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岡本太郎「芸術は爆発だ!」徽宗「芸術で(国が)爆散したw」
デイダラに爆破してもらえば泡吹いてぶっ倒れるんじゃない笑笑
皇帝にさえならなければここまで悪名高くなる事もなく皇族芸術家として生涯を閉じれたのかなと
彼は皇帝になるべきではない人でしたね。
皇帝にならずにただ絵を描いていれば、「国宝級の絵画を遺した芸術家皇族」として尊敬されてたでしょうね。
@@Tanaka-Kakeru 曹植「俺後継ぎにならんで正解やったな・・・。」
@@こっとん100-d3w さん そうですね。でも、もう少し権力の座から遠のいた方が良かった気もします。
足利義政(せやな)
徽宗は暗君というより、生まれた家を間違えた…って感じだよなぁ。芸術家の家に生まれれば素晴らしい芸術家になったのに。
「芸術に必要だから」って人の家の庭に盗みに入りそう。
最後の時まで自分の事しか考えてなかったから…幸せだったんじゃないかな
ジョンの愚行も徽宗の愚行も本来王になるはずだった人物(ジョンなら獅子心王リチャードの兄)が後継者を残さずに死んだ結果起きた悲劇なんだよな…
徽宗は芸術家タイプの人間であり、組織の中で役目を果たすというより、他者とできるだけ関わらず個人一人で何かをやるタイプ。一国の皇帝という巨大な組織のトップにしてはいけないタイプの人間だった。なんという事だ。なお、徽宗は暗君に間違いないが、それ以前に宋の軍が周辺異民族の軍に対してあまりにも弱すぎるという致命的な問題があり、それが北宋滅亡の一つだと思う。ちなみに、「最終的にモンゴルに全部食われるからどうでもいい」というのは禁句だぞ。
でもモンゴルて防具も立地もガチガチの島津の源流みたいな蟲毒を生き抜いた奴ら(当時の日本)に喧嘩売ったよね。
北宋が軍閥による相次ぐ政変と異民族も交えた乱闘の中で産まれた王朝だから仕方ない。軍人に権力や軍事力を持たせると政権を簒奪されるという経験則からの結論だから。
こいつと言いネロといい、権力者なんてしないでアーティストとして生きていたら、また別の評価があったかもなあとコンモドゥスあたりも軍人として生きてたらそれなりに武功を残していたかもしれないな
金も漢化の運命は免れず後代に柔弱になりモンゴルに滅ぼされるわけだが、後代の金の皇帝の中にはこの徽宗を文化芸術の偉大な先人として敬う者もいたという。徽宗の暗君さは、時限爆弾となって金すら滅ぼしてしまったのかも知れない。
宿敵を弱らせ滅ぼすなんて名君ですね!(宋も長くない頃効いてきても手遅れですが。。。)
徽宗が皇帝に選ばれた時とある大臣が「あんな遊び人を皇帝にしたら国が亡ぶぞ」と言ったそうな。
遊び人でも周りがしっかり手綱を握って暴走しないようにすれば国は何とか治まるもんだが、独りよがりな奴は耳に痛い事をいう奴を遠ざけるからね。
絵は本当に巧かった・・・兄が皇帝の地位に就いていたならば、偉大な芸術家として歴史に名を残していたかもしれない。
22:36 女真族は激怒したワク(゚∀゚)ワク22:37 かの暴虐邪知な宋を除かねばならない!キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
徽宗は芸術に没頭する一方で、事あるごとに自ら詔を書いて各役所などに直接命令し、三省や枢密院が異議を挟むことを認めず、その実施の遅滞は厳罰に処したとされている。まだ芸術に夢中になっているだけの方がマシだったかもしれない。
靖康の変で連れ去られた人ってイメージしか無かったけど、詳しく知ると色々びっくりするなぁページが足りないのは分かるけど、歴史の教科書でもこんな風に出来事だけじゃなく人物についても詳しく書いてくれたらもっと勉強楽しいだろうな〜
今回の動画も面白かったです!徽宗は芸術家としてのイメージが強く、中華史上の暗君と言われると、明朝の万暦帝が一番に思い浮かぶという感じだったのですが、詳しく見ると、これだけ王朝滅亡に直結している暗君の例も珍しく、とても納得でした。最後にランキング一桁台かもしれない人物が少しだけ登場しました。楽しみです!
一番かわいそうなのは息子の欽宗 父ちゃんのしりぬぐいさせられてたのに、金に拉致された後、弟の高宗が即位してしまったので帰国もできなかった。
徽宗が姫君の呼称を「公主」から「帝姫」に変更したという話を聞いて、本当に生まれる時代間違えたなーと思いました(小並感)
久しぶりに正しい使い方を見た気がする。動画見ながら頭の中でシンクロしたわ。
弁護できるポイントが一切ない混じりっけなしの暗君だった
そして、最後に登場する最強の男。
徽宗皇帝。解説して欲しかったやつです。水滸伝と絡めてくれたりしてとても楽しかったです。
徽宗は皇帝というより芸術家のイメージの方が強い皇帝にならずに皇族で政治に関わらずに絵を描いて居たら“暗君で芸術に造詣の深かった皇帝”ではなく“素晴らしい芸術家”になっていたのではないか
全面的に肯定。帝位にさえ就かなかったら…。徽宗の絵画には国宝級のものがいくつもありますからね…。贅を尽くすにしても絵画なら紙と筆、画材くらいに限られます。ただの「遊び人の皇族」で済んだでしょう。
彼は納得のいく作品を作ることしか頭にない、生粋の芸術家だったのでしょう。結果として、彼はたくさんの芸術作品を残しましたが、現実の政治や経済は混乱を極めました。
@@thor0610102 実際有名な“桃鳩図”は贋作とも代筆とも言われているが日本で国宝になってるますからね
花石鋼のエピソードで『massive damage』を流す抜群の選曲センスよ。
なるべき職業を間違えた男
徽宗は政治や経済という、彼が心底どうでもよいと思っていたことを仕事にしてしまいましたね。
そういう意味では徽宗も皇帝というやりたくない仕事をやらされた可哀想な男なのかもなぁ
徽宗は当時、世界一の大富豪だったはず。「中華の経済力と文化力はせかいいちぃー。」と胸を張って言えると思う。
宋の経済発展の最大の理由は「経済の中心である南部の開発が進んだから」なんよ。中国は昔から「政治や軍事は北、経済は南」で、煬帝の大運河や、紅巾の乱の後すぐにモンゴルが北へ撤退の理由も「南の経済力がないと北はやっていけなかったから」らしい。後、文化や経済は発達したが、北方騎馬民族の家臣やお妾さんとして「漢民族の皇帝一族が強制連行」されてるから、今でも中国では「屈辱の時代」だよ。
@@てっちゃん-t1k様。その江南も花石鋼と、方臘の乱でボロボロになったんだよなぁ(;´д`)
@dsa 「金で買う平和は長続きしない」ってちょっとは学べよって思う。北朝鮮みたいなのもそれはそれで困るが。
かと言って軍人に力を持たせると軍閥化し最後は政権を奪われるのが北宋までの王朝交代の歴史。江南が生み出す莫大なGDPは産業革命に至るまでは世界一だったから「カネで平和を買う」が出来た。絹に茶と陶器に高度な文化と異民族が欲しくても生産出来ない物品が中華にはいっぱいあった。
解決金や保証金を奪われる相手なだけではなく、このかねで農作物、工芸品を消費してくれる客でもあったいったん北に金はわたるが商取引で南に還流してきた経済が周り民は蓄財でき国に税金もはいる
霊:失礼な、芸術の為の犠牲だ早:やかましいわに笑った
なんか最近、暗君レベルの紹介がボジョレーヌーボーの紹介みたくなってるな。いいぞ。
暗君のロマネコンティはやはりヘリオガバルスだな。どんな歴史嫌いでも彼の説明を聞いたら一生忘れられないぞ
@@聡福地 同意。最高品質の暗君は満場一致で彼だ。
