秦の滅亡 巨大帝国の消滅と新たな英雄たちの誕生 しくじり事件簿!
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- เผยแพร่เมื่อ 29 ก.ย. 2020
- 史上初めて中華を統一した巨大帝国の滅亡を描く!
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劉禅「2代で滅亡は早すぎw」
煬帝「それなw」
王莽・袁術・冉閔「…」
趙高の回で阿房宮を「アホウキュウ」と呼んでいたのは洒落か音声ソフトの間違いだと思ったが、思わぬところで繋がった。「馬鹿」と「アホ」という二つの身近かつ嫌な故事成語が同時代発祥だったとは。
項羽など「勝負に買って、試合に負ける」傑物のほうに、つい判官贔屓になってしまうな……
試合後の「賞罰」とイジメに近しい「粛清」がホントに過酷すぎ……
この時代はダイナミックに歴史が動くし、キャラ強めの人物も多いので面白いですよね
この時代のお話、だいたい項羽が最後に全部持ってくwww
馬鹿と阿呆の語源がいずれも秦と関わりがあるのが面白い
悲劇の名将、章邯。秦のために戦ったのに、兵を生き埋めにされて秦の人から恨まれる。相手が項羽でなかったならば。本当に気の毒な人だ。
秦の『法による統治』という概念自体は良かったと思う。しかし英国を始めとする欧州近代国家と秦(やその後歴代王朝) の違いは、政権交代が生じたとしても、取って変わった政権もあくまで専制君主であり、君主の力やその側近の力を制限する議会や憲法のような制度が無かったことが大きいと思う。
項羽はあれだけの人材が揃ってやっと倒せた様な人物でしたからね、史記に出て来る人物の中どころか中国の長い歴史でもあれだけの戦術と武勇の持ち主はそういなかったかと。世界史でもあそこまではそうそうは。ただ天下を治める人ではなかったかと。
HIPのyou
法の妥当性を考えないのが悪いというよりも、
この時代に法による支配を中華全土に広げたことが異常
イギリスは基本的に中央集権国家では。革命以降のフランスが明清をモデルとして中央集権化し、一方では20世紀になってイギリスが4つのcountryの自治を認めたことで分権的な印象もあるでしょうけど。
中央集権制は君主が無能だったり早死したりするとほんとに脆いからね。秦の始皇帝もそうだけど三国志の曹丕なんかも早死して結局司馬一族の天下の礎になってしまった
魏は曹丕が(後継決定までの)一族でのゴタゴタに嫌気がさして王朝として一族を積極的に使わない流れになったんですよね
結果ご指摘のようにそれが遠因で(皇室本家が弱体化した時サポートする力を持った親戚がいない)司馬氏(晋)に国のっとられるんですが
逆にその反省から晋は一族を王にしすぎて八王の乱が発生するという・・・(;´Д`)
動画にもあった秦の中央集権の弊害を反省した前漢が王を要所に配置したらソイツ等が『呉楚七国の乱』がおこしたり
唐の軍閥割拠の反省から軍権を中央に一元化した宋が結果国境線(中央から遠い)で異民族にデカイ顔されまくったり、と・・・(^_^;)
中華の歴史は『羹に懲りて膾を吹く』の繰り返しの歴史でもあるんですよね笑
秦は消えても、秦の遺産は引き継がれて…中華の諸制度や文化は今も残り続ける。
うぽつ
5:31
世界史の先生の解説では徳川幕府は漢の郡国制に近いと言ってたどな
漢は重要な所は中央集権、それ以外は地方分権という合わせ技で統治し、統一国家を維持できていた
徳川幕府も薩長にやられたとはいえ幕末まで徳川幕府は圧倒的な力を保持し安定政権を樹立できていた。
「地方分権の代表」は中国なら周、日本なら室町幕府だろう
劉邦も項羽に負け続けたけど、そもそも項羽には誰も勝てなかったのか。
劉邦が弱かったわけじゃないんだ。
英雄の建国譚やおとぎばなしに大衆は憧れる。しかし、一つの伝説の裏では百も千もの傑物が存在して、その存在無くして英雄は英雄たり得なかった。しかし人は見ない。あるいは見ようとすらしないのかもしれない。有能な裏方あっての名君たりえるのに、だ。まさしく憧れは理解からもっとも遠い感情なわけで、その憧れを紐解こうとすることが大事なんだなって
秦のシステムはあの時代には新しすぎたんだろうね。後の時代に秦があったら長期政権になってたって思うけどなぁ、あと項羽さえいなきゃもっと先まで存続してたとは思う。
もともと無理やり一つにまとめたものが求心力を失えばバラバラになるのは当然の流れですね
これ以後も中国王朝はバラバラになっては一つにまとめられるの繰り返しの歴史ですが
次はいつバラバラになるのか…
中国の歴史で、しくじって無い過去を探す方が難しい
中華史上最強の項羽でも天下取れなかったんだから、天下取るには強さだけではダメなんだろう
漫画の「史記」読み始めたけど序盤で秦が落ちぶれまくったのが人生の悲哀を感じますね…
孫子の奥さんが激太りして食い過ぎで死亡その後若い嫁さんもらって還暦近いのに子供作ったのは草生えた
しくじり!しくじり!
