでしょうし、ただのまぐれ当たり。それは音楽のパターン認識(たとえばこの場合音楽理論とか)が出来ていないからでしょう。クリシェになりますが、型を知って壊すのは「型破り」、型を知らずに出鱈目やるのは「型なし」なんですよね。
私の好きな海外のVtuberが日本語勉強配信をしていて「きたない」を「『ない』はnotって意味でしょ?じゃあ『きた』はcleanって意味?」って言っていたのを思い出しました。日本語学習者独特の日本語の切り分け方に感動した覚えがあります。(n=1)
む が🐮に似てて、む〜(鳴き声)だから覚えてるって言ってた方ですね🦊
英語でもduringとかdurとingに分けれそうな見た目してるよね
@@x-ray3800 語源的にはdure+ingだったとおもうよ
28:40 ずっと水野さんのサッカーの例えは、「サッカーのルール=制約」だと思って聞いていました。ところが、足も使って、手も使ってゴールする(手を使うことが当たり前)の世界(制約)の中に、突如クリエイティブに「手を使ってはダメ」というルール(=自由な発想)が発生して面白くなった、という例えだったんだと気づいた瞬間、急速に腹落ちしました。結局、これはメタファーは成立しているんだと、グッときました。「クリエイティブ=制約の打破」というのが、どーしても、がんじがらめからの解放みたいに聞こえがちだけど、世界の常識(制約)からの逸脱と捉えると、当たり前のことを奪うこと(ルール)も、クリエイティブなんだと理解できました。結局これも、ハンターハンターのクラピカじゃないかと。
でも水野氏の主張は、制約の牢獄の中から抜け出そうとすることがクリエイティブだ、と仰ってるので、手も足も使える状態を制約と捉えて、そこに手を使えなくするというルールを作ることがクリエイティブだというのは、パッと聞いた感じだと前者が自由な状態で後者が制約の中という風に感じてしまうのも頷けるから、堀本氏がなんだかその例えはしっくり来ないと仰ってるのも分かりますね
ロシア語では「行く」を、「歩いて行く」のと「乗り物で行く」のとを切り分けています。なるほど、国土の広いロシアでは歩いて行くのと乗り物で行くのを別の動詞で表すのは必要だなと漠然と思っていたのですが、ロシア人と話していて、「今、○○いる?」と訊いて「あいつ、今コンビニ行ってるからいないよ」と答えられた時、歩いて行ったのか車で行ったのか、その会話だけで想像でき、戻ってくるまでどのくらい時間が掛かるか予想できたりするので、めちゃくちゃ便利じゃん、と再認識した記憶がありますね。もちろん、「歩いて行った」とより正確に言う言い方もありますが、この場合、「歩いて」と言ってるのに、「行った」を乗り物で行くときの「行く」を使ってしまうと、これは単なる間違いですね。堀本さんが水野さんのサッカーの例えに対して違和感が拭えないのは、サッカーで手を使うのはルール違反なだけなので、水野さんが、単なる文法的な間違いを「クリエイティヴだ」と言っているように聴こえているからでしょうね。
もう少しで「酒飲みバブバブ雑談回」見れるのかと思うとワクワクする。
今回、水野さんのキレが悪いのは、語用論・意味論と統語論・形態論とを区別なくいっしょくたにして、「意味論」として一般化して論じてしまってるからじゃないかなと思います。というか、今回の動画は、全体的にシクロフスキーの「異化」の話ですよね?26:57 「自らが持つ能力を制約と捉え直し、その制約を打ち破ろうとする力学」、33:10 「詩は、ありふれた表現から離れ」なんて、「異化」の説明にそのまま使えそうです。ただ、「異化」は、理解困難な言葉をあえて使い、言葉の知覚を困難にして認識・認知の過程を長引かせる事で、日常的で見慣れた事物を奇妙で非日常的なものとして表現することが目的みたいな部分もあり、未来派の「ザーウミ」(”意味の向こう側”程度の意)、つまり「意味の理解を前提としない超意味言語」を論理付けようとした概念でもあるので、ちょっとは違いますが。個人的には、詩(俳句や短歌含む)は、「開かれた文学体系」だと思っています。「開かれた」とは、「著者や作者がその文章の意味を特定せず、受け手(読者)が自由に認知・認識・解釈出来る可能性を孕んでいる」というような意味ですが、詩は、小説と違い、日常的でありふれた表現、つまり所与の体系(決まった体系)から離れた言葉(メタファー)を使い、辞書的な厳密な意味付けを積極的に避けることで、様々な解釈を可能にしているのです。まあ、それだけでは面白くないので、「韻文」や「倒置法」、「反復法」「体言止め」など、様々な修辞技法を駆使はするんですけど。「答えが受け手の数と同じくらいある」とも言える「詩」は、哲学同様、正に「文系学問」の典型ですね。事実、かつて「文学」といえば「詩」、「学問」といえば「哲学」でした。その双方に共通しているのは、多くの理系学問(例えば量子力学はこの文脈からは外れる)とは違い、答えがない、つまり「開かれた」体系である、ということ。尤も、33:19 「(詩は)人間が内包するバイアスから逃れる営み」である以上、「開かれ」ているのは当然、とも言えるのですが(情報量ゼロ!)。
16:57この辺の「暫定的なパターン認識を大多数が合意して運用している、そしてそこに抗うことがクリエイティブである」という話を聞いていると、堀元さんが昔企画してWeb記事にしていた「現代アートかゴミかを見分ける企画」の中で現代アート作家さんが仰っていた「アートは、多数決とは最も遠い所にあるんですよ」という発言が思い出されますね。
クリエイターと赤ちゃんのたとえ「クリエイターは迷路の中を頑張って抜け出した状態、赤ちゃんは迷路の外周を迂回した状態」みたいな感じかななどと思った
ロシアの国境、だの、ビンタ、だの未来予知センシティブワードが現れてて笑ってしまった
それは”カラーバス効果”ってことですか!?
これって外国語を勉強している人にとって、勇気を与えるメッセージだと思いません?一生懸命考えた結果、主語を間違えたり、単語を間違えたりするけれど「単なる間違いじゃない。今、創作の入口に立っているんだ。」「常識はこの後身につくよ!」と思えば、間違えることを怖がる必要がなくなります。今日は勇気をもらいました!ありがとうございます。
「レイヤーが違う気がする」と言う言葉で違和感を表現するのは、さすがですね。
今回の話でクリエイティブの本質は発見なのかなと思いました。子供が「糠床を耕す」と言って、良い表現だと母親が発見したからクリエイティブになったが、真っ向から否定していたらクリエイティブにはならなかったなとある意味親子による合作なんじゃないかと思ってしまいました。
この方のコメントを見て、思ったのは堀本さん論でいけば赤ちゃんの打率は低いし、赤ちゃん自体にはクリエイティブさは感じられないが、パターン認識をすでに習得きた大人が、赤ちゃんの言動から意味ある逸脱に気が付き発掘すること、をクリエイティブだと捉え直せば、水野さん論と堀本さん論が習合するような気がしました!
雪国に住んでると冬前にスタッドレスタイヤに交換する時にタイヤを「履きかえる」といいます。下半身を「履く」、上半身を「着る」と使い分けてることに気づかなかったので、タイヤを履くという表現に違和感があったんですが、車を擬人化して、さらに下半身だと見立てて「履く」という動詞を使ってたんだと納得できました。
赤ちゃんは銃を乱れ撃ちしてて、それがたまたま獲物を仕留めたものだけを取り出して「赤ちゃんはスナイパーだ」と言うことに異を唱えるのが堀本さんの主張なのかな?と思いました。
スナイパーはクリエイティブというよりプロフェッショナルだからメタファーに失敗してる気がしてきたこの場合、乱雑に鍵盤を叩いたらたまたまエモい音が鳴ったから、そこだけを切り取って芸術家だと言うのはおかしいって方が正しいかも?