@@聡福地 さん 個人的にヘリオガバルスは人間としては絶対に関わりたくない人ですが、自国の指導者としては苻生とかポル・ポトとかの方が嫌ですね。意味不明な理由でいきなりKOROされる訳ですから。
@@Tanaka-Kakeru 無能な働き者は困るって言いますしね(°°;)ポル・ポトはその極み。暗君の最強はポル・ポトかも…。その点この皇帝は働いてない無能なのに、こんだけ被害出すとは…。
@@4339ゆうちゃん さん ポル・ポトは明らかに無理なことを理想にするような無能な人でした。しかし、たった三年足らずで理想の実現の一歩手前まで持っていくような有能な人でもありました。 その結果として、地獄すら生ぬるいような国がカンボジアに出現しました。ポル・ポトのやらかしのせいで現在でもカンボジアはアジア最貧国の一角となってしまいました。
ネロもルートヴィヒ2世も足利義政も、芸術家が権力の頂点に立つとろくなことにならないね。
フェリペ4世も権力を得てしまった芸術家ですね。
源実朝は北条政子や義時の傀儡だったが、権力を握ってたらヤバいことして自滅したかも。後鳥羽上皇の承久の乱が成功したかもしれない。
@@evolutiongmr7389 さん 源実朝は権力を持たなかったために、幸せに過ごせた人ですね。
実朝が殺されたから承久の乱が起きたと思うのだが
しかも描く絵画は後世、国宝級の扱いを受ける、という…。政治的才能のなさ、奸臣が幾人もいる。いくつもの意味で突き抜けていて草。
痩金体とかいう超絶かっこいい書体を生み出したから嫌いじゃないんだけどねぇ。これがあの趙匡胤の100年ちょっと後の人物なんだからなぁ…
痩金体最高ですよねぇ。徽宗は書道においても絵画においても中国では代表的人物の一人だ。文学的才能が極めて高かったが亡国の君主になった南唐の後主と同じように、暗君というより生まれる家を間違えた不運な文学・芸術の天才というイメージがずっと強いです。
宋は知識人を大切して技術を高めて経済を向上させて国を豊かにした国なのにな。徽宗という暗君のせいで酷い目に遭うとは、舵取り役が酷いと何もかもが酷くなるな。趙匡胤のような名君は何度も出てくる訳が無いから仕方が無いとはいえ、国民が辛い目に遭うから酷い話だわ。
いつの時代でも無能な指導者の割りを食うのは国民ですね。
豊臣秀吉のクラスアップ先が朱元璋足利義政のクラスアップ先が徽宗
武烈天皇(日本書紀)のクラスアップ先が苻生ですね。
@@Tanaka-Kakeru 綏靖天皇(日本書紀)のクラスアップ先が張献ち…なんでもない。
@@yupoz8224 さん この天皇、伝承が事実なら中々に酷い人ですね。今までは、日本の天皇の中で武烈天皇がぶっちぎりで恐ろしい人だと思っていましたが、この人も大概恐ろしいですね。
性の喜びおじさんのクラスアップが海陵王1日一善おじさんのクラスアップが孔子君の名は。のクラスアップが北京原人who are you
足利義政は近年の研究では結構真面目に政治に取り組んでいたようですね。
どんどん最低を更新していくスタイル
下には下がいる
最下位決定トーナメントやはり優勝は魏忠賢か?
最悪なタイミングで外敵と戦うと、どういう事になるかといういい例ですね。日本は元寇が100年早くても反対に100年遅くても大変な事になっただろうと思う。
今の日本に必要なリーダーは、「北条時宗」のようなカリスマかもしれない❗(笑)
ヘプターキー時代でなきゃバイキングをイングランドはぬっ殺せてた
芸術に傾倒してる人物が本人の望みと反して権力者になってしまうとダメなやつですね
ちなみに徽宗が作った痩金体はいまだにフォントとして使われてたりする・・・。
芸術家としては本当に超一流なんですよね。芸術家としては。元々皇帝になってはダメな人なんだけど、時代も悪過ぎました。
瘦金体は細字だけど刻石のような力強さがあるね。彼の書画を観ると超1級の芸術家なのは間違えないです。
痩せる金の体なのに、金王朝は太った(/・ω・)/
曹植みたいに皇帝なんぞにならなければ、普通に芸術家として歴史に名を残したんだろうけど……チンギス・ハーンの名前が出てきましたが、その前に「抗金の名将」が出てきていないので、次回は岳飛や韓世忠と秦檜の話からかな?
芸術センスに優れた暗君。足利義政みたいなもんか。スケールが違うけど。
その結果がどうであれ義政は将軍としての仕事はちゃんとやってる。周囲の人間のキャラが濃いから却って影が薄くなる典型
徳川家治も世俗ごとが嫌になって将棋などに夢中でしたけど、江戸幕府は機構がしっかりしたから将軍が有能、無能にかかわらずシステムとしてはそれなりに動いたんですよね。ただ、中国と違って日本は島国で基本孤立しているから外交を気にしなくて済んだという側面もありますが。
@@宴は終わったが 立地もいいけどわりと民族的に狂犬よりよね日本て
@@宴は終わったが カリスマを失っても機能し続けるシステムを作った家康はホントにスゴい
@@宴は終わったが 教科書でそう教えているのでしかたないのでしょうが、日本は鎖国していて誰の脅威も感じずのーんびり遊んでいたというイメージは実際とまったく違います。ロシアの脅威と必死に対抗してますよ(まあ唐突に朝鮮に進出した邪悪な日本帝国!という現代史のストーリーにするためになんでしょうが・・・)
絵や書で筆を走らせるとどうなるかは読めるのに、政治的局面は読めなかった男
そもそも彼は政治的局面など読もうとすらしていないですね。
ただ芸術家な暗君であったのではなく、増税、強制労働、めちゃくちゃな外交、逃亡などかなりの暴君でもある神宗の息子ってのがまた…なんか残念
暗君も暴君も英雄も、少年漫画レベルでインフレが起こってて草まさに事実は小説よりも奇なりだな
徽宗とチンギスの眼力が違いすぎw
徽宗の真筆と伝えられる院体画の傑作の一つ、桃鳩図は日本の国宝に指定されてますね。
書家としても画家としても類稀な才能を持っていたので、皇帝にさえならなければ高名のみ残っただろうに。新法の改革が成功して国力が回復して、それなりの人物が帝位に就いていれば、河北も失う事もなかったのでは、と思うと残念でなりません。
そうですね。ここまで悪いことが重なってしまって国家滅亡って、当時の中華はどれだけやばいんだよって思います。ちょっと前まで王安石っていう良臣がいたのに、気がつくと政治の中心に悪臣が蔓延って帝は悪臣に振り回されて、それにも気づかないで、やりたい放題…この時代の民は散々だったんだろうなぁ〜と。そりゃあ水滸伝みたいに反乱分子も生まれますよ😭
なるほど・・・しかし王公貴族の生活だからこそ芸術センスを発揮できたとも考えられます。生活に追われる人には無理なレベルです。欧州のニュートンとかも仕事はほとんどしていませんし。
徽宗字もクソうめえ
君主としては究極の暗君。芸術家・書家・文筆家としては中国史上最高峰の墨跡は国宝のひと。マジで評価に苦しむ人物。ちなみに悪人の一人「童貫」も書家としては一流。
童貫は宦官なのに髭があり、筋骨隆々で愛人たくさん抱え、芸術家としても軍事的才能もあるとぶっ壊れな人物ですよね。…どうなってんだ、童貫。
時代による芸術家としての評価の変遷はありますが、蔡京も書家として卓絶し独自の書体を確立してるでござる。 董貫も書家だったのは初耳ですが、蔡京と仲がよかったから案外共通の趣味だったのやもでござるな。 なお、蔡京は一度は失脚してますが、董貫の根回しで復活したという逸話もあり、二人の仲のよさないし、政治的な盟友として認めていた証拠と見ることもできるかと思うでござる。一つの考えということで
科挙が漢詩だから仕方ないのかなぁ
水滸伝から入ったから、童貫はすごくて、高求?・蔡京はクズのイメージ。特に高求のクズさはどうしようもないくらい。
@@ルレックス 愛人がいてもなにするんだ?
