【斎藤幸平vs斎藤幸平】ウォーホルはなぜ芸術?【高橋弘樹】
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- เผยแพร่เมื่อ 30 มี.ค. 2024
- ひろゆき、成田悠輔、後藤達也…、新たな視点で経済・社会を見つめ直すビジネス動画メディア「ReHacQ」!
今だからこそ猛烈に勉強してみたいと思う大学の先生に
対談形式で授業をしてもらう「もう一度受けたい授業」
今回は、東京大学准教授の斎藤幸平さんが
東京芸術大学教授 布施英利さんから現代アートを学びました。
出演者:斎藤幸平(東京大学准教授)
布施英利(東京藝術大学教授 美術解剖学専門)
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#現代アート #美術 #絵画 #解剖 #キャンベル #授業 #ReHacQ #リハック #ひろゆき #成田悠輔 #後藤達也 - บันเทิง
芸術を求め、追求する中で生きている方と、資本主義のど真ん中で生きている方が交わる瞬間がいつ来るか?固唾を飲んで見守るような動画でした。
布施先生の講義を聞ける貴重な機会をありがとうございます。
今回の動画を見ていて思ったのは、美術っていうのは基本的に野村先生が話していた物理の世界と同じで、世界の本質を見極めていく自然科学的な分野であるということ
世界の要素を抜き出して抽象度を高めることで本質に迫ろうとする帰納的な発想は物理学そのものですよね
例えば自然を模写するのもそうで、絵を描くときは自然をいくつかの要素に分解して理解することで初めて描くことができるんですよね(木は幹から枝に分かれていてその先に葉がついていて、ここの葉っぱの形はこうなっていて色はどうなっていて、光の当たり方によってここに明るい部分と影ができて~というように)。それはものが落ちるのを見た時に「何か力が働いているはずだ」と頭で理解することと等価ですよね
どちらも「世界のルール」を見つけていく作業なんだと思います
野村先生は「物理の世界ではなんでそうなっているのかを最後の最後まで考えてはいけない。それは果てがないから。世界はこうなっているからこうなんだ」という説明をしていましたが、「どこまで本質に迫ろうとも芸術には最後の最後に謎が残っている」と話した布施先生の話は同じだと思いました
こう考えてみると現代アートが意味わからないのは当然で、現代物理がわけわからない頭がおかしい感じに見えちゃうことと同じなんだなと
二人の対談が見たいです
素敵なコメントですね。そう思います。人間は何処から来て何処へ行くのかみたいなところから発しているんじゃないかなと感じます。昔はアートも科学も同じような好奇心から出発していると感じます。どちらも世界を理解しようとする人間の営みなんだと思います。
@@haromuha ありがとうございます!自分が言いたいことを端的に言葉にして頂いててそれそれ!となりました。笑
「人間は何処から来て何処へ行くのか」「世界を理解しようとする人間の営み」というのが的を射た表現でめちゃくちゃ刺さったのですが、どういうことを勉強されたり興味を持っていたらそういう言葉が出てくるんでしょうか?
自分自身現在そういった問題に悩んでいることもあり、どういうことを勉強していけば理解が深まるのか知りたいです。
もともとは、描くほうで西洋絵画専攻でした。当時から物理、数論とか般若心経は興味あって読んでました。共通するのは、それぞれの方法で世界をモデル化してそれぞれの方法で記述しようとしてることかなと思います。むしろ学問全般そうかもしれないので何でもいいのかなともおもいます。私は20代半ばから後半の頃が一番知的欲求が強かった気がします。人によって遅い早いなど時期に違いありそうですがタイミング逃されないことを祈っております😊
@@haromuha もともと描くほうを勉強されてたんですね!自分と逆ですね。自分はもともと大学では応用物理をやっていて、当時は芸術を何かアバウトなものだと認識していたのですが、今はTVアニメのディレクターをやっていて昨年あたりから絵の勉強をしようと美術館に通い始めてみて、理系的な感性と通ずる所がある気がしていたんです。
ピカソの絵や北野武監督の作品には理系的な美しさを感じます。実際北野監督は数学を学んでいますし、だとするなら自分が映像を作る仕事をするのも意味がありそうだなと思えます。絵についてもっと勉強していきたいと思いました。
世界のモデル化と記述について、たしかに学問全般そうかもしれないのですが、数学や物理、芸術だったりというのは、社会学的な学問とかと比べてより本質的な気がするんですよね。人間がどう行動するかよりも、人間そのものの仕組みに興味があるというか。そこが多分好きなんだと思います。
世界の本質を見極める哲学的、自然科学的な面もありますがそれは美術の一つの分野に過ぎないでしょう。何でも作品として提示しさえすれば一応は成立するのが現代における美術です。
資本主義と芸術の話、
めちゃくちゃ興味のあるテーマです!!