いんしゅうしゅんじゅうせんごくしん…(竹内流)
あまりにも短かった「秦帝国」だけど、最初なんで仕方ないか。(二世皇帝が長期……考えてもゾッとするんで、滅びてよかったのかも)
ようやく秦まで来ましたねー♬
阿保は宮殿から来たのですか。馬鹿も確か馬を鹿と家臣が皇帝に教えたことと歴史の本で読んだ気がします
今日はおさらいですか?
項羽ってよく強いって言われるけど何が強かったのかしら?一人の武では限界があるし。アレクサンドロス大王のように戦術に長けてて自らも前線で勇敢に戦ってたから?
まったくご指摘の通りの点を項羽自身が若い頃発言していますね(^_^;)
彼は一応『楚』の軍人貴族👑の家柄に生まれたので幼い頃から武芸を習わされるんですが
すぐに稽古を放り出してしまうので叔父の項梁がそれを咎めると
「剣術⚔などはせいぜい『一人の敵』としか戦えない技術だ。私は『万人の敵』と戦う術が知りたいのです」と言ったそうです
そこで項梁は喜んで孫子・呉子などの兵法の極意📖を教えたところ喜んで学び始めたそうです・・・
と、まあここまでは『いかにも』な中華風エピソードなんですが
実際にはこの兵法の勉強も『だいたい(概略)』ですぐ飽きてしまったそうです( ´艸`)
結局彼の強さは『巨大な鼎(※)』すら持ち上げる人間離れした怪力💪にあるのかもしれません笑笑
あとちょっとだけ真面目に私なりに考察するなら(以下は単なる考察です)
推測ですが彼の周りには楚の時代からの専門職軍人集団がまだある程度残っており(当時は始皇帝により戦国時代の戦争の要であった各国の貴族軍事ギルドみたいな集合体はおそらくは各個解体が進んでいたと思われる。余談だが張良の『黄石公』老人👴との兵法書贈与エピソード(スパイの会合みたいなやつw)も「そういった集団の残党との接触(傘下に収めた?)」ということを暗にあらわすのかなとか思ったりもしています)
その項羽を中心とした戦闘専門家集団が比較的に他の集団に比べて軍事実務・実際戦闘に格段に優れていた・・・というのはあるかもしれません
結局この時代は史書に描かれている通り大混乱の大乱世なんですが、反比例して国家戦略の洗練・集団戦闘技術の効果的運用度合というのは概して低く
各勢力どんぐりの背比べ状態で、『一軍師(将軍)の瞬間的ひらめき💡』『一勇者(剛勇)の個人的武勇💪』がまだ戦場で十分影響力を発揮する時代(そしておそらくは項羽はその『両方』を持っていた)であったということは言えるのかもしれません
※この『鼎』の怪力エピソードもひょっとしたら単なる力持ちエピソードではなく
『鼎の軽重を問う』のエピソードにみられるよう暗に『鼎』は『国家の天命』を意味し、若き日の項羽がそれを難なくぶっ倒しあまつさえ力技で持ち上たというのは
「天命を意に介することなくあくまで人の意思で天下を奪おうとする」後の彼の生き様を象徴的に描いたものなのかもしれません(じゃあ作り話じゃないか笑笑)
レトロ調の二段仕込みカレー(大盛) このチャンネルの新しい項羽の動画で、ちょうど項梁とのやり取りのくだりが出てきており、そちらも見ました。項羽が強かった理由は項羽の元にいた一部の精鋭たちがとても強かった事も可能性としてはありそうですが、仰るとおりやはり本人の武力が相当強かったとの事でとても驚きました。しかし、3万の兵で56万の軍団に勝つとか化け物ですね^_^;
キングダムに出てきていた名高将軍や李信、王賁などもどうなったの下記になる
殺すな・盗むな・傷つけるな、の3つの法律だけで国を治めたのってどの国だっけ(´・ω・`)?