水滸伝の時の皇帝だな高求を切れ
芸術的才能は政治的手腕とは反比例する…徽宗がその一番いい例なんだろうね。
5:18 楊ぜんて 封神演義にもでてませんでした?あっちはイン末ですけど 漢字がおなじなような気がする
高宋「おかげで皇帝になれました」(/・ω・)/孝宗「おかげで本家に帝位を戻すことができました」(/・ω・)/
徽宗だけでなく金も全力で煽っている南宋初代皇帝と第二代皇帝( ^ω^)・・・。
少しだけ徽宗のために弁護するとしれば、そもそも北宋のしくじり(当時はやむを得なかったとしても)は五代十国の軍閥政治への反省から文治に片寄りすぎたこと。北宋の経済を困窮させたのは軍隊の維持に多額の費用がかかったという側面もある。徽宗本人も一応、即位の際は筆を折って政務に臨もうとしたというエピソードもある。また蔡京も何度か罷免している。まあ、それらを斟酌してもすぐに堕落して桁違いにしくじっているには違いないんだけど…
一ヶ月後ぐらいには暗君ランキング更新されそう
足利義政と比較するコメントが多いですが、近年の研究では足利義政は芸術かぶれの暗君ではなく、自ら政治を行っていた評価がありますね(当然、明君英主であった訳では無いが)。欽宗によって開封に連れ返された理由に、逃亡先で自立しようとしていた気配があった為だとあった…
現在の研究では徽宗は政治に意欲を持った英邁で筋通った君主であった事が判明しています。足利義政は政治に意欲があったが方針がぶれまくった為、中途半端というより最悪な方向へ事態を進めてしまった君主といえます。(尤も家臣との権力の綱引きばかりを強いられている状態では仕方が無いのかもしれませんが方針のぶれがありすぎるのはいかによくないかがよくわかる例かと)
政治的プロパガンダに土の中から出た青銅器使おうとしてたのはマジ先進的過ぎ
後ろの黒い棒(?)が邪魔で歩きづらそう
諸星大二の漫画に出ていたよね、徽宗。
中国にいた時、靖康の変に関する映画を見たけど徽宗の無能さと女性達の悲劇がよく描かれてました。
中国人にとっては「騎馬民族の家臣筋・風下」だから屈辱の時代だったでしょうね。余談だけど、現代は「徽宗そのもの」の「現実には無関心だが、芸術や趣味には金つぎ込む金食い虫」でありながら「女性を蹂躙される側」ではなく「する側」になろうとする困ったちゃんもいる(もっと言うと「許される」)稀有な時代でもあります。
出てくるワードの「西夏」「金」「チンギスハン」などを見ているとかの名作「シュトヘル」を思い出しますねぇ…作中に出ていた「かつて西夏はモンゴルだったのだ…」という台詞が浮かびます
読めそうで読めない西夏文字\( ˆoˆ )/
早苗の「すぐに就職が決まりそうだ」という現在の視点からのつっこみとか、新キャラでは随分減った気がするけど増やして欲しいなぁ
無能でも暴君でもない暗君……中堅領主、地方の金持ちぐらいに生まれりゃ、その才能も害なく生かせただろうに
ピカソにバスク族解放戦線のリーダーやらせるくらい無茶苦茶ひょっとしたらピカソみたいに左右が大人になってもよく分からないくらいの異能の人だったかも
史上最悪多すぎ問題・・・
為政者としては最悪レヴェルだけど、よくいえば芸術家としてのスキルにパラメータが全振りしちゃったんだろうね。日本にある桃鳩図なんて最高でしょう。間違えなく徽宗は芸術家としては当代随一の大芸術家でしょうね。
蔡京も勉強と芸術にパラメーターを全振りした人ですね。かわりに、人間性と政治力はマイナスになってしまいましたが。
@@Tanaka-Kakeru 皇帝にならなければこんなふうな不名誉な形には終わらなかったのにただ皇帝だからこそできた芸術ですかねえあの手の芸術というものは
@@fp8937 さん 確かに皇帝でなければ作れなかった作品はあったかもしれません。しかし、納得のいく作品を作ることを現実の政治や経済よりも重視する生粋の芸術家だった彼は絶対に皇帝になってはいけない人だったと言えるでしょう。
為になりました!
正しい暴虐邪知の使い方w
2:42 改革派は根絶やしは言い過ぎかとおもいます石刻遺訓もあり、地方左遷や中央政界改編はあっても本人やかぞくの命までは王安石と司馬光は書簡やりとりしてたとか、蘇東坡は地方勤務を彼なりに楽しんでたとかなど
あんな遊び人を皇帝にしたら大変なことになると言われて本当に大変なことになったという。絶対に国家元首にしてはいけないタイプですね。芸術家なら本当によかったのに。
全然関係ないけど1分からの音楽好きだから教えてほしいです
ジョン王やムハンマド2世もそうですが、絶対に敵に回してはいけない人をわざわざ敵に回して自滅するというのは駄目ですね。そんな自滅行為に巻き込まれる国民としては迷惑でしかないですね。
「悪政の最たるは増税」我が国の宰相にも聞かせてあげたいですな。
???「 検討させていただきます」
何でもかんでも岸田にこじつけて叩いてそう
まーた始まったよ…
徽宗は曹魏文帝の弟、曹植になれたら良かったのにね。…兄嫁にゾッコンとか、兄に殺されそうになって才能で生き延びたとか、変なエピソードあるけどさ。
曹一族もアレはアレで大変ですけどね
なんで宋には中華最高の名君と最低の皇帝がいたのか、、、
あまりにも極端ですよね。ここまでゼロから100かみたいなことってあるんですねwww
高宗がキソウの帰還を望まなかったのはこういうことか。
優しそうな顔しやがって
洗衣院…。それなんてエロゲ?みたいなことが現実にあったという衝撃。
海陵王とヘリオガバルスは現実の皇帝とは思えないレベルですよね。
10歳未満の子供もやらされてたみたいですねあと妊娠したら殺されたり
皇女とやれるということで、港には人の往来が絶え間なく続き、洗衣院には将兵が殺到したそうです。一部の貴女は陵辱に耐えかね入水自殺している。高宗の母である顕仁皇后は、陵辱に耐え、男子を二人産まされますが、生き延びて、開放されて南宋に戻っています。
@@seikohs00 エロゲー「黒獣」の奉仕国家は実在したんだな。
モンゴル最強の敵が南宋だったと言うのが皮肉。
南宋に淮河や長江がなかったら西夏やホラズム以上にあっけなく潰されたでしょうがw
これ、しくじり皇帝じゃなかったら北伐で燕雲16州取り戻すか、外交で圧力かけて領域取り戻してあとは遼と金をうまく争わせて対抗したと思うんだが1000年に1人のしくじりはやっぱレベルが違うぜ
そういえば遼金宋の三国志コースも有り得たのか(どうせ全部モンゴルに轢き潰される、ってのは置いといて)
海陵煬王はランスの大先輩です。お勧めします。
ホノリウス→鳩にエサあげてたらローマが消し飛んだ笑笑 🕊失地王ジョン→なんやかんや鼻ほじってたら土地が消し飛んだ笑笑徽宗→芸術に全てを捧げたら国が消し飛んだ笑笑 「みんな芸術のため市んで笑笑」万暦帝「俺忘れてない」
崇禎帝「悪辣な臣下の粛清しまくってるうちに気付いたら国が消し飛んだ件」
皇帝じゃなくて画家になった方が良かったよこれじゃ画家と言うより馬鹿だなぁ
画家になれる程の暗君 VS 美大落ちの独裁者
日本にも芸術に傾倒した将軍がいますな。室町幕府八代将軍足利義政…。
@@黒川雄平 朝倉義景とかもその部類に入ってそう
芸術と世界史は不可分🤔?