クリエイティブのプロフェッショナルと赤ちゃんの違いと捉えればあってる気もする
が~まると ちょばで言語が 語られるが~まるちょばゆる言語学ラジオ川柳
転職した直後によくある経験ですね。え?なんでこんなことするの?こうした方がよくね?→我流でやっちゃうと怒られる。守破離は守るからだ!と守破離を順番通りに行うのがクリエイティブで、いきなり離から始めるのが赤ちゃん。離は当たっていることももちろんあるが、その会社の今までの経緯を知らないで出す案なので、会社にフィットしないことも多い。そして離でも、本当は0根拠ではなく、今まで他の会社での経験を生かしたりすることが多いんですよね。赤ちゃんも何かを学んでいきなりすごい言葉を発したのと同じです。
堀元さんが子供は打率が低いって言われたけど、意外と子供の方が素直に(先入観なく)本質を見ているケースがあると思います。昔、小学生だった妹が加速する電車で無邪気に「すごい坂」って言った時に、こいつF=ma(加速度による力と重力は等価)言うとるって感心したの思い出しました。
それ運動方程式じゃなくて一般相対性理論の等価原理じゃないですか?
@@yotta11 書く時に迷ったんですが、私は一般相対性理論についてあまりよく知らないので、電車の加速の「サンプル数1」で妹が重力の向きが変わったと感じた「坂」と強さの変化「すごい」から一般相対性理論の等価原理まで言うと、堀本さんから「過言」とのご指摘があるかと思い(笑)、躊躇して避け(逃げ)ました😅ここで言えることは精々、妹は加速度による力を重力の変化と等価(F=mg+ma=mg'と置けば、ma=mg'-mg)と感じたと言うこと(ニュートン力学)くらいまでかなと。「すごい坂」の一言で。(F、g、a、g'はベクトル。表記については素人ゆえお目溢し・お察しのほどを🙇)元コメント訂正: (誤) 加速度と重力は等価 (正) 加速度による力と重力は等価 かな?
水野さんの柔軟性がホリモトの若さを下支えしていてほっこりする。
赤ちゃんの話になるとどこからともなくお母さんお父さんリスナーが現れるのでその一人ひとりに頑張ってくださいと言いたい。(妹と歳が離れていたのでなんとなくその大変さはわかる)
22:57 「人は生まれながらにしてパターン認識の症状を引き起こす毒薬を飲まされている」ならジワジワ感でそう
稲庭うどんさん「侵されていく運命にある」だとジワジワ感も出てくるような……。失礼しました。
より芝居がかった演技をすると、嫌われる勇気の青年のセリフっぽくも聞こえますね!
「人は生まれた瞬間パターン認識の沼地に放り出される」はいかがでしょうか
@@yuri-ei2wf 先生!やはりそうだ。我々は雄大な草原を捨て、語彙という柵に閉じ込められることを運命付けられた、ただの羊の群れなのです!
@@アオイの葉 なかなかいいですね!
人間はパターン認識に漬け込まれていくものだ、というより赤ちゃんはパターン認識を会得していくことでより人間になっていく(サルトル的だ)という捉え方のほうがしっくりくる。そうであればクリエイティブは人間として人間を逸脱しようとする営み
「人を初見で即断しないことはクリエイティブである」という話、とても腑に落ちました。最近はアニメ作品でもヤンキー系の見た目の人がファンであることもよくあって、「ウマ娘」のライブ会場でも明らかにヤンキー系の髪型・目つきの男性女性が結構いたわけです。そういう人を見て「うわっヤンキー怖い」ではなく「この人も同じウマ娘ファンなんだな」と考え直した時に、じゃあこの人はライブ中どんな感じなんだろう、と想像するわけです。どんな表情でペンライトを両手に掲げるのだろうか。その時のペンライトは何色なんだろうか。推しはカッコいいナリタブライアンなのか、それともかわいいカレンチャンなのか。薄幸の美少女ライスシャワーのソロ曲で涙するのだろうか。「ヤンキー」という型にはまった考えをしているのでは、ウマ娘ファンとしてのヤンキーの様子、というのは想像できなくて、何ならその想像ひとつで十分に薄い本のネタになるわけです。そう考えると「人を初見で即断しないようにする」はかなりクリエイティブであり、逆にクリエイティブな素養だったり、普段からクリエイティブなことをしてる人でないと難しいんだろうな、と思うわけです。
サッカーに例えるなら、赤ちゃんはルール無視で手を使ってゴールマラドーナがルールを掻い潜って神の手でゴールするのがクリエイティブ
クリエイターと赤ちゃんの比較の例えとして守破離がいいのではないでしょうか守を知らずに破る赤ちゃんと意図を持って破や離を行うクリエイター
オモコロチャンネルの話題が急に出てきてびっくり嬉しいです笑
北海道では手袋を穿く、と言うので上半身にも穿くを使う例外パターンですね。穿くという言葉に、穴や空間に何かを嵌めるイメージがあるのでそれを手袋にも当てはめたのだと推察しています。道産子は皆赤ちゃんかもしれませんね。(過言)
パターン認識が暫定的だって話、レトロニムとかはまさにその発露だよなと思ったりするなぁ。携帯電話という新しい概念が出てきたから固定電話なんて言葉が生まれる
「告別」からもわかるように、型を破るのが目的なのではなく、内面を掘り下げてアウトプットした結果制約の外に出た。既存の区分では表現できないところにたどり着いたのだと感じる。この作業を私はクリエイティブと呼びたい。
幼児「マラソンってここからゴールを目指すんでしょ?こっちの道の方が早く着くよ。」選手「給水所がないから」幼児「自転車に乗ればもっと早いよ」選手「走る競技だから」幼児「タイムなんて気にしなくていいじゃん、観光してからゴールしよ」選手「もうそれマラソンじゃ無いじゃん」この動画で、僕自身、子供のクリエイティブをこんな感じで捉えることになったんですが、他の人がどんな風に感じたかを知れたら面白いかもなと思いました。
5歳児がいる家庭です。彼はコミュニケーションが取れるので思考パターンをトレースしやすいです。なので「なんだそれ?」な行動や創作物も普段の言動から紐解くことができます。そこから考えるに、偶発的な言葉のマッチングによって大人からは出にくい発想が生まれることもありますが(最近ですと「お金の迷路」が傑作でした)、彼の「自由な発想」は自身の持つ知識の範囲内で世界を捉えようとする上で生まれる大人の認識との齟齬でしかなく、いわゆる「形無し」にあたるようです。まあ、もちろんウチの子は天才ですが。
お笑いとかも一般常識みたいなパターン認識から外れた言動(ボケ)によって、、、?ってなったストレスをツッコミで解放をするカタルシスなのかなぁとかボンヤリ思いましためちゃくちゃ勉強になりました
個人的には物事をどれだけ多様な抽象レベルで例えられるかが大人が赤ちゃんに近ける能力だと思います。長年感じていた違和感にしっかり向き合える内容ですごく面白かった
パターン認識の檻に居ないのが赤ちゃん、檻の中から外に出ようとするのがクリエイター(大人)という認識の上で、「檻外の表現をしている」という成果物に主眼を置いたのが水野論、「檻外の表現を探す」という行為に主眼を置いたのが堀元論だと解釈しました話の軸が違うので折り合いのつけようはないですが、主観なのでそれでいいかなと思います
