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地元に60年住んでいるが白鬚線は知らなかった新たな知識を教えてくれて ありがとう
永井荷風が玉ノ井遊郭を描いた小説「濹東綺譚」に白鬚線廃止翌年の京成玉ノ井駅跡周辺情景が描かれています。「線路に沿うて売貸地の札を立てた広い草原が鉄橋のかかった土手際に達している。去年頃まで京成電車の往復していた線路の跡で、崩れかかった石段の上には取払われた玉の井停車場の跡が雑草に蔽われて、此方から見ると城址のような趣をなしている。わたくしは夏草をわけて土手に登って見た。」
文化の薫りに圧倒される文章だが荷風だけに下ネタのようにも読めてしまう😂
写真がほとんど残ってない白髭線。京成は路面走ってたり、廃線になったりと昔から大変だったんだなぁ
荒川線が伸びて三ノ輪橋~泪橋~白髭橋~向島~押上 それはそれで見てみたかったかもしれない。
社名は「京成王子電軌」?
京成は、筑波なんちゃら鉄道のおかけで山手線までのアクセスを確立し、さらに押上方でも地下鉄直通を成し遂げて、小田急と同じシチュエーションになったのに、事実上船橋からの路線になっているのは歯がゆい感じがします。一方で、筑波なんちゃら鉄道に興味を示さなかった東武が今もなお不完全な通勤路線として苦しんでいるマイナス面もあれば、浅草に傾倒したことでスカイツリーが誕生したプラス面もあり、将来を見越した経営判断たるものが難しいものだと実感しました。
向島駅があった付近に住んでいます駅があった付近に私が小学校に上がるころまで映画館がありました商店もたくさんありました。何年か前に踏切がなくなり今となっては寂しい限りです
昔の地図を見てたらなんかちょろっと短い路線が有って、気になっていたので助かります😊
1:41 めっちゃ有効活用されておる🕊
白髭橋のそばに住んでいたことがあります。もし現存していたら押上に出るのに便利でしたし、隅田川に橋がかけられて都心に進むなら吉原を通っていたかもしれない。
都電荒川線が白髭経由で曳舟や押上までやって来る世界線は見てみたかった気がする。そしたら東武亀戸線を買収して改軌してたりして。
元々は押上線が本線だったのねだからかつての京成電鉄の本社が押上にあったのはそう言う事だったのか
東京神奈川千葉と住んでいた私としては利便性から押上が本線だと今でも思っております
本社は元々、丸井上野店の場所にありました。自分の内定通知書は押上の住所でしたが、親父の京成内定通知書には上野の住所が記載してれます。ちなみに押上駅から地上に出た付近には、請地という駅名で存在してました。(自分は押上駅にて勤務してました)
@@北野大地-x1o 柴又に請地亭という街中華があり、何でそんな名前だったのかと調べもせず考えてたことがありましたが、主はそのあたりの人だったのかしらん。
1936年2月の白鬚駅廃止後、跡地は同年11月に白鬚橋病院になりました。その後、同病院は2017年4月に東武鉄道曳舟駅の駅ビル内に東京曳舟病院として移転しました。
へえ~知らなかったなぁ。京成の歴史が勉強出来ました。ありがとうございます。
京成白髭線があったとは全く知りませんでした。話は外れますが今の八広駅は以前は荒川駅という名前でしたね。昔の映画「純愛物語」や「下町の太陽」に出てきていたと記憶しています。
ちなみに昔の白鬚線の終点向島駅跡には「リバーサイド墨田」という大きなビルがあり、アクセスのため今でも京成曳舟と押上からシャトルバスが走っています。これが言うなら「白鬚線代行バス」というべきでしょうかw以前は運行も京成バスだったのですが、最近になり「なの花観光バス」という会社に変わってしまいました。しかし王電との接続される未来は見てみたかったですねー。
うわあああ!すげえ地元!だけど知らなかった。白髭駅って寺島のあたりかな?今も寂れた商店街があるけど。買い物は東向島のコモディイイダだよね。2階にしゃぶ葉あるし(昔はココスだった)。でも三ノ輪橋駅との直通運転は見てみたかった。明治通りを走るんだろか。そしたら泪橋山谷あたりも変わっていたかもなぁ。
東向島駅から鐘ヶ淵方面へ徒歩2〜3分くらいのところに白鬚線の線路跡が道路として残ってますね。でも、旧向島駅辺りで痕跡を辿るのは主様ならでは…ですね😃年越しの金町〜押上直通運転は、当時押上が都心の終着駅だった名残りなんでしょうかね?