めちゃくちゃ面白いテーマありがとうございます!
音楽も全く同じで、簡単そうに聞こえる名曲ほど、とてつもない理論の学び/練習量/過去の音楽を聴き込んできた量を感じる。
斉藤さんの「私でも描けそう」って仰ってるけど、そう感じさせた時点で作家の思うツボで草
綺麗なものテクニックを評価する世界が飽和状態となった結果、新しい価値感が生まれたのが現代アートだと思う。革命とか言われてますがね。
でも、評価する人間はごく一部のアート界の上層部にいる人間で。
その人たちが評価した、すごい価値がついた、だから、すごいってその他大勢が集まるみたいな構図は変だとも思う。
23:27評論家の話と一緒に実際に作品作っている作家の話も聞いてみたいものです。
いつも配信ありがとうございます。
25:30 の大富豪が最後には絵画を買うよねって言うのは、節税のための可能性が高いよなって思ってしまう。公益財団法人にすればかなり節税できるし
作品は作者の魂の形だと思います。
魂の形に上手いも下手もありません。
他者の魂に触れるというのは鑑賞者の感情に訴えかけときに感動を呼び、ときに嫌悪する。
その作品が好きなら深く知っていくだろうし、嫌いなら遠ざける。ただそれだけの話しだと思います。
深淵を覗く時は、深淵もまたこちらを覗いている。
ただ、思うのは嫌いな作家の嫌いな作品ほど実は深淵の可能性が高かったというのが経験則です。
14:54
これ逆の解釈とかが主流というかよく聞くんだけど
マリリンモンローとかの時代のアイコンを複製してキッチュなデザインにすることでアイコンとしての権威を失墜させるみたいなカウンターカルチャーじゃなかったの?
一品物のモナリザや一神教のアイコンマリアの偶像化と全く逆の創作運動ではないのかな?その一般解釈を踏まえて説明してほしかったや
大量生産、大量消費の社会でスープ缶のラベルのように生産される時代に、時代のアイコンとも呼べるマリリンやエルビスの肖像をラベルのように利用できることを目的としてデザインしたんじゃないの?
プリントを想定したデザインで誰でも作れて、編集して大量複製し、Tシャツとかポスターとかに利用させ、大量に流通させ、肖像のユニークネスを無くす(陳腐化)を促進させ、権威を失墜させるみたいな気がするけどなぁ
19:10 とかめっちゃいい例で、プリントデザインが肖像のもつ権威や、付帯する思想を無力化させた代表的な例だよね
実は再現性ないって話あるけど、印刷を表現手法として選んでる段階で再現性ない、一品物ので価値あるみたいなことを否定してるよね…
誰でもつくれそって一般人の感覚は全然間違ってないよね
ウォーホルの偉大さって、それまで権威主義的なアートと大衆のためのプロダクトデザインを近づけたことじゃね?コラボしてたバスキアもカウンターカルチャーだしなぁ、バスキアと仲良かったのも同じ創作思想だからじゃないの?なぜバスキアには触れないの?
20世紀って車、コンピュータ、家具含めたプロダクトデザインが盛り上がってたころだしなぁ
ミッドセンチュリー的なやつ
車、コンピュータ、デザイン家具は高単価商材だけど、より大衆に近い
デイリープロダクト(日用品)のトマト缶のパッケージデザインに落とし込んだんじゃないのか??
※デイリープロダクトは乳製品って意味だけど、超昔のはデイリープロダクト=バター、チーズ、牛乳とかが日用的に買ってたもので
20世紀のデイリープロダクトは工業化した缶製品(トマト缶など)って意味で上で使ってます。
20世紀の資本主義万歳の時代に、20世紀以前の個人の表現や限られたグループ(宗教、権威化した個人の集団、パトロン)のためアートが、大衆のためのプロダクトデザイン(視覚設計)に寄ってきたって感じかな?