創作者の苦悩の詩的表現ではSOUL'd OUTの1,000,000 MONSTERS ATTACKの歌詞に「得意技で"しゃがめ"」というフレーズがあって、クリエイターの過ごす日々の本質だなぁ…と思ったことがあります
絵を習っていた時に教わったのが、デフォルメされた絵と下手な絵は違うという事。デッサンで基礎的な描写力を鍛えてから簡略化するのがデフォルメで、子供が描くのが下手な絵。クリエィティブの本質はそこですよね。赤ちゃん言葉と詩のメタファーです。
告別に関しては悔しい時に唇を噛むという表現をするといつパターン認識がある前提で侮辱や窮乏に耐えるというパターン認識を外れて、似たような場面で使う別のパターンを持って来たのがオシャレだなぁと思いましたこれこそ堀本さんのいう、クリエイティブは勉強の上に成り立っているという美学に当てはまるものだと思います
お2人のクリエイティブに関する哲学が詰まった討論でとても面白い回でしたクリエイティブはレジスタンス、すごくいい言葉で、これから小説やアニメなんかに触れる時、必ず思い出す言葉になるんだろうなあと思いました
35:10 私はamazarashiという創作に関する苦悩や葛藤を歌うことを得意とするバンドのファンなのですが、メジャーデビュー前のアルバムに「よだかの星」を朗読した楽曲が収録されていたり、「銀河鉄道の夜」をモチーフにした楽曲があって、明らかに宮沢賢治に影響を受けているんですよねここで引用された詩もどこかamazarashiの詩に描かれている世界観と通ずるものがあって、勝手に関心してしまいました
クリエイターは型破り赤ちゃんは型なしこれくらいの違いがあるのかなと
スパイダーマンの「大いなる力には大いなる責任が伴う」っていうセリフは全部のシリーズで必ず出てくるセリフでスパイダーマンが何者なのかをピーターが自覚するっていうシリーズを一貫するクリシェ(様式美)のひとつ。っていうアメコミ語りクリシェ(使い古された引用)
LINEスタンプ開始おめでとうございます。きっと第2弾は赤様シリーズですね♪
「服を着なさい」って言われて、ズボンも履く。でも「スボンを着る」とは言わないの面白い。
赤さん名言集めっちゃ楽しみ
悔しいことの表現で唇を噛む、臍を噛むなどがありますよね。
「仮託してしまった」がさらっと出てくる教養すごいクリエイターとは違うけど哲学者と赤ちゃんの類似感じるなあ世界をそのまま見ようとしている気がする
今回も非常に興味深くて面白いテーマでした。ルールギリギリを攻めてそこを楽しむということをサッカーで喩えるのであれば、例えばオフサイドというルールに注目するとイメージが湧きました。プロはオフサイドになるギリギリのラインで鮮やかなパスを出したり、DF側はパスが成立しないようにオフサイドトラップをかけたりして、視聴者はその駆け引きやテクニックを楽しむ、ルールを理解してない子供が適当に蹴ったボールがたまたま綺麗にスルーパスになったとして、それはクリエイティブなプレーなのか、ということですかね。
35:42ずっと真夜中でいいのにの『秒針を噛む』のセンスに近いものを感じた
今回のお話を聞いて、クリエイティブってゲームの縛りプレイみたいだなと思いました。子どものうちは普通にプレイ出来るけれど大人になると縛りプレイをせざるを得なくて、その縛りの中でクリアしようと思えば知識や技術が必要になる。子どもがゲームをプレイしてクリアしたら凄いねー!ってなるけれど、それとは別に大人が縛りプレイの知識と超絶技巧でクリアしたらそれとは違う凄みがある。お二人のディスカッションのおかげで子どもの自由な発想とクリエイティブの凄みの違いってこういうことだったんだなぁと気付くことができました。ありがとうございます。
クリエイター「ルールにとらわれたくない!手を使ってサッカーしよう!」赤さん「サッカーのルールわからん!とりあえず手も使おう!」
従来の概念を組み合わせてハイコンテクストなものを作る、というのも創作だと思うのですが、そっちは赤ちゃんだと難しそうですね
言語のパターン認識が第1次成長期からなのに対し、ハイコンテクストのパターン認識は第2次性徴期からとかですかね。
5:00 私は最終的な場所というより、「どこから」なのかを意識しているように思えます。下からの場合が穿く、上からあるいは特に意識しない場合(背中から羽織るなど)を着るというように。同じ解釈で生きてきた人いますかねブラジャーの注意書きで、「生地が伸びてしまうのを防ぐため、上から被らずに下から穿いてください」と言う表現を見ました。
咀嚼⇄噛む とは違うけどトマス=マルサス「人口論」の"蒙を啓くものである"が啓蒙的である、とかじゃなくこちらを択んだセンス好き
29:10 相撲で「本当は廻しつけてやらなきゃいけないけど、フルチンでやるぜぇ!」はクリエイティブじゃないけど、「みんな何となくの意識でやらないもんだと思ってるけど、俺はやるぜぇ!」っていう精神でやった白鵬の猫だましとかはクリエイティブって感じなのかな
ブロント語があれだけ流行ったのもパターン認識から外れてたからなんですね。そもそも縛りが無い人間が優れた表現を繰り出す光景、稀によくあります。
赤ちゃん回を観ると、アインシュタインの名言クリシェ「常識とは〜」が本当な気がしてくる
「ラジオ」では難しいけど、情報を整理するために「図を描け」って思いながら見てました。パターン認識の「殻」を破るのに、内側からか外側からか……のようなイメージをしてました。
24:00 無限の猿定理みたいな話ですね。天才的なフレーズを生み出すことが可能か否かという点ではランダム生成ですら作れてしまうので
サッカーの例えに、ん?と首を傾げ思考停止する私の脳内を、すべて言語化してくれる堀元さんの凄さ...!勿論水野さんの豊富な知識と着眼点の素晴らしさあってのテーマで二人とも異次元過ぎるのにちゃんとわかりやすいの本当にすごい。
初対面の評価を一分もあえて認識しきっていないのなら相当にすごいのでは!?今回みたいな、お互いに理解しきってない部分をアウトプットしながら発展させているのがすごく面白かったです!最近youtubeの機能で、どの部分が最も再生されているか、いわゆる盛り上がりゲージみたいなのが実装されたのですが、今回の動画に全く山谷がないので、ゆるラジは再生回数というより合計視聴時間がすごいチャンネルなんだなと確認しました。
打率論よりも「パターン認識という牢獄を理解した上で脱獄する」ことがクリエイティブの本質なのだと思いました。クリエイターも赤さんも到達地点は同じでも、プロセスが異なり、そのプロセスの裏付けとして積み重ねられた教養、技術、歴史の細部の美しさがクリエイティブに詰まっている。