@@Naganosuke_ticklesuki まともに大名できてる例だと伊達家や細川家が
19:00 オリンピックのために税金を払っているのではない
芸術と退廃は紙一重…
私が大学で東洋史の先生に聞いた話では王安石の改革は復古的で現実離れした旧貴族層優遇策で採用したらもっと酷いことになったとも、司馬光は新興地主層の取り込みを主張して宋の人材入れ替えを図ったそうです。
ビスコンティ監督作品の『ルートヴィヒ』を思い出しますねぇ。作品のルートヴィヒ2世は、美化されていましたが。増税は最大の失政、、、財務省は分かっているのかな。
皇帝にさえならなければ偉大な芸術家として後世に伝えられただろうに・・・
徽宗的藝術造詣在曆朝歷代皇帝中堪稱一絕
李煜「わしは許されたな」
王莽とどちらが最低ですか?
こう考えると、清朝の皇帝は割と優秀な人が多く、中国史的には例外な王朝だったんだな。
風流天子の回ですな
金すら前座とするあの男がついにくるか。
欽宗は弟(高宗)に帰国を拒否された。帰国すると弟の地位が無くなるからである。金が南宋を滅ぼしたかったのなら、欽宗を帰国させて内紛を起こさせる事が最も効果があったかもしれない。しかし、欽宗の下で団結してしまうと元も子もないので保留した。
水滸伝懐かしい
徽宗がマシな君主だったら、もう少し北宋は悲惨な末路を迎えなかったのにね。そうそう、次は岳飛と秦檜ですかね(できれば、公平な話をお願いします)チンギス・ハーンも楽しみにしております。
徽宗·欽宗の親子関係を見ると、三国志の劉禅·劉諶(←は一家心中)のそれと重なる感じがします。国を末期に持って行った父と末期という現実を見ずに自爆した息子(尚、火力はチャオズ並み)。もしかしたら、三国志演義や平話など元となった書物の作者は、劉禅親子を徽宗親子に当てはめたのかも知れませんね。
1:07から流れる曲って何ですか?
刀伊入寇から元寇の流れの一部がなんとなくわかった気がする
芸術家肌の人ってそれ以外はポンコツだったりするからな…w
徽宗を知ったのはコーエーのゲーム水滸伝・天命の誓いチンギス・ハーンを知ったのは同じくコーエーの蒼き狼と白き牝鹿そして完顔阿骨打を知ったのは女真族という同人サークルの同名のエロ漫画家さんだったなあ
嘆きの健康優良児。
まぁ、名君と言われる李世民も王羲之コレクターだからな。
足利義政も、みんなイメージする日本文化を大成させた天才的美的センスだが、類い希な暗君ですよね
画才はガチ中のガチだからなあ…中高の美術の教科書で"作者"として名前の出てくる君主なんて、恐らく古今東西徽宗位のもんなんじゃねえの?(大抵『桃鳩図』やね)
まさしく東洋の美術を代表する人ですね。本人は全く政治に興味がなかったにもかかわらず、政治に関わってしまったのが本当に悔やまれますね。
@@Tanaka-Kakeru まあでも皇帝でなければあんな常軌を逸…ゴホンゲフン贅の限りを尽くした美術的収d…ゴホンゲフンパトロネージはでけんかったでしょうね。あれだけの乱を経て尚出がらしのように残って流れ流れた残滓中の残滓が日本で国宝として扱われる位ですから。
@@yupoz8224 さん 確かにそういう面もあるでしょうね。ただ、納得のいく作品さえ作れるならば、国の政治や経済などどうでもよいと思っているような浮き世離れした芸術家が皇帝になったのは本当に残念なことだと思います。
政治には興味が大いに有ったんだよ。困った意味でね。官僚が好きな絵だけ描いてろって意見したら朕の手書き命令書しか認めんぞって言い出すくらいにね。
靖康の変というリアルオーク案件
これ君主が優秀からサイケイも優秀だったんじゃ?