東急(路線自体は池上電気鉄道の路線)池上線の支線と似た感じです。
新奥沢線ですね。あの路線も国分寺を目指し長大路線となる予定でしたもんね。
結果的に浅草を手に入れた東武と上野を手に入れた京成浅草は敗戦後に衰退し、上野は山手線や新幹線へ乗り換えできる大ターミナル駅に
しかしその後スカイツリー開業と上野東京ライン開通で両者の明暗が逆転…
ちゃんと東武線側の「東向島」が「玉ノ井」になっている。さすが旧名で書かれていてよかったです。
まったくです よく考証されてますね
押上線には請地という駅もありました。過去に駅近くに請地薬局という薬局があり、体調が悪いときはよく薬を買いに行ってましたが、店名の請地って何だろうと疑問に思い、先輩に聞いて理解できました。(現在は廃業され、建て直して住宅になってますが、Googleマップで過去のストリートビューで確認できます)
1:42モッチモチの鳩かわいいw
京成線は成田空港がらみでも揉めたからなぁ古い路線な分、今でも細々とした問題がいくつも残ってる。駅の高架化の話で言うなら、お花茶屋駅が今でも地上駅なんだが高架化はおそらく不可能。周辺歩けばすぐわかるんだけど、用地確保がほぼ不可能。荒川橋梁も底上げ工事が年十年もズルズル先延ばしになってるし。今は立石駅の高架化の真っ最中だ。
まじこれ実家の前を通っていた路線なんだよね。いや、戦前にその場所に実家があったわけじゃないから実際には入れ違いなんだけど。それで旧白鬚橋病院(現在は移転して名前が変わってます)の横あたりが終点だったわけね。京成と言えばヤバいヤバいと言われ続けていた本線の荒川橋梁の架替え事業が行われているところです。やっと始まったという段階ですけど。
ぬけられます(滝田ゆう)の世界ですね
接続期待をかけられながら見捨てられた王子電気軌道の悲哀💔
ただそうなると路面電車としての都電荒川線は存在しなかった(都電は事実上全廃)かもしれません。飛鳥山の併用軌道もなくなったことでしょう。
@@Kotchan66 「そうなると」が何を指すのか意味不明。
@@oyoyo8817さま 言い足りませんでしたorzが、京成と王電の相互直通運転→路面電車から郊外電車への転換になり得た。また京成と王電の合併の可能性(王電が東京都交通局に編入されない)も。
東武の西板線同様、三ノ輪まで繋がっていたら池袋方面へのアクセスは良かったでしょうね。この当時は池袋や新宿は発展していなかったから見向きもされなかったでしょうが。
東向島ってそういうことか
と思ったけど向島より西にあるんよなw
京成白鬚線というのははっきりとは知らなかったけれども、明治の頃から現在までに廃止されていった路線は、都内やその近辺には相当数ある。永井荷風の『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』(新潮、角川、岩波等各文庫)には、玉ノ井や向島といった当時からある懐かしい地名についての描写が出てくる。この小説は、当時ここにあった遊郭(ゆうかく:女遊びをするところ。別名女郎屋。)での出来事を題材にしたものだが、ここに鉄道の話が出てきていた記憶がある。もしかしたらこれが、京成白鬚線だったのかもしれない。なお、「筑波鉄道」は時代を超えて、様々な事業体がこの名前を使っており、今の「つくばエクスプレス」も、場合によっては、「筑波鉄道」などと社名が変わらないとも言い切れない。
「首都圏新都市鉄道」の社名だから筑波に限らず新たなニュータウンや臨海部への鉄道建設にも違和感がない。
京成が上野乗り入れのために京成疑獄事件があったのをお忘れなく。