斎藤さんと村上隆の対談求む。
対談するなら、現代美術の歴史、村上隆の作品をちゃんと理解してからじゃないと、わからないから否定するだけになりそう。
字幕の誤字が多いのがちょっと残念です。粘土(粘度)、抑える(押さえる)、生物画(静物画)、あるいわ(あるいは)など。日本語難しいですね。
ウザ。フリーコンテンツだよ。
@@Sigmapieceメディアとしやるならそこんとこ大事なんだよな〜。ゲスト読んでるんだしね
メディアとし(て)やるなら…
貴方も間違ってますよ😊
内容がいいからこそ他のスタッフがチェックして誤字を無くすべき。
流石に生物画は酷い。
誤字脱字ポリスは内容が頭に入ってない証拠!
しょーもない事をいちいちコメントするあなたはコムツカシぃやつ
素人で普通会えないのに、アートの先生から芸術を解釈する視点を享受させていただき有難いです❗️
もっと聞きたいです
斉藤さんが資本主義社会の中心にいることの矛盾について芯食ったやり取りをしないことが気になったなー
クリティカルな指摘でしたね。村上隆嫌いと言いながらあなたも同じ穴の狢なんじゃないの?っていう。
24:17 この高橋さんの問に明確に応えて欲しかった。。生きていくのに必要=世界とのつながり、とも言えますが、世界・他者・人間・自分を理解し表現したいという欲求を本能的に持っている作家もいます。高橋さんもきっとそうです。鑑賞する側と同時に制作する側の視点にも焦点をあてるとより面白くなると思います。
私だったらこう答えます。
①作者は作品の全容を理解し答えを持っているか。否。理由は芸術は長く人生は短し。
②アートの目的は何か。答えはパトロンを喜ばすことと、美を追求することの2つ。前者を否定し後者だけを肯定するのは厳しい。
@@dustunion パトロンを喜ばすのは経済的にその必要があるというだけで目的とは言えない。美を追及するも別の何かを追及するも作家により異なる。
@@von_Aschenbach 私はあえて目的だと強調したいですね。
アンダーリムのメガネおしゃれだよなぁ、、おかっぱとの親和性が非常に高い。
前髪と眉毛とメガネの感覚が均等になってて、レイアウトの収まりが凄く良い。目の隠蔽も相まって自然に抗いつつ人間中心的に演出している気がするよ。
どこのだろう?欲しいです😆
アートは描く方も観る方も自由や解放感を楽しんでいるのかな。
良い作品は自然と一緒で、深淵でなかなか辿り着けないのでしょうか。資本主義の象徴、アンディ・ウォーホルの作品も然り。
これからの時代の作品がとっても楽しみです!!
旅行で金沢に行った時に雨で、天気が悪いから、とりあえず金沢21世紀美術館に行って、初めて現代アートを観た。
全く意味がわからなくて、頭の中が???だったけど、帰りに同行者とあれこれ語り合いながら帰った。
行ってみて良かったね!となった。
やはり、実物を観るの大事ってわかります。
動画の前編後編をとおして、とても面白かったです!
ありがとうございました。
現代美術のわかりやすさを発信するなら岡田温司先生や西田兼先生にインタビューするべし。
アートは時代の連続性に寄り添っているのであり、その一部を特大特殊なものと変にあげつらうのはおかしく、単に好みであるに過ぎず、攻撃するものではない。アートの余白は常に必要。アーティストは、見出される時、基本的にはその当時、なかなか身立つものであり、その時代の寵児になるにはある種、現在はコマーシャルイズムで特大拡大されて、その本種性がわからないなる。
近代美術は数年前から身に行くようになりました。
リヒター展や国内の近代美術館も行って実物を見て、すごいなとは思うんですが、どうも好きには至らないんですよね。
ジョン・エヴァレット•ミレーのオフィーリアの方がレベチで好き。
自分のことだけど自分でも紐解けないです😅
布施息子の動画みたい。まだ動画メディアにあんまり出てないけど話せる!
現代アートは「既存の価値観ぶっ壊すのかっけー」と「数少ないから価値が上がる」「金待ちアピールのマウント欲」の3点により支えられてる。
アートそのものに技術や価値を見出そうとするのは無理がある。
美を見出すのは孤独であり、周りに迷惑をかける人は美に対峙していない。マナーが必要である。
髪型とかメガネとか藤田嗣治の影響があるのかな?
生物画→静物画では?