酷吏としては優秀でした蔡京は。今風に考えれば、お役人が税収調査で詐欺したり、自動車税、通勤しただけで税をとられる。それでいて社会福祉がまったくなく、国民への還元がまったくない。 そんなわけだから、真面目に働くより、食っていけないから強盗や盗賊になった方がいいというレベルでござる。
連行された徽宗の娘たちは金の男性皇族との間に子供を設けた。この血筋は女真族の名門と婚姻を重ねて存続。愛新覚羅氏は徽宗の末裔だという言い伝えがある。乾隆帝の時代なら確実に徽宗の末裔でもある皇族がいただろうね。徳川家も幕末には皇室の血を引く将軍が誕生したし。宋の皇室趙氏の子孫・金の皇族完顔氏の末裔と愛新覚羅の一族はいずれも中国に健在。彼らのDNA鑑定を大規模に行ったら面白い結果が出そうだ。伊爾根覚羅氏という名族が徽宗の末裔を自称しており、維基百科の伊爾根覚羅の項目には徽宗の肖像画が掲載されている。日本語のwiki伊爾根覚羅氏の項目では一族の著名人が紹介されていて、清朝の時代に高官と皇族妃を輩出しているのがわかる。
徽宗は皇帝にならなければ、芸術で名前残せたかもなぁ。本人もそちらの方が幸せだったかも。
暗君かどうかと言えば暗君だろうけど、徽宗については生まれる家を間違えたという側面が強い。絵画や書道、庭造りなど芸術全般において極めて優秀でありながら、政治には全く向かない亡国の君という意味では、世界クラスの文学的才能の持ち主だが政治のことをまるで分からなかったが南唐の後主(李煜)と全く同じで、特に古来より文学・芸術を非常に重視している本場中国では、二人とも皇家に間違って生まれた不幸な天才として同情され、彼らを非難する言説は少ない。徽宗も後主も、士大夫の家に生まれていたら、全く違う人生を歩んでいただろう。実に気の毒であった。
契丹→女真→蒙古。目まぐるしい玉突き。
岡本太郎「芸術は爆発だ!」
徽宗「芸術で(国が)爆散したw」
デイダラに爆破してもらえば泡吹いてぶっ倒れるんじゃない笑笑
皇帝にさえならなければここまで悪名高くなる事もなく皇族芸術家として生涯を閉じれたのかなと
彼は皇帝になるべきではない人でしたね。
皇帝にならずにただ絵を描いていれば、「国宝級の絵画を遺した芸術家皇族」として尊敬されてたでしょうね。
@@Tanaka-Kakeru 曹植「俺後継ぎにならんで正解やったな・・・。」
@@こっとん100-d3w さん
そうですね。でも、もう少し権力の座から遠のいた方が良かった気もします。
足利義政(せやな)
徽宗は暗君というより、生まれた家を間違えた…って感じだよなぁ。芸術家の家に生まれれば素晴らしい芸術家になったのに。
「芸術に必要だから」って人の家の庭に盗みに入りそう。
最後の時まで自分の事しか考えてなかったから…幸せだったんじゃないかな
ジョンの愚行も徽宗の愚行も本来王になるはずだった人物(ジョンなら獅子心王リチャードの兄)が後継者を残さずに死んだ結果起きた悲劇なんだよな…
徽宗は芸術家タイプの人間であり、組織の中で役目を果たすというより、他者とできるだけ関わらず個人一人で何かをやるタイプ。一国の皇帝という巨大な組織のトップにしてはいけないタイプの人間だった。なんという事だ。
なお、徽宗は暗君に間違いないが、それ以前に宋の軍が周辺異民族の軍に対してあまりにも弱すぎるという致命的な問題があり、それが北宋滅亡の一つだと思う。
ちなみに、「最終的にモンゴルに全部食われるからどうでもいい」というのは禁句だぞ。
でもモンゴルて防具も立地もガチガチの島津の源流みたいな蟲毒を生き抜いた奴ら(当時の日本)に喧嘩売ったよね。
北宋が軍閥による相次ぐ政変と異民族も交えた乱闘の中で産まれた王朝だから仕方ない。
軍人に権力や軍事力を持たせると政権を簒奪されるという経験則からの結論だから。
こいつと言いネロといい、権力者なんてしないでアーティストとして生きていたら、また別の評価があったかもな
あとコンモドゥスあたりも軍人として生きてたらそれなりに武功を残していたかもしれないな
金も漢化の運命は免れず後代に柔弱になりモンゴルに滅ぼされるわけだが、後代の金の皇帝の中にはこの徽宗を文化芸術の偉大な先人として敬う者もいたという。
徽宗の暗君さは、時限爆弾となって金すら滅ぼしてしまったのかも知れない。
宿敵を弱らせ滅ぼすなんて名君ですね!(宋も長くない頃効いてきても手遅れですが。。。)
徽宗が皇帝に選ばれた時とある大臣が「あんな遊び人を皇帝にしたら国が亡ぶぞ」と言ったそうな。
遊び人でも周りがしっかり手綱を握って暴走しないようにすれば国は何とか治まるもんだが、独りよがりな奴は耳に痛い事をいう奴を遠ざけるからね。
絵は本当に巧かった・・・兄が皇帝の地位に就いていたならば、偉大な芸術家として歴史に名を残していたかもしれない。
22:36 女真族は激怒した
ワク(゚∀゚)ワク
22:37 かの暴虐邪知な宋を除かねばならない!
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
徽宗は芸術に没頭する一方で、事あるごとに自ら詔を書いて各役所などに直接命令し、三省や枢密院が異議を挟むことを認めず、その実施の遅滞は厳罰に処したとされている。まだ芸術に夢中になっているだけの方がマシだったかもしれない。
靖康の変で連れ去られた人ってイメージしか無かったけど、詳しく知ると色々びっくりするなぁ
ページが足りないのは分かるけど、歴史の教科書でもこんな風に出来事だけじゃなく人物についても詳しく書いてくれたらもっと勉強楽しいだろうな〜
今回の動画も面白かったです!
徽宗は芸術家としてのイメージが強く、中華史上の暗君と言われると、明朝の万暦帝が一番に思い浮かぶという感じだったのですが、詳しく見ると、これだけ王朝滅亡に直結している暗君の例も珍しく、とても納得でした。
最後にランキング一桁台かもしれない人物が少しだけ登場しました。楽しみです!
一番かわいそうなのは息子の欽宗 父ちゃんのしりぬぐいさせられてたのに、金に拉致された後、弟の高宗が即位してしまったので帰国もできなかった。
徽宗が姫君の呼称を「公主」から「帝姫」に変更したという話を聞いて、本当に生まれる時代間違えたなーと思いました(小並感)
久しぶりに正しい使い方を見た気がする。動画見ながら頭の中でシンクロしたわ。
弁護できるポイントが一切ない混じりっけなしの暗君だった
そして、最後に登場する最強の男。
徽宗皇帝。
解説して欲しかったやつです。
水滸伝と絡めてくれたりしてとても楽しかったです。
徽宗は皇帝というより芸術家のイメージの方が強い
皇帝にならずに皇族で政治に関わらずに絵を描いて居たら“暗君で芸術に造詣の深かった皇帝”ではなく“素晴らしい芸術家”になっていたのではないか
全面的に肯定。帝位にさえ就かなかったら…。
徽宗の絵画には国宝級のものがいくつもありますからね…。
贅を尽くすにしても絵画なら紙と筆、画材くらいに限られます。ただの「遊び人の皇族」で済んだでしょう。
彼は納得のいく作品を作ることしか頭にない、生粋の芸術家だったのでしょう。結果として、彼はたくさんの芸術作品を残しましたが、現実の政治や経済は混乱を極めました。
@@thor0610102 実際有名な“桃鳩図”は贋作とも代筆とも言われているが日本で国宝になってるますからね
花石鋼のエピソードで『massive damage』を流す抜群の選曲センスよ。
なるべき職業を間違えた男
徽宗は政治や経済という、彼が心底どうでもよいと思っていたことを仕事にしてしまいましたね。
そういう意味では徽宗も皇帝というやりたくない仕事をやらされた可哀想な男なのかもなぁ
徽宗は当時、世界一の大富豪だったはず。「中華の経済力と文化力はせかいいちぃー。」と胸を張って言えると思う。
宋の経済発展の最大の理由は「経済の中心である南部の開発が進んだから」なんよ。
中国は昔から
「政治や軍事は北、経済は南」で、
煬帝の大運河や、
紅巾の乱の後すぐにモンゴルが北へ撤退の理由も
「南の経済力がないと北はやっていけなかったから」らしい。
後、文化や経済は発達したが、
北方騎馬民族の家臣やお妾さんとして
「漢民族の皇帝一族が強制連行」されてるから、
今でも中国では「屈辱の時代」だよ。
@@てっちゃん-t1k様。その江南も花石鋼と、方臘の乱でボロボロになったんだよなぁ(;´д`)
@dsa 「金で買う平和は長続きしない」ってちょっとは学べよって思う。
北朝鮮みたいなのもそれはそれで困るが。
かと言って軍人に力を持たせると軍閥化し最後は政権を奪われるのが北宋までの王朝交代の歴史。