連続失礼🙏今回水野さんの例えが堀元さんにヒットしなかった理由の一つが、私には「理系/文系」というカテゴライズにあったように聞こえました。私はそれとは別に「芸術系」というカテゴリーを措定していて、それは大きく捉えれば理系文系双方の要素を含んでいるし、厳密に言えば理系とも文系とも異なる評価軸を持つものだと思います。「詩は文系的」と水野さんが(or堀元さん?)言った時、「それは違う」と思ってしまいました。もっと言えば、「理系/文系」という分類そのものが、陥りやすい「クリシェ」なんじゃないかなー?とも。強いて分けるなら、本当は「論理構築系=数学、国語」vs「情報蓄積系=社会、理科」だと思います。なお「英語」は両者に跨りますが、本質的には「技能科目」ですよね😅美術、音楽、技術、家庭と同じ。
パブロ・ピカソが『子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。』と言ったそうですが、この動画の解説で腑に落ちました。
昨日のエイプリールフールで、心電図検査したら脈が三三七拍子だったんだよね〜という嘘を友達に言いました。確かに「心臓が止まってた〜」のような簡素な冗談で終わらせたくないレジスタンス精神のもとで考えていたと思います。
型があるから型破り、型が無ければ単なる形無しなんだと中村勘三郎さんが言ってた…と誰かが言っていたのを思い出しました
今回は水野さんの微妙な空振りが面白かった。
世界の解像度がまた上がりました。関係ないけど、ほりもとさんジャケットめちゃ似合いますね。
急にオモコロの話出てきてテンション上がっちゃった
堀元さんが「んっ?ん~」って言ったところがホワイティ感があった
20:00 ここはピカソなんかが当てはまるように思いました。 あとプリズンブレイクは出る過程が面白いからドラマティックになるし、その過程も含めて「クリエイティブ」という意味のあるものになるけど、最初から外にいるなら、例え到着点が同じでも、価値が違う気がしますね。
ディベートとして余りにもクオリティが高い……頭いい人同士のクリエイティブ論凄いクリエイティブの解像度が上がる
地球から重力に抗って成層圏を目指すのがクリエイター宇宙から落下して成層圏に到達するのが赤さん
10:30 逆に科学から言葉ができることもあるよね「速度」と「質量」って言葉、概念は昔からあったけど物理学が発達して実は「速度×質量」が本質的な量だと分かってきたことでこれを運動量と名付けよう、みたいなエントロピーもかもそうかな
お互いへの信頼が高いのがよくわかる回だ
大人は県境を認識した上でその県境を自由に跨ぐ術(=創造力)を身に付けようとする。赤ちゃんは知らんうちに県境を跨いでしまうことはあっても、自由に行き来は出来ない。真反対の山とか川とか空に向かってしまうことの方が多い。(堀元さんの言う打率が出せない)要求された時に創造性を発揮できる大人と、そうは出来ない赤ちゃん。
18:50 ここからの2人のやりとりが私にとってのゆる言語ラジオの良さだと感じました。
裸で水に落とされても、怖がらず恥ずかしがらずなんとなく泳げる赤ちゃんと、水着を着て溺れないように頑張って泳ぐ大人。"子供は自由だなぁ" をこんなに細かく言語化して考えたこと無かった。
今回過去一で話が噛み合ってなかった気がするけど,こういうところでお2人の在野の違いが見て取れて良い
ゴールキーパーも含めて全員手は使っちゃダメな頃のサッカーがあったとして「いや、ゴール守る時くらい手使ってもええやろ」って言い出した人がいればその人はクリエイティブですね。全員手も使い出すのが赤ちゃん
赤ちゃんがラグビーを発明したのか!
@@早川眠人 これはクリエイティブ!!
毎シリーズごとに3回目あたりから「そろそろこの回で終わりやろ」と思って聴いているんだけど、赤陛下シリーズは「まだ続くんかい!(歓喜)」の最長かもしれない
サッカーの例、「手を使うこと」が楽しいことがクリエイティブになるで思い出したのが、ラグビーの起源です。事実かどうかは分かりませんが、一般的に1823年にイギリスのウェブ・エリス少年がフットボールの試合中、ボールを手に持って走り出したのがラグビーの発祥と言われています。なので水野さんの例えでもあながちズレてはいないかなぁと思いました。
クリエイティブが赤ちゃんと違うのは、枠組みから逃れる方法が「別の枠組みに移動する」という戦法を使わざるを得ないことなのだろうと思います。すべての枠組みから自由になる事はできないのが大人の定義だと思うので。そういう意味で、サッカーのたとえは芯を食っていると思います。サッカーは「手を使えない」という単純な制約を加えるだけで、「普段と全く違った枠組み」に移動でき、その枠組み移動がとても楽しいこと(つまり、クリエイティブの楽しさ)を示す良い例なのだと思います。
これは神回、一番好き
芸事とかで言われる「守破離」っていうのもこれと似たような概念なんだろうか
小川洋子の表現のシンプルさがなんとなく好きだったのですが、もう一度読めば、何が好きなのかが見えてくる気がしました。一度読んだ小説を再度新鮮に読めそうです。ありがとうございます。
私も小川洋子さんめちゃくちゃ好き、、、静謐さを感じる
@@ピラメキーノ三世 このコメントをしたことを忘れてました。拾っていただいてありがとうございます!
赤ちゃんは全赤ちゃんの集合体としてクリエイティブだと言われていて、赤ちゃんの〇〇くんがクリエイティブだと言われることはないよねだからクリエイターにはなれない
裸にならないのが一般人
恥ずかしいけど裸になるのがクリエイター
裸を恥ずかしいと思わない赤さん
文庫本で乳首を隠すのが見城徹
はぁめっちゃいいコメント
わかりやすい例え
高校で文芸部にいた頃インタビューで「なぜ詩が好きか」ときかれ「辞書から離れたところで好きに日本語を使っていいから」と答え相手を悩ませたことがあります。なので今回はその時の私が救われる感じがありました
なんと素敵な理由...
普段あるキチンと日本語を使う意識から抜け出すのって、言われてみればかなり面白い体験ですね
日本語の奥深さでもあり、言葉ですら超越した もっと自由な表現を追い求める素敵な試みですよね。
個人的神回。
「型にハマらないことがクリエイティブ」論と「型がないとクリエイティブは生まれない」論を建設的な議論によって見事に調停している!
同じことを思いました。いわゆる「型破り」と「形無し」の違いというやつですね。
子供の発想って本当にすごいですよね!私が寝転がってると、私の頭に座ってきたりしますもんね。あぁ、椅子という概念がまだ確立されてないんだなぁ~。
子育て頑張ってください…!笑
@@_ange342 ありがとうございます。当面は椅子と頭の違いを教えたいと思います…!
笑わせていただきました!
晩年のパブロ・ピカソが言ったとされる「子供の頃、私はラファエロのように描くことができた。だが子供のように描けるようになるまでには、何年もかかった」という言葉を思い出しました。
9:25本日の水野さんが日常会話にぶっこんでくる難解な用語:MECE(ミーシー)
MECE:「モレなく、ダブりなく」と訳し、Mutually(お互いに)、Exclusive(重複せず)、Collectively(全体に)、Exhaustive(漏れがない)の頭文字を取った用語だそうです。勉強になります。
つまり樹形図はMECE必須ということか
ミーシーって聞く度にミースじゃないのって思ってしまう
ナイスはナイシーでミームはミーミーなのか?