ちょくちょくテロップ誤字ありますよね
僕も誤字の多さ気になりました笑
粘度→粘土とかも
不易の損失→不易の本質
ですね
ぼくも誤字気になりました
意味を考えてないんでしょうね
もしかしてコストカットでAIで字幕つけてるとかですかね
「芸術は、爆破だ」の爆破はテロや破壊ではない。個人の創造力の爆破あり、あいみょんが岡本太郎の太陽の塔が好きなのはそこに通じる。
「おさえるべきところをおさえる」というセンテンスを漢字にするなら、
「抑える」ではなく、
「押さえる」です。
意味として「ポイントをチェックする」という事なので、抑圧の「抑」ではありません。
9:28 ポロックの絵の面白いところはまさに描いてる姿というか、絵の具撒き散らしてる作者自身の身体性がカンバスに定着されてることだったりするのかなと思います。色んな見方ありますけど。
4歳の孫のほうが美術館で生き生きとして作品を見てる。そして屋外に展示されるた大きな作品でなんか楽しそうに遊んでる。帰宅して書いた絵が紙一杯のピンク色の迷路でその路はカクカクしているのではなく、曲線で、枝分かれしてその先が渦をまいているような迷路の絵だった。多分美術館の大きなピンク色の花をつけた「つつじ」に目がいっていたからそれからインスピレーションを受けたのかもしれない。彼が大きくなって、もしかして芸術の道に進んだ時、彼はどんな意味を作品につけていくのだろうか。
4歳児なんて皆そんなもんだから
楽しみですね☺️
素敵なご家族を持たれていて羨ましいです。💘
@@user-km9zj2tk7h そうなんですよね。子供はいいなと思う今日この頃です。😌
@@user-kx3fu7px1i 身近なエピソードしか思いつかずコメントしてしまいました😅。こんなことでも喜んでいるババです~。ご返信ありがとうございます。🙏
「村上隆の芸術実践論」の動画がニコニコにあるからそれがおススメかなw
芸術が論点ならイェール大学に軍配が上がるんだから成田さんに人脈を紹介してもらえばいいのにって思った
日本で日本人がアンディ・ウォーホールの芸術論を論じても仕方ない
どうせなら津田健次郎をナレーションに据えて番組作ってよ
美の壺は案外、現在の世界でバリアが高い人の方が感受しやすく、「生活の一部に根付いている」という点が重要です。アートはそもそも「歪んだ指輪」であり、時代の中では、「攻撃性を持つこと」である。
神回
大昔、画家を志した事のある人間にとって、デュシャンとウォーホルの絵の上手さは別格。
そしてAIアート時代こそ、より編集・選択するチカラが試される。。
ぶっちゃけ幼児の落書きでも現代アートと呼んでダメではないんだよな
上手くはないかもしれないけど、むしろ表情豊かな作品ができると思う
そして幼児の絵にも「この程度なら俺だって描ける」と思うかもしれないけど、ある程度「絵の教育」というある種の洗脳をされてしまった我々に、幼児期の絵が描けるのだろうかという疑問がある
そこに値段が付くかは別としてだけども
子供が親の絵を描いてくれたらそれはその親にとって最強の価値を持つ現代アートと言えるかもしれんね
全く違う!
テレビ、TH-cam、映画、音楽、漫画、本の方が面白い
絵の才能を腐らせないために絵は必要
ウサインボルトの足の速さをありがたがる
よりは趣味性が合う
永遠に残る前提であるロマンはあります
早稲田の作家さんですら缶詰展開図
何か言いたい人は少ない印象
歌い手が歌いたい内容は無いのに似てる
歌が歌いたい、絵が描きたい
そんな稚拙さもあると思います。
美に対する追求ではなく意味を求めるようになったら美術は終わりだと思ってる。
作者の美しいのと感じる物の構築じゃなく学者がやりそうな社会問題提起なら美術は終わり
実際、現代美術の世界は「ゾンビ」「美術の死」とも言われているので、感覚としては正解っちゃ正解なのかもしれませんが、芸術含め文化は常に変化するものなので、その変化を受け入れるのも鑑賞者としては必要ですね。ゾンビの中で新たに模索を続ける作家たちの力強さも魅力ですから。
ちなみに、ウォーホルなどの作家は問題を「提示」してはいても、それを肯定も否定もしない、ある意味何かを語っていながら何も語っていないわけですから、学者がやる問題提起とは根底が違います。でも最近は、それこそ活動家みたいな、もろ「差別の歴史!」「移民問題!」みたいなものが多くなってきて、ちょっと息が詰まる感じにはなってきましたね...。
立場は色々ですが政治的プロパガンダに利用され矮小化されることに辟易している美術家もいるはずです。。がそういった作品はなかなか取り上げられないのかなと思い絶望します。数学とか宇宙論とかの方がアートしてるなと思います。
どれだけの言葉と時間をつくしても言語化できないものが美なのだから、美について語りたい人がいれば好きなだけ語らせれば良いのでは?