江南が生み出す莫大なGDPは産業革命に至るまでは世界一だったから「カネで平和を買う」が出来た。
絹に茶と陶器に高度な文化と異民族が欲しくても生産出来ない物品が中華にはいっぱいあった。
解決金や保証金を奪われる相手なだけではなく、このかねで農作物、工芸品を消費してくれる客でもあった
いったん北に金はわたるが商取引で南に還流してきた
経済が周り民は蓄財でき国に税金もはいる
霊:失礼な、芸術の為の犠牲だ
早:やかましいわ
に笑った
なんか最近、暗君レベルの紹介がボジョレーヌーボーの紹介みたくなってるな。
いいぞ。
暗君のロマネコンティはやはりヘリオガバルスだな。どんな歴史嫌いでも彼の説明を聞いたら一生忘れられないぞ
@@聡福地 同意。最高品質の暗君は満場一致で彼だ。
@@聡福地 さん
個人的にヘリオガバルスは人間としては絶対に関わりたくない人ですが、自国の指導者としては苻生とかポル・ポトとかの方が嫌ですね。意味不明な理由でいきなりKOROされる訳ですから。
@@Tanaka-Kakeru 無能な働き者は困るって言いますしね(°°;)
ポル・ポトはその極み。暗君の最強はポル・ポトかも…。
その点この皇帝は働いてない無能なのに、こんだけ被害出すとは…。
@@4339ゆうちゃん さん
ポル・ポトは明らかに無理なことを理想にするような無能な人でした。しかし、たった三年足らずで理想の実現の一歩手前まで持っていくような有能な人でもありました。
その結果として、地獄すら生ぬるいような国がカンボジアに出現しました。ポル・ポトのやらかしのせいで現在でもカンボジアはアジア最貧国の一角となってしまいました。
ネロもルートヴィヒ2世も足利義政も、芸術家が権力の頂点に立つとろくなことにならないね。
フェリペ4世も権力を得てしまった芸術家ですね。
源実朝は北条政子や義時の傀儡だったが、
権力を握ってたらヤバいことして自滅したかも。
後鳥羽上皇の承久の乱が成功したかもしれない。
@@evolutiongmr7389 さん
源実朝は権力を持たなかったために、幸せに過ごせた人ですね。
実朝が殺されたから承久の乱が起きたと思うのだが
しかも描く絵画は後世、国宝級の扱いを受ける、という…。
政治的才能のなさ、奸臣が幾人もいる。
いくつもの意味で突き抜けていて草。
痩金体とかいう超絶かっこいい書体を生み出したから嫌いじゃないんだけどねぇ。
これがあの趙匡胤の100年ちょっと後の人物なんだからなぁ…
痩金体最高ですよねぇ。徽宗は書道においても絵画においても中国では代表的人物の一人だ。文学的才能が極めて高かったが亡国の君主になった南唐の後主と同じように、暗君というより生まれる家を間違えた不運な文学・芸術の天才というイメージがずっと強いです。
宋は知識人を大切して技術を高めて経済を向上させて国を豊かにした国なのにな。
徽宗という暗君のせいで酷い目に遭うとは、舵取り役が酷いと何もかもが酷くなるな。
趙匡胤のような名君は何度も出てくる訳が無いから仕方が無いとはいえ、国民が辛い目に遭うから酷い話だわ。
いつの時代でも無能な指導者の割りを食うのは国民ですね。
豊臣秀吉のクラスアップ先が朱元璋
足利義政のクラスアップ先が徽宗
武烈天皇(日本書紀)のクラスアップ先が苻生ですね。
@@Tanaka-Kakeru 綏靖天皇(日本書紀)のクラスアップ先が張献ち…なんでもない。
@@yupoz8224 さん
この天皇、伝承が事実なら中々に酷い人ですね。今までは、日本の天皇の中で武烈天皇がぶっちぎりで恐ろしい人だと思っていましたが、この人も大概恐ろしいですね。
性の喜びおじさんのクラスアップが
海陵王
1日一善おじさんのクラスアップが
孔子
君の名は。のクラスアップが
北京原人who are you
足利義政は近年の研究では結構真面目に政治に取り組んでいたようですね。
どんどん最低を更新していくスタイル
下には下がいる
最下位決定トーナメント
やはり優勝は魏忠賢か?
最悪なタイミングで外敵と戦うと、どういう事になるかといういい例ですね。日本は元寇が100年早くても反対に100年遅くても大変な事になっただろうと思う。
今の日本に必要なリーダーは、「北条時宗」のようなカリスマかもしれない❗(笑)
ヘプターキー時代でなきゃ
バイキングをイングランドは
ぬっ殺せてた
芸術に傾倒してる人物が本人の望みと反して権力者になってしまうとダメなやつですね
ちなみに徽宗が作った痩金体はいまだにフォントとして使われてたりする・・・。
芸術家としては本当に超一流なんですよね。芸術家としては。元々皇帝になってはダメな人なんだけど、時代も悪過ぎました。
瘦金体は細字だけど刻石のような力強さがあるね。彼の書画を観ると超1級の芸術家なのは間違えないです。
痩せる金の体なのに、金王朝は太った(/・ω・)/
曹植みたいに皇帝なんぞにならなければ、普通に芸術家として歴史に名を残したんだろうけど……
チンギス・ハーンの名前が出てきましたが、その前に「抗金の名将」が出てきていないので、次回は岳飛や韓世忠と秦檜の話からかな?
芸術センスに優れた暗君。
足利義政みたいなもんか。スケールが違うけど。
その結果がどうであれ義政は将軍としての仕事はちゃんとやってる。周囲の人間のキャラが濃いから却って影が薄くなる典型
徳川家治も世俗ごとが嫌になって将棋などに夢中でしたけど、江戸幕府は機構がしっかりしたから将軍が有能、無能にかかわらずシステムとしてはそれなりに動いたんですよね。ただ、中国と違って日本は島国で基本孤立しているから外交を気にしなくて済んだという側面もありますが。
@@宴は終わったが 立地もいいけどわりと民族的に狂犬よりよね日本て
@@宴は終わったが
カリスマを失っても機能し続けるシステムを作った家康はホントにスゴい
@@宴は終わったが 教科書でそう教えているのでしかたないのでしょうが、
日本は鎖国していて誰の脅威も感じずのーんびり遊んでいた
というイメージは実際とまったく違います。ロシアの脅威と必死に対抗してますよ
(まあ唐突に朝鮮に進出した邪悪な日本帝国!という現代史のストーリーにするためになんでしょうが・・・)
絵や書で筆を走らせるとどうなるかは読めるのに、政治的局面は読めなかった男
そもそも彼は政治的局面など読もうとすらしていないですね。
ただ芸術家な暗君であったのではなく、増税、強制労働、めちゃくちゃな外交、逃亡などかなりの暴君でもある
神宗の息子ってのがまた…なんか残念
暗君も暴君も英雄も、少年漫画レベルでインフレが起こってて草
まさに事実は小説よりも奇なりだな
徽宗とチンギスの眼力が違いすぎw
徽宗の真筆と伝えられる院体画の傑作の一つ、桃鳩図は日本の国宝に指定されてますね。
書家としても画家としても類稀な才能を持っていたので、皇帝にさえならなければ高名のみ残っただろうに。新法の改革が成功して国力が回復して、それなりの人物が帝位に就いていれば、河北も失う事もなかったのでは、と思うと残念でなりません。
そうですね。ここまで悪いことが重なってしまって国家滅亡って、当時の中華はどれだけやばいんだよって思います。ちょっと前まで王安石っていう良臣がいたのに、気がつくと政治の中心に悪臣が蔓延って帝は悪臣に振り回されて、それにも気づかないで、やりたい放題…この時代の民は散々だったんだろうなぁ〜と。そりゃあ水滸伝みたいに反乱分子も生まれますよ😭
なるほど・・・しかし王公貴族の生活だからこそ芸術センスを発揮できたとも考えられます。生活に追われる人には無理なレベルです。欧州のニュートンとかも仕事はほとんどしていませんし。
徽宗字もクソうめえ
君主としては究極の暗君。芸術家・書家・文筆家としては中国史上最高峰の墨跡は国宝のひと。
マジで評価に苦しむ人物。ちなみに悪人の一人「童貫」も書家としては一流。
童貫は宦官なのに髭があり、筋骨隆々で愛人たくさん抱え、芸術家としても軍事的才能もあるとぶっ壊れな人物ですよね。
…どうなってんだ、童貫。
時代による芸術家としての評価の変遷はありますが、蔡京も書家として卓絶し独自の書体を確立してるでござる。
董貫も書家だったのは初耳ですが、蔡京と仲がよかったから案外共通の趣味だったのやもでござるな。
なお、蔡京は一度は失脚してますが、董貫の根回しで復活したという逸話もあり、二人の仲のよさないし、政治的な盟友として認めていた証拠と見ることもできるかと思うでござる。一つの考えということで
科挙が漢詩だから仕方ないのかなぁ
水滸伝から入ったから、童貫はすごくて、高求?・蔡京はクズのイメージ。特に高求のクズさはどうしようもないくらい。
@@ルレックス 愛人がいてもなにするんだ?