@@yotta11
個人的にもそう思うけど、英語圏でもミーシー(ME-see)が主流っぽい
堀元さんの個人チャンネルあるいはその切り抜きを見るとビジネス書のMECEじゃない分類に怒ってる様子がよく観察できます
MECEはマッキンゼーが産んだ思考整理法で、ビジネスマンの会話では頻出単語です
「ビットワールド」という教育番組の中で「その答えアリですよ」という、子供のイラスト大喜利に対していとうせいこうとバカリズムが突っ込むというコーナーがあります。これは子供と大人の力が合わさったクリエイティブだから面白いのですね。
めちゃんこ懐かしくて草
他の日と全く変わらない1日だけど今日のことを「サラダ記念日」と独自に新たに切り分けるのは正しくクリエイティブだ
私の母は私の幼少期の興味深い発言を日記の体裁で事細かに残しているのですが、赤ちゃん回を見てから感謝が止まらなくなりました。コピー用紙100枚以上のサンプルが残っていることに感動すら覚えます。
こう言う討論友達とする時もお互いに「ん?うん?」ってお互いに何言ってるかわからんくなる時間あるのがめちゃめちゃあるあるで面白いすね
2:28 奇跡的に一番タイムリーな「ビンタする」を用いる堀元さん。
武道や芸能における、『守』『破』『離』の話を思い出しました。型破りと型無しは、やっていることは同じでも、本質的には異なると。
齢3歳で「耕す」という単語が出てくる時点で教養ありすぎ…
農家の子では?
高校国語教師です!昨年度まさしく「逸脱」をキーワードに短歌創作の授業を行いました。パターンを打ち破った生徒の作品はとても面白く、目を見張るものも多かったです❗
創作に関する考え方とても面白かったです。
以前、京都の職人さんが
「私らは自由に作っても良いと言われても作品は作れない。材料や形や使い道や値段をお客さんから聞き、作るものを狭めていくことで作品が決まる」
とおっしゃっていたのを思い出しました。
文学や芸術とは別の物作りの世界では制約をつけることが大事なんですね。
堀元さんのクレバーさと聞き手としての素晴らしさがすごいよく表れてる気がする
もはや『糠床を耕す』が正しいパターンとして認識されて、上手なメタファーの例として受け入れられなくなってしまった、、、
クリエイティブむずい、、、
今回ずっと自分の意見は堀元さん派だなぁと思いながら見ていました。
「糠床を耕す」は、仰る通り、喩えとして良い例すぎると思いますね。
確かに赤ちゃんがまぐれ当たりでクリエイティブな(ように思える)フレーズを出すことはあるかもしれませんが、「打率が低い」んですよね。
自分が音楽畑の人間なので音楽での話になってしまいますが、たとえば出鱈目に鍵盤を弾いただけのフレーズがクリエイティブかと言われるとそれは絶対に違うと思います。
出鱈目に弾いてもそれっぽいフレーズが出ることもあるかもしれませんが、その打率は低いでしょうし、ただのまぐれ当たり。
それは音楽のパターン認識(たとえばこの場合音楽理論とか)が出来ていないからでしょう。
クリシェになりますが、型を知って壊すのは「型破り」、型を知らずに出鱈目やるのは「型なし」なんですよね。
私の好きな海外のVtuberが日本語勉強配信をしていて「きたない」を「『ない』はnotって意味でしょ?じゃあ『きた』はcleanって意味?」って言っていたのを思い出しました。
日本語学習者独特の日本語の切り分け方に感動した覚えがあります。(n=1)
む が🐮に似てて、む〜(鳴き声)だから覚えてるって言ってた方ですね🦊
英語でもduringとかdurとingに分けれそうな見た目してるよね
@@x-ray3800 語源的にはdure+ingだったとおもうよ
28:40 ずっと水野さんのサッカーの例えは、「サッカーのルール=制約」だと思って聞いていました。ところが、足も使って、手も使ってゴールする(手を使うことが当たり前)の世界(制約)の中に、突如クリエイティブに「手を使ってはダメ」というルール(=自由な発想)が発生して面白くなった、という例えだったんだと気づいた瞬間、急速に腹落ちしました。
結局、これはメタファーは成立しているんだと、グッときました。
「クリエイティブ=制約の打破」というのが、どーしても、がんじがらめからの解放みたいに聞こえがちだけど、世界の常識(制約)からの逸脱と捉えると、当たり前のことを奪うこと(ルール)も、クリエイティブなんだと理解できました。結局これも、ハンターハンターのクラピカじゃないかと。
でも水野氏の主張は、制約の牢獄の中から抜け出そうとすることがクリエイティブだ、と仰ってるので、手も足も使える状態を制約と捉えて、そこに手を使えなくするというルールを作ることがクリエイティブだというのは、パッと聞いた感じだと前者が自由な状態で後者が制約の中という風に感じてしまうのも頷けるから、堀本氏がなんだかその例えはしっくり来ないと仰ってるのも分かりますね
ロシア語では「行く」を、「歩いて行く」のと「乗り物で行く」のとを切り分けています。
なるほど、国土の広いロシアでは歩いて行くのと乗り物で行くのを別の動詞で表すのは必要だなと漠然と思っていたのですが、
ロシア人と話していて、「今、○○いる?」と訊いて「あいつ、今コンビニ行ってるからいないよ」と答えられた時、歩いて行ったのか車で行ったのか、その会話だけで想像でき、
戻ってくるまでどのくらい時間が掛かるか予想できたりするので、めちゃくちゃ便利じゃん、と再認識した記憶がありますね。
もちろん、「歩いて行った」とより正確に言う言い方もありますが、この場合、「歩いて」と言ってるのに、「行った」を乗り物で行くときの「行く」を使ってしまうと、これは
単なる間違いですね。
堀本さんが水野さんのサッカーの例えに対して違和感が拭えないのは、サッカーで手を使うのはルール違反なだけなので、水野さんが、単なる文法的な間違いを「クリエイティヴだ」と言っているように聴こえているからでしょうね。
もう少しで「酒飲みバブバブ雑談回」見れるのかと思うとワクワクする。
今回、水野さんのキレが悪いのは、語用論・意味論と統語論・形態論とを区別なくいっしょくたにして、「意味論」として一般化して論じてしまってるからじゃないかなと思います。
というか、今回の動画は、全体的にシクロフスキーの「異化」の話ですよね?
26:57 「自らが持つ能力を制約と捉え直し、その制約を打ち破ろうとする力学」、33:10 「詩は、ありふれた表現から離れ」なんて、「異化」の説明にそのまま使えそうです。
ただ、「異化」は、理解困難な言葉をあえて使い、言葉の知覚を困難にして認識・認知の過程を長引かせる事で、日常的で見慣れた事物を奇妙で非日常的なものとして表現することが
目的みたいな部分もあり、未来派の「ザーウミ」(”意味の向こう側”程度の意)、つまり「意味の理解を前提としない超意味言語」を論理付けようとした概念でもあるので、ちょっとは
違いますが。
個人的には、詩(俳句や短歌含む)は、「開かれた文学体系」だと思っています。
「開かれた」とは、「著者や作者がその文章の意味を特定せず、受け手(読者)が自由に認知・認識・解釈出来る可能性を孕んでいる」というような意味ですが、詩は、小説と違い、日常的で
ありふれた表現、つまり所与の体系(決まった体系)から離れた言葉(メタファー)を使い、辞書的な厳密な意味付けを積極的に避けることで、様々な解釈を可能にしているのです。
まあ、それだけでは面白くないので、「韻文」や「倒置法」、「反復法」「体言止め」など、様々な修辞技法を駆使はするんですけど。
「答えが受け手の数と同じくらいある」とも言える「詩」は、哲学同様、正に「文系学問」の典型ですね。
事実、かつて「文学」といえば「詩」、「学問」といえば「哲学」でした。その双方に共通しているのは、多くの理系学問(例えば量子力学はこの文脈からは外れる)とは違い、答えがない、つまり「開かれた」体系である、ということ。
尤も、33:19 「(詩は)人間が内包するバイアスから逃れる営み」である以上、「開かれ」ているのは当然、とも言えるのですが(情報量ゼロ!)。
16:57
この辺の「暫定的なパターン認識を大多数が合意して運用している、そしてそこに抗うことがクリエイティブである」という話を聞いていると、堀元さんが昔企画してWeb記事にしていた「現代アートかゴミかを見分ける企画」の中で現代アート作家さんが仰っていた「アートは、多数決とは最も遠い所にあるんですよ」という発言が思い出されますね。
クリエイターと赤ちゃんのたとえ「クリエイターは迷路の中を頑張って抜け出した状態、赤ちゃんは迷路の外周を迂回した状態」みたいな感じかななどと思った
ロシアの国境、だの、ビンタ、だの未来予知センシティブワードが現れてて笑ってしまった
それは”カラーバス効果”ってことですか!?