東急にも似たような支線あった。池上線の全身の池上電気鉄道が敷設した雪が谷大塚から分岐する新奥沢線。こちらは雪が谷大塚から新奥沢まで途中に1駅あるだけの短い路線だが、本当は多摩川沿いをの北上して中央線の国分寺まで伸ばそうとしたらしい。でも、この先にはライバルの目黒蒲田電鉄(今の目黒、多摩川線)が立ち塞がり、自分の領域に入られるのを嫌った総帥の後藤慶太が様々な妨害工作を行い、新奥沢から先の延伸が、叶わずに中途半端な支線になってしまった。そのためこの路線の存在意義が無く、近くの女学校生徒ぐらいしか利用客が無く、早くも大戦前の昭和10年(1935)、10年足らずで廃線になってしまった。
こういう都心乗り入れのために腐心してあやうく迷走しかける忘れ去られた鉄道史が大好き。
線路の下の2階層は駅の先でも有効活用されています、からのハトの映像にセンスを感じました
筑波鉄道を買収したのにおいしいとこだけ取って筑波は捨てたんかw陸の孤島にはそんな歴史もあったんですね
まずい所も開通させていたら現在のつくばエクスプレスは存在しないで関東鉄道常総線が京成直営になっていたかも、また筑波線も残っていたかも知れない。
筑波に大手私鉄が進出しなかったのは地磁気観測所のせいでしょう。
この周辺は隅田川花火大会で利用する駅ばかりだね、大火災があったときに防火壁の役割する有名な白髭団地もある。
北海道考えると10年後は、地方都市の路線もやべえよな
0:32 京成曳舟駅は昔の地上駅の方が乗り降りが圧倒的に楽だった。踏切があると緊急車両の通行に時間がかかるので、高架の方がよいのはわかりますが。あと、3Fの線路から2Fの通路へ雨漏りしているが、いつまで経っても直らない。10:21 痕跡はこれだけと思っていました。不自然な角度の建物、道路があるのは鉄道跡だったとは思わず。江戸時代の区画整理していない田畑の名残くらいにしか思わなかった。
一方、押上駅は地上に出るのも一苦労。
昔は、夢があったなあと^^今見てみると、現在の価値観で見てみると残っていたとしても採算がとれたのか?と疑問に思うこともあるけど実際に作ってしまった実業家のバイタリティが現代よりもはるかに凄かったのがうかがえますね。
3:53 我が地元、立石だけ駅名表示されてなくてキレそう(冗談ですw)
元は押上線の方が本線だったんだ…
/"(  ̄△ ̄)"\ノ押上駅まで行ったけど都心に出たかったのかね。京成本線や都営浅草線直通でで役割果たせたってことかね。ところで押上と京成曳舟の間に当時請地駅というのがあったような気がするけど、あえて省いたのかね?信号所に触れるならば、一言触れても良かったと思うけどね。
面白いけど王子電気鉄道とやらとつないでも、東京を環状に巡るばかりで都心に向かってないな。
こんにちは(*゚ー゚)v😊
ブラたけし。
いち🎉
地元に60年住んでいるが
白鬚線は知らなかった
新たな知識を教えてくれて ありがとう
永井荷風が玉ノ井遊郭を描いた小説「濹東綺譚」に白鬚線廃止翌年の京成玉ノ井駅跡周辺情景が描かれています。
「線路に沿うて売貸地の札を立てた広い草原が鉄橋のかかった土手際に達している。去年頃まで京成電車の往復していた線路の跡で、崩れかかった石段の上には取払われた玉の井停車場の跡が雑草に蔽われて、此方から見ると城址のような趣をなしている。わたくしは夏草をわけて土手に登って見た。」
文化の薫りに圧倒される文章だが
荷風だけに下ネタのようにも読めてしまう😂
写真がほとんど残ってない白髭線。
京成は路面走ってたり、廃線になったりと昔から大変だったんだなぁ
荒川線が伸びて三ノ輪橋~泪橋~白髭橋~向島~押上 それはそれで見てみたかったかもしれない。
社名は「京成王子電軌」?