水滸伝の時の皇帝だな
高求を切れ
芸術的才能は政治的手腕とは反比例する…徽宗がその一番いい例なんだろうね。
5:18 楊ぜんて 封神演義にもでてませんでした?あっちはイン末ですけど 漢字がおなじなような気がする
高宋「おかげで皇帝になれました」(/・ω・)/
孝宗「おかげで本家に帝位を戻すことができました」(/・ω・)/
徽宗だけでなく金も全力で煽っている南宋初代皇帝と第二代皇帝( ^ω^)・・・。
少しだけ徽宗のために弁護するとしれば、そもそも北宋のしくじり(当時はやむを得なかったとしても)は五代十国の軍閥政治への反省から文治に片寄りすぎたこと。
北宋の経済を困窮させたのは軍隊の維持に多額の費用がかかったという側面もある。
徽宗本人も一応、即位の際は筆を折って政務に臨もうとしたというエピソードもある。
また蔡京も何度か罷免している。
まあ、それらを斟酌してもすぐに堕落して桁違いにしくじっているには違いないんだけど…
一ヶ月後ぐらいには暗君ランキング更新されそう
足利義政と比較するコメントが多いですが、近年の研究では足利義政は芸術かぶれの暗君ではなく、自ら政治を行っていた評価がありますね(当然、明君英主であった訳では無いが)。
欽宗によって開封に連れ返された理由に、逃亡先で自立しようとしていた気配があった為だとあった…
現在の研究では徽宗は政治に意欲を持った英邁で筋通った君主であった事が判明しています。
足利義政は政治に意欲があったが方針がぶれまくった為、中途半端というより最悪な方向へ事態を進めてしまった君主といえます。(尤も家臣との権力の綱引きばかりを強いられている状態では仕方が無いのかもしれませんが方針のぶれがありすぎるのはいかによくないかがよくわかる例かと)
政治的プロパガンダに
土の中から出た青銅器
使おうとしてたのはマジ先進的過ぎ
後ろの黒い棒(?)が邪魔で歩きづらそう
諸星大二の漫画に出ていたよね、徽宗。
中国にいた時、靖康の変に関する映画を見たけど
徽宗の無能さと女性達の悲劇がよく描かれてました。
中国人にとっては「騎馬民族の家臣筋・風下」だから屈辱の時代だったでしょうね。
余談だけど、
現代は
「徽宗そのもの」の
「現実には無関心だが、芸術や趣味には金つぎ込む金食い虫」
でありながら「女性を蹂躙される側」ではなく
「する側」になろうとする
困ったちゃんもいる(もっと言うと「許される」)
稀有な時代でもあります。
出てくるワードの「西夏」「金」「チンギスハン」などを見ているとかの名作「シュトヘル」を思い出しますねぇ…作中に出ていた「かつて西夏はモンゴルだったのだ…」という台詞が浮かびます
読めそうで読めない西夏文字\( ˆoˆ )/
早苗の「すぐに就職が決まりそうだ」という現在の視点からのつっこみとか、新キャラでは随分減った気がするけど増やして欲しいなぁ
無能でも暴君でもない暗君……
中堅領主、地方の金持ちぐらいに生まれりゃ、その才能も害なく生かせただろうに
ピカソに
バスク族解放戦線の
リーダーやらせるくらい
無茶苦茶
ひょっとしたら
ピカソみたいに左右が大人になっても
よく分からないくらいの異能の人だったかも
史上最悪多すぎ問題・・・
為政者としては最悪レヴェルだけど、よくいえば芸術家としてのスキルにパラメータが全振りしちゃったんだろうね。日本にある桃鳩図なんて最高でしょう。間違えなく徽宗は芸術家としては当代随一の大芸術家でしょうね。
蔡京も勉強と芸術にパラメーターを全振りした人ですね。かわりに、人間性と政治力はマイナスになってしまいましたが。
@@Tanaka-Kakeru 皇帝にならなければこんなふうな不名誉な形には終わらなかったのにただ皇帝だからこそできた芸術ですかねえあの手の芸術というものは
@@fp8937 さん
確かに皇帝でなければ作れなかった作品はあったかもしれません。しかし、納得のいく作品を作ることを現実の政治や経済よりも重視する生粋の芸術家だった彼は絶対に皇帝になってはいけない人だったと言えるでしょう。
為になりました!
正しい暴虐邪知の使い方w
2:42 改革派は根絶やしは言い過ぎかとおもいます
石刻遺訓もあり、地方左遷や中央政界改編はあっても本人やかぞくの命までは
王安石と司馬光は書簡やりとりしてたとか、蘇東坡は地方勤務を彼なりに楽しんでたとかなど
あんな遊び人を皇帝にしたら大変なことになると言われて本当に大変なことになったという。絶対に国家元首にしてはいけないタイプですね。芸術家なら本当によかったのに。
全然関係ないけど1分からの音楽好きだから教えてほしいです
ジョン王やムハンマド2世もそうですが、絶対に敵に回してはいけない人をわざわざ敵に回して自滅するというのは駄目ですね。そんな自滅行為に巻き込まれる国民としては迷惑でしかないですね。
「悪政の最たるは増税」我が国の宰相にも聞かせてあげたいですな。
???「 検討させていただきます」
何でもかんでも岸田にこじつけて叩いてそう
まーた始まったよ…
徽宗は曹魏文帝の弟、曹植になれたら良かったのにね。
…兄嫁にゾッコンとか、兄に殺されそうになって才能で生き延びたとか、変なエピソードあるけどさ。
曹一族もアレはアレで大変ですけどね
なんで宋には中華最高の名君と最低の皇帝がいたのか、、、
あまりにも極端ですよね。ここまでゼロから100かみたいなことってあるんですねwww
高宗がキソウの帰還を望まなかったのはこういうことか。
優しそうな顔しやがって
洗衣院…。それなんてエロゲ?みたいなことが現実にあったという衝撃。
海陵王とヘリオガバルスは現実の皇帝とは思えないレベルですよね。
10歳未満の子供もやらされてたみたいですね
あと妊娠したら殺されたり
皇女とやれるということで、港には人の往来が絶え間なく続き、洗衣院には将兵が殺到したそうです。一部の貴女は陵辱に耐えかね入水自殺している。高宗の母である顕仁皇后は、陵辱に耐え、男子を二人産まされますが、生き延びて、開放されて南宋に戻っています。
@@seikohs00 エロゲー「黒獣」の奉仕国家は実在したんだな。
モンゴル最強の敵が南宋だったと言うのが皮肉。
南宋に淮河や長江がなかったら西夏やホラズム以上にあっけなく潰されたでしょうがw
これ、しくじり皇帝じゃなかったら
北伐で燕雲16州取り戻すか、
外交で圧力かけて領域取り戻してあとは
遼と金をうまく争わせて
対抗したと思うんだが
1000年に1人のしくじりは
やっぱレベルが違うぜ
そういえば遼金宋の三国志コースも有り得たのか(どうせ全部モンゴルに轢き潰される、ってのは置いといて)
海陵煬王はランスの大先輩です。お勧めします。
ホノリウス→鳩にエサあげてたらローマが消し飛んだ笑笑 🕊
失地王ジョン→なんやかんや鼻ほじってたら土地が消し飛んだ笑笑
徽宗→芸術に全てを捧げたら国が消し飛んだ笑笑 「みんな芸術のため市んで笑笑」
万暦帝「俺忘れてない」
崇禎帝「悪辣な臣下の粛清しまくってるうちに気付いたら国が消し飛んだ件」
皇帝じゃなくて画家になった方が良かったよ
これじゃ画家と言うより馬鹿だなぁ
画家になれる程の暗君 VS 美大落ちの独裁者
日本にも芸術に傾倒した将軍がいますな。
室町幕府八代将軍足利義政…。
@@黒川雄平 朝倉義景とかもその部類に入ってそう
芸術と世界史は不可分🤔?