ご存知かもしれませんが、もう少しで出てきますよ。今回少し出ていましたが、咸陽に一番入りした劉邦が一時的(項羽に追い出されるまで)に治めるために作った法ですね。
@@mikelulu724 ありがとうございます。
劉邦でしたか。
秦の始皇帝かと勘違いしてました(´・ω・`)
ビッグボディチーム・・・
今の🇨🇳も苛酷で残虐。
魔理沙の低音ハスキーボイス好き(笑)
兵を生き埋めって、エグいな…
白起「うん」
中華のDNAでさ
カティンの森では捕虜を『射〇』した後埋めるソビエトスタイル
@@kappanouen そして、サツ害担当者には電撃を放った大男がいたらしい。
@@user-fh6lb5rv4y 中国とロシアのDNA
土竜の唄の作者が書いている劉邦の
物語‥‥
劉邦がしえいを許したが‥‥
三法を宣言‥‥
しかし、項羽によって‥‥
なるからなあ、可哀想‥‥
さて、新しい時代の幕開けだねwktk
伏蘇と蒙恬が生きていたらもう少し秦の寿命は延びたのかな。最終的には趙高にどうにかされたとは思うけど
扶蘇と蒙恬が生き残るとすれば趙高は権力を握れなかったんじゃないかな。
少し延命できるどころか長期政権になる可能性がでてきますよ。扶蘇は諸子百家の広範な思想に寛容だったそうなので、皇帝に即位すれば思想の弾圧を緩めて民を慈しむ為政者になると思われます。李斯ら法家が進めた急激な改革も穏やかになって、農民反乱が各地で勃発することもなかったうえ、蒙恬を腹心として膝下に留めれば宦官や汚吏の台頭はだいぶ先になったでしょう。それでも趙高なんかより項羽の存在が脅威ですがね。
ワタクシ今を生きる方で良かった~。
え、ぬるい!?
だって、蛇口ひねればお湯が出る時代だもの。
エアコンだってほぼ、自由に適切に使い放題。
食べ放題にチャレンジ可能。
わんこそばなんてもう、付きっきりで、お椀にそば入れてくれるもん!
( ̄□ ̄;)!! 論点ずれてた。
UFOに聞こえた
え、キングダムであんなに頑張ってる将軍たちみんな無駄やん…しかも蒙恬とか酷い死に方やな、
地方分権って呂皇后もやってたよね
呂皇后がなくなったあと地方が暴走するってことはものすごい権力があったてことだね!
おやぁ劉邦ってなにやったひとかな?