京成は、筑波なんちゃら鉄道のおかけで山手線までのアクセスを確立し、さらに押上方でも地下鉄直通を成し遂げて、小田急と同じシチュエーションになったのに、事実上船橋からの路線になっているのは歯がゆい感じがします。
一方で、筑波なんちゃら鉄道に興味を示さなかった東武が今もなお不完全な通勤路線として苦しんでいるマイナス面もあれば、浅草に傾倒したことでスカイツリーが誕生したプラス面もあり、将来を見越した経営判断たるものが難しいものだと実感しました。
向島駅があった付近に住んでいます
駅があった付近に私が小学校に上がるころまで映画館がありました
商店もたくさんありました。
何年か前に踏切がなくなり今となっては
寂しい限りです
昔の地図を見てたらなんかちょろっと短い路線が有って、気になっていたので助かります😊
1:41 めっちゃ有効活用されておる🕊
白髭橋のそばに住んでいたことがあります。
もし現存していたら押上に出るのに便利でしたし、隅田川に橋がかけられて都心に進むなら吉原を通っていたかもしれない。
都電荒川線が白髭経由で曳舟や押上までやって来る世界線は見てみたかった気がする。
そしたら東武亀戸線を買収して改軌してたりして。
元々は押上線が本線だったのね
だからかつての京成電鉄の本社が押上にあったのはそう言う事だったのか
東京神奈川千葉と住んでいた私としては利便性から押上が本線だと今でも思っております
本社は元々、丸井上野店の場所にありました。
自分の内定通知書は押上の住所でしたが、親父の京成内定通知書には上野の住所が記載してれます。
ちなみに押上駅から地上に出た付近には、請地という駅名で存在してました。
(自分は押上駅にて勤務してました)
@@北野大地-x1o 柴又に請地亭という街中華があり、何でそんな名前だったのかと調べもせず考えてたことがありましたが、主はそのあたりの人だったのかしらん。
1936年2月の白鬚駅廃止後、跡地は同年11月に白鬚橋病院になりました。
その後、同病院は2017年4月に東武鉄道曳舟駅の駅ビル内に東京曳舟病院として移転しました。
へえ~知らなかったなぁ。
京成の歴史が勉強出来ました。
ありがとうございます。
京成白髭線があったとは全く知りませんでした。話は外れますが今の八広駅は以前は荒川駅という名前でしたね。昔の映画「純愛物語」や「下町の太陽」に出てきていたと記憶しています。
ちなみに昔の白鬚線の終点向島駅跡には「リバーサイド墨田」という大きなビルがあり、アクセスのため今でも京成曳舟と押上からシャトルバスが走っています。これが言うなら「白鬚線代行バス」というべきでしょうかw
以前は運行も京成バスだったのですが、最近になり「なの花観光バス」という会社に変わってしまいました。
しかし王電との接続される未来は見てみたかったですねー。
うわあああ!すげえ地元!だけど知らなかった。白髭駅って寺島のあたりかな?今も寂れた商店街があるけど。買い物は東向島のコモディイイダだよね。2階にしゃぶ葉あるし(昔はココスだった)。でも三ノ輪橋駅との直通運転は見てみたかった。明治通りを走るんだろか。そしたら泪橋山谷あたりも変わっていたかもなぁ。
東向島駅から鐘ヶ淵方面へ徒歩2〜3分くらいのところに白鬚線の線路跡が道路として残ってますね。でも、旧向島駅辺りで痕跡を辿るのは主様ならでは…ですね😃
年越しの金町〜押上直通運転は、当時押上が都心の終着駅だった名残りなんでしょうかね?
東急(路線自体は池上電気鉄道の路線)池上線の支線と似た感じです。
新奥沢線ですね。あの路線も国分寺を目指し長大路線となる予定でしたもんね。
結果的に浅草を手に入れた東武と上野を手に入れた京成
浅草は敗戦後に衰退し、上野は山手線や新幹線へ乗り換えできる大ターミナル駅に
しかしその後スカイツリー開業と上野東京ライン開通で両者の明暗が逆転…
ちゃんと東武線側の「東向島」が「玉ノ井」になっている。さすが旧名で書かれていてよかったです。
まったくです よく考証されてますね
押上線には請地という駅もありました。
過去に駅近くに請地薬局という薬局があり、体調が悪いときはよく薬を買いに行ってましたが、店名の請地って何だろうと疑問に思い、先輩に聞いて理解できました。
(現在は廃業され、建て直して住宅になってますが、Googleマップで過去のストリートビューで確認できます)
1:42
モッチモチの鳩かわいいw
京成線は成田空港がらみでも揉めたからなぁ
古い路線な分、今でも細々とした問題がいくつも残ってる。駅の高架化の話で言うなら、お花茶屋駅が今でも地上駅なんだが高架化はおそらく不可能。周辺歩けばすぐわかるんだけど、用地確保がほぼ不可能。荒川橋梁も底上げ工事が年十年もズルズル先延ばしになってるし。
今は立石駅の高架化の真っ最中だ。
まじこれ実家の前を通っていた路線なんだよね。いや、戦前にその場所に実家があったわけじゃないから実際には入れ違いなんだけど。それで旧白鬚橋病院(現在は移転して名前が変わってます)の横あたりが終点だったわけね。