美についていくら語ったところで美の価値が傷つくことはありません。誰だろうと美から受け取ったメッセージを考えたり議論するのは自由です。中には政治的メッセージを見出す人もでてくるでしょうがそれも自由です。アートに政治を持ち込むなという人はピカソのゲルニカを否定できるでしょうか。
資本主義と交わったことでアート、表現は大きく進歩したからそこハラ落ちすると楽しいんですけどね…
投機になっていることへの批判や嫌悪は理解できるけど、一方そのおかげで劣化せずに保存されているという側面もあるし。
(世界がマルキストだらけになったら冗談ではなくまじで燃やされて後世に伝わらないだろう)
字幕、「静物画」ですね。「生物画」じゃなくて。🙏 5:44
この中だと高橋さんが一番冴えてるわ
18:18はマルクスの肖像ではなくて、レーニンの肖像ですね。
マルクス・レーニン主義という意味で、大きな文脈では大丈夫ですが。
アートはいつも時代の鑑である。
あまり興味ないので深堀はしてないけど、現代アートはどうも納得できないんだよな。
パッと見て何か感じるかというと、トマト缶見ても何も感じない。アートの業界で歴史とかいろいろ知ってる人は楽しいのかもしれないけど。
トマト缶の絵をもとに見た人が何かを考えるきっかけを与える気もするけど、だったら別のものでもいいし、簡単に代替え効くものには価値を感じられない。
考えていくとアートにそもそも何か価値があるのかって思い始める。
「生物画」って…文字起こしにもこの機会に知識が深まるといいな。「静物画」です。
ヴォルターベンヤミンの「複製技術の時代」もあるのか?
奴隷社会が形を変えて延々と続いていく中で自由の可能性を感じさせるのが美=アートだと言いたいのかな
利ではなく美に従うことで自由になれると教えてくれるのがアート
そしてそれは時代歴史を経て形を変えて続く
アートがなくなるのが本当の理想の社会?
斎藤幸平が赤瀬川原平を知らないことに驚かされた。
マウントとるなよ
批評家名乗って飯食ってんだったらもう少しちゃんと仕事してほしい。逃げないで自分の言葉で語ってほしい。
静物画ですね😅
生物じゃないですね。静物。
京都にいるからよくわかるけど、村上隆の作品はともかく、“村上家”は何だかなぁ…。あの息子さん、どうするんだろ?
鳥山明は現代アートなんだろうか。世界中の絵で何かを表現するたくさんのアーティストに影響は与えたし、彼の影響を受けた人の作品に影響を受けた人が今後も生まれていくのも間違いない。彼が作品を出した前と後では明らかに世界は変わったよね。ただ、美大は出ていなかった。
現代アートとして提示していないので現代アートではないですね
@@von_Aschenbach マンガ家としての評価とイラストレータとしての評価どちらもある人だなと思いましたが、なるほど。それはそうですね。あとは後の人がどう評価、分類するかですね。後の人が決めることを今してもしょうがないですが。
赤瀬川原平は、「路上観察学会」及び「ハイレッドセンター」の一員であり、小説家でもある。「路上観察学会」の行動には、今、六本木ヒルズとかした銭湯の煙突である。そのアーチストの真のアヴァンギャラルド性を見出すことはなかなか自分で見出すことはできない。
美術を見出すのは、常に観察あり、美術鑑賞の常にその連続性により表出される。過去、横浜美術館のマルセルジュシャン展で、泉について、訳もわからず、抗議していた老女がいた体験をした。彼女は何しに来たのかわからない?美術館は、企画展以外にも「常設展」に関連展示が存在してある場合であり、よくスルーする人が多い。いわば、企画展のレコードのB面の場合である。答えは個人の感性である。牧野富太郎の写生もアートである。
んなこといったら。小説は大量印刷して複製したらチープになるんか?って
高橋さん眠そう
アメリカのアートってドラッグとセットですからね
字幕の誤植というか、字幕を作っている人の教養の無さ、チェックしている人がいるのかいないのか、みたいなのが目に付くプログラムでした 普通「生物画」→「静物画」じゃないでしょうか
静物画だと思います
布施先生はデュシャンも千年残ると仰るがコンセプチュアルアートでそのコンセプトが失われた時代でも美術作品として残るというのはおかしくないですか?