これって外国語を勉強している人にとって、勇気を与えるメッセージだと思いません?
一生懸命考えた結果、主語を間違えたり、単語を間違えたりするけれど
「単なる間違いじゃない。今、創作の入口に立っているんだ。」「常識はこの後身につくよ!」と思えば、間違えることを怖がる必要がなくなります。
今日は勇気をもらいました!ありがとうございます。
「レイヤーが違う気がする」と言う言葉で違和感を表現するのは、さすがですね。
今回の話でクリエイティブの本質は発見なのかなと思いました。
子供が「糠床を耕す」と言って、良い表現だと母親が発見したからクリエイティブになったが、真っ向から否定していたらクリエイティブにはならなかったなと
ある意味親子による合作なんじゃないかと思ってしまいました。
この方のコメントを見て、思ったのは
堀本さん論でいけば
赤ちゃんの打率は低いし、赤ちゃん自体にはクリエイティブさは感じられないが、パターン認識をすでに習得きた大人が、赤ちゃんの言動から意味ある逸脱に気が付き発掘すること、をクリエイティブだと捉え直せば、水野さん論と堀本さん論が習合するような気がしました!
雪国に住んでると冬前にスタッドレスタイヤに交換する時にタイヤを「履きかえる」といいます。
下半身を「履く」、上半身を「着る」と使い分けてることに気づかなかったので、タイヤを履くという表現に違和感があったんですが、車を擬人化して、さらに下半身だと見立てて「履く」という動詞を使ってたんだと納得できました。
赤ちゃんは銃を乱れ撃ちしてて、それがたまたま獲物を仕留めたものだけを取り出して「赤ちゃんはスナイパーだ」と言うことに異を唱えるのが堀本さんの主張なのかな?と思いました。
スナイパーはクリエイティブというよりプロフェッショナルだからメタファーに失敗してる気がしてきた
この場合、乱雑に鍵盤を叩いたらたまたまエモい音が鳴ったから、そこだけを切り取って芸術家だと言うのはおかしいって方が正しいかも?
クリエイティブのプロフェッショナルと赤ちゃんの違いと捉えればあってる気もする
が~まると
ちょばで言語が
語られる
が~まるちょばゆる言語学ラジオ川柳
転職した直後によくある経験ですね。
え?なんでこんなことするの?こうした方がよくね?
→我流でやっちゃうと怒られる。守破離は守るからだ!と
守破離を順番通りに行うのがクリエイティブで、いきなり離から始めるのが赤ちゃん。
離は当たっていることももちろんあるが、その会社の今までの経緯を知らないで出す案なので、会社にフィットしないことも多い。
そして離でも、本当は0根拠ではなく、今まで他の会社での経験を生かしたりすることが多いんですよね。赤ちゃんも何かを学んでいきなりすごい言葉を発したのと同じです。
堀元さんが子供は打率が低いって言われたけど、意外と子供の方が素直に(先入観なく)本質を見ているケースがあると思います。
昔、小学生だった妹が加速する電車で無邪気に「すごい坂」って言った時に、こいつF=ma(加速度による力と重力は等価)言うとるって感心したの思い出しました。
それ運動方程式じゃなくて一般相対性理論の等価原理じゃないですか?
@@yotta11
書く時に迷ったんですが、私は一般相対性理論についてあまりよく知らないので、電車の加速の「サンプル数1」で妹が重力の向きが変わったと感じた「坂」と強さの変化「すごい」から一般相対性理論の等価原理まで言うと、堀本さんから「過言」とのご指摘があるかと思い(笑)、躊躇して避け(逃げ)ました😅
ここで言えることは精々、妹は加速度による力を重力の変化と等価(F=mg+ma=mg'と置けば、ma=mg'-mg)と感じたと言うこと(ニュートン力学)くらいまでかなと。「すごい坂」の一言で。
(F、g、a、g'はベクトル。表記については素人ゆえお目溢し・お察しのほどを🙇)
元コメント訂正: (誤) 加速度と重力は等価 (正) 加速度による力と重力は等価 かな?
水野さんの柔軟性がホリモトの若さを下支えしていてほっこりする。
赤ちゃんの話になるとどこからともなくお母さんお父さんリスナーが現れるのでその一人ひとりに頑張ってくださいと言いたい。(妹と歳が離れていたのでなんとなくその大変さはわかる)
22:57 「人は生まれながらにしてパターン認識の症状を引き起こす毒薬を飲まされている」ならジワジワ感でそう
稲庭うどんさん
「侵されていく運命にある」だとジワジワ感も出てくるような……。失礼しました。
より芝居がかった演技をすると、嫌われる勇気の青年のセリフっぽくも聞こえますね!
「人は生まれた瞬間パターン認識の沼地に放り出される」はいかがでしょうか
@@yuri-ei2wf 先生!やはりそうだ。我々は雄大な草原を捨て、語彙という柵に閉じ込められることを運命付けられた、ただの羊の群れなのです!
@@アオイの葉
なかなかいいですね!