@@Naganosuke_ticklesuki まともに大名できてる例だと伊達家や細川家が
19:00 オリンピックのために税金を払っているのではない
芸術と退廃は紙一重…
私が大学で東洋史の先生に聞いた話では王安石の改革は復古的で現実離れした旧貴族層優遇策で採用したらもっと酷いことになったとも、司馬光は新興地主層の取り込みを主張して宋の人材入れ替えを図ったそうです。
ビスコンティ監督作品の『ルートヴィヒ』を思い出しますねぇ。作品のルートヴィヒ2世は、美化されていましたが。
増税は最大の失政、、、財務省は分かっているのかな。
皇帝にさえならなければ偉大な芸術家として後世に伝えられただろうに・・・
徽宗的藝術造詣在曆朝歷代皇帝中堪稱一絕
李煜「わしは許されたな」
王莽とどちらが最低ですか?
こう考えると、清朝の皇帝は割と優秀な人が多く、中国史的には例外な王朝だったんだな。
風流天子の回ですな
金すら前座とするあの男がついにくるか。
欽宗は弟(高宗)に帰国を拒否された。帰国すると弟の地位が無くなるからである。金が南宋を滅ぼしたかったのなら、欽宗を帰国させて内紛を起こさせる事が最も効果があったかもしれない。しかし、欽宗の下で団結してしまうと元も子もないので保留した。
水滸伝懐かしい
徽宗がマシな君主だったら、もう少し北宋は悲惨な末路を迎えなかったのにね。
そうそう、次は岳飛と秦檜ですかね(できれば、公平な話をお願いします)
チンギス・ハーンも楽しみにしております。
徽宗·欽宗の親子関係を見ると、三国志の劉禅·劉諶(←は一家心中)のそれと重なる感じがします。国を末期に持って行った父と末期という現実を見ずに自爆した息子(尚、火力はチャオズ並み)。もしかしたら、三国志演義や平話など元となった書物の作者は、劉禅親子を徽宗親子に当てはめたのかも知れませんね。
1:07から流れる曲って何ですか?
刀伊入寇から元寇の流れの一部がなんとなくわかった気がする
芸術家肌の人ってそれ以外はポンコツだったりするからな…w
徽宗を知ったのはコーエーのゲーム水滸伝・天命の誓い
チンギス・ハーンを知ったのは同じくコーエーの蒼き狼と白き牝鹿
そして完顔阿骨打を知ったのは女真族という同人サークルの同名のエロ漫画家さんだったなあ
嘆きの健康優良児。
まぁ、名君と言われる李世民も王羲之コレクターだからな。
足利義政も、みんなイメージする日本文化を大成させた天才的美的センスだが、類い希な暗君ですよね
画才はガチ中のガチだからなあ…中高の美術の教科書で"作者"として名前の出てくる君主なんて、
恐らく古今東西徽宗位のもんなんじゃねえの?(大抵『桃鳩図』やね)
まさしく東洋の美術を代表する人ですね。本人は全く政治に興味がなかったにもかかわらず、政治に関わってしまったのが本当に悔やまれますね。
@@Tanaka-Kakeru まあでも皇帝でなければあんな常軌を逸…ゴホンゲフン贅の限りを尽くした美術的収d…ゴホンゲフンパトロネージはでけんかったでしょうね。
あれだけの乱を経て尚出がらしのように残って流れ流れた残滓中の残滓が日本で国宝として扱われる位ですから。
@@yupoz8224 さん
確かにそういう面もあるでしょうね。ただ、納得のいく作品さえ作れるならば、国の政治や経済などどうでもよいと思っているような浮き世離れした芸術家が皇帝になったのは本当に残念なことだと思います。
政治には興味が大いに有ったんだよ。
困った意味でね。
官僚が好きな絵だけ描いてろって意見したら朕の手書き命令書しか認めんぞって言い出すくらいにね。
靖康の変
というリアルオーク案件
これ君主が優秀から
サイケイも優秀だったんじゃ?
酷吏としては優秀でした蔡京は。
今風に考えれば、お役人が税収調査で詐欺したり、自動車税、通勤しただけで税をとられる。それでいて社会福祉がまったくなく、国民への還元がまったくない。
そんなわけだから、真面目に働くより、食っていけないから強盗や盗賊になった方がいいというレベルでござる。
連行された徽宗の娘たちは金の男性皇族との間に子供を設けた。
この血筋は女真族の名門と婚姻を重ねて存続。愛新覚羅氏は徽宗の末裔だという言い伝えがある。
乾隆帝の時代なら確実に徽宗の末裔でもある皇族がいただろうね。
徳川家も幕末には皇室の血を引く将軍が誕生したし。
宋の皇室趙氏の子孫・金の皇族完顔氏の末裔と愛新覚羅の一族はいずれも中国に健在。
彼らのDNA鑑定を大規模に行ったら面白い結果が出そうだ。
伊爾根覚羅氏という名族が徽宗の末裔を自称しており、維基百科の伊爾根覚羅の項目には徽宗の肖像画が掲載されている。
日本語のwiki伊爾根覚羅氏の項目では一族の著名人が紹介されていて、清朝の時代に高官と皇族妃を輩出しているのがわかる。
徽宗は皇帝にならなければ、芸術で名前残せたかもなぁ。
本人もそちらの方が幸せだったかも。
暗君かどうかと言えば暗君だろうけど、徽宗については生まれる家を間違えたという側面が強い。絵画や書道、庭造りなど芸術全般において極めて優秀でありながら、政治には全く向かない亡国の君という意味では、世界クラスの文学的才能の持ち主だが政治のことをまるで分からなかったが南唐の後主(李煜)と全く同じで、特に古来より文学・芸術を非常に重視している本場中国では、二人とも皇家に間違って生まれた不幸な天才として同情され、彼らを非難する言説は少ない。徽宗も後主も、士大夫の家に生まれていたら、全く違う人生を歩んでいただろう。実に気の毒であった。
契丹→女真→蒙古。目まぐるしい玉突き。