既製品をモチーフにする意味は伝統的な美術の希少性や美それ自体の否定でもあり、その文脈で作られた作品について従来の絵画造形的な視点(構図が良いとかフォルムが美しいとか)で解釈することに意味があるのかしら。
古代美術が千年たっても残っているのは意味を超えた普遍的な美があるからでしょう、もちろん歴史的文化財だからという面も大きいですが。
うーん、前編はそこそこ良かったけど、こっちはなんか「現代アートに価値が無いと言いたいんだろ?」という怯えの中で解説しているように感じた。
コンセプチュアルアートにおいて技術論は全然関係ないと思いますけど。卓越した専門的技術もまた現代アートが壊そうとした美術的権威の一要素なのだから。
でも所詮アプロプリエーションじゃん。
盗まれる元が好きであるほど許せなくなるじゃん。
静物画ね
論理が破綻していて、困る。
デュシャンの泉を、現代アートの最高峰とするなら、物理的な美術品は、複製品がそこにあるだけで、そこに視覚的な発見はない。布施さんが目で本物を見ないと分からないんだという謎主張をするが、説明、状況、観念、コンセプトを考えさせる事を美術にしたのが、画期的であったのだから、それを見る事に意味はないのでは?
ウォーホルも複製ですよね。少なくとも複製として見られることを狙っています。ウォーホルを美術館で鑑賞する価値を認めることができれば、泉の複製を美術館に展示する価値を認めることができるので、論理的に破綻はしていないと思います。
個人的に興味深い点は、彼らの作品が複製は本物ではないというこれまでの通説を否定しようとしたことです。これは彼らのアートの重要なメッセージの一つだと思います。
現在アーティストの体現の方法は既に多様化している。「不易流行」のなるものが残り、評価される。現在、評価されている作者や作品をことさら過大評価するものである。
(修正)過大評価するものでは決してない
芸術は爆破です。高橋 様 ありがとうございます。
斎藤氏が「セザンヌの技術が」云々言うてたが、遠近法の技術を諦めた画家って認識してるのかなー?
美術館鑑賞は、常に個人的であり、特にデートには案外、使えない。講釈ではない。
現代アートは共産主義者によって既存の価値観の破壊のために利用されてきたという面があるのに、マルクス主義者が伝統的な美術を擁護し、現代アートに疑問を持つというのは面白い。
常に美術館は個々の感性を磨くものである。「フィーリング」であり、教科書的なものではない。
金持ちはこれ欲しいって思うの??
俺は鳥山明の方がいい😂
布施さんは芸術に詳しいのかもしれないけど、もう少しお喋りが達者になって欲しいと願います。
村上隆さんの書籍の方がよっぽどわかりやすく論理的な解説をしている、、
ルネサンス➡︎バロック➡︎ロマン
までの絵画は何となく絵の力で「スゲー!」ってなる作品が多いけど、
カメラの登場で近代絵画は概念が歪みに歪んで、見る側に解釈を委ね出し、絵の下の説明書きを見ても「?」な作品が多い。
キュビズムが生まれたプロセスは成程とは思う。
だけど、初見でピカソの絵を見ていい絵だなと思えるかは甚だ疑問。主観だけど、、、
空っぽの容器から僅かなマヨネーズを絞り出すことを100年以上続けているようにしか見えない。主観だけど、、、
生物画じゃなくて静物画な
こんな人が教授とか😂😂
よくわからん
あるいわって何だ😂
アート業界にいます。左お二人が全然納得されてないかんじがするしアートのあり方を伝えきれてない気がしました。
布施先生これ見てめっちゃ好きになった。th-cam.com/video/ATWoXZfr3ZM/w-d-xo.html
衣食足りてうんちを知る
桂のせいで話に集中できない
エロスとはなにか?
現代アートのイラっとくる感じが凝縮された良いウンチク回。ナラティブで遊ぶインフルエンサービジネスを芸術論で語るからモヤる。
聞きづらい声と話し方で、めっちゃしんどい
生物画ではなく静物画では?
帽子とれ。失礼だろ
おもんないよ
この話を聞いても芸術のことはさっぱりわからない。現代美術は現れた時点でもう終わってんじゃないかな。
1000年後に残ってるのって気取った芸術気取りのものより漫画やアニメだと思う
芸術はもう終わった
高橋さん尊敬してますが
収録中に
スマホ撮影はやめてほしい。
なんだこの評論家は。。芸術のしょうもなさだけ説明しにきたのか?この動画で芸術離れ加速しなければいいんだけど。。さすがの高橋さんも戸惑っているんじゃないかなぁ
本人!?
人を怒らせることも現代アートの重要な役割ですね。この投稿をみて再認識しました。