人間はパターン認識に漬け込まれていくものだ、というより赤ちゃんはパターン認識を会得していくことでより人間になっていく(サルトル的だ)という捉え方のほうがしっくりくる。そうであればクリエイティブは人間として人間を逸脱しようとする営み
「人を初見で即断しないことはクリエイティブである」という話、とても腑に落ちました。
最近はアニメ作品でもヤンキー系の見た目の人がファンであることもよくあって、「ウマ娘」のライブ会場でも明らかにヤンキー系の髪型・目つきの男性女性が結構いたわけです。
そういう人を見て「うわっヤンキー怖い」ではなく「この人も同じウマ娘ファンなんだな」と考え直した時に、じゃあこの人はライブ中どんな感じなんだろう、と想像するわけです。
どんな表情でペンライトを両手に掲げるのだろうか。その時のペンライトは何色なんだろうか。推しはカッコいいナリタブライアンなのか、それともかわいいカレンチャンなのか。薄幸の美少女ライスシャワーのソロ曲で涙するのだろうか。
「ヤンキー」という型にはまった考えをしているのでは、ウマ娘ファンとしてのヤンキーの様子、というのは想像できなくて、何ならその想像ひとつで十分に薄い本のネタになるわけです。
そう考えると「人を初見で即断しないようにする」はかなりクリエイティブであり、逆にクリエイティブな素養だったり、普段からクリエイティブなことをしてる人でないと難しいんだろうな、と思うわけです。
サッカーに例えるなら、赤ちゃんはルール無視で手を使ってゴール
マラドーナがルールを掻い潜って神の手でゴールするのがクリエイティブ
クリエイターと赤ちゃんの比較の例えとして守破離がいいのではないでしょうか
守を知らずに破る赤ちゃんと意図を持って破や離を行うクリエイター
オモコロチャンネルの話題が急に出てきてびっくり嬉しいです笑
北海道では手袋を穿く、と言うので上半身にも穿くを使う例外パターンですね。穿くという言葉に、穴や空間に何かを嵌めるイメージがあるのでそれを手袋にも当てはめたのだと推察しています。道産子は皆赤ちゃんかもしれませんね。(過言)
パターン認識が暫定的だって話、レトロニムとかはまさにその発露だよなと思ったりするなぁ。
携帯電話という新しい概念が出てきたから固定電話なんて言葉が生まれる
「告別」からもわかるように、型を破るのが目的なのではなく、内面を掘り下げてアウトプットした結果制約の外に出た。既存の区分では表現できないところにたどり着いたのだと感じる。この作業を私はクリエイティブと呼びたい。
幼児「マラソンってここからゴールを目指すんでしょ?こっちの道の方が早く着くよ。」
選手「給水所がないから」
幼児「自転車に乗ればもっと早いよ」
選手「走る競技だから」
幼児「タイムなんて気にしなくていいじゃん、観光してからゴールしよ」
選手「もうそれマラソンじゃ無いじゃん」
この動画で、僕自身、子供のクリエイティブをこんな感じで捉えることになったんですが、他の人がどんな風に感じたかを知れたら面白いかもなと思いました。
5歳児がいる家庭です。彼はコミュニケーションが取れるので思考パターンをトレースしやすいです。なので「なんだそれ?」な行動や創作物も普段の言動から紐解くことができます。そこから考えるに、偶発的な言葉のマッチングによって大人からは出にくい発想が生まれることもありますが(最近ですと「お金の迷路」が傑作でした)、彼の「自由な発想」は自身の持つ知識の範囲内で世界を捉えようとする上で生まれる大人の認識との齟齬でしかなく、いわゆる「形無し」にあたるようです。まあ、もちろんウチの子は天才ですが。
お笑いとかも一般常識みたいなパターン認識から外れた言動(ボケ)によって、、、?ってなったストレスをツッコミで解放をするカタルシスなのかなぁとかボンヤリ思いました
めちゃくちゃ勉強になりました
個人的には物事をどれだけ多様な抽象レベルで例えられるかが大人が赤ちゃんに近ける能力だと思います。
長年感じていた違和感にしっかり向き合える内容ですごく面白かった
パターン認識の檻に居ないのが赤ちゃん、檻の中から外に出ようとするのがクリエイター(大人)という認識の上で、「檻外の表現をしている」という成果物に主眼を置いたのが水野論、「檻外の表現を探す」という行為に主眼を置いたのが堀元論だと解釈しました
話の軸が違うので折り合いのつけようはないですが、主観なのでそれでいいかなと思います
創作者の苦悩の詩的表現ではSOUL'd OUTの1,000,000 MONSTERS ATTACKの歌詞に「得意技で"しゃがめ"」というフレーズがあって、クリエイターの過ごす日々の本質だなぁ…と思ったことがあります
絵を習っていた時に教わったのが、デフォルメされた絵と下手な絵は違うという事。
デッサンで基礎的な描写力を鍛えてから簡略化するのがデフォルメで、子供が描くのが下手な絵。
クリエィティブの本質はそこですよね。
赤ちゃん言葉と詩のメタファーです。
告別に関しては
悔しい時に唇を噛むという表現をするといつパターン認識がある前提で
侮辱や窮乏に耐えるというパターン認識を外れて、似たような場面で使う別のパターンを持って来たのがオシャレだなぁと思いました
これこそ堀本さんのいう、クリエイティブは勉強の上に成り立っているという美学に当てはまるものだと思います
お2人のクリエイティブに関する哲学が詰まった討論でとても面白い回でした
クリエイティブはレジスタンス、すごくいい言葉で、これから小説やアニメなんかに触れる時、必ず思い出す言葉になるんだろうなあと思いました
35:10 私はamazarashiという創作に関する苦悩や葛藤を歌うことを得意とするバンドのファンなのですが、メジャーデビュー前のアルバムに「よだかの星」を朗読した楽曲が収録されていたり、「銀河鉄道の夜」をモチーフにした楽曲があって、明らかに宮沢賢治に影響を受けているんですよね
ここで引用された詩もどこかamazarashiの詩に描かれている世界観と通ずるものがあって、勝手に関心してしまいました
クリエイターは型破り
赤ちゃんは型なし
これくらいの違いがあるのかなと
スパイダーマンの「大いなる力には大いなる責任が伴う」っていうセリフは全部のシリーズで必ず出てくるセリフでスパイダーマンが何者なのかをピーターが自覚するっていうシリーズを一貫するクリシェ(様式美)のひとつ。
っていうアメコミ語りクリシェ(使い古された引用)
LINEスタンプ開始おめでとうございます。
きっと第2弾は赤様シリーズですね♪
「服を着なさい」って言われて、ズボンも履く。でも「スボンを着る」とは言わないの面白い。
赤さん名言集めっちゃ楽しみ
悔しいことの表現で唇を噛む、臍を噛むなどがありますよね。
「仮託してしまった」がさらっと出てくる教養すごい
クリエイターとは違うけど哲学者と赤ちゃんの類似感じるなあ
世界をそのまま見ようとしている気がする
今回も非常に興味深くて面白いテーマでした。
ルールギリギリを攻めてそこを楽しむということをサッカーで喩えるのであれば、例えばオフサイドというルールに注目するとイメージが湧きました。
プロはオフサイドになるギリギリのラインで鮮やかなパスを出したり、DF側はパスが成立しないようにオフサイドトラップをかけたりして、視聴者はその駆け引きやテクニックを楽しむ、
ルールを理解してない子供が適当に蹴ったボールがたまたま綺麗にスルーパスになったとして、それはクリエイティブなプレーなのか、ということですかね。
35:42
ずっと真夜中でいいのにの『秒針を噛む』のセンスに近いものを感じた
今回のお話を聞いて、クリエイティブってゲームの縛りプレイみたいだなと思いました。
子どものうちは普通にプレイ出来るけれど大人になると縛りプレイをせざるを得なくて、その縛りの中でクリアしようと思えば知識や技術が必要になる。
子どもがゲームをプレイしてクリアしたら凄いねー!ってなるけれど、それとは別に大人が縛りプレイの知識と超絶技巧でクリアしたらそれとは違う凄みがある。
お二人のディスカッションのおかげで子どもの自由な発想とクリエイティブの凄みの違いってこういうことだったんだなぁと気付くことができました。ありがとうございます。
クリエイター「ルールにとらわれたくない!手を使ってサッカーしよう!」
赤さん「サッカーのルールわからん!とりあえず手も使おう!」
従来の概念を組み合わせてハイコンテクストなものを作る、というのも創作だと思うのですが、そっちは赤ちゃんだと難しそうですね
言語のパターン認識が第1次成長期からなのに対し、ハイコンテクストのパターン認識は第2次性徴期からとかですかね。
5:00 私は最終的な場所というより、「どこから」なのかを意識しているように思えます。下からの場合が穿く、上からあるいは特に意識しない場合(背中から羽織るなど)を着るというように。
同じ解釈で生きてきた人いますかね
ブラジャーの注意書きで、「生地が伸びてしまうのを防ぐため、上から被らずに下から穿いてください」と言う表現を見ました。
咀嚼⇄噛む とは違うけど
トマス=マルサス「人口論」の"蒙を啓くものである"が
啓蒙的である、とかじゃなくこちらを択んだセンス好き
29:10 相撲で「本当は廻しつけてやらなきゃいけないけど、フルチンでやるぜぇ!」はクリエイティブじゃないけど、「みんな何となくの意識でやらないもんだと思ってるけど、俺はやるぜぇ!」っていう精神でやった白鵬の猫だましとかはクリエイティブって感じなのかな
ブロント語があれだけ流行ったのもパターン認識から外れてたからなんですね。
そもそも縛りが無い人間が優れた表現を繰り出す光景、稀によくあります。
赤ちゃん回を観ると、アインシュタインの名言クリシェ「常識とは〜」が本当な気がしてくる
「ラジオ」では難しいけど、情報を整理するために「図を描け」って思いながら見てました。
パターン認識の「殻」を破るのに、内側からか外側からか……のようなイメージをしてました。
24:00 無限の猿定理みたいな話ですね。天才的なフレーズを生み出すことが可能か否かという点ではランダム生成ですら作れてしまうので
サッカーの例えに、ん?と首を傾げ思考停止する私の脳内を、すべて言語化してくれる堀元さんの凄さ...!勿論水野さんの豊富な知識と着眼点の素晴らしさあってのテーマで二人とも異次元過ぎるのにちゃんとわかりやすいの本当にすごい。
初対面の評価を一分もあえて認識しきっていないのなら相当にすごいのでは!?