勘違いされやすいですが、春秋戦国時代であっても、すべての国に法はありました。
各国それぞれが自国の法を持ち、それに従い賞罰の軽重を計ってもいました。
郡県制も秦のオリジナルではなく、後に韓・魏・趙に分かれた大国、晋や南方の楚もそれを採用しています。
では法家とは何なのか、というと、端的に言えば法律を神として崇拝する教団です。
そして法の絶対性を担保するための根拠として、無制限の君主権を認めてしまう……どころか、より強固にするための方策を追求し続ける思想でもあります。
儒教が政治的に見れば上流階層のための学問であるのに対して、法家のそれは独裁君主ただ一人のためにある思想と言え、秦を含む歴代の王朝とその君主は、どちらに多くの比重を置くかでその政策が特徴づけられていました。
どちらにも共通して言えるのは、現代的な意味での「法の支配」などは念頭に無い、ということです(もともとこれは西洋思想の訳語であり、中国の政治体制に当てはめてしまうのが間違いなのですが)。
「法の下の平等」などとは根本から認めていない、というか認めてしまえば破綻するのが、法家の論理なのです。
この思想の到達点として、「韓非子」は、君主の独裁を阻むあらゆる要因(国外の人間のみならず、臣民のほとんど)を害虫と断じました(本当に害虫と書いています)。
言うまでもなく行き過ぎであり、これを現実政治に適用する国など出ようはずもありませんでしたが、これを読んで涙を流すほど感動する人物が、当時すでに他国を圧倒し、滅ぼしかけている国家の君主であったことが、他国の(あるいは秦にとっての)不幸でありました。
勘違いしがちなのは法家の説いた『法治主義』と
ドイツ(大陸)法学の概念『法治主義(※)』が
日本語では全く同じ文字で(当然全く違う概念(^_^;))あらわされている点かもしれませんね
法家の思想の神髄は『法』そのものよりむしろ『法を使った統治術』にある(この意味では矛盾するようだが君主においては『法』さえも恣意的に運用することが許される。一番具体的にわかりやすいのは『君主にだけは法は適用されない』という原則)と言え
ご指摘のように近代的な意味での『法を用いての社会規範作り』とは目線が違うんですよね(;´Д`)
むしろこの意味では法家の思想を敢えて西洋政治的概念で捉えるなら
法家の意見は『(西洋での)法治主義』よりむしろ『絶対王政』化への主張と見なすことができるかもしれません(春秋時代までの各国貴族層を中心とした調整型の国家運営から君主を頂点としたリーダーシップ型の国家運営への転換の主張)
この意味で韓非子などは『東洋のマキャベリ(マキャベリズム)』などと表現されることがありますが
意味的にはそうなのかもしれませんがこれを聞くたびに私などは「韓非のほうが1500年以上先に生まれてるのになあ」とは思います笑(どうでもいいw)
※ドイツ法学でいう法治主義はむしろ上記『絶対王政』へのアンチテーゼ、つまり統治者の行動の無制限化を戒める(『議会』におて成立した『法律』の根拠を求める)概念である点が皮肉と言えば皮肉ですね
平たく言って中国法家の法治主義→君主のフリーハンド化を推進
西洋近代の法治主義→君主のフリーハンド化を制限
という実は真逆の概念なんですよね
余談ですがまあこの西洋の『法治主義』も「悪法も法なり」の言葉があるように
かつては「法律さえあればなんでもあり」という状態(形式的法治主義)に陥ることもあったわけですが・・・(^_^;)
馬○と阿○は
同じ時代に出来たんだな。(´・д・`)
しかしここから以降で何度も統一と反乱が繰り返すことになるけどね
なので地政学的に欧州よりもアジアの発展が遅れた一因になる
万里の長城、東京五輪のボランティアで草。
ーコメだ、霊夢と早苗じゃないよ
聞き心地悪すぎてすぐ見るのやめたわ
まあ、時間を守れない様ないい加減なやつは現代でも4Kでしょうがないと思うが。(笑)
いやいやいや、China
は、支那、シーナー、チャイナになまったんだよ
秦の時代まで遡って略すわけないだろ
支那は仏典の「チーナ・スターナ」の音写とされますが、このインドのチーナがフランス語のChine(シン)、英語のChina(チャイナ)の元になっています。漢字による支那が先というより、インドによる中国の呼び名が先ですね。
そして、現代ヒンディー語では秦も中国もचीन(チーン)です。言葉から明らかですが、説としてもチーナは秦からきているとされています。