京成と言えばヤバいヤバいと言われ続けていた本線の荒川橋梁の架替え事業が行われているところです。やっと始まったという段階ですけど。
ぬけられます(滝田ゆう)の世界ですね
接続期待をかけられながら見捨てられた王子電気軌道の悲哀💔
ただそうなると路面電車としての都電荒川線は存在しなかった(都電は事実上全廃)かもしれません。飛鳥山の併用軌道もなくなったことでしょう。
@@Kotchan66 「そうなると」が何を指すのか意味不明。
@@oyoyo8817さま 言い足りませんでしたorzが、京成と王電の相互直通運転→路面電車から郊外電車への転換になり得た。また京成と王電の合併の可能性(王電が東京都交通局に編入されない)も。
東武の西板線同様、三ノ輪まで繋がっていたら池袋方面へのアクセスは良かったでしょうね。この当時は池袋や新宿は発展していなかったから見向きもされなかったでしょうが。
東向島ってそういうことか
と思ったけど向島より西にあるんよなw
京成白鬚線というのははっきりとは知らなかったけれども、明治の頃から現在までに廃止されていった路線は、都内やその近辺には相当数ある。
永井荷風の『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』(新潮、角川、岩波等各文庫)には、玉ノ井や向島といった当時からある懐かしい地名についての描写が出てくる。
この小説は、当時ここにあった遊郭(ゆうかく:女遊びをするところ。別名女郎屋。)での出来事を題材にしたものだが、ここに鉄道の話が出てきていた記憶がある。もしかしたらこれが、京成白鬚線だったのかもしれない。
なお、「筑波鉄道」は時代を超えて、様々な事業体がこの名前を使っており、今の「つくばエクスプレス」も、場合によっては、「筑波鉄道」などと社名が変わらないとも言い切れない。
「首都圏新都市鉄道」の社名だから筑波に限らず新たなニュータウンや臨海部への鉄道建設にも違和感がない。
京成が上野乗り入れのために京成疑獄事件があったのをお忘れなく。
東急にも似たような支線あった。池上線の全身の池上電気鉄道が敷設した雪が谷大塚から分岐する新奥沢線。こちらは雪が谷大塚から新奥沢まで途中に1駅あるだけの短い路線だが、本当は多摩川沿いをの北上して中央線の国分寺まで伸ばそうとしたらしい。でも、この先にはライバルの目黒蒲田電鉄(今の目黒、多摩川線)が立ち塞がり、自分の領域に入られるのを嫌った総帥の後藤慶太が様々な妨害工作を行い、新奥沢から先の延伸が、叶わずに中途半端な支線になってしまった。そのためこの路線の存在意義が無く、近くの女学校生徒ぐらいしか利用客が無く、早くも大戦前の昭和10年(1935)、10年足らずで廃線になってしまった。
こういう都心乗り入れのために腐心してあやうく迷走しかける忘れ去られた鉄道史が大好き。
線路の下の2階層は駅の先でも有効活用されています、からのハトの映像にセンスを感じました
筑波鉄道を買収したのにおいしいとこだけ取って筑波は捨てたんかw
陸の孤島にはそんな歴史もあったんですね
まずい所も開通させていたら現在のつくばエクスプレスは存在しないで関東鉄道常総線が京成直営になっていたかも、また筑波線も残っていたかも知れない。
筑波に大手私鉄が進出しなかったのは地磁気観測所のせいでしょう。
この周辺は隅田川花火大会で利用する駅ばかりだね、大火災があったときに防火壁の役割する有名な白髭団地もある。
北海道考えると10年後は、地方都市の路線もやべえよな
0:32 京成曳舟駅は昔の地上駅の方が乗り降りが圧倒的に楽だった。踏切があると緊急車両の通行に時間がかかるので、高架の方がよいのはわかりますが。あと、3Fの線路から2Fの通路へ雨漏りしているが、いつまで経っても直らない。
10:21 痕跡はこれだけと思っていました。不自然な角度の建物、道路があるのは鉄道跡だったとは思わず。江戸時代の区画整理していない田畑の名残くらいにしか思わなかった。
一方、押上駅は地上に出るのも一苦労。
昔は、夢があったなあと^^
今見てみると、現在の価値観で見てみると
残っていたとしても採算がとれたのか?と疑問に思うこともあるけど
実際に作ってしまった実業家のバイタリティが現代よりも
はるかに凄かったのがうかがえますね。
3:53 我が地元、立石だけ駅名表示されてなくてキレそう(冗談ですw)
元は押上線の方が本線だったんだ…
/"(  ̄△ ̄)"\ノ押上駅まで行ったけど都心に出たかったのかね。京成本線や都営浅草線直通でで役割果たせたってことかね。
ところで押上と京成曳舟の間に当時請地駅というのがあったような気がするけど、あえて省いたのかね?信号所に触れるならば、一言触れても良かったと思うけどね。
面白いけど王子電気鉄道とやらとつないでも、東京を環状に巡るばかりで都心に向かってないな。
こんにちは(*゚ー゚)v😊
ブラたけし。
いち🎉