今回みたいな、お互いに理解しきってない部分をアウトプットしながら発展させているのがすごく面白かったです!
最近youtubeの機能で、どの部分が最も再生されているか、いわゆる盛り上がりゲージみたいなのが実装されたのですが、今回の動画に全く山谷がないので、ゆるラジは再生回数というより合計視聴時間がすごいチャンネルなんだなと確認しました。
打率論よりも「パターン認識という牢獄を理解した上で脱獄する」ことがクリエイティブの本質なのだと思いました。
クリエイターも赤さんも到達地点は同じでも、プロセスが異なり、そのプロセスの裏付けとして積み重ねられた教養、技術、歴史の細部の美しさがクリエイティブに詰まっている。
連続失礼🙏今回水野さんの例えが堀元さんにヒットしなかった理由の一つが、私には「理系/文系」というカテゴライズにあったように聞こえました。
私はそれとは別に「芸術系」というカテゴリーを措定していて、それは大きく捉えれば理系文系双方の要素を含んでいるし、厳密に言えば理系とも文系とも異なる評価軸を持つものだと思います。
「詩は文系的」と水野さんが(or堀元さん?)言った時、「それは違う」と思ってしまいました。
もっと言えば、「理系/文系」という分類そのものが、陥りやすい「クリシェ」なんじゃないかなー?とも。強いて分けるなら、本当は「論理構築系=数学、国語」vs「情報蓄積系=社会、理科」だと思います。
なお「英語」は両者に跨りますが、本質的には「技能科目」ですよね😅美術、音楽、技術、家庭と同じ。
パブロ・ピカソが『子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。』と言ったそうですが、この動画の解説で腑に落ちました。
昨日のエイプリールフールで、心電図検査したら脈が三三七拍子だったんだよね〜という嘘を友達に言いました。確かに「心臓が止まってた〜」のような簡素な冗談で終わらせたくないレジスタンス精神のもとで考えていたと思います。
型があるから型破り、型が無ければ単なる形無しなんだと中村勘三郎さんが言ってた…と誰かが言っていたのを思い出しました
今回は水野さんの微妙な空振りが面白かった。
世界の解像度がまた上がりました。
関係ないけど、ほりもとさんジャケットめちゃ似合いますね。
急にオモコロの話出てきてテンション上がっちゃった
堀元さんが「んっ?ん~」って言ったところがホワイティ感があった
20:00 ここはピカソなんかが当てはまるように思いました。
あとプリズンブレイクは出る過程が面白いからドラマティックになるし、その過程も含めて「クリエイティブ」という意味のあるものになるけど、最初から外にいるなら、例え到着点が同じでも、価値が違う気がしますね。
ディベートとして余りにもクオリティが高い……
頭いい人同士のクリエイティブ論凄いクリエイティブの解像度が上がる
地球から重力に抗って成層圏を目指すのがクリエイター
宇宙から落下して成層圏に到達するのが赤さん
10:30 逆に科学から言葉ができることもあるよね
「速度」と「質量」って言葉、概念は昔からあったけど物理学が発達して実は「速度×質量」が本質的な量だと分かってきたことでこれを運動量と名付けよう、みたいな
エントロピーもかもそうかな
お互いへの信頼が高いのがよくわかる回だ
大人は県境を認識した上でその県境を自由に跨ぐ術(=創造力)を身に付けようとする。赤ちゃんは知らんうちに県境を跨いでしまうことはあっても、自由に行き来は出来ない。真反対の山とか川とか空に向かってしまうことの方が多い。(堀元さんの言う打率が出せない)
要求された時に創造性を発揮できる大人と、そうは出来ない赤ちゃん。
18:50 ここからの2人のやりとりが私にとってのゆる言語ラジオの良さだと感じました。
裸で水に落とされても、怖がらず恥ずかしがらずなんとなく泳げる赤ちゃんと、水着を着て溺れないように頑張って泳ぐ大人。
"子供は自由だなぁ" をこんなに細かく言語化して考えたこと無かった。
今回過去一で話が噛み合ってなかった気がするけど,こういうところでお2人の在野の違いが見て取れて良い
ゴールキーパーも含めて全員手は使っちゃダメな頃のサッカーがあったとして「いや、ゴール守る時くらい手使ってもええやろ」って言い出した人がいればその人はクリエイティブですね。
全員手も使い出すのが赤ちゃん
赤ちゃんがラグビーを発明したのか!
@@早川眠人 これはクリエイティブ!!
毎シリーズごとに3回目あたりから「そろそろこの回で終わりやろ」と思って聴いているんだけど、赤陛下シリーズは「まだ続くんかい!(歓喜)」の最長かもしれない
サッカーの例、
「手を使うこと」が楽しいことが
クリエイティブになるで思い出したのが、
ラグビーの起源です。
事実かどうかは分かりませんが、
一般的に1823年に
イギリスのウェブ・エリス少年が
フットボールの試合中、
ボールを手に持って走り出したのが
ラグビーの発祥と言われています。
なので水野さんの例えでも
あながちズレてはいないかなぁ
と思いました。
クリエイティブが赤ちゃんと違うのは、枠組みから逃れる方法が「別の枠組みに移動する」という戦法を使わざるを得ないことなのだろうと思います。すべての枠組みから自由になる事はできないのが大人の定義だと思うので。そういう意味で、サッカーのたとえは芯を食っていると思います。サッカーは「手を使えない」という単純な制約を加えるだけで、「普段と全く違った枠組み」に移動でき、その枠組み移動がとても楽しいこと(つまり、クリエイティブの楽しさ)を示す良い例なのだと思います。
これは神回、一番好き
芸事とかで言われる「守破離」っていうのもこれと似たような概念なんだろうか
小川洋子の表現のシンプルさがなんとなく好きだったのですが、もう一度読めば、何が好きなのかが見えてくる気がしました。一度読んだ小説を再度新鮮に読めそうです。ありがとうございます。
私も小川洋子さんめちゃくちゃ好き、、、静謐さを感じる
@@ピラメキーノ三世 このコメントをしたことを忘れてました。拾っていただいてありがとうございます!
赤ちゃんは全赤ちゃんの集合体としてクリエイティブだと言われていて、赤ちゃんの〇〇くんがクリエイティブだと言われることはないよね
だからクリエイターにはなれない