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わたしは岐阜の飛騨地方の片田舎出身の、美術教師です。この動画を見ていたら、中学校で美術の授業をしていて感じる悩みが少し解決していく感覚でした。わたしは、5教科よりも子どもたちの人生を豊かにしてくれるのは、どんな時代にも共通して、アートだと信じて美術教師になったので、動画を見ながら涙が出ました。目の前の子供たち全員がアート活動をしたり、アートを趣味にしてほしいと願うわけではなく、この子たちが大人になった時、このような動画を見て、片岡さんが話している内容に共感したり、(言葉は悪いかもしれないですが)話について行けるような教育をしてあげたいなあ、と思いました。話は変わりますが、飛騨地方初の4年制大学も楽しみにしています。
大人になったこと時、「電車座っていてもし、躰の不自由な人が乗って来たら、 ごく自然に立ち上がれる人間・・」そういう行為のもと、となるべき種が、その人間の幼稚期にちゃんと蒔かれている。日常生活を通して養われていくと思います。大切な事は感じる心ではないかと思います。それが表現となって現れてくるものと思います。結果を早急に求めない、遠廻りしたプロセスに重要な意義を感じます。難しい事は解りませんが体現からそう思います。絵が大好き・・。
どこに行っても「大きな偉い世界」というものはなく、その場所のローカルしかない、ローカルが集まったものを世界と呼んでいるだけ、という視点は凄い。したがって、土や生命や祈りといったテーマの中でローカルとローカルは繋がりうるし、世界のコミュニティ同士は繋がって強化しあえるという可能性を感じました。2人ともレベルが高くて得られるヒントの多い対談でした。次回にも期待。
アートから考えるダイバーシティ。普遍的なことを問い続けることがアートの役割と語る片岡さんの、キュレーションを行う際の思考の過程を知れて刺激を受けました。
美術でも音楽でも、表現された作品そのものには、嘘がなく、人間そのものより正直に訴えかけてくる。上っ面のやり取りがほとんどになった人間社会が寂しすぎる。地球上の違うエリアの人々をお互い、少しでも知り得る希望。お二人に、深い温かさを感じます。大病、心身の疲れをアートが助けてくれるという経験があります。地球に生きる事を今日のお二人のお話きいていたら、楽しく思えた。ご活躍ください
世界を時間的にも、空間的にも俯瞰的に見て、一つひとつのキュレーションを手掛けておられることが知れて心を動かされました。森美術館の展示やあいち2022からも大きなパワーと視座をいただいています。
2020年のSTARS展は展示もさる事ながらキュレーションが最高でした。片岡さんだからこそコレクターの方々も秘蔵の傑作を託してくれたんだと思います。
片岡真実さんのあいち2022は本当に充実したイベントでした。ビッグネームの展示から、中京地域の歴史風土を深く掘り下げたエデュケーション展示まで、良かったです。塩見允枝子作品に片岡さんも参加されていましたね。片岡さんはアーティストへのリスペクトもしっかりお持ちなのが素晴らしいです。
大変興味深いお話し、ありがとうございました。片岡さんが紹介されていた和辻哲郎氏の「風土」は是非、読みたいと思います。「共通するもので世界を繋ぐ」について思いついたのが、「竹」です。日本では、竹林の美しさや竹を材料とした垣根から台所用品まで身近に接するものでした。私が現在住むバリ島では、籠などの材料にも使われますが、主に建築材料です。有名なのがグリーンスクール。先日、参加したチェンジメーカーが講演をしたウブドの会場、Alchemy Yoga & Meditation Centerは一番太い竹でも4年もので、その空間が作り出す雰囲気は「自然、技術、アート」のコラボでした。
宮台真司の言う「アートとは心を傷つけること」というのは傷つけることによって生き方を変えさせて未来を変化させる、ということだと思うのですが、その攻撃性と娯楽的な癒やしを求められることとのバランスは非常に難しい時代に思います。
自然もそれぞれの役割を持って、宇宙の共通の福祉のために特別な仕事をしている事に気がつく人間の謙虚さです
激しく共感‼
体験型はARTの役割としてわかるんだけど、コレクション性は無いように思うんですけどそこら辺はどうなんでしょう。
おっしゃる通り作品にコレクション性は無い前提ですが、クリストのデッサンやアイデアスケッチがコレクションされている例もありますね。
青森県の碧猫舎から→「ディシィプリン」語って頂きご指摘された宮田裕章様へ感謝を申し上げます!有難うございました。2023/3/22【碧猫の尻尾研究所】
ゲストより司会が喋っているゲストの話は分かりやすいのに、何故かこのチャンネルの人達は言いたいことを無駄に難しくコーティングする
アートは政治思想に影響を受けるということなのですか?それでいいといういということなのでしょうか?
キュレーターってアーティスト依存なの。。。
これからは老人アート!
音楽を消すボタンが欲しいです。TH-camには倍速ボタン、早送りボタンがあり自由な視聴方法ができます。それと同様に(自由に)音楽を消すボタンが欲しいです。
森美術館はたいした美術館じゃない。嘘言うな。
わたしは岐阜の飛騨地方の片田舎出身の、美術教師です。この動画を見ていたら、中学校で美術の授業をしていて感じる悩みが少し解決していく感覚でした。わたしは、5教科よりも子どもたちの人生を豊かにしてくれるのは、どんな時代にも共通して、アートだと信じて美術教師になったので、動画を見ながら涙が出ました。目の前の子供たち全員がアート活動をしたり、アートを趣味にしてほしいと願うわけではなく、この子たちが大人になった時、このような動画を見て、片岡さんが話している内容に共感したり、(言葉は悪いかもしれないですが)話について行けるような教育をしてあげたいなあ、と思いました。話は変わりますが、飛騨地方初の4年制大学も楽しみにしています。
大人になったこと時、「電車座っていてもし、躰の不自由な人が乗って来たら、 ごく自然に立ち上がれる人間・・」そういう行為のもと、となるべき種が、その人間の幼稚期にちゃんと蒔かれている。日常生活を通して養われていくと思います。大切な事は感じる心ではないかと思います。それが表現となって現れてくるものと思います。結果を早急に求めない、遠廻りしたプロセスに重要な意義を感じます。難しい事は解りませんが体現からそう思います。絵が大好き・・。
どこに行っても「大きな偉い世界」というものはなく、その場所のローカルしかない、ローカルが集まったものを世界と呼んでいるだけ、という視点は凄い。したがって、土や生命や祈りといったテーマの中でローカルとローカルは繋がりうるし、世界のコミュニティ同士は繋がって強化しあえるという可能性を感じました。2人ともレベルが高くて得られるヒントの多い対談でした。次回にも期待。
アートから考えるダイバーシティ。普遍的なことを問い続けることがアートの役割と語る片岡さんの、キュレーションを行う際の思考の過程を知れて刺激を受けました。
美術でも音楽でも、表現された作品そのものには、嘘がなく、人間そのものより正直に訴えかけてくる。上っ面のやり取りがほとんどになった人間社会が寂しすぎる。
地球上の違うエリアの人々をお互い、少しでも知り得る希望。お二人に、深い温かさを感じます。大病、心身の疲れをアートが助けてくれるという経験があります。
地球に生きる事を今日のお二人のお話きいていたら、楽しく思えた。ご活躍ください
世界を時間的にも、空間的にも俯瞰的に見て、一つひとつのキュレーションを手掛けておられることが知れて心を動かされました。森美術館の展示やあいち2022からも大きなパワーと視座をいただいています。
2020年のSTARS展は展示もさる事ながらキュレーションが最高でした。片岡さんだからこそコレクターの方々も秘蔵の傑作を託してくれたんだと思います。
片岡真実さんのあいち2022は本当に充実したイベントでした。
ビッグネームの展示から、中京地域の歴史風土を深く掘り下げたエデュケーション展示まで、良かったです。
塩見允枝子作品に片岡さんも参加されていましたね。
片岡さんはアーティストへのリスペクトもしっかりお持ちなのが素晴らしいです。
大変興味深いお話し、ありがとうございました。片岡さんが紹介されていた和辻哲郎氏の「風土」は是非、読みたいと思います。「共通するもので世界を繋ぐ」について思いついたのが、「竹」です。日本では、竹林の美しさや竹を材料とした垣根から台所用品まで身近に接するものでした。私が現在住むバリ島では、籠などの材料にも使われますが、主に建築材料です。有名なのがグリーンスクール。先日、参加したチェンジメーカーが講演をしたウブドの会場、Alchemy Yoga & Meditation Centerは一番太い竹でも4年もので、その空間が作り出す雰囲気は「自然、技術、アート」のコラボでした。
宮台真司の言う「アートとは心を傷つけること」というのは傷つけることによって生き方を変えさせて未来を変化させる、ということだと思うのですが、その攻撃性と娯楽的な癒やしを求められることとのバランスは非常に難しい時代に思います。
自然もそれぞれの役割を持って、宇宙の共通の福祉のために特別な仕事をしている事に気がつく人間の謙虚さです
激しく共感‼
体験型はARTの役割としてわかるんだけど、コレクション性は無いように思うんですけどそこら辺はどうなんでしょう。
おっしゃる通り作品にコレクション性は無い前提ですが、クリストのデッサンやアイデアスケッチがコレクションされている例もありますね。
青森県の碧猫舎から→「ディシィプリン」語って頂きご指摘された宮田裕章様へ感謝を申し上げます!有難うございました。2023/3/22【碧猫の尻尾研究所】
ゲストより司会が喋っている
ゲストの話は分かりやすいのに、何故かこのチャンネルの人達は言いたいことを無駄に難しくコーティングする
アートは政治思想に影響を受けるということなのですか?それでいいといういということなのでしょうか?
キュレーターってアーティスト依存なの。。。
これからは老人アート!
音楽を消すボタンが欲しいです。
TH-camには倍速ボタン、早送りボタンがあり自由な視聴方法ができます。それと同様に(自由に)音楽を消すボタンが欲しいです。
森美術館はたいした美術館じゃない。
嘘